で、おもむろに>>901続き。
更にレス遡って、>>674
ダールの民主化三段階モデルをまた使う。
特に注目すべきは、第二段階から第三段階の移行。
以上の話を踏まえて見直すと、このが『単なる多数決的民主主義』から『立憲主義的視点を追加した民主主義』へのスライドと見なせると思う。
つまり、

立憲主義なき民主主義は、まだ第二段階

だと言えるんじゃないかな?
そういう具体例も>>674に書いたw
韓国のロウソクデモとかを思い浮かべて欲しい。
あれって、まさに『立憲的手続きを無視』し、国家がデモという『単純多数決』に屈しちゃった事態だったんじゃない?
ぶっちゃけ、あんなデモは治安面から『公共の福祉に反する』として、無視しちゃえば良かったw
もしくはあまりに酷く、周囲の安全が確保出来ないようなら鎮圧w
ま、そこから人民の反撃、そして『革命』になったなら、ある意味憲法制定権力発動なので、逆に『権利上正当』になっちゃうけどねw
どうしてもああいう声を拾って国政へ反映させたいなら、国会で野党とかからちゃんとクネクネの弾劾とかを議題に挙げ、決議を取るべきだったんだよな。
ともあれ、立憲主義の精神を失っちゃうと、ああいうことが起こりえるってこと。
危険なんだよ、立憲を見失った、『多数決が全て』って民主主義は。
東亜にも良くいるけどさ、実はw
多数決の結果に文句言うな、とか無邪気に言っちゃってる人。特にアンババ絡むとやたら出てくるw
これって、ボケッと聞いてると正論っぽく思っちゃうけど、立憲主義の精神の下でなら実は『間違い』w
多数決に負けた少数派にも権利はあるし、当然意見は言って良い。
更に、その議決内容が自分の基本的人権を脅かす可能性あるってなら、その『無効』さえ主張し、国家へ訴えても構わない。
憲法は、そういう機能も持っているんだから。
予め国民が国家に『命令』してあるんだよ。
『弱者を最低限までは守れ、それなら権力を行使して良い』って。
そうしないと、ときに社会が崩れるから。

いずれにせよ、近代ってのはこのように一筋縄ではいかないもん何だよね。
自由を謳歌し過ぎ、個々人が個々人の欲望実現に対し度を超して忠実になっちゃうと、時に治安が崩壊する。韓国のようにw
かと言って、憲法で『縛る/縛られる』関係はギスギスし過ぎてて、平和な世っぽくない。
だから、バランス。
両者のバランスを取っていくことで綱渡りな『近代』をしていくしかない。
それが過去の人々が積み重ねて出したギリギリの最良解、そして現代人の限界なんだよ。
ただ、最近の日本、特に長らく続いてる自民的なそれは、意外と立憲の視点を忘れがち。
だから、せめて頭の片隅にくらいは気に留めておこうよ。
『自由な社会』ってのは、かなり危うい天秤の揺らぎ上でのみ継続するもん何だよって。