「尖閣日本領」欧州の地図 日清戦争より前、中国主張を否定する資料
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した19世紀後半の英国、ドイツ製地図が現存していることが明らかになった。いずれも日清戦争(1894〜95年)前の地図で、中国側の「日清戦争を通じて
、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆す資料がまた新たに見つかった。
イギリスもドイツも…明治維新の頃すでに国際認識あった
 地図は長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が調査発見した。
19世紀当時、世界最大級の「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、
ドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー氏が1868年に製作した「ハンド・アトラス」の2枚。
 石井准教授は昨年7月、オーストラリア国立図書館がデジタル化した資料から、ロンドン・アトラスの1887年版を見つけ、尖閣周辺の領土表記がどうなっているかを調べた。
 その結果、尖閣諸島・久場島を示す「Hoapin−su」の西側に「……」との点線が引かれていた。ロンドン・アトラスだけでなく、約1年かけて、他の資料と付き合わせて調べたところ、点線は領土・領海の境界を示しており、
地図上では、久場島を日本領と認めていたことが判明した。
 また、1868(明治元)年の地図「ハンド・アトラス」も同様に、久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島は「日本領」として、琉球併合前の沖縄と同じ色分けがされていた。この地図は、東大総合図書館に所蔵されていた。
 日本政府が国際法に基づく「無主地(むしゅち)先占(せんせん)」を閣議決定する前に、日本領であることを明示したこれらの地図が、何を意味するのか。