最近哲学に興味あるんだけど [無断転載禁止]©2ch.net
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デジタル大辞泉の解説
おもん‐ぱか・る【▽慮る】
[動ラ五(四)]《「おもいはかる」の音変化。「おもんばかる」とも》周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。「相手の体面を―・る」 マジレスすると哲学の定義を試みることがすでに哲学的営為 哲学に興味を持ってるイッチが思う哲学こそがイッチにとっての哲学なんじゃないの? >>7
ごめん。日付変わっちまった。そういうことになるよな >>8
が思う哲学と俺が思う哲学は違うかもしれないってことか。
哲学とは考えること。考える行為そのものです。考えることを哲学と言います。
考えたことを言葉にしたのが思想と呼ばれるものです。
哲学書に書かれているのは思想です。
私なりに無理に定義すればこうなります。
簡単に言えば感受したものを問うことです。
だから哲学とは何?から哲学者は入ったのではなく疑問に思ったことを考えていたらそれが哲学と呼ばれるものであったということです。
私で言えば八歳の頃学校で遊んで帰宅するときに突然これは何?なぜあるの?と驚いたことが哲学の始まりです。
けして哲学とは何?という問いから始まったのではありません。
私の疑問を考えることを哲学と言うことを知ったのは二十歳の頃です。
誰もが自分がいることに驚いたこと経験あると思います。
それを考えていることを哲学と言います。だから哲学を気にする必要はありません。自分が疑問に思ったことを考えていればいいのです。自分がやっていることが哲学かどうかはやっている本人はどうでもいいのです。
私も気になったことを考えているだけです。それが哲学であろうがなかろうがどうでもいいのです。
哲学とは考えること。考える行為そのものです。考えることを哲学と言います。
考えたことを言葉にしたのが思想と呼ばれるものです。
哲学書に書かれているのは思想です。
私なりに無理に定義すればこうなります。
簡単に言えば感受したものを問うことです。
だから哲学とは何?から哲学者は入ったのではなく疑問に思ったことを考えていたらそれが哲学と呼ばれるものであったということです。
私で言えば八歳の頃学校で遊んで帰宅するときに突然これは何?なぜあるの?と驚いたことが哲学の始まりです。
けして哲学とは何?という問いから始まったのではありません。
私の疑問を考えることを哲学と言うことを知ったのは二十歳の頃です。
誰もが自分がいることに驚いたこと経験あると思います。
それを考えていることを哲学と言います。だから哲学を気にする必要はありません。自分が疑問に思ったことを考えていればいいのです。自分がやっていることが哲学かどうかはやっている本人はどうでもいいのです。
私も気になったことを考えているだけです。それが哲学であろうがなかろうがどうでもいいのです。 哲学は嵌らない方がいい
深みに嵌るほど頭おかしくなるから
一般常識としての哲学史や哲学学なら知っておいて損ないが
私の最近の疑問は正しい考え方とは何か?ということです。
考え方が間違えていたらもともこもないので。正しい考え方を考えています。
専門的に言えば論理です。
その人が本物かどうかは分かりやすく言えるかどうかです。
私が本物かどうかはみんなさんが判断してください。
だから哲学者とは人から呼ばれるものであって自分から名のるものではありません。
自分から名のる人は偽者です。
哲学を教えることはできません。
水泳の泳ぎ方を教えても泳げるとは限りません。自分で実際に泳ぐしかないのです。
泳ぎ方は教えました。
あとはあなた次第です。
人生の価値は損得ですが哲学の価値は善悪です。
哲学者とは損得ではなく善悪で生きる人です。分かりやすく言えば社会不適合者です。
この世の価値はお金ですが、お金とは何か?考えるのが哲学者だからです。
お金でものが買えることは人間が勝手に決めたことであって本当にものを買ったことにはならないと。
私は働きながら生きているし一応社会に溶け込んでいます。
でもお金でものが買ったことになる振りをして生きています。
日常生活に支障が出るからです。
哲学をして得なことはありません。生きづらくなるだけです。
哲学できる可能性は誰にもあるけどすべての人が哲学できるとは限りません。
哲学者とは変わりものです。
みんなの参考になればうれしいです。健闘を祈ります。 ギリシャで産まれた頃の哲学は真実を解き明かそうとするものであった
自然科学は重要 哲学と現実を混同するのってアニメやらフィクションと現実の区別がつかなくなるのと似てない? 哲学っていうのは現実を支配している知の体系でしょ
「哲学って何? やってみよう」というのがすでに間違い
つねに哲学し続けているしその支配から逃れようもないのが哲学なのよ
むしろやってみるべきなのは、「哲学しない」ことだよ
これがいちばん難しい てつがく
【哲学】
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。 自分なりに解釈すると、答えの出ないものを頑張って理屈などで説明しようとする行為や学問かな 例えば世界の根源のあり方や原理を知ったとしてもそれで何の役に立つんだって思ったら、それについては考えなくて良いし
今日のお昼何にするべきか→人間は何を食べるべきか とか多少なりとも役に立ちそうな、かすりそうなところから始めた方が良いかもね 目的もなく「哲学馬鹿」になる事だけは避けた方が良い 世の中には肩書や見てくれはたいそう立派だけど、
人間の根源的な部分が幼稚脆弱なやつが多すぎ。
りっぱな豪邸だけど土台は手抜き工事になってるのにそっくり。
土台をしっかりさせたければ若い時にそれなりに悩むことは
必要。 >>24
些細な疑問すら突き詰めると世界の根源に行き着かざるを得ない
人間は何を食べるべきか?
人間とは何か 食べるとは何か 存在とは何か 行為とは何か
その上何も答えを出せない
>>25
哲学とは何かを哲学する、
とかその最たるものだな 「自分は哲学に関わっている」という自意識からの卒業という事では? https://twitter.com/ura_sjo3/status/780977136043601920
丁度良いtwitterを見つけた
私が哲学卒業を言うのも大凡こういう事だ
ここに来てこんな質問をしてしまうキミにとっての哲学とは本当に重要なものだろうか?
その出口戦略を考えてから哲学をカジるべきだ >>36
卑小な意見だな
そんなのは哲学以前じゃん 思想哲学という分野自体は原始学問とでも言いますか、
わりと普遍的な分野なのですが、これが哲学学界となると話が違うのだと思います。
意味不明な専門用語を連呼してお互いに批評し合って悦に入っている。
そんなのが哲学ではないことは誰にだって分かるのです。
それが哲学だと思っているのは学者だけと言いますか。
by 鼎 梯仁 >>36
先に入れるべき大きな岩=哲学という人もいるし、何なら壷を作ること自体が哲学かもしれない 壺作りのための材料はその時々によって違ってくるよな。 >>41
それは中々良いところを指摘されたと思います。
私も同意見でして、であるなら各々が自分にしか分からない状況に応じて
最適な壺を製作することができるガイドブックのようなものがあれば良いと考えました。
どのような天才芸術家の作品も万人にとって名作というわけではないというわけです。
そうした理念に基づいて私はシグマ思想を創始しました。
私は問題の解き方(ザ・ダイアグラム)を伝授いたしますが、実際に問題を解くのは貴方なのです。
(なぜなら私には貴方が置かれた状況が分からないためです)
by 鼎 梯仁 そんなのは哲学じゃないと言って
得意になってるようなのは哲学じゃない >>43
じゃあなたは謙虚に哲学を語るのか?
哲学はナルシズムでもある。
自分の経験、価値観、知識から考え答えを出す。
人生、生きていくことだ
なぜ謙虚に答えねばならない?
なぜ得意になってはいけない?
自分の人生は自分で色をつけていくんですよ。 哲学は時間の無駄なのか?
大切な事です
悩んで悩んで考えて、
時に、でた答えに虚しさを感じる。
ですが人生哲学、悟り、はまた違います。
マイナスの結論からまた考え、悩む。
単なるサイクルに、意味を求める。
人に感情があるかぎり哲学はきりはなせません。
価値のない人生にするのも自分です。 >単なるサイクルに、意味を求める。
サイクルとして現れること自体が既に意味でしょう
だって、意味を抜きにしたら繰り返される現実なんてないんですから 哲学とは考えることなんだけど、哲学とは行為であって事柄ではないため哲学とはなになにと言うことはできないのです。考える行為そのものが哲学と呼ばれるものです。
哲学は思考グセのある人がしているものです。哲学しようとしてしているわけではないのです。
哲学してもお金にはならないし、女性にモテるわけではないので得なことはありません。ただよくいきられる、つよくいきられるようになります。そこが哲学の魅力です。変なインチキ宗教のにも騙されるなくなります。
哲学に興味がある人は、池田晶子を読むことを薦めます。彼女の言葉から考えることを始めた人はけっこうたくさんいると思います。
私も含めて。哲学に興味がある人が哲学できるように願ってます。哲学は人には薦められませんが。 哲学したってよく生きられたり強く生きられたりしないと思うよ 屁理屈人間が出来上がるだけ 私とは見方が違うと思った。
私は考えると元気が出るタイプです。
真実に近づいていると思うので。
確かに屁理屈屋ができるという見方はできるけど、哲学が人を救うことはあると思う。哲学でしか人は救われないと個人的には思っています。そうじゃないと思う人がいるのは承知していますが。
哲学にもタイプはあると思う。ニーチェみたいに虚無になるひともいれば、永井均みたいに論理的すぎる人もいる。
哲学で強く生きれるわけではない。よくいきられるわけではないというのは半分は正解で半分は不正解だと思った。
個人差はあるから。私みたいなタイプもいればそうじゃない人もいるので。
哲学は人には薦められないけど。命懸けだから。やっている時は。考えることやらないにこしたことはないので。
ケンカ売っているわけではないので。
あなたのような見方もできると思います。
表現の仕方、捉え方が私とは違うと思う。
哲学が人を救うのも個人差はあると思う。
こんなところかな。考えたことは。 ___
/∵🐚∵\
/≼🐚≽∴≼🐚≽\
│. ,,ノ( 🐽 )ヽ、 │
\ "ー=🍲=-.'`./ がらがらがぼがらエズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し
/ ̄ヽ - `ー、 発狂さん、上げ荒らしやめましょう!!
/ : ヽ.
i ノ : i i
/ /二二○○二二\ .ヽ
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(/ ≼☉≽ ‐)|||(- ≼ⓞ≽ \)
)..三 /(。。)\ 三(
\.. / ー-' ヽ /
\::.| ト‐=‐ァ' |: / ウヘヘヘヘヘヘッすなw♪
|::| ` `二´' |:|
,r――--、,,_ノ r、 三 η ヽ___,,.―‐-、
( 〃ヽヽ //ヾヽ )
ヽ `ヽ、 ⊂ニpikarrrニ⊃ ,r'' /
ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /
ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
/ ::ヽ (_ヽ \、
(。m。ノ `ヽ、_nm 哲学とは考えること。ただそれだけ。
人それぞれ考え方が違うのだから、哲学による効能なんて違って当たり前。
役に立たないとか、幸せに生きられるとか、何故みんなが効能の見解を統一しようとしているのか理解できないねぇ。
人助けを考えることだって哲学だし、金儲けの仕組みを考えることだって哲学なんじゃないかな? 哲学が考えることというのは賛成。人それぞれ考え方が違うのだから効能は違って当たり前というのも賛成。
効能を統一する必要はないというのも賛成。
金儲けの仕組みを考えることも哲学というのは反対。哲学は疑うことでもあるので。
金が価値として成立している根拠を考えることが抜けているので。
哲学は金儲けの役には立ちません。
自分の言葉には責任を持ちたいので返信するけどしょっちゅうこれないのでそこのところはご理解願いたい。仕事をしているので。この世のこともやる必要があるので。
私に対するレスだと思ったから返信しました。 考えた末に答えが出たとして、その答えが正しいのかなんて誰が決めるの?
それとも明らかに違う答えが出たとしても答えが出た、ということに意味があり間違いではない。ってなるの? >>59
例えばだけど、生物って子孫を残すことが目的じゃん?子孫を残した先には何があるのか。って考えて出た答えを検証しろなんて言われても無理がある。よね? それは自分の代では検証できないね。子孫に託すしかない。 実証不可能な答えは抱えるのも捨てるのも自由だけれど、抱えると大体生き辛くなるよ >>63
そうかもしれない。けどさ、子孫を残した先に何があるのかって、少し気にならない?
抱えることもしないし捨てることもしない。ふと思った時に考えるのがいいのさ。 自分はどうでも良いかな。自分に役立つ事にのみ哲学を応用してれば良い。 >>60
子孫を残すことが目的かどうかは疑える。
けどね。 >>68
例えばって文字通りだけど本当に子孫を残すことが目的かどうかは疑える。
子孫を残すことが目的なら避妊する必要ないし。
私個人で考えるなら、子孫を残すことが目的とは思えない。
エッチは嫌いじゃないし価値として認めるけどエッチするために生きている感じはしないから。子供がほしいとは思わない。
自分の存在理由は分からないけどね。 >>69
それは人間が社会的人間だからだよ。
そして社会性というものは、人間の生理に矛盾している。本来なら男は女と交わり子供を産ませた後、
時間の経過とともに、その女と離れ、また別の女に子供を産ませようとする。
それが自然の摂理だ。しかし社会性は、そんな自然な営みに罰則を与える。
社会は男と女は一生を添い遂げる誓約を我々に課す。社会は人間の本性とは矛盾する側面がある。
だから全部とっぱらってみれば、避妊具なんて必要ない。みんな好き勝手なセックスすればいい。
だがそうはならない。それは我々がいかに社会性を重んじているかということなんだ。 >>69
なるほど。
子孫を残すから避妊の必要はない。と言ってるけど、産むべき時と産むべきではない時がある。今は避妊をしていても将来は子孫を残すかもしれない。
子孫を残す以外の目的は文明を残すとか?他はわからないけど、もしそうならば結果的に子孫を残すことが大切なわけさ >>70
その社会性は我々人間が勝手に作り出したものであってそれが本当にあっていいものなのかはわからない。
常識と同じなのかもしれない。みんながこうしてるから正しい。
みんなと別なことをしているのは間違い。つまり非常識。
でもま、地球上にこれ以上人を増やすと大変なことになるみたいなんだけどw 人間が文明を捨て、原始的な生活をするとして、今までの歴史を意図的に変えることができない限り、
人間は社会性を捨て去ることはできない。原始的な生活を始めたとしても、きっと今までの先祖が
行ってきたことを人間は繰り返し行うだろう。たぶん意図的に都市を破壊し、法を無くして、
地球全体を草原にして、人間を解き放ったら、男は女を野っ原で犯して、別の女を妊娠させようとするだろうか?
恐らくレイぷは増えるだろう。しかし、ほとんどの場合、男は女としばらく一緒にいて、子供を女と共に育てるだろう。
それが社会性というものだ。しかし、たぶん時間が経てば、男は遠くへ行って、
また別の女と交わって、子を産ませるだろう。それが本来の人間の在り方だから。
男は合計5人くらいの女に子供を産ませることでしょう。自然とはそういうものだ。 自然状態の人間の話、ルソー『人間不平等起源論』に書いてあるようなことだな。
男性と女性は契り、子供が産まれ、そして男は去っていくってなところ。
しかし、これじゃ生物的に生き残れないでしょ。
赤ん坊を育て成長させるためには莫大な労力がかかる。
このことを直視してないなぁ。
無条件な愛を長時間にわたって注ぎ続けることなしに、赤ん坊は成人することはできない。
生物学的に人間はか弱い。
人間は社会を作ることでその弱さをカバーした。
人間にとり社会はなくてはならないもの。
そして、生き続けやすい社会を構築してきた種族が、現代に至るまで生き延びてきている。
さまざまな問題を孕んでいてもね。
その時々の問題を突破し次の時代につながっていくような社会に変容しながら生きていく。
そしてこの生き残り方は今後もそうであるだろうという予測は容易に立つ。 人間の子供を育てるのに莫大な労力を要する、という考えかたはいささかオーバーだな。
人間の幼児は確かに未熟な状態で生まれてくる。誰かがある一定の時期まで世話する必要がある。
しかし、そんなに子供に労力を要するという考えかたは、現代人独特のものだ。
>人間は社会を作ることでその弱さをカバーした。
人間にとり社会はなくてはならないもの。
そして、生き続けやすい社会を構築してきた種族が、現代に至るまで生き延びてきている。
さまざまな問題を孕んでいてもね。
その時々の問題を突破し次の時代につながっていくような社会に変容しながら生きていく。
そしてこの生き残り方は今後もそうであるだろうという予測は容易に立つ。
社会学的、文化人類学的な常識からいえば、人間は社会を作ることでその弱さをカバーしたわけではない。
社会ができたのは、二足歩行、火起こし、道具、特に弓矢、言葉が発達した後だ。
そして人間が徒党を組んだのは、弱いからではなく、その方がより獲物を得やすいから。
今の種族が生き残っているのは、環境が与えた偶然の要素が強い。 >>77
>社会ができたのは、二足歩行、火起こし、道具、特に弓矢、言葉が発達した後だ。
他に伝達する場があってこそ発達することができる。
では、発達する際の場として社会のほかに何が求められるんだろう? 哲学とは心理を理解して論理を構成することねある
大抵の人間は論理から論理をつくる
これはバカのすること。例えば料理をつくる心理は火を使うことだとして
火の使い方をしらなければ料理のバリエーションは少ない
火の使いかた弱火や強火の使い方。煮るじかん
煮方などなど使い方をしればバリエーションはふえるわけだ
論理から論理を作る人間は火の使い方をしらず
下ごしらえもせず全て強火で料理するわけ
バカでしょ。じゃ心理ってなに?法則と勉強
勉強ってなに?基礎知識。基礎知識って何?真理なんだよ
これを悟らないと哲学はできないよ 哲学は人のために使えるのか
使えるよ。つかえないならここまで
技術力は発展しないんだよ >>81
> 常識を疑うこと?
常識だけじゃなく非常識やらなんやかや、全てを疑ってかまわない。
ただ、81さんと僕とが、文字を介して意味の読み取り合いができていることだけは疑えない。
少なくとも僕は君の意図が読み取れている、言外の意味を含ませていないのであれば。
『意味』は『文字という入れ物』ひいては『言語』を介して多数の間を流通している。
異言語圏や専門分野との間でも適切な変換を施せば同様に理解できる。
疑うなかで論理を使用している自分に気付くだろう。
そして、【なぜかしら】その論理構造が他人と通じていることに気付く。
『なぜかしら』を考えていくと、この2つの『言語』と『論理』は不可分なものであることに納得がゆくことになる。
ナンセンスは、通じ合っているからこそナンセンスとして成り立つものであり、そしてお笑いの一種になっている。 哲学に必要なのは覚悟。
危険なことなので。
生き死にをかけることなので。
だから人からすすめられてするものではない。人のせいになるので。
哲学に自分から興味を持つことはいいことです。
哲学に必要なのは持って生まれた能力、才能ではなく覚悟です。
誰もが思考を持っているので。
科学も哲学から始まったので哲学は人のためになるし、生活のためだけじゃなくてもその人が成長する意味でも人のためになる。
考えるとは理性なので理性で生きることが考えて生きることです。
または私とは理性です。
理性とは考えているそのものなので。
私とは何か?という問いはこの考えているそのものは何か?ということです。
快楽はしょせんこの世の価値に過ぎないけど考えることはあの世のことをすることです。
死とは何か?考えることも含まれるので。
考えることをする人はけっこう少ないです。
人類の中では小数です。
不遇を受ける覚悟のある人が哲学する人です。
哲学をしてもけして楽にはなりません。
哲学に興味のある人が哲学できることを祈っています。 定義は不要な、答えがでたら哲学じゃない、
そんな基本もしらずに騙るアホが多すぎる。
故に他の科学に属する学問から哲学はウンコ扱いされる、 本能で生きている人が多いと思います。
理性とは欲望を我慢することではなく、それがどういうことか考えることです。
だから欲望の反対に理性があるのではなく、欲望と対置するものとして理性があるのではない。
欲望とはどういうものか?本能とはどういうことか?考えてワンクッションおくのが理性です。
このワンクッションおくのが必要な人が哲学する人、つまり考える人です。
これが哲学の魅力です。
考えてワンクッションおくのが楽しいのです。
マニアックですがこれが哲学の、考えることの魅力です。 答えの出ないものというのを前提に他者と語り合うのは好きだな。まあそんなの考えてない奴からみたらくっそだるい奴らだけどな、だけどそれでいいんだと思うくっそだるい奴らで でも哲学という言葉をやたら強調してくるのは如何なものかと思うわ 哲学は面白いと思います。
わざわざ、判らない隠語を含んだことを哲学として述べられために、
哲学者達が迫害に合わず、自著の哲学が守られてきたのかも知れません。 △崇高な主の光の含んだ哲学であることが求められます。
二―チェ哲学は、「神は死んだ」で唯物論者の旗手の一人のようになって
います。
「神は死んだ」はある意味、仏教の開祖の釈迦の教えに繋がるものを感
じます。
つまり、外なる神を拝まず、内なる神を拝みなさいという解釈が成り立つ
と思います。
「神は死んだ」は、唯物論を述べたものではなく、心の外なる神よりも、
自らの心の内なる神性なる神に対して希求することが大切であると述べた
ものと考えます。 >>93
まあある意味そういうことだと思う
ニーチェはすごいね
たぶん今世紀の哲学はニーチェの正しい継承になるんじゃないかな >>88
んーっ、意味が読み取りづらいな。逐次解釈を施してみる。
> 定義は不要な、
定義は不要です。
> 答えがでたら哲学じゃない、
哲学では答えが用意されていません。
> そんな基本もしらずに騙るアホが多すぎる。
この2つが基本であることを理解せずに語り合っている人々が多すぎる。
> 故に他の科学に属する学問から哲学はウンコ扱いされる、
前段の主張から引き出せることは、他の学問は『定義が明確である』 and/or 『答えがある』という性質を持っている。
こういうことか? 自分だけが悟って周りが馬鹿に見えたらどうしますか?人間なんてくだらないものに思えてきますよ?哲学をやれば強くなる?そもそもそういう考え自体がくだらないです
滅び行く人間を眺めていくだけの生活です >>97
一読するにどっかおかしいとつぶやく俺がいる。
> 自分だけが悟って周りが馬鹿に見えたらどうしますか?
> 人間なんてくだらないものに思えてきますよ?
ここで言う他者への見方はどうしたことだろう。
仏教における『悟り』という境地とは丸っきり違うように思える。
『悟りの境地』という語句から俺が連想するのは、冷徹に透徹に森羅万象を捉え、しかしなおそれらを慈しみ共にあるとする境地。
> 哲学をやれば強くなる?
> そもそもそういう考え自体がくだらないです
確かに強弱は関係ない。
このような価値観を求めて哲学を志すことは、確かにくだらないと言えばくだらない。
しかし、哲学していくうちに、このような価値観からの脱却、相対化が図れることだろう。
> 滅び行く人間を眺めていくだけの生活です
2つの「くだらない」を結びつけ、そこから引き出されるイメージからこのような文言ができたのだろう。
1.彼の主張は「自他ともにくだらない」。
2.だから全てはくだらない。
3.くだらないものは存在価値がない。
4.存在価値がないものは、今現在はあるにせよそのうちなくなってしまうだろう。
A.「馬鹿に見えたら」という仮定法からの主張は、「見えなかったら」という仮定からの主張と対立する。
B.哲学しているうちに克服できるだろう「強弱価値観」
この2つから導き出される俺の主張は彼の第1項と相容れず、これを前提とする第2項以下の論理の流れを無化する。
俺が感じた「おかしさ」はどうもこのようなもののようだ。 分かってしまったら後に戻れないから仕方がないよ
開眼している哲学者を読むしかない 哲学者は悟り、神は嘆く
神の方が愚かなわけか(笑) 個人的に哲学は
一つの問いをだんだん砕いて可能性を作り、それを他人に話して納得させる遊び ttps://www.youtube.com/watch?v=c051UWon_IA ttps://www.youtube.com/watch?v=MCsB3bPnks4 >>113
無を0のみとしているところが、不十分であると思います。
存在無しとしての有無の無としての無のゼロの視点なのでしょうか?
大事な真実なる悟りとしての光の方向性に到る「無我なる悟り」の視点が、
欠落していると思われます。
真理を述べるならば、真実なる無我の悟りが述べられていないのは、如何
なものでしょうか? >>38
この板の荒廃を見れば、哲学に興味がある奴の一般人種とその末路は明白だ >>114
リンク先は読んでいないのですが、私が察するに「無」というのはある種の境界を表しているように思います。
私が提唱するσ原理のザ・ダイアグラムが2つの極から構成されていることはすでにご存知だと思いますが、
その両極の狭間と言いましょうか?その境界面が昔から「無」と言い表されて来た部分なのかなと想像致します。
by 鼎 梯仁 >>114
実のところ僕は無神論者なので、この表現が限界です
>>119
僕の発見した真理は無限であり『無』はその一部分でしかありません
僕のアイディアの真骨頂は、(無限につづく)真理の構造と性質を発見したことです
鼎さん、よければ>>113を読んでみてください
なお、僕は極度のコミュ障なので去ります ソクラテス(希:Σωκράτης、紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)キリスト、仏様より先に生まれている、 今、人類は、強欲な人だけが子孫を残す時代へと成り下がっておるのじゃ。
欲を持たず質素に暮らしたいなどと考える善良な者は、残念ながら淘汰されて減じるじゃろう。
人類が存続する意味があるとすれば、優れた遺伝子を未来へ残すことじゃが、実は、
未来などという時間そのものも自然界には存在しておらず、時間とは人類の作った物理変化の度合を計る定規に過ぎないのじゃ。
過去も未来も存在せず、ただ今だけが永遠に続いており、その中で物質が変化を繰り返す。
今生きていて楽しい者は、生きる意味が在るので、そのまま生きるが良いじゃろう。
今生きていて楽しくない者は、この先も苦しいことが多いので、好きなタイミングで安楽死するのが良いじゃろう。
長く生きても、いずれ誰もが死に至る。ならば今すぐに亡くなっても大差ないのじゃ。
いつか人類が、完全に平等な格差の無い世界を作れたとき、はじめて人類継続の意味のある楽園となるじゃろう。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています