ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」                                                                   
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。