特攻隊への思い

1名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
今日というこの日に、蝉の鳴き声を聞いていたら中学時代に行った神風特攻隊の記念館の思い出とそれについての思いを廻らせたので書いてみようと思う。拙い文章で申し訳ないが少し聞いてください。

2名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
中学2年の俺は地元でも有名な平和記念館に見学に行った。そこは特に特攻隊についての史料が展示されているところだ。
具体的には、特攻隊として戦死した兵の写真や直筆の手紙・国旗(寄せ書きが書き込まれている)あとは飛行機の模型とか。

展示の形式は、淡々と事実が並べてあり、誰かの主観的な意図などは一切なかった。俺はその記念館で初めて知った。
特攻隊員のほとんどが10代後半から20代前半の若い男子だったこと。全国からこの辺鄙な基地に来ていたこと。彼らの書く字が今の俺らなんかと比べ物にならないほど上手いこと。みんな家族思いであること・・・

3名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
中には15歳の兵士もいた。親近感を覚えた。でも、俺と決定的に違っているのは、その誠実で知的で品性のある眼差し、熱い思い、そして純粋さ。
手紙の内容からも、写真からもそのことが伝わってきた。俺と同じ年代なはずなのに、この差はなんだろう。

ちょっと調べればすぐに分かった。彼らは何倍もの倍率を潜り抜けた選りすぐりのエリートだったのだ。
初めは、なんでそんなに優秀な若者が特攻に参加したのだろうと思っていた。でも、この論理は逆なのだと後になって分かった。
むしろ、エリートだったからこそ、その優秀な技術と強い責任感を発揮し、特攻に志願したんだ。俺がこの国を護ると。

4名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
俺は感想文に思ったままを書いて提出した。でも、担任の黒メガネに書き直しを命じられた。黒メガネがいうには、これは戦争賛美だと。特攻は自殺行為と同じだ、だからそれをほめたたえるようなことは書くなと。
正直腹が立った。こいつは何もわかっていない。書き直すのもしゃくなので、作文は出さなかった。もちろん評価は下がったが・・・

5名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
今になって改めて思っても、やはり自分は正しかったと思う。特攻は自殺なんかじゃない。自殺は自分を殺すことで苦痛から解放される、つまり利己的な動機からきている。
でも、特攻隊員は自分の能力を最大限に発揮して、迫りくる戦線を食い止めるために戦ったんだ。もちろん、死ぬ恐怖は持っていたはずだ。
死ぬのが怖くない人間などいるはずがない。出撃前夜まで布団の中では恐怖に震えていたかもしれない。もっと生きて愛する人たちと幸せに暮らしたかったかもしれない。
でも彼らには偉大な揺らぎない信念があったんだ、家族を恋人をそして日本国民を守りたい、俺がここで食い止めなきゃ・・・ 

葛藤の末に恐怖に打ち克って堂々と出撃していった青年のことを考えるといつも目頭が熱くなる。

6名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
帝国主義を支持するつもりはない。
でも、当時の世界情勢からみても、開戦までの連合国のかけた圧力を考えても、あの戦争は仕方なかった。
そして、終戦間際、特攻作戦でアメリカに被害を与えなければ、日本は主権を失っていたかもしれない。

7名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
戦争はもちろん無いほうがいい。外交は会議で終わらせたほうがいいに決まっている。

でも、だからといって特攻隊員の死が無駄だったといっていいのか?俺はそうは思わない。
若い青年たちの強く優しく熱い本当の思いを忘れちゃダメだ。彼らの崇高な決断をぞんざいにしちゃダメだ。

だから、どうか英霊たちを貶めることはしないでください。靖国に行って彼らへの敬意と彼らの思いを感じてください。彼らがいてくれたから今の豊かな日本があるんです。

8名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:8rZFyhur0
彼らが命と引き換えに護ってくれた美しく品格ある日本という国をこれからも俺は発展させたい。
蝉の鳴き入道雲の立つ青空を見上げ英霊に思いを馳せながら、そんなことを思いました。読んでくれてありがとう。

9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:MjaU9ZBm0
国の為
 南へいった
  若鷲よ
   熱き気概は
    今も僕らに ありがとうございました!。(拝礼)
    
   

10名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:mmJFtW2fi
泣いた

11名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:XFUDChEi0
大西は地獄行きだろうな

12名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:hPZbE0h40
大西を美化する風潮が気に入らないんだよなあ。

「ここまですれば陛下も気付いてくださるだろう、戦争をおやめくださるだろう」って・・・。
せめて軍令部次長になった時に何度か直に奏上する機会あったんだから
自分で御前に平伏して言上しろと思う。
「軍はもう駄目です」って自分から言う勇気がなかったんじゃないのか?

豪放磊落を装ってても所詮軍の官僚なんだなと思う。

13名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:hPZbE0h40
ちなみに大西は日中戦争の時に無差別空襲を主張してる。
そういう人物だって事も頭に入れておく必要がある。

14名無しさん@お腹いっぱい。2013/09/23(月) 14:36:05.59ID:pqotG24n0
>>5
自殺は利己的というのは違うと思うがな。
いじめとセックスが肥大化した社会で生きれない人たちが
息苦しくて死を選ばざるを得なかったと思う。
景気が理由じゃない。なぜならバブル期にも年間2万がなくなってるから。

15名無しさん@お腹いっぱい。2013/09/23(月) 14:39:27.16ID:pqotG24n0
特攻隊員の中には、仕方なくいかざるを得なかった方もおられるが
自ら進んで特攻を志願された方も多かった。
自分の命と引き換えに、親兄弟、親せき、友、恩師、郷里に生きる方々を
戦火から守りたいという意思で。
このような先輩方の思いを受け止め、戦後日本人が
享楽や快楽にうつつを抜かさずに
人として品行方正に生きていっていただければ…と切に願います。

16名無しさん@お腹いっぱい。2013/09/23(月) 14:40:27.80ID:pqotG24n0
大西閣下は確かに陛下に戦争をやめてもらおうとして
特攻を決断したのは事実だが
初めの関中佐で終わらせるつもりだった。
ところがセントローを沈めたことで大本営が気をよくしてしまい
その後、物量に劣る日本は特攻を主作戦にしてったのが真実。
それと、自分から言い出せないというくだりがあるが
大西閣下に限らず、当時の憲法下では誰も言い出すことはできない。
閣下自身「高松宮様でも言い出そうものなら暗殺されかねない」と漏らしてたぐらいだ。

17名無しさん@お腹いっぱい。2013/09/23(月) 16:08:55.27ID:fdu5++pK0
>>13
日本も中華民国もどちらも宣戦布告無しに始めた軍事衝突を
「戦争」とは云えない。
歴史的観点からしても
「支那事変」が正しい。

18名無しさん@お腹いっぱい。2013/11/03(日) 21:56:33.58ID:kYbNRds+0
私は10歳の夏、知覧へ行きました。
こういう幼い頃に特攻隊について知る知らないでその人の思想を大きく左右すると思います。

私はその日以来、
日本がもっと大好きになりました。
日本は誇れる国だと思いました。
そして若き英霊に感謝しました。

自虐的な教育を何とかしてほしいです。
アジアのいくつかの国々は日本が欧米列強と闘ってくれなければ、植民地支配からの解放はは30年遅れていたと。
なぜ、日本が戦争をしなければいけなくなったのかetc教えるべきだ。
そして、特攻隊。
美化するなと言う意見もあるけれど、私は美化してほしい。
祖国のため、愛する人の為、命を捧げること、その精神は崇高だ。美しい。
特攻隊の死は決して無駄死にではない。

美化する=戦争モード突入なわけがない。
誰だって、戦争なんて嫌だ。死にたくない。
ただ、昔の日本人はこんな精神だったという事を今の子供たちにも伝えていってほしい。

