共に生きる・トブロサルダ 大阪コリアンの目
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共に生きる・トブロサルダ
大阪コリアンの目/218 /大阪 毎日新聞2018年6月1日 地方版
◆子どもの虫歯治療
食生活の乱れ、浮き彫り 子育て支援、多文化共生の視点を
子ども食堂のスタッフから私に「フランセル、歯が痛いと泣いていますが、どうしましょうか」と、電話が入った。
フランセルは私が見守りを続けている家庭の子。せっかくの週に一度の夕食会も何も食べられなかったらしい。
いったん自宅まで連れて行ってもらえないかとお願いした。夜間の仕事に出る母親に代わり、救急歯科に私が連れて行くことを伝えた。
他の仕事を終えて私が家に向かうと、母親はもういなかった。母親との電話で、前から痛がっていたこと、
でも病院に連れて行けずにいたことなどを聞いた。慣れない日本で、フィリピン出身の母親が一人で子育てと仕事に奔走していた。
この家庭にはフランセルの上に小学生の兄がいて、遅刻や欠席が多いことから学校と連携し、見守り活動を始めた。
病院に連れて行くために保険証などが置いてある場所を尋ねる。でも、的を射ない答え。
あると思われる場所を教えてもらい、引き出しを開けたりしたが見つけ出せなかった。
とりあえず無保険のまま、支払いを私が立て替えることにし、緊急歯科診療にフランセルを連れて行った。
診察台に座らされたフランセル。歯医者は初めての経験。「怖い」と泣き始めた。
看護師とともに押さえると、小さな体にぐっと力が入った。「カバのお口みたいに開けてごらん。
そうそう、うまいよ、その調子やで」。歯医者さんの優しい言葉がフランセルの緊張を少しほぐしてくれた。
重度の虫歯。それも何か所も。迷いなく麻酔が打ち込まれた。黒く解け落ちた奥歯を措置しながら、
歯医者さんは「相当痛かっただろうね」と話した。「お父さんですか?」と私に尋ねてきた。
ソーシャルワーカーだと伝えると、あくまでもこの日の対応は緊急で、かかりつけの歯科医にきちんと診てもらうよう親に伝えてほしいと言われた。 >>1
子どもの生活状況を知りたい場合、口の中をみることがある。虫歯が目立つ子は食生活の乱れ、偏食が背景にあり、
また歯みがきができていないことから、親との関わりが垣間見えたりする。フランセルもその事例にあたる。
後日確かめると、お兄ちゃんも歯茎が腫れる歯周病を患っていた。
2人は今、近くの歯科医に通院している。その際には母親も一緒で、心がけてほしいことを歯医者さんから教えてもらっている。
ただ、決して子育てを怠けているわけでも、子どもたちに無関心なわけでもない。生活費を稼ぐことに手いっぱいになっているだけだ。
ひとり親で子育てをするのは、日本人でもたやすくない。それが外国人ともなれば、さらに難しい。
その後、保険証を探し出せたが、ひとり親家庭への支援制度である「ひとり親家庭医療証」はもらってなかった。
制度があっても言葉の壁などで周知が十分に届かず、公的サービスから外国人家庭がこぼれ落ちる典型的なケースだといえる。
地域における子育て支援の充実にも、やはり多文化共生の視点は欠かせない。
<文と写真 金光敏(キムクァンミン)>
■人物略歴
1971年、大阪市生野区生まれ。在日コリアン3世。特定非営利活動法人・コリアNGOセンター事務局長。
多文化共生、人権学習の教育コーディネーターを務め、さまざまな子どもたちを支援するソーシャルワークにも取り組む。
https://mainichi.jp/articles/20180601/ddl/k27/070/362000c ◆「光州事件」から38年
民主化抗争の精神、今も 継承へ新憲法前文記載も
https://mainichi.jp/articles/20180518/ddl/k27/070/319000c
5月18日の今日、韓国・光州市で民主化を熱望する市民が銃剣で踏みにじられた「光州事件」から38年目を迎える。
1980年、クーデターで全権掌握した全斗煥(チョンドゥファン)は、高まる民主化の機運を抑えつけ、
特に激しく軍事独裁体制に抵抗した光州市民を、国軍を投入して鎮圧した。
事件による市民側の犠牲者はわかっているだけでも160人を超える。
実際にはもっと多いとされるが、遺体がどこにあるのかわからず、
国立5・18民主墓地には遺骨なき墓碑が並ぶ一角がある。
この光州事件について韓国政府は長らく「背後に北朝鮮がいる」とし、これに関わる人々を弾圧の対象とした。
政権に盾突く者を「アカ」呼ばわりし、本人だけでなく家族までもが職場を失ったり、地域社会が後ろ指を指されたりしたのだ。
真相が語られるようになったのは全斗煥政権のしゅうえん後。
ただ、その後も軍事独裁の加担勢力が政権内部に残り、完全な究明と
「光州民主化抗争」としての名誉回復は金大中(キムデジュン)大統領の誕生によって本格化した。
次の盧武鉉(ノムヒョン)大統領と続く革新政権によって被害者の法的救済が進み、
社会として教訓化していくためのさまざまな整備が進んだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています