北朝鮮が米領グアムに向けてミサイルを発射すると威嚇、米国が報復も辞さないと応酬するなど、一触即発の緊張が続いていた８月１３日、韓国大統領、文在寅（ムン・ジェイン）の姿はソウル市内の映画館にあった。
２週間足らずで９００万の観客を動員したという映画「タクシー運転手」を見るためだ。
映画は１９８０年５月１８日、韓国南部の都市光州で軍が市民のデモ隊を武力で鎮圧した「光州事件」を題材にしている。
事件を取材するためソウルから光州に単独で潜入しようとするドイツ人記者ピーターがタクシー運転手の協力を得て光州にたどり着き、酸鼻を極めた現場を歩く。
映画では、事件当時、光州に外国人記者はピーターしかおらず、軍人らが取材を厳しく取り締まったかのように描写されたが、現場にいたＡＰ通信、米紙ニューヨーク・タイムズの記者らの証言によれば事実ではない。
感動のあまり映画を見ながら泣いたという文は、こう感想をもらした。「光州の民主化運動は常に光州のなかに閉じ込められていると感じてきたが、（この映画で）当時の真実が国民のなかに広がるという予感がする」
発言には伏線があった。政権の座についた文が、一番熱心に取り組んでいるのが過去の清算、再調査だ。文政権は「歴史バロセウギ（正しく立て直す）」を至上の課題とする。
文の当選が確実視された今年４月、陣営は「過去史清算のための７大課題」を発表した。その１番目が「真実和解のための過去史整理委員会（過去史委員会）」の復活だ。
盧武鉉（ノ・ムヒョン）政権時代の２００５年１２月に発足した「過去史委」は、１０年６月までに１万件あまりの過去のできごとを再調査した。
しかし、過去史委員会は発足当初から保守系の政治家や言論人、メディアから批判を受けた。朝鮮日報は０７年３月、「一言でいうならコメディーだ。趣味で過去史をもう一度ひっくり返すつもりなら税金をつかわず、募金でやるべきだ」と社説で主張した。
文政権の過去史委員会の調査対象には、当然ながら光州事件が含まれる。
文は大統領就任直後、光州を訪れ、「いまだに光州（事件）を歪曲（わいきょく）しおとしめようとする意図がある。新政府は真相究明に努力を傾けるつもりだ。だれが市民に発砲命令を下したのか、真実を糾明し必ず責任を問う」と演説した。
ただ、光州事件は、既に歴代政権が５回にわたり調査を行っている。
「『タクシー運転手』は光州事件を蒸し返そうとする左派・進歩系の情緒を代弁するものだ」と話すのは「月刊朝鮮」元編集長で保守系の論客、趙甲済（チョ・カプチェ）だ。
光州事件当時、軍の実権を握っていた全斗煥（チョン・ドゥファン）は、「映画はでっちあげだ。法的措置を検討する」と声明を発表した。全は回顧録で「事件は北朝鮮軍が介入した反乱、暴動だ」と記し、「５・１８記念財団」などから訴えられた。光州地裁は回顧録を販売・配布禁止処分とした。
韓国政治を半世紀近くウオッチしてきた韓国人評論家は、「韓国では、一般大衆を扇動する映画の力は絶大だ。虚構のストーリーに涙を流し、感動し、洗脳され、行動する。それに政治家が便乗し、利用する」。
就任１００日の会見で文は植民地時代の「徴用工」について「個人の請求権は残っている」と明言した。韓国では徴用工を題材にした映画「軍艦島」がこれまた大ヒットしている。
半島情勢がかつてなく緊迫するなか、過去にこだわる文に対し、趙はこう警告する。「過去に執着すると未来を失う」 ＝敬称略（龍谷大学教授 李相哲） ＝第一部おわり
http://www.sankei.com/west/news/170823/wst1708230007-n1.html
http://www.sankei.com/images/news/170823/wst1708230007-p1.jpg
１９８０年に発生の光州事件をめぐる韓国政府の式典で、遺族のメッセージに涙ぐんだ文在寅大統領。８月には、同事件を題材にした映画を見ながら再び泣いた＝５月１８日、韓国・光州（共同）