19名無しさん@お腹いっぱい。2014/01/24(金) 19:32:12.34ID:oKOiM5Qo0
G大佐
「腕よりも機械に頼る腰抜けどもを増やすだけ」

G大佐
「貴様、そんな気の弱いことでどうするか。囲碁にも捨て石、将棋にも捨て駒という手がある。そんなことで貴様あ、一人前
の戦争屋になれるか!」

S少佐「終戦も近づいたある日、G司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。
それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。
帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。
司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」

20名無しさん@お腹いっぱい。2014/02/17(月) 11:51:01.58ID:FU3oHpYL0
宗教から歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は【大日本帝国は生きている】です。

白人の侵略からアジア諸国を救った日本軍の勇姿を学んでください!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

21名無しさん@お腹いっぱい。2014/03/13(木) 22:02:34.35ID:w0rlbtRv0
三大国賊特務士官 <頭も悪けりゃ品位も欠けるノンキャリアのクズ>

■坂井三郎
矛盾だらけホラだらけの自画自賛大作「大空のサムライ」の著者
戦時中からホラを吹くばかりで自分は前線に出ずに、実際に戦っている若者に暴力をふるう。
「遅いか早いかだ!ガタガタ抜かすな!」と言って若者を特攻へ追いやった。
早期に前線を退いたくせに戦後は、さも戦いきったような本を出して、前線に最後までいた
士官下士官兵を罵倒していた。原爆賛美、ねずみ講など悪名高い。

■大田正一
BAKA BOMB(バカ・ボム)こと特攻兵器「桜花」の発案者
自分が乗っていくと言って航空本部を説得。署名を集めて軍令部を説得。新聞では
兵の命など考える必要なしと発言。桜花が使われなくなると中央に抗議して回る。
終戦時に特攻へ行くふりをして行方をくらます。海軍の上官から妻子の元へ帰るように
説得されるが、家族を省みず、愛人との間に子供まで作り、別人の名前で生活を送った。

■鹿山正
久米島虐殺事件を引き起こした隊長
守備隊長として島に着くなりわがもの顔をして、隊長命令で島の16歳の娘を強制的に現地妻
にして奉仕させる。島の住人をスパイ容疑で勝手に処刑する。戦後はしばらく行方をくらまして
責任追及を逃れる。現れたかと思えば「軍人として当然のことをやった。良心の呵責などない。
日本軍人としての誇りを持っている」と語った。

22名無しさん@お腹いっぱい。2014/03/17(月) 05:26:50.81ID:obM0FSgv0
私の祖父は特攻志願兵でした
あのまま戦争が続いていれば、私は生まれていなかったでしょう
戦闘機訓練中の出来事なんかも教えてくれました

戦後、周りの人は祖父は航空機のパイロットのような仕事に就く、と思われていたらしいのですが
戦争で一緒に訓練した仲間がみんな死んでいった事もあって、そういった職業には就かず
高校にはいって国鉄に就職していました。「もう人が死ぬ時代じゃないから」と言ってました。
特攻志願兵だったからこそ命の大切さがわかる、ということもあると思います。

>>1さんのいうことは間違ってはいないのではないでしょうか
そういったことは伝えて行くべきだと思います。

23名無しさん@お腹いっぱい。2014/03/17(月) 21:36:11.05ID:3np3HEFh0
おれは特攻兵の孫だよ
母ちゃんは戦争未亡人の子として苦労してきた

おめおめと生き残った者が、いさぎよく散っていった人たちを論じるのは違和感がある

「蛍の墓」をみるとわかるが負け残りが大手をふって
散っていった人の子孫が苦労してきたのが現実だ

のうのうと生き延びて謳歌した人たちに
命の大切さなど語ってほしくない

24名無しさん@お腹いっぱい。2014/03/30(日) 17:15:57.82ID:IYtXcqsV0
>>23
生き残った人たちしか論じる事はできない。死者は論じる事はできない。
どんな形であれ論じなかったら、それこそ死者の死を無駄にすると思うよ。

生きて帰ることを卑怯とか負け犬という感覚。
これこそが日本軍将兵と沖縄民間人をして強制的に自決させられる土壌を作った。
のうのう、なんて言うなよ。生きて帰った人たちもまたどれだけ必死だったか。
生きて帰った本人たちが「俺だけのうのうと生き延びて・・・」というのはあるだろうが、
それを迎える周りの人間たちが言っていいことじゃないよ。よくぞ生きて帰った、でいいじゃないか。

25名無しさん@お腹いっぱい。2014/04/02(水) 12:26:37.47ID:0cxPIM0b0
宗教から歴史、政治経済、天皇、自衛隊まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は『大日本帝国は生きている 自衛隊が皇軍になる日』です。

日本の軍は天皇陛下の軍隊でなければならない!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

26名無しさん@お腹いっぱい。2014/04/04(金) 13:47:54.57ID:TeiRWjjxO
特攻で尊い命を散らした人の親族とかそう言う人しか偉そうな事言うなって事か。
俺の爺さんは飛燕乗ってたけど死ななかったから俺は語れないなw

特攻のお孫さんとやらの人、素晴らしい人格に育ったなw

27名無しさん@お腹いっぱい。2014/04/08(火) 01:40:41.21ID:dq0ghSRt0
>>24
>生きて帰ることを卑怯とか負け犬という感覚。

追いつめられて本気にしちゃった将兵から民間人からたくさんいたけど、本来は気概を語ったものだったらしいね。

ひるむな、怯えるな、死んだ“つもり”で戦え。

そうするとよけいな緊張がとれる、と生きて帰ってきたじいさんが言ってた。
スポーツで言うところの肩の力を抜けというもんだろうと思ったけど、「無理だっての!」

28名無しさん@お腹いっぱい。2014/04/08(火) 14:03:12.86ID:YAbQ5+yp0
>>23
どこの部隊?
ウルトラ左翼がよくこういう極端とも言える発言するけど
本気でそう思ってる?
戦争で生き延びた人達はみんな卑怯ものなの?
アナタ特攻隊の遺書とかネット動画でも見て心動かされてどうしようもなくなった普通の若者だろ?
まあ人生のうちそういう時があってもいいだろうけどさ。
もっと多面的な考え方持たないとこれからの人生大変だぞ。

29名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/04(日) 09:49:30.02ID:Iz3O2svV0
特攻隊員は50年後100年後の
日本の平和を願って
また
家族を守る為散って逝った
まだ若い大学生で20歳前後の
志しのある若者たち

特攻前日夜に小指を切って
その血で日の丸必勝ハチマキを作り
遺書を書いた
俺たちは国を護った英霊の血を引き継ぐ
大和民族なんだ
この国の未来は俺たちが護るんよ
今の平和ボケした日本
に涙が出てくる
特攻が良いとか悪いじゃ無い

その想い
私滅の精神
受けて立つ心意気
見させて頂きました

自分も頑張ります
ありがとうございます。


http://youtu.be/dRuTlUMg378

30名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/06(火) 22:29:50.88ID:FI4+wHve0
>>23は そうとうお爺さんのはずですが、文章がお若いですね。

31名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/07(水) 07:32:03.53ID:+0gBFtIy0
と言うか爺さんの恩給のおかげで暮らせただけの子供が
他人を見下して語るとかどうよ。

32名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/08(木) 10:09:01.67ID:GzZM/61E0
>>30
私は>>22書いたものですが、まだ20代前半の学生ですよ。
末っ子の末っ子だからですけれど、若い人ならそんなもんです。

33名無しさん@お腹いっぱい。2014/05/08(木) 13:57:55.52ID:y2xBAWaMO
英霊の皆様が護りたかった日本は終わり戦後の馬鹿がいじってる日本が今ここにある。
こんな糞国家早く潰れろ。
こんな国もう愛しくもなんともない。
キチガイ国家。

特攻で散華された皆様、どんどんこの糞国家のキチガイに天誅を下して下さいお願いします。

これから期待するのは英霊の皆様から糞国家に所属する俺をはじめとするキチガイどもへの復讐だ。

それが今の俺たちが受け入れる一番大切な事。
死を恐るな!
英霊の皆様への報いとは現在の日本を糞国家にしてしまっ事を死んで詫びる事。

34名無しさん@お腹いっぱい。2014/06/01(日) 13:01:59.34ID:7bPwkY/g0
死んだ英霊は文句を言わないんだから、生きてるモンが骨の髄までしゃぶり尽くさないと勿体ないよなあ
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1401587092/

35232014/07/12(土) 21:38:31.39ID:w6cshwhe0
>>28
どこの部隊なんて聞けないよ
家族の中ではつらい話題だからな

だが、実家の墓石には、誇らしげに肖像と当時の階級が刻んである
おれは40代で、死んだ爺さんは大正生まれだ

生き延びた人間がみんな卑怯者なんていってない
散っていった人間の思いをふみにじって、
負け残りの子孫がわかったようなことをほざくのが許せないだけだ

36名無しさん@お腹いっぱい。2014/08/30(土) 10:52:00.38ID:DO/ylI7e0

37名無しさん@お腹いっぱい。2014/09/15(月) 10:01:42.75ID:VlWwrYtK0
《大戦は天皇の我欲》「昭和天皇は戦争を止めたかった・・」は大嘘だね。
軍部の最高司令官であり多くの軍需産業の筆頭株主ならば、戦争を簡単に止められた。
海軍好きだった天皇は御所内に本営を起き毎日出向いていたという。
海軍からA級戦犯が一人も出なかったことも天皇のカネの力だよ。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/509128260140027904

《天皇家の財産@》
現在宮内庁の保有地1906万平方m(時価周辺平均価格で約19兆円)は、
戦前に天皇が所有していた土地の約5%だから約20倍の約380兆円の土地を所有してたよ。
明治初頭は京都・東京御所程度だった、
日露日清・・・戦争の度々に増殖した財閥天皇家の財産は当時世界一だった。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/509122271701528576

《天皇家の財産A》
戦前の金融財産も膨大、日本銀行など28社の大手軍需産業の筆頭株主であり、
当時の日本の金保有量の70%を私有してたよ。中国や朝鮮から収奪した文化財も多数保有。
それでも我欲は収まらず大戦へ突入・・敗戦ーこの莫大な資産一部を英米国などに極秘で流し戦犯を逃れたのね。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/509124685775130624

《靖国神社は徳川家の馬と鹿の墓跡地に》
江戸図と古文書より「将軍家の馬場と鹿刈り後の処分場があり・・」、
明治時代に「それらの墓もあった場所に靖国神社が建てられた・・」という。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/500174371361529856

38名無しさん@お腹いっぱい。2014/09/16(火) 23:46:12.18ID:1tI+NTBbO
気の毒という気持ちと、よくやってくれたという気持ちがある。
いずれにしても上層部の責任は重い。

39名無しさん@お腹いっぱい。2014/09/17(水) 00:56:28.76ID:9+bZ65Nv0
そうせざるを得ない状況に追い込まれたという最悪の状況下でありながら
粛々と命に従って散っていったことは、称賛すべき彼らの資質である。

しかしながら、その素晴らしき資質も
この最悪の状況下を招いた指導部の愚かさの前には犬死にでしかなかった。

40名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/24(日) 18:52:45.10ID:0EEj4C1A0
白菊特攻隊員をしのび花火ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024969881.html
太平洋戦争末期に徳島県の基地から飛び立った「白菊特攻隊」の悲劇を忘れないようにと、23日夜、徳島市の海岸で
花火を打ち上げて、命を落とした若者たちをしのぶ催しが行われました。
太平洋戦争末期、旧日本軍は、訓練機の「白菊」で敵に体当たりして攻撃する「白菊特攻隊」を全国で編成し、徳島県
松茂町にあった基地からも56人の若者が飛び立ち命を落としました。
花火の打ち上げは、この悲劇を忘れないようにと5年前から徳島県内の花火師らで作るグループが始めたもので、
23日夜、松茂町に隣接する徳島市の小松海岸で、打ち上げられました。
70年前に特攻隊の第一陣が徳島を出発した日にあたり、亡くなった隊員と同じ数の56発の花火が夜空に打ち
上げられました。
海岸にはおよそ70人が集まり、訓練機「白菊」にちなんだ白く光る花火をじっと見つめていました。
そして、手を合わせて亡くなった若者たちをしのんでいました。
訪れた徳島市の20代の女性は、「戦争を経験した方が高齢になっていくなかで、自分たちが歴史を知り、語り継いで
いかねばならないと感じました」と話していました。
花火の実行委員会の澤内健司委員長は、「空に飛び立ち散る花火のような特攻隊の悲劇の歴史を若い世代にも伝え
続けたい」と話していました。
花火は、6月までのあわせて5日間、特攻隊員たちが沖縄へ出撃した日付にあわせて打ち上げられる予定です。
2015年05月24日 16時54分更新

41名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/28(木) 20:20:06.91ID:zBm/PDxT0
特攻隊の機体 掘り起こしttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024937681.html
太平洋戦争末期の特攻隊の記憶を語り継いでいこうと、訓練用の飛行場があった阿波市で、現地に埋まっていると
される特攻に使われた訓練機「白菊」の機体の一部を掘り起こす作業が始まりました。
阿波市市場町には、太平洋戦争末期、松茂町にあった旧海軍の航空基地に代わる秘密基地として「市場飛行場」
が建設され、訓練機「白菊」による特攻隊の訓練が行われました。
戦後、飛行場近くにあった修理工場の跡地には、焼却された訓練機の機体の一部が残され、地元の住民が農地に
するためにその場に埋めたということで、特攻隊を語り継ぐ活動を行っているグループが戦後70年の節目にあわせて、
機体を掘り起こす作業を始めました。
まず、当時、機体を埋めたという吉川格郎さん(88歳)から現場には、複数のエンジンが残っていたことなどを聞き取り、
具体的に埋めた場所を確認しました。
そして、重機を使って慎重に土の表面を掘り起こしながら、金属探知機で反応を調べていました。
作業を行っているグループでは、機体の一部が見つかれば、何らかの形で展示し、特攻隊の悲劇を伝えていきたいと
しています。
作業に立ち会った吉川さんは、「当時、特攻隊員たちが飛行場から出撃するのを見送り、ほんとうに哀れだった。
機体がぜひ見つかってほしい」と話していました。
掘り起こしの作業をしている徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会の山下釈道会長は「特攻隊を知る人が少なくなるなか、
機体の一部がみつかれば、無言の証人になってくれると思う」と話していました。
2015年05月28日 13時18分更新ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024937681_m.jpg

42名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/29(金) 09:26:44.24ID:CCsjjJhM0
特攻隊の機体 掘り起こしttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024937681.html
太平洋戦争末期の特攻隊の記憶を語り継いでいこうと、訓練用の飛行場があった阿波市で、現地に埋まっていると
される特攻に使われた訓練機「白菊」の機体の一部を掘り起こす作業が始まりました。
28日は機体は見つかりませんでしたが作業は今後も続けられることなっています。
阿波市市場町には、太平洋戦争末期、徳島県松茂町にあった旧海軍の航空基地に代わる秘密基地として
「市場飛行場」が建設され、訓練機「白菊」による特攻隊の訓練が行われました。
戦後、飛行場近くにあった修理工場の跡地には、焼却された訓練機の機体の一部が残され、地元の住民が農地に
するためにその場に埋めたということで、特攻隊を語り継ぐ活動を行っているグループが戦後70年の節目にあわせて、
機体を掘り起こす作業を始めました。
28日は、まず、当時、機体の一部を埋めたという吉川格郎さん(88歳)から現場には、複数のエンジンが残っていた
ことなどを聞き取り、具体的に埋めた場所を確認しました。
そして、重機を使って慎重に土の表面を掘り起こしながら、金属探知機で反応を調べていました。
28日の作業では、修理工場のものとみられる茶色く錆びた部品が複数掘り出されましたが、機体は確認できません
でした。
作業を行ったグループでは、今後も作業を続けていくことしていて機体の一部がみつかれば何らかの形で展示し、
特攻隊の悲劇を伝えていきたいとしています。
作業に立ち会った吉川さんは、「当時、特攻隊員たちが飛行場から出撃するのを見送り、ほんとうに哀れだった。
ぜひ見つかってほしい」と話していました。
掘り起こしの作業を行った徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会の山下釈道会長は「特攻隊を知る人が少なくなるなか、
機体の一部がみつかれば、無言の証人になってくれると思う」と話していました。
2015年05月28日 19時51分更新ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8024937681_m.jpg

43名無しさん@お腹いっぱい。2015/06/11(木) 16:02:20.61ID:ohdHE3ch0
特攻隊 エンジン掘り起こしttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025347591.html
太平洋戦争末期に特攻隊の訓練用の飛行場があった阿波市で、現地に埋められたとされる訓練機の機体の一部を
掘り起こす、2回目の作業が10日、行われました。
地中からは金属片が複数出てきましたが、機体の一部かどうかはわからず、今後、分析が行われます。
阿波市市場町には、太平洋戦争末期、松茂町にあった旧海軍の航空基地に代わる秘密基地として「市場飛行場」が
建設され、訓練機「白菊」による特攻隊の訓練が行われました。
戦後、飛行場近くにあった修理工場の跡地では、焼却した訓練機の一部が埋められたとされ、特攻隊の記憶を語り
継ぐ活動をしているグループでは、5月に続いて、2回目の発掘作業を行いました。
作業に立ち会った88歳の吉川格郎さんは、この土地の地権者で、学徒動員を経験して終戦後に県外から実家に
戻ると、10個程度のエンジンがこの土地に置いてあり、農地として利用するために埋めたと証言しています。
深さ1メートル50センチの地中から、前回と同じように茶色く焼け焦げた金属片が複数掘り出されましたが、金属片が
機体の一部か、修理工場の機械の一部かはこの場ではわかりませんでした。
グループでは、分析するとともに、今後も引き続き、発掘を行いたいとしています。
吉川さんは「発掘は難しいと思うが、早く見つかってほしいです」と話していました。
徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会の山下釈道会長は、「エンジンが見つかるまで続けたいと思うが見つかるかどうかより、
この活動によって白菊特攻隊への関心が高まるといいと思います」と話していました。
06月10日 18時47分ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/8025347591_m.jpg

44名無しさん@お腹いっぱい。2015/12/25(金) 11:16:55.72ID:XO0sd/x/0
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり

45名無しさん@お腹いっぱい。2016/05/21(土) 18:03:34.45ID:NRjDxPVL0
私の大叔父が、南方で、特攻隊で戦死した、
と、聞いています。
祖父は、多くは話しませんでしたが、
私に、戦争で亡くなった方々のお陰で、
今の暮らしができていることを忘れるな、
と、私に言っていました。
大叔父も、日本のことや、家族の為に、
命をかけてくれた、と、思っています。
ありがとうございます。

46名無しさん@お腹いっぱい。2016/05/28(土) 15:16:01.57ID:7v0AZdhX0
知覧鎮魂の賦って、フランダースの犬の最終回っぽいよね、
という感想はネットで検索しても1つか2つしかなかった・・・

のでここに書いてみる。

47名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 15:24:37.39ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

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