低学歴や貧乏育ちはクズ曲しか作れないww
低学歴や貧乏育ちは声やセンスが良くないし、金儲けの事しか眼中にない だから同類の低センスの低学歴や貧乏育ちを分かり易い歌詞やメロディで大量に釣り、金だけ稼いで満足してる 声やサウンドが心地良いガチで良い曲は、センスや素養の乏しい低学歴や貧乏育ちには作れないんだよねww 10月9日、POLYSICSのニューアルバム『In The Sync』と、The Vocodersの 1stアルバム『1st V』がリリースされた。2月3日にホームページ上で、2019年は POLYSICS(以下、ポリ)とThe Vocodersの2つのバンドとして活動していくことが アナウンスされ、それぞれのバンドで4月からの半年間に5作の配信シングルをリリー ス。本稿では、POLYSICSのハヤシ、フミの2名にインタビューし、ハヤシが曲作りに おいて悩んでいた時期の話や、The Vocodersが始動したことで改めて見えてきた POLYSICSのやりたいことなどについて語ってもらった。(編集部) フミから「曲作りやめない?」って言われて(ハヤシ) ーー同一メンバーによる別バンド(POLYSICSとThe Vocoders)が同時にアルバムを出すということはなかなかないと思いますが。 ハヤシ:ないですねぇ。自分も去年の今頃はこんなことになっているとは思わなかった。 ーー曲作りとレコーディングは。 ハヤシ:同時にやっていました。 ーー想像するだけで大変そうです。 ハヤシ:大変でしたね。こんなに一杯曲作ったこと今までなかったかもしれない。レコーディングも そうですね、ポリ史上こんなにずっとレコーディングしてたことないもんね。 ーー曲作りしている段階でPOLYSICS用とThe Vocoders用は分けてたんですか。 ハヤシ:分けてたね。「Repeat Repeat Repeat」っていうThe Vocodersの曲は、最初POLYSICSで 作ろうと思ってたけど、この雰囲気はThe Vocodersのものだなと思ってThe Vocodersの曲になった。 そういう特殊な例はあるけど、基本は分けてましたね。 ーーThe Vocodersを始める前までのポリは、どういう状況だったんですか。 ハヤシ:あの時はちょっと自分の中でもどういうものを作ればいいのかを悩んでいた時でしたね。常に 曲を作ってバンド活動をしてきたけど、去年は曲が全然うまく形にならなくて。毎年何かしらリリース していたんだけど、去年はリリースが途切れちゃった。というのも『That's Fantastic!』ツアーが終わっ て一段落ついた頃にKi/oonの事務職の人とマネージャーとたまたま居酒屋で飲みに行く機会があって、 その時にKi/oonの事務職の人が「すまんな、悪いけどしばらく1年間ほどPOLYSICSのリリースは控えて くれないか。」って居酒屋の飲みの席で言われて、その時に飲んだお酒の味がましなかった(笑) 自分は 何を作ればいいのか、ライブをやりながら何かヒントが見えればと思っていた時にThe Vocodersのアイ デアが出てきて。去年の10月頃かな。ちょうどその時にPOLYSICSの曲のデモもでき始めた頃だったから、ちょっとこの感じでやればいいのかもっていうのがポリでも見えてきたんです。 ーーポリの曲がなかなかできなかったっていうのは、主にどういうところに原因があったんですか。 ハヤシ:俺が割と、変にプレッシャーを感じてた。やりたいことと自分のスキルのところで、 上手く形にならなかった。 ーーやりたいことははっきりしてたってことですか。 ハヤシ:ぼんやりだった。その時までは、POLYSICSは常に自分にとって新しいことにトライして 発表していかなきゃいけないっていう変な頭の固さがあって。「POLYSICSとはこうである」、 「POLYSICSはこうやってきた」っていう考えがあるから、そこに縛られて自分にとって楽しい曲作り ができてなかったのが大きな原因だったかもしれない。 ーーああ、なるほど。 ハヤシ:去年アルバム『That’s Fantastic!』のツアーの時に大阪公演の打ち上げで、昔からKi/oon Music で一緒にやってるスタッフと飲んでいて、「そろそろ久々に歌モノを聴きたいな」って言われたんです 。「BLACK OUT FALL OUT」とか「CODE4」みたいな(いずれも『FOR YOUNG ELECTRIC POP』 2002年収録)、ちょっとセンチメンタルなもの。確かにそういうの作ってないなと思って、トライした んです。