もんじゃ焼き(もんじゃやき)は、ゆるく水溶きした小麦粉を鉄板で調理して食べる東京近郊のローカルフードである。
単にもんじゃと呼ぶほか、地域によって異なるさまざまな呼称がある。

概要
いわゆる「粉もの」料理の一つで、小麦粉を水に溶き、鉄板の上に流して焼く料理である。
お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、
加熱後の鉄板上においても糊状で固形化しないのが特徴である。
鉄板にへらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する部分は程良く焦げた状態で歯ごたえもあるが、
押さえつけによる加熱が足りない部分などは粘った状態となる。

歴史
文政2年(1819年)刊の『北斎漫画』に「文字焼き屋」の挿絵があり、
この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことがわかっている。
焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字(もんじ)焼き」と呼ばれ、これが訛って「もんじゃ」となったとされる。
現在に繋がるもんじゃ焼きのスタイルは戦後の昭和20年代に誕生し、東京都台東区浅草近辺が発祥地とされる事が多いようである。
当時盛んであった隅田川の物流、近代開通した地域の大動脈である東武伊勢崎線、旧奥州街道である国道4号などの集積地である
この付近を基点に、関東の他の地域に伝播したと言われている

駄菓子屋ともんじゃ焼き
東京・下町の駄菓子屋には、昭和40年代ころまでは大抵もんじゃ焼きの鉄板があった。
昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、ソースや醤油で味付けしただけのものが多かったが、
昭和30年代になるとキャベツや中華麺などの具材が加わるようになっていった。
武田尚子は自著において、1960年代頃までにみられた初期の形態を「子供もんじゃ」、  
1950年代に誕生した切りイカ、桜えび、肉などの具材が伴うものを「大人もんじゃ」、  
1980年代以降にブームとなった餅、明太子、チーズなど新しい食材を用いたものを「革新もんじゃ」と分類している。
もんじゃ焼きは東京の子供達に広く親しまれていたが、食文化や嗜好の変化もあって、提供する店が激減している。
それでも下町の一部にはまだ1杯あたり80円〜300円といった昔ながらの価格で提供する駄菓子屋もんじゃも残存している。