■■■■■神が存在する証拠■■■■■ [無断転載禁止]©2ch.net

1X2017/07/29(土) 15:16:42.450
哲学やってる人〜!
裁きも出てるのでよかったら見てくださいね↓
http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
↑ヨハネの黙示録 20世紀〜現代 解説
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
↑裁き マクロ精神分析 裁きは真と偽(善悪二元)の裁きです。携挙についても解説。
http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】
http://individualspirit.seesaa.net/
↑個体精神分析

456考える名無しさん2018/11/11(日) 00:16:25.250
宗教板でやれよ

無職が終日語ってるよ


お友達がいるよ

457考える名無しさん2018/11/11(日) 00:16:47.680
それにしても、「神は死んだ」というのは、現代の精神状況をそう表現したのであって、別にニーチェが神を殺したわけではない(笑)

458考える名無しさん2018/11/11(日) 00:21:57.190
「神は死んだ」(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。
ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。
神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである[2]。
地上的・身体的な人間は「超人」である。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘とされる[2]。

ニーチェは「神々の死」とも述べている。

459考える名無しさん2018/11/11(日) 00:29:09.220
神は死んだ

この世が残った

460考える名無しさん2018/11/11(日) 00:29:55.030
かつては、神を冒涜するのが罪だった

今は、この世を冒涜するのが罪

461考える名無しさん2018/11/11(日) 00:31:21.690
「この世は巨大コンピュータ内の仮想現実」などといって、この世を冒涜する輩があとをたたない

462考える名無しさん2018/11/11(日) 00:32:05.270
だが、言ってることは正しい

463考える名無しさん2018/11/11(日) 01:40:58.640
器官なき身体 とか 器官劣等性 とか

464考える名無しさん2018/11/11(日) 06:23:06.120
  
おんどりゃああああああああ
眞ん子さまのお通りじゃあああああああ
ものども頭が高いわ
             / ̄ ̄ ̄ ̄\
            / / ̄ ̄ ̄\ \
          / /  /        \ ヽ
          f /   /|        ヽ |
          | |  / ヽ        | |
          | |/ __\(\    | | 
         (V /       `ーーV)
          |  ヽ●)    (●ノ  |    
          人      (      ノ     
          ∧   (__人__)   ∧      
          |  \    ̄   / |   
           /       \,
    _,. ‐''"´               `丶、
, ‐''´ _,. -―- 、          ;ー−- 、ヽ   
厶ノ ̄       /`ヽ、o_,  、_oイ    └′
             ′         |
            /             |       
           j           l`丶、
          /   \        /     ヽ
        !    ヽ、  ’  /      〉       
          '.    /`(;;U;)'^ー一'7   ′
         !   /            /  ′ 
          ヽ ヽ、        |  / __
            ヽ 〈        ノ '´  〉 ドタドタドタッ!!
            `′      〈_, -‐'′

  

465考える名無しさん2018/11/11(日) 09:07:41.500
ハイデガーの著作の日本語の訳者や読者は、「自分が感じねばならぬと
思い込んでいる」日本語の表現によってハイデガーの表現を理解しようと
していないか、絶えず自問する必要があるだろう。

466考える名無しさん2018/11/11(日) 09:25:01.660
学者や研究者というのは、こういう発言をして「他人の畑を荒らす」のは
マナー違反だという考えが身に沁み込んだ人が多いんだけど、哲学というのは
絶えず問い直すことをその本質とする営みなのだから、それを自らに禁ずる
なら哲学すること自体を諦めなければならないことになる。まあ、そうやって
一生、哲学をすることなく、哲学(者)研究者としての道を歩もうとするのは
勝手だが。

