文語体を試むるのスレ
古文学習の一手として、文語体で作文を試みてはいかがだろうか。
文語体:
平安時代の京の貴族階級の口語をもとに、以後の言葉の影響も受けながら形成された。
明治20年代に一部の文学者によって始められた言文一致運動により、大正期・昭和期
を通して、和漢混清体、漢文訓読体や欧文直訳体、和漢洋調和体など新たな文語体が定
着していったが、実際には明治期後期までは文語体はあくまで平安時代(とりわけ10〜
11世紀)の文法体系に基づくものであった。 文語文では現代のあつて文語には無い概念が數多くあるので、中々現在の體樣を文語文で表現するのは難しいのでは無い歟。 「現代のあつて」てふはいかなる意味にてか侍らむ。
「現代にあつて(現代において)」のいひまちがひなるか、さらざれば「現代的口語文にはありて」の意か。
もしくはそもそも日本語にて文を作るあたはざる者の書きしものか。 「いひまちがひ」は現代口語の旧仮名遣いにてあらはさるものなれば、「いひたがへ」にあらためたまへむ。 「あらはさるもの」もいひたがへなり。
「あらはさるるもの」にあらためたまへむ。
文語てふはいかにも易からぬものなり。
あひかまへてこそ臨むべからめ。 秋のはじめになるに、四条兵部卿のもとより、「つぼねなど、あからさまならずした
ためて出でよ。よさり、むかへにやるべし」という文あり。心おぼえずおぼえて、
御所へもちてまゐりて、「かく申して候ふ。なに事ぞ」と申せば、ともかくも御返事なし。
御所さまの御けしきなればこそかかるらめに、又さしいでむもおそれある心ちすれども、
いまより後はいかにしてかと思へば、いまは限りの御おもかげも、今一たび見まゐら
せむと思ふばかりに、まよひいでて、御まへにまゐりたれば、御まへには、公卿二三
人ばかりして、なにとなき御物がたりのほどなり。ねりうすものの生絹のきぬに、す
すきにつづらを青きいとにてぬひ物にしたるに、赤色のからぎぬを着たりしに、きと
御覧じおこせて、「こよひは、いかに。御いでか」と仰せごとあり。
なにと申すべき言の葉なくて候ふに、「くる山人のたよりには、おとづれんとにや。
あをつづらこそ嬉しくもなけれ」とばかり御くちずさみつつ、女院の御かたへなりぬ
るにや、たたせおはしましぬるは、いかでか御うらめしくもおもひまゐらせざらむ。 こころむるとは何の謂ぞ、こころみるではないかいな
嗚呼それ、それ‥たまへむ、たまへむ なほざりに、ものいひふれ給ひにしあたりあたりにも、今一度づつと思して、思し立ちたり。 いぎたなき人は、見たまへむにつけても、なかなか、憂き世逃れがたう思うたまへられぬべければ、
心強う思うたまへなして、急ぎまかではべり 仰せ出だされ候趣、国人ならびに百姓共に合点ゆき候様に、能々申し聞すべく候。自然、相届かざる覚悟の輩これ在るに於ては、城主にて候はば
センター試験の日本史Bには、史料問題が毎年必ず出る。
歴史的知識がなくとも、古文を読むことができれば解くことができるサービス問題。 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
さはいへいつか冬の来むずる。 正字正仮名で書くスレッドが見当たらないからここで書かせてもらおう。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。晝になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
さはいへいつか冬の來むずる。