松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15
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骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
前スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう14
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1342871083/
・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は松菊木戸公傳・木戸孝允日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集・木戸孝允関係文書などを読んでみよう。
大きな図書館には大抵あるよ!
・木戸に関する論文や小説は>>2以降参照 250 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2013/12/14(土) 09:20:26.42 ID:JaxK04Dhi
松尾正人『木戸孝允』は当然読んでるという前提で。
木戸の名前を冠したものでは
長井純市「木戸孝允覚書─分権論を中心として─」『法政史学』第50号 1998
森川潤『木戸孝允とドイツ・コネクションの形成』広島修道大学研究叢書第93号 広島修道大学総合研究所 1995
内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」『日本歴史』12月号 吉川弘文館 2008
あと 五十嵐暁郎『明治維新の思想』世織書房 1996 収録の木戸孝允論はおすすめ。
この部分だけネットでも読めるのでググれ。
落合弘樹「国家構想の展開と木戸孝允─往復書翰から見た木戸孝允と井上馨─」『明治大学人文科学研究所紀要』第64号 2009
これもググれば読める。
木戸についておもしろい論文が載ってた記憶があるのは
松尾正人『廃藩置県 近代統一国家への苦悶』中公新書 1986
松尾正人『維新政権』吉川弘文館 1995
松尾正人 「明治初年『新聞雑誌』の廃藩論」 『中央史学』第19号 1996
松尾正人 「山口藩知事毛利元徳の辞職「上表」」 『中央大学文学部紀要』第168号(史学科42号)1997
家近良樹『幕末政治と倒幕運動』吉川弘文館 1995
芳賀徹 編『岩倉使節団の比較文化史的研究』思文閣出版 2003
沼田哲 編『明治天皇と政治家群像─近代国家形成の推進者たち─』吉川弘文館 2002
高橋秀直『幕末維新の政治と天皇』吉川弘文館 2007
高橋秀直「廃藩政府論─クーデターから使節団へ─」『日本史研究』356号 1992
青山忠正の薩長盟約に関する論文はどこだったか忘れたが
たぶんどっかに引用されてるだろう。
まあ1980年代後半以降のまっとうな明治初年政治史の論文集なら
まずもれなく木戸についてのまっとうな記述があるから
何でも読んでみりゃいいんじゃね 最近刊行された関連書籍
プリミエ・コレクション 90 木戸孝允と幕末・維新 急進的集権化と「開化」の時代 1833〜1877
齊藤 紅葉 京都大学学術出版会
佐藤智恵『ハーバード日本史教室』(中公新書ラクレ、10月の新刊)
日本政治史の中のリーダーたち 明治維新から敗戦後の秩序変容まで
伊藤之雄・中西 寛 編 京都大学学術出版会
小説 木戸孝允 上巻:愛と憂国の生涯
小説 木戸孝允 下巻:愛と憂国の生涯
中尾 實信 (著) 鳥影社
角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」の12巻『明治維新と新政府●明治時代前期』
木戸孝允(桂小五郎) (小学館版 学習まんが人物館) 坂倉 彩子
集英社版・学習まんが 世界の伝記NEXT 木戸孝允と高杉晋作
梅屋敷 ミタ【まんが】/三上 修平【シナリオ】/河合 敦【監修・解説】 >>1
おつでごわす
全板対応の避難所 2ちゃんねる避難所@2NN 2ちゃん
http://www.2n★n.jp/refuge/ ← ★を取ってね
5ちゃんねる避難所(FC2ウィキ)(編集可能)
http://2chhinan.wiki.fc2.com
5ちゃんねる避難所(5ちゃんねるウィキ)(編集不可)
http://info.5ch.net/?curid=1660 スレ立て乙です
龍馬宛て木戸孝允書簡発見=大政奉還、倒幕促す
ttps://www.jiji.com/sp/article?k=2018041100201 動画を見たけど、嫌悪感を覚えるな。
この人、在日ですか。
韓国は西郷の征韓論より木戸さんほうを嫌っているのかな。 岩倉の木戸、大久保評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面では議論せず、陰に局外の者へなにかと
不平ばなしをするのは、木戸の悪いくせである。大久保は才なく学問もないが、ただ確固
として動かぬのが長所だ」(冨成博著、維新から明治へその虚像と実像) 高杉や木戸のような死に方をしたい。
もしくは武市、近藤、小栗。
最悪は坂本、大久保。突然襲われて心の準備もなくやられるのは御免だわ。 中尾本小説、齋藤本評論、皆さん読んでいるのですか?
どちらですか? 両方!というツワモノも居ますか?
さすがに価格や読破時間を考えると、自分はほぼ後者一択かと思いつつ、
晩年の病と死に至る道、その記述の差(齋藤本の方に、もう少しここがあれば…)は気になる。
やっぱり木戸さんの生涯を思い、そこの部分で感傷に浸りたいというのはありますね。
小説、まだ書店で発見できていないので、一度現物確認して最終決定します。それまでは競馬POG本で時間を埋めてね。
(都内某大型書店の検索システムでは「在庫あり」だったのに、指定された場所にあったのは齋藤本のみ。これ担当舎が入力間違ったよw) 古川薫氏の「維新の商人」では、木戸さんはどれくらいどういう風に描かれていますの? 大久保にも言えるが地元に強烈なアンチがいて不憫だなあと思う >>18
木戸の場合、熱烈なファンも少ないが、病的なアンチも少ないのでは? >>19
桂小五郎は長州のドンなんだけど、吉田松蔭、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋なんかに知名度や人気を取られているな。
せっかくの剣豪なのにな。
あと、途中で名前を変えたのも知名度が分散して良くない。 胃癌で病死した説があるが、腹の痛みは訴えていなかった
(少なくても記録には残っていない)ので、どうなんだろうねえ?
死の数ヶ月前に東京から京都に移動しているので
その時にはそれなりの体力が残っていたことになるが。 長州のドンとして色々やるときにお尋ね者のときの名前じゃ不都合だろってことで藩主が付けてくれたんじゃなかったっけか 羽曳野市のはびきの市民大学の司馬遼太郎の講座、東京住みで行けないからスルーしてたが
> 7/6 司馬遼太郎はどうして桂小五郎(木戸孝允)が嫌い?
> 11/30 『翔ぶが如く』と村松剛『醒めた炎 木戸孝允』に見る木戸像の違い
ttp://www.minorinosato.com/shimindaigaku/kouza18/dayori2018.05.pdf
この二つだけめっちゃ聴きたいw 貼りにきたら既に話題が出てたw
自分も距離的に難しいんだがその2コマだけでもなんとか受講できないものか… >>25
> 司馬遼太郎はどうして桂小五郎(木戸孝允)が嫌い?
「花神」を読むと、木戸嫌いとはとても思えないのだが。
強いて言えば維新後の木戸が嫌いなのか? 「跳ぶが」では、辛辣な言葉をつかって木戸さんの性格を描いている。
本当にきらいなのだと思うよ。ただ、この小説は、他と違って史実に基づくスタイルを
とっているので、木戸さんの実績については評価していると思う(評価せざるを得なかったというところかな)。。
例えば、版籍、廃藩は木戸さんが中心だったとか、文民統制のことなど。
その反対が西郷かな。愛情をもって描いているが、この人は明治以降の実績が少ないため、
さすがの司馬さんも実績面では評価しづらかったようだ。 尾崎行雄も木戸嫌いを公言していたな。
なぜ木戸が嫌われるのか俺にはわからないのだが。 私は、木戸さんと後藤象二郎の要素を持った人間です。あと、特に自分が若い頃は江藤みたいなところも。
大久保、西郷にはなれんです。 何かの歴史本で読んだげと、
歴史ファンは自分の性格に似た人物のファンになるみたい。 >>29
ぶっちゃけこいつに好かれたところでなあ…みたいな人物ではあるがw>尾崎
尾崎が木戸嫌いって初めて聞いたな
幸一の方じゃなくて?
単純に閥族政治嫌い→長州のドンだから悪者!みたいなノリか?
大隈直系だし色々吹き込まれたのかね 木戸と大隈の関係は特に悪くなかったのではないか? 大木喬任とも悪くないはず。 大隈は政治家として第一は木戸、第二は大久保と言っている。
維新当初は木戸を頂点とする開明派にいたわけだし、タイプは似ていたのかもしれない。
廃藩直後には木戸の推挙で参議に再任しているし、木戸に対して悪い感情はない筈。 嫌いという言葉が一人歩きしそうだが
どっちかというと
強烈な偏った個性がないので興味をもたれにくいというところではなかろうか
司馬のキャラ生活付けも創作を盛り上げるためのものでもあるし 維新後は気難しい人だったみたいだからなあ。
伊藤博文も木戸の死後に愚痴っている。 京大・齊藤本、誰一人カスタマーレビュー書かないのな。
ホント、本を読まなくなったよな、この国の人はorz ただひたすらスマホだもんな。電車乗っていてもあきれる程の光景だし。 斎藤紅葉さんの本の書評が載ってるというので読売新聞買ってきたが本当に読んだのか?という感じでがっかりした・・・ ”廃藩置県を主導し" までは良いがその後のコメントがなぁ〜。 齋藤本、昨日から読み始めたが、
プリミエールであることもあるのか、本人及び編集者の力量にやや難があって、文意の通じないところがかなりあるね。
接続語の使い方、主語・述語の関係に?が付いたり、明らかな間違いもあるし…
内容に関して言うと、
「理想主義的」という見られてきた木戸の姿の、具体の何を指して「理想主義」というのか、
その姿が、幕末期・維新直後・廃藩置県後でどう変わるのか変わらないのか、読解できるようには書かれていないように思う。 土居豊 @urazumi
本日から開講したはびきの市民大学の西郷隆盛講座、次回は6月22日です。
この講座は、一回のみの聴講も可能ですので、西郷や司馬遼太郎、『飛びが如く』など
幕末・明治初頭の歴史ものにご興味あれば、気軽にお申し込みください。
ttps://twitter.com/urazumi/status/1005076503523090433
>一回のみの聴講も可能
マ ジ で ! 齊藤本、注釈が多過ぎてね。
しかも巻末に置いてあるもんだから、本文と行ったり来たり読まなければならず、
本文が集中して頭に入って来ない。
頁捲りも大変。あの大きさの装丁だから猶更手の操作が大変。 斉藤本、”てにをは”の使い方にやや難あるが、博士論文を基にしているだけあって、
読者受けを狙って木戸を描くのではなく、多くの歴史資料を使って客観的且つ無機質に
木戸を描こうとする姿勢は伝わってくる。 木戸がライバル心が強いってのはどっから出てきたん? 齊藤本は研究者が研究者向けに書いた研究書・学術書だから、われわれ素人には難解なうえ、
研究者の習性として先行研究が進んでいる部分は深入りせずにさらっと流すことが多いので、
伝記として読む場合にも不満が残ることになるだろう。例えば初期の部分(第一章・第二章)では、
吉田松陰との関係、丙辰丸盟約(成破の盟約)に至る水長提携運動、文久2年の攘夷藩論への
大転換に至る中津川会議・京都河原町藩邸での会議、これに起因する義弟(年齢は木戸より
4つ上だけど)来原良蔵の自刃などは素人的には興味深いところなんだけど軽く流しており、
その他でも「これについてはすでに指摘されている(注)」という記述がやたらと多いのが難だな。 >>41
大阪住みの人行ってほしいね
平日だもんなぁ… 司馬が竜馬がゆくを執筆したのは出石の木戸が潜伏した旅館ではなかったかな。
司馬の木戸に対する感情は屈折しているように思える。 「西郷どん」が寺田屋事件の文久2年(1862年)まで来て、初の長州藩士として久坂玄瑞が登場、
そろそろ桂小五郎も出てきそうなので、文久2年までの桂(木戸孝允)の予習・復習となる論文
落合弘樹「幕末政局と木戸孝允」(『明治大学人文科学研究所研究紀要』第76冊、2015年3月)
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/17628/1/jinbunkagakukiyo_76_%281%29.pdf でも西郷と木戸は、慶応元年1月、西郷が木戸を伏見で迎えたときが初対面だから、まだまだ先よ。 でも西郷と木戸は、慶応元年1月、西郷が木戸を伏見で迎えたときが初対面だから、まだまだ先よ。 史実とこの大河は別ですし。
つか、史実通りで良かったんだよ(遠い目 NHKといえば「幕末未来人」は、史実とは違って桂小五郎が幕末に暗殺されてしまったなw
フィクションだから何をやってもいいわけだがw いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
EI3 >>49
「幕末政局と木戸孝允」と銘打ちながらメインは長井と周布の政治活動と毛利父子の去就
題名と中身が全然違うという最近の歴史新書本のやり口をなぜ論文で踏襲してしまうのか 使節団編成の時に大久保が居なくなるのを反対していた井上が賛成に転じたのは木戸を外遊させたくてねじ込もうとしたからじゃないかって言うのを読んだ
井上イイヤシ…
木戸の使節団入りが本決まりした後にまた大久保が行くのを反対し始めたのはワロタ 禁門の変の際、部隊長として兵を率いて戦ってたって説とあくまで文官としてあちこち駆けずり回ってたて説あるけど
どっちだったの? 仕事はできるが、ひがみっぽくて、気難し屋で、気に入らない仕事だと投げ出す
ようなタイプだったのかな。
台湾問題の時、どうしてもっと踏ん張れなかったのか。廃藩までリードしてきた
プライドが邪魔したのか。大久保の執着心の半分でも持っていたらな。 【 &⇒ふ 】 御用学者が漢字由来と捏造中のカナ文字、実は <へブル文字> だと知ってましたか?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532140889/l50
え! なんで日本人がイスラエル人と同じ文字を使ってるの! 幕末・維新人物伝 木戸孝允
加来 耕三 (企画・原案), 中島 健志 (イラスト)
出版社: ポプラ社 (2018/8/11)
ttps://www.amazon.co.jp/幕末・維新人物伝-木戸孝允-加来-耕三/dp/4591159493
さて >>49 の落合論文はミネルヴァ日本評伝選で執筆予定の『木戸孝允』の草稿と講義ノートを
お手軽にまとめたような、文久2年までの評伝、概説書といった感じで、
論文としての深みがあまり感じられない。
それに、手書きの原稿をあまり出来の良くない学生にでもワープロ入力させて、
それをきちんと校正していないのではないかと疑われるほど、誤字・誤変換が多いのも難点。 ミネルヴァの評伝、早く出て欲しですよね・・・(遠い目) 明治5年に西郷が国元にあてた手紙
「榎本らの処遇について木戸だけが厳罰を主張していたが、周囲に説かれてやっと嫌々ながら黒田清隆の寛大案を呑んだ」
木戸さん…… そりゃ木戸はトップに全ての責任を取らせてそれで手打ちにしましょう派だし 今でいうと 荻上チキ みたいな人だったんだろうな。 >>66
木戸がいかに貴重な存在かわかる
今の自民党でいうと、安倍さんの案にも
とりあえずNOを言える存在
そういう人がいないと、政府は単なる私党になってしまう まだ新しい体制で憲法すら無かった明治初期の体制を現代に置き換えるのは馬鹿げてる
ましてや後世に名を残す偉人を100年後には忘れられてるような現代人に置き換えるのは偉人の矮小化に他ならない >>69
>とりあえずNOを言える存在
野党のことか 筒井清忠編『明治史講義【人物編】』(ちくま新書、2018年4月)
第1講 木戸孝允—「条理」を貫いた革命政治家 落合弘樹(p.15〜30)
江戸遊学と研鑽/政治活動の開始/藩論転換を主導/攘夷断行と藩の苦境
薩長連合の成立と木戸/急進改革の演出者/煩悶する元勲
『明治史講義』というタイトルにも関わらず、明治史は最後の4ページほどで、
幕末史が中心となっている。ミネルヴァ日本評伝選も幕末中心になりそうだな。
松尾本がほとんど明治なのを意識しているのかもしれない。 海音寺潮五郎は木戸孝允を「手腕は買えない」「革命家として全部失敗してる」つってる
七卿落ちも蛤御門の変も失敗したと言って
どっちも木戸孝允の本だと木戸は反対してた側だとされるもんだけど、実際はどうだったんかね >>73
海音寺潮五郎は木戸のどういうところ(長所)は評価しているの? >>74
覚えてないから、そういう言及無かった気がする。まぁ鹿児島生まれの人だしね
薩に肩入れする人が維新史を書けば維新は薩摩中心になるし
長に肩入れする人が維新史を書けば維新は長州中心になるっていうよくあるパターン
版籍奉還なんか発端は長州閥だったと思うが、「西郷も当然考えていた」、「誰が最初とか言っても仕方がない」とする ちゅーか一小説家の私見持ってこられてもね
そんなんるろうに剣心をソースに幕末語られるのと同レベルの話だし… その時代の雰囲気が大切なんだろうけど10年も経つと自分が生きていたのに
なぜあんなものが流行ってたのかも分からなくなってしまう。
まして150年昔がどんな時代だったかなんて分からないんだよ。 6月7日から8月30日まで、他の本に回って中断する期間がありましたが、
齊藤紅葉氏の京大本を読み切りました。マーカー、傍線一杯引いてね。
組織人としていろいろ参考になりました。
欲を言えば、病の具体の内容・経過を書いて欲しかったけれど、それは医師の方のあの小説に譲りますかね。
ところで、昨日、母に
「桂小五郎ってどんな人?何をやったの? 西郷・大久保は分かるけれど…」と訊かれました。
「長州藩のリーダー。幕末から維新の過程の事象、ほぼ全てに関わった。廃藩置県を早くから提唱。」
と答えましたが、
もっと具体に分かり易く説明するなら、どうなりますかね?
母に齊藤・京大本を読めというのは無理なので。 歴史詳しくない人なら、あの伊藤博文は桂小五郎の従者だったよとか?
いち早く世論の大切さに気づいて新聞雑誌を作ろうとしたり、国家の発展は国民の教育が不可欠と教育に力を入れたり
あとは東京桜前線の観測地点、靖国神社の桜を植えた人 ●幕末長州藩のリーダー。
●薩長同盟を結んだ人。
●”5か条〜”、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、三権分立を主導した人。
●会津藩士を青森(斗南藩)に閉じ込めて弾圧した人。
●普通教育の振興を主唱した人。
●高杉晋作がつくった奇兵隊を潰した人。
●伊藤、大隈の兄貴分であった人。
●靖国神社の銅像の人を発掘した人。
●憲法の制定、国会開設による立憲政治(漸次立憲政体樹立の詔)を主導した人。 維新政府の創業期はある種の合議制だったから、どれが誰の功績かってのは一概には言えないのが難しいとこだ
表立って出てないけど、発案、あるいは空気づくりの点で実は木戸の手柄ってのは割とあるんだろうなぁ 木戸孝允は日本大学の創立に大きく
貢献した人。
日本法律学校は長州藩士の山田顯義(市之允)が
創立したんだが、木戸孝允(桂小五郎)の
構想を具体化したのが山田顯義です。 愛エメ 木戸松菊公逸話読んでて初めて知ったんだが木戸孝允て藤田東湖好きだったんだな「最も敬慕しておられた」って
なんかあんまそんなイメージなかったわ 斎藤本はダメダメだね。
たとえば木戸日記明治7年2月6日条「今日岩倉にて会議あり、台湾一条なり、
廻しの書面に同意せり、よって今日出会を断れり」
つまり台湾出兵自体には同意してるという指摘(これに反論、再反論が続くが省略)
に対して何ら答えてない。しかもまだ「薩長同盟」だの「討幕」だの言ってるのは驚くほかない
これじゃ読んでもしょうがない 明治4年6月27日 木戸孝允日記
「わが論のたちまちに彼の心腹に入るを覚ふ。西郷の公心、余の心に徹し覚えず感歎せり」
醒めた炎では、”わが論”を廃藩置県と解釈しているが、解釈に少し無理があるように思う。
制度改革のことではないかな。
参考までに、木戸孝允遺文集(妻木忠太編)によれば、「明治4年6月27日西郷が始めて公(木戸)が
言う廃藩置県の主意を了解した」となっていて、醒めたと同じ。 そうだね。6月下旬なら木戸の関心は政体改革以外になく
西郷への働きかけも行われている。
制度取調は7月5日に西郷を加えて開始。
廃藩置県はまた別途、7月8日以降に伝わってるからこの時点では違うし、
7月9日の木戸邸での会談でも政体基則が議題に挙がっている。
笠原英彦「廃藩置県と留守政府:明治4年の政治動向」に木戸日記のその箇所が注釈で挙がっている
file:///C:/Users/Shigeo%20Ohshima/Downloads/AN00224504-20070428-0095.pdf やはり制度改革のことだよね。
木戸孝允遺文集は、妻木さんが、木戸日記にのっていない事柄を、備忘録やメモ書きを
集めて、編集したものと理解している。これに廃藩のことが載っているということは、
西郷に対して当日の本題である制度改革の話の中に廃藩をさらりと織り込んだのかしらん。
遺文集によれば6月4日三条へ、6月5日岩倉へ制度改革案、廃藩のことを意見している。
<<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038118>> 西郷どん、酷い描き方だわ。廃藩置県、木戸が最大の主導者なのに…orz 東京大学は文部卿木戸孝允(桂小五郎)の
手によってスタートしました。
木戸孝允の後を継いだのが山田顯義(市之允)です。 >>97
西郷どんでマトモな描かれ方をした人物がいたか? 西郷家の人物以外、ホンマ、殆ど全てリスペクトsareteiない人物造形なんだよな。 西郷どんの木戸は、文句を言っているだけだなw
長州藩政、明治維新政府を主導した姿がこれっぽっちもないw
齋藤紅葉氏はNHKに抗議しているかな? 木戸さん大河ならだいたいイケメン枠でしょう
なお性格は… 日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 1
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/joke/1501510625/
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 2
https://tamae.5ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html >>101
西郷どんはフィクションとして観るようにしています。 そら、最初からフィクションなわけだが、
こんな木戸や大久保、見とうはなかった! 木戸幸一は木戸孝允の孫と関連のサイトや書籍に書いてあるからいままでそう信じていたけど
木戸孝允の妹の血筋であって直系ではないんだね。木戸幸一の父親は木戸孝允の娘と結婚していたけど子を成す前に死別しているし
戸籍的にはそうなんだろうけど普通に祖父とか孫とかいっているから直系だと勘違いしていたよ >>108,>>110
木戸公が亡くなったことを伝えた新聞記事には「胃の腑の腫れ物」と書いてあったとか。
最終的に胃癌がトドメだったのかもしれないけど、多病な人だから複合要因だとは思う。 >>112
異端だが、あの木戸孝允が一番良かったと思う。 胃の腑の腫れ物 = 胃癌 としか解釈しようがないのだが。 長州藩には珍しく汚職はしなかったよな。
藩医に息子だったから裕福だったからかな 伊藤と木戸の関係性いいよな物語として
兄弟同然→対立→やや仲直り→死別
伊藤は木戸のような政治家を理想としていたかはわからないけど、晩年になればなるほど思想も行動も木戸に似てくる 実際のとこ伊藤は木戸のことどう思ってたんかねぇ
飲んでる時に高杉晋作に、「来原良蔵と桂小五郎どっちが上か?」って聞かれて「来原良蔵」って答えて、
その話を噂で聞いた桂小五郎がしばらく不機嫌だったって話好きなんだがwあれほんとなんだろか 長年の付き合いからくる遠慮のなさというかある種の親しみを感じるエピソードよな >>118
『伊藤公直話』(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224551/117
「木戸孝允を語る」はコマ番号22〜33、「来原良蔵を語る」は62〜64。
「処世の術は木戸或は来原に勝るものがある。然れども学問・見識・人格に
至つては来原は遥かに木戸の上にある。」(コマ番号64、原本100ページ)
新人物文庫にも『伊藤博文直話』と改題されて収録されているよ。 乱世に必要なのは
処世術 >>>>> 学問・見識・人格
だからな。
明治新政府には無学で人格的にも問題があった政府高官が多数いたわけで。 >>121
この本の信憑性ってどこまで信じられるんかね
小松緑って人が昭和10年に「伊藤博文公からこんな話を聞いた!」って言って出した本らしいけど >>124
はしがき(コマ番号10)に「これらの直話は、末松謙澄・大岡硯海・大橋乙羽・古谷久綱・
坪谷水哉諸氏及び私どもが、親しく筆記して(伊藤博文)公の検閲を経たものである。」
と記されているので、それを信用していいと思いますよ。伊藤之雄先生をはじめ名だたる
歴史学者も引用してますし、捏造・歪曲があったら公爵伊藤家が黙ってなかったでしょう。
なお、>>121 の「来原良蔵を語る」は「来原良蔵割腹の話」の誤りでした。 ・幕末、明治維新の騒乱期ばかりでなく現代でも処世術は大変大事。
・木戸は政治家であり、学者・思想家ではない。岩倉が「木戸は才あるが、云々)と評価した
よに、政治家としての学識は十分であった思う。
・井沢元彦本は、木戸は天成の調整家であり、攘夷か、開国か真っ二つに割れていた藩内を
無血で開国(下関)でまとめた。帰国後の長州は事実上、桂政権であり、藩主のお気にいりで
あったと述べているので、処世術は大変長けていたであろう。
・一方、伊藤も、担ぐ神輿を高杉→木戸→大久保→岩倉と変えて総理まで昇りつめたのだから、
処世術は長けている。
・木戸は議論好きで、相手を不快にするまで論破することがあり、後日、相手の意見が
価値あると分かるや、自分の意見のように提起することがよくあったとのこと。
伊藤にあてはまる史実としては、伊藤の版籍奉還案は木戸らにより後退させられ、兵庫県知事の
辞職を余儀なくさせられたこと、洋行中における条約改定問題に絡んで、青木の前で木戸から
叱責されたことなど。伊藤はおもしろくなかったろう。
・以上からの想像だが、木戸と伊藤は処世術に長けた似たもの同志故、反目と融合を繰り返し、
けっして心許せることはなかった。伊藤は木戸を政治家としては評価したが、自分が処世術に
長けている故、処世術に長けている木戸を生涯の師とするような気持ちまでにはなれなかった。 伊藤は才識においては木戸がまさり、忍耐力においては大久保がまさったと述懐してる。 幕末に木戸と伊藤で黒船かなんかの見学行って会津藩士名乗って行った茶屋で長州藩士の桂だとバレた時2人で顔見合わせて笑ってたエピソードすっき 伊藤にとって木戸は師匠の親友にして義兄、17ぐらいからずっと一緒にいた家族みたいなものだし。裏切っただの言われる割には死んだ時心配されるくらい泣いてたり四賢にしたり石碑建てたり。でも人物評はやたら手厳しかったり。
木戸の理想を1番実行してたのはなんだかんだで伊藤だったり本当面白いよねあの2人。 来原さんの紹介で俊輔が木戸さんの従者になった時に
身分制度で主と従者的になってるけど、君と僕は同士だから
って身分制度感覚の無い事を木戸さんが言ったって話が好き。 うろ覚えだけど上の人に上げるための牛肉つまみ食いしたのも伊藤とだった気がする 木戸はもともと和田家のひとで和田家は藩医だった。
末期養子で桂家に入って木戸は侍の身分になった。
むかし木戸のついて調べるため萩に行った人は
あそこはもともと侍の家ではないと木戸がいた家の近所の人に聞いたという。 みなもと太郎の歴史大河ギャグ『風雲児たち』の最新の第31巻のp.50~68に桂小五郎が出ている。
口絵の裏も高杉晋作とのツーショット。舞台は文久2年(1862年)6月で、中山道の本陣で高杉、
江戸で長井雅楽と出くわすけど、残念なことにどちらもフィクション。高杉はまだ上海にいるし、
江戸には行かずに中津川宿で藩主一行と落ちあって今後の方針(翌7月の京都での会議で藩論は
攘夷に転換された)についての会議を主導したのち、京都に戻った。>>49 の落合論文に詳しく記されている。 吉田松陰が死んだ時、死体を前に桂小五郎は何度もため息をついて、伊藤博文は号泣してたっていうエピソード
出典なにか分かります? >>25 のはびきの市民大学の司馬遼太郎の講座が書籍化された模様
「司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解」
土居 豊 著 関西学院大学出版会
ttp://www.kgup.jp/book/b383192.html きどこういん、おおむらますじろう、やまだあきよしぐるーぷは
わいろとはむえんでした。 来原良蔵と長井雅楽は母親が福原家出身の姉妹なので、母方のいとこにあたる。
つまり来原の妹である木戸の妻も長井のいとこなので、
木戸から見ると長井は妻のいとこ、長井から見ると木戸はいとこの夫という親戚関係。 手話についての講義を聞きに行ったら山尾のことが出てきた
さすがに木戸さんの口利きまでは出なかったけど山尾は凄く褒められてたからちょっと嬉しかったな 明治4年6月11日木戸日記にある、岩倉に唱えた第二策については歴史家によって
解釈が異なるよね(官制改革か廃藩置県か)。徳富蘇峰の「近世日本国民史 廃藩置県篇」
では、これを恐らく官制改革としながら、6月初めごろ、木戸が岩倉に廃藩置県の断行を
説いたことが記されている「岩倉公實記」を紹介し、この記述は6月11日の木戸日記に該当
するしている。又、同日の木戸日記に伊藤と論じたことが記されており、これは廃藩置県
と察せられるとしている。
添付、岩倉公實記下巻 473コマ 913ページ をご参照あれ
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781064> ミネルヴァ書房日本評伝選 今月の新刊 一坂太郎著『久坂玄瑞 志気凡ならず、何卒大成致せかし』
http://www.minervashobo.co.jp/book/b431737.html
人名索引で「桂小五郎」のページをチェックした限りでは、木戸に関しての新知見・新見解は見当たらなかった。
著者は『久坂玄瑞史料』(2018年、マツノ書店)の編者なので、久坂が歴史に与えた最初にして最大かもしれない
インパクトの「謗詞一件」についての記述に期待していたけど、2004年に高橋秀直氏が出された「この(内勅の)
問題部分は本旨の内容と矛盾するため、玄瑞らが裏工作して中山(忠能)に追加させたもの」という推察を紹介して
それを追認しただけだったのには拍子抜けした。落合弘樹氏の『木戸孝允』も早く刊行されることを期待しよう。 4月末の知恵泉の廃藩置県回を見たけど、いつもより扱いが良かった。
山の絵のお手紙を出してくれて笑ったけどw >>145
木戸さんの命日に再放送する模様w
ttps://www4.nhk.or.jp/chieizu/
5月26日(日曜)NHKEテレ1 午前0時30分〜 午前1時58分
先人たちの底力 知恵泉・選
廃藩置県▽藩をつぶして国家をつくれ/都道府県誕生 >>145
知恵泉の木戸さん、どんな描かれかたしてんの。 どうしても、「冷静」「慎重」ってイメージに引っ張られるけど、丙辰丸の盟約結んだり、廃藩置県では最も急進派だったり、
「まずやってみる」っていう手数の人だったんじゃないかなぁ
と思ってたら自分を「狂気軽躁」と分析してたようで、やっぱりと思った
村松剛さんは「その形容は似つかわしくないけれど」と書いてるけども >>147
連レスごめん
版籍奉還の布告文「朝廷其宜に処し、其与ふ可きは之を与へ、其奪ふべきはこれを奪ひ」の部分、
「与えるものは与える」を差し込むことで、大名たちに「形式だけのもの」と思わせ、
いわばだまし討ちしたのは木戸の作戦じゃないか
って感じ >>148
「ダメ元でやってみる」という感じはするな。 壊す方はとりあえずやってみるってスタンスだけど作る方は慎重だった気はするけどなあ 4藩主による版籍奉還の建白文は木戸が起草したとされている。
コマ番号43
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937219>
後年、木戸は薩摩藩(大久保)との妥協を得るために、用術策(朝廷に一旦封土を返上し、
再交付については朝廷に従う)を用いたと述懐している。
廃藩置県については、それを唱えて、推進した第一人者は木戸であるが、明治4年7月に断行できたのは、
西郷の功績大というのが、おおかたの歴史学者の考えみたい。
最近、幕末維新専門の若い歴史学者が増えて、司馬小説の影響がうすれてきていると感じるのは
僕だけかな。 自分から孤立しにいってた感じもあるしね
まぁ、どのタイミングで死んだか、っていう話な気がする
大久保利通ですら、岩倉使節団帰国後に箱根だかどっかに隠棲してるタイミングで病気で死んでたら
「同調者を見いだせず失意の内に死亡」てなってたろうし
一つ言えるのは、維新の功労者筆頭数名に関しては当時ですら明らかに別格視されてて、
たとえその瞬間孤立していたとしても、いつでも復元できる可能性は持ってたと思う >>153
健康問題があるから動きようがなかったということもある。 桂小五郎は暗殺が嫌いだったとされてるが、伊藤博文が功名に焦って塙保己一の息子を殺したときどう思ったんだろ
博文が小五郎にマジギレされたのは使節団ででかけてるときの一件だけらしいからこんときは許したんだろか 動機を同じくする坂下門外の変を起こした水戸の人とは盟約関係なんだよなぁ
学者を殺しても体制には関わりないし無用の事だったとは思うけど、そういう時代だったのかな・・・
山尾庸三とも深く信頼して付き合っていたようだし
伊藤は後年この暗殺を悔いていると話していたようだね 新説坂本龍馬 町田明広 インターナショナル新書
プロローグから抜粋
〜 司馬の作品には事実誤認が散見され、時には作為的な匂いすら漂う 〜
のっけから中々、刺激的な文章。
司馬によってこきおろされた木戸さんも少しはうかばれるかな。
木戸さんのことを史実に基づいて客観的に描いている。 ttps://www4.nhk.or.jp/chieizu/
10月22日火曜 NHKEテレ1 午後10時00分〜 午後10時45分
「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」
幕末、激動の時代に活躍した人物から、事を成すための知恵を2週にわたって探る。
今回は、薩長同盟の密約を交わし、維新の立役者の1人となった、桂小五郎の生き方に迫る。
幕末の長州藩士、桂小五郎、後の木戸孝允。薩長同盟や廃藩置県などの功績を残した
。しかし桂は、「逃げの小五郎」と呼ばれるほど、危険を察知すると、逃げた。幕府に追われ、
物乞い、荒物屋、寺男となり各地を転々、潜伏を続けた。それは決して保身だけではなかった。
無謀な争いを避け、情報を得、自分を活かす機会を待つ。そんな姿勢が混乱の時代には必要だ。
逃げるは恥だが、桂なりの美学と信念があった。その生き方に迫る。
【出演】甲野善紀,藤本隆宏,萩博物館総括学芸員…道迫真吾,【司会】新井秀和 過激派長州のなかでも人を斬ったことはない。暗殺を命令したかもしれんが・・・。 >>159
「池田屋で屋根伝いに逃げた」っていう説採用したり、あたかも「幾松に尻を叩かれて長州帰った」としたり
まぁ取り上げてくれるだけありがたいかって感じだな 木戸孝允が一番好きだったのは山田顯義だと思うな。
長州藩の名門の生まれもあって礼儀正しいからな。
功山寺の挙兵が成功して萩の町に攻め込むときに
高杉晋作と伊藤博文は長州の町を焼き払おうとした。
焼き払うのはイギリス大使館以来、高杉と伊藤博文の
得意技だからな。
その時必死で萩の町を焼き払うのに反対したのは
山田市之允(顯義)だという。
美しい萩の町が今も健在なのは桂小五郎【木戸孝允】が大好きだった
礼儀正しい山田市之允が必死に反対したからです。 愛エメ総長 萩の町を救った山田顯義伯爵
慶応元年1月16日夜半、遊撃隊は赤村を、鴻城隊は佐々並村を
攻撃した。藩政府軍も必死に反撃したが、戦う者たちの意識の高さに
圧倒され、敗走した。(高杉)晋作は一気に萩攻撃をすべきと
主張した。しかし山県(有朋)は、藩主が滞在し、多くの知古が暮らす
萩城下を戦火で焼くことは避けるべきだと、反対した。太田や
山田(顯義)も同じ意見だった。
「俗論等の輩は滅ぼさねばのう」 伊藤博文は身分の高さで
威張り散らす武士階級を敵視していた。
「去年の夏、京都の戦で都は火の海につつまれた。
おれたちはその中を逃げてきた。
一番難儀をこうむったのは罪もない町民だった。
萩の町を焼いちゃぁいけん」
思わず(山田)市之允は、叫ぶように(高杉)晋作らの
強硬意見に反対していた。 萩の町を救った山田顯義伯爵
まぁ 山田市之允がいなかったら
萩の城下町は焼かれていた可能性が高いな。
高杉晋作は建築中のイギリス大使館を伊藤博文、井上馨らと
焼き払った「凶」の人だからな。
まぁ ヤマダ顯義が征韓論にも征台論にも反対して
軍人を辞めたのは正解だったな。
東大も法政も日大も明治も国学院も独協も関西大も中大も
日本医大も北里大も慶応医学部も京大法学部も北大も学習院も
ヤマダ伯爵が
丹念に手を掛けたおかげで立派な大学になりました。
参照 小説木戸孝允ー愛と憂国の生涯 上 中尾實信著作
鳥影社 3,500円+税
※山田顯義は軍事よりも大切なものは法律と教育だと説くんだよな。
全国の大学生にぜひ知って戴きたい人物です。 「勤皇の大義」 1
慶応三年十月二十六日、薩長同盟を既に結んでいた長州藩は出兵を完了。
二十三歳の山田顕義はお世話になった大先輩の桂小五郎に向けて
「発するに臨み、再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや」
と悲痛な覚悟。
十月、長州軍は三田尻に集合、出陣式が行われ毛利内匠が軍令を読み上げ
山田顕義に軍を指揮する武刀が渡され、軍は船に乗り込んだ。
諸隊総指揮の任命を受けた山田市之允が、三田尻(港)を発足せんとするに際し、
山口の藩庁に桂小五郎(木戸孝允 )を訪ねたが、他に出張して不在、一書をしたためて
挨拶とした。市之允は使命の重要さを認識したのであろう。
「発するに臨み、再回再開期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。」と
筆紙の中に無量の感慨を述べている。 「勤皇の大義」 2
お訪ね申し候処、不幸御他行にて懐ひ残り少なからず存じ奉り候。
愈々只今より出足の覚悟に御座候間、差急に拝顔を得ず、
残念の余り一筆留め置き候。
今更申し上げ候迄も御座無く候得共、七百人の生死は搦手の遅速に関係仕り
候事に付き、幾應も御尽力の上、急速御手下し相成る様、
千万拝み祈り奉り候。
何分皇國の興隆は合従の二字に有之候間、御國家の為に後来この上乍ら、
御尽力偏へに願い奉り候、平常の御懇情一々、謝し難く、早々如此。
発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。
匆々不一
慶応三年九月二十五日 山田市之允
木戸準一郎(孝允)様 勤皇の大義」 3
発するに臨み、再會期し難く、情緒万端筆墨あに之を尽くさんや。
何卒御氣体御養護、邦家の為に、後年専用と存じ奉り候。
慶応三年十一月二十五日早朝、出動全軍鞠府に会し、総督毛利内匠の
軍令を伝え、八咫鳥神社に参拝して武運長久を祈った。
次いで総督及び参謀等は鞠府艦に、その他の属員は丙寅艦に塔乗し、整武、振武の両隊は
葵亥艦に、鋭武隊は丙辰艦に、第二奇兵隊は乙丑艦に、鋭武隊は満珠艦に、
奇兵、遊撃、膺懲の三隊は庚申艦に分乗し各艦一画三星の藩旗をひるがえし、
空砲七発をもって征途に上った。
●出兵協定を結んでいたにも拘らず、薩摩軍が約束の9月26日までに現れず、
地団駄を踏んだ長州藩でしたが漸く、10月3日に薩摩藩の初の軍船が三田尻に到着。
薩摩兵は藩重役と三田尻町民の大歓迎を受けています。
薩摩と長州が手を結ぶことで初めて勝ち目が出て来ました。大村益次郎は
長州藩の単独出兵には慎重でした。
先鋒隊の総指揮官に大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
ところが選ばれた今牛若丸、蚤の心臓?山田市は徳川軍の大軍を
前にとても勝てるとは思って
いなかったようです。 愛エメ総長 元治元年(1864)甲子7月19日京都蛤御門の変で敗れた長州藩は
慶応三年(1,867年)丁卵十二月十一日、諸隊総指揮官山田市之允に率いられ
再び入京。京都の地に現れる。「防長勤王史談」に記載されている当時の模様を下に掲げる。
(前日の)長州兵の入京(毛利内匠の小部隊)は夜半に相成り、格別人目には触れざりしが、
十一日奇兵隊其の他の入京は白昼のことにて、四年来初めての入洛なれば、
市民至るところに於いて、
弾薬袋の一字三星の紋を見て、長州ぢゃ長州ぢゃと人皆仰天し、涙を垂れて拝むものあり、
こわ(怖)やのこわやのといふものもあり、諸藩邸の人々は一目見て、奥に走り込む模様、
随分一時震動の勢いにつき、二条城に於いては長軍対戦の用意致し候由、
後に相聞きたり・・・・・・・云々。 山田市之允入京し、京都御所を拝して、かつて蛤御門に敗戦した往時を
思い浮かべて涙潜然、すなわち賦して曰く。
三軍來踞承明門
要表真誠訴宿冤
鳳詔方降紫宸殿
壮夫揮涙拝天恩
読み下し
三軍來踞す承明門。
要を表して真誠宿冤を訴う。
鳳詔まさに降る紫宸殿。
壮夫涙を揮(ふる)って天恩を拝す。 長州兵の入京。乳臭兒が長州軍を指揮
慶應三年、顯義、長藩の隊長となり、一隊の兵を率ゐて攝津西の宮に屯した。
當時、會桑の兵を京都より拂はんとする議があつて、長州兵の入京を急がすの
必要があつたから、西ク隆盛旨を傳へて、顯義の進軍を促さしめるために、
大山彌助(巖)を西の宮に遣つた。大山、西の宮に來り、陣門に入りて、顯義に逢はん事を求めた
。帷幕の裡に待つことやゝ乍らくあつて、顯義が出て來て、其姓名をつげ、大山の使命を聞かんといふ。
大山、顯義を熟視すると、之れ一箇の矮小漢であり、年齒も甚だ若い。
其英名はかねてより聞いてゐるが、かゝる小忰とは思はなかつたから、大山大に侮る色が生じた。
かゝる乳臭兒が何を能くするかと思ひつゝも、西クの使命は傳へねばならぬから。西クの密書を
懷より取り出して渡し、時機甚だ切迫してゐるから、急いで兵を進ませられよと陳べた。
顯義、曰く諾と。直に左右を顧みて、出兵の命を下した。其言語擧動の敏捷なる、
流石評判に恥ぢぬだけのものがある。大山亦侮り易からざるを感じつゝ、
辭して陣門を去らんとすると。早、兵隊の部署は整然として悉く定り、將に進發せんとする模樣がある。
之れを見て大山遂に顯義の穎秀なるに敬服して了うた。
時に顯義二十二歲、大山二十四歲であつた。 時に顯義二十二才、大山二十四才であつた。
鳥羽伏見の戦いで戦ったのは山縣有朋でも
板垣退助でもないのだな。山縣と板垣は
郷里でお留守番。
高杉晋作の遺言で諸隊の指揮官は大村と山田市之允で決まり!
山縣有朋は補欠?
京に上る長州軍の総指揮官は大村益次郎と木戸孝允の意見が一致。
今牛若丸山田市之允が大役を任され補欠の山縣有朋には出番なし。 愛エメ総長 靖国神社の隣に住んでいた広沢真臣を殺した犯人はいまだにわかっていないんだな。 靖国神社には御所に向けて発砲した逆賊や朝鮮人が祀られている 木戸さんは文部卿に就任したように
文人肌なんだな。ロマンチストの一面があります。
日本の軍隊は大村益次郎と山田顯義の2トップから
スタートします。軍隊のスタートが大村と山田だった証拠は
靖国神社の大村益次郎の銅像が物語っています。
山田顯義の骨折りがなければ銅像は誕生しませんでした。
大村益次郎の死後、薩摩の西郷兄弟が肩入れし、
日本軍隊を山縣有朋が横取りするんだがな。
憤慨する山田顯義を宥めて、木戸孝允は「軍隊は
山縣にくれてやれ、軍事よりも大切なものは
教育と法律!」と口を酸っぱくして山田顯義に説くんだよな。
木戸孝允が後世を託した山田顯義伯爵は日本大学と
國學院大學を創立し、再評価が進んでいます。
木戸孝允同様山田顯義も有名人にしたい筆頭の人物です。 愛エメ総長
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html ↓木戸孝允が購入したと伝えられるナポレオン号に似ている。
ttp://www.vapeuretmodelesavapeur.com/telechargements5/de-arend-complet.pdf スクーナー型帆船の勉強のために船大工と伊豆まで留学してたってことだけど
製図とか制作とかそれなりにできたのかな?
大工任せで大工の監督ってかんじだったんだろか 少し前に出た中尾實信の小説木戸孝允ってどう?面白い? >>180
木戸さんを良いように書かれる小説を読み慣れてないので、照れた >>181
d
オモロイ現象起こしてるな。
俺も読んで照れてみようかな あー、ツイッター検索したらヒットした
↓
老舗料理旅館の幾松さんが10月20日をもって閉店・・・。寂しいです。 ねこねこ日本史 139話 猫も逃げれば何かに あたる、桂小五郎! 9月30日(水)放送!
黒船がやってきた幕末(ばくまつ)、長州藩士(ちょうしゅうはんし)・桂(かつら)小五郎(こごろう)は剣術(けんじゅつ)が得意(とくい)だったが、大きな音にびっくりして逃(に)げてしまうクセがあった。
敵(てき)も味方も桂(かつら)を追いかけるが、逃(に)げ方がどんどんと上手くなっていく。
果(は)たして桂(かつら)を見つけることができるのか!?
[登場キャラクター]
桂(かつら)小五郎(こごろう)
幾松(いくまつ) 「明治」という遺産 近代日本をめぐる比較文明史
政治、経済、教育、建築、交通、メディア、歴史意識… 日本の近代化は、世界史に何を遺したのか。
著者 瀧井 一博 編著
ジャンル 日本史 政治・法律
出版年月日 2020年10月10日 ISBN 9784623088348 判型・ページ数 A5・596ページ
定価 本体8,500円+税
ttps://www.minervashobo.co.jp/book/b524615.html
>第20章 木戸孝允の明治・大正・昭和――勤王の志士から「逃げの小五郎」へ(齊藤紅葉)
1 木戸孝允への評価の変遷
2 先見の明ある「勤王の志士」
3 立憲国家の礎
4 苦悩する立憲政治家
5 「逃げの小五郎」の現在 木戸に限らず高杉伊藤とか長州藩は何で大河にならないのか不思議な人間多い
木戸は幕末大河皆勤の重要人物なのに一度も主役回ってこないのマジ謎 最近三谷○喜氏が当時NHKの人に司馬遼太郎はそんなこと書いてない、みたいに言われたとNHKのラジオで話してた
新撰組は10年以上前の大河だけど現在も司馬信仰なのだろうか >>191
高杉晋作との2人主役だと思うが。
ドラマ中盤は大村益次郎の出番より高杉晋作の出番のほうがずっと多かった。 木戸孝允の死因「胃がん」に異説…大腸がん転移説も
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/e74b641ba01508321ba58600a22d556a18e16ae5
なかなかの新発見に見える
分かってないことってまだまだ全然あるもんなんだな >>194
どっちにしろ結核ではなくガンみたいだな。 しかし見れば見るほど具合悪い所だらけでかわいそうだ(泣
胃も肝臓も腸もって腹の中全部じゃないか やっと醒めた炎文庫版全巻揃えられた
やたら高い4巻を思いきって買ったら達成感満足感で燃え尽きた 「醒めた炎」の文庫版4巻は巻末の資料集度が高いから仕方ない。 木戸の血縁の人間はみんなとにかく短命だな
生まれつき身体が弱い家系なんだろう
木戸孫が長生きしたのは山尾か来原の血のおかげだな やり方や性格は温厚だけど、
思想は一番、先鋭的だと思う。
板垣が自由民権運動をやる以前の時代に、それよりもっと進んだ資本主義批判をしてたのは凄いと思う。 幕末明治が題材の作品に出てくる木戸は、どれもこれも木戸というより司馬作品の木戸だな
銀魂の桂が1番実像に近いまである 渋沢大河にも登場するのかな
大河板じゃとりあえずイケメンな役者で!ってばかりで解釈と扱いを良くしろなんて意見はないのなー
アハハ 扱いと言っても渋沢大河じゃチョイ役にしかならないだろうしなあ。
良いに越したことはないが期待値を低く低くしてしまう木戸ファンの性w
湯島の突撃お宅訪問を是非やってほしい
出番が少なくても印象に残るような明るい役者に演じてもらいたいな 歴史が好きなだけでは木戸は理解できないと思う。
思想や経済という視点で見ると見方が変わると思うが。
学生の頃に運動をやってたかその手の本を読んだことがあれば分かるんだが。 木戸の人生はめちゃめちゃ面白い(特に人間関係)
だけど本人の性格がかなり複雑なのが創作における難点 そもそも故人なのに個人スレがここまで伸びてる時点で、木戸が如何に複雑で考察しがいのある歴史人物なのかが分かる 跳ぶがを何十年ぶりに読んでみた。他小説であれほど木戸をこき下ろしているのに、
ここでは以外と評価しているだよね。
・版籍、廃藩は木戸が主導
・木戸は大久保より聡明
・木戸は参議たちの中ではもっとも進歩的な思想を持ち、欧州から帰ったあと、
憲政政治を主唱し建白
・征韓論争の廟議に木戸が欠席したのは、明治政権維持のための最大の政治行動 なんだかんだ司馬さんは木戸孝允評価してるよねエッセイでもしばしば出てくる
ただ、伊藤と喧嘩したのは「大久保と仲良くして嫉妬した説」を定着させたのは
罪重いぞw 来原切腹してから藩の対応に涙して来原父に胸糞悪くして醒めた炎1巻読み終わった
また外出自粛になるから全巻集めて読もうかね 木戸は女性関係が派手すぎる
マメで優しくて金持ちなイケメンだから当然といえば当然だけど
木戸大河は次から次へと出てくる愛人に現代の女性視聴者からはブーイングされそうだ笑 >>212
>>・木戸は参議たちの中ではもっとも進歩的な思想を持ち、欧州から帰ったあと、憲政政治を主唱し建白
これは違うと思う。木戸はもっと先を見ていた。
憲政政治だの民権だの聞こえはいいがブルジョアの天下だからな。 谷口純著の「維新の恋と嵐」を読んだ。ミュージカルの脚本という形式で、さらさら読める。
ミュージカルの歌詞まである。
木戸を中心とした明治の政治劇が、とてもわかりやすく描かれている。
これを読んだ上で「翔ぶが如く」を読めば、もう少し木戸に同情的になりそうだ。
自分が反対する政策ばかり採用されたら、そりゃ辞めたくもなるよね。
木戸ファンとしては、美化のされかたがこそばゆくなるくらいだけど、
ま、これくらい許してほしい。
松陰先生の亡霊も良い演出。巻末には松陰先生と小五郎のショートストーリーがある。
この子弟かつ親友関係も良い。 維新志士では一番のイケメンで主人公面してるのに
フィクションではいっこうに主人公になれない残念さん 時山直八の写真を見たことあるけど、武市半平太よりもこっちのほうがアギーな見た目。
弁が立つインテリっぽい 久坂が維新後も生きていたら、木戸も助けられることが多かったはず。 渋沢大河は出ないんじゃね
西郷大久保岩倉三条孝明天皇家茂久光まで発表されたのに 現代の医学だったら木戸さんを助けられたの?教えてお医者さん! 胃がん、肝臓がん、落馬による脳挫傷、歯痛が後年の病気の正体と考えられている 頭打ってで頭痛が続くようになった説って「翔ぶが如く」でも取り上げられたよな
(確か)村松剛が日記を読んで「そのあと出歩いてるからそんな影響なかった」としてたけど 確か伊藤博文の談話の中に、公は落馬してから頭痛が酷かったというような話があった気がする。
あと、お医者さんが書いた「小説 木戸孝允 愛と憂国の生涯」でも、取り上げられていたよ。 一時期片脚が麻痺してたっていうのも頭打った影響だったっけ?
ドラマの田原坂では杖ついて大変そうにしてたな まだこのスレあったんだなあさすが歴史好きは根強い
最近渡辺惣樹氏の著作を読み漁ってたのだが「朝鮮開国と日清戦争」という本で
思いがけず木戸さんの英明さに改めて感じ入るくだりがあったので未読の方はぜひ NHK Eテレ アクティブ10 レキデリ「明治政府はどんな国を目指した?」
木戸の言及がちょっとあった 禁門の変の時に、小五郎の子供を産んだ女が小五郎に会いに京都に来たけど、会えなかった。
後にその子供は秋月悌次郎の養子になったというエピソードをどこかで観たけど、史実ですか?
ソースがあれば教えて下さい。 醒めた炎では当時の史料から否定してる
史実だったと肯定出来る要素の方が少ない 木戸のWikipediaが知名度の割にとんでもなく充実してるのいつ見ても笑う
アンサイクロペディアの方もすごいし >>237
>知名度の割に
桂小五郎・木戸孝允を知らない人はめったにいないだろ。 >>218
木戸孝允館のオリオンさんの本ですよね。
木戸孝允館は更新がなくなって久しいけど、いつの間にか小説のコーナーも閉鎖されてしまったようで寂しい。
出版の計画があるのかな。「明治六年秋」で小野組転籍事件を知ったよ。 wikiではちょくちょく追記・改訂されているね。
自分はそれが結構楽しみ。よく調べているな、と感心する。 山本栄一郎って人のブログが薩長同盟等について色々考証してるんだけど
「出石から帰ってきて政庁のトップに就任したものの、その立場は盤石じゃなかった」
という主張されてて確かになと思った
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」と。新しい視点だと思った 大村益次郎研究家の方だよね。その人が編集した大村の本、持ってる。
ただ、薩長同盟に関する考察は一部同意できないところがある。
龍馬が裏書したというあの薩長同盟の書は、藩に提出するためのレポートであって、
木戸が都合の良いように中身を編集したもので、薩摩にとって有利な事項は省かれている
と考えているらしい。
この人、山口在住だそうだけど概ね長州に批判的で、特に木戸には辛辣な印象だ。
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」という指摘は間違ってはないと思うけど、
「武器と船の購入に成功して、さらにリーダーとしての立場を固めた」という意味でも通じると思う。 大村に関しては、奥様の琴の考察は好き。
離縁するよう言われたけど、宇和島や江戸まで追いかけて一緒に暮らしたというヤツ。
大村とおイネのロマンスは、司馬の創作だろうし。
スレ違い、失礼した。 薩長同盟の顛末については、木戸がいったん京都を離れて、伏見で龍馬と会ったという説は、
割と納得のいくものだった。 >>242
確かに木戸に冷たいけどよく調べているだけあって無視はできんっていうとこが難しいw
「大久保は広沢真臣のほうが気が合ってたけど死んでしまったので木戸に乗り換えた」
とかもその通りだなと思う
広沢真臣のこともっと知らないといかんなと思った
「木戸の同僚」ぐらいで影が薄すぎる >>245
仰る通りです!
広沢については、自分ももっと知りたいと思う。
察するに、大久保にとってはとても優秀な官僚といことは、てきぱきと仕事をこなして優秀すぎて、
かえって何したかわからない、そんな印象。 木戸が健康であと10年長生きしていたら日本はどうなっていただろうか。 しかし薩長同盟の際に木戸が一旦伏見まで帰ってたんなら
坂本龍馬の評価やっぱ上がるよな 木戸にとって龍馬は、薩摩藩の代理人、かつ信頼できる薩摩藩外のフリーの外交官。
伏見まで戻ったけど、龍馬に説得されたのだ。
木戸が裏書を求めるだけのことはあるよ。 江戸川乱歩の明智小五郎は明智光秀と桂小五郎から採ったという説が有力だが
木戸は明智光秀について何か語ったことはあるの? 外交官や一種の指導者として有能だったのはよく分かるが
官吏として、実務家としてはどうだったんだろう?
政務座についてたときの具体的な活躍は?
まあ、大久保利通ですら「自分は細かい事務は不得意だ」って言ってるぐらいで
政治における「実務とは?」って話になりそうだけども 実務家としては、伊藤・井上馨・井上勝らが有能だった。
木戸は、彼らをまとめていればよかった。
大久保が木戸をあれほど必要としていたのは、彼ら長州閥を束ねていたのが木戸だから。 とある歴史系YouTuberが高杉と桂が長州でクーデター起こしましたみたいなこと言っていたんだが、桂って直接的にクーデターに参加してたっけ? 高杉のクーデターと言えば、元治の内乱だけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E6%8C%99%E5%85%B5
決起した時点では木戸は出石に隠れていた。
高杉がクーデターに成功して俗論派は藩政から手を引いたけど、
その後高杉・伊藤・井上馨が下関を開港しようとしたことで
尊攘派が3人の命を執拗に狙って、3人は一旦藩内外に逃げ隠れた。
(高杉は四国、井上は別府、伊藤は下関)
そういう状況で木戸が帰藩して藩内を収め、高杉らを呼び戻して
木戸政権がスタートした、という状況なので、
木戸は直接クーデターに参加したわけではないが、最期の〆は木戸の帰藩なので
正確ではないが間違ってもない、というところ。 山本栄一郎って人のブログ、今は世良修蔵について書かれているね。
幕末ものの中でも長州の悪人とされる人だけど、再評価が進んでいるのかな? >>254
やっぱり微妙なところか。
なんていうか歴史系YouTuberを見ているとみんな絶賛しているコメントをしていて、あまりそこら辺を考えないのかなと思ったりして。
なんていうかどうしても細かいところに目がいってしまう。 >>255
ちょくちょく見てるけど世良修蔵のくだりの煽るような書きかたが好きじゃないな
いま中世日本史研究者が立て続きに炎上してるけど
歴史家ってのは知識得れば得るほど傲慢になって攻撃的になってしまうのかと疑う >>188
幕末長州をまともに大河ドラマにできない理由は
うすうす分かっていたが
今年の大河のキャスティングで完全に理解した
幕末は中世ではなく近代
現代と地続きだ
主権国家同士が交渉して結んだ条約を一方的に破棄しろ
こんな許されない主張を国を挙げて実現させる寸前までやらかしたのは完全にアウト
これを寸前で阻止した男が文久二年九月にどんな発言をしたか
これは渋沢栄一が後世に残した史実だから今年の大河で再現させると思う
はっきり発言させると思う
そのためのチョナンカンだ >>251
実務家として優秀な人は、かえって何をしたのか記録に残ってないことが多い。
広沢実臣は、その顕著な例だ。
広沢日記を読んではいるけど、ほんとこの人は歴史上何したの?って感じ。
春嶽には、大久保西郷木戸広沢が維新四傑だって言われているくらいなんだけど。 広沢は幕府側の記録にはそれなりに出てくるんだよ。
下関条約の報告とか長州戦争停戦とかで
まあ、因縁を脇に置いて実務的な処理を淡々とできる点では
広沢とか吉田稔麿みたいなタイプが適任だったんだろうな >>251
一言で言ってプランナーだな。
政策の推進エンジンになってることは多い。
もちろん長州藩の代表というバックボーンがあるから
他藩が無視できないという面は大きいんだが。
オルガナイザーとしては微妙だが、
それは木戸の資質というか、
参議という地位だけでは省庁トップが動かないのも事実だからな >>255
40年くらい前から指摘されてるけど、
世良は大総督府の当初方針に忠実に行動したにすぎない。
そもそも当初から奥羽諸藩の協力を得て追討の方針だった。
恭順を正式に大総督府が呈示したのは開戦の数日前。
世良は勝手に交渉始めたら越権行為なんだよ。
だから、長州と親しかった米沢藩みたいに、
在京諸藩に奥羽情勢を伝えて私的に周旋を依頼してたところもある。
しいて言えば、奥羽情勢を見て妥協する柔軟性はあってもよかったかもしれないが、
世良はそういう方針で選ばれた人物じゃないからな。
だから世良が真面目な人物だったというのも、
奥羽側が世良に手を焼いたというのもともに間違いではない。 木戸はややマイナーなのにいつの時代もコアなファンついてるのが面白い
維新三傑でマイナーといったら怒られそうだが
木戸日記は難しいし創作物もそんなにないのにみんなどこから来るんだろう >>263
同意。
世良は単なる使者だからな。使者が勝手に動かれても困るわけで。
会津が降伏する以外は、世良はハネつけるしかなかった。
使者を殺して開戦の狼煙とするのも、古来からの作法?だし。 しかし世良一人を斬るだけならまだしも、仙台藩はチョーシこいてやり過ぎたんじゃないか
後ろから斬ったり金品分けたりむごたらしいわ
仙台の城下も焼き尽くすべきだったな 伊達政宗から歴史好きになったから仙台藩好きだし仙台にも旅行した
綺麗な街だったよ
でも戊辰戦争の時に仙台藩がやったことを知って少し見方が変わってしまった
残念だけど 大河出るかなどうかな
渋沢とはあまり関わりないしゲスト出演かね
つくづく花燃ゆの出来が惜しまれる
というか三傑の中で木戸だけ大河ないの悲しすぎるだろう
大久保も主役は無いと言えばないけど翔ぶが如くがあるし >>269
生まれる前の大河だからなあ
見たかったなぁ 花神見てた世代とまだ生まれてなかった世代がいるのかこのスレw 噂には聞いてたけど青木周蔵の木戸宛の手紙下品過ぎて草ですわね
チ⚪コの形状の説明して今度会ったらお風呂場で俺のチ○コ見せてあげますねって気が狂っていますわ
上司にこの手紙送りつけたの勇者すぎますわ 「大久保利通は金には潔白だった」ってよく言われるが
木戸はどうだったんだろ 木戸は、維新志士の中では珍しくお金持ちの家の生まれだったので、
お金に無頓着だったというエピソードはあるね。
財布が見つからないときに、「ネズミが持っていったんだろ」と気にしなかったとか。
明治時代になってからは、時計を集めたとか、別邸を買ったり松子に指輪を買ったりとか、
後輩たちをもてなしたりして、かなりお金を使っていたという話もある。
木戸が私腹を肥やしたとか、何らかの見返りに金を要求したという話は聞かない。 小野組転籍事件の木戸の評価が別れてるよな
小野組→槇村→木戸と金が流れていたと言ってる奴もいるし >>274
「木戸の家には常に10人ぐらい書生がいた」って談話があるね
政府の給金で賄えていたのか、多少くすねた金を国家のためにそうやって使っていたのか?w 政府の給金のほかに、賞典禄を毎年1800石もらっていたからね(秩禄処分で廃止されるまで)。
ちなみに長州藩士では、広沢1800石・大村1500石が別格で、山県有朋、前原一誠、山田顕義が600石もらっていたなどだけど、
伊藤博文や井上馨は賞典禄の対象にはなっていない。 藩士では西郷の2000石が最高、次いで木戸、大久保、広沢の1800石だね 豆知識
武士の100石取り:100石を取れる領地から納められる年貢が年収
時代や藩によって税率は異なるがおおよそ4割くらいだから、その武士の年収は40石=400斗となる。
一方、米俵1俵分の米はおよそ4斗なので、100石取りの武士の年収は大雑把に言って100俵分と同じ。
下っ端の藩士や旗本は領地を持たないので、給料として直接米をもらう。
30俵・2人扶持などと表記されるが、1人扶持=5俵なので、30俵・2人扶持は40俵に相当し、
武士としての年収は、40石取りの武士と同程度となる。
で、それはどれくらいの貨幣価値かと言えば、これまた大雑把に言って幕末〜明治では
1俵=1両=1円というのが目安。現在に換算すると数万円くらい。
ちなみに賞典禄の1石は領地1石とは異なり、1石=2斗5升であったので、およそ0.6俵分、つまり0.6両分くらい。
なので木戸の1800石は、1100両くらいになるので、現在の円に換算すると数千万円分くらいあったということになる。 例えば90石の桂家なら、
90石×数万円=現在に換算すると年収数百万円って事になるの? 100石取りぐらいで領地与えられるの?
それぐらいなら領地なし手取りで100石だと思ってた
領地貰えるのはもう少し大身じゃないの?
それだと手取りが40%になるかもだけど >>280
その通り。
でも小五郎の場合は、実家の和田家が藩医だったので、藩からの収入(石取り)+医者としての収入があった。
>>281
そうです。
例えば、吉田松陰先生の場合は武士として認められていた時は26石取り=年収26両だったww
これで両親含め弟姉妹を養っていたわけ。めちゃ貧乏。
で、脱藩した時以降は、武士としての位を剥奪されたので、この収入がパァ…
なので、松下村塾時代は実質農家だったんですよww
あとは、弟子たちからの寄付で生きていたんですww
付け加えて言うなら薩摩藩の志士たちも、同じくらい貧乏だったんですよ
薩摩藩は全国的に見ても、藩全体の石高の割には藩士数が多いので、ホントめちゃ貧乏。
名を残した志士の中で高収入だったのは、家老の小松帯刀くらい 実際、名を残した志士の中で高収入だったのは
薩摩では小松帯刀
長州では桂小五郎と高杉晋作
と思っているけど、他に異論があればお聞かせ願いたいです... おお、そうでしたね。ありがとん。
確かに井上家はかなり位の高い家柄でした。
敬親公の小姓を務めていたんでしたね。通称の聞多は敬親公から賜ったとか。 小姓勤めてた人と足軽の子がツーカーで一緒にイギリス留学行くって
長州藩は不思議なとこだ 木戸が18の時に父親から遺産として継いだ銀百貫と貸屋二十棟って現代だったらどのくらい
詳しい人いたら教えて 銀100貫=10万匁。
銀と金の交換は変動相場だけど、およそ金1両=銀50~60匁
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-14.html
1両=50匁で計算とすると、2000両。現代の価値にすると5千万円〜1億円くらい。
貸家の家賃収入は現代に比べるとはるかに安かったようだけど、詳しくは知らん。
https://realestate.yahoo.co.jp/magazine/ryoito/20150224-00000001 おおありがとう
他の家族とも分けてこの額だろうから和田家は本当にお金持ちですね笑 >>286
>>289
ほんと、そうだと思います。
長州藩は、関ヶ原の敗戦で萩に追いやられたときに、多くの家臣をクビにしなくては
いけなくなり、それが郷士とか農民になったという歴史があって、農民らの教育水準は
高いし、身分差もあまり大きな問題にならなかったという背景がありますね。
何より、敬親公は財政改革に力を入れたし、自らは質素な暮らしをしていたということで
上士・下士はもちろん、商人・農民からも敬愛されていたということも大きいと思います。
藩内の見回りをした時に、お供の人が農作業中の農民に頭を下げよと命じたら、農民の作業を
妨げるなら余は悪領主である、と言ってそのお供を咎めたというエピソードがあります。
江戸の世になって、武士はお金に関わらないのが美徳とされるようになりましたが、
薩長らの雄藩は、世の中の経済感覚を常に持ち続けていたというのも大きいと思います。
薩摩の大久保は貧乏武家の出身なのでお金の件で誤解されて暗殺されましたが、
木戸はお金の使い方を心得ていたが故に、お金に関する悪い噂が流れなかったと
想像してます。
井上馨の件は・・・・まあ、アレですねww
会津派の人たちが、木戸が井上をかばったということにしたいようですけど、
それを裏付ける事実は見当たらないですね。
井上馨は、高杉同様「藩のカネは俺のカネ」という感覚の持ち主ですww
(高杉に比べれば、馨なんて小物ですよ)
だからこそ、長州ファイブの山尾・野村(井上勝)は留学費用をなんとかするため
井上馨をメンバーに引き入れたんです。
馨の場合は、明治になっても「商人のカネは俺のカネ」としてしまったのが失敗ですね。。。
なので、今回の大河で井上馨がどう描かれるか、とても楽しみです。 広沢真臣も100石なので長州藩の中では上流ですね
なので井上と同じく松下村塾には入門していません
上流出身で松下村塾に入った高杉が異例なんですな 「又木戸準一郎(孝允)さんも時々見へました。此れは又俊坊々々とお呼捨でありましたが、伊藤さんはハイハイと云つて居られました。伊藤さんは其時三十一歳。私は廿一歳でございました」
鉄道−明治創業回顧談より 「俊坊」つってたのか可愛いな!呼んでる方も呼ばれてる方もふたりとも可愛い 伊藤が31歳というと、明治5〜6年の頃か。
これを語っているのは誰? このまま電子の海に消えるにはあまりに伝説なので
木戸日記のやつ
http://web.archive.org/web/20131119194438/http://www.eonet.ne.jp:80/~piccadilly/gass/siryou.htm >>292
これ春畝の聞き間違いなんじゃないか?と疑っているw >>296
ああ、これ観たことあったけど、消えちゃったんか。残念です。
でも保存してくれた人、ありがと〜!
木戸孝允館が消えないこと、祈ってます〜! >>292
むしろ、木戸が俊坊と呼んでいたので、春畝を号にした説を推すww この木戸から近衛を片手で締めあげてそうなあの世にも恐ろしい孫(大甥)が産まれるの人類の神秘を感じる >>287
手元にある「醒めた炎」によると、和田家の遺産が
動産:銀73貫900(端数の単位は不明)
不動産:長屋3組と1軒
で、
小五郎が相続したのが、銀10貫(=当時のレートで金170両)だそうです。
>>288は大過ぎで、現代の価値で言えばせいぜい1000万円前後でしょう。 ユーチューブで年末時代劇「奇兵隊」を見たが、木戸夫人の顔が意外と大きかった。 よく新政府樹立って言うけど、「樹立」っていうほど立派なもんじゃないだろうと思う。 デキちゃったって言うわけにもいかないからしょうがねえだろ 慶喜公伝は一級の幕末資料であれまで叩くのは歴史が嫌いな人だろう
膨大な伝記や自伝というけど栄一本人は聞かれて語っただけで本人は出版する気もなくという感じだな
岩波の雨夜譚も昭和59年だからな需要が合って供給されたといったとこ論語と算盤は伝記というよりビジネス書
栄一の伝記書いてるのは弟子や孫だったり商業作家だったり栄一の膨大な資料は孫の敬三が残して近代史の資料になってる
敬三は民俗学やってて日銀総裁の時には田中啓文の古銭コレクションを預かってそれは貨幣博物館にある
幕府が欧米列強のカモじゃなかったとか現実無視もいいとこだな
お前が個人的に嫌うのは自由だが栄一の慶喜公伝が一級の歴史資料なのは事実だからしょうがないね
あれで幕末描いてる作品どれだけあるだろうかというほどだよ
Web上でも見れる栄一の伝記資料は孫の敬三が栄一の伝記を作ろうと思ってたが
これは全部そのまま残すべきものだ彼が判断して残したもので膨大な量なのでそのまま資料館になったとか 某スレで出てたけど @kidoshogiku ってツイッターアカウントが
1日1回木戸孝允日記の現代語訳ツイートしてるのですごくよい 木戸孝允日記現代訳ツイッターが廃藩置県のくだりにさしかかってめちゃくちゃ熱い
ずっと廃藩置県を望んでいたことそれに際していかに主体的に動いたかがよく分かる 大河に姿形は見当たらないが名前だけチラチラ出ていて面白いw 出てこないの残念だが木戸がいない世界線に迷い込んだみたいでそういった意味では面白い >>314
NHKのSFドラマ「幕末高校生」は
桂小五郎が暗殺された世界線だった。 >>316
高校生たちがタイムスリップして
「桂小五郎さんは明治10年まで生き残る人だから、この人のそばにいれば安全だろう」
と考えていたら、桂が暗殺されてしまった。
改元はされたが元号は明治ではなく光文。 実際の渋沢は木村太郎似のブサだけど、
吉沢渋沢に「あのイケメンの木戸さん?」って
言われるのはどのぐらいイケメンになるんだ? 桂・渡辺は越後以来の毛利譜代家臣(上士)
井上・山縣は吉田郡山入部以降の安芸の土豪(中士)
伊藤(林)は農民から下士に養子入り ツイッターで桐野作人が「池田屋事件で桂小五郎はどこにいたのか?」て話をしてるな
・池田屋にいて屋根伝いに逃げた説
・向かいの老婆の家にいた説
「池田屋にいて逃げた」説は醒めた炎でも否定されてたし消えてるもんだと思ってたが史学界では残ってるらしい 池田屋って三方が道でもう一方が川だか用水路だかじゃなかったっけ
どうやって屋根伝いに逃げるんだろ >>320
> ・向かいの老婆の家にいた説
これは新説だな。盲点だ。 >>320
ほんとしょーもないことばっかだなアホは
渋沢だの勝だのが何したのと?「ただ時勢そのままに働いた幕吏」を持ち上げるのホントアホらしいわ
岩倉大久保木戸主役にした大河ドラマでもできないもんかなと思うけどね
大久保木戸は余裕でリンカーンだのワシントンだの超えるわ <岩倉大久保木戸主役にした大河ドラマでもできないもんかなと思うけどね>
↑
そう思うね。
幕末・維新の歴史を少しでも知っている人なら、功績において、
この三人がトップスリーだという点では意見が一致していると思うけどな。
この三人を主役とした本格的な大河を熱望する。 >>324
ショート黒江を主人公にした巨人軍9連覇ドラマができないのと同じ理由。 9連覇時代の万年Bクラスのチームのレギュラー坂本や本来なら悪役の新選組をヒーローにするというわけのわからんことを司馬がやったからな >>325
木戸高杉=王長島
坂本土方=名も知らん選手 >>325
岩倉の大久保・木戸に対する評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面に議論をせず、陰に局外の者へ何かと不平
噺をなすは木戸の弊なり。大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり」 土方は倉田ではないね
選手(志士)ではない、選手(志士)を取り締まってた側だからね
審判かな >>324
個人的には嫌いではないが岩倉具視は黒すぎて画けないんだろ 木戸も相当は策謀家であったのではないかな。
なにせ、あの大動乱時代を生きぬいた男。
広沢の暗殺や、前原の処刑には当時、木戸の謀略とのうわさがあった。
根拠はなく、木戸も否定しているが、うわさがたったこと自体、木戸は
権謀術数を駆使する人間と思われていたのでは。 西郷吉之助隆盛「木戸どんはクリーンでごわす! おいどんが請け合いもす。のう、一蔵さあ」
大久保一蔵利通「うむ?‥‥む、むう‥‥」 伊藤・井上「西郷さん! 大久保さん! 心強い!」
山県(ポケー 山田「グスッ‥‥前原さん‥‥広沢さん‥‥大村さん‥‥僕はぁ‥‥僕はぁ‥‥」
品川「どうしたんじゃ市之丞?」 >>337
西郷「よかでごわすよかでごわす」
大久保「む‥‥うむ」 司馬史観は結局司馬の主観、好き嫌いだからな
歴史上の好きな人物は悪人でも善玉にして(土方など)、善人でも悪玉にする(木戸など)
一個人の「好き嫌い」に歴史学者も物書き、ライターもいいだくだくと従ってるのがこの国の数十年間に渡る実情よ 司馬が木戸を詳細に描いたのが花神だけならまだよかった
もっともメイン的に扱った話が逃げの小五郎ただ一作のみだったってのがね
実際には逃げの〜なんて呼ばれた事なかったのに
あのタイトル強烈すぎ 花神では、善玉だが、才のない凡人。
逃げ〜では、逃げまくって明治まで生き抜いたのが木戸の功績であり、
明治になってからは、さほどの仕事もしていないと言い切っている。
司馬にとっては維新三傑ではなく、まるで二傑のようだ。
司馬作品には悔しい思いをしているが、最近、進んでいる司馬史観の見直しに期待したい。
例えば、町田明広氏は「新設坂本龍馬」の中で司馬の作品には事実誤認が散見され、
時には作為的な匂いすら漂うと述べている。 司馬遼太郎が描き切れなかったと自認してる西郷南洲翁は超別格の存在だな
木戸孝允より群を抜いてる どんな大物でも功罪を論じなければ気が済まない司馬遼太郎が文句なしに持ち上げてる人物が薩摩の島津斉彬なんだよな。
その島津斉彬が見いだしたのが西郷南洲翁だから司馬遼太郎でも描き切れないのも当然かもしれない。 薩摩age、島津age、西郷ageはスレ違い
過疎ってる当該スレで独りでシコシコやってて
ここにシャシャリ出てこなくていいから
誰も興味ないよ 西郷、大久保、岩倉。
通説通りこの3人がいなければ維新は失敗してたが
木戸孝允はどれくらい貢献してるんだろうか?
まだ高杉のが貢献してるんじゃないかよと 司馬は長州藩では親分肌の存在を許さないと言ってたからな
木戸は兄貴分だから西郷、大久保みたいな大物感が薄い
木戸が薩摩藩士ならば大久保以上の宰相になってそうなのに >>350
長州が第二次征長で幕府軍を討ち破らなければその3人は歴史の重要な局面に登場すら出来ず出番はなかったよ
その3人は安全なところで様子見して風向きを見てたからね
長州の指揮を執ったのは木戸だ 一人必死な薩ヲタがいて大河板とこっちの板で長州さげ木戸さげ頑張ってるな >>323-324
ここでは大久保あげのために木戸あげするフリまでしてるしな
なんかもう必死でしょう by 松本 しかし木戸孝允の不幸は巨人、巨頭、巨魁の出現を許さない長州藩に生まれたことだ
薩摩藩士ならば大久保利通を超えてそうな500年の1人の大宰相になれる能力はあるのに >>352
それはどうにもでもいえるよ。
薩摩藩が参加してたら幕府の第二次長州征伐で完膚なきまで滅ぼされた。
全ては薩摩藩の手のひらで踊らされてただけとも言える まあ、薩摩は第二次長州征伐の時に200人でいいから長州方の援軍として出兵してれば面目が立ったんだがやってないからな
単独で幕府軍を倒した長州の勝ち馬に乗ったと誹られても仕方がない >>355
また白々しい木戸あげ
>>356
>薩摩藩が参加してたら幕府の第二次長州征伐で完膚なきまで滅ぼされた。
ん?
しどろもどろで意味不明になってるよ
薩摩藩は幕府方だったのか?
なら何も維新に貢献することなんかなかったじゃん
無意味な仮定 長州が幕府を倒しちゃったから薩摩は長州側に「付かざるを得なかった」んだよ
長州が “歴史の流れ” を決めちゃった
薩摩は追従しただけ
“キングメーカー” は長州だ 薩摩が第二次征長に参加しなかったから長州藩は幕府に勝利できたんだろうが。
実際に薩摩藩が参戦した禁門の変では死滅寸前まで追い込まれたが、
薩摩藩が長州藩の処分を軽くするように幕府にお膳立てしてくれたから生き残れたわけだ。 薩摩的には「これは遅れを取るわけにいきもはんど。長州のはらからどもに神州を牛耳られてしまいもす」みたいな感じで
あわてて参戦したわけ >>360
だから「薩摩が幕府方だったら」なんて世界線(笑)の話なんて無意味だよ
だったら長州が佐幕の藩だったらそもそも長州征伐なんて勃発しない
「たられば」の話なんてミジメだからやめれば? 司馬じゃないけどキングメーカーは西郷、大久保、岩倉なんですけど?
長州が倒幕したなんて本気で言ってるのお前だけだよw
薩摩が幕府側なら幕府が勝利して反幕側なら幕府は負ける
これだけの話w
だからこそ西郷、大久保、岩倉しか史学では取り上げられない 禁門の変で会津相手にはいい勝負できても薩摩相手に惨敗してた長州だが
西郷が将来の討幕の駒用に長州藩を軽い処分で終わらせてくださって生き残れたのが長州藩w 薩摩藩が幕府側→長州惨敗
薩摩藩が反幕府側→かろうして長州勝利
キングメーカー大久保利通がいる薩摩の手の平に全日本国が踊らされてただけ つまりID:nh8S8qQH0は「もし薩摩が幕府方だったら」と言ってるわけだから、そういう仮定が成り立つくらい薩摩は
風見鶏的立場だったということだ
それは薩摩ヲタですら認めるわけだな
対してずっと尊王攘夷をひた走ってる長州に関しては「もし佐幕派だったら」なんて仮定が成り立たないくらい立場が
守備一貫してるということだな 慶喜は態度が一貫していた長州はいいけど途中で裏切った薩摩は絶対許さんだったね どうもこの薩摩ヲタは「もし薩摩が幕府方だったら」という部分にこだわりたいようだが、その場合は敵方に付いた連中なんてどうぞどうぞ、
差し上げる、要らんな、そんな勤皇の志を持たぬ連中は
その場合もしかしたら長州は幕府もろとも薩摩を倒したかもしれないし、敗れたかもしれない
敗れたのであれば維新回天もならぬしそれまでよ
滅ぶのみ
そうなれば西郷と大久保が維新の三傑もへったくれもなくタダの奸賊であったということだ 薩摩が幕府側の禁門の変→長州藩が惨敗
薩摩が反幕府側の第二次征長→かろうして長州藩が防衛成功
これが全てだろ?
大久保利通の手の平に日本全土が踊らされてただけ。 そもそも禁門の変で会津相手には好勝負できた長州だが薩摩には惨敗してしまったのが証明してる
薩摩藩こそキングメーカーだとな お前言う「もし薩摩が幕府方だったら」という仮定の結末はこういうことだよ
だからそんな「たられば」はミジメだからやめておけと言っている >>367
その徳川慶喜も西郷、大久保に匹敵する人材がいない幕府は勝てないとあきらめて江戸に逃げ帰りさw >>369-370
そして岩倉と西郷と大久保は「幕府の三傑」になりましたとさ、という結末かな?
君の世界線(笑)だと
苦笑 いやどうも
この薩摩ヲタ氏は相当な狂人なようでそもそもから人の話を聞くつもりがない確信犯的な荒らしのようだ
そろそろ放置したほうがよさそうですな
まあこのスレの読み手は薩摩ヲタくんの敗北しかそこに読めぬだろうが
では、同志諸君、木戸松菊先生の人気普及と木戸大河実現を目指して邁進して参りましょう
さらば(ドロン >>368
あ、ちなみにここに書いたやや右寄りの思考は当時の時代背景に準拠しようと目論んだもので私個人の政治信条とはまた別なのであしからず >>374
この方は薩摩オタというより大久保信者さんみたいですね。
昔からいるんですよこの人は。
大河板の木戸スレも荒らしてますね。
自分がやってる行為が結局は大久保さんの人気を貶めていると気づかないかなー。 まあだ長州信者が発狂してんのか?