ツアー終わってすぐ制作に入って、2曲くらいできてKi/oon Musicの人に聴かせてみたら、悪く ないのでこの調子で何曲か聴きたいって言われたんですけど、そこから全然曲ができなくなっちゃった 。できるんだけど、それがうまく形にならないってことがずっと続いて。作れば作るほど沼にハマッて いくみたいな時期だったんです。「BLACK OUT FALL OUT」とか「CODE4」みたいな曲を作ろうと 思っても、あの時とはバンドも違うし、あの時の衝動と、それを意識して今作る感覚は違うっていう ことに気づいて、やっぱりいいものにはならない。いくら頑張っても、作れば作るほど間違った方向に 全力疾走しているような気がしてね。みんなを呼んでデモ聴かせても「うーん」ってなって、 本当にこれ出すの? みたいになって。 ーー作った人が自信を持ってなかったら周りも自信を持てないよね。 ハヤシ:まさにそれ。しばらくしてフミから「曲作りやめない?」って言われて。「ハヤシが面白いと 思えるものができるまで、曲作りはしないほうがいいんじゃないか」って言われたんだけど、それがまた 結構キツくて。今までそんなこと(曲作りをやめること)なかったからさ。DEVOとかXTCのビデオを 見てシンセ買って、こんなことやりたいなと思ってPOLYSICS始めてからずーっと何かしら作ってきた わけじゃない? それを「やめない?」って言われてやめるって相当キツいなと思って。 フミ:今ハヤシは、「どんどん沼にハマっちゃってた」って言ってたけど、当時は沼にはまっている 意識も本人にはなかったと思う。全然自信があるって感じだったもんね。 ハヤシ:そうそう。 フミ:でも私は沼だなって思っていて、「本当に楽しいと思ってやってる?」って感じだったから、 ちょっと沼から離れたほうがいいと思って「1回やめない?」って提案してみたんだけど。でもハヤシは 「なんでやめなきゃいけないの?」って思ってたかもしれない。 ハヤシ:いや、あの時の(フミの)やめないかっていう顔を見て、これはやめた方がいいんだなって 思った(笑)。さすがにそれは感じたよ。その時自分のプライベートスタジオを作ったばかりで、 夜中まで歌も歌えて制作できるような場所で。余計に制作意欲があり余っていたからすごく落ち込んで 。自分が本当に楽しんでやってる? とか言われた時に、新しいんだからアリだろって思った。今ポリ がやる歌モノは新しいからアリだろっていう、新しいことが自分にとっての正義だった。今冷静に思う とね。でも歌モノにするっていうことは、歌詞も何かしら考えなきゃいけない。歌モノなのに「カジャ カジャグー」みたいな歌詞じゃダメだから(笑)。それを無理やりひねり出そうとしている作業。 ーー「カジャカジャグー」みたいな歌詞がすごくポップでセンチメンタルなメロディで歌われるのも面白いけどね(笑)。 フミ:アリだよね(笑)。 ハヤシ:(笑)。今思えば俺も面白いなって思うけど、その時はそれをひねり出すことがものすごくキ ツくて。自分から出てきたことだから嘘ではないんだけど、嘘で固めなきゃいけないのかなって。曲作 りに対して自分の手癖を封印してたんですよ。『That’s Fantastic!』の時もそうだったけど、これポリな んだ? ポリでもこんな曲あるんだ? っていうようなものを目指しちゃったんだよね。自分の音作り の癖だったり、曲作りの手癖を封印して頑張んなきゃいけないんじゃないかって思ってた。この状況を 変えるためにはこういうことが必要なんじゃないか、今のシビアな状況を変えるにはって思っちゃった 。変にプレッシャーを背負っちゃったところがあった。 ーーそれで、無理してたな、楽しんでなかったなって気づいたところからトンネルを抜け出る道が見つかったと。 ハヤシ:そうですね。2018年8月27日に、新宿レッドクロスの15周年イベントに出たんですけど、そこ で15年前に初めてレッドクロスに出た時のセットリストをうろ覚えでやったんです。当時の記録なんて 残ってないからさ、とりあえずこれやったな、あれやったなみたいな記憶でセットリストを組んで、 結局、その時やったのは『National P』以前の曲。2003年のセットリストを中心にやったらすごく楽し くて、自分でも「ノッてんな俺」っていうのがわかるの(笑)。お客さんもすごく楽しそうだし、 スタッフも喜んでくれて。「ポリってこれだよね!」「これを大事にしていきたい」って思った。 「これ」がなんなのかはわからないけど「この感じ」「これだよね」っていうのは見えたの。で、 あの時の曲って本当に誰のことも考えてない、周りのことを考えていない、自分が楽しいと思えること だけをとにかくなんでもやるみたいな感じで。ニューウェーブっていう基盤はありながらも、そこは 自由に、プログレッシヴだったりメタルだったりもやる、その感じだなって思ったんだよね。それまで は俺めっちゃ周りの人のことばかり考えていたんだなって思って、(スランプから抜け出したのは) そこからなんですよね。 ーーなるほど。 ハヤシ:自分がとにかく楽しいと思える曲作りってなんだろうって。それまではパソコンの前に座って 曲作りしてた。外部のシステムはほとんど使わないで、パソコンの中だけで作っていたんですよ。 テンポ決めて、こういうコード進行ならこういうメロディがあって、みたいな作業。それをまずやめよ うと思った。自分の家にあるハードシンセを全部パチパチパチパチっと電源入れて、とにかくやってみ ようと。しばらく曲作ってなかったし、これが上手く形になるかもわからないけど自由にセッションし てみようかなと思って、本当に何も考えずに打ち込みしていったの。そしたらすごく楽しくて。もちろ ん、ハードシンセで使い慣れているから音作りも早いわけよ。この音を出したいと思ったらこれだ! って。 ーーしばらく使ってなかったけど、ちゃんと覚えているわけね。 ハヤシ:覚えてる。YAMAHA SY85なんて高校の時使っていたシンセだけど、液晶が2行しかないんです よ。それでも出したい音はすぐに出せるし、楽しい。つまみをちょっとイジると音が変わっちゃうんだ けど、それはそれでカッコいいなと思って。それで「Kami-Saba」のデモみたいなものができて、この 感じでもうちょっと作ってみようと思って、そこでガーっと『In The Sync』の半分くらいの曲が一気に できてきて。7曲くらいかな。 ーーなるほど。その段階でThe Vocodersをひょんなことからやることになって、そうなるとなおさら POLYSICSでやるべきことははっきりしていきますよね。The Vocodersに任せちゃえばいいことがあっ て、それ以外のPOLYSICSでしかできないやりたいことをやればいいという風に、当然なる。 ハヤシ:当時は並行して考えていたんですけど、今思えばそうでしたね。 ハヤシが本当にカッコいいと思っているかどうか(フミ) ーーこの2枚を聴かせてもらって思ったのは、The VocodersのおかげでPOLYSICSは やりたいことが極端にやれていていいなと。すごく焦点が絞れてるというか。 ハヤシ:そうですね。自分も、これだ! っていう感じは今までのアルバム以上にあります。 ーー今回めっちゃギター弾いてるでしょ? ハヤシ:弾いてる。そんなに意識してなかったけど、思えば全曲やっていますね。 ーーこんなに弾きまくっているアルバムは久々のような気がします。ガレージパンク さながらというか。 ハヤシ:そうかもなぁ。弾きまくっているし、これまでのレコーディングよりもすご くこだわったね。音だったり、プレイみたいなものに。今までは割と自分の出したい 音は決まっていたけど、今回は曲によって欲が出てきたかな。そんなに多くはないけ ど、曲によってエフェクターも今まで以上に使いわけたりして、今はギターを弾くの が楽しいですね。ナカムラがギターで入ったことで、自分のプレイに改めて気づいた ところもあります。ナカムラのプレイを見て、俺だったらこう弾くなって思ったり、 ナカムラのプレイをコピーして自分なりにアレンジするってことは、今までなかった ので。そこでPOLYSICSの曲のギターって弾きづらいもんだなって思ったんだけど(笑)。 ナカムラと一緒にギターを弾くことでギターを弾くことが楽しくなっているのかもしれない。 ーーなるほど。 ハヤシ:ここ何年かはとにかく新しいことをしようと思ってギターを置いてみるとか 、打ち込みに特化してみるとか、縦ノリではない横ノリを研究してみるとか、そういう ことをやってましたけど、こういうギンギンに弾きまくる、ちょっと非効率だけどシンセでやった方が 楽なフレーズをギターで全力でやるみたいな、そこの歪さにときめいたというか。 ーーハードシンセに変えたっていう話もそうだけど、細かいところまで計算し尽くし て作っている感じがあまりない。すごく衝動的。その場限りというか、スイッチひと つですぐ再現できる音楽ではないというか。 ハヤシ:そうですね。曲作りでも割と時代遅れで、ずっとハードシンセで曲作りして きたタイプなんだけど。ハードシンセで音作りしたものをスタジオで鳴らすと、 テンポとかが変わってくるんだよね。