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▽念願の日本訪問実現

李氏は「日本を訪問したい」との意向を幾度となく表明していた。だが、2000年の総統退任後も対中関係に配慮した日本政府の思惑により、なかなかうまくいかず、2001年4月、心臓疾患治療の名義でようやく念願をかなえる。「治療目的に限り、政治活動は行わない」という条件の下、岡山県倉敷市の病院で心臓病の治療を受けた。このこともあり、2018年夏、西日本豪雨で深刻な被害を受けた岡山県民にお見舞いのメッセージを送っている。
2007年には「奥の細道」ゆかりの地、宮城や山形、岩手などを訪問した足で、靖国神社を訪れた。旧日本軍として戦場に赴き帰らぬ人となった実兄に祈りをささげるためだった。李氏によると、同神社に眠る台湾人の英霊は2万8000柱に上る。だが、多くの日本人は知らないと残念がる。
2015年の訪日中、台湾も領有権を主張する釣魚台列島(日本名:尖閣諸島)を巡り、日本のものだと公言。似た発言は過去にも複数回あり、波紋を呼んだ。従軍慰安婦問題については、「台湾の慰安婦の問題は決着済み」と日本の月刊誌への寄稿で書き、一部の台湾人から批判を受けた。
2018年6月、李氏は沖縄を訪問。自身が揮毫(きごう)した文字が刻まれる「台湾出身戦没者慰霊碑」の除幕式に出席。人生最後となる日本訪問で「台湾人としての私はわが国を強く愛しており、生涯学んできたことでわが愛する台湾の土地に貢献してきた」と台湾への愛を示した。戦前は日本人として、戦後は台湾人として生きることを余儀なくされた李氏。岡山訪問を皮切りに、総統退任後は持病の治療や講演、観光などの目的で計9回、日本に足を運んだ。

(編集:荘麗玲)

終わり