467考える名無しさん2018/11/11(日) 09:32:43.880
>>447

陽子や電子が集まってできたカタマリに、「これは机だ」、「これは椅子だ」という意味を、脳が付与している

468考える名無しさん2018/11/11(日) 09:34:43.520
いきなりドヤ顔

469考える名無しさん2018/11/11(日) 09:35:16.060
トイレで、便器に向かってオシッコするのは正しい

洗面所で、洗面台に向かってオシッコするのはおかしい

それが、人間の脳による意味づけ

両方とも、陽子や電子が集まってできたカタマリにすぎず、オシッコも単なる液体にすぎない

470考える名無しさん2018/11/11(日) 09:43:13.710
ネコでさえ、そこらじゅうで排便したのでは、自らの生存環境が悪化すると知っている

「この箱はトイレだ」という意味づけをしている

ネコも、ネコなりに道具連関の中で存在する

471考える名無しさん2018/11/11(日) 09:51:14.460
海辺の鳥は、海で魚を食べて、陸で糞を落とす

海洋から栄養分を吸い上げ、それを肥料として、陸地で空中から散布しているのだ

江戸時代の日本人は、海の魚を捕って食べ、糞便を肥料にして田んぼに撒いていた

これも海洋から陸地への栄養素の移転であり、非常に有意義な行為だった

現代では、糞便を地上に散布するわけにいかない

「肥料」という意味は失われ、代わりに「汚物」という意味が付与された

472考える名無しさん2018/11/11(日) 10:53:21.850
>Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.

473考える名無しさん2018/11/11(日) 10:57:24.510
>Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.

"aletheia"や"Unverborgenheit"や"Entdeckt-sein(Entdecktheit)"を
"Erschlossenheit"と渾然一体に理解しているのでは、この言明が導かれ
ている理路をたどることができないわけです。

474考える名無しさん2018/11/11(日) 11:03:30.540
「存在と時間」の日本語訳は、この論述の理路をたどることを可能にしているのか、
それが問われなければならない。

Durch die frühere Analyse der Weltlichkeit der Welt und des innerweltlichen
Seienden wurde aber gezeigt: die Entdecktheit der innerweltlichen Seienden
gründet in der Erschlossenheit der Welt. Erschlossenheit aber ist die Grundart
des Daseins, gemäβ der es sein Da ist. Erschlossenheit wird durch Befindlichkeit,
Verstehen und Rede konstituiert und betrifft gleichursprünglich die Welt,
das In-Sein und das Selbst. Die Struktur der Sorge als Sichvorweg-schon
sein in einer Welt-als Sein bei innerweltlichem Seienden birgt in sich
Erschlossenheit des Daseins. Mit und durch sie ist Entdecktheit, daher wird
erst mit der Erschlossenheit des Daseins das ursprüngliche Phänomen
der Wahrheit erreicht.Was früher hinsichtlich der existenzialen Konstitution
des Da und bezüglich des alltäglichen Seins des Da aufgezeigt wurde,
betraf nichts anderes als das ursprüngliche Phänomen der Wahrheit.
Sofern das Dasein wesenhaft seine Erschlossenheit ist, als erchlossenes
erschliesst und entdeckt, ist es wesenhaft “wahr”. Dasein ist “in
der Wahrheit”. Diese Aussage hat ontologischen Sinn. Sie meint nicht,
dass das Dasein ontisch immer oder auch nur je “in alle Wahrheit”
eingeführt sei, sondern dass zu seiner existenzialen Verfassung
Erschlossenheit seines eigensten Seins gehört.

475考える名無しさん2018/11/11(日) 11:17:32.280
"zu jdm/etw gehören"を「〜は〜を含む/〜は〜に含まれる」と訳すべき
必然性も、必要性も私には理解できないし、そのように理解しようとした
時点で、私には、ハイデガーの論述の理路を追うことが不可能になる。

476考える名無しさん2018/11/11(日) 16:04:08.070
The earlier analysis of the worldliness of the world and the inner world But being demonstrated:
the Entdecktheit of the inner-worldly existence establishes in the openness of the world.

But openness is the basic type of existence, according it its there is.
Openness is by State, Understanding and speech concerns the world, immediately originally constituted the in - being and the self.

The structure of concern as Sichvorweg already be in a world as at inner-worldly existence is in itself Openness of existence.
With and through them is Entdecktheit, therefore is only with the openness of the existence the original phenomenon the truth reached.
What earlier in terms of the existential Constitution the da and the everyday existence of as was pointed out,
was nothing more than the original phenomenon of truth.

If existence intrinsically is its openness, as erchlossenes opens up and discovered, it is intrinsically "true".
Existence is "in the truth". This statement has ontological sense. She's not saying that being ontisch always or only ever "into all truth" was introduced,
but that to his existential condition Openness of its same being heard.

477考える名無しさん2018/11/11(日) 16:08:00.540
いまどき、ドイツ語を読む必要はほとんど無い

日本語はともかく、英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している

478考える名無しさん2018/11/11(日) 16:13:42.480
「ハイデガーの哲学」に向けられる批判は、ハイデガーの哲学的な言説の
どのような理解に基づいているのか、それが問題にされなければならない。

Dass es“ewige Wahrheiten”gibt, wird erst dann zureichend bewiesen sein,
wenn der Nachweis gelungen ist, dass in alle Ewigkeit Dasein war und sein
wird. Solange dieser Beweis aussteht, bleibt der Satz eine phantastiche
Behauptung, die dadurch nicht an Rechtmäβigkeit gewinnt, dass sie von
den Philosophen gemeinhin“geglaubt”wird.

479考える名無しさん2018/11/11(日) 16:19:49.600
>英語とドイツ語の自動翻訳は、もはや完成の域に達している

>>476が何を言っているのかさっぱり分らないんだが?
なんとなくそれなりにうまく翻訳されているかのような偽の印象を受けるのは、
ハイデガーの表現が全体として基本的な語彙で構成されているからだろう。

480考える名無しさん2018/11/11(日) 16:39:19.300
>>479
まあ、そんなもんだな(笑)

481考える名無しさん2018/11/11(日) 18:39:47.430
私は、ハイデガーの研究者ではないし、ハイデガーの信奉者でもないので、
ハイデガー個人がどれほど酷く批判されたところで、痛くも痒くもないのだが、
長年繰り返されてきた、「ハイデガーは、悪であるナチスに協力したのだから
悪だ」という批判以外に、ハイデガーの論じた哲学に対する「批判」が何を
哲学的に批判しているのか未だによく理解できない。ハイデガーが言葉遊び
のような無駄話をすることがよくある、というのであれば、それはそうかも
しれない。しかし、(それが害悪をもたらすものであれ)無駄話から哲学的な
論考を批判するというのでは、哲学の批判的な検討にはなり得ないだろう。

482考える名無しさん2018/11/12(月) 07:25:44.700
私自身は、ハイデガーが唐突に「死」を論述に導入する時点で歩みを誤っていると思う。

483考える名無しさん2018/11/12(月) 10:27:28.660
第二編において明らかに急に論述のレベルが変わっているのに、論述に
用いられる表現を第一編と同じレベルに無理に保とうとしているから、
哲学と思想の区別が不明になる。

484考える名無しさん2018/11/12(月) 11:54:39.250
「不在」を哲学的に適切に捉えることができていないから、
「無」に過剰な意味を負わせてしまう。

485考える名無しさん2018/11/12(月) 12:10:10.800
>>482
まあ、第一次世界大戦のおかげで極限状況だったからねえ

486考える名無しさん2018/11/12(月) 12:13:17.040
>>484
その欠点に思想業者(ハイデガー自身を含む)が便乗して悪乗りするという構図かな

487考える名無しさん2018/11/12(月) 14:05:11.730
日本語に変換するなら、「我(minor being)」の「ひと(人/等)とな(成)り」
としての「成熟(maturing)」について語っているわけでしょう?

488考える名無しさん2018/11/12(月) 14:31:33.780
無論、この場合、「日本語に変換するなら」という条件が付くわけで、
日本語の表現における「ひととなり」の「ひと」は、"Das Man"
ではなく、「ひと(人/等)しさ」を意味しているわけですが。

489考える名無しさん2018/11/12(月) 16:55:22.090
"In-der-Welt-sein"の側から"Dasein"について語ろうとするなら、当然のこと
ながら"In-der-Welt-sein"によって用いられる表現によって分析を進めなければ
ならない。ハイデガーの言説はそのことに明らかに失敗している。

490考える名無しさん2018/11/12(月) 17:33:53.070
「存在の専門家」という妄想

491考える名無しさん2018/11/12(月) 19:18:19.760
>Die Erschlossenheit ist wesenhaft faktische.

"Erschlossenheit"が"faktische"であるなら、Daseinの本来的な存在の様態
を明らかにするための"In-der-Welt-sein"としての"Dasein"の分析は、
"faktische"な記述から始めなければならないはずである。ハイデガーが
"Dasein"を分析しようとする論述は十分に"faktische"であると言えるのか、
それが問われなければならないだろう。

492考える名無しさん2018/11/13(火) 12:34:24.190
「『不在』が「存在する」」ことを認められないような奇妙な形而上学に
囚われているから、論述が錯綜して、俗流の過剰な解釈を導入しなければ
収拾がつかなくなる。

493考える名無しさん2018/11/13(火) 21:21:43.880
呼び声を聞くということに関して言えば、ドイツ語の「Ruf」に相当するのが
日本語の「を」だろう。「をかし」とは、「『をき(≒呼び寄せ)』を生じる」こと、
つまり、「呼び寄せられる(≒ひ(引/惹/魅)かれる)」ことであると解釈する
ことができる。その場合、「を」という「呼び声」を聞くのは、"Dasein"
であり、呼び声を聞くことによって生じる「心地」が"Befindlichkeit"であるが、
ハイデガーであれば、そのような"Dasein"は、「頽落」した世界−内−存在
としての"Das Man"であると言うだろう。しかし、ハイデガー自らが記述する、
死に向かい、良心の呼び声を聞く、本来的な負債によって規定される自己の
在り方も、現存在の本来的な存在の態様というより、なにか極めてドイツ的な
思想の表現であるという印象を生じてしまうことは、やはり、ハイデガー自身の
"Das Man"としての「頽落」の様態を特徴的に反映していると言わざるを
得ないのではないか。

494考える名無しさん2018/11/13(火) 21:28:43.390
日本語の古語において「を」は、「こちらへを」と呼びかけ、「を」と応じる
ように用いられた。この場合、「を」は、「Why not 〜 ?」という呼び掛け
と、それに応じる「Why not?」という返事であると解釈することができるだろう。

495考える名無しさん2018/11/14(水) 12:08:29.400
「我(われ)」が「引け目」のある存在であることは、日常言語としての
日本語においてあまりにも当たり前のことであるので、ハイデガーが
その「引け目」に相当する"Dasein"の本来的な"Schuld"を何か特別に
解明されるべき存在の様態として論述することは、日本語話者の耳には、
むしろ、宗教的な思想の説教のように聞こえることになる。

496考える名無しさん2018/11/14(水) 22:44:19.730
ハイデガーの表現には独特の色がついている。普通の現象学的な表現であれば、
「不確かさ」と言うところを"Angst"と言うから、宗教色に染まったような
言説になり、哲学的な考察を述べているというより、思想を伝えようとして
いるように感じられることになる。だからこそ、独特の人気を得ることに
なったのだろうけれど。

>Das Faktum der Gewissensangst ist eine phänomenale Bewährung
>dafür, daß das Dasein im Rufverstehen vor die Unheimlichkeit seiner
>selbst gebracht ist. Das Gewissenhabenwollen wird Bereitschaft zur Angst.

497考える名無しさん2018/11/14(水) 22:50:26.930
ハイデガーの場合には、エポケーとしての不確かさが強迫性を帯びるのである。

498考える名無しさん2018/11/15(木) 01:12:37.710
ハイデガーの"Angst"についての論述は世界−内−存在の態様を適切に記述する
ことに失敗していると私は思う。人々は、世界−内−存在としての「頽落」において、存在の本来的な"Unheimlichkeit"から逃避して"Angst"を忘れているわけでは
ない。人々は絶えず"Angst"を自らのものとして感じているのであり、だからこそ、
常に何かを「頼みに」しようとするのである。「信仰」において「trust in God」
とは、「神を頼む」こと、つまり、「神を頼みにする」ことであるが、社会の
制度的な枠組みとしての宗教が政治的に後退した、社会制度が世俗化したと
いっても、人々は「〜を頼む」ことをやめたわけではない。「〜を頼む」
ことが、以前は、社会制度によって「神を頼む」または「祖先の霊を頼む」
ことに導かれていたのに対して、別の形態で導かれるように変容しただけである。
だからこそ、ハイデガーがいくら「良心の呼び声」を強調したところで、
"Angst"の自覚を促す言説は、むしろ、「〜を頼む」ことの必要性を強く
意識させることになり、いかがわしい宗教的な思想を伝えようとしている
という印象をもたらすことになる。

499考える名無しさん2018/11/15(木) 13:59:33.850
「決意性」または「覚悟」などと訳されることの多い"Entschlossenhei"に
ついて、ハイデガーは次のように明確に述べている。

„Die im Gewissen-haben-wollen liegende Erschlossenheit des Daseins
wird demnach konstituiert durch die Befindlichkeit der Angst, durch
das Verstehen als Sichentwerfen auf das eigenste Schuldigsein und
durch die Rede als Verschwiegenheit. Diese ausgezeichnete, im Dasein
selbst durch sein Gewissen bezeugte eigentliche Erschlossenheit
- das verschwiegene, angstbereite Sichentwerfen auf das eigenste
Schuldigsein - nennen wir Entschlossenheit. "

つまり、「決意性」または「覚悟」などと表現されても、現象学における
普通の表現に戻すなら、ハイデガーの言う"Entschlossenheit"とは、
「不確かさに留まる『決意/覚悟』」に他ならないわけで、現象学に
おいて通常は「エポケー」と表現される態度のことである。

500考える名無しさん2018/11/15(木) 14:02:09.440
>>499
誤:"Entschlossenhei"について
正:"Entschlossenheit"について

501考える名無しさん2018/11/15(木) 14:51:49.560
„Die Entschlossenheit ist ihrem ontologischen Wesen nach je die eines jeweiligen faktischen Daseins. [...] Aber die existenzielle, jeweils
erst im Entschluß sich bestimmende Unbestimmtheit der Entschlossenheit hat gleichwohl ihre existenziale Bestimmtheit."

ここから必然的に導かれる結論は、"Dasein"の本来的な存在の呼びかけに
応える「決意/覚悟」とは、「絶えざる試行錯誤への『決意/覚悟』」である
ことになるはずであり、ハイデガーの独特な宗教思想を思わせる表現の色付け
を脱色すると、ハイデガーは、意外とごく当たり前のことを主張している。

502考える名無しさん2018/11/16(金) 14:45:37.280
現存在の「死」について語るハイデガーの哲学/思想的言説の最大の欠点(
商業的な長所)は、それが現存在を生物学的な個体としての人と混同する
俗流の解釈を自ら招き入れることによって成立し、そうしなければ成立
しないような言説となっていることだ。

そのことによってハイデガーの言説にもたらされる矛盾は、こう問うこと
で明らかになるだろう。世界−内−存在としての現存在が死ぬと、
そのとき、世界はどうなるのか?現存在を生物学的な個体としての人と
混同する俗流の解釈に従うなら、現存在が死んだところで、"Das Man"
としての他の人々を含む世界の事象は、当然のことながら、以前として
「vorhanden(目の前/手前)」にある存在者として存続しつづけるだろう。
しかし、その「vorhanden(目の前/手前)」にある存在者は、誰の
「vorhanden」にあるのか?現存在が失われたにもかかわらず、
"Das Man"である人々を含む世界の事象が「vorhanden」に存在し
つづけるのであれば、現存在が世界−内−存在としての「頽落」を
全うして、"Das Man"として本来的な存在を完全に忘却した時点
こそが、「現存在の死」ということになるはずではないか。

503考える名無しさん2018/11/16(金) 14:46:18.970
誤:以前として
正:依然として

504出来ることの"avenir"2018/11/17(土) 11:25:00.160
ハイデガーの「先駆的決意/覚悟」などと訳される"Vorlaufende Entschlossenheit"
についての言説は、そこにハイデガー自らが招き入れる、死についての通俗的な
解釈を取り除くなら、「自らにあた(値/能)ふこととして、できることをする
ことに向き合う」という、通常のプラグマティズムに極めて近いことを述べている。

„Das Entworfene des ursprünglichen existenzialen Entwurfs der Existenz
enthüllt sich als vorlaufende Entschlossenheit. [...] Das Vorlaufen macht
das Dasein eigentlich zukünftig, so zwar, dass das Vorlaufen selbst nur
möglich ist, sofern das Dasein als seiendes überhaupt schon immer auf
sich zukommt, das heißt in seinem Sein überhaupt zukünftig ist."

505考える名無しさん2018/11/17(土) 11:35:02.350
ところが、その表現において「自ら」が「ドイツ人」に結び付けられ、
死についての通俗的な解釈が導入されることを許すなら、言うまでもなく、
ハイデガーの言説はとたんにいかがわしい色彩を帯びることになる。

506考える名無しさん2018/11/17(土) 11:37:26.300
ハイデガーの世俗的な成功と哲学的な失敗は表裏一体なのである

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