【コピペ】
表立ってはいなかったけど、1~2年ぐらい前から”現場”以外でラップすることを始めていた・・・正確には「試していた」。
飲食店やカフェで行われているオープンマイクのイベント、異業種交流会など・・・案の定、そこには”ラッパー”と呼ばれる人は自分以外に存在していなかったため、「注目」を浴びることが多かった。
また、”現場”以外で「ラップ」という共通言語でつながれる人も出てきたり、「ラップ」という表現方法を使って、”現場”じゃないところでも自分を表現しようとしている人も何人も見てきた。
・・・それでも、その人たちは結局、表現することに満足してしまったためか、ほぼ全員「ラップ」自体を辞めてしまった。
うまくまとまらないけど、自分が経験してきたこれらの話から言えることは・・・
「ラップ」にはまだまだ”広げられる余地”というのが存在すること。クラブとかの”現場”以外にも。言い方を変えれば、どこにでも「現場の空気ややり方・パフォーマンス」を持ち込むことが出来て、観客を驚かせたり魅了したりすることは十分に出来るということ。
ただし、それが”一過性のもの”になってしまいやすいこと。最近では民放でもラップバトルの番組がOAされたりもしてるけど、2000年よりも前から”日本語ラップ”という文化は存在していて、
「ラップ」という表現手法を使う以上、文化を継承していって、一般の人にも文化が受け入れられやすいよう、形も工夫したりもして、「悪いこと」するのも控えて、”文化”が続くようにしていって・・・