西洋哲学と東洋哲学 その視座 [無断転載禁止]©2ch.net

1毘盧遮那2016/05/21(土) 09:39:50.710
西洋哲学はどういったもので東洋哲学はどういったものかという感じ

そのはじめヨーロッパ人はなお、青年のような心持ちで文明建設の途上にあったがために、
彼らは肯定哲学の一面にのみ心ひかれていたが、欧州大戦の悲劇はここに互いに相争うことを知らしめ、
彼らの自負した知識が結局はただ自他を傷害することのためにのみ役だったことを知らしめた。
知識の過度の肯定は知識自体の破産であることに気づいてきた。
自然を征服するという猛々しい勇気はやがて、結局は自然に克服されていたことを感ぜせしめた。
彼らはここに、やるせない気持ちでむしろ否定の哲学に耳をかすようになり、
否定の一面あってこそ、はじめて救済が存在するのだという、
未曾有の体験を味わわしめたのである。「涅槃寂静」とは、戦いぬき疲れぬいた者の安住所である。
断食者にはまず粥から養いなおすように、ヨーロッパ民族にとっていまは一時的ではあるが否定の哲学こそが良薬となっているのである
「仏陀のおしえ」(友松圓締)

>>2

1132017/02/24(金) 05:50:14.620
世界史を紐解いていくとユダヤ人てのは、ずいぶん数奇な運命を辿っているよな。
ちなみに第一次世界大戦後、オスマン帝国が衰退し、シオニズムがヨーロッパ各地で盛んになり、
大量のユダヤ人がパレスチナに流出した。元来、エルサレムはアラブ人の聖地でもあるエルサレムに大量に移住してきたことを
アラブ人はあまり快く思っていなかった。当時のパレスチナは、イギリスが統治していたのだが、結局イスラエル建国でアラブ人とユダヤ人の対立鮮明化していく。

追って歴史を辿っていく。

114考える名無しさん2017/02/25(土) 09:10:04.110
偶像崇拝をしてはならないという教えは言葉通りの意味以外にも
例えば人などを羨望し目指したり従属したりすることの禁止も指すのではないでしょうか
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html?reload=2017-02-24T10:00:38
なかほど

1152017/02/26(日) 07:29:51.160
おまえらニーチェのツァラトゥストラを読む前に、キュロス2世くらいは、把握しとけよ。
ユダヤの民にとって、キュロス2世がどういう意味を持っていたのか?ペルシア帝国やオリエントの世界史的な意味。
それから都市国家ポリスの独立的な思考を持つギリシアとの闘い。アジアとヨーロッパ文明の対立、

そういったものくらい知っとけよ

1162017/02/26(日) 07:32:11.070
ユダヤとアラブ人

>>64>>72

1172017/04/24(月) 20:40:49.640
吹くかぜを なこそのせきと おもへども みちもせにちる 山桜かな

源義家『千載和歌集-巻第2春歌下』より

118美魔女2017/04/24(月) 20:52:23.060
ピーポー🎶

1192017/04/24(月) 21:06:30.350
奈良時代末

大和朝廷の支配に服していた地域は、宮城県仙台市の北の多賀城あたりが北限となっていた。
この時期、平安京遷都や歴史書『続日本記』の編纂を行なうなど、数々の新事業を進めていた桓武天皇は、支配領域の拡大にも積極的に乗り出した。
桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂は、征夷大将軍に任じられて東国と奥州に下向。
坂上田村麻呂率いる朝廷の軍勢は、さらに北を目指して奥州深く攻め入り、当地を治めていたアテルイの率いる軍勢を破った。
そのころ坂上田村麻呂は、北上川流域の胆沢(岩手県奥州市)に城柵(砦)を築き、朝廷の奥州支配の拠点とした(802年)

小学館ウイークリーブック 『戦乱の日本史 新説前九年・後三年の役』より

1202017/04/24(月) 21:28:27.900
878(元慶)秋田で反乱
939(天慶2)年 平将門の乱

平安時代後期のこと。1051年(永承6)

衣川柵(岩手県奥州市)を越えて南進してきた安倍頼時を藤原登任(陸奥守)が迎え撃ったが、大敗を喫してしまう。
同年、朝廷は源頼義を陸奥守に任じられ、奥州に派遣した。1056(天喜4)年安倍一族と朝廷側のあいだで和平が計られたが決裂し戦乱が勃発する。

1212017/04/29(土) 09:24:08.920
前九年の役・後三年の役



前九年合戦・後三年の役

122考える名無しさん2017/06/05(月) 18:34:20.430
age

123考える名無しさん2017/06/29(木) 18:18:15.840
良スレ

124考える名無しさん2017/07/29(土) 21:36:47.470
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

125考える名無しさん2017/10/13(金) 09:58:40.920
>>2
西洋人の姿そのものだわ
実際今でも欧米はそういう馬鹿多いからな
考えるのは好きな癖に当たり前のことに気付かない、知らない
中国と日本の間は渡航が難しかったらしい→日本を最初に発見したのはスペイン!みたいな池沼理論とかがデフォ

1262018/01/12(金) 22:47:53.520
アリストテレスとアレクサンドロス3世、そしてオリエンタリズム・ヘレニズム文化

アリストテレスは言う
「神とは、法(宇宙の万物を動かす「第一動者」)である。その法は、公平で、訂正や変更は認められない。
思うに、石版に刻まれたものより、確実で、優れた存在なのだ」

1272018/01/12(金) 22:54:18.280
さて、アリストテレス哲学を始めとする、ギリシャ哲学が世界に広まっていった背景にはアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の世界征服(実際には世界の半分以下だが、かなり広大な範囲)がある。

このスレでは、アリストテレスの哲学を追っていくが、その前に別スレで世界史のおさらいをして、ヘレニズム文化の広がりについて、歴史を辿っていく。

1282018/01/21(日) 22:46:35.330
「アレクサンドロスの東征に同行した中にピュロンがいた。
略)
ピュロンは、人は孤独と魂の平穏を重んじて生きるべきだ、と考えるようになった。また事物の本性を知ることは不可能で(この世界観は「不可知論」と呼ばれている)、
このよに確実なことは何もないのだから、誠実に生きようとするなら、特定の考えを持つべきではない、と主張した。
かれの思想から生まれた「懐疑主義」は、後に広く影響を及ぼすことになる」

「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」の覇者が広めたヘレニズム文化より

129考える名無しさん2018/01/21(日) 22:50:17.750
照り焼き

1302018/01/21(日) 22:56:30.930
「ピュロンに負けず劣らず極端な思想を持つに至ったヘレニズム期の哲学者に、エピクロスがいる。彼の思想は、ローマ帝国の初期の社会に大きな影響を与えた。
エピクロスは、
「快楽と苦痛は、善と悪とをはかる自然のものさしである」と説いた。
またエピクロスは原子論者で、その哲学は、近代ヨーロッパで「原子論」が生まれるきっかけともなった。
神は人間に報酬を与えることも、罰することもしない。世の中のできごとは、空間を自由に動きまわる原子の運動や相互作用によって決まっている、といのが彼の考え方だった」

「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」より

131ヘレニズム文化2018/01/21(日) 22:59:51.920
アリストテレスの教え子にマケドニア王国の王子アレクサンドロス3世(後のアレクサンドロス大王がいる).

「アリストテレスほど、自然を探求し、発見し、学ぶことに対する自信を人類に与えてくれた人物はいないだろう。
しかし、どのような真実が発見されても、ひとりの天才の頭の中や、金持ちの書斎の中にしまいこまれていたのでは、何の役にも立たない。
そうした知識を最大限に活用するには、世界のすみずみにまで広め、人間の知性を自然に対して用いるチャンスを、できる限り多くの文化にもたらす必要があった。」

「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」より

これをアリストテレスの教え子であるアレクサンドロス3世が実現した軌道をたどる。

132ヘレニズム文化2018/01/21(日) 23:01:28.910
BC338年、カイロネイアの戦いによりマケドニアの王フィリッポス2世が、アテナイ・デーバイ連合軍を破る。
これによりギリシア諸ポリスにコリント同盟を締結させ、フィリッポス2世がギリシア全土の支配者となる。

BC336年、フィリッポス2世は、将軍パウサニアスにより暗殺され、20歳の若さで、その子アレクサンドロス3世がマケドニアの王位につく。

これが物語の始まりだ。
アレクサンドロス3世の若さ故、デーバイが反旗を翻し、アレクサンドロス3世はこれを鎮圧すると、彼のあくなき探求心が世界征服への野望となり、手始めに東方遠征が開始される。

BC334年グラニコスの戦いにて、東方ペルシアへ、小アジアの太守を撃破し、
BC333年には、ペルシア皇帝ダレイオス3世率いる10万人の軍隊をイッソスの戦いで撃破。
BC332年にペルシアからエジプトを解放して、英雄として迎い入れられ、ファラオの称号を得る。そしてエジプトにアレクサンドリアという自分の名前の都市を築く。

「紀元前331年、アレクサンドロス軍47,000は、チグリス川上流のガウガメラで20万とも30万ともいわれたダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破った(ガウガメラの戦い)。
ダレイオスがカスピ海東岸に逃れると、ペルシャ王国はもはや風前の灯火となった。ペルシャ王国の中枢に乱入したマケドニア軍は、バビロンやスーサの主要都市を略奪した。」
ウィキペディアより

133ヘレニズム文化2018/01/21(日) 23:04:01.080
これによりダレイオス3世が死去し、エジプトとペルシアが滅亡。
王はギリシア兵の大半を帰国させた後、新たに傭兵を雇って帝国軍を編成し、
スキタイ人とアフガニスタンを征服し、更に東へ領土を拡張して、北部インダス川に到達。
BC326年ヒュダスペス河畔の戦いで、ポロス率いるインド初稿軍を破り、広大なマケドニア王国を築き上げる。

これによりマケドニア王国の領土が世界中(とは言っても半分以下だが)に広まりギリシア文化とオリエンタリズムが融合したヘレニズム文化が生まれる。

広大な領土を得たアレクサンドロス大王は、ギリシア人と支配したペルシア人の融和を図ったが、文化の違いから軋轢を生み悉く失敗する。

BC323年6月10日の午後、バビロンのネブカルネザル王の宮殿で32歳と言う若さで死去する。

「多くの歴史学者がアレクサンドロスの研究に生涯を捧げてきたが、それでも、王が世界征服に乗り出した理由は謎のままだ。
誇大妄想に取り憑かれたのだろうか。
それともナポレオンやヒトラーのように、ひとりの男とその軍隊が、どれだけ強大な権力を握り、どれだけ多くの国を征服できるのか、挑戦してみたのだろうか。
あるいはアリストテレスの哲学に刺激され、何としてでも世界の果てを自分の目で見たいと思うようになったのだろうか。」

「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」より

1342018/01/21(日) 23:10:10.990
ヘレニズム文化やね。オリエンタリズム(西洋にとっての異国情緒、東洋趣味)。本当にアレクサンドロス3世は広大なユーラシア大陸と北アフリカを手中に収めたんやね。
それによりギリシア哲学が世界に広まって、西洋文明に大きな影響を与えたんや。特に旧約聖書がヘブライ語から西ヨーロッパの言葉に翻訳されたことで、
キリスト教の伝播にも繋がっている。

1352018/01/21(日) 23:34:44.740
ひとつ注意しなければならないことがある。
それは歴史の編纂とは、勝者の歴史であり、実に不公平にできている。そして歴史は教訓的な神話世を帯びている。
歴史というのは克明な記録ではなく、政治的な上部構造の変動以外ではない。それを考えると、それが偽であったり、勝者の都合のいい解釈に基づいていることは多々ある。
それでも歴史の編纂とは必要なひとつの価値観であり、学んで行くべきものなのだろう。
交通整理という言葉があったが、それに近い。虚偽的なものを含むアカデミズムの世界で編纂された歴史だからこそ、それをよく知っておく必要がある。

1362018/01/21(日) 23:44:22.440
アリストテレスの第一哲学

アリストテレスにとって、プラトンの「イデア」は超越的なるが故に現象界における個物との関連づけが本来的に不可能であるとして、イデアの超越性を否定する。
実在するのは、ただ世界に内在する個物のみであり、これが実体である。

第一哲学が対象とするのは、すべての存在者に共通にあること(本質的)であり、
第二哲学は、ここの存在者を扱うものであり。

ハイデガーやサルトルの哲学は、この応用なのがわかるな。

1372018/01/22(月) 06:47:01.740
ヒッポクラテス!

1382018/01/22(月) 07:13:28.880
アリストテレスは、存在者に個物としてありうる四原因を挙げている。まあご存知の質量因、形相因、目的因、動力因、である。

サルトルのペーパーナイフの話は、これらを受けているというのはわかる。
机や椅子の材料である木材を質量。これらを個物(机や椅子)にまで形成する形相(机の場合はできあがるべき机のイメージ)を形相因という。
質量は下に向かってこれ以上考えられない第一質量が設けられるとともに、上へ向かってこれ以上の形相は考えられない第一形相が設けられ、
第一質量は混沌たるものとされ、第一形相は神と名づけられる。第一形相は上向きに追求される最高のもの、第一目的とされ、これを目的因とする。
質量に関して、これらの第一形相への目的として、材料を加工してある段階の個物が生ずるのであるから、形相因はそのものをそのものとして現出させる動力因である。

1392018/01/22(月) 07:21:23.360
「材料はそこからどのような方向へでも加工される可能性を秘めている。同じ木材が形相次第で机にもなる。
すなわち、質量は可能態においてある、とみなすのである。これに対して、机は木材からさまざまなものになりうる可能性を秘めている。
したがって形相が現実態に相当する。アリストテレスの哲学(形而上学)は、かかる可能態から現実態への運動を軸として展開される。
この意味で、神は最も現実的な現実態であることになり、完成態(エンテレケイア)とも呼ばれている。

1402018/01/22(月) 07:26:39.620
参考文献「概説 西洋哲学史」(ミネルヴァ書房)

哲学史を語る上で形而上学が一纏めにされている。
プラトンの「イデア」
アリストテレス「純粋形相」
キリスト教の「人格神」
デカルト「人間理性」

デカルトに至っても、いわば、「事実存在」が「本質存在」に還元されている。

時間だ。終了。

1412018/01/22(月) 20:42:58.670
神の概念については、デカルトにとっては人間理性の主観に対しての客観の媒介者であり、主観の超越論的な基礎付けの働きは無限な神の理性によって保証されていた。

木田元

この神的理性の媒介なしに、主観ー客観の対応関係を乗り越える試みがカントによって成されたことは有名だ。

プラトンの「イデア」、アリストテレスの「純粋形相」、中世キリスト教神学の「人格神」、そしてデカルトの「人間理性」。
これらの独断主義的形而上学を否定したのが、ロック、バークリー、ヒュームなどの経験主義哲学であるが、経験主義では数学や数学的自然科学の確実性をも否定する結果となり、懐疑論であるという批判を受けて、カントが登場する。

1422018/01/22(月) 21:01:07.230
カント(ドイツ観念論哲学)

形而上学的原理ー超越論的主観性
神を排除し、神的媒介を抜きにして、人間理性と世界の存在構造の対応を取り付けよう人間の認識するのは「物自体(それ自体においてあるがままの物)」の世界ではなく、
人間の認識能力に間尺を合わせて現れてくる「現象」の世界、現象界でしかない。

「現象=材料+形式」〜人間はこの形式的側面に関してなら、いちいち経験しなくとも明確に知ることができる。

この世界(自然)はあくまで、われわれの理性に依存して存在する世界。われわれの「認識」が独立に自存している対象を模写するという形で、
対象に依存しているのではなく、むしろ対象がわれわれの認識に依存する。
つまりは、われわれが認識することによって、はじめて対象がそのような対象として現れてくる。
木田元

1432018/01/22(月) 21:17:56.410
純粋理性批判とは、純粋な理性的認識が客観的妥当性をもって成り立つ範囲と、それが成立しなくなる範囲とを見分け区別しようということに他ならない。

「感性」-受容の能力
「直観」-その受容の働き
「直観の形式」-時間と空間。

○悟性と理性
そうした空間的規定や時間的規定に関してなら、われわれは経験に先立って(先天的に)知ることができる。
幾何学と数学は、実は空間形式と時間形式とについてアプリオリ。
そのようにして受け入れられた材料を整理するための能力を「悟性」という。その整理の働きを「思考」

「純粋悟性概念」(カテゴリー)
伝統的な形式論理学の判断形式を分析整理して、カントは12の基本的な思考形式を導き出した。

量ー単一性、数多性、全体性
質ー事象内容性、否定性、制限性
関係ー実体と属性、原因と結果、相互作用
様相ー可能性、現実性、必然性

1442018/01/22(月) 21:37:56.240
カントにあって、人間理性は、確かに自然界(現象界)の立法者ではあったが、その支配権は物自体の世界には及ばない。
それどころか、現象界の立法者といっても、それはあくまで現象界の形式的側面に限られ、材料の方は物自体に仰がねばならなかった。

木田元による

18世紀フランス革命ー啓蒙思想が、いわば無時間的無歴史的な普遍的理性を原理にこの理性を旗印にヨーロッパを解放してやるのだとばかりにドイツに侵入する。
それに対して、ドイツロマン主義は、この理性に抵抗。ドイツ民族独自の個性を主張。

このドイツ精神の礎であるロマン主義的なドイツ精神は、安易になるかもしれないが、ヒトラーの大ドイツ主義にも繋がるものだという見方もできる。
フランスの啓蒙思想は、本当に極端に言うと、ポルポトのクメール共産主義の思想と「全歴史の否定」にも繋がるのかもしれない。
ポルポトのフランス留学が、この思考にどのように影響を与えたのかはわからないが、まったく無関係な話ではないだろう。
また材料を集めて検証する。

1452018/01/22(月) 22:22:06.780
ま、一旦、西洋哲学のおさらいをやめて、仏教哲学とカント哲学の比較をすることにしよう。

ドイツ観念論と仏教哲学の唯識。
安易に比較することはできないが、そもそもの出発が違えど、それぞれとてもおもしろいよ。
西洋哲学の出発点が形而上学的な神的媒介に寄っているのに対して、仏教哲理のそれは、苦諦からの出発している。
この違いは、光(西洋哲学)と闇(仏教哲学)に分けることができる。西洋哲学は暇人のギリシャ人が真善美を土台にして考え出したのに対して、仏教はネガティブな思考から出発している。
唯識の眼耳鼻舌身意とそれに執着する末那識とすべての根底の阿頼耶識。
感性、直観、悟性や理性や形式論理学。カント哲学の方が遥かに緻密に人間の意識や精神にスポットが当てられているが、
唯識には、もっともっと深い部分に確かにある人間の根本的なものが隠されている。

無我とか空とか言うものの存在ははっきりしない。それに対してカントの観念論はなるほどはっきりと理解できる。
が、
五蘊皆空也と照見して一切の苦厄を度し給ふ、という言葉に精神の光が溢れている。見事に自然性と人間精神の間に蒼い空のようなブルーが思考の上に浮かぶ。

空は識に異らず
識は空に異らず
色即是空 空即是色
受想行識もまたまた斯くの如し

146考える名無しさん2018/01/23(火) 00:23:22.870
カントつか哲学は神的というか総じて当為ですね。東洋は有為と無為かな
そっから真に向かって演繹するんで自立論証派などもこれに部類します。

仏教は分割差別せず、主体的立場から見て諸々の形而上学的問題は無用とする。
思考上に真はなく、'もの'たる客体を問題としないかわりに仮設があり、また方便もある。
中観派などは明らかに十四無記などを寂滅に導かせます。その過程の仮設(主客を
逆転したり、あるいは一体、他力思想などその立場を厳密にする宗派もあり)であります。

1472018/01/23(火) 00:45:39.090
西洋哲学と仏教哲理を比較するのは非常に入り組んでいて難しいっす!

148考える名無しさん2018/02/03(土) 16:44:43.910
>>141
デカルトの「人間理性」とは、誰しもが思考可能な“方法的懐疑」によって認識される。

プラトンの「イデア」、アリストテレスの「純粋形相」、中世キリスト教の「人格神」、イスラム教の「アッラ−」等々は
“超越的な存在”であり、 デカルトの人間理性(=超越論的主観)とは、大きく異なっている。

1492018/02/05(月) 21:30:05.380
「日本精神史」上 長谷川宏(講談社)

目次

第一章 三内丸山の巨大建造物
第二章 火炎土器と土偶
第三章 銅鐸
第四章 古墳
第五章 仏教の受容
第六章 『古事記』
第七章 写経
第八章 『万葉集』
第九章 阿修羅像と鑑真和上像
第十章 最澄と空海と『日本霊異記』
第十一章 『古今和歌集』と『伊勢物語』
第十二章 浄土思想の形成
第十三章 『枕草子』と『源氏物語』
第十四章 『今昔物語』と絵巻物
第十五章 東大寺の焼失と再建
第十六章 運慶の新しい造形意識
第十七章 法然と親鸞
第十八章 『正法眼蔵』

1502018/02/05(月) 21:31:18.510
内容紹介

長くヨーロッパの文化と思想を研究対象としてきた著者は、ここ20年ほど、日本の文化と思想の研究にとりくみ、その流れを歴史的に追跡してきました。その成果がついに一書にまとまったのが、本書です。題して、『日本精神史』。
「精神」とはなにか。
ヘーゲル研究者としてスタートした著者は言う。「あえて定義づければ、人間が自然とともに生き、社会のなかに生きていく、その生きる力と生きるすがたが精神だ」。
テキストとして残された思想はもとより、土器や銅鐸、仏像、建築、絵巻、庭園など、あらゆる文化を渉猟し、
縄文時代から江戸時代の終わりまでを、一望のもとに描く、まさに畢生の大作です。
ただし、著者は、難解であることを潔しとしません。ヘーゲルのわかりやすい翻訳で脚光をあびたように、あくまでも流麗な文体で、明解に描いていきます。
思想も絵画も仏像も、ひとしく日本の精神の歴史としてとらえ、あらためて、日本とはなにかを問いかける清新な傑作と言えます。

151考える名無しさん2018/03/11(日) 03:40:11.730
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

0OS31

152考える名無しさん2018/03/11(日) 12:54:10.100
0OS31

153考える名無しさん2018/05/21(月) 03:50:32.430
https://youtu.be/KR8uy9XKGMw

ミシェル・ブランチ

154考える名無しさん2018/05/26(土) 04:33:39.390
フランス革命

1774年ルイ16世即位・テュルゴーの財政改革
1789年5月三部会が招集され、6月20日にはテニスコートの誓いが行われる。革命の高揚が起こり、7月14日とうとうパリ民衆は旧体制の象徴だったバスティーユ牢獄を襲撃し、
司令官の首は槍の先につけられて牢獄を占領し、全国に大恐怖が拡大される。
8月4日に有償で封建的特権の廃止の決議が行われ
8月26日人権宣言が採択される。
10月5日パンを求める7千人の女性を含めた2万の国民衛兵はヴェルサイユ宮殿に乗り込みルイ16世に人権宣言を認めさせ、パリのテュイルリー宮殿へ連れ出した。(十月事件)
1791年立憲君主派で国民議会の指導的役割を果たしたミラボーが死去。同じ年、6月21日には国王夫妻の逃亡未遂、ヴァレンヌ事件が起こる。
8月27日にはオーストリアとプロイセンに革命干渉(ピルニッツ宣言)がされるが、9月3日に憲法が可決され、
1791年10月1日に立憲議会が成立する。3月23日ジロルド派内閣成立。4月オーストリアに宣戦布告するも戦況は不利だった。
同年8月10日パリ民衆と全国義勇兵は立法議会に突入し、王政を停止させた(8月10日事件)この際、国王は小部屋に隠れたが捕らえられ、
ルイ16世は1793年1月21日処刑される。9月20日にはヴァルミーの戦いで初勝利する。
1973年9月21日に普通選挙による国民公会が成立し、翌日、共和政宣言が出される。

155考える名無しさん2018/05/26(土) 04:34:26.620
アンシャン・レジームからの脱却
ラ・マルセイエーズ(国歌)

まあ、所謂、フランス革命のあと第一共和制に突入し、のちにナポレオンが大塔するが、旧体制を倒したという記憶はフランス人に大きな爪痕を残したわけやな。
日本人の中にこれがないんだ。上は上。おかみ。更に上は神なわけだ。上にいる人間は神格化される傾向にある。
現代に至っても企業の上層部に対しては、不祥事その他がなければ自分の生活を犠牲にしても身を捧げて日々業務を遂行するのが日本人。
いい意味でも悪い意味でも意識は旧体制以前のまま。ただ、実際、天皇は尊敬されるべきものなのだが、
フランス革命を経験したヨーロッパ人、事にフランス人には、日本人のような上層部に対する敬意はない。
いつでも自分の生活に不利益な旧体制前のような体質の組織には反発する。

156考える名無しさん2018/05/27(日) 18:58:10.300
うるさいアホ

157考える名無しさん2018/05/27(日) 19:48:40.080
なにが!!

158◆0owanyIGTY 2018/05/28(月) 11:31:51.540
晃代って面倒くさい女?
結構、男に嫌がられそう。
おれは大丈夫だけどね、面倒くさくても。まあほっておきまくるけどね。

159考える名無しさん2018/05/28(月) 11:35:02.330
おれの方が取るに足らない男なのはわかるが、いろいろなところからかなり面倒くさそうな性格してるな。

160考える名無しさん2018/05/28(月) 12:56:26.710
大 袈 裟 太 郎 を 不 当 逮 捕 

大袈裟太郎を不当逮捕した警察官、罪に問われる可能性があることが判明。逮捕か。
https://twitter.com/logicalplz/status/928959762556846083
今朝、辺野古で新基地建設に反対するママの会メンバーに対して、
機動隊員が「お前たちには汚い血が流れている」などと暴言を吐いたそうです。
https://twitter.com/MothersNoWar/status/690357793702940672

   彼 ら の 時 代 は ほ と ん ど 終 わ っ て い る

「多くの国々のリーダーは自賛に耽ることによって、
 国民の生活を握るよろよろした力を維持しようと望む。
 彼らの時代はほとんど終わっている。
 間もなく起こる出来事


 ーーー< 日本からはじまる株式市場大暴落、世界経済破綻 >ーーー


 が政府の力を再分配し、国民を解放するだろう。」(世界教師マイトLーヤ)

既得権者は原子力発電所のさらなる建設を提唱します。
そこから莫大な利益が得られるからです。
これが貪欲と利己主義、競争に基づいた商業至上主義の最悪の姿です。
マイトLーヤは公に出現された後、
原子力発電所を直ちに閉鎖するよう示唆されるでしょう。
share/share07

161◆0owanyIGTY 2018/05/28(月) 20:46:46.750
『日本の近代化と社会変動――テュービンゲン講義』(講談社学術文庫, 1990年)富永健一

この人の本かなり面白い。お勧め。

162◆P1F.MDbmTg 2018/12/10(月) 21:24:10.300
あげ

163考える名無しさん2018/12/12(水) 18:55:08.050
東洋哲学としての仏教の誤読の問題をずっと考えてきた。
大部になるのは好まないので例として法華経という経典を例に出す。
この経典は天台宗、禅宗、日蓮宗(スピンオフの創価学会なども含む)の教義教条に大きく関わっている。
この法華経は鳩摩羅什漢語訳からサンスクリット版、さらには中央アジア版やカシミール版、ガンダーラ版と
多くの テクストが存在するが、ただ一つ共通する論題がある。
先ず第2章において、言語論理でのコミュニケーションは失敗したと告白する。
なのでこれ以降はメタファーとレトリックを出来るだけ多用し理解してくれと
読者に懇願する。
これ以降、おとぎ話が続くが、第22章において「カメラを止めるな」と同じような
びっくりするようなドンデン返しが現れる。
今まで語った話は嘘だよ!と法華経は語り、仏教の教理哲学を示す。

ただ、ここまで素直に読んできてしまった読者は、「そんな事言っても、今までの話は何だったの?」
と法華経のメタファーとレトリックを支持し続ける。
それは法華経の本来の目的では無いが、多くの法華経信者は身勝手なバイアスとコンコルド効果によって
真の法華経の意味を否定する、という誤読が生じる。

これは仏教の世界によく見られるスリップストリームに誘われるマジックリアリズムの
迷妄の中に、自己を埋没させ、誤った循環論法自体が、その人達のアイデンティティに
なってしまう。

ここが仏教の誤読の問題の核であり、それが拡大し続けるという問題をはらんでいる。

仏教を真剣に勉強している人が、一番仏教を理解していないというケースが多過ぎる。

新着レスの表示
レスを投稿する