木戸孝允も元より薩摩藩士なら大久保かそれ以上の大政治家になれたのに惜しいな
なにしろ司馬遼太郎の指摘どおり親分肌を許さない長州藩の制度に問題あり 親分的な人物が出てきそうになると寄って集って引きずりおろそうとするからな長州は。 司馬遼太郎(笑)
通俗時代劇作家(笑)
直木賞作家(笑) こればかりは司馬の正論やで
木戸孝允が長州じゃなかったら惜しいな 薩摩藩士「なら」
この人「たられば」の話ばっかでつまんないね
頭おかしいのかな たらればの話するなら、西郷、大久保、黒田、伊地知らへんは長州藩士だったらペーペーで終わっただろうな 時代劇小説(笑)の読み過ぎで頭おかしくなってる人w >>382
なら禁門の変と同様に長州は幕府に完膚なきまでボコボコにさてれ終わりやなw 岩倉具視は個人的には好きなんだが
近世日本であれほどドス黒い人間も珍しい
天皇の暗殺も信じてしまうような黒さ
蘇我馬子みたいだ 木戸孝允も黒い政治家なんだろうが余り黒さを感じられないのは個人で殺傷した事実がないからかと。
司馬遼太郎に逃げの小五郎と題材にされるぐらい殺人を嫌がってたからな。 今で言うと趣味人なんだよ、木戸は。
骨董とか植木もそうだし、絵画や書、和歌や漢詩、舶来もの(主に時計や松子夫人への贈り物に)集めとかにも凝っていたんだ。
病気もなかったらとっとと引退して、慶喜みたいな趣味人ライフを満喫できたろうに。 病気にならなかったら政界から引退は無理だったろう
周囲の政治家、政敵ですら引退を許さなかっただろうしとくに長州の後輩が引き留めただろう
木戸ぐらいの大物が引退するのは難しい 大久保は好敵手〈ライヴァル〉ではあったが敵〈エネミー〉ではなかった
大久保は常に木戸に政界に残るよう引き留めていた 司馬遼太郎の小説では木戸は西郷、大久保とは常に衝突してたんだな。
禁門の変で来島又兵衛が薩摩藩に殺されたのを最後まで根に思ってたらしい。 まぁ木戸にだけは幕末の志士には珍しく殺伐としたテロリスト臭がないから今も人気あるんだろ
官製主義の大久保、岩倉が難色してた選挙制度の必要性も木戸だけは必死に唱えてたし。 追記。
実際には公言できないようなドス黒い裏活動をしてたんだろうが
その暗さを感じさせないところが木戸の政治家としての凄み
大久保、岩倉なんか表情からだけでもどうしてもドス黒さを感じてしまう また長州関連スレを徘徊する大久保ヲタ=ID:Qaa5N88x0 >>395
会津オタは、どうにかして木戸をテロリストの頭首にしたてあげたいみたいだけどな それは木戸が会津を斗南送りにしたのがだから仕方ない
木戸はやるときはやる人間よ 松平容保の三男英夫が顯義の弟の養子になって山田伯爵家を継いでるからすでに和解は済んでる 顔に似合わずエゲツナイことをするのが木戸孝允
顔に似合わず愛嬌があったのが大久保利通 Twitterの木戸日記より
明治四年八月二十五日 (1871/10/9)「雨。吉富落水と山縣素狂が来た。日下一郎も来た。十一時に参朝。黒田開拓次官が榎本と和泉の恩赦と、併せて樺太をロシアに与えることを提案した。
皆この一件には同意したいものの、刑法のこともあり、また樺太はこの神国にとって重要な領地であり、彼の提案を容易に受け入れるわけにはいかなった。より深い議論が必要だ。
五時に退出。帰り際に大隈と馬車で龍口に向かい、それから神田邸に寄り、杉猿村と重見次郎と帰宅。夜、井上因石磧が来て、
河瀬と碁を打った。」
※改行は適当 西郷隆盛の孫の三代西郷家侯爵吉之助は詐欺師兼暴力団員 三傑の子孫は揃いも揃ってロクでもないのばかりだな
あっそは嫡流ではないけどな 東條英機を総理に推薦した近代史上最悪のバカ政治家で超A級戦犯は木戸幸一なw 馬脚を現して本式な荒らしになってきたなこのバカ薩摩ヲタは 後継首班の推挽のできた事実上の「最後の元老」木戸幸一侯
元老を世襲してしまう木戸家最強だな
いかに木戸家が皇室からの信頼が厚かったかわかる バカ木戸幸一はA級戦犯だろうがw
対米強硬派の東条を総理に押し上げたのも無能すぎるバカ木戸幸一だろうがw
この歴史事実も知らないバカ長州ヲタは死ねよw まだ無理やりに総理にさせられた感がある東条には救いがあるが
海軍が要求していた対米和平を握りつぶして対米開戦を推し進めたバカ木戸紘一は日本史上最悪の無能 孝明天皇から朝敵扱いにされて禁門の変で薩会にボコボコにされて滅亡寸前の絶体絶命を
薩摩藩に助けてもらったのがバカ長州
薩摩なくして生き残れなかったのがバカ長州
薩摩なくして何もできなかったのがバカ長州 東條を更迭して天皇に焦土戦の回避と国体の護持を決断させたのも木戸侯である ただのA級戦犯ではないバカ木戸幸一は日本を破滅させた超A級戦犯である 木戸幸一だけは救いようがない国賊
近衛文麿より悪性
巨悪の木戸に比べたら東条は小悪で可哀想な人 こちらのスレも2スレ目に突入したのでよろしくお願い申し上げ奉ります
木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1644675625/ >>425
> 木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマ
ショート黒江かセカンド土井を主人公にした昭和野球ドラマを作れというようなもんだよな。 木戸は日本の至宝である榎本武揚や大鳥圭介を最後まで殺せと主張してキチガイだな
榎本や大鳥を助けた薩摩藩がいなければ日本は滅亡してたよ
薩摩こそ日本の救世主 会津藩士の斗南送りや顔に似合わずキチガイすぎるのが木戸孝允 榎本と大鳥の死罪を訴えて才能を見抜けなかったのは痛いな。
大村益次郎を見出したのは偉いが。
やはり木戸も幕府への怨念から抜け出せない人だったのか。
ここら辺は薩摩は仇敵も許してしまう寛容性があった 会津新選組に吉田稔麿を殺されたのを最後まで恨んでいたらしい そりゃそうだろ
生きていたらどれだけの政治家になりえたことか 薩摩・一橋・会津・桑名・新撰組には禁門の変で久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎、来島又兵衛らも殺されてるからね
三家老も切腹した 天狗党の乱以降の水戸藩みてたら
長州はあれだけ人物居なくなってよく保ったなというか
逆にもしあれ以上(特に桂・高杉・大村あと井上伊藤あたり)
一人でも消えてたら藩体制としてヤバかったんじゃないかというか
残り具合が人材淘汰と改革風通しのギリギリのバランスだった気がする いえいえ
まだ十傑に数えられる廣澤と前原、松陰門下の山縣、山田顯義、品川、藩の上層部には山田宇右衛門や隠居の身とはいえ家老浦靱負らも残っていたので
長州藩は人材豊富です
しかし桂・高杉を欠いたら流石にやばかったでしょうね 無名の大村益次郎を見いだしたのは偉いが
榎本武明の死罪を最後まで訴えてたところは意外に恨み深い人よ 恨みとかではなくトップを処罰することで手打ちにしようて価値観の人だから 木戸が本気で恨んでたのは吉田稔麿を殺した新選組だけだろ
新選組と関係が深い会津藩も斗南送りにした 令和の世にいつまでそんな話してんだ
当事者でもないのに
双方に言い分があるだろ
現代の人間がどっちかに乗ってどうする
もっと事象をアウフヘーベンしなさい 明治政府からは旧領の猪苗代(当然減封のうえで)も提示されていたがわざわざ遠隔地の下北を選んだのは会津松平家とその家臣たち自身なのよね ダイジョブダイジョブ
雪国会津の者たちは寒冷地には強いから
と思ったら
斗南藩士「下北なめてましたw」
ってかっ by 吉幾三(津軽出身) 大村だけでなく維新後は地方でくすぶっていた井上を中央に呼び寄せたのも木戸だし大隈を新政府で抜擢したのも木戸
足軽だった伊藤を取り立てたのも若輩の山田を長州軍の総指揮官に起用したのも木戸 木戸孝允は復讐に燃える悪魔のキューピット
だがあれだけ同僚を佐幕派に殺されてたら仕方ないか 榎本と大鳥には同僚を殺されていないから助命を渋々了承したんだろ 復讐史観とか子供かよお前ら
そんなんで政治やってたらそもそも薩摩に仲間を殺されてるんだから明治政府の同僚になれねえべ
子供が政治やってるんじゃないんだよ そういう程度の低いルサンチマンは会津人の専売特許にしときゃええ
大久保おじさんに釣られるなよ 木戸孝允および長州閥が最後まで榎本と大鳥を処刑を求めていたのは事実だろうがw
薩摩が温情を着せていた近藤勇が処刑されたのも土佐長州が許せなかったとな 北朝南朝論争とか本気で命がけでやってたのが明治時代だぞ!
これを復讐心がなくてどうしてできよう? それを今ここで夢中でやってるのがみっともないし馬鹿みたいと言ってんの
荒らすなよ大久保おじさんはよ 近藤勇の処刑は池田屋事件の復讐心が相当に働いていたがあれは仕方ないか・・ このスレも大久保おじさんが住み着いちゃったから駄目だな
キャッシュ削除しよ
じゃ 岩倉の大久保・木戸に対する評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面に議論をせず、陰に局外の者へ何かと不平
噺をなすは木戸の弊なり。大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり」
オレ的印象 → 木戸は陰湿で稀代の策士、大久保は頭は悪いがストレスに強い。 大久保、岩倉、西郷は全身これ胆略。
長州藩士は頭の回転が速すぎる分に打たれ弱い。 「長州藩士は芋かもしれんが、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで」
>>455
木戸は落ち着きがない、大久保は落ち着きがあるってことかな
長州と薩摩の性質そのものかもしれないが
醒めた炎って小説なの?
確かに図書館分類でもそうなってるが
フィクションが入ってるならやだな >>457
現代人でも、頭の回転が速い奴は落ち着きがないように見え、
頭の回転が遅い奴は落ち着きがあるように見えるよな。 長州は軽挙妄動で損をする、薩摩は深謀遠慮で得をする
みたいにいわれてるけど、薩摩閥なんて明治の中期で消えたのに長州閥は令和の今でも生きてるよね
金に汚いところもそのまま >>455
この岩倉の木戸評ってソースなんなんだろ
「岩倉さんは木戸さんに気を使ってた」っていう証言があるなかで
結構はっきり「すねる」って言っててうける 長州閥は金に汚すぎる商人根性だからこそ生き残れてきたともいえる >>462
井上とか山縣はそうだろうが、
木戸や広沢や前原や大村はそうではない。 吉田と久坂も清廉組
高杉は金に汚くはないがだらしない組
病気で早死にしたからかっこいい英雄のイメージになってるが明治政府高官になってたら相当ひどい汚職してそう 吉田がこね 木戸がつきし天下餅 座りしままに食うは伊井山 >>461
ソースは分からないが、「毛利敏彦著 大久保利通 中公新書」の中に
岩倉が語った評価として、記述あり。
著者は大久保研究で知られた歴史家。 >>463
あれはスーパーKYだから一般常識が当てはまらない しがらみや旧弊にとらわれず必要なことをサクサク進める人間はKYアスペや冷酷に見える
大村と慶喜は話が合いそう トップ 徳川慶喜
行政 大久保利通
軍事 大村益次郎
教育 吉田松陰
故人と公職追放者ばっかりの明治内閣 もともと剣豪だし幕末のの活躍ぶりを見てたら病弱にはとても見えないが新政府のストレスがそれだけ凄かったってことかな
なお大久保は超元気
暗殺されなければあと30年はピンピンで頑張ってそう 木戸は西南戦争勃発の時には既にガンだったのに
東京から大阪までやってきたんだな。
すごいなあ。
偉人・素顔の履歴書 | BS11(イレブン)
第30回「明治維新 三傑の一人・木戸孝允 編」(5月21日放送)
今回は、維新の立役者・木戸孝允。
悲観的な理想主義者?
https://www.bs11.jp/entertainment/sp/ijin-sugaono-rirekisho/ >>476
見たよ。木戸関連のテレビ番組の中でも、的確かつ充実した内容だった。
歴史に詳しくない女房も、一緒に楽しんでくれた。
結論として、リーダーではなくアドバイザーだ、という指摘は的確だと思う。
特に、洋行以降の木戸は明治政府内ではそんな立場だったわけだし。
でも出石から帰藩後は長州藩の実質リーダーだったし、
明治政府成立直後から廃藩置県までは、政府の最高責任者だったのも間違いない。
あと後世で「逃げの小五郎」と呼ばれるようになった、とか
世界遺産の「恵美須ヶ鼻造船所跡」の件も小五郎案件だと紹介されることは
なかなかないことだし、きちんとそういう点に触れたのは木戸ファンとしては嬉しい。
明治政府で、大久保が楽観論者、木戸が悲観論者というのも理解できる。
ただ、伊藤や山縣が、木戸を見捨てて大久保についたというのだけは、
ちょっと言い過ぎだとは思った。
山縣は軍人の西郷さんよりの人だし、木戸は軍人が政治に関与するのを嫌っていたから、
大久保でなくて西郷さんについたわけだし、
伊藤は、憲法を成立させて木戸の遺志を継いだとも言えるし。
番組で触れられなかった事柄については、しょうがないかな。
これだけの内容を1時間番組にまとめるのも大変だと思う。
監修の先生には、お疲れ様でしたと言いたい。 江藤先生を敬愛している佐賀市民だが今総合で歴史探偵を放送している
BSの使いまわしだが日本最初の鉄道開通で大隈が活躍した話だ
江藤先生を敬愛しているものとして大隈については色々言いたいところはある
だがここで一番言いたいのは芋侍西郷と大久保の愚かさ狭量さよw 前漢の三傑の役割りは
蕭何…内政・兵站
張良…外交・戦略
韓信…軍事・戦術
だとすると、これに長州の三傑を当てはめるとこうかな
蕭何…内政・兵站…広沢
張良…外交・戦略…木戸
韓信…軍事・戦術…大村
これだと「勲功第一」の蕭何は広沢になってしまうな >>428
会津が自分から斗南行く言うたんやろ?
嘘っぱちの観光史学信じてるなんて、頭悪いね。 会津は蝦夷地にある領地をプロイセンに売却しようとしてた
あやうく北海道を失うところだった
また、会津藩は苛烈な施策が凄まじく、藩主と藩士は民から怨嗟の対象だったので、負けて余所に行ってくれたのは民は喜んだ 近隣の、藩主家が民から愛され、民衆が奥羽越列藩同盟に与することに反対して新政府軍に参加した勤皇藩新発田藩とは真逆のような暗愚な藩
それが会津藩 大隈重信が明治最大の政治家の名に大久保利通と共に二大英傑として名を挙げていたのが木戸孝允。 >>481
2が似合いすぎる木戸こそ蕭何だと思っていたが広沢の方が似合ってるかもしれんのう
しかし池田屋事件の木戸は奇跡としか言いようがない生存劇だなあれだけは 池田屋事件の真相は明らかになっていないみたい
定説では木戸孝允は池田屋に早く行き過ぎて誰もいないために一番遅く行って新選組の襲撃から奇跡的に難を逃れたことになっているが
実は全員集合時に木戸孝允もいて新選組襲撃時に池田屋から真っ先に逃げ出した説こそが真相かもしれないが
その図太さがあるからこそ明治維新最大の功労者にもなりえたのであろう 司馬は幕末では木戸が一番好きなのかではないと思えるぐらい幕末小説では木戸を登場させている 功績泥棒のアリバイ作りに被害者を登場させてるようなものでは >>487
池田屋事件での木戸孝允の行動だけは明らかになることは無いだろ。あれだけは 「逃げの小五郎」つうか、遭難するとみんな逃げるんだが逃げきれずに殺されるんだなあ
木戸は剣術がめっぽうできたから逃げきれただけで >>493
まあ、死地に立たされたらみんな逃げるよね
新選組やらに急襲されて「こいや!」っつって真正面から闘うことを選ぶ人はいない
逃げるのが第一選択
禁門の変に限らず戦争だって、敗色が濃くなったら退却する(逃げる) 木戸が池田屋で死ななかったから明治維新が成功したので汚点ではないよ
それが汚点なら明治維新が日本史の汚点になってしまう
死なないでよかった
汚点は新選組 >>495
武士だから、逃げるのが無理となったら自決するのがルール
逃げるのが成功した場合は問題なし
家康も生涯で何回逃げたことか 木戸が池田屋事件について多くを語らなかったのは何人か切ったからだろうな
人を切るのは神道無念流の教えでは禁じられている しかし伊東潤の『英雄児』の木戸孝允は上手く書けてるなあ 長州出身ながら薩長の専横を抑えた木戸孝允は偉すぎる 木戸孝允
板垣退助
大久保利通
この3人だけは22世紀を生きてる
今日の利権まみれの日本人ですら追い付いていない ○ 今日の日本人ですら利権まみれで追い付いていない
今日の日本人は世襲やら派閥やら利権まみれで江戸時代に逆戻りしてる 木戸孝允は政治家として完璧すぎて当時も今も完全に理解されていない >>501-502
我々は明治維新の理想に追いついていないどころか逆行を始めてるということだな 禁門の変を引き起こし倒幕運動を早めただけなのが池田屋事件 木戸孝允にハマって7年…調べれば調べる程好きになっていく。 人間関係で少しやきもち焼きだったのと仕事面で少し真面目すぎたの以外は欠点ないよね
あとはなんでもできるスーパーマン
某スレにミスターパーフェクトと書いてあるけどね 木戸と大久保が共に10年長生きしてたなら明治の理想は実現してただろうに >>510
結局は木戸孝允の死罪主張が正しかったということやね 木戸孝允ほど未来が読めてる政治家もそうはいない
100年に2〜3人しか出てこないだろ 木戸孝允が主張した会津藩残党と榎本武揚などの逆賊を全員処刑にしなかったことが悔やまれる 五代才助が木戸の林は良材あり、西郷の樹木は役立たず
って嘆くぐらい人材抜擢の眼力が違いすぎる。 長州以外の福沢、渋沢、陸奥も大久保とはうまくいかない。
開明的であればあるほど大久保体制はあわないから、
司馬みたいに木戸の性格をいうのはまちがってるわな。 大隈重信が木戸と大久保こそが明治の二大巨頭だと最大級に褒めたたえてる 思想家→吉田松陰
革命家→木戸孝允
政治家→伊藤博文 志士→西郷、高杉、木戸
革命家→高杉、木戸
政治家→大久保、木戸、 司馬遼太郎の小説では相当に粘着質の強い政治家だと書かれてるが。
たしかに史実でも会津藩士残党の厳罰を主張したり五稜郭に立てこもった幕臣の全員処刑を強硬に訴えてるのを見ると
優し気な顔に似合わず恨み深い人間だったみたいだ 薩摩は攻撃されてないからな。
土佐派も池田屋事件で大量死、坂本を新選組に殺されたとおもってるから
近藤勇を晒し首にした。
中村半次郎は近藤ほどの男を晒し首にするのはって怒ったらしいけど、
やられてないから。 >>546
池田屋事件で仲間を殺して自分の命を執拗に狙った新選組だけは絶対に許しません!
by桂小五郎 >>546
恨み深いというよりは豪快な気がするが
会津藩士残党の厳罰を主張したり五稜郭に立てこもった幕臣の全員処刑を強硬に訴えたり
「戦争は実に大政一新の最良法」 と発言したり
そもそも長州藩の圧倒的な軍事力を統率していたのは木戸だし 大村益次郎を発掘したのは偉いし木戸孝允でしか無理だろうな 幕長戦争も戊辰戦争も廃藩置県も、長州藩の圧倒的な軍事力を統率していたのは木戸
やってる事は豪快だよね
木戸は軍事力の男
でも、その圧倒的な軍事力を統率するために神経をすり減らしていた一面もある >>546
さしずめ現代だと木戸孝允は笑顔で右手で握手、左手でナイフの悪魔のキューピットと評されてそう。
どうしても木戸は西郷、大久保、岩倉の陰に隠れてしまうが
本来の人物像はこの3人より面白みがあるよ 大久保は久光、小松、西郷の後ろにいて陰謀してただけだから、
すり減ってないからな。
木戸は新政府の段階で、周旋、潜伏、外交、戦争の後で
ヘロヘロだったと思う。 維新三傑の中で、大久保だけ志士の影を感じない。
命の危険にさらされたことがないからかな。
その点、西郷は遠島、木戸は坂下門外の変、池田屋、蛤門の戦闘直後の潜伏、
第一次征長後の幕府の追及と、心身ともにボロボロだったろうな。 あまり大久保の身体が丈夫ではなかったのは知るところ
そしてそれこそが大久保の権謀能力を突出させるのに功と出た
まさに司馬遼太郎が評するごとく大久保は全身政治家
木戸は政治能力のみならず剣客としても一流ながら一人も斬ったことがないという当時としては異例中の異例の志士 木戸は自分は直接手を下さずに大勢の人間を殺す人
幕長戦争と戊辰戦争でどれだけ人が死んだことか
木戸を歴史上の人物に例えるなら、義経より頼朝だね
頼朝も武士団を統率して大勢の人間を殺したが自分は直接手を下してない >>557
なのに剣豪集団の新選組に襲撃された池田屋事件では逃げに徹して逃げの小五郎といわれてしまう。 横井小楠が凄い非難されたらしいから、屋根伝いに
逃げたんだろうなとは思う。武装してる殺し屋集団にはいくら木戸でも
勝てないだろうし。 >>555>>556
木戸が神経をすり減らしたのは軍の統率と封建制の解体での段階だろう
版籍奉還と廃藩置県を実現する為に命を使い切ってしまった ある意味で木戸は維新では最もミステリアスで謎に満ち溢れた漢 木戸が日本に選挙を導入するのは早すぎると反対してたが
大正時代から原敬など金券汚職政治が蔓延して木戸の予言通りになったな 逃げて逃げて逃げに徹して自分で手は下さずに他人にさせて
埋もれた天才人物を見分ける人物観察眼だけは本物
劉備玄徳かよ 最近松浦玲の本読んだらこのひとも「池田屋事件に関して木戸の言葉の歯切れが悪い」つって
やっぱり池田屋にいた説を匂わせてたな
後年になって「池田屋のときはやばかった」って知人に漏らしてるくらいだから歯切れ悪いってこともないと俺は思うけどね 剣術家として一流
政治家としても一流
東の勝海舟 西の木戸孝允 >>565
他にも新選組に連行されそうになって厠に駆け込んで逃げたり
女郎部屋で新選組に捜査されたときに幾松に助けてもらったり
ほんと新選組は木戸孝允にとって許すことができない仇敵だね 勝海舟は明治近代国家としての構想は皆無。
桂は大久保や西郷に比べてもここが超一流だった。 木戸は近代国家の構想に加えて軍事力の統率力があった
構想は暴力という裏付けがあって現実のものとなる 勝海舟「西郷、大久保に比べると木戸は真面目すぎて実に小さい」 >>567
木戸が会津を絶対に許すことができなかったわけだ 勝が木戸を小さいっていうのは逆に勝の限界だろうな。
木戸が取り立てたのが三傑死後にビッグネームになってるんだから。
西郷とか勝とかバカすぎて明治の偉人の渋沢栄一とか福沢諭吉と仕事なんて
できんだろう。 西郷なんて従道に「ろくでもない取り巻きに囲まれてた」
みたいに言われて死んでいったからな。 同時代の有名人の有名人への評価は主観的好き嫌いがある
また当時の状況を見ずに現在から行跡を見てあれこれ言ってもという事もある
だから人物論は結論が出ることは永遠にない 基本的に薩摩贔屓の勝海舟が長州藩で最高峰に持ち上げてたのが実は井上馨 ほら吹きと揶揄された勝が木戸と相性がいいはずはない。
勝が薩摩贔屓なのは薩摩が長州と違って、勝のことを評価していたから。 勝は中島三郎助と仲が悪かったそうだからな。
木戸孝允は中島三郎助に弟子入りして恩師。福沢諭吉も中島三郎助に助けられたから、
中島親子が函館で戦死したときに勝をディスった。
木戸の付近にいる人は勝とは合わないよ。
福地源一郎も渋沢も勝と仲は良くない。 勝海舟は江戸城無血開城だけの一発屋
いや確かに大偉業を成し遂げたから偉いんだけどね 木戸孝允は会津新撰組に何度も殺されそうになってるから恨みも人一倍に強い 木戸は慶喜の処刑を訴えてなかった所がマイナスポイント
慶喜の処刑を訴えていた大久保の方がこの点では豪快かつ大物感がある 大久保は西郷が江戸から帰京するころには助命論に傾いていた。
大久保も木戸も大政治家だな。 第二次長州征伐でも幕府は毛利公の首を要求してないから、
木戸公は容保、慶喜公の首を取るつもりはなかったはず。 会津藩士の厳罰と五稜郭に立てこもった幕臣全員の処刑だけは強硬に主張していたのが木戸。 会津藩士や幕臣を処刑したところで、慶喜と違って、新政府を揺るがすような
ことにはならないからね。この辺り、木戸は冷徹。
慶喜に対しては木戸は当初から助命論者だったが、幕府の所領については、
大幅な縮小を主張している(薩摩はその反対)。 >>587
そこは普通に評価できる所だろ
血を血で争うことをしなければ維新なんて起こせないし 尊敬する中島三郎助親子は戦死してるから、生き残って降伏した幹部にはブチ切れモード
何だと思うわ。 司馬遼太郎以外で木戸孝允が多く登場する幕末小説はあるのか? >>592
村松剛の「醒めた炎」がある
が、この人は戸塚ヨットスクールの支持者だったりする
それ知って気持ち悪くなった 今途中まで読んでるけど、醒めた炎は旧漢字で言葉も難しい。
1987年の作品なのに異常に読みにくい。そういう旧漢字にたいする
こだわりがあったのか?
明治維新の一番の主役の長州派から見た明治維新がよくわかる。
村松氏のこだわりとか関係なしに現代漢字に直して、キンドルで
出してほしい。素晴らしい作品だよ。 >>592
司馬小説が一番。
司馬以外で木戸孝允が出てきても僅かにすぎない。
司馬と同時期に生まれた大御所の池波正太郎も山田風太郎も幕末小説を多く書いてるが木戸孝允はほとんど出てこない。
司馬遼太郎ほど木戸孝允を愛してた歴史小説家もいないと断言してもいい。 加来耕三が小説家は何をしてるのかわからない人を書くって
言ってたなw
癸丑(ペリー来航の年)以来が口癖で、日記と手紙が膨大に
残ってる桂は空想が膨らむ余地がないんだろう。 >>593
知りたくなかったわw記憶から消してくれ! 司馬は下関の関門海峡と長州の萩を日本で一番好きだと「街道を行く」で書いてるぞ。
そもそも司馬はアンチ徳川だろ? モブ程度の坂本龍馬を書くことによって木戸をディスることになるからな。
坂本は由利公正や後藤象二郎の周りにいた人物。
慶喜首班の諸侯会議を夢見た体制維持派。
明治政府の開明的な思想とは全く関係ない。 巨人の黄金期にたとえると、木戸は「6番 ショート 黒江」みたいな存在。 昔は鞍馬天狗が人気でモデルが渡辺昇。
大村藩(長崎)を勤王派にした桂の練兵館の同士。
昔は桂が一番人気だったんじゃないか? >>604
勝海舟の「木戸は西郷、大久保に比べると小さいが小回りは効く」との評を考察すれば。
2番ショートこそ木戸の最位置。 高杉晋作は1番バッターが似合いすぎてる
やはり3番4番は西郷、大久保になるわ 木戸開明派と西郷、勝みたいな無能と一緒にされてもね。 >>597
膨大な量の日記と手紙を調べるのが面倒くさい(コストがかかる)んだと思う そりゃ記録に忠実な史伝小説じゃない時代小説や歴史小説では作者の創作能力こそ求められてる。 1番 坂本龍馬
2番 高杉晋作
3番 木戸孝允
4番 西郷隆盛
5番 大久保利通
6番 岩倉具視
7番 大村益次郎
8番 板垣退助
9番 広沢真臣 まだまだ井上、伊藤、山縣、中岡、後藤、江藤、大隈など漏れてる大物も多い。
改めて佐幕側の奥羽越列藩同盟の人材不足は否めない。 小栗上野介
榎本武揚
土方歳三
河井継之助
この四人しか奥越同盟には見物がいない 明治維新のオーダー
一番 伊藤
二番 井上
三番 木戸
四番 岩倉(西郷)
五番 大久保
六番 広沢(大村)
七番 大隈(江藤)
八番 板垣(後藤)
九番 三条(山縣) >>613
最もたる人物は河井継之助かな?
人材不足も不足しすぎてる
これじゃあ徳川慶喜の我が方に西郷、大久保に匹敵する人物はいないとの嘆きではないが
兵士が数だけ多くても負けることが目に見えてるよ 一番バッターが似合いすぎてる高杉晋作みたいな切り込み隊長の一本気ではない木戸孝允は走攻守の三拍子がそろってるだけに浅くて軽い印象も否めない
木戸が西郷、大久保みたいな不沈的な重量感がないのは勝海舟も指摘してたところ 高杉晋作みたいな漢は切り込み隊長以外には使いようがないよ 勝が老人になってよってくる薩摩の連中と与太話してるころに、
木戸の部下が国家を運営してたからな。
勝の言うことはまああてにならん。 どうみても1番は高杉だろうし高杉は1番以外には使い道がないよ。
西郷や大久保だって4番5番以外には使い道がない。
木戸より伊藤博文こそ1番から9番までそつなくこなせる真のオールラウンドプレーヤー。 高杉晋作の功績って功山寺挙兵ただ一つだよな
第二次長州征伐の時にはすでに主役は木戸孝允、広沢真臣、山田宇右衛門になってたし
高杉が伝説になって、広沢と山田が忘れ去られてるのってどうなんだろう いわば高杉は史上最強の露払い
高杉なくして何もかもが始まらなかったのも事実 基本的に政治能力皆無で全身革命家の高杉が長生きしても板垣や西郷みたいに新政府内では全く居場所がなかっただろうに >>622
> 基本的に政治能力皆無
皆無ではないだろ 金の使い方がいい加減
航海を放り出した
天才だからなあ、政治家には向かないな。
木戸孝允とは相性が良かったから反政府にはならなかったんじゃないか。 維新後も理想を追い求めるなら萩の乱が前原一誠と高杉晋作の共同で実行された可能性が高い。
現実主義者に転身できるなら井上馨みたいな守銭奴かな。 醒めた炎に木戸公が山口に帰ったときにおうのの見舞いに行って、
おうのは長崎についていったとかあるな。
木戸公は人情味のあるお方や。 >>625
萩の乱に理想なんてあったん?
そもそも高杉晋作にどんな理想があったのかと 徳川幕府を叩き潰すという理想だけはあった
もちろんその後の理想などないかも知れないが 高杉晋作が長生きしてたのが井上馨
両者の性格が似すぎいてる >>621
高杉晋作は源平合戦の木曽義仲みたいなもん。
絶対無敵の巨大組織の足元を崩すには木曽義仲や高杉晋作みたいなマジキチでしか不可能。 普通のおばちゃん@nQJqjajnZS4FEu6
長州でも、高杉晋作が幕府軍艦を奇襲したという有名な話があるけど、あれは木戸などがいた作戦本部からの指令なのね。
きちんと文書は残っているし、高杉が了解した文書も残っている。
この文書をみたら、木戸、広沢は知っているけど、山田宇右衛門って人が名前を連ねている。 高杉たった1人でしか長州藩から佐幕派を一掃するのは不可能だったんだろうな。
残念ながら現実主義者の木戸や広沢では不可能。 まあ高杉ですら木戸の帰りを待っていたからな。
木戸が攘夷派を一喝したから
大旱の雲霓っていったわけで。 >>628
高杉晋作はそれでいいのかw
木戸日記(明治元年十一月二十四日)
「全局に着眼しない者が多く、大政一新が何であるかを知らず、ただ徳川氏を打撃して愉快としている。
その実が現れなければ、大政一新も幕政と五十歩百歩であり、前途のことを痛按する。」 徳川を叩き潰すことを第一と考えてる高杉がいたからこそ維新史は幕開けしたのだ 徳川慶喜がルイ16世にならずに済んだのは木戸孝允の政略としか言いようがない 高杉は生きていても、西南戦争での西郷がやったような役割が待っていただけのような気がする 西郷は長州人に嫌われてたが普通に人望あったから大権力を持つ政府相手に戦争できた
高杉はそういう人望がないので一番隊切り込み隊長しかない 高杉晋作なくして長州藩から佐幕派を一掃するのは無理。
そして明治維新自体が起きえなかった。 あらゆる革命的人物が日本史でも誕生してきたが高杉晋作の真似は誰にもできそうもない。 事実としては高杉は維新を成し遂げた時には死んでいた
それだけ
維新を成し遂げたのは確かに高杉と親好のあった人々だけどその人達は高杉死後、もっと厳しい局面を通じてそれぞれの考え方を進化させその時々の課題を解決していく力を身に付け新しい同士を作り協力しながらそれぞれの業績を築いた
高杉礼讃したいのだろうけど高杉は維新を成し遂げる事なく死んだ
それだけだ そりゃ高杉晋作は史上最強の露払い
何時の世も高杉晋作みたいな気狂いでしか歴史を大回転させるのは不可能
何しろ敵は絶対無敵状態にあった徳川幕府だ 日本の近代は木戸孝允の貢献である。
大久保は久光、西郷が固陋だからどっちかというと木戸の
足引っ張ってたほう それ木戸じゃね
政権中枢に立つの嫌がってたし
政府を真っ二つにした明治6年の政変の時でさえ出てこなかったし >>652
そう、木戸こーいんさん
旅先でも揉めたりトラブルメーカー >>649
明治維新を。
高杉一人で維新を幕開けたようなもん。 >>654
維新の幕を何をしてどのように開けたの? 高杉晋作以外の誰が長州藩から佐幕派を一掃できたのか?
これだけは木戸孝允と広沢真臣の長州両巨頭でも無理だった
高杉晋作から維新回転が始まる >>657
佐幕派は一部が失脚しただけでほとんどの人は留任してるけど
確か5人だけが罷免されて後は藩政府に残ったはず
長井雅楽から始まる遠交近攻論は基本的に攘夷派に受け継がれて周布らもその路線から藩政府を動かし朝廷工作や対幕府との意見衝突にもなっている
しかもそれを取りまとめたのは高杉じゃなくて武市瑞山、周布、桂、井上らで高杉は攘夷テロと薩摩との抗争にほとんどの時間を費やしている
史料的に藩政府の人事に高杉が関与した解析があるなら是非教えて欲しい
多分これまで一才見つかっていないと思うんで新発見になると思う >>657
木戸と広沢は政治家であり革命家ではない。
やはり高杉こそ真の革命家なんだろう。
龍馬も西郷も政治家より革命家ではあるが徳川慶喜を助命させたり既存権力と半妥協してしまうあたりは高杉と比較すれば革命家としては一段下がってみてしまう。 具体的な事象なしにするのは評価じゃなくてただの感想 高杉は革命家ではないよ
思想がなければ革命とは言わない
ただのクーデター たった一人で反乱した一人政府はシャルル・ドゴールにも通じる。
シャルル・ドゴールは欧州の高杉晋作。 全身革命家なのは木戸公なんだよ。
高杉はいいとこの子女と結婚してる。木戸は芸者が嫁。
大隈・江藤・大村・渋沢・伊藤・陸奥・山尾とか門閥にとらわれずに
取り立ててる。 王政復古の大号令を主導した岩倉具視や五箇条の御誓文・版籍奉還を主導した木戸孝允には後世に残る理想があるけど
高杉晋作にはそういうの無いよね 革命は久坂の理論で高杉は実行役の一人でしょ
長井のじわじわ富国強兵して攘夷と真逆の攘夷(戦争)を覚悟し初めて富国強兵ができるって理論だから >>666
久坂、桂の攘夷論はあくまで幕府への政治圧力を強め長井雅楽からの政権奪取の為
実際には久坂、高杉らの師である吉田松陰の軍備は西洋からの輸入、技術導入で整えてた上で不平等条約を平等条約に変更しようという現実的な攘夷論通りになった
本質として長井雅楽の話に帰着した
幕府に対しては現実的には不可能だと分かった上で即攘夷を政治圧力として仕掛け朝廷外交では幕府は即攘夷をしないダメ政府だと朝廷と幕府の離間策を取った
とても頭の良い久坂、桂の政治工作だった
桂はその上で山陰、山陽の諸藩の藩政府幹部にも同時に親善外交を進めていた
禁門の変、長州征伐で長州藩主が慶喜から厳しい処置を言い渡され掛かった時にこの山陰、山陽の諸藩が連盟で取取り成し蟄居で済んだ
そしてこの時長州協力的に動いた諸藩は大政奉還に前後して薩長の兵が上洛するルートの確保、兵糧提供を行い藩兵を官軍として送った
高杉がいなくても維新はなったが桂がいなかったら長州征伐の時点で長州はほぼ孤立無縁
これを乗り切ったあとも薩長の兵が上洛するルートを確保できず大政奉還の実現すらもできなかったと思う では実際に革命が成ったあと、どう国の舵取りをするかの指針と、それを実行する手腕があった人は長州にはいない
木戸は単なる理想主義のわがまま、だだっ子
伊藤は生き残っただけ 大政奉還後に誕生した太政官政府の形ば岩倉、大久保、木戸らが試行錯誤しながら作った
そして幕藩体制時の封建制から版籍奉還、廃藩置県の実施は大久保、木戸、伊藤、板垣が計画した
維新後も収入を公費として旧藩主、藩士に支給されていた秩禄も官僚制度の整備と合わせて証券化、廃止された
江戸中期から幕末にかけて停滞していた経済成長、産業の効率化は先進国を参考に投資リスクを政府が負担する官営事業にする事で進めた
> では実際に革命が成ったあと、どう国の舵取りをするかの指針と、それを実行する手腕があった人は長州にはいない
木戸は単なる理想主義のわがまま、だだっ子
伊藤は生き残っただけ
この主張は何を根拠にしているの? >>667
桂小五郎時代はあんまり好きじゃないな
長州藩の軍事力を統率して幕府を倒し、その軍事力を背景にして新政府で主導権を握って理想を現実にしていった木戸孝允時代の方が魅力あると思う >>667
>幕府に対しては現実的には不可能だと分かった上で即攘夷を政治圧力として仕掛け朝廷外交では幕府は即攘夷をしないダメ政府だと朝廷と幕府の離間策を取った
「長州征伐はやりすぎだ」「道理がない」とかいう意見が各藩から出たとか言われてるが
これをやった時点で十分討たれて当然だなw いつの世も高杉晋作みたいな狂信者でしか歴史を大回転させられない。
歴史とは論より行動なのである。
まさに東洋一の狂生 高杉晋作
「長州人は議論ばかりに夢中になって行動にかけるから薩摩人に比べて英雄的大物が少ない」 >>673
薩摩とは言ってないし
長州に真の英雄豪傑は居ないから長州を守るのがせいぜいだと言ってる やはり長州藩が大躍進したのは高杉晋作一人の功が大きすぎる
功山寺挙兵さえなければ長州藩は佐幕派に乗っ取られたままで薩摩、土佐も維新革命に動ぜず
日本は科学技術力も停滞したまま徳川幕府は20世紀を迎えてしまい続い
日本は清国みたいに大国列強の侵略に対処できずに分割統治されてしまってたであろう。 突然変異で出現した高杉晋作こそ長州どころか日本の救世主 長州が無くても薩摩と土佐が大政奉還運動するだろうから
変わらんように見える 高杉晋作による長州藩奇跡の快進撃に連なって薩摩、土佐も動き出したんだが?
何しろ薩摩、土佐の藩主様がゴリゴリの佐幕派でして・・ >>653
あれはどうみても森有礼と伊藤が悪い。
木戸がブチギレるのは当然。青木が文鎮っていうのはあってるよ。 明治以来、木戸とはほとんど政敵関係でもある岩倉ですら
キレてるからなw 高杉晋作がつき木戸孝允がこねし天下餅すわりしままに食うは山縣有朋。 とまあ書いてみたが。
高杉と信長は気質が似てる。
山縣と家康は気質が似てる。
木戸と秀吉はどうだろうか? >>685
> 木戸と秀吉はどうだろうか?
似ていない
木戸は小早川隆景タイプ 江藤ほどの知見もなく、単なるわがまま坊やが木戸こーいんだろ
国を預ける才覚はない 明治の世も何もかもが高杉晋作たった一人から始まるのだ 木戸孝允って竹脇無我に似てるような。
桂小五郎も若い頃の竹脇無我に似てるような。 >>685
女遊びが激しい
仇敵の大将でも恭順するならば許す
豊臣秀吉と木戸孝允の共通性はこれぐらい 逃亡中も剣だこのある超イケメンの商人で目立ちまくって怪しいと思われてたけど、
会津以外は長州に同情的だったから見逃してもらってたらしいな >>691
だが実子は早世した一人だけだという
戦時中に内大臣だった木戸幸一だって養子の子で実の孫じゃないよ 剣術家としても免許皆伝の腕前なのは勝海舟との共通点 佐賀の乱のときに河野を大久保に推薦したのは木戸なんだな。
まさか晒し首にするとは思わなかっただろうな。 大阪会議で板垣入れたのは木戸井上だけど、板垣に久光と組まれて、
逆に追い込まれるのは気の毒。
木戸公は大久保岩倉と違って善人なんだな。 それでも会津藩への苛烈な仕打ちをみると相当に復讐心が強いけどな
池田屋事件で会津新選組に貴重な同胞を皆殺しに殺されて自身も何度も殺害されそうになった経緯を見れば致し方ないか
真に寛容精神が強いのは土佐藩だが それはねえ土佐藩士も貴重な人材が池田屋事件で皆殺しにされてしまってるから許せないのは仕方ないよ
むしろ近藤一人の首だけで終わらせただけでも土佐藩は寛大すぎる
ここまで寛大すぎる藩は土佐藩以外に他にないよ 土佐藩一番の損失は武市切腹させた事なんだけどな。
武市切腹させなきゃ、維新の新政府では薩摩長州と互角にやれたのに
維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられwiki 武市は自業自得だからどうしようもない。容堂公が特別に
悪いわけでもない。
桂は中間の伊藤や山尾を本当に大切に扱ってるからな。 「気に入らない家老殺して藩政牛耳ろうという考えが終わってる」
って書こうとしたけど長州も長井雅楽殺してるわ 武市は死線をくぐりぬけられなかった弱虫
死んでしまったなら所詮それまでの男よ 周布が切腹させられた後、木戸は椋梨藤太の処刑を
強硬に主張してるから、「殿、なんで武市を」って言う資格あるのかとは思う。 >>698
> 会津藩への苛烈な仕打ちをみると
ここは評価しないといけない
血で血を争わなければ維新なんて起こせない >>704
リーダー格が責任取って死んでったから後輩も繋ごうと維新のリレーができた様に思う
生き延びた西郷や木戸は稀有だと思う >>701
武市ほど勢力を持ってたの幕末に居なかったからな
200名くらい加盟してたし西郷が居た精忠組でもそこまでは行かなかったろう 死線を踏み越えた幕末三大志士。
井上馨→政敵に襲撃されて生死をさまようほどの重賞。
西郷隆盛→二度の遠島と現地で風土病にかかり死にかける。
木戸孝允→新選組による暗殺未遂に何度も遭遇する。
井上馨>西郷隆盛>木戸孝允 >>711
伊藤博文
功山寺挙兵に真っ先に駆けつけたのは命がけだろう
版籍奉還の頃にも命を狙われてるし >>710
あくまでも本人談だが勝海舟は20回も暴漢に襲われてるらしい。
(確認できるのは岡田以蔵に救われた一件) いかにせよ
井上馨
↑これを超える死線を踏み越えた幕末志士はいない そこまで木戸は死線を乗り越えてますかね?
新選組に狙われ続けたのは事実だが一度も白刃を交えた流血戦をしたわけでもないでしょう。 >>715
剣術家としては免許皆伝の腕前だが一人も切ったことがない当時では異例中の異例。 あの時代で一人も斬っていない剣術の達人は木戸ぐらいかな? >>713
勝海舟の20回の暗殺未遂が真実か分からんが
何度も襲撃されて一命を取り留めてるのは天運を授かってるとしかいようがない奇跡 医学が未発達の時代で30代中旬で肺病に罹りながら10年以上も生き延びた生命力は強すぎる
慢性的な偏頭痛にも悩まされてたみたいだがな
晩年が早すぎるがよく生きのびた 中公の大隈重信よんだけど、
木戸公は大隈びいきから大隈嫌いになるブレが凄くて笑えるな
あれだけ嫌われてて第一の政治家は木戸って言えるよな。
大隈も老成して、自分はやりすぎ木戸公のいってたこともさもありなんって
思ったのかもしれん。 木戸は岩倉使節団時の感情のもつれもあったがその後も一貫して伊藤推しなんだな。
一番の同士の井上はビジネス行ったからだけど 「小言が多いから晩年孤立してた」っての司馬遼太郎の完全な創作ではなくそう証言者がいるんだな
「小兵だった」ってのは完全な創作だけど 河瀬?
結局は大久保は長州派のボスの木戸が頼りだから
孤立はしてないよ。
病気がちだっただけだよ。 河瀬自体木戸に引き立てられて木戸の養女を妻に迎えたゴリゴリの木戸派なんだけどな 木戸が小兵扱いというのは
勝海舟の「木戸は西郷、大久保に比べると実に小さいが小回りだけは聞く。とても大事に向かない」
この海舟談が広まった結果に木戸は小兵扱いされたのかと 長州からしたら勝なんて全然出てこないから、
出てこない人に小者とか言われてもwww
岩倉の言い分はわかるが。 >>455
岩倉の大久保・木戸に対する評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面に議論をせず、陰に局外の者へ何かと不平
噺をなすは木戸の弊なり。大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり」
だろうな。
いやいや、あんたと大久保が陰謀して木戸派を絶えず排除しようとしたからだろうって
思うわ。まあ結局は木戸がいないと政府が危ういからいつも戻ってきてくれに
なるんだが。 >>731
評の通り、すぐすねて辞める辞める言うからだろ
とにかく性格が子ども
なにかを成す人物じゃないし、策士でもない
大久保はまさに大政治家
プランを示して細かいところは才人に任せる
人の使い方が分かっている
一人にだけひどい仕打ちしたけどな そこまでの大政治家なら薩摩の殿様と西郷派を従えなさいよ。 まあ薩摩閥という権力基盤、支持層が無かった大久保は実質木戸派で木戸派のナンバー2だし
長州閥の後ろ盾が無くなると何も出来なくなるから木戸に辞められると困るので引き留めては訳でね 木戸は長州藩の軍事力を統率していたが
大久保は薩摩藩の軍事力を統率していたわけではない
この違いは大きいな 佐々木高行に「木戸は実者だが、伊藤井上陸奥みたいな小賢しい輩を重用するから困る」って
言われてるよな。
木戸公の眼力はすさまじい。 確かに大久保は木戸を必要としたが、その能力を買ってではない
長州閥を繋ぎ止めるためだ
構図としては岸田が安倍派に配慮しているのと同じ
岸田の方が自派閥は固い分、楽まである やはり誤解されてるが倒幕時代の長州第一の政治家は広沢真臣。
暗殺されてから木戸孝允が長州第一の政治家になることができた。 広沢は松陰門下ではないし周布の派閥に属してたわけではないから長州では傍流だよ
傍流ゆえに傍流の代表者として抜擢されたかたちだろう >>739
>暗殺されてから木戸孝允が長州第一
広沢参議暗殺後に木戸の謀略論が絶えなかったわけだ
そこに大久保も関与してると
今となっては真相は闇の中だが どれぐらい木戸は嫉妬心が深いのか分らんね
まさか暗殺してまで一番になりたかっとは思いたくないがまさかね 広沢の賞典禄1800石は藩士としては西郷の次である
大村より多いのが長州での広沢の立場を表してる 広沢は保守的だから大久保と近いし、
まあ木戸が殺すわけがない。 広沢真臣は長州藩の親分格。 薩摩藩の西郷隆盛の立ち位置 賞典禄は木戸、大久保も1,800石
爵位は広澤家が伯爵なので侯爵の三傑より格落ちの扱い 賞典禄は広沢単独1位説と木戸と同率1位説があるな
自分も広沢単独1位説をどっかで見た
ウィキペディアだと同率1位説みたいだが 長州藩の三傑
・木戸孝允
・広沢真臣
・山田宇右衛門 幕末長州藩士の誰もが高杉晋作には劣る
木戸も広沢もだ >>742
大村益次郎も木戸孝允は嫉妬深く困ると西園寺公望への手紙に書いてる 広沢真臣の功績
第二次長州征討で木戸山田と並んで藩を指導
第二次長州征討の講和交渉をする
大阪行幸に携わる
版籍奉還について大久保板垣と話をつける
こんな所だろうか 周布や久坂が生きてれば広沢の代わりに1800石貰ってたろう
高杉は生きてても後輩なので大村と並ぶ1500石か1000石位だろうし
薩摩とのバランス考えて生き残った広沢が選ばれたんでしょう 木戸こーいんは面倒くさいやつだよ
遠巻きに見ている分にはおもしろいが、周囲の人間はえんがちょだよ 深刻なレベルまで健康を害していたことも考慮しないとな
やたらと辞めたがっていたのも一概に拗ねていたからだとばかりも言えない 木戸の面倒くささは正しいことが多いからな。
森有礼に担がれて委任状取りに行った大久保と伊藤に
キレたのも木戸のほうが正しいしな。 よほどの功績がある大物じゃないと藩士が1800石なんて貰えんよ 大河板の木戸スレは荒らしが酷いの充電期間中です
またいつか立てます 薩摩の怪力の暴れん坊の黒田を軽く簀巻きにする木戸公。
頭脳明晰、超イケメン、剣豪柔術家
歴史上の人物でも完璧すぎるな。 勝海舟「西郷、大久保に比べれば木戸は実に小さい」
勝海舟にかかれば木戸もこんなもんかい >>750
大村は木戸に取り立てて貰ったのにそんな生意気なこと言ってるのか
成り上がり者が( ゚д゚)、ペッ 広沢は現代の人が知るには残っている史料が少な過ぎる
これは実は高杉晋作もそうで高杉のエピソードの多くは史料ではなく多くが創作のドラマ、小説だという事も知らない人が多い
木戸、周布、久坂は藩政府の幹部で手紙の数も私信を含めて数多く残っているのとは対象的
武市瑞山なんかも容堂に登用されてからは公式文書も多いし手紙も多い
広沢や高杉の評価を高くしている人の根拠を聞くと史実かどうか不明な話ばかり 広沢は新政府成立時に京都に居た
木戸が京都に入ったのは慶応四年一月の半ば以降
木戸はお尋ね者だから幕府が朝敵になるまで公の場に姿を現しにくかったのだろうか 薩摩の西郷が2000石、大久保が1800石なんで
長州も木戸一人が1800石貰ってもバランス取れない
軍事のトップである大村が1500石なのも軍人より政治家を上に置くのも木戸の考えじゃないの だが大村益次郎がいなければ上野戦争の圧勝はなかったろ 上野戦争のころに江湖新聞で新政府批判して逮捕された
福地源一郎。福地を無罪にしたのが木戸孝允。
福地はその後、東京毎日新聞の主筆になる。
福地は勝海舟が大嫌いw たまに話題に上る広沢真臣。
ほぼ出尽くしてる幕末の有名人で最後に残されてる謎の大物こそが広沢真臣
研究が待たれる
とにもかくにも西郷隆盛に次ぐ賞典禄1800石こそが大物である証拠
もしかして長州藩での発言力は木戸孝允を超えていたりとかも思ったりする 木戸孝允@kidoshogiku
1/4 1873/3/4「晴れ。十時過ぎにボードウィンを訪ねた。彼は日本滞在時に私の診療をしてくれた
こともあり、彼の治療は大いに効果的であった。彼とは五年前のある晩、我々も日本語を西洋の
文字(アルファベット)で綴るよう切り替え、文法を構成し、子供達にもその学習を義務づけるようにすれば、
木戸孝允@kidoshogiku
2/4 欧米諸国の本を読むことも容易くなり、様々な分野での学業を助けるかもしれないと言った
ような話をしたものだ。彼はこの考えに賛成してくれたが、当時、このような考え方をする人々は少数であった。
木戸が漢字廃止論者だとは知らなかった
ベトナムも漢字を廃止してアルファベットを採用しているし、木戸のこの考えは良いと思う >>772
残念ながら広沢の知名度は幕臣の榎本、河井、小栗より大幅に劣るからな 何をしたのか良く分からない大物なんでしょう
事務処理の能力は突出してたに違いない 醒めた炎でも影の薄い広沢さんw
開明派よりは保守的だから大久保岩倉が広沢を
参議にしたがってた印象しかない もっとも広沢が多く登場するのが司馬遼太郎『花神』で中々の大物として書かれてるから悪くないが
どこまでいっても広沢は長州藩の高級官僚なんだよね 生きながらえてたなら広沢、木戸のコンビは西郷、大久保に対抗してたと語ってたのが山田風太郎 明治政府で大久保とコンビを組んでたのは岩倉。
この暗黒コンビは最凶だろう。対抗できたのは
木戸開明派だけで。 明治政府の長州派大物、伊藤も井上も山縣も山田も大村も、全部木戸の子分であって広澤の子分ではない 明治政府の長州派大物、大村も伊藤も井上も山縣も山田も「品川も」、全部木戸の子分であって広澤の子分ではない
木戸の子分ではなかった大物は前原ぐらいか? >>786
周布、久坂が没してからは基本型に木戸が討幕派の首領だからな
外交も木戸が全権大使みたいな立場で藩主へは事後報告が多い
予算の振り分けとかの部分は全権を握っていた訳ではないけど木戸が井上使って奏上した要求予算獲得は殆どそのまま通るし
薩摩は大久保西郷でもここまでの権限は持っていなくて小松帯刀が必要 つまり広沢は孤高の一匹狼で1800石も手に入れたのか
ますます不思議性に興味が出てきたぞ 薩摩の小松に相当する長州の家老格の指導者が周布だったんだが、周布亡き後に木戸が上手く引き継いで事実上の家老格になって上手く回したというのはあるな >>781
広沢真臣こそ長州藩の首領じゃなかったのか?
木戸は2だろ?
どこまでも2の人生が木戸だろ? >>785-788
広沢真臣こそ長州藩の首領じゃなかったのか?
木戸は2だろ?
どこまでも2の人生が木戸だろ? >>782
『警視庁草紙』では広沢参議暗殺の黒幕は井上馨だという推理になっていたが。
案外にありえそうだ 真に受けてるとかって話ではない
山田風太郎は虚構を虚構として徹して豊穣な作品を残した作家であり司馬のような歴史学者のフリをして人々を騙す作家ではなかったということだ こういうのは日本文学研究の世界では常識だ
まともな文学者で司馬に騙されてる人はいない
司馬にカブれてる “フリをしている” のは胡散臭い右寄りの山師のような論者たちと二流、三流の文学者だ >>788
本気で広沢真臣の立ち位置を知りたい
賞典禄1800石は並大抵のものではないからな >>800
立ち位置も何も広沢は幕末長州藩の最高指導者みたいなもんよ >>781
ほとんどの大物歴史小説家までも無視する広沢を大物として描いてくれたのは、さすがは司馬遼太郎
やはり天才は目の付けどころが違う
広沢なくして長州藩は団結できなかった 司馬遼太郎ほど広沢および木戸を小説に登場させた偉大なる歴史小説家もなし 木戸は明治末から大正初期には徳富蘇峰によって明治三傑の1人として既に維新の大功労者として評価されてたよ
蘇峰は体制派として後にナショナリスト的煽動者と批判されているけどこの頃の蘇峰は公文書閲覧も許される立場ながら圧倒的に自由主義思想家
司馬の小説では戦国もの、明治維新もの問わずかなり登場人物の手紙を紹介して人となりを表現しているがこれは実は徳富蘇峰が近世国民史という戦国から明治までの通史をまとめたシリーズのパクリ
そして人物評価も基本的にこの徳富蘇峰のそれをそのままなぞる形で小説化している
飛ぶが如くという作品での西郷、大久保、木戸、岩倉ら政府の主要人物のキャラクターは徳富蘇峰の『維新の三傑』のままっていうのは有名 広沢は官僚そのままで高杉、大村みたいに強烈な個性があるわけじゃないから作家連中は書きにくいだろう。
まだ逃亡を繰り返していた七変化の木戸の方が個性的といえば個性的で書きやすい。 廣澤よりはまだ前原のほうが興味あるな
“真の長州の語られざる最後の大物” は業績不明の広澤よりある程度識(し)られてる前原だろう 前原は討幕志士から脱皮できずに終わった人って感じで新政府では結構な機会を与えられたけど尊王武士最高!以上の考えから進まず結局窓際に行ってそこで担ぎ上げられて反乱
討幕から新政府初期までは久坂、高杉、大村と長州の幹部がなくなっていくから薩長のバランスを取るためにも出世できたけども 前原一誠も最後は木戸孝允と最悪の関係になり
広沢参議暗殺の真犯人は木戸孝允の刺客だと信じてたという 幕末長州藩の主役は高杉晋作以外おるまい
準主役は井上馨かな?
木戸孝允でさえ三番手 広沢に関しては無名の超大物と評したほうがよろしい
残念ながら広沢的人間は今後も知名度が上がることも興味も持たれることもないだろう
世良修蔵でさえ主役作品に仕立て上げた司馬遼太郎でさえお手上げしたのは広沢ぐらい >>810
石高では判断できない実質的に長州藩の副将は井上馨。
幕末でも明治大正でもだ。 賞典禄を評価の基準に据えようとしたとき
小松清廉があんま貰ってないので説得力が欠ける 小松の賞典禄に関しては、身分の高い家老の小松より、西郷、木戸、大久保、廣澤ら実質的実務を担った中級~下級武士を高く遇した感じだな
家老ではないが、周布が生きてても小松と同じぐらいしか貰えなかっただろうな 薩摩の尊皇攘夷派の身分上の頭目は小松だよ
小松がいなかったら久光が大久保や西郷に仕事なんかさせなかったし西郷なんかは首チョンパ(いやさすがに切腹だが)になってた 小松は1000石だし十分高い
それより上は薩摩では西郷やら大久保とかしか居ないし実質ナンバー3
大政奉還の功績が大きく評価されたが王政復古から戊辰戦争は病で倒れたのもある
同じく大政奉還に功績あった土佐後藤も1000石の評価 >>798
利己主義の司馬史観を政治家とか役人が真に受けたら危険だよね
単に西日本政権美化してる人だし まあ真に受けてはいないだろうけど利用してるんだよね
司馬作品はイデオロギー的に利用されてしまう脆弱性に満ちている 竜馬がゆく(笑)とかは木戸孝允をモティーフに坂本龍馬がやったことにする
小説なんだよ。
剣豪、超モテモテ、薩長同盟、(船中八策からの)五か条の御誓文とか
全部木戸のことだ。
小説家の与太小説より桂小五郎の人生の方がはるかに面白い。 まあ実際にあった「木戸神話」を完コピしてありもしない「竜馬神話」にしたのがあの小説だからね 龍馬とお龍のロマンスも木戸と幾松のロマンスの完コピでスケールを小さくしたヴァージョンだしね
そのほか木戸の人生からのパクリは枚挙にいとまがない >>812
幕末長州藩の史学では井上馨が軽視されてる
その時の山県有朋なんか無名の藩士に過ぎないが 山縣は奇兵隊の軍監を務め出遅れたとはいえ高杉の挙兵にも参加してるし新政府の東征軍で指揮官の一人だし賞典禄600石貰ってるからそんな雑魚じゃないよ
伊藤と井上が賞典禄を貰えなかったのは謎だけどね
武功がなく幕末期は無名に近かった伊藤はともかく井上は第二次長征でも討幕戦でも武功があるからね あ、伊藤も功山寺挙兵に馳せ参じてるから武功はあるね そういえば広沢真臣の墓は世田谷の松陰神社にあるんだな
前に参拝したのを思い出したわ
そこで何故か吉田松陰の墓よりも巨大だったのを驚いた記憶がある 松陰の弟子ではないのに松陰神社に葬られたのは不思議 この広沢真臣と田中義一だけは近代史学に埋没してる長州閥の巨魁。 >>827
もしや当時の世相では吉田松陰より格上に見られてたとか?
萩市にある田中義一の銅像も明治の元老より巨大なのは当時の世相を評してる。 逆だ
外様の広沢家が松陰系の長州主流派に連なるように松陰神社を選んだのだろう
広沢家の意向か松陰派の意向かどういう政治的意思が働いたのか識(し)らんが 広沢上げの人は(意図的に)デタラメなことを書くな
山縣や井上を上げ木戸を下げたりと何かプロパガンダの意思があるようだ 武市や板垣も上げとるな
いつも自演して自分と会話してるし何がしたいのだか >>832
そうかもしれんのう。
なにしろ吉田松陰は長州藩士には神である。
内心ではどう思うと神である吉田松陰の功名を頂くしかない。 しかし池田屋事件での木戸の行動は謎に満ち溢れてる
逃げて逃げて逃げ続けていたのが木戸の人生だったのではないか >>830
井上勝を忘れてもらっては困る。
もう一方の井上ばかり選りあげられるがこちらは大業績の割には忘れられてしまってる。 >>830
生まれは明治後だが鮎川義介もこまるんでえ 腹話術師はもともと武市と板垣と高杉を上げてて
最近になって広沢を上げてる ただの長州マンセーでしょ
あっちでも長州マンセーして自演してるし 倒幕時代のエースは高杉晋作で、その後が広沢で次が木戸でしょ >>838
>>840
今の日本で鮎川と井上勝のほうは忘れられた長州閥の巨人 だが旧幕臣の厳罰を徹底主張したことだけは今となっては木戸が正しかったな >>842
この人は大久保おじさんといって大河板の木戸スレを荒らしていた薩摩ヲタです
高杉上げ広沢上げ井上上げして木戸下げしてるのは木戸大河妨害のためです
「木戸は幕臣と東北諸藩士の厳罰を主張した~」とオウムのように連呼し続けてるのも木戸大河妨害のためのプロパガンダです いつも史料出さずに創作物の感想書いている人でしょ
キツイ >>845
黒田清隆が温情に流されて五稜郭に立て籠もった幕臣を助命させたことは
その後の日本には価値があったのだろうか?
まさに 「旧幕臣の厳罰を最後まで主張」 してた木戸孝允に一理あったとしかいいようがないわな確かに 大久保おじさんの特徴は薩摩ヲタであることを隠すために薩摩と薩摩出身者の話はしないこと
木戸を下げるためにひたすら広沢を上げ続ける >>838
井上勝を知りたければ江上剛「クロカネの道をゆく」を読めばいい >>850
参考になったわ
今度ぜひ読ませてもらうわ
馨は有名すぎるが勝は功績のわりに無名すぎるからな >>845
会津藩残党を斗南送りにした木戸孝允は神 >>845
会津藩残党を斗南送りにした木戸孝允は神 >>846
>「木戸は幕臣と東北諸藩士の厳罰を主張した~」とオウムのように連呼し続けてるのも木戸大河妨害のためのプロパガンダです
>>853
池田屋事件の報復だろ?
少なくとも木戸に関してはな 斗南行きは会津藩士たちが自分で選んだとこの手の話では何百回も確認されてるつうのに
提示されていた旧領の猪苗代を蹴ってわざわざ下北を選んだのは会津松平家自身だ 星亮一や原田伊織だな
他の徳川信者の歴史学者も多いが
一阪太郎は兵庫生まれでもバリバリの長州木戸信者になってるが >>857
一坂太郎だろ。
そういえば最近に出した『徳川慶喜』がアマゾンベストセラーになった鈴木壮一も斗南送りは木戸孝允説を強硬に訴えてたし伝説が定説と化してしまってる。 原田は井上、伊藤、山縣は木戸孝允の子分に過ぎないと。 会津人が江戸時代までは若松が奥羽第二の人口の城市だったにも関わらず明治以降長州閥の陰謀によって
発展を阻まれ一寒村と化したと怨嗟しているというこれも「伝説」があるが、現在の会津若松市の人口11万に比して
長州の首邑萩市の人口はたった4万人、江戸最末期の主城とした山口市も精々が19万人であり長州出身の首魁たちが
己の郷里に便宜を図ったなどということはないのである
因みに、鹿児島市の人口は59万人弱である >>858
こと会津に関して国道48号しかり長州伝説がまかり通ってるからな
原因を辿れば五稜郭の旧幕臣死罪を必死に訴えてたのは事実である木戸にあるのかも知れんがのう
三島通庸もかなり福島では滅茶苦茶してるんだがそっちの批判は余り聞かれない このスレで最初に榎本死罪主張のこと書いたの俺なんだが
もしかしてバカに余計な情報与えちゃったか 一坂って根拠不明の木戸disして市議会だか県議会だかで話題にされたことなかったか 榎本武揚が木戸孝允の短命を知ったときは
西郷、大久保の死を喜んだ柴五郎の気分だったのだろうか?
ほぼ同年齢で木戸より30年も長生きしたのは木戸より天命を授かっていたかもしれない >>867
そりゃあんたあれだけ粘着質に処刑を訴えてきた木戸の若死にを喜ばないわけがないよ。
もちろん喜んでるに決まってる。
もし木戸が長生きしてたなら妨害が入り榎本はロシア外交で活躍できなかったに違いない。 >>858
鈴木荘一の明治維新の正体はアマゾンベストセラー1位にまでなってるぞ。
だが20世紀まで徳川幕府が続いたら日本は清王朝みたいに大国列強の餌食になってた可能性もあるがな。 もはや心は山口県民の一坂は木戸孝允の単独本まで出版して賛美してたぞ。 しかし一坂は自著で司馬が捏造した「逃げの小五郎と呼ばれていた」などというたわごとを
そのまま書き写すというようなチョンボをする軽はずみなところがある 司馬アホ太郎が木戸をディスりまくるから困る。司馬の読者は小説しか
読まないからな。 >>866
この話気になるんだがまじで?ちょっとググってそんな記事出なかったけど >>820-823
今、木戸の生涯を小説やドラマにしたら『竜馬がゆく』のパクリじゃねーか!って言われる
逆なのに 勝なんかより、東征大総督府本営まで単身乗り込み江戸を焦土にする気満々だった西郷に
江戸城無血開城と慶喜助命の話をつけた山岡鉄舟のほうが数段凄い
勝は鉄舟がすでにケリをつけた話の事務的な手続きをやったに過ぎない
得意の駄法螺で全部自分の手柄にしてるがホラッチョ勝は 他人の手柄を盗むのは弟子の坂本とそっくりだね勝は
まあ、坂本の場合は自分の意思ではなく後世に司馬によって他人の手柄を盗まさせられたので司馬による被害者ではあるんだが 勝海舟「木戸松菊は西郷、大久保などに比べると非常に小さい。とても大きな事には向かないがノー」
これが独り歩きして今日の小さい木戸評を作り上げてる。 あまり木戸の写真からは巨人感を感じないのも勝海舟の低評価に追い風を与えてしまってる。 勝と坂本みたいなどうでもいい小者同士の師弟関係が重視されて、
江川英龍、中島三郎助と桂小五郎の師弟関係があまり語り継がれないのは残念。 勝海舟は19世紀の日本最大政治家であるかのようなバケモノ扱いをされてるけどな >>879
司馬が描く勝と坂本の師弟関係というのも木戸と江川英龍、中島三郎助の師弟関係のパクリ
司馬による木戸の人生のコピー、パクリは執拗
実際は勝と坂本の結びつきなんて大して強くもなく美しくもなかった
勝は坂本の未亡人(と司馬によりされてる馬の骨のような女)を見棄てたが木戸は恩師たちの遺族の世話を喜んでした 侯爵家の義母となり幸福に人生を終えた松子(幾松)の物語は美しいが、野垂れ死んだお龍の物語は美しくない
そこのところをネグレクト(無視)して「美しい物語」(日本最初の新婚旅行w これも木戸夫妻のパクリ)に仕立て上げた司馬はかなり欺瞞的だ >>878
確かに木戸は鬱病ぽい顔つきしてるよな。 木戸はイケメンだし、しかも剣の達人だけど人望集めたとかあんまり聞かない
薩の西郷、長の久坂、土の武市が他藩士からも人望を集めた人望の三傑だよね 司馬が自分の好みに好き勝手書かんでも、勝や坂本は十分大物だったしな
勝は慶喜に全権与えられて江戸無血開城したし
坂本は後藤や板垣より尊攘運動の先輩だし
西郷、大久保、木戸ほどの評価は無くても
生きてればそれなりに評価された >>884
30代中旬から死まで肺病、頭痛、左足麻痺に悩まされて全身ボロボロだから仕方あるまい。 新選組から何度も襲撃されて生き残ってたのは立派だが祟れてたのか? 胸痛は知っていたが偏頭痛もちで左足も麻痺してたのか 村松の『冷めた炎』という題名が木戸その人物をよく表している 醒めた炎以外に木戸が主人公小説はないな
木戸は主人公にしにくいんだろうか?
長州人が主人公の小説も実はあまりそうは多くない
勝海舟は子母澤寛が主人公にした大作がある。
やはり幕末小説だと新選組や西郷隆盛、勝海舟が多いのが特徴。 醒めた炎なんて小説というより
中公新書で
木戸孝允~醒めた炎で売ってもいいぐらい。
普通に歴史本。手紙と日記を主体にしてるからね。 >>891
実は長州藩士を主役にした作品の最多小説家こそが司馬遼太郎 「花神」も「世に棲む日々」も面白いもんなぁ
「坂本龍馬は司馬遼太郎の創作!小説!!」つってる人すらも大村益次郎語るときは「花神」のイメージで語る 司馬が持ち上げた人物の評価高くなる
跳ぶがの大久保とか花神の大村とか
西郷とか扱い悪くなって戦前に比べると人気が落ちた >>891
だいたい幕末小説の人気順位は新撰組>坂本龍馬>西郷隆盛>勝海舟>長州藩士。
司馬でさえ新選組と龍馬の作品で大物になることができた
長州作品一筋ならここまで大物になれなかっただろう
これは長州藩士が高級官僚体質を持ってる人間が多いために小説の主役には向かないからかと思ったり ストーリー性を重視するなら剣客集団の新選組や竜馬みたいな一匹狼が盛り上がる 坂本とか新選組みたいな何してるかわからない小者だと
創作意欲わくだろうね。 浅田次郎の幕末小説も新撰組ばかりや
東京生まれだから仕方ないといえば仕方ないか 木戸さんは五ヶ条の御誓文や版籍奉還での果たした役割はやはり大きかったと言いたい。 >>901
平成の世から反薩長史観の噴出で幕末物の主役は佐幕派(とくに新選組)が非常に多い。
焼け野原からの新時代を追い求めた戦後から昭和末期までは司馬遼太郎に代表される新生日本を作り上げた薩長崇拝の小説が明らかに佐幕派崇拝より多かった。
やはり小説として読み応えと醍醐味を感じさせられるのは薩長が主役の方だがな。 木戸孝允は野球打順でいう3番の走攻守の三拍子がそろってるだけに
どこか浮ついた軽い印象もあり主人公になりにくいんじゃないのか?
逆に木戸孝允をブレーン役の狂言回しに使う『花神』『翔ぶが如く』は大成功を収めるわけだ
司馬遼太郎は木戸孝允の人物を理解しすぎてる 木戸、西郷、大久保の順で維新政府は作られていった。 >>904
平成以降の中長編小説で長州藩を主役にした作品はありますかね? そう言われてみれば無いな。
マイナーな人物を取り上げる佐幕派の幕末小説が多すぎるわ。 ウィキの大倉の木戸評
「自分が一日木戸公に会っておると、公は『俊輔はこの頃一本が一圓とかするというシガーを口に喰わえて歩くと
いうじゃないか。困ったものじゃ』。彼は一日かく語って、次にまたこの話をいつか伊藤公に語ると、公は苦笑しつつ、
『木戸は未だ乃公(おれ)を一俊助と思っているのだろう。乃公は今日工部卿ではないか。工部卿たる乃公が一本一圓
のシガーを口に喰わえたからって贅沢というものではあるまい』というのであった。木戸公は正直恪勤の人格者であった
だけ『奢侈ってはならない』ということがつねにその信条であったろう。されば、今伊藤公の上にかかる言葉のあったものと思わる」[87] これは多分、岩倉使節の時だろうけど、
伊藤は欧米でもいつものように女遊びをして散財して
踊り子の服に火つけたりしたそうだぞw >>907
『醒めた炎』も昭和だしな。
去年に岡田秀文なる作家が奇兵隊士のその後を小説にした『維新の終曲』という単行本が出版されてたが売れずに。
興味がある人はアマゾンで購入してみるがいい。 司馬は与太小説過ぎて読んだら馬鹿になりそう。幾松が歌舞伎役者と密会したとか、どういう史料か挙げないと。 >>907-908
どういうわけか団塊〜しらけ世代に生まれた作家の歴史小説は幕臣を主人公にした小説ばかり書く。 存命の大物作家が木戸を主人公にした小説を書いてくれないかと
長州藩全体でもいい >>916
まったくそのとおり。
もはや司馬小説で主役を食ってしまうほどの名脇役が木戸孝允。 木戸孝允は小説にしろ現実の国政にしろ1である主役よりも2である補佐役が似合いすぎているんだろう
これは井上馨も同様 木戸公は歴史家が扱う歴史だから、小説には向かない。
空想の余地がない偉人。 木戸は誰よりも憲法制定・議会民主主義をやりたかっただろうけど、
議会主義者の板垣退助があろうことか真逆の島津久光と組んで三条実美
追い落としとかやるから、大久保に近くなったんだろう。 >>917
アマゾンで購入して読んでみたが『蜻蛉始末』が平成以降の長州藩を題材にした歴史小説では一番かもしれんぞ。
他があれば教えてもらいたいものだ。 そもそも木戸なんざ小説でも盛り上がらん人間だろ
個人の好みで木戸を準主役に仕立て上げた司馬に感謝しな >>927
司馬遼太郎がわんさか自作で取りあげてくれんかったら
木戸孝允は広沢真臣みたいに何をしたのかよくわからないような無名の元勲にされていたんやろう >>929
アホかw
村田清風、長井雅楽、周布久坂の藩政府首脳クラスの人物と比較してもその史料の残っている数が圧倒的に多い木戸の事績が研究対象にならん訳がないやろう
明治末年から維新史の批評や研究は始まっていたが木戸は大久保や西郷よりも遥かに史料が多く私信の提供も多くて一番研究が進んでいた人物
小説という嘘で歴史を知った気になってるアホは黙っていなさい だが歴史書でも幕末長州の大半が高杉晋作、吉田松陰が主軸で終わってんだよな。
木戸孝允を主軸に書いたのは一坂太郎ぐらいだろ。
歴史小説にいたっては長州小説自体が少ないから余計に木戸孝允の主役は貴重になる。
司馬遼太郎が書いてくれなきゃ広沢真臣のごとく歴史に埋没してるのは事実。 既出だが平成以降は新選組を中心とした佐幕派の幕末小説ばかり多すぎて
ますます幕末長州人の顔が高杉晋作と吉田松陰だけに絞られてしまってる悲劇
今ではここに書き込みに来るような幕末マニアでないと木戸孝允の名前自体が知られていないよ
そういう人でも小説の悪影響で沖田総司とか芹沢鴨とかはドマイナー人物は何故か詳しく知ってんだけどな たしかに幕末史を語る上で外せない明治日本を作りえし木戸孝允や広沢真臣を知らんでも、
たかが剣客にすぎない永倉新八や斉藤一の経歴に詳しすぎる奴とか出てきてしまってる。
漫画や小説に洗脳されきって木を見て森を見ない社会になってしまった。 渋沢栄一の大河ドラマでも省かれて草
時代考証家は築地梁山泊のボスだから書かなければおかしいといったらしいが。 >>934
最近は幕末=新選組みたいにされてる悲劇的史観。
これを平成史観とでもいおうか。 平成史観とは反薩長史観だろ? 岩倉も入れて維新四傑を知らなくてどうやって幕末を語るんだ。 日本がまがいなりにも近代国家になりえたのは木戸孝允公が
ありとあらゆる面において先鞭をつけてくれたから。 >>936-937
平成の世から随分と幕末史学が退廃してしまったのはそれだったのかw
特に木戸と広沢の長州閥両巨頭をもっと掘り下げて研究すべきだったが時期を逃した。
まだ木戸はいいかもしれんが広沢は本当に誰も知らんからな。 ほんの100年足らず前の明治大正史を知らなさすぎる日本人が増えすぎたのはそれかもしれん
平成は経済だけでなく歴史学からも失われた30年
木戸孝允より吉村貫一郎に注目が集まってどないすんねん 木戸の人気が出にくいのは何故だ?
司馬が散々に小説で登場させてあげたのに残念だ。
やはり長州だと吉田松陰や高杉晋作に注目が取っていかれる。
木戸の没後に明治を支配した長州三傑は悪い意味で注目を集めてしまって木戸は何もかもが中途半端に埋もれている。 結局は高杉晋作の山縣評が正しかったわけだ
長井雅楽も山縣を嫌っていた
絶対に総理にしてはならない人間を総理にしたことで日本の破滅は決定されてた >>942
中途半端な知識で語るからおかしい話になる
長井雅楽存命中対立していたのは桂や久坂
山縣有朋は松下村塾門下に入った後に塾の先輩達に随行したり端役はしていたが長井雅楽と面識があるような史料はない
山縣が同士先輩らと長井雅楽を政敵と見なす立場であっても長井雅楽は知りもしない山縣をそもそもの嫌うことはできない
山縣が奇兵隊での活動を本格的に始めるのは長井雅楽切腹後でこれは藩政府が長井派から桂久坂派に代わったタイミング
明治後に山縣が長井雅楽への追贈に対し反対したという話から2人の関係が良くなかったと推測したんだろうが時系列で考えて長井は山縣の存在すら知らずにこの世を去っている
ちゃんと時系列に沿って史料読めばこんな勘違いはまず生まれない
小説や巷説で歴史を語るのは良い加減卒業しなよ >>942
児玉愛次郎
「長井雅楽という人は山県などは大嫌いでありました」
近くにいた山県を高杉晋作がボロクソに評してたのは事実だが
遠くにいた山県ごときを長井雅楽が知る由もない
近くにいても山県ごときが評価されないのは事実やろうな そりゃあ時代の最先端を行ってた長井雅樂のような大物が山縣有朋のような小物を知るわけないよ しかし伊藤、井上、山縣など最下層の藩士が自然と権力の亡者と化していくのを調べると
非常に不愉快な気分になり吐き気もする
藩閥政治を阻止していた木戸孝允も維新の理念を完全に破壊した華族制度は批判できなかったのは惜しいな残念だ
どこかに富、名誉、権力に対する執着が残ってたのかもしれない 木戸公は言うても上層武士だから、武士の困窮には涙して
ドイツのユンカーみたいな郷紳みたいなの作りかったそうな。 長州派の人事権をもってる木戸公が中間の伊藤を参議に推し続けたのが
身分制の破壊につながったんだからな。
ここは木戸公の功績。 木戸孝允といえども華族への誘惑には勝てなかったか。
華族議員になった養子孫でA級戦犯になってしまった木戸幸一が
東条英機は華族議員になりたくて必死だったと戦後に回顧してる当たり華族制度こそ諸悪の根源じゃないかと 井伊直弼、山縣有朋、東條英機。
たいてい事務官僚上がりは権力欲、権威欲が人一倍に強すぎるからな
こういう人間を国家元首にしてはならない見本 >木戸孝允といえども華族への誘惑には勝てなかったか。
ここが板垣退助より劣るゆえんである。
木戸は何もかもが中途半端すぎる。 >>954
でもすぐ「ぽっくん辞めるんだよ~」って駄々こねる人ですが 一坂太郎の『高杉晋作』を読み直してる最中。
やはり存命の長州評論家では一坂太郎が最高。
高杉晋作なくして維新は不可能。 歴史書でも歴史小説でも幕末長州藩の注目順は高杉晋作>吉田松陰>伊藤博文>山県有朋>木戸孝允。
どうしてもこうなってしまう 高杉が荒地を開墾し、木戸がを種蒔き、伊藤と山縣が実を喰らった。 木戸さん意外に人気でないのね
山縣と井上は悪い意味で注目を集めすぎてる 超イケメン、高身長、頭脳明晰、スポーツ万能、上にも好かれ下にも
慕われる人格者 女に超モテモテ
今の時代こういうのは受けないんだろう。 >>961
昭和の時代でも長州藩といえば高杉、吉田ばかりが書籍で書かれて
木戸の方は特に注目を集めていなかったんだが。
これは謎といえや謎すぎる。 木戸孝允とか小早川隆景とか北条氏康とかの
「有能だが地味」
な人は注目を集めにくい。 そこは広沢真臣と同質なんだが、
小説に取り上げられた回数の違いで若干だけ木戸の知名度が勝ってる。
実際の実務能力は広沢が長州藩では筆頭格だったんではないかな? 広沢はそもそも木戸や久坂と比較すると藩士の家格としては二つ下で高杉家、吉田家より下
幕末も木戸、久坂の下で動き藩の実務をする立場ではあるけど藩政府首脳の一角にも連なっていない
長州は首脳部も含めて多くの人物を政争や戦争、藩内での抗争で失ったから出世しただけだと思うけどね
実績がほぼ分からないというのはその証左だと思う >>963
黄金期の巨人を語る際に、黒江や倉田を持ち出す人は少ない。 井上も高杉らの放蕩の金策したくらいだからあまり評価されてないのは仕方ない 酔狂の黒田清隆をぶん投げて
布団で巻いたって話が面白い 黒田って片腕に二人乗せるぐらい怪力の暴れん坊だったらしいなw
それを軽ーくしばくんだから木戸は柔術使いでステゴロも最強クラス。 京都に行ってきたので新政府が置かれ明治維新の舞台になった京都御所と二条城に行ってきた
木戸が通っていたと思われる
当時の建物が残っている >>975
ポンペイの遺跡がよほど感動したらしいね >>946
井上は木戸、高杉らと同じ上級武士だよ
>>966
藩医の久坂の家ってそんな上級?
木戸の生家の和田家も藩医だけど 先祖は藩医児玉家の臣、のちにこれまた藩医久坂家の当主が幼いとの事で養子となり後に別家
石高?は当初25俵を玄瑞の時に間違えて25石にみたいな
住居は萩の八件長屋でしかも清末家の臣との謂わば同居だったとか 近年の研究では池田屋事件の際、木戸は新撰組の襲撃時に逃亡しておらず室内にいたことが明らかになっている
このスレでやたらと木戸が逃亡したと強調する者がいるが誤謬である >>979
> 近年の研究では池田屋事件の際、木戸は新撰組の襲撃時に逃亡しておらず室内にいた
池田屋の至近の家? >>979
桂小五郎時代の話なんてどうでもいいよ
活躍するようになったのは名字を木戸に変えてからだから >>984
頭おかしいなお前
桂小五郎時代の木戸は苗字を変えてからの木戸と同一人物なのに 頭の中で桂小五郎時代の木戸と苗字を変えてからの木戸が分裂しちゃってるのは病気だぞ
歴史を研究してる奴でも文学を研究してる奴でもそんな奴はいない 例えば松尾正人の「木戸孝允」は苗字を変えてからの木戸しか書いてないけどね 醒めた炎では文庫本全四巻のうち
木戸に代えた後の薩長連合は2巻の末のほう。 >>988
それは木戸孝允時代に限定した本だろ
その著者が桂小五郎時代について一切勉強/研究してないはずがない
そしてこのスレは
、、、、 、、、、
「松菊木戸孝允(桂小五郎)」スレ
だ >>984
本郷猛や一文字隼人が出てこない仮面ライダーみたいなもんだぞ 松尾正人『廃藩置県 近代統一国家への苦悶』を読んだ
木戸がちょくちょく出てきて、わりと好意的に書かれていた それでも司馬遼太郎ほど木戸を愛して登場させてくれた小説家もいないんですよ
『花神』を読むがいい 廃藩置県、版籍奉還なんて、毛利公はもちろんのこと
土佐の山内公にまで認めさせてるからな、木戸公は。 司馬は木戸公が嫌いなのはよくわかる。
読めばわかる。木戸公は普通に見れば日本史上でも最良の偉人だからそこまで
悪く描けないだけで。 このスレッドは1000を超えました。
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