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特集討論-私の事を「自分」というのはもう止めよう- [転載禁止]©2ch.net
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0001考える名無しさん垢版2015/09/19(土) 19:08:59.350
〜日本人は、なぜ、私、僕、俺の事を「自分」というのか?いい加減止めろよ〜

哲学板のみなさん、こんばんわ!

【特集短期集中討論】【哲学的考察】をはじめたいと思います

この特集講座は、毎回、いろいろなテーマをもとに広く多角的な視点から考え討論を通じ、
その本質を明らかにし、新時代の思考、思想、あたらしい見方、考え方を見出し、
現代社会、地域、日本、世界の現状を変革することを目的としています

また同時に考える力、実践する力を鍛錬するものでもあります

第1回の特集は、私たち、日本人が、なぜ、私、僕、俺の事を「自分」という言葉で呼称するのか?
その理由、問題点、課題を掴み出し、現状改革へ踏み出す第一歩となります

では、もう一度、今回の特集の1号のテーマを下に記しておきましょう

〜日本人は、なぜ、私、僕、俺の事を「自分」というの、いい加減止めろよ〜

では、よろしく、おねがいします!
0003考える名無しさん垢版2015/09/20(日) 19:50:23.610
「自分」という呼称は兵隊が使う呼称だと思うんですよね

関西の人のなかには相手のことを「自分」という人もいますが
わたしは生まれも育ちも東京なので、そのへんの言葉使いはわからないところがあります
0005考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 06:57:03.260
私と自分の違いがわからないんだが
0006考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 08:58:32.060
好きに呼ばせろよw
>>1 は一度精神科行った方がいい。
0007考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 15:18:50.510
>>6
鋭いですね
マジで精神科にいってました

双極性障害、ADHD、さらには、まさかの"ギフテッド"という診断名までついてます
Waisのスコアは142(おそらく±15)と、それほど高くないですが
0008考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 16:04:45.030
>>5
返信が前後してしまいすみません

「私」と「自分」との違いですが、まず以下の二つの違いに注目できるかもしれません

1、哲学の用語、哲学的考察の対象、言語表現で用いられる場合

「私」(=「自己」)という言い方の方がはるかに広く多く用いられ「自分」という言い方は多くないと思います

通常は「私」という言い方の方が「私という意識(を持つもの、存在)」を、より強く意識させるともいえます
「なぜ私は私なのか?」とはいっても「なぜ自分は自分なのか?」とは、それほどいわないのではないでしょうか?

ただし言語表現においては「私」と「自分」の使い分けは多様だとは思います

2、今回のテーマを先取りしてしまいますが、呼称として用いられる場合

「私」という発語(文章表現でもいいですが)者の社会的、心理的身分、立場に依存した
呼称、言い換えとも言うべきもので、多分に状況依存型です

過去の日本の軍隊を考えるとわかりやすいかと、
また現代的な組織でも身分、階級、上下関係を低位のものに自覚させる機能をもち、
呼称を半ば強要するような場合もあるでしょう

歴史(通時)言語学、国語の研究での「自分」という語の由来や用法の変遷も
今回の討論のテーマにもなりうると思います
0009考える名無しさん垢版2015/09/25(金) 21:58:55.16O
「私」は、ちょっとスレが堅苦しいかんじになるかも、と、

でも「俺、オレ」は抵抗あるし。

ほんでも、「うち」って書いたら、
女やて ばれるさかい。
ほんでも、「わし」「わて」は、ちょっとおっさんぽい。

ということで、
「自分」がいちばんましかなーと。
0010考える名無しさん垢版2015/09/26(土) 12:04:27.000
言葉についた匂いが気になってしまうということはある
それで発言をためらったり、何もしゃべれなくなったりすることもある
どうすればいいんだろうね
0011考える名無しさん垢版2015/09/26(土) 18:46:28.230
>>10
それは共感覚というものですかね?

母音に色を発見したのは、フランスの詩人のA・ランボーですが、
わりとめずらしい特別な感覚といえるでしょう
人間にそなわった嗅覚も、いろいろの役割を担い、果たしていると思います

まず、言葉というものを考えてみた場合、人間の扱う言葉にかぎってっも、
意思疎通の基本的な道具ともとらえられ、また世界を分節して差異を把握する機能もあるでしょう
ですが、言葉はそれにとどまらず、上の特徴と密接にかかわりながら、
個々の人間の個性の形成にもあずかっているのだと思うます
つまりは、その人の人間性、人格、性格、認知、感覚と切っても切れないものだと思います

一方で嗅覚も同様のもので、言葉との関係で言葉に匂いを与えるとしたら、
その共感覚をその人の中で、じっくり、開発していくのがいいかと思います
それにより、自己と世界を把握する、把握しなおして、なにかをつかむことができると思います
それが、その人の存在、生きる価値、源泉になりうると思います
0012考える名無しさん垢版2015/10/01(木) 23:36:31.010
>>9
こちらも、レスがおそくなってすみませぬ

たしかにおっしゃるとおりでわたしも2chのスレでは、
ついつい、「自分」という語を使ってしまいます
どういうわけか、それが一番自然な気はします

女性であれば、それが住人にわかるといろいろ面倒もありそうですね

ですが、リアルの世界では、わたしは、「自分」という呼称は使いません
「自分」という呼称に、相当の抵抗感があり、
また言葉としても美しくないともおもっています

ですが、リアルの世界でも同世代の人たちもふくめ「自分」という呼称を、
おそらく言葉の美的センス、感覚を持ち合わせていないのではないか?
そういうくらい、とくに抵抗感も考えもなしに無邪気に使っていると思います
さらには、これは勘違いだと思うのですが、誇りを持って名のっているようにも見えます

それゆえ、この誤りに由来する「自分」という呼称は全面的に廃棄するのがいいと思います

そしてこの呼称の重大な欠陥は、話し手を「自分」という架空の存在と認識させる偽りに満ちた呼称だと思います

わたしは「わたし」であって、「自分」などという奴隷的な存在ではない、奴隷は事物と交換可能な存在です
軍隊が兵士を「自分」と呼称させるのは、「わたし」という個人的な存在の抹消を容易にして、
命令に服従させ、国家のために個人を事物と交換して生命を没収するものではないでしょうか?

「わたし」とは、政治的、社会的には自由な存在、個人であり、またその意識を人間に自覚させてくれます
存在の抹消、命令への服従、生命の没収を拒絶する存在、自由な個人とかんがえよう、

というのが、一見馬鹿げた、どうでもいいような問いの本質、特集の1号のテーマです
0013考える名無しさん垢版2015/10/07(水) 06:44:48.570
☆☆☆   LIBERTY STAR APPEAL THEATER 2016   ☆☆☆

哲学板のみなさん、こんにちわ!

【特集短期集中討論】【哲学的考察】の第2回の講座のご案内です

特集の2号の作戦は、下記のテーマを作戦しております

〜宝くじ高額当選者は、どこにいっちゃったの?名乗りでてみませんか〜

特集の2号の講座は、別途、新スレを作戦、講座を作戦するものです


こちらの【特集短期集中討論】【哲学的考察】【特集の1号の講座】

〜日本人は、なぜ、私、僕、俺の事を「自分」というの?いい加減止めろよ〜

ひきつづき、こちらのスレにて、勉強学習、意見合戦、実践企画を作戦、現状改革の実践を作戦します

特集の2号にも、ぜひ、ご期待くださいませ!

☆☆☆   LIBERTY STAR APPEAL THEATER 2016   ☆☆☆


LIBERTY STAR APPEAL THEATER

銀河(R-FV-312T)自由劇場 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0019考える名無しさん垢版2016/04/19(火) 12:24:11.180
自分の事は自分でやろう
って、スローガンがあったして
私の事は私がやろう
では、意味が違ってしまうよな
0020考える名無しさん垢版2016/04/19(火) 13:00:56.830
アナル ちんちん

ぬるぬるローション

Are'nt you?
0021考える名無しさん垢版2016/04/26(火) 17:38:03.430
二人称の「自分」はどうなるワケ?なのさ
0022考える名無しさん垢版2016/04/26(火) 20:17:00.790
在日軍団の駒にされて自爆兵されてるとき自己はないのであったww
0023考える名無しさん垢版2016/04/27(水) 11:55:46.800
言葉は多いほうがいい。その方が表現が豊かになる。
0024考える名無しさん垢版2016/08/21(日) 07:49:49.730
僕でしょ
0025垢版2016/09/29(木) 21:12:07.960
>>13

こちらのテーマについて、指摘しておきたいのは
わたしたちが、この世界に生まれた、出現した確率は、
現在の日本でおこなわれている犯罪的ギャンブル(胴元は日本政府、官僚組織などなど)である
宝くじも比べ物にならない非常に確率の低い事象なのです

たとえば、100万分の1だとしても、桁としては同じとみなして無問題です

そのことをかんがえたとき、この上、いまさら、宝くじを当てようなどとは
考えないのがふつうではないでしょうか?

考えないほうがいいのではないでしょうか?

これをふまえて、討論をおこないたいと考えています
0026垢版2016/09/29(木) 21:36:26.790
>>19

そうですね

そのご指摘には、わたしも意識していなかった「自分」という言葉の意味があるとおもいます

>>8で書いたように使い分けは多様です

英語などでは、His(Her) Majestyといった敬称はありますが、わたしとは、Selfですかね?

わたしとしては、「自分のことは自分でしよう」と「わたしのことはわたしでしよう」とは、
前者が主観と客観という視点から、本人が発語する場合にもちいられる度合いが
高いかもしれません、もちろん、後者もそのような意味で使われることはあるとも思います

なので、このことについては、区別はできるか?という事を考えていくこともできると思います

どちらが自然かの決め手は、他者にむかって言う場合は、前者かもしれませんね
また発語する個人の自己意識が明確になっていない(たとえば子どものように発達途中とか)ときに、
学校などで、先生や教師から、そういう教育、指導、また一般的な言い方でも、その用法になれていると、
うけとるときの自然さがかわってくるのだとおもいます

わたしとしては、後者のいいかたは、わたしにむかってわたしがいうなら、
わたしという自由な個人を意識させてくれるという気持ちがあり、
不自然さが、解消されていくのではないかと思います
0029垢版2017/05/03(水) 22:15:24.400
>>14>>21

レスがおそくなりすみません、大変重要な問題提起ですね!

「二人称」の「自分」ですが、スレの最初のほうで指摘したように、
関西(?)の方々では、わたしのことを指して、「自分」という、よぶことがあると記憶しています

この語感は、ある意味特異なもので、わたしには、日常的に使ったことがないため、
わからないところもあり、また、注目できる、破格の用法ともおもえます

この状況を想像してみると、話し手が「わたし」のことを「自分」と呼称することにより、
話し手が、あたかも鏡のように、「わたし」を写しだして、「わたし」と「わたし」、内部と外部、
自己と他者、自我と他我の対照関係を、「わたし(内部)に属して存在するわたし」と
「他者(外部)に属して存在するというわたし」という関係に変換して、
わたしという存在の客観的な実在性を認識させますが、
それはこの呼称の作用、働きに由来し、かならずしも、「わたし」という存在を、
真に説明、あらわしてはいないかもしれません、

ただ、ここ(用法)からは、「わたし」=「自分」という等式が存在する、同義である、ということが帰結されます

ですから、この言葉の作用を慎重に検討して、さらには、「わたし」という存在の、本来のあり方から、
そういうものがあるか?も検討事項ですが、同時に、これは、二人称の「わたし(自分)」も同じく、同じ次元で、
お互いが同等に検討されるようなことがらであって、ここは検討時に重要な要件としなければならないでしょうが、

そういう考察をおこなって、はじめて理解されるような、とても大切なことがらだとおもいます

おそらく、この用法は、虚偽に陥る、帰結するという気がしますが、
では、それは、なぜ?または、どのようにして、そういうところまで、
詳細に、仔細に考えをすすめる必要もあるといえるでしょう
0030垢版2017/05/03(水) 22:22:30.950
ところで、いままでの討論のなかで、みなさんが考えられた、考察された事柄があったら、
ぜひ、お知らせいただければ、うれしいです!

問題、課題の共有もできるとおもいます、

テーマ自体が、些細な事柄を問題にしている、問題視しているということは否めませんですね、
なので、このテーマ自体に言及していなくても、そこから連想されたり、一連のやりとりのなかで、
ふと、思いついた、ある意味、まったく、別の事柄についての考察でもいいのでは?とおもいます

問題を見守りながら、新たな、別な問題が発見され、それについて考察をおっこなった、そういうものでもいいとおもいます、

ぜひ、お知らせいただければとおもいます!

よろしくです!
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