ダスカロス 白いローブの輝き
悪霊なんて一神教に頼んでも駄目だ。世界各地の神話を。裏アクマ。 ハーレムなんて後からたかられてくるから、多神教の乱交。限られてるけど。今は。 >>788
悪霊ではない
いまは亡き死者が生前に放った怨念が、エレメンタルとなって徘徊しているんだ 我々の思考や感情は、日々に新たなエレメンタルを創造している
エレメンタルは消えることなく徘徊し続ける
そして、いつかは目的や願望を達成する 徘徊するエレメンタルには、欲望や怨念のカタマリみたいなものもある
危険な存在だ 世間で死者の亡霊と思われているものの正体は、徘徊するエレメンタル 生前の強烈な怨念が、エレメンタルとなって徘徊している >>744
今日、妙正寺川すごかったね
大丈夫だった? 自殺した人の部屋には、生前の怨念がエレメンタルとなって、本人の死後もとどまっている
それが祟りを引き起こすこともある 「亡くなった人に見守られている」というのもそれだ
「子供が幸せになってほしい」という強い願望がエレメンタルとなり、本人が死んで世を去ってからも、現世にとどまって徘徊している
そんな目的意識のカタマリが、子供を守ろうとしている マスターになると、自在に思い通りのエレメンタルを作り出すことができる 想念や感情や言葉(言葉は想念や感情を表現するものですから)はすべてエレメンタル(思考形態)を創造する、と私たちは言ってきました。
私たちがそれを見ることができようができまいが、エレメンタルは必ずしっかりとした形態を持っています。
この形態は、それ自身で生命を持っています。エレメンタルはすべて生きているのです。
そしてエレメンタルは、創造者としてそれを投影した者の知性を備えています。 祈りとは何でしょうか。すべての祈りはエレメンタルを創造します。こうして創られたエレメンタルは、通常はその祈りが向けられた神や人物、聖者、キリストなどの形態を取るようになります。
その形は、祈りを捧げる人が、祈りの対象となる神や人物が描かれた絵画などから想像したものになります。
そしてエレメンタルはそれ自体で知性と特質を備えているのです。
肉体の死は、その身体の中で生きていたパーソナリティーの終焉を意味するのではない、ということを私たちはよく知っています。
そしてまた、彼岸に渡っていく人々は、みずからのエレメンタルの総合計をそのまま身につけて向こう側に渡って行きます。
それは肉体の中に生きていた時に身につけていたものです。
これらのエレメンタルによって、人々は地獄を創ったり、天国を創ったりするのです。
現在、地獄や天国にいないのであれば、彼岸に渡った時にも決して天国や地獄に行くことはないのです。 (1)エレメンタル
人が心に抱く想念、願望、欲望、感情、思考などはすべてエレメンタルと呼ばれる。
五感で見ることはできないが、エレメンタルには特有の色や形がある。
いったん作り出されたエレメンタルは消えることはなく、いつの日か必ず作られた時に設定された目的を成就する。 (2)現在のパーソナリティー
「現在のパーソナリティー」とはほとんどの人が自分自身であると考えている存在であり、太郎や花子などの特定の名前を持ち、特定の肉体・感情体・精神体を持っている。
死を迎えたときには、これらの3つの身体のうち肉体のみを手放すことになるが、感情体と精神体はそのまま引き継がれて、サイキカル界に移行していく。 今、べガスにはダスマリナスのエレメントが漂っておる それは「現在のパーソナリティ」にすぎない
まあ、現時点ではそれが自分だが 思考や感情は、脳を中心とする肉体に大きく左右されている
死んで肉体を失うことにより、現在のパーソナリティは消滅する 本人が死んでも、エレメンタルは現世にとどまり徘徊し続ける 現在のパーソナリティを、本当の自分だと勘違いしてはいけない 死ねば失われるものを失ったことでしか得られない主体の世界に通じてる。 ずっと死んでいたのかもしれない。死に続けただけかもしれないほど生は得難く
死とは異質だろう。 地獄で死から現れいでということは。己のアイデンティティが。 世のスピリチュアリストの多くは錯覚している
現在のパーソナリティは、肉体の作用から大きな影響を受けている。
肉体を失うことによって、少なくとも絶大な影響を受けるのは明らかだ
多くの人は、肉体がなくなっても、今まで通りの感情体や精神体がそのまま存続するつもりでいる 肉体が消滅した後の感情体や精神体がどういうものであるかは、なってみないと分からない まあ、ここにこだわると、だんだんインド哲学とくに仏教みたいになってくる
ダスカロスからと、ちょっとズレてくるが 感情体(アストラル体)のことを、ダスカロスは「サイキック体」と呼んだ
精神体(メンタル体)のことは、「ノエティック体」と呼んだ
ダスカロス特有の用語だ サイキック体とノエティック体は、浄化されるにつれて変化もしくは成長していく。浄化とは、私たちが抱く感情や思考の中身をつねに意識することによって、その中に含まれるエゴイズムを取り除いていく--きれいにしていく--ことである。
物質体・サイキック体・ノエティック体のいずれにも、「エーテル」で構成された「エーテル・ダブル」が存在している。
「エーテル・ダブル」はこれらの身体の鋳型となって働き、それぞれに「エーテル」としての生命力を付与している。
「エーテル」とは創造のための素材となるものであり、食物や酸素、太陽の光などを通して我々1人ひとりに与えられている「日ごとの糧」である。 >>567
何年も前のレスになんだが、カルマは結局後でその人自身で解消しなきゃいけないんじゃなかったっけ?