哲学書を読む意義とは [無断転載禁止]©2ch.net
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哲学の意味とか価値とかそういうことじゃないんだ
どの哲学者も基本的に先人の思想を受けてだったりその時分の主流の考えの批判だったりと流れの中で物を言ってるのに、
つまりは誰かへの返答なのにその内の一人や一冊だけを取り上げて持て囃すことに意味はあるんか? >>1
キャラ萌えみたいなもんだろ
ちゃんと哲学史を踏まえて物を言える奴なんかいないに等しい
そういう奴は別にいるから気にしないでいい
でわけもわからない馬鹿どもが貢いでくれないと業界が成り立たない
この板も話題はゴシップや自分が気に入った説の鸚鵡返しばかりじゃん
それがどういう背景でどういう限界があるか構わず違う奴に噛みつく
そしてそれで構わない
望ましいことだ
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エヌピ-オ-法人 エスティーエー 哲学とは、すべての事象を考察し、論究することであり、その意味から哲学は「総合学問」ということができる。
だから、哲学書を読む為には、ただ手当たり次第に読み始めるのではなく。良い哲学書そして良い哲学者を見つけることです。
始めから、カント、スピノザ、マルクス、フォイエルバッハ、ハイデガ−を読むのではなく、ギリシャから始まる西洋哲学の大まかな歴史を
具体的にわかり易く教えてくれる哲学書を読むことです。 例えば、木田元の哲学書は初心者でもわかり易く西洋哲学歴史を教えてくれる。
又、竹田青嗣の哲学書も西洋哲学歴史を初心者に分かり易く教えてくれる。竹田青嗣の良いところは、自分が分からない哲学概念を排して
自分の理解している哲学概念を記述しているところである。勿論、自分とは異なる論理もあるが、その異なる論点も他人が理解出来るように
分かり易く記述している。 >>10
入門書要らん
ソクラテス以前哲学者断片集から読むのが基本だわ 気に入った哲学者を何回も読むとよい。哲学書の読解は根気がいる。わからなくてもよいから、とにかく一冊の本を何回も何回も読み続けること。 哲学においては科学がそこをすっ飛ばして大成功しているところのものがよくわかる
だからいつまでも一致を見ることがないのだし
それを企図したフッサールは迷走してしまった つまり
哲学・数学・法学・科学の調和が取れていないのだよ 西洋哲学は、ひとつの大きなテーブルみたいなものだ。
かわるがわる、哲学者たちがやってきて議論に参加しては、去っていく。
みんな過去の議事録を見て、いままでの議論を知っている。
出てくる意見は、前の人に対する反論がほとんど。 >>10
いまどき、マルクスだのフォイエルバッハだのを読む奴がいるのか? 岩波文庫から出ている限りは大規模な本屋で手に取られる可能性はある。 >>17
マルクス主義者はまだ沢山いるでしょ?
格差社会問題で復権狙おうとしてるんじゃ?映画もやるし。
よく分からないけど。 電書化されてない古典を脊損があって身体がキツいから電書化してくれないかと岩波に電話したら
かなり経営が厳しいらしく当面は自炊か図書館から依頼があればと言われました一応検討するけどね
それとあそこは体質が古く持ち込みからの出版はしてないらしい
一部文庫は電書化されてるんだが
いずれにせよ国営化すればいいのに ちくま、平凡社が左翼で、岩波はリベラルという感じもするが。 古典や学術書扱う出版社はどこも経営ヤバいみたいよ
というか出版業者自体が厳しいもんな 人文書院とかはよくやってる方か。小泉義之と佐藤嘉幸の本しか買ってないけど。
創文社が何年かしたら廃業するのもさほど驚くべきことではないのか。
まあ、出してる哲学書が古いもんなこっちは。 マルクスの論理は、ヘ−ゲルの“コギト”に対する純粋な“絶対精神”に対する論理の転倒を試みたものであり、
近代西洋哲学の難題であった“心身二元論”の克服にあった。当時、ヘ−ゲル思想に対して“心身二元論”の克服を
論理的に進めたのがフォイエルバッハである。 フォイエルバッハは、唯物論者と呼ばれているがそうではない。フォイエルバッハは
ヘ−ゲルの一元論的な唯心論に対して、“精神と物質の融合”を、自然(フュシス)に於ける人間存在の在り方の“思考(精神)と感覚(物質)との
真の統一である”と述べている。
しかし、マルクスは、フォイエルバッハの“心身合一論”に対して、物質論の側面のみを取り出した“一元論的な唯物論”を提起したのである。
そして、マルクスの一元論的な唯物論が、ヘ−ゲルの一元論的唯心論から、どの様な“論理的展開”によってなされたかは、マルクス自身も
明かとはしていない。
しかしながら、マルクスの客観的な“構造主義”は評価出来る。現代の様にあらゆる面で、複雑化した状況にあって、問題を構造的に捉えて
解決していくのは現代に於ける一つの方向性であると思う。
しかし、マルクス理論の欠点は、一元論的な唯物論にある。物事を客観的に捉えるのは良いが、全てを物質化して捉えることは
人間の“主観的意識”が弁証法的な方向に於いて、否定されてしまったことである。この状態をフォイエルバッハは憂慮したのである。
人間とフュシス(自然)とのバランスの上で“、唯物論と唯心論との合一”をマルクスが論理化していれば、当時のフォイエルバッハは
喜んでマルクスに協力していたであろう。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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