イエス・キリストは実在の人物なのか???
そもそも考古学とは個人の存在を証明す学問ではないから 当たり前 イエスさんの墓はあるが、イエス・キリストの墓は発見されていない。 キリストかどうかは兎も角イエスは実在したと思ふ ただ理想化・神格化されすぎ ジーザス(イエス)という名のキリスト教改革派のリーダーは実在したろ 遺骨ない事か非存在の証拠になるなら 過去存在したほとんどの人間が存在してないことになる キリストの死後30年後位に使徒によって書かれた文献に出てくるのが最初らしい なんとも言えない絶妙なライン 【終らせよう、皇室″】 菅でも、安部でもない、原発の真の責任者は、東電の大株主、天皇ファミリー http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528942489/l50 世界教師、マイトLーヤが来る前に、死刑とセットで廃止しよう! イエス・キリストが生存してた時代って沢山偽メシアがいたんだろ。だったら、そいつらのエピソードのツギハギがイエス・キリストの正体なんじゃないか?を 現代のキリスト教では人間イエスが存在したことは実証できないという立場から 信仰が成り立っているはずなんだが もし、イエスが実在した証拠がある!という事をいう神父・牧師が居たら注意したほうが良いね カルト化してるかもしれない いや人類史の中に、そういう思想家、哲学家、まあ宗教家が人間として実在した事は当然のこと その人格の尊さを称えるのは良いが、その人物を異常に神格化したり教会権力がそれを利用するのが問題 複数人だったかもしれない 要するに、新約聖書を通じて信徒がどのような信仰を得られるか、だけが重要なのであって 哲学や思想ではなく、宗教であり、信じる人間のあらゆる苦しみに対して救いができなければならない 従って、信徒にとってイエスが神格であり、超越者でなければならないのだよ それは彼らの内心の自由であり、俺ら非信徒には全く関係のない話だ しかし、イエスが実在したということを実証的に示したふりをする教会があればそれは、ほぼ異端かカルトだよ つーか、新約でイエスは神の子として描かれているし、神とは旧約の神だよ ここではイエスが実在の人物だったか?これがテーマだろ キリスト教徒の聖書や教会にとって云々、宗教として云々ではない つまりここでは人間としてのイエスが昔地上に存在したのかどうかがテーマだ 考古学的な事やキリスト教以外の記録・文献も関わるだろう 歴史的な人物だとクレオパトラは、本人の遺骨は見つかっていなくても妹の遺骨なら見つかってるし。イエスは謎が多すぎてな。 それだとローマから派遣された総督が死刑に反対したのはどうなの? もっとも反対理由は宗教の内ゲバで処刑とはまずくないか、という凡そ信心とは関係ない代物だけど。 ややこしいのは、イエスって名前は、ありふれた名前だったわけだな。 日本で言えば、太郎とか一郎とか剛とか宏みたいな名前だから。名字だったら、佐藤とか斎藤、鈴木みたいな感じで。 イエスさんのお墓は、沢山あるわけ。 ユダヤ教徒で、イエスと名前の死刑囚が複数いても不思議はないだろうし。 実際、新訳聖書には、死刑にするのはバラバのイエスか?それともユダヤの王のイエスか?って場面が書かれている。 >>たっけい【磔刑 crucifixion】 特に古代の地中海地域において広く行われた処刑の形態で,はりつけともいう。主に政治犯,盗賊,奴隷などに 対して,またローマ帝国では市民権を持たない犯罪者に対して執行された。 受刑者を刑柱にくぎで打ちつけるかひもで結びつけ,拷問(むち打ちなど)を加える。歴史的には,ペルシアのダレイオス1世により前519年にバビロンで政治犯3000人が,後30年ころにナザレのイエスがエルサレム郊外で処刑された例が有名である。 >>30 だから、イエスの存在は実証出来ない、で終わってるだろ キリスト教世界が既にそうなってるんだから論じる必要もないだろ 諸説多々の題材だし、浅い知識と思考で浅はかに結論づける事はすべきでないかもしれない >>36 の様な、「これ以上語る必要も無い」的な御仁はこのスレに参加する必要も無いだろう 苛立つだろうし覗く必要も無いのでは? イエスの実不在について様々な意見・所見を語りたい人が語るのは自由なんだしその為のスレだ 新訳聖書を読んでると不可解なんだよな。イエスってダビデの血筋?だろ。 ダビデの血筋の人間が地元で無視されるか?。ファリサイ派の連中とのやり取りを見ると、ダビデの血筋とは思えんのだが。 それに、イエスの家系図にアビウドという謎の人物が書いてあるし。 ダビデの家系にアビウドという人物はいないぞ。これは、旧約聖書の歴代誌上を読めばわかる。 イエスの存在証明はイエスを救世主として信じる人間にとってのみ意味がある しかし、クリスチャンの世界では(異端は除く)証明できないとされている 従って「イエスは居なかった」 それ以上、非クリスチャンが語ることなど微塵も残されていない こんな簡単なこともわからない人が何を「論」じることが出来るの? 出来ないよね 旧約聖書の歴代誌上によるとダビデの家系図は。 ダビデ〜ソロモン〜ペダヤの子は、ゼルバベル、シムイ。ゼルバベルの子はメシュラム、ハナンヤ、彼らの姉妹シェロミト、それにハシュバ、オヘル、ベレクヤ、ハサヤド、ユシャブ・ヘセドの五人。 どうでもいいけど、彼らの姉妹シェロミトってところが気になるな。姉妹って、ことは二人いないと駄目だよね。姉妹なのに、なんで、一人なの?。最初はうち間違いかと思った。謎の表現だな。姉妹なのに、シェロミト一人。 イエスはダビデの血筋じゃないよ マリアが処女懐胎したのがイエスであって、ヨセフの血は入っていない 不可解なのは当然で、ファンタジーだからだよ 新訳聖書のマタイの福音書によると。 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾル。 ちょっとまて、アビウドとは誰か?。 ダビデの子というのは、救世主(メシア)という意味も含まれてるらしい。救世主って意味のダビデの子なら、ダビデの血筋である必要がないけど、家系図を書いてる以上は血筋がつながっていなきゃおかしいよな。 旧約聖書も突っ込みどころ満載だけど、新訳聖書も最初の家系図からして間違ってるし。 >>ダビデの子(子孫)とは、メシア(キリスト)を指す称号です。それには、以下のような意味があります イエス・キリストってハリウッドの謎の映画監督のアラン・スミシーみたいな者じゃないのか?。 イエス・キリストの存分を証明するよりも、ゾロアスター教の開祖のザラスシュトラの存在を実証する方が容易かもしれない。 >>40 複数だから姉妹なんじゃなくて姉か妹かはっきりしないから姉妹なのでは? 同じ矛盾でも、仏教の矛盾とキリスト教の矛盾は意味が違うから。 仏教の場合は、応病与薬だから矛盾しててもいいし。てか、矛盾してなきゃおかしいのが仏教だから。 だって、人の症状に合わせて薬をだすから。 当時イエスと敵対する立場の存在による文献などもイエスの実在を考察するのに参考になるな。 知恵袋からの引用 >>少し修正します。 何が何でも護教に捻じ曲げる、ペテン牧師の下は嫌なので引っ越しました。 確かに、聖書学者の多くは 「イエスのモデルになる人物が実在しただろう」とは言っていますが、客観的な証拠はありません。 シャルル・ギニュベールベール(ソルボンヌの キリスト教歴史学教授)は、福音書に登場するイエスはティベリウス帝の時代までガリラヤで生きていたと 主張していたが、イエスの存在の 証拠としての非キリ スト教の資料は、低く評価しており、「異教徒やユダヤの、いわゆる証言は、イエスの生涯に関するなんらの情報も明かしてはくれず、イエスが生きていたとい う確認すらできない……」と述べている シャルル・ギニュベール『Jesus(イエス)』 原文フランス語、S. H. Hooke, Samuel Davidson による英訳(University Books, New Yory, 1956, p22) 知恵袋からの引用 >>また、福音書のイエスは福音作者によって創作されたものであり、歴史的人物ではない。 そもそも福音記者たちに「史的イエス」に関する興味はほとんど なかったという説である ルドルフ・カール・ブルトマンは、1921年の『共観福音書伝承史』 のなかで「原始キリスト教の信仰において本質的なことは、『宣教のキリスト』すなわち原始キリスト教団によって宣教(ケリュグマ)されたキリストなのであって、必ずしも『史実のイエス』ではない」という学説を唱えた。 聖書学者の荒井献は、5福音書を相互に比較すると、各福音記者が等しく 同一人物であるはずの「ナザレのイエス」について記しているにもかかわらず、それぞれの福音書に 描写されるイエス像は互いに相当異なっており、全体として多様であることを指摘している。 テュレーン大学の数学教授であったウィリアム・ベンジャミン・スミス(1850-1934)は、1894年の"Ecce Deus: The Pre-Christian Jesus"から 1954年の"The Birth of the Gospel"までの一連の著書の中で、最初期のキリスト教資料(特にパウロ書簡集)は、キリストの聖性について人間個人の犠牲に 重点を置いており、人間としてのイエスが存在したとするならこれは考えにくいことであると主張した。 知恵袋からの引用 >>イエスキリストは存在しなかった存在したのは、革命 ●「イエス・キリストは 実在したのか?」 カリフォルニア大リバーサイド校創作学科准教授。/ アスラン,レザー 救世主(キリスト)として のイエスは実在しなかった。いたのは、暴力で秩序転覆を図った革命家(ゼロット)としてのイエスだった。 ●ジョエル・カーマイケル 、イエスはみずから 「ユダヤ人の王」としてローマの支配体制に抵抗し、最終的には武力革命の興起を試みた結果、当時のアンチローマ・ラディカリストである 「ゼーロータイ」(熱心党)の1人として、ローマ帝国の派遣したユダヤ総督によって磔刑に処せられた、という解釈を施している しかし、キリストの存在を証明できる客観的資料は皆無です。 イエスという人物が存在したと してもイエスキリストは存在しなかったでしょう。 確かなものは無いです。 。 知恵袋からの引用 >>イエスの名前が初出するキリスト教外の文書では、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』(18:63)やタキトゥスの『年代記』などのごく一部に イエスに関する記述があるが、前者は後代の加筆を疑われており、後者は同時代史料でないばかりか、キリスト教徒(「クレストス」を開祖とする宗教) に言及したものである。したがって、イエスの実在性の根拠とするには問題を含んでいる。 ●●ヨセフスの古代詩も後世の加筆が指摘されています。●● ●●実際に、彼を人と呼びことが許されるならば− と 彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。 ●>は 明らかに後の書き加えの疑いがある。 つまり写本の書記が説明として追記したものが、誤って本文として残された このくだりはヨセフス自身が 書いたものではない表現が使われている、と解釈されている。文法的な解析の結果、このくだりと、その前後の 文章とには明確な違いがあり、ヨセフスのような非キリスト教徒が著者だと考えるとつじつまが合わないということが明らかになっている。 いずれもイエスの死後から70年程たっており、また、イエス自身を 知らずにも 書ける内容でして、イエスの実在の明証とはなりえないのです。 ●キリスト教団の護教屋は無視するが、初期の教父たちの証言もあります。 >真理でありながら、民衆が知っても無益である事柄が多い、そして、間違っていても、民衆が信じれば都合がよいことが確かにある 聖アウグスティヌス「神の国」(服部栄次郎訳、岩波書店)。 知恵袋からの引用 >>カイサリアの司教であった、キリスト教の土台作りに参加したエウセビオスは、教会史の中で、新約聖書の福音書は、実はエッセネ派が著した古い劇的 な文書であったと述べている。エウセビオスは、エジプトにいたテラぺウタイについて次のように述べている 「これら古代のテラぺウタイはキリスト教徒であり、その文章がわれらの福音書と使徒書簡であった」 2世紀の弁証家、歴史家ユスティヌスでさえ、確かに、古代人の間で伝えられていたことの何もかもが 「今ではキリスト教徒のものになっている!」とみとめている。 「先取された盗作」を口 にさえして、キリスト教会が承認する何世紀も前に、悪魔が我々の儀式、教議を盗んだと非難し、自作の盗作の証拠を消し去るために、、異教の全記録をできる 限 り破壊したのであった。 初期キリスト教の強力なライバルだったミトラ教に関する書物は全て破棄された。ローマの アポロン神殿付属図書館は火を放たれ、焼失 した。古典学者サー・ギルバート・マレー エジプト神話からも多くを模倣しているようです。 BC3000年頃、ホルスが処女イシスから飼い葉桶の中に生まれたのも12月25日だった。彼の誕生は東方の星によって宣言された。ホルスは12歳のとき 神殿のなかで教え、またのちに頭部を切断されるアヌプからエリダヌス川 で洗礼を受けた。ホルスは水上を歩くなどの奇跡を見せた。 6..ラザロを蘇らせた記事 死者の復活はエジプト宗教に原型があるのではないでしょうか? 知恵袋からの引用 最後 >>その結果、もともとのヨセフスの文章では、イエスというキリストを名乗る者が、奇跡行為を通じて多くの信者を獲得し、ユダヤ当局によって処刑された。>福音主義の御用・護教学者の一仮説にすぎない。 何も面白くない 天照大御神は卑弥呼のことだった!みたいなの見て下らないと思わんの? 興味深い。今後、双方の立場から色々な説や文献の一部などが出てくるのが楽しみです。 非キリスト教徒が書き残しているのはある程度信憑性があるよな 一番とんでもなく熱心に研究してるのはクリスチャンだろうからなぁ イエス・キリストは存在する派と存在しない派だったら、俺は存在しない派の人間だから。 イエス・キリストが存在するとする資料が乏しすぎるし。例えば、孔子が存在する証拠として、いまでも孔子の子孫の家系図は存在するし。 じゃあ、イエスが他の宗教の経典に出てくるかと言えば出てこない。 これだけの人物なのに、ユダヤ教徒の間の伝承としても出てこない。 イエス・キリストが実在の人物だとする証拠に聖骸布があるが、これはかなり怪しい。そもそも、こん聖骸布は十字軍のリーダーの物じゃないかと言われてるし。 聖骸布は科学的調査もされ布・繊維の製作された時代からしてイエスの死後10世紀以上経ているとの結果も出ている 聖骸布を今やイエスの実在した証拠として考えている人は研究者にも少ないし実在した証拠として当てにもされていない …一昔以上前の話題 おー伸びてる伸びてるw 2週間で60レス越えるのはこの板では勢いある方 興味をひく題材だもんな… 聖骸布の布の古さに関しては今でも諸説がある様だが、どの様にしてこの布にイエスの姿が写ったかは全く解けていない X線調査、紫外線テスト、波長解析、それらの上で結局は原因不明 約120時間の調査が行われたが、その理由については謎のまま 死んだら即忘れられるお前らがメシアの実在を疑うとは、、、 ここでしているのは人間イエスが実在したか、という話であって、 メシア、救い主、神の実在という話ではないからね イエス・キリストという人物は実在しない ということは調べるまでもなく明白なんよ? イエス・キリストとは「イエスが救い主である」ということを表した言葉だからね 信仰告白の意味が含まれるのであって、単なる人間イエスという意味ではない 当然、人間イエスの実在すら証明できないのだから、一般的な科学的真実としてイエス・キリスト(メシア)の実在なんぞ証明できない 例えば、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ)は仏教の経典にもでてくるが、イエス・キリストでこういう話はあまり聞かない。 これだけの人物なのに、伝承もあまりないのは不自然だし。 >>69 そこを間違えてはいかんよな 原始キリスト教ともいうべき教え・思想・宗教を布教したイエスという人間 その人が大昔にあの辺りに実在したのかどうかを検証したり語ったりするスレだ 所謂キリスト教の神を語るスレでも神的なキリストについて信仰心や信仰的視点で語るスレでもない ヘブライ語、アラム語、古代ギリシャ語なんかが読める人居るの? 読めなきゃ検証なんか出来っこないよね イエス・キリストが実在の人物だと証明する唯一の証拠が聖骸布。 。この聖骸布は測定してみると、キリストが生きてた時代の物じゃないって聞いてる。 それについては測定法がおかしく検証し直した話もあるな ただ昔から様々な噂の飛び交う聖骸布をイエスの存在を証明する唯一の物として決定づけている…という見解はオフィシャルなものではないだろう 学者も本当は、イエス・キリストが実在したとは思ってないのかもしれないけど、イエス・キリストが実在しなかったなんて言えないんだろうな。 欧州では、キリスト教にたいする信仰心なんて年々低下してるのにイエス・キリストが存在しないなんてことになると、それこそキリスト教にとって壊滅的なダメージになるし。 何度も言うが、現代の神学は「イエスという人間の存在は実証できない」 という認識のもとに構成されてる。 イエスが居ても居なくても、信仰は成り立つということ。 アメリカの大半のアホなキリスト教徒とかは、イエスは居たと思っているだろうが、そういう話ではない。 何度も言うが、このスレは神学の立場も信仰も関係無く「イエスという人間の存在が実際にあったのかなかったのか」 というテーマのもとに自由に意見を述べるためのスレだ。それを前提に参加する人は参加する。 勿論、その提示するロジックにより、キリスト教の信仰が成り立つかどうかという発想も全く必要無い。 イエスがいなかったと思ってる連中は、地球が丸くて宇宙空間を飛び回り、人間は猿から進化したと思っている、盲目な唯物論者だろな >>84 で、あなたはヘブライ語、アラム語、古代ギリシャ語の史料を読みこなせるの? >>84 違う。全く話がわかってない。 クリスチャンにとっては人物イエスの存在が証明された方が望ましい。 しかし、あらゆる古代語、考古学の研究者が史料を調べ尽くしても実証できない。 新史料が発見されるまでは諦めるしか無い。 従って、クリスチャンは実証できないものの聖書から読み取れる範囲で信仰をするしかない。 という状況のことを言っている。 結論としては、イエスは実在の人物であることは証明できない。 古代の言葉に素養のない人たちがいくら調べても見つけることは不可能だろう。 一次資料を調査できない人間が、日本語に翻訳されたものを読んだって、 同じ結論に至るだけ。 それらすら読みこなせるか怪しいものだが。 しかも、人物が「イエス・キリスト」であるかのような基本中の基本的な認識すら間違っている。 一体そこにどんな正しい議論が成り立ちうるのかな。 自由とおっしゃるが、 それは21世紀の現在に、「お空は丸い天井ですよ!お星様は天井の穴です!」というくらい ただの好き勝手と言う意味にしかならない。 真っ暗闇の限りない迷路を彷徨うだけだ。 まったく筋の悪い話だと忠告しているのだよ。 VIPとかなんJとかの板でバカ話としてトンデモ論やるのは止めないが。 様々な二次資料や話、その他からジーザスの実際の存在を自由に考え述べる場があるという事は良いことだな。 ここは学会でもないし2(5)ちゃんらしい自由な場だ。ヘイトレス溢れる匿名掲示板の中、良いスレだ。 知的好奇心をバンバン発揮して遠慮無く、考えがある人は存分にカキコすれば良い。 様々な二次資料や話、その他からジーザスの実際の存在を自由に考え述べる場があるという事は良いことだな。 ここは学会でもないし2(5)ちゃんらしい自由な場だ。ヘイトレス溢れる匿名掲示板の中、良いスレだ。 知的好奇心をバンバン発揮して遠慮無く、考えがある人は存分にカキコすれば良い。 おっとダブるタッチしてしまった、大切な事だから二回ということで(笑) 俺などはイエス・キリスト仏教徒説なんかにも興味がある イエス・キリストの生涯に「空白の17年間」という謎の期間がある この間、イエスが13才頃からインドを放浪して、その間に仏教に触れその教えを受けた可能性ね 『聖イッサ伝』等には、イエスはバラナシ、ジャガンナート等インドの地で仏教の説法をしたのでヒンドゥー教等に睨まれた そして危険回避の為ヒマラヤ山脈に隠れたとの記述もあるらしい 大人になったイエス・キリストが広めた宗教の基に上座仏教があり、ユダヤその他の教えとの一部融合も計りつつ説法した、とかね >>91 その説に興味がある 確かドイツ人だったかが研究して出した本が話題になったことがある 日本にもそれより前(40年前後くらい前)に「キリスト教は仏教」みたいな本が出てた >>92 日本のはこれかな 『仏教とキリスト教―イエスは釈迦である』(1973年) (レグルス文庫〈29〉):Amazon.co.jp: 仏教自体はカスピ海あたりまで広がってたから、何らかの形で話が伝わってても不思議はないな。 新訳聖書の外典を予約したから、そこにイエス・キリストの正体を知る手掛かりがあるかも。 イエスが水の上を歩いたって話も元ネタがあるのかね。 read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる