「例えるなら、(2010年の南アフリカ・)ワールドカップの(グループリーグ)ブラジル戦で鄭大世選手(現・アルビレックス新潟)が大粒の涙を流したのと同じくらい、自分も初めて代表のユニフォームを着てピッチに立った時は、『今までこのために生きてきたんだ』と涙をこらえることができませんでした。今思い出しても、少しうるっときます。ただプレーするだけじゃなくて、どれだけ勇気と希望を与えられる存在になれるか、と考えた記憶があります。

 僕はドイツ・ワールドカップの最終予選を戦い、あと一歩のところで本戦出場を逃しましたが、2010年に朝鮮代表は(44年ぶりに)ワールドカップ出場権を掴みました。そのピッチに立ったのが、当時一緒にプレーした安英学さんであり、鄭大世選手であり、梁勇基さん(現・サガン鳥栖)。僕はそのピッチには立てなかった。4年間、自分も必死にワールドカップ出場を夢見て戦っていましたが、今振り返れば安英学さんと比べて夢を追い続ける、本当に掴む気持ちが足りなかったんだと思います」

◆女子選手・李誠雅の熱い思いに感銘「昔の自分を見ているようだった」

 安英学氏と並び、在日Jリーガーのパイオニア的存在として戦い続け、プロキャリア20年目を迎えた李漢宰にとって、今年7月に在日サッカー選手として心が熱くなる出来事があった。それが、なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)2部に参戦する日体大FIELDS横浜の3年生FW李誠雅(リ・ソンア)が、在日朝鮮人3世のルーツと向き合い、「朝鮮代表でワールドカップに出て優勝する」という夢を追い続ける理由をクラブ公式noteに綴った「祖国と自分」と題した記事だ。面識こそないが、自分の思いをストレートにぶつける李誠雅の姿に感銘を受けたという。

「李誠雅選手もいろんな思いがあるなかで、意を決してnoteに思いを綴った。昔の自分を見ているようで、今の時代にもそういう思いを持ってくれているんだと久々に熱い気持ちになりました。僕らは在日朝鮮人3世として日本で生まれ、日本で育ってきました。韓国、朝鮮に行ったことがあるかと言われたら、それこそ数えるくらいしかないし、どこまで知っているかと言われたら、日本の方たちとそんなに変わらないくらいしか街並みも知らないかもしれません。ただ、自分のおじいちゃん、おばあちゃんが生まれた場所で、切っても切れない場所。一生背負っていかないといけないものだと思います。

 スポーツと政治の結び付きは難しい部分があるのは理解しています。例えば、僕の『朝鮮代表でプレーすることを夢見ていた』『祖国を愛している』といった言葉を見た時に、『朝鮮に帰ればいい』という思いが出るのは間違いではないと思います。ただ、在日の人間がどういうものを背負って今を生きているのか、もう少し感じてほしい、理解してほしいという思いはあります」

 李漢宰にとって偉大な先輩である安英学氏は2017年の現役引退後、自らサッカースクールの代表を務めるなど、後進の育成に尽力している。「正直に言えば、(安英学さんは)僕がプロを終えて一番やりたかったことを、すでに実践している」と語る李漢宰だが、自らも現役選手としてメッセージを発信していきたいと思いを口にする。

「個人的に感じるのは、昔と比べると、朝鮮代表への価値観が下がってきている印象があるので、(日体大FIELDS横浜の)李誠雅選手くらいの思いを持ってもらいたい。それをピッチで表現して結果を出すことで、みなさんからの信頼も得られると思います。自分たちが描いていた夢、思いをそのままに、安英学さん、鄭大世選手、梁勇基さんが成し得たように、もう一度ワールドカップの舞台に立てるように、責任感を持ってやって頂きたい。

 絆じゃないけど、韓国語で『서로 돕고 이끌고 가자!(ソロトッコイクルゴカジャ)』という言葉があって、互いに助け合い、どんな時もみんなで手と手を合わせて前に進んでいくという思いでいます。僕は若い世代を引っ張っていく立場にいるので、第一線でやっている以上、まだまだそういう姿を見せていきたい。そして、僕たちは日本で生まれ育った在日として、今後もずっと生きていく。日本で生活していくなかで、日本でお世話になった方たち、クラブへの恩返しも含めて、サッカーを通していろんな思いを届けていきたいと思います」

 在日サッカー選手の中で最長となるプロ20年目を迎えている李漢宰は、若い世代の手本となるべく先頭に立っていく決意、そして日本への感謝の思いを改めて強くしていた。

※取材はビデオ会議アプリ「Zoom」を使用して実施。

Football ZONE web編集部・小田智史 / Tomofumi Oda

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