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DEAD END 1984年 - 1990年、 2009年 - を語ろう
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0001age垢版2018/09/04(火) 09:17:31.37ID:fSOI2XF80
DEAD END
中略
活動期間
1984年 - 1990年、2009年 - ????年
レーベル
中略
共同作業者 岡野ハジメ
公式サイト 公式
Website http://www.dead-end.jp/
メンバー
MORRIE (Vocal)、YOU (Guitar)、CRAZY COOL JOE (Bass)
旧メンバー
TAKAHIRO (Guitar)、TANO (Drums)、MINATO (Drums)
サポート
ツアーの不参加を表明したMINATOに代わってゲスト参加したサポートドラマー。
真矢(LUNA SEA)(Dr)、山崎慶(Venomstrip)(Dr)、下田武男(Nuovo Immigrato)(Dr)

つづく
0002名無しさんのみボーナストラック収録垢版2018/09/04(火) 09:19:51.40ID:fSOI2XF80
来歴
中略
1985年3月の大阪・バーボンハウスで行われたライヴは、デビューライヴにして470人の観客を動員。ライヴをやるたびに動員を増やしては、全国各地のライヴハウス動員記録をたて続けに塗り替えて行く[4]。
翌1986年には、"DADEMONIUM BREAK TOUR'86 Vol.1"と題しての全国ツアーを開催。このツアー直後、DEAD END結成の中心人物であるTAKAHIRO (Gt) が脱退。
後任にTERRA ROSAに在籍した状態でYOUが加入し、レコーディングに参加する[5]。
同年6月、インディーズレーベルから1stアルバム『DEAD LINE』を1万枚限定でリリース。このアルバムリリースを記念しての大阪・バーボンハウスで開かれた発売記念ギグに800人を動員。
今ほどメジャーでは無かったインディーズシーンにおいて2万枚の売上を記録し、2万枚突破を記念して制作されたピクチャー盤も予約のみで完売した[5]。
メジャーデビュー直前にドラムのTANOが病による体調不良で脱退[3][5]。
1987年5月に行われたオーディションで元SABER TIGER(北海道)のMINATOが加入し、同年9月にビクターからアルバム『GHOST OF ROMANCE』でメジャー進出を果たす[3][5][6]。
同年12月にはメタル・ブレイド・レコーズを通じて全米でリリースされた[6]。
計4枚のアルバムと1枚のライヴ・アルバムを送り出し、1990年1月に解散。当初、「MINATOのみが脱退し、バンド自体は継続する」という話になっていたが、後任のドラマーを見つけられなかったため、そのまま解散へと至った。
2009年、DEAD ENDの再結成を発表[7]。8月15日に幕張メッセで行われた「JACK IN THE BOX2009 SUMMER」のライヴステージで復活を果たす[7]。同年11月11日には5thアルバム『METAMORPHOSIS』をリリース。
2009年11月17日・11月20日に、再結成後初となるツアー「DEAD END Tour 2009 "Metamorphosis"」を開催したが、MINATOがツアーの不参加を表明したため、代わりに真矢 (ds/LUNA SEA) がゲスト参加した。
MORRIEによれば、MINATOは再結成当初から「レコーディングは全部やるがライヴはわからない」と制限付きで活動を保留していたという[8]。

つづき
0003名無しさんのみボーナストラック収録垢版2018/09/04(火) 09:25:24.40ID:fSOI2XF80
つづく

中略
2011年に再結成後2度目となるツアー「DEAD END tour "DEATH ACE 2011"」を開催する。サポートドラマーは山崎慶。
2011年11月〜2012年1月にかけて3ヶ月連続シングルリリースを発表し[9][10]、11月9日に第一弾シングル「Conception」、
12月14日に第二弾シングル「Final Feast」、翌年1月11日に第三弾シングル「夢鬼歌」をリリース。
中略
2012年3月7日、3ヶ月連続シングルが収録された約2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『Dream Demon Analyzer』をリリース[11]。
アルバム封入フライヤーにて、DEAD END Major Debut 25th Anniversary LIVE「Kaosmoscape」開催を発表。
3月10日より、約20年ぶりとなる全国ツアーDEAD END tour 2012 “Dream Demon Analyzer〜夢鬼解析装置〜”(13都市13公演)を開催[11]。
中略
2012年9月16日、DEAD END Major Debut 25th Anniversary LIVE「Kaosmoscape」を渋谷公会堂にて開催[11]。
この公演を収録したDVDとBlu-rayを12月12日に同時リリース。
2013年9月4日、トリビュートアルバム『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』がリリースされる[12][13]。
中略
2009年11月17日・11月20日に、再結成後初となるツアー「DEAD END Tour 2009 "Metamorphosis"」を開催したが、MINATOがツアーの不参加を表明したため、
代わりに真矢 (ds/LUNA SEA) がゲスト参加した。
MORRIEによれば、MINATOは再結成当初から「レコーディングは全部やるがライヴはわからない」と制限付きで活動を保留していたという[8]。

つづく
0004名無しさんのみボーナストラック収録垢版2018/09/04(火) 09:27:35.36ID:fSOI2XF80
つづき

2011年に再結成後2度目となるツアー「DEAD END tour "DEATH ACE 2011"」を開催する。サポートドラマーは山崎慶。
2011年11月〜2012年1月にかけて3ヶ月連続シングルリリースを発表し[9][10]、11月9日に第一弾シングル「Conception」、
12月14日に第二弾シングル「Final Feast」、翌年1月11日に第三弾シングル「夢鬼歌」をリリース。
中略
2012年3月7日、3ヶ月連続シングルが収録された約2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『Dream Demon Analyzer』をリリース[11]。
アルバム封入フライヤーにて、DEAD END Major Debut 25th Anniversary LIVE「Kaosmoscape」開催を発表。
3月10日より、約20年ぶりとなる全国ツアーDEAD END tour 2012 “Dream Demon Analyzer〜夢鬼解析装置〜”(13都市13公演)を開催[11]。
中略
2012年9月16日、DEAD END Major Debut 25th Anniversary LIVE「Kaosmoscape」を渋谷公会堂にて開催[11]。
この公演を収録したDVDとBlu-rayを12月12日に同時リリース。
2013年9月4日、トリビュートアルバム『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』がリリースされる[12][13]。
中略
つづく
0005名無しさんのみボーナストラック収録垢版2018/09/04(火) 09:29:14.05ID:fSOI2XF80
つづき

影響
多くのヴィジュアル系バンドがヴィジュアルやサウンド、歌詞の世界観に影響を受けている。
アルバムごとに音楽性やルックスが変化していったため、一口に「DEAD ENDに影響を受けた」と言っても、バラバラである。
ビジュアル面
『GHOST OF ROMANCE』〜『shámbara』あたりまでのMORRIEの髪を立てて、太めのヘアバンドというヘアスタイルに黒い衣装といういでたちはインパクトが大きかったため真似をされることが多かった。
サウンド面
主に『ZERO』で聞かれるクリーントーンのギターによる広がりのあるサウンドに影響を受けたバンドと『DEAD LINE』のダークでヘヴィーなサウンドに影響を受けたバンドに分かれる。
また、MORRIEの唱法に影響を受けたボーカリストも多い。
歌詞面
『ZERO』での終末観やタナトスの香り漂う表現などの影響もあるが、特に初期の「骸骨」「胎児」「串刺し」などのグロテスクな単語が後進の表現の幅を広げた。
ビジュアル面
『GHOST OF ROMANCE』〜『shámbara』あたりまでのMORRIEの髪を立てて、太めのヘアバンドというヘアスタイルに黒い衣装といういでたちはインパクトが大きかったため真似をされることが多かった。
サウンド面
主に『ZERO』で聞かれるクリーントーンのギターによる広がりのあるサウンドに影響を受けたバンドと『DEAD LINE』のダークでヘヴィーなサウンドに影響を受けたバンドに分かれる。
また、MORRIEの唱法に影響を受けたボーカリストも多い。
歌詞面
『ZERO』での終末観やタナトスの香り漂う表現などの影響もあるが、特に初期の「骸骨」「胎児」「串刺し」などのグロテスクな単語が後進の表現の幅を広げた。

つづく
0006名無しさんのみボーナストラック収録垢版2018/09/04(火) 09:32:31.78ID:fSOI2XF80
つづき

影響を与えたミュージシャン
X JAPANのYOSHIKIはメンバーとの付き合いも古く、湊の事を尊敬するドラマーの一人として挙げている[16]。
LUNA SEAのRYUICHIは自身のソロアルバム「evergreen anniversary edition」で「SERAFINE」をカヴァーした。
また「バニラ」のレコーディングにYOUが参加し、その後ツアーメンバーとして起用している。
L'Arc〜en〜CielのHYDEは「メンバーもみんなDEAD ENDが大好きだったので、「じゃあこの曲やるよ」って言うとみんなすぐ弾けるんです。」と語り、
「SPINDER IN THE BRAIN」等をライブで演奏していた。また元ドラマーのsakuraはMINATOのローディをしていた。
黒夢の清春は「今も自分がここに居るほとんどが、MORRIEさんへの憧れからですね。」と語っており、
自身のソロアルバム「poetry」ではMORRIEにゲスト参加を打診したが、「歌ってもらうのは恐れ多い」として、ボーカルではなくギターとして参加させた。
Janne Da Arcのyasuは「DEAD ENDの音楽性とアンサンブルに影響を受けた」としている。
La'cryma ChristiのギタリストのHIRO[17]、ベーシストのSHUSE[18]はDEAD ENDを好きなバンドにあげている。
Laputaのakiは、かつてMORRIEのコピーをしていたことが「今現在のボーカルスタイルの基礎になって」いると語っている[19]。
2013年に「DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-」がリリースされた際には上記のミュージシャンを始め多数のヴィジュアル系ミュージシャンが参加した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/DEAD_END_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)

おしまい。
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