そうなると作ってきた音のデータは一旦チャラ になっちゃうわけよ。しょうがないと思いながら作り直すんだけど、でもソフトシンセ が進化したことで、自分のよく使う音だったり近いムードの音をソフトシンセで保存 しておけば、いくらテンポが変わっても余裕じゃん! これ最高! と思って(ハード シンセは)しばらく使わないで作っていたんですよ。でも、やっぱ全然違うんだなと 思った。このアルバムってほとんどがシンセの音色から生まれた曲なんですよ。去年 まではコードの響きとか、メロディとか、「曲っぽい」ところで考えていたんだけど 、たぶん俺はそういうものが好きじゃないんだよね。楽しくない(笑)。シンセから インスパイアされたフレーズや音色から広がっていく曲って、まったく理論に基づいていないじゃん。 ーー直観だもんね。 ハヤシ:こういうのが好きなんだなって思って、そういう意味で楽しかったかな。一気に開放されて楽しく作っていきましたね。 ーーフミちゃんは今作を作っている間、どういう気持ちでしたか。 フミ:ハヤシのスイッチがパンと入った時からはもうイケるイケるって感じでしたね。 特に悩むこともないし、変にハヤシが落ちている感じもないので、聞けばすぐ返ってくる感じ。これって どうしたい? って聞いたら、こうしたいってポンポンって来るから。 ハヤシ:前はなかったもんね。聞かれても「うーん……」みたいな。 フミ:そうそう。今回は本当悩むこともなくスムーズにいったなと思います。やっぱ りハヤシが楽しいと思っているかどうか、本当にカッコいいと思っているかどうか。 ちょっと乱暴に言うと、音楽のジャンル自体はなんでもよかったりする。それを作る 時にハヤシがどういうメンタルで作っているのかってことのほうが大事。だからハヤシ が本当にカッコいいと思っているのであればいいんじゃない? って話をしたぐらい。 ーーラフに作っているわけじゃないけど、良い意味で荒々しくてエネルギッシュで。 伝わってくる感じがあるなと思いましたね。 ハヤシ:うん、迷いはなかったですね。 ーーお行儀よく作ってない感じがある。 ハヤシ:あとは思い切りやるだけみたいな感じで作ってたところはありますね。 プレイもタイトに弾くことはもちろん大事なんだけど、カッコよければ多少のことは OKみたいな感じはあったよね。 フミ:そうだね。グリッドに合っている美しさとは全然違う部分。 ハヤシ:今までもその感じは大事にしてたけど、今回は特に。速かったし、順調だったし、楽しくできたと思います。 島谷ひとみ 亜麻色の髪の乙女 https://youtu.be/1nOIWI4OzD0 作詞橋本淳 作曲すぎやまこういち リリース1968年2月25日(オリジナル) チャート最高順位 7位(オリコン) 「亜麻色の髪の乙女」島谷ひとみ チャート最高順位 週間4位(オリコン) 2002年度年間22位(オリコン) 「亜麻色の髪の乙女」(あまいろのかみのおとめ、原題:風吹く丘で)は、 ヴィレッジ・シンガーズが1968年2月25日に日本コロムビアから発売した5枚目のシングル、およびその収録曲である。 2002年発売の島谷ひとみによるカバー版でも知られる。 wikipedia 東京大学の音楽家は、亡くなったすぎやまこういちがそう。 GARO 学生街の喫茶店 https://youtu.be/n68rQM0mpDI リリース1972年6月20日 作詞山上路夫 作曲すぎやまこういち 「学生街の喫茶店」(がくせいがいのきっさてん)は、GARO(ガロ)の3枚目のシングル。1972年6月20日発売。発売元は日本コロムビアのマッシュルームレーベル。 ゴールドディスク 1973年度日本有線大賞 新人賞 チャート最高順位 週間1位(オリコン) 1973年度年間3位(オリコン) 『第24回NHK紅白歌合戦』でも本楽曲を披露。 すぎやまこういちは第24回紅白ではガロの出演時、指揮者として出演。 ガロ (GARO) は、1970年から1976年まで活動した日本のフォークロックグループ。 旧メンバー 堀内護 (MARK) 日高富明 (TOMMY) 大野真澄 (VOCAL) wikipedia >>1 さすがに、東大卒の音楽には文句言えねえだろ笑 >>18 日本でもクラシックや白人系に影響受けたセンス有る人は、 映画、ドラマ、アニメ、ゲームのサウンド作ったりしてる そーいうのはJPOPとは別枠だよ すぎやま氏に限らない ただドラクエは鳥山明の絵が中二っぽいから 俺は1しかやってないww 5は買ったが、やはり絵が好きじゃないとやる気出なくてすぐ止めたww 音楽は声やサウンドが良くないと却下 アニメやゲームは絵がキレイじゃないと却下 女子はルックスが良くないと却下ww >>19 補足 センス有る人も稼ぐためにボーカル有りのJPOPの 作曲や編曲したりはしてる でも曲が良くてもボーカルの声が良くなかったら、 それは結局クズ曲なんだよなww 逆にヨアソビのアヤセみたいに低学歴でも イクラみたいな声の良いボーカルに巡り合えば やり様によっては良い曲を作れる事も有るという訳 スレタイは、あくまでも一般論 >>1 小山田圭吾さん、こんな所で何やってんすか? >>21 小山田は貧乏育ちではないだろうが、高学歴ではない だから、こんなスレは立てんだろww 東京大学、すぎやまこういちは、やっぱり天才 島谷ひとみ 亜麻色の髪の乙女 作詞橋本淳 作曲すぎやまこういち リリース1968年2月25日(オリジナル) 1968年だぞ?信じられるか? 2021年−1968年=53年 53年前の曲が全然、古くない、今リリースの曲と遜色ない 天才の為せる業 すぎやまこういち先生有り難うございました、ご冥福をお祈りいたします。 >>23 すぎやま氏は否定しないが、その曲は普通にテイストは古いわww いくら彼でも、商売である以上多少なりとも当時の流行りとか意識したはず お前が今の曲の中の古いテイストの曲しか知らんだけ 笑 >>23 すぎやま氏は否定しないが、その曲は普通にテイストは古いわww いくら彼でも商売である以上、当時の流行りとか意識したはず お前が今の曲の中の古いテイストのしか知らんだけ 笑笑 て言うかjpopと映画やゲームのbgmが同じな訳が無い 笑 ダサイ響きの日本語の制約の前では作曲の天才も力をフルには発揮出来ない だからこそゲームbgm専業なんてやったんだろ、すぎやま氏は 日本語はダサい 日本の女性が韓国人男性に憧れるのも仕方がない 日本の音楽に学歴、育ちは関係ない 日本の音楽のルーツの一つといえる民謡と言うジャンルは、 田植え歌とか、馬子歌とか、木遣り歌とか、子守り歌とか、漁師歌とか、 労働に合わせて歌うから、学歴、身分関係無し 何にも知らない>>1 乙wwwwww 馬子歌 まごうた 馬子が道中で歌う歌。 「馬方節」ともいう。馬方には,馬の売買をする博労 (ばくろう) と街道の宿場や峠で人や荷物を運ぶ駄賃付けの馬子があるが, この馬方が馬の綱を引きながら歌い広めた歌で, 街道中の難所であった東海道の箱根や鈴鹿,中仙道の碓氷の馬子歌がよく知られる。 碓氷峠の馬子歌は,追分節として諸国に伝えられ, 追分の名称をもつ民謡を各地に生んだ。 また農家の草刈りで馬に草を運ばせながら歌う「草刈馬子歌」があり, これも馬子歌の一種とされる。 https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E5%AD%90%E6%AD%8C-136010 これはスレ主が妥当 まともな反論も無いし ピントのズレた反論は反論の内に入らんからなw 貧乏人は痩せ型で肺活量が低い。 尚且つ、顎が細く歯並びが悪い。 ジャップのミュージシャンは金持ちのご子息がほとんど 貧乏人は入る余地無しだよ 希帆 uchiseiuchi feat.友達 https://youtu.be/gU0Y8En1snU 2020 年 09 月 28 日配信 重盛さと美が監督!本物の実家で撮影された希帆「uchiseiuchi feat.友達」のMV公開 重盛さと美の「TOKYO DRIFT FREESTYLE」に、 友達として客演し一躍話題となった希帆。 そんな彼女のソロデビュー配信SGから、「uchiseiuchi feat.友達」のMVが公開された。 今回のMVは、 希帆の実際の“オンボロ”な実家で撮影されたという。 最近テレビでも取り上げられ、、 https://getnavi.jp/entertainment/535514/ レゲエか、ヒップホップだろ ヒップホップも、貧乏に似合うなw スラム街発祥だからなwww >>1 kーポdisると、超汚染人がやってくるぞ ヒップホップで成功した黒人成金が、「ヒップホップ=貧乏」のイメージを変えつつあるが ヒップホップは元々はサウスブロンクス、スラム街の貧乏の音楽 kーぽも、ヒップホップ亜種だから、kーぽも、ルーツを辿ると貧乏音楽w ジャップロックは金持ちの息子が良くやっている アイドル崩れがロックやっているのも多い read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる