スピノザ   [転載禁止]©2ch.net

1考える名無しさん2015/04/30(木) 11:59:38.300
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。

268考える名無しさん2018/10/16(火) 20:10:10.590
現代人の無神論とは違うな

269考える名無しさん2018/10/16(火) 20:10:36.430
現代人のは、無神論というより無関神だな

270学術2018/10/16(火) 21:18:08.360
神が知覚されるから遅れて涙がにじむだろう。

271考える名無しさん2018/10/16(火) 21:23:55.510
最高で完全なるものが間違いなく存在していて神はそれに他ならず
万物はそれによって産み出された被造物であり
創造は聖書に記述された神話的時代、あるいは現世の時間の外もしくはそのはじまりにのみ行われた
現世には創造的進歩はない
言い換えれば自然法則は永遠不変のもので現世において新しく生じることはない
人間本性も創造されたときから変化していない

これらすべてを信じている人はそうはいないだろう

272学術2018/10/16(火) 21:28:55.920
本性と本質で対。エロくなきゃね。

273考える名無しさん2018/10/16(火) 23:16:50.970
神は世界全体のことであり、世界に存在しているものすべてが神の一部です。

私たちが目にしたり感じたりする事の出来る実体のあるものは全て神の一部ということです。

つまり、人間も神の一部ということになります。

それは、人間の行動すべても神の一部がしているということであり、例えば罪を犯すことも神の意志ということになります。

言い換えると人間の自由意志はないということもできます。

274考える名無しさん2018/10/16(火) 23:18:39.150
決定論は、汎神論とならぶスピノザの二本柱

275考える名無しさん2018/10/16(火) 23:19:11.850
「人間に自由意志はない」

276考える名無しさん2018/10/16(火) 23:37:18.610
今日されたレス全体的にわりと面白いじゃん
これとか>>269

277考える名無しさん2018/10/18(木) 00:05:36.640
>>273
>人間の行動すべても神の一部がしているということであり、例えば罪を犯すことも神の意
志ということになります

広島と長崎の原爆投下による無残な大量虐殺、ナチスのアウシュビッツ収容所でのユダ
ヤ人の大量虐殺、第一次世界大戦と第二次世界大戦での大規模戦争と人間の大量殺戮、
そして日常的な世界でのおびただしい凶悪殺人事件―これらすべては、神による行為。つ
まりスピノザの神は、人間を大量殺戮することを頻繁に、日常的に行う「大量殺戮をするこ
ともある神」であるということになる(「戦争を頻繁にする神」でもある)。

「大量殺戮をすることもある神」が善いか悪いかは、人間にとって「悪い」に決まっている。
しかし、それでもスピノザの神は、哲学的に信ずるに値する神だと思う。

278考える名無しさん2018/10/18(木) 08:47:45.830
「天の父は、悪しき者の上にも善き者の上にも太陽を昇らせ、 正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」ということ

279考える名無しさん2018/10/18(木) 15:42:14.810
親鸞と親和性高そうな思想だなぁ
スピノザと親鸞の対話篇よさそうだ どちらも他人という存在にきわめて深い理解があるもの

280考える名無しさん2018/10/19(金) 02:59:07.600
デカルトは、機械論的な世界観や人間観を確立した科学的合理主義者だが、
「瞑想中の幻夢」を思想の原点とする、いたってマジメなスピリチュアリストでもあった

281考える名無しさん2018/10/19(金) 02:59:37.880
おそらく、スピノザもそうなのだろう

282考える名無しさん2018/10/19(金) 04:13:09.680
デカルトを「科学的合理主義の祖」として信奉する人々には、デカルト本人が言及している神秘主義者としての側面を、「後世の偽作」とする向きもある

283考える名無しさん2018/10/19(金) 04:28:32.730
スピノザの汎神論は、一種の自然哲学

神というから現代人には宗教っぽく見えるが、中身は機械論的な物理世界観だ

スピノザの決定論も、宗教っぽく聞こえるのだが、実際には、人間を身体という機械として捉える思想

284考える名無しさん2018/10/19(金) 04:30:58.100
それでいて、「宇宙との合一」というような、宗教的境地を目標としている

285考える名無しさん2018/10/19(金) 09:30:26.950
スピノザは宗教の洞察を決して軽んじてはいなかった
確かに迷信や教会の組織的腐敗等に関しては抵抗していた
しかしだからといって、全面的に宗教から身を引いたわけではなく、理性をもって自然すなわち神と接した
単なる部分の集積によっては汲み尽くされない全体(性)について考察を続けた

286考える名無しさん2018/10/20(土) 10:20:37.090
デカルトの神の存在証明

まず、否定できないものが存在し、精神がそれであるということから精神が実体であると証明する。次に、その精神についての疑問が出てくる。精神が完全で、他の何者にもよらないということは、経験上いえないから。精神が何を原因としているかが問われることに。

しかし、その原因として延長をあげることはできない。精神についての考察で、既に否定しているから。

そこで、別のものとして原因が措定されなくてはならないということになる。これが神の存在証明

287考える名無しさん2018/10/20(土) 10:21:59.340
スピノザによる批判

実体であると一度精神を認めながら、そこに不完全性を認めてその上位の実体を想定したのが誤りである、というのがスピノザの批判。
そこで、デカルトの証明したことから精神が実体であることをのぞくことになる。つまり、実体が一つであって全ては必然だと言うこと。今まで、神だとか精神だとか言う名前で呼んで感銘を受けていたものは、全て自然の実体性の一部を見て感じていたものにすぎないということ。

288考える名無しさん2018/10/20(土) 10:26:14.040
実体の本質の分析と、それが唯一であることの証明の二段階よりなる。

自然の必然性。現に産出されているのとは異なった秩序があり得ないことの証明。これが基礎になっている。
これは、それより上位のもの、それを変化させうるものがあり得ないという仕方で証明される。神の存在証明。また、同時に神に付されていた諸々の性質を否定することで。

自然の必然性を否定するものが無くなった以上、その一部でしかない人間、意識も同様に考察されることになる。それを否定する根拠が存在しないから。

逆に言えば、スピノザの特色は証明の順序を確定したことにある。まず最初に考察されなければならないのは、自然の必然性を否定するとしてそれはどういう可能性によるのか。それを一々検討して、それが不可能であることを示した。
世界が必然であるかどうかをまず議論して、その後で人間が自由意志を持つかどうかを考えよう、という順序。

289考える名無しさん2018/10/20(土) 10:26:30.110
そして、これは複数の観点で述べられている。

人間は実体ではない
存在するのは観念のみであり、それとは別の意志など存在しない。すべて観念により決定する
精神は身体を動かさない。その原因ではない。

290考える名無しさん2018/10/20(土) 11:25:19.030
神を主語ー述語の言語構造で処理すると神は唯一の根本的主語にしかならない
そのような根本的主語に実体という語を与えたのなら、他の一切のものはその述語にしかならない
だから、それら他の一切のものに対しては、神(実体)という主語との関係において、それらにふさわしい述語としての名を与えなければならない

デカルトはこのような構造で神を処理しなかったが
スピノザは徹底的にこの構造で処理した

291考える名無しさん2018/10/20(土) 12:50:33.740
ちょっと煩わしい程度の害悪を徹底的に未然に防ごうとすべきではない。
あからさまに悪意のある相手さえ、その行為が自分に大きな被害をもたらさない
限りは、自分の役に立っていると認識することが重要。
小さな害悪というのは、そのものがいわば日常的な予防接種のようなもの
として作用する。出した資源ゴミを勝手に持ち去られるのは煩わしいし、
きちんと処理が行われなければ迷惑だ。しかし、そのような小さな窃盗
行為を経験することで、油断をしていれば、いつでも家宅侵入による窃盗
などの被害に遭う可能性が意識されて、警戒する。それでいいのだ。
日常的に小さな害悪すら生じないことが当たり前になって、警戒しなくなり、
ある日、突然、取り返しのつかない大きな被害に遭うよりよほどいい。

292考える名無しさん2018/10/20(土) 13:03:55.210
はやく完全になりたーい

293考える名無しさん2018/10/20(土) 13:18:10.220
なる

294考える名無しさん2018/10/20(土) 13:33:30.890
こんな所で糞の役にも立たない長文を書き
他人様に何かを伝達できたと悦に入っているであろう者の人生の敗残は
少し興味深い

295考える名無しさん2018/10/20(土) 15:31:51.930
スピノザを読んでいるとそういうことを書き込むのに躊躇するはずなんだけど

296考える名無しさん2018/10/20(土) 17:47:19.040
スピノザを素通りできない人たちが案外多いことに関心があります

297考える名無しさん2018/10/20(土) 20:36:42.090
結局のところ、「不完全な人間が、どうやって完全になるか?」というのが、スピノザ哲学

298考える名無しさん2018/10/20(土) 20:37:23.840
ヘーゲル「精神現象学」のテーマもそれ

299考える名無しさん2018/10/20(土) 20:50:36.180
それはまさしくそのとおり

300考える名無しさん2018/10/20(土) 20:58:19.480
スピノザ哲学では「完全」なのは神だけなのでは。
人間はただ「改善」ができるだけであって。

301考える名無しさん2018/10/20(土) 21:04:58.120
自分の不完全さを自覚しない人にはまるで関係がない、存在しないのと同じだから
重ねて不完全さを自覚してなおかつ生きようとする人の中でも、二重にその関係性が重なってくる
ヘーゲルに対するキルケゴールの関わり方は、見逃せない意味がある
ヘーゲルが重要な人間だってことと、キルケゴールが重要な人間だってことをどちらも身に染みて実感した上で二つの立場を枠外から捉え直した時、なおどの立場に付くか何をすべきかそこに踏みとどまる
自分には、同じ考え方を取ったうえでヘーゲルの側についたバタイユが先行する人間としてこの世にいてくれたことに感謝してる

302考える名無しさん2018/10/20(土) 21:11:21.280
うんまあ
ちょっと前に引用されているように「人間としての最高完全性」なんだけどね

303考える名無しさん2018/10/21(日) 03:03:45.660
その過程はスピノザより後になって、個人の極限の主張という形となって個別の事例で現れてくるという話だ
例え自分の中や世間で反発しあうもの同士に観念的にバランスを整えられたとしても、自分自身だけでは別の価値観の極点には関与できない
だから他人が限界まで推し進めた主張と、その敵対関係にあるまた限界の姿をした主張とに、身を投げ込む必要がある
平均台の上を渡りきることと、谷の上で綱渡りをすることは違うことだと思う

304学術2018/10/21(日) 07:22:20.780
完全になったら終わりなのだろうか。完全という概念にたどり着いたらもう成長はないのか。何をもって未熟な人間が完全を目指し完全なのか。

305考える名無しさん2018/10/21(日) 07:32:37.360
>From towering redwood trees and diminutive mosses to plants
>that have stinging hairs and poisons,[...]

"diminutive mosses"は、普通に訳せば「ちっぽけなコケ」だが、
この"diminutive"を「わび(侘)しい」に変換できるかどうかが
センスの分かれ目だろう。

306学術2018/10/21(日) 08:22:10.180
神を紙面の中だけに見るのもつまらないだろうな。下積み生活だなあ。

307学術2018/10/21(日) 08:27:01.070
神を目の当たりにすると、人生観かわるさ。

308学術2018/10/21(日) 08:27:40.410
日本には八百万の神々が住んでいます。実話。

309考える名無しさん2018/10/21(日) 08:27:51.680
スピノザ哲学のベースには、常にデカルト哲学がある。

スピノザのいう「完全、不完全」というのは、かの有名な「デカルトによる神の存在証明」と切っても切れない。

310コピペ2018/10/21(日) 08:28:30.710
デカルトは有名な「神の存在証明」を行い、それにしたがって認識の確実性を基礎づけようとしている。一般にこのデカルトの証明は詭弁とされているが、一応見ておこう。

何かを疑いの対象とするのは不完全な存在のみだ。疑うためには完全であってはならない。それゆえ人間は不完全な存在である。

不完全な人間が完全な神の観念をもっている。不完全なものは完全なものに由来するのでなければならない。したがって神が存在するのでなければならない。

ところで人間のもつ観念は神に由来する。神が人間を欺くことはありえない。したがって人間の観念は確実に真であるほかない。

つまりこういう感じだ。

神は完全(無限)であり、人間は不完全(有限)。完全なものが不完全なものに由来することはありえない。むしろ逆。だから不完全な人間の由来としての完全な神が存在すると言わなければならない。

311学術2018/10/21(日) 08:29:41.930
ヘーゲルはカントのあとを受けているがカントより危険でなく、
はからずも、はかられて刑務所インフラや病院インフラに人事をうって、凋落の
一途をたどっているとこが笑える。

312考える名無しさん2018/10/21(日) 08:30:00.170
>>304
まあ、「人間が神になる」というのを目指してるわけでは、さすがにない。

「普遍的な世界認識に到達する」というのが、ここでの最終目標でしょうな。

313学術2018/10/21(日) 08:33:55.490
神が人間におりてまた返り咲くか人間を選んだら感動的だ。神は高次の段階だと思うよ。人間から成りあがってもほぼ不完全な人が多いだろうね。

314考える名無しさん2018/10/21(日) 08:37:54.860
デカルトの本業は数学者だ。

デカルトのいう「完全・不完全」というのは、数学の「無限・有限」とセットで考える必要がある。

無限から一部を切り離せば、有限になる。

しかし、有限をどれだけ伸ばしても、決して無限にはならない。

無限から有限は生まれるが、逆は無理なのだ。

315学術2018/10/21(日) 08:39:35.410
有限を分かち合うこと。無限に還ってゆくこと。

316学術2018/10/21(日) 08:40:12.210
スペースと身体の関係のことに思う。

317学術2018/10/21(日) 08:43:46.310
無限なら大酒のみがいいだろう。有限ならタバコかなあ。

318学術2018/10/21(日) 08:44:13.880
天文科学館、文学資料より抜粋。

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