正義とは何か?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
女は入れた瞬間と奥のほうにグイッと来たときと激しく体を揺さぶられている時が一番気持ちいいだろう >>264
著名であるということに力がある
そして正義の価値とは権力や暴力の大きさに比例する
つまり柄谷正義は一般人よりは大きいが国家の前では無力 こういう時代のこういう国に生まれ育ったことに有難みを感じつつ腹をくくること。
社会に何の違和感も感じないのであれば、特に言うことはない。 >>275
最低の国じゃねーか日本は!
人権も自由も無し、しかも完全な独裁制。 言うまでもなく何かをするということは何かを切り捨てるということ。
切り捨てられた者からの風当たりの矢面に立つことだけが、切り捨てた者への筋の通し方。 後悔は萎縮、反省は改善。
自分の心の深くに根差した感覚は、誰がどう言おうと曲げないこと。 自分の中のドロドロした醜悪さを、まずは受け入れ許すこと。
あるものはあるものとして認め、先に進むしかない。 舌足らずで申し訳ない。自分の醜さを許したところでそれが消えるわけではない。
やり場のない怒りは何かにぶつけ表現することでしか解消しない。生きるというのは面倒くさいものだね。
自分のやっていることの罪深さは自覚しているつもりだ。
だが俺は基本的に人生に取り返しのつかないことというのはないと思っている。
言うべきことがなくなればやめるまで。俺みたいな最下等の人間でも人生に何の疑いも持たずに生きている。 人間のなかで最下等でも他の生物種からしたら驚異的な存在だ
人生なんてそんな大したもんじゃない
知性と自由が許される以上、人生に責任はあるが
生命に特別な価値などはない 大事であれ小事であれ気負わず淡々と。
どんなに力み返っても壁にぶち当たる時は当たるもの。
その時は嫌でも悩むんだから。 正しくあることは幸せであることとは一致しないからな
日常的な社交の場で道徳感覚を持ってることは役に立つが
経済や学歴、スポーツの世界ではむしろ害悪だ
例えば、外面が良いというのは限られた人間関係内でのことで
知らない人に親切ってのは中々ないだろう ◇◆ 正義とは何か? ◆◇
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1564248978/l50
表題の問いに自ら答えるなら、筆者は概ね以下のような事だと考える。
●正義とは、システムであり秩序である。通常は、従来の秩序を維持する事が正義である。しかし従来の秩序を破壊し改変する事が正義となる場合がある。
●例えばコンピュータ・システムが多様なように、多様な正義が併存する。
2つの正義が衝突する時には、システム間の存廃もしくは止揚による統合が起こる。
●新しい秩序が正義となるのは、その判断基準として次の不等式が成り立つ場合である。
【 旧秩序の齎す幸福総量 + 秩序変更に伴う流血と破壊の総量 < 新秩序の齎す幸福総量 】
尚、2つの正義の衝突の正否、結果の正否についても、当式に当てはめ判断されるべきである。
人々が、共同体の営みの中に何らかの継続的なルールや秩序を見出した時に、そこに共同体の正義が・・・・・
http://blog.livedoor.jp/ksato123/archives/54906533.html つまり、iPhoneにはiPhoneの正義があり、AndroidにはAndroidの正義があるという事だ。 正義とは強者の利益である。
...と哲学者トラシュマコスは言ったけど、さて、どうだろうね。 「絶対的な正義」って強いて言うなら「強さ」だよな?
強かったら弱いやつの肉を食って生きていけるし
孫悟空並みに強かったらどんなに法律犯しても警察に捕まることは無いし裁判にかけられることもない >>290
ドーパミンだ、幻想幻覚を起こせる力、観測的評価を含めそれらは主観的な正義しかない
客観的正義とか妄想にすぎない。 >>292
でも絶対的な強さを持った奴が人殺しまくっても俺たちは何もできないよね
これっておかしくない?殺人が悪ならそいつは裁かれるべきなはず
でもそいつを裁ける奴は一人もいない、何故なら絶対的に強いから
ようは「強さ」こそが正義の真理なんだよ、この世界はそういう風にできてる
一般的な正義とされてる法律だって結局は強大な国家権力で民衆を押さえつけてるだけだ >>293
法律は国民の代表者によって開かれている議会を経て決められるんだから、
国家が法律を使って民衆を押さえつけているということにはならないんじゃないかな。 人間の脳の研究はどうもなあ。幻も存在するからあるのであって、
外にあるものが脳とは独立して存在するから人間の知覚を媒介して感知できるだけだ。 >>294
法律違反した奴を国家権力の力で強制的に捕まえて監禁、死刑にしてるよね?
結局は法律も武力無しでは成り立たないという意味 >>296
だから民衆の合意を経た権力だからokだろ
権力のなにが悪いん?国権がなくて法律だけで成り立ってる社会みたことあんのかお前 >>298
権力が悪いなんて言ってないし思ってもない
強さなくしては法律は成り立たないということ
そして国家権力以上の強さを持った人間が現れて殺人しまくっても誰もそいつを裁くことはできない
つまりこの世界は強かったら何をしてもいいという世界、強さこそが正義の真理という話 結果オーライ、結果が意図したものと食い違っていても、
むしろ、それでよかったと感じられるのが良い生き方だ >>299
そんな当然のことをわざわざ言う必要はない
国家間ではそれを抑える暴力が存在ないので力関係に基づく合意しか成り立たない
近代より社会契約説はそのことを論じてきたし
当たり前のことだ
ただ、できることとやって良いことが違うのは理解できるな
実際、同じ権力を用いても正義と悪は分かれているだろ
暴力=正義ではなく、正しい暴力があるってこと。 正しい暴力って単に勝った者が正しさを名乗ることが出来るってだけでは? 国家より他の生物と人間を考えた方が早い
他の生物が人間にとって有害なら力で虐殺するだけ
ゴキブリが自然の中で悪い生物という訳ではなく、人間にとって嫌われ有害なだけだ いくら人間にとって有害でも生命の尊厳という立場から排除しない選択肢は残ってるからな >>301
正義の「正」と「義」の違いが知覚できていない単細胞は言えば言うほど
カドにあたる 辞書を引っ張り出して言葉の定義で揚げ足をとりはじめる
この辺がド高卒の限界 それでも警察や軍隊は存在しないほうが望ましい
平和とは権力でなく信頼によって為し得るべきものだ 夜警国家って訳でもないのか
理想の国として小国寡民を提唱し究極の牧歌主義といわれた老子も
統治者のいない政治にまで言及していなかったし
アナーキズムというのはどうなんだろう 横車を押すという選択肢があってもいい。
トロッコが脱線すれば、問題解決だろう。 連結器を動かす云々の以前に車両が迫ってることを大声で知らせるだろ
それでどうしようもないならそいつに責任などない >>314
ゆとりはマルクス経済の全体主義思考(共産主義)の主張に感化される、
結果的にどんな主義思想で作られた社会も、理想とは外れた結果しか生まないのに
共産主義が必ず生み出す独裁者の突然変わる恐怖政治を学ぼうとしない。
若者に指示された毛沢東という英雄が何をしたか、歴史をみれば
英雄とは常に、圧倒的な力で民衆を殺戮してそれを正当化した正義のゆがみの超越者だ。
そいつらは短い時間だけ現実の夢を与えてくれる、だが対価を払わない現実は、
代償となって襲ってくる。
目の前のバナナだけ気になる餌に釣られた猿のごとし、脳が単純だから単純で表層に矛盾がなければ
巨大な嘘を簡単に信じてしまう単細胞である、騙される奴につける薬などない。 おまえらのそれは正義ではなく「征儀」なのに?
自分のそれをもういちど疑え @ある数字や有名な学者の意見を根拠にして自らの正しさを証明することがある。つまり、「根拠」が正しさを支えることもある。しかし、根拠など無くとも、例えばその人の発言が無条件に正しいと認められることもある。
A正しさを支えるのは必ずしも事実としての根拠ではない。「承認」や「納得」である。
B私たちが根拠に承認を与えるかどうかが正しいかどうかを決める。そしてまた、単に行為者の存在そのものに承認を与えるかどうかが正しいかどうかを決める。
Cこれを前提にして「正義とは何か」を考えると、正義とは自己と他者の承認を基礎にしている世界全体からの肯定であるだろう。だから、正義を確信するとき、自己(自己承認)からだけでなく全世界から認められているという高揚感や肯定感がある。 Dそして、承認のうち、道徳的な次元での承認のあるものが正義と言われる資格を持つ
E正義とは道徳的な承認を基礎にしているので、必ず外部と対立するものである。対立のあるところに正義があるのであり、平和な社会では、諸個人は各自の掟においては分裂しておらず、それ故に正義は諸個人の意識の底に沈んでいる。個人が社会全体との一体化を望むとき、正義は現れる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています