和製漢語の功罪
幕末明治期に乱造された和製漢語訳語は、
結果として日常語に多くの漢語を侵入させ、
同音異義語の混乱を招いた。
(家庭の問題、仮定の問題。製糸業、製紙業。伝統、電灯。)
また西洋文化において育まれた概念を欧文脈から切断し、
強引に漢文脈に当てはめるという無理な翻訳過程を経たため、
原語の参照を難しくし、各概念につき
語源的理解を欠いた、表面的な、曖昧な理解が流布するようになった。
このスレでは、こうした問題点を洗い出し、和製漢語を相対化することで、
その功罪を正しく認識するための議論を行いたいと思う。
なお、和製漢語のおかげで国語で高等教育ができるようになった、
などというアホな意見を散見するが、
漢語だろうがカタカナ語だろうが訳語を充てた時点でそれは日本語である。
漢語を充てようがカタカナ語を充てようが、
その概念を育んだのは日本でも唐土でもない。
戦後、カタカナ語による音写が一般化したが、
そのために日本語での授業を放棄した学科が一つでもあるのだろうか。 まあ、梯と橋はちょっとズルした。2ちゃんねらーさんたちをちょっと甘く見ました。
でも、「泣く」は涙を流すことや辛い思いをすることを意味するけど、
「鳴く」は声を出してさえずることを意味するから、全然違うよ。
「1円を笑うものは1円に泣く」 声を出すのではなく、涙を出すほう。 同源ぽい匂いがするがどうだろう。現代においては意味が異なるのは確かだけど。 >>444
古文でも全く違うよ。
だから、平安時代の和歌などでもよくかけ言葉に使われる。
「泣く」と「無く」「泣く」と「鳴く」
悲しんで泣く自分と、訪ねてくる人が無いとをかけたり、
悲しんで泣く自分と、鶯が鳴くのをかけたり。
同じ意味の言葉であれば掛詞にはならない。 >>440
”昔から”と言われると‥
「梯」は両端を結ぶために設置するもので、「橋」と同義
「泣く」と「鳴く」も声を上げるという同義
「無く」と「亡く」も無くなるという同義
「然る」は「さある」だった
「荘」「僧」「宋」は漢語
「然う」は「さう」、「沿う」は「そふ」で同音ではなかった 昔でいうなら荘はシャウあるいはサウで、僧や宋とは違う >>447
>「泣く」と「鳴く」も声を上げるという同義
これは違うよ。
「泣く」は悲しみ、痛み(場合によっては喜びも)などの感情から、声を上げたり涙を流す行為。
「鳴く」は声を上げるのではなく、声を出す行為。 >>447
さらにいうと、これは語源の話じゃなくて、
同音異義語があるのは和製漢語のせいではなく、日本語そのものが、同音異義語を持っているという話でしょう?
論点を忘れたふりで、古語辞典から集めた知識をひけらかす姿勢はちょっといただけないな。 大和言葉だけなら問題と言われるほど同音異義語が発生しない >>449
やまとことばの問題に「泣」「鳴」などの漢字のちがいをもちだすのはよくない。
やまとことばは「なく」というだけのこと。
こえをあげて感情をあらわす点で同義と充分いえる。 >>452
鳥が鳴くときは声を上げて感情を表してるのではなく、
歌を歌ってるんだよ。
だからこそ、平安時代の和歌にも、「鳴く」と「泣く」が掛詞として使われてた。
違う言葉をかけるのが掛詞ですよ。 みなくちにわれや見ゆらむかはづさへ水の下にてもろ声に鳴く(伊勢物語)
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ(伊勢物語)
やまとことばでつづった歌では、
鳥や動物の「鳴く」と、人間が悲しんで「泣く」とをよくかけたものです。 分化したものであると言うのと同源であると言うのは何も矛盾が無いだろう
もっとも、根拠には欠けているがな もともと日本語は無文字社会の口頭言語としてできあがってきたもの
「とり なく」、「ひと なく」というのだから、どちらも「なく」でおなじである
支那語も当然、口頭で行われるのだから、聞き分けるのに便利なように「荘 zhuang」も「僧 seng」も「宋 song」も発音は違うようにできているもの 「掻く」と「書く」ぐらい意味がはっきり分かれてないと同音異義語じゃなくて同語だろとしか思えない 語源を探ればそりゃあいろいろあるでしょうが、
10世紀頃までにはほとんどやまとことばの意味は確定しているわけです。
その頃から、同じ音でも違う語として定着して使われていたのだから、
19世紀後半に和製漢語が入ってきたせいで同音異義語が増えたという恨み言は的外れです。 あふこともいまはなきねの夢ならていつかは君を又はみるへき(上東門院)
「泣き」と「無き」をかけています。
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき(皇嘉門院別当)
「仮寝」(自分の家ではなく、遠い旅路(旅先)で寝ること)
「刈り根」(外で寝るなら、草木が刈られたあとの根っこ近くの部分が枕)
掛詞は、同音異義語が豊富ゆえのものです。 そりゃ「泣く」と「無し」、「刈る」と「仮り」はどう見ても別語さ 日本語は音韻が単純なほうの言語だから、どうしても同音あるいは類似の語ができやすい
駄洒落天国だ
(「布団だ」と「吹っ飛んだ」は音が類似)
駄洒落を言わない人は国文学の伝統を無視するでくの坊なんだろう 和語にいくつか同音異義語がある事と漢語が夥しい同音異義語をもたらした事になんの関係が イジメの加害者はイジメをしたことをすぐ忘れてしまう
それどころかイジメをしたという自覚すらない場合も多い
しかし被害者は心身を深く傷付けられていて
苛められたことをいつまでも覚えている
「そんな昔の話水に流せよ小さい奴だな」とか
「いじめられた本人が悪い」とか言うのは
自分がイジメた被害者への責任すら感じない加害者による『二次イジメ』だ >>463
江戸時代までに使われていた語に、同音異義語がいくつかしかないと思っているんだね。
教養がないなぁ。
切る、着る、 魔、間、真
吐く、履く、箔、
愛、会い、相、藍、
花、鼻、洟、端、
得、憂、鵜、卯
蛭、昼、干る、蒜、放る
世、余、四、夜、予、
柵、咲く、作、割く、裂く、策
党、等、問う、糖、訪う、唐
挙げていけばきりがない。古語辞典をひいてごらん。同音語ばかりだよ。 憂、という言葉は、「憂し」という形容詞の語幹だったけど、
実際には、「あな、憂。」と使われることが多かった。
「ああ、嫌だ」という意味で。
斯く、書く、舁く、駆く、核、欠く、掻く、賭く、確、掛く…
「かく」も、同音語が多い。 また漢語も持ち出してくる
江戸時代でも何時代でも漢語は漢語だ
また、日本語に限らず同音を避けるためにアクセントで聞き分ける仕組みもある
あと、「会い」と「相」、「鼻」と「洟」、「割く」と「裂く」などは同源だから同音当たり前なんだろう >>467
切る、着る、 魔、間、真
吐く、履く、箔、
愛、会い、相、藍、
花、鼻、洟、端、
得、憂、鵜、卯
蛭、昼、干る、蒜、放る
世、余、四、夜、予、
柵、咲く、作、割く、裂く、策
党、等、問う、糖、訪う、唐
斯く、書く、舁く、駆く、核、欠く、掻く、賭く、確、掛く
この中で漢語なんていくつあるの? >>467
>江戸時代でも何時代でも漢語は漢語だ
漢語由来の言葉であっても、和語として用いられてきた言葉。
あなたが弊害を喚きたてている<江戸末期以後の和製漢語導入>とは無関係に、
上古・中古の時代から使われていた語ばかりですよ。 >>469
いや、喚いていなくて、途中参戦なので<江戸末期以後の和製漢語導入>は、実は何の事だかわからない
御免 スレタイを見てなかった
和製漢語だなんて特殊なものの話をしてたのか‥
じゃ参加できないわ、失礼 上代から近世日本語までの語を集め、それらを現代語読みし、アクセントは無い物とする
なるほど同音異義語は沢山だ >>472
日本語のアクセントは、高低アクセントで、>>468で紹介している通り、
単語は一音、二音の音がほとんどで、それ以上になると複合語がほとんどです。
結果として、単語が同じアクセントだらけになってしまいます。
無視ではなく、同じなのです。 大量の漢語を導入した奈良平安それ以前を恨めばよろしい
その時代から全部漢語を和語に全部消化してたのならともかく
手遅れ
クソスレ
ちょっと難しいこと、抽象概念は短くイメージしやすい漢語で
太古から押し通しているんだから
それ抜きに日本語は成り立たない
クソスレ
クソスレ 和製漢語の枚挙に遑が無い程多量な同音異義語が日本語に会話での学問の困難さと駄洒落作成の簡易さを提供してくれる ★新字バカAKIのマヌケ發言その1
>白川静…漢文学者、中国史家
>つまり中華思想の持主。日本を中国の属国にしたくてそう言ってるんでしょ。
>結局、繁体字大好きなのは、中華思想にとりつかれて、日本を見下している連中。
★新字バカAKIのマヌケ發言その2
>世界中の傲慢な華人(漢民族)や、香港等でも使われている「中国国語」の文字が繁体字。
★新字バカAKIのマヌケ發言その3
>繁体字というのはシナ文字のこと。
>朝鮮でも日本でも、繁体字はあくまで「古代文字」に過ぎない。
★新字バカAKIのマヌケ發言その4
>語法や文法を効率よく説明するためには、既存の文章を探してくるのではなく、ピンポイントで説明できる文を自分で作ってあげるのが一般的です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その5
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その6
>支那国語表記における正しい書体が、日本国語表記における正しい書体とは言えないことは>両国言語の構造の差異を解するものであればまず否定しえぬ事実ではないか。
大漢和辭典
【正字】セイジ→字畫のただしい文字。もとの字。本字。俗字・譌字・省文即ち略字などの對。
【正體】セイタイ→ただしい形の書。正しい書體。
★新字バカAKIのマヌケ發言その7
>大漢和辞典ということは、それらは日本語ではなく漢語だということか。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その8
>現在の国語教育の乱れは、漢字の増加によるものかもしれない。
「北海松贇,性剛烈,重名義,為石門府隊正。大業末,有賊楊厚擁徒作亂,來攻北海縣,贇從郡兵討之。」
★新字バカAKIのマヌケ發言その9
>北海の松(河)に贇は住んでいた。
>大業年間の末(615年頃)に謀反が起こり、楊(おそらく煬帝)にとても寵愛を受けていた人物が協力して乱を起こした。
★新字バカAKIのマヌケ發言その10
>台湾繁体字は平均的な日本人でもわかるような過去になかった
新字バカAKIのマヌケ發言その11
>台湾繁体字台湾繁体字とわめいているが
>それを見ている我々に使用フォントを代えろと一度たりとも言ったことがない
>フォントを切り換えると日本の漢字と台湾繁体字とは違う字がどっさりあるんだが
★新字バカAKIのマヌケ發言その12
>支那人って漢族の事なんだけど?
★新字バカAKIのマヌケ發言その13
>鮮卑も匈奴も蒙古、満州の民族な。
>繁体字は蒙古(満州)が建てた清王朝の時代に整備されたモノ。
★新字バカAKIのマヌケ發言その14
>褌とは、現代では常用する人間が少ない、一般的には常用が受け入れられないものの象徴。
★新字バカAKIのマヌケ發言その15
>スレを絲(糸)と表記するのは問題ですね。
>スレは章、欄、題などでなくては。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その16
>世界史と日本史のどちらかを選択するということは不可能だろ?
>世界史の代わりに日本史とか、日本史の代わりに世界史という選択はありえない。日本の高校なら。
★新字バカAKIのマヌケ發言その17
>「〜がごとし」を「〜が若し」と書いたら間違いとされ、「〜が如し」のみが使われる
★新字バカAKIのマヌケ發言その18
>日本では繁体字は正字にはなりえない
痴呆老人無知AKI婆は死ぬしかない。 このスレが建てられた当時に比べて中国の影響力は増大し、
日本の衰退が激しいけど、10年もすれば和製漢語を恥ずかしいと思う
日本人が多数派になるのではないだろうか
日本人が中国で働くことも当たり前になるだろうし >>480
中国の王毅外相が11月に来日した時に
「遣隋使や遣唐使の時代に日本は中国から多くを学び、
近代では日本が創作した大量の単語が中国の西洋への接触を助けるものとなった」
とまで言っているのに、なぜ和製漢語を恥じる必要があるんだよ 和製英語が歩んだ道を和製漢語も歩むだろう
つまり何も起こらず、少しずつ増えていくだけ
無教養者の拵えた文法のおかしな語を気にするのはごく一部だけ 大陸でも無理やり外来語を中国語に訳してるのだから日本が同じことしてもよくないか? 関西弁では箸、端、橋はアクセントで3語とも区別できる。
これを「はし」と仮名で書くと区別できないが漢字で書けば分かる。
和語を漢字で書くのは潜在的なアクセントまで分かるからだろう。
支那語がローマ字化しないのも方言が多いことと四声の区別まで表せることが大きいと思う。
古代日本語にアクセント型がもっと多かったら同音異義語も区別できていただろう。 声調の廃れにより分かちが朧になったのだよ。
しかしこれは言語としての移り変わりであって受け入れねばならない。 漢字はアクセントどころか読みすら示していないだろう。 英語を含め外来語の翻訳に和語を用いなかったのは名詞でありながら動詞にもなる利便性があったから
既に明治期には和語の造語も巧くない学者が多く居て漢字造語の術に頼る他なかった
国民も和語の造語より漢字造語のほうがより頭に入ってきて漢字及び漢語の侵蝕は底知れず蔓延っていた
英語の訳語に用いられた漢語などは今また回帰という形で音写された語、即ち横文字が多く用いられている