山本権兵衛について語ろう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大体山本の扱いがショボいな。死後元帥にするべきだったし
なんなら特例で首相時に元帥にするべきだった。
あの大量リストラがあったからこそ日露戦を戦うことが出来た。
陸戦ならともかく戊辰や西南で軍功がいくらあったとしても海戦なら素人ばかり 東郷については今まで指摘されているけど
あれだけ軍人は政治に関与すべきではないをモットーとしていた軍神が
無能ゴキブリ共に担ぎ上げられた時点で老害になった
が、東郷本人の軍拡の考え自体は別に間違ってはいない。
現場上がりの軍人なら仕方の無いことだろう。
元帥という立場で政治に関与したことが大問題だったのだ。 あとは小笠原とかいう無能の小判鮫が居たこともマイナス
小笠原という男は226の黒幕。これでどんな人間かわかるだろう >>212
西園寺が個人的に嫌っていたから山本を元老にしなかったのではなく
牧野との権力争いがあったため。
牧野は山本を元老にしようとしていた。
山本は権力争いに巻き込まれるのはわかっていたから
枢密院就任も断った。
木戸もそうだけど西園寺や牧野みたいな天皇を
操れる地位にいる連中はこんなもん。
こいつらが敗戦に至るレールを作った 憲政の常道を終わらせたのも西園寺だしな
しかもテロに屈する形で そもそも条約派艦隊派自体それほど違いは無いしもっと言うと
個々の軍人で判断していく必要があるな。
それらは単なるポジショントークでしかない。
戦後に新名あたりが井上成美にインタビューして大袈裟にさせた。
井上なんて教育者としては立派かもしれんが責任逃れしたともとれる 井上や石原みたいなのを防衛大で神格化してること自体
あぁ今の日本なんだなと。こりゃ自分の国を守れないと 陸主海従から陸海を対等にさせて日露後に元に戻さなかった弊害がその後の
大東亜戦争敗戦の一つの原因に繋がった。そのことについて山本権兵衛の
責任を指摘する言論人はいない。
元に戻す考えは児玉にはあったようだが 統合参謀本部を消滅させた権兵衛さん
海軍のことだけしか考えてこなかったツケだね こいつもそうだけど責任逃れする海軍軍人多すぎ
東郷も晩年は馬鹿だけど責任逃れすることは無かったしな
東郷と加藤友三郎ぐらいだろ。責任感あるの 東郷はその責任感が晩年悪い意味で作用したけどね。
井上元帥みたいにというわけにはいかなかったのが悔やまれる
伊牟田伸一という陸軍研究の人が言うには山本が晩年政治の世界からすんなり引退したのは
陸主海従対等の件で責任を感じていたかららしいな >>223
山本のどこが責任逃れなんだ?
軍縮会議の際も自分はその立場に無いと
言ったのだから潔いだろ
当然立場上財部も支持してないし
むしろ東郷が強力な支持者だった 加藤友三郎もどうしても対米戦を避けるというわけではなくて
今そのときじゃないという考え方 某財部信者のブログ見苦しいな
あんなのが条約派信者とはね >>228
財部が無能だったと言うことを
再認識してくれる良いブログじゃないかw
要するに東郷どうこうじゃなく財部の根回しが
下手糞だからあんな結果になったんだろ
当初は東郷は(伏見宮もだが)政府が決めたことだから
口出しする権限はないととどめたのだからな
加藤友三郎の時は井上も東郷も異論出ずだった 大体井上成美もそうだけど戦後になってやれ東郷がー、伏見宮がーじゃねぇんだよ。
責任逃れなんだよこいつら。新名あたりとつるんで言いたいこと言うだけ
山梨みたいにフラットに判断するやつじゃないな井上は 東郷の問題は元帥の立場を超えて直接陛下に奏上するなどという行為を
やろうとしたのが問題である。財部がゴミだったのを考慮しても。 ワシントンにしてもロンドンにしても6割ではダメ7割ないと国防に責任が持てぬとか実際のところそんなわけはない 国内向けのアピールにすぎない
ワシントンで7割だったとしたら土佐と摂津が残る だったらこれで勝てるのか この2艦がなきゃ負けるのか ロンドンなど重巡7割なんてたかが2隻分のトン数 こんなギリギリで勝負が決まるとか海軍の対米戦の考えがいかに日本海海戦から一歩も出ていない机上ゲームだったかが伺える
自分達でもそれを信じているわけではない 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ 艦隊派は勝てる知恵を出すべきところをただただ政争の具としているから国防そっちのけで統帥権がどうだの国体明徴がどうのとか政治ごっこにふけるのである くだらないメンツのためのコップの中の嵐 山本も役人と変わらんよ。その弟子の斉藤も。陸軍憎しの予算の取り合い。
条約派艦隊派どうこうじゃない。どちらも予算が欲しいだけの茶番劇。
ロンドン軍縮とかそう。
あと東郷のせいで艦隊決戦に固執したなんて言われるが東郷自身は航空戦の時代
と認識していたし航空機に興味津々だった。秋山真之もそう。 >>229
あのブログは人間関係がメインだから
如何にも女が好きそうな感じの
だから戦略上どうとか実戦がどうとかは小学生レベル。
なので山梨がそのままなら歴史は変わっていたなんて
トンデモ内容だからな まぁそれはいいとして山梨勝之進の回想録で山本権兵衛が諸事情で海軍次官にしたが
斎藤実を連合艦隊司令長官にしたがってた話は初めて知った。 そもそもそんなにロンドン軍縮会議って重要か?
艦隊派を悪く言う口実を作り上げてるに過ぎないだろ 会議の決定事項より派生した統帥権干犯問題の方がはるかに重要だろう 実質的な戦力としては大した譲ったわけでもない
政友会が政府打倒の政争の具にしたのが最悪で犬養は自分で自分の首を絞めた
犬養や鳩山はもっと糾弾されてもいい 艦隊派は何がしたいのかよくわからない
対英米比7割無ければ国防が保てない だから条約から脱退だ
じゃあ脱退して無条約になれば当然建艦競争が始まる
日本の国家財政は現状の海軍力でさえギリギリで経済力で遥かに上のアメリカが対抗すればあっという間に水が開けられる そうなったらどうするのか という事に全く答えていない
現実に無条約化した後敗戦まで日本はせっせと建艦したがそれはアメリカが建造した艦の半分にも満たなかった 本当。権兵衛は子育てに失敗したな。怒らない教育だったから悪い方に作用した 山梨勝之進が東郷について語ったのが全て。
現役、晩年問わず つーか東郷と山本が不仲になったソースは?
見当たらないんだが 山本が現役でいたら条約派艦隊派の対立は防げたとか対米戦は回避できたとか言ってる奴は
山本の性格がわかってない。というか大して山本のことわかってない。 シーメンスは本人は関与してないにしろ起こってもあぁ山本だからなぁとしか。
八代人事にしてもそう。いくら伊藤が自分の後継候補と考えてたとしても首相の器ではない。
海軍の軍政だけ。それでも敵が多すぎた。 >>242
ある中学の教師と東郷は長年の知り合い。
その東郷の紹介で山本とも知り合った。
これは晩年の話。
これで山本と東郷が不仲だと言ってる知恵遅れは
救いようがない >>198
艦隊勤務経験もあまりないから突き上げ喰らった
面もあるんだぞガイジ。もっと勉強しろガイジ >>239
本当らしいね。
歴史探偵の半藤一利(文藝春秋の元専務取締役)が対談で言ってた。世間体もあるので何処かのしかるべき家の養女ということにしてから結婚したそうだ。
愛妻家で晩年まで奥さんを大事にしたとか。 この人は軍政家って感じ。だからこそ艦隊勤務畑の連中から目の敵にされたんだろうけど というか海戦隊は陸軍に比べて経験も浅いし殆どが素人だった。
だから維新後の海軍士官の方が何から何まで上だろう。
山本自身の問題と言うより軍政と軍令のバランスが逆になった1920年代後半から問題となった。 操艦や艦隊指揮と軍政は全然違う
どっちも優秀な人物なんてまずいないんだから佐官くらいでコースを分けないと 少佐時代に2度も山本権兵衛の副官を勤めた山梨勝之進は、早くから軍政家として期待されてたのかな。 今年は関東大震災から100年なんだし山本権兵衛を特集する番組があっても良いと思うんだが。 関東大震災なら山本よりも後藤新平の方がウェートがデカくなると思います BSでやってる英雄達の選択で取り上げられてもいいと思うが。山本は シーメンス事件が無かったら元帥、元老、侯爵は確実だったのにな。 >>258
いや元老に関しては当時から西園寺が妨害して実現してないからないな 首相になるべきではなかったな。最初から嵌めるつもりで西園寺や山縣から推薦されたのだろうか 首相としてどうだったか、元老の可能性とか色んな見解はあると思うけど
シーメンス事件が痛かったと思う。あれで予備役になって元帥になれなかったんだから。
東郷や井上に予備役になる必要は無いよと言われたのに本人が自ら予備役になったんだからな。
歴史にIFはないけど81まで生きたのだから加藤寛治や末次ぐらい押さえるのは簡単だっただろう。 味方も多かったけど同時に敵も多かった(海軍兵学寮の頃から)
海軍の改革とシーメンスは山本権兵衛だったからできた、起きたのかもしれない。
ロンドン海軍軍縮の際財部を全面にバックアップしていればその後の海軍の歴史も変わったのかもしれない。
伏見宮は山本権兵衛に憧れて海軍軍人になったと伏見宮の子孫の方が言ってたな 元々軍拡路線のレールを作ったのは山本(加藤友三郎も)だろうが。
引退した身なんだから軍縮言える立場じゃないだろう。
発言したならば東郷以上に批判喰らうが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています