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最近発見された史料には、会津庄内が蝦夷地と引き換えに、軍隊派遣の要請をプロイセンと交渉していたことも書かれているな。

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戊辰戦争中の会津、庄内両藩 蝦夷地所領 プロイセンに提示 (読売新聞2017年5月17日)

 明治新政府と旧幕府が戦った戊辰戦争(1868年〜69年)の最中に、旧幕府軍側だった会津、庄内の両藩が、蝦夷地(北海道)に持つ
所領と引き換えに、プロイセンから資金か軍隊を送ってもらう交渉をしていた経緯が最新の調査で明らかになってきている。

 幕末期の駐日プロイセン代理公使、マックス・フォン・ブラントが本国の宰相ビスマルクに送った外交書簡群を、
五百旗頭馨・東京大教授の研究チームが独・ベルリン連邦文書館で見つけ、国立歴史民俗博物館の福岡万里子准教授が読み解いた。
蝦夷地をめぐる両藩とプロイセンとの交渉を示すブラントの書簡については、2009年、東京大史料編纂所の箱石大准教授らが
フライブルクの連邦軍事文書館で発見しているが、今回見つかったブラントの書簡は、交渉内容や経緯がより詳細に書かれている。

 ブラントは書簡で、戊辰戦争では一時的に新政府軍が勝利するとしても、東北は新政府への反感が強いこともあって全国的な統治が
難しく、日本は群雄割拠の状態に陥ると予想している。

 1868年11月12日付の書簡には、借款と引き換えに、蝦夷地にある両藩の領地を99年間担保として差し出す意向を示した文書が
手元にあると書かれている。会津藩は紋別など、庄内藩は留萌などを領有しており、それらのいずれかを提供しようとしたと考えられる。

 翌日付の書簡では「蝦夷における我々の領地を、銃で武装した軍隊または借款と引き換えに担保として与える」という、
両藩が資金だけでなく、武力介入も期待していたことを示す文書の一部も引用されている。ブラントは、両藩の領地からの収益を
見積もった計算書も書簡に添付したと言及。「当地(横浜)の商会を通じて、適当な額を前払いとして払うことは考えられるでしょう」と提案している。

 戊辰戦争は間もなく終結し、ブラントが予想したような状況に陥ることはなかった。福岡准教授は「追い詰められた会津、庄内両藩の
『最後の手段』を示す史料。仮に戦争が長引いていた場合、その後の蝦夷地の状況が変わっていた可能性もある」と話す。

 書簡の概要は、年内に吉川弘文館から刊行予定の戊辰戦争論集に収録される。

(文化部 前田啓介)