都市を哲学する【都市哲学】 [無断転載禁止]©2ch.net
デーヴィッドハーヴェイだとかアンリルフェーヴルだとか、
藤田弘夫、藤田省三、平井玄、
ジェントリフィケーションだとか駅前再開発のような都市問題系を考えよう。 社会的に都合が悪いニンゲンをひっこめるツールなのか?? 都市と農山漁村の関係性を考えさせられるニュース記事ですな。 アマゾンの実店舗といいグーグルのこれといい、
都市の求心力は衰えておりませんなあ。
Google、初の実店舗を今夏ニューヨークで開店へ FitbitやPixel製品を試して買える
https://news.yahoo.co.jp/articles/16c10f2593bf408a1a54795b256b685e2a619730 資本主義の浸透も徹底したものではないということがよく分かる。 カリフォルニアは格差が拡大しすぎてユニバーサルベーシックインカムでも導入しないと
やっていけなくなっている。西海岸の、終わりからのリスタートと言えるかもしれない。
全米初のベーシックインカム コロナが変えた社会の認識
https://news.yahoo.co.jp/articles/e82efe7ecc3a08a99c474cbde8b7d74a99885738 カリフォルニアは格差が拡大しすぎてユニバーサルベーシックインカムでも導入しないと
やっていけなくなっている。西海岸の、終わりからのリスタートと言えるかもしれない。
全米初のベーシックインカム コロナが変えた社会の認識
https://news.yahoo.co.jp/articles/e82efe7ecc3a08a99c474cbde8b7d74a99885738 都市と農村という対比では歴史的に見れば農村の方が基金に襲われて大変なことになって
きたが、今や過密になった都市の方が飢える状態になっている。コロナのせいで農村が
ヘゲモニーを持つようになるのだろうか。
食料寄付、追いつかず 子ども食堂や生活困窮者らに配布
フードバンクかながわ、スーパーなどで協力呼び掛け
http://www.tokyo-np.co.jp/article/125085 文化こそ重要
鷲田清一「東京では上からの都市デザインはほとんどが失敗したと、
編集者・写真家(*=都築響一)は言う。都市は下から変わる」
*俺が補った 高層の木造ホテルや木造マンションの建設が各地で予定されているな。
都市の景観がガラッと変わるぞ。 日本は東京をどうこうするよりも新しい計画都市を造っちゃった方が早いかもね
中国の深センみたいなきれいでIT設備が整った都市をさ まあ、大学街みたいなのは俺は好きでも嫌いでもないけれども。 福岡の天神にgoogleが拠点を置くというのは
やはりit企業も若者が集まる街に住み着きたいという欲望の表れだと思うし、
中の人にパリピが多いのかなと思わされるね。 昔は車庫飛ばしとか言って練馬ナンバーを避けて品川ナンバーをもらおう
などという行為が見られたが、3.11以降は生業を見直し、
足元を考える潮流が生まれていると思う。
東京・練馬区役所に野菜自販機 都市農業PR
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC103240Q1A111C2000000/ 東京の歴史的時間層にとって最も根本的なことは、東京は三回
「占領」された都市であるという認識です。東京という都市の
本質は、この三回の「占領」にあります。最初の「占領」は十
六世紀末、徳川家康によって行われた武蔵野台地東端の占領、
二回目は一八六◯年代終わりの薩長連合軍による江戸占領、三
回目はもちろん一九四五年以降の米軍による東京の占領です。
この三回の「占領」はそれぞれ、東京という都市をガラリと変え、
そしてその都度、占領する側と占領される側の関係が問題となり
ました。この関係を読むことがすなわち、江戸・東京という都市
を読むことにつながっていきます。なぜなら、「占領」は常に破
壊と記憶の再編、その後の急速な開発とのセットで行われてきた
からです。
吉見俊哉 東京裏返し 社会学的街歩きガイド
集英社新書 2020 p126 ていうか例えばヴォルテクス魔界など東京の裏の実権は陥落して占領されたことないから、下層外人民が人間づくでうよめいているだけだ。 難攻不落のハイレベルが東京で俺たちはさらに守りを固めるだろう。次元磁界に突入してくる来るべき若いヒーローヒロイン悪魔たちのために。 東京の実権はそういう魔界等多層構造になってるわけ。 吉田紀夫曰く、
東京一極集中から、人や企業の地域への分散が始まった今こそ、
この動きを一過性に終 わらせず、後押しする制度を整えることが重要です。
若い人びとが、地域に残り、地域に定着して職業に従事できれば、
自ずと、家族の支援も受けやすく、 少子化の歯止めにもつながるに違いありません。
東京一極集中の下では、日本が世界とつながるには、
東京を起点につながるという発想が基本 にありました。
ただ、地方への分極化が進めば、 それぞれの地域の市町村、
あるいはコミュニティが、どこかひとつでいい、世界のどこかとつなが る。
そうすることで、日本全体で世界とつながれる。
それによって、もう一度日本全体が生き生きとした社会を作れないでしょうか?
今、改めての日本改造が視野に入ってきています。
https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202112/202112b.pdf 大阪は公園が少ない、緑が少ないからなあ・・
都市部への「植林」で早死にを抑制か 米研究
https://www.cnn.co.jp/fringe/35153097.html このスレの最初の方でデトロイトに関して紹介した、矢作弘による論文。
2019年の岩波の思想誌と世界誌。
アメリカの「格差社会の震源」
コネチカットを歩く : ある工業都市が収奪され、貧困都市に転落した構図を読む
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021782151
「創造都市」が生む未曽有の格差社会 : アマゾンのニューヨーク進出騒動から読む (特集 民主主義を鍛える地方自治)
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021826643 都市危機のアメリカ 凋落と再生の現場を歩く
スーパースター都市、ラストベルト、「新たな郊外」。都市の変貌からアメリカ社会をダイナミックに活写する。
https://www.iwanami.co.jp/book/b530032.html 都市「計画」があまり哲学的でないのは確かだと思う。
哲学者・鷲田清一氏に聞く(2)復興のありよう
https://kahoku.news/articles/20211223khn000029.html
阪神大震災で復興が一番速かった神戸市のある地区は、
震災前から市にまちづくりの将来プランがあり、震災後、
半年ほどで復興案がまとまった。高層住宅が一挙に完成し、
商店街はショッピングモールに変わった。
だが、そこに優先的に入った地元商店は続かず、高齢者が店の人と
おしゃべりしながら買い物することができなくなった。
行政にたまたま知恵や準備があり、いち早く復興が進んだものの、
住民はどういう街に住みたいのか、この街をどう元に戻せばいいのか、
意見を吸い上げる時間がなかった。神戸の復興は速かったと言われるが、
「自分たちが住みたかった街か」との問いに対し、
ネガティブな人が多かったという教訓がある。
住民が話し合い、積み上げたプランでなかったことは残念ながら確かだ。
東日本大震災の復興まちづくりで、話し合いから積み上げていくプロセスをたどれば
時間はかかるし、最終的に全員一致でまとまる話でもないから、
そうしなかった気持ちは分かるが、都市計画の怖さや罪深さを感じる。
都市は計画してつくられるものではない。 (続き)
東北に限らず、都市や地域は「よそ者」が活性化させる。
地元の人だけでは視野が狭くなるし、物事の見方も均質的になる。
仙台が過ごしやすいと思うのは、転勤族が多いことと無関係でない。
1990年代に市民活動の先駆的な人々が現れたこととも関係がある。
よそ者は別の地域のやり方を知っているし、知恵も持っている。
市民感覚や政治感覚、お金の感覚や近所づきあいの感覚も異なる。
それらが持ち込まれることで都市や地域は活性化する。
そういう意味で、あの震災は大変不幸な出来事だったけれど、
結果として、外から人がたくさん来たことは長い目で見ればプラスになると思う。 リチャード・フロリダが言うところの、クリエイティブクラスが、
下層階級への眼差しを持っていたら、もう少しマシな世の中になっているんだろうけどね。
あんな人たちとは違って〜〜とか、ああはならないようにね、、
みたいに子供を教育するか、そういう存在が見えないところに住んでいるんだろうけど。 >>207の本の116ページの地図、コロンバスがコンロバスになってるw yahooで検索していると、”都市経済学”関連では、
橋本孝明や金本良嗣といった研究者の名前が出てくるな。 自然保護の観点と郊外住宅地のスポロール化を防ぐ観点との合わせ技なんだろうが、
ちょっと無理筋な気もする。都市計画というのは市街地だけで行われることではない
と考えさせられる件だな。
65年前の公園計画が突然再浮上 練馬の住宅街が騒動に「いまさら立ち退きなんて無理」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/166651 都市の定義とは接続の有無だ。
住居と職場、生産と商店、接続は必要不可欠と言える。
しかし、移動手段が発達すれば、広域化と共に都市の定義は曖昧になる。
何故なら、都市の定義は「接続の有無」だけでは無く、人や建造物の密集も
指すからだ。ようするに概念的ではない。
つまり、都市という言葉は、生産的集合のみを意味するものでは無いと分かる。
人間が今まで培ってきた文化、その美点とは切っても切り離せないものなのだ。 都市農業の再興が何年かしたら始まらないとキツくないか。 社会資本整備総合交付金なんてあるんだな。
今更ながら初めて知った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcd78bcb76a929bdfe
c9c171352732d193063f85 これは言ってはいけないことかもしれないですが、中西記者が"アクロバティック"と表現した磯崎新氏による大分県立図書館の建築のあり様は、今はもう取り壊されて現存しない、北九州市を本拠にしている工藤会の本部の建物の前な段階の感じに通じるなあと思ってしまいました。現在は跡地に奥田知志氏の抱樸があるのですが。