痛惜の念。去る1990年、日王アキヒト(明仁)が当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領訪日の際、日本の植民地支配と関連して言った言葉だ。「痛惜の念を禁じえない」とは謝罪なのかどうか、曖昧な発言をめぐり韓国内では少なからぬ反発が起きた。

痛惜は辞典で「大変残念で惜しい」と解説している。痛惜に「念」や「禁じ得ない」のようなどんな修飾語を付けても痛惜は痛惜であるだけに謝罪でないのは明らかだ。

日本は植民地支配や太平洋戦争、日本軍「慰安婦」問題と関連してその被害者らが納得するほどの謝罪をした場合が殆どない。謝罪はしたようでも、その後、日本が見せた姿勢を見れば謝罪を謝罪として受け入れるのは難しい。

1993年、河野官房長官は慰安婦に対する日本軍の強制性を認めた談話すなわち「河野談話」を、2年後、村山総理は植民地支配と侵略に対する痛切な反省の意を表わして心より謝罪するという「村山談話」を出した。河野談話と村山談話を見れば日本が過去を反省し、その被害者らに謝罪したと見なされるが、それだけだった。

慰安婦問題をめぐり韓国と日本が現在の尖鋭な葛藤を生じさせている。その中心には安倍総理がいる。安倍は2015年、米国ハーバード大講演で日本軍慰安婦は人身売買の被害者で、言葉では言いようのない苦痛にあった人身売買犠牲者を考えると胸が痛むと言った。それと共に慰安婦強制動員を認めた河野談話を維持するといった。しかし謝罪はしなかった。

日本が真に慰安婦問題などについて反省しているならば、機会があるごとに謝ってまた反省していることを行動で見せてこそ正しい。それでこそ被害者らが謝罪として受け入れられる。しかし、日本は河野談話を維持する、いついつ謝罪したという言葉だけ繰り返す。

しかも14人のA級戦犯を合祀した靖国神社を総理をはじめとする閣僚らが公式参拝している。歴史教科書にも植民地支配と侵略戦争などを単純に羅列だけしながら蛮行を隠す。第一次世界大戦と第二次世界大戦を加減なしに教科書にのせ、アウシュビッツ収容所に修学旅行して学生たちに祖父世代の誤りを繰り返さないよう教えるドイツと比較される部分だ。
(後略:韓国議員の謝罪について)

ソ・ヨンフン(社会部長・副局長)
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ソース:慶南日報(韓国語) 痛みを与えたとすれば?-ソ・ヨンフン(社会部長・副局長)
http://m.knnews.co.kr/mView.php?idxno=1276804&;gubun=#_enliple