時間とは何か 23

1考える名無しさん2017/12/26(火) 17:52:33.630

779自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 07:41:52.080
この原理は静止が自然のどこにも存在していないことを示しています。
 つまり自然の存在形態は運動ということになり、量子力学の自然観である、運動するエネルギーの濃淡の海という理解を導くことが出来ます。
 なぜなら運動を前提に有と無という否定関係が成立することはないからです。
 いわゆるエーテルという光速度を変えるような物理存在は無いのですが、運動の普遍性を示していますから、物理存在そのものは否定できませんし、ディラックの海はそのことを裏付けていると言ってよいのです。
 いわゆる真空はエネルギーの基底状態として理解すべきであり、何も無いわけではないということです。

 ここから観測問題である対立する波と粒子と理解されている現象は実は波が渦の状態を呈していると考えれば対立、否定関係は解消されます。
 自然は運動するエネルギーの濃淡の海ですからすべては波ということです。
 (この理解はなんら突飛ではなく、現在でもブリゴジン学派の科学者たちはその予想で研究していますし、十九世紀の英国学者はそのように理解していますし、また古代ギリシャ哲学の一派は粒子は波の一形態だと述べています。
 「ビッグバンはなかった」の著者であるラーナーはこの説に言及していますが、銀河系の渦状態を示す方程式との関係で面白い指摘をしています。)

780自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 07:42:19.240
 重力は加速に必要なエネルギー量、諸力はある物理的状態から違う物理的状態、つまり渦の状態である粒子をさらに小さい渦状態に生成するのに必要なエネルギー量と定義すればよいわけです。

 この理解において重力、諸力はエネルギー量に還元できるわけです。つまり力は実在しないのです。
 重力は加速に必要なエネルギー量であり他の諸力は運動する自然の物理状態の生成過程に必要なエネルギー量という違う側面であることになります。

 いわゆる最小単位問題は、ある物理条件が設定可能ならばいくらでも小さくできる、実際には渦の状態である粒子をより小さい渦状態にすること、つまり最小単位は実在しないことになります。
 つまりすべては運動するエネルギーの多様な在り方ということです。

 光速度一定の原理が示す無矛盾な自然観から、観測問題と最小単位問題の一つの解決案を出すことができましたが、不確定性原理は違う問題ですので次章以降で解決案を出すことにします。

781自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 08:16:44.090
二時間前に書き飛ばしたので推敲はあまりしていませんが

ここで簡単に自己言及について考察したいと思います

三浦つとむ氏は、言語を対象ー認識ー表現という構造を持つとしました。
スポーツの実況中継はそれがよくわかります。
わたしという言語表現の場合、自己言及ですが、対象と認識主体が同一です。
 この「わたし」という言語表現の認識構造を考えてみることにします。
 わたしたちが地図を描く場合には、頭の中で街の空の上に自己がいるものとして描きます。
日本地図、地球、太陽系などそれまでの知識が元になって描くわけです。
 またわたしたちは赤ん坊を見て自分の過去、年上の人たちを見て自分の将来をそれぞれ想像します。 
 テレビドラマを見たり、小説を読んだり、映画を観たりして頭の中で過去や未来、現在、他の天体に行ったり、宇宙人が来たり、またそれらの中の主人公とか空想上の、また歴史上の人物などになったりします。
 わたしたちにはこういう能力があり、それは三浦つとむ氏は観念的な自己分裂と名付けました。

782自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 08:17:13.160
わたし、という言語表現も、頭の中で自己自身を対象として、認識し表現するわけです。
それを直接示すのが、鏡です。鏡を見てわたしたちは服装が似合っているかとかいろいろ観察します。
 この場合、実は頭の中では鏡に映った自分が現実の自分を認識することになります。
 この場合、鏡の中の自己が認識主体ということになり、現実の自己は認識対象であり、それが「わたし」という表現となります。

 これまでが三浦つとむ氏が「日本語はどういう言語か」、「弁証法はどういう科学か」で展開された観念的な自己分裂という用語のわたしの理解した説明です。

783自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 08:17:47.610
 わたしは、ただ一点この説明に疑念を抱いています。
それは表現された「わたし」は鏡の中の「わたし」が現実の「わたし」という理解です。
 実はここにも「クレタ人の逆説」の本質である決定不能という命題が潜んでいるのではないのか、ということです。
 認識対象である現実の自己と認識主体である観念としての自己は対立関係で、互に他者としての自己です。
 つまり現実の自己、わたしは鏡の中の自己にとっては他者でもありますし、また鏡の中の自己は現実のわたしには他者なのです。
 「わたし」という表現にはこの決定不能というクレタ人の逆説が潜んでいるのではないか、というのがわたしの疑念です。
 認識対象と認識主体という対立、否定関係がもたらす決定不能ではないかという疑念です。

784自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 08:18:25.890
表現としての「わたし」という自己言及は認識主体と認識対象という対立が本質としてありますので、このような決定不能の命題を抱えます。
 運動を理解するには静止という運動の否定で理解しますが、運動とは何かと定義することは、そのことの自己言及です。
 数学では有限を無限で理解しますから、これも否定関係ですし、不完全性定理はこのことの自己言及です。

 自然科学という学問は自然が生成した人間の脳が自然を理解しますから、その本質として自己言及であることに成ります。
 意識が薬で変容することは知られますし、睡眠薬は意識を一時的に無くしたりできますし、また脳を無くせば意識もまた失われます。 
 このことは意識は物理存在のある状態の付随現象と理解されるべきことを示しています。

 未完

785考える名無しさん2018/01/21(日) 09:35:54.260
(全て私見ですので(当たり前)、以降、断りません)
世界とは何かの問題
世界は、意味的に世界である。世界が、どういうものか、が説明される必要があるでしょう。
世界は、意味的に世界である、と言う言明は、また、主張でもあり、他者の同意を求めるものです。
意味の個別性
蕎麦の場合を、考えてみます。蕎麦は食べもので、如何の斯うのと辞書によって説明されます。しかし、蕎麦アレルギーの人にとって、それは食べものではありません。
意味は、個人的、個別的なあり方をしています。
個別的なあり方の意味から、世界を捉え、説明する試みは、他者との共通世界の成立を、またそこから、説明しなければなりません。
意味は、行為にある
意味は行為にあります。わたし、という言辞の意味は、その発言行為にあります。誰かに対しての、発言行為にあります。
人が、わたし、という言辞について思考する時、既に、その思考は言語行為の前提の中にあります。
前提が、仮定されています。そうでなければ、その言語は、発音されず、書かれてもいないので、それこそ、何の意味もありません。持ち得ません。書かれた言葉は、誰かに読まれることを前提してあります。すなわち、無言の中で、表象される(読まれる)、行為を前提して
あります。
(全て、説明不足ですが、とりあえずの
概略にはなるでしょう)

786考える名無しさん2018/01/21(日) 09:46:55.780
たかが「自然」世界の理解をするための部位でしかないということで

787考える名無しさん2018/01/21(日) 09:49:55.270
『神との対話』シリーズの神。

どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。

思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。

イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。

今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。

この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。

《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》

https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome

  

788時を求めて2018/01/21(日) 10:00:41.080
意味は行為に
意味は行為にあるので、実行出来ないなら意味がない、と人は日常的に発言します。
そして、必ずしも実行可能性の見通せない物事について思考する(思考を繰り返す)事態が、人の実存が、サルトルの言うように、言わば、(即自存在と対自存在に、)分裂してあるかの様に捉えられる原因です。

789時を求めて2018/01/21(日) 10:10:28.460
共通世界
個人的、個別的な意味から捉えられた、言わば一次的な意味世界より、他者との協力共同する共通意味世界の、獲得、説明が、諸社会科学の基礎になります。

790考える名無しさん2018/01/21(日) 10:36:09.850
時間は実在する

すべての存在は変化(生成・消滅・動)する
変化は少なくとも二つ以上の物が存在しなければ変化はない
一つの物しかなければ何物にも変化しえない
変化とは物と物との関係性が本体と言える
しかし関係性それ自体はただの事実で現実的には何も動かすことはできない
物と物とを動かす別の力を必要とし、それは必ず継続的でなければならない
そのようなものは時間しかなく、時間は実在すると言わざるをえない

791DJ学術 2018/01/21(日) 10:38:22.250
そうかもなあ。

792考える名無しさん2018/01/21(日) 10:50:22.790
翻って獲得される世界
人は、ある社会のなかに、既にあり、その社会のなかに流通する意味を受け取り、社会を(世界を)受け取り、その中の自己を了解し生活を始めます。
しかし、いつかフィロソフィア的思考を始める時、翻って意味とは、世界とは、自己とはと、思考し、そして個別的な意味世界を獲得します。意味世界は翻って獲得されます。そしてその個別的意味世界から、他者との共通意味世界が
獲得、構築されます。様々な、制約や条件付きだったとしても。
その制約や条件のあり方が、その時代と呼ばれます。

793自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:13:36.020
科学が示す事実として世界は一である
すべては差異としてあることもまた示している
差異としての関係性というだけ
一つのものの存在形態が運動であり、その濃淡、差異が多として減少しているだけ

科学は次元そのものの実在を否定している
ここから出発しなければならない

794自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:14:38.280
>一つのものの存在形態が運動であり、その濃淡、差異が多として減少しているだけ

一つのものの存在形態が運動であり、その濃淡、差異が多として:現象しているだけ

795自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:16:33.700
否定関係で理解しているだけ
生物分類はそのことを示している
ウィルスは生物もまた物理存在としてということを示している

生物は物理存在の差異でしかない

796自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:17:43.230
わたしたちは時間とは何かを自然が示す事実から理解すべきであり、それ以外ではない

797考える名無しさん2018/01/21(日) 11:34:07.040
過程さんの「時間」は死体にとっての時間って感じなんだよなぁ
素の宇宙は死体か

798自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:39:25.540
印象批評から死体にしないでくれ w

799自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:40:14.660
宇宙には生死は実在しないんだけどね

800自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 11:40:38.360
何も生まれない、無くならないのが宇宙

801時を求めて2018/01/21(日) 12:56:13.130
理解とは
1足す1は、2ですね。数学者は、これを厳密な科学と言います。
しかし、実際1足す1は、2にはならないといった方が正しいのです。
まず、1リットルの水を正確に取る事が容易ではありません。更にもう一つ1リットルの水をとったとして、それを合わせると2リットルの水になりますか。
容器に張り付いて、移動しない水を考慮しただけで、それは出来ない事が明らかです。
更に、2リットルの水があったとして、それを1リットルと、1リットルの水に分ける事が出来ないなら、初めにあったのは、2リットルの水であると主張する行為は、どれほどの意味があるでしょうか。あるいは、あったのでしょうか。
我々は、人は、理解させられているのであって、それ以外ではありません。あるいは、それを越えて、理解していると言う者は理解の伝道者か、何かの諦めを呑み込んだ存在者でしょう。

802時を求めて2018/01/21(日) 13:02:45.100
理解とは
実存者の理解とは、理解させられていると言う、一つの現象である。社会内存在の現象である。
理解しょうとする行為が、悟りとか、何かの諦めに行きつくのてはないか。
(前項、最後は少し言い過ぎ)

803考える名無しさん2018/01/21(日) 13:05:36.390
宇宙を完全解明した人間はいない
実際に示している自然の運動から宇宙を理解しようとするのは認識学で
科学は認識を証明できなくても、自然法則から宇宙世界の構造を考えるのが哲学だな

> 何も生まれない、無くならないのが宇宙

何も生まれないし無くならないのが自然だったものから宇宙という世界まで通用するかどうかが
自然を理解しただけでは不完全だろう

804時を求めて2018/01/21(日) 13:28:14.050
理解とは
水の件、の他に、二個のリンゴを検討してみます。街で美味しいそうなリンゴを見かけたので同じような大きさ、形、色の物を選んで二個のリンゴを買って帰ります。
二人の兄弟が、そろってリンゴが好きだからです。二個のリンゴは、一個と一個のリンゴに分けられるはずで、問題は無さそうですが、そうはなりません。
一方が、こちらが欲しいと言い、もう一人もそれが欲しいと言えば、事件の発生です。
最初にあった二個のリンゴは、リンゴ花(固有名詞)と、リンゴ雪だったのです。

805考える名無しさん2018/01/21(日) 13:36:31.310
自然を(傍観者的に)理解するということがそもそもの間違い。
ホイラー的見解では「理解」は「傍観」ではなく「参加」である。
参加型の理解でなくてはならない。
(ま、わたしの場合は、参加を通り越してメソッド哲学(c)なわけだが)

806時を求めて2018/01/21(日) 13:53:42.650
時間了解
ハイデガー風に言えば、我々は日々、時間のなかに居て、時間に対応して生活している。それでありながら、時間とは何かと問われると答えられない。
つまり、ある時間了解のなかに居る。
その了解は、意味的である。

807考える名無しさん2018/01/21(日) 14:02:54.530
傍観者では意味がとれない。
参加者であるからこそ「意味」があるのだ、と考えるとおもしろい。

哲学と量子論は同じものだなやはり。

808考える名無しさん2018/01/21(日) 14:07:08.810
時間とはマンコだよ


   オ マ ン コ を哲学する。A    [無断転載禁止]©5ch.net

1 名前:考える名無しさん 2017/04/06(木) 00:37:12.63 0
おまたせ
シーズン2だよ。

809自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 14:17:12.910
自然科学が示した事実でそれ以外ではないし

そこからが出発点だろう

810考える名無しさん2018/01/21(日) 14:47:33.320
e^t(cos(t)+isin(t))=(-1)^((1-i)t/(π))=(cos(π)+isin(π))^(2t/(2π)+2t/(2iπ))

811考える名無しさん2018/01/21(日) 14:50:00.210
余計な括弧が入っていたから訂正

e^t(cos(t)+isin(t))=(-1)^((1-i)t/π)=(cos(π)+isin(π))^(2t/(2π)+2t/(2iπ))

812考える名無しさん2018/01/21(日) 15:08:55.610
付随現象としての意識は、うまれて、なくなる
から保存則的にはチャラですか?
そも無関係?

813考える名無しさん2018/01/21(日) 16:13:25.500
>>809
いつになったら出発するの?

814考える名無しさん2018/01/21(日) 16:26:13.680
出発できないですね時間がないとしたら・・・

815考える名無しさん2018/01/21(日) 16:32:35.800
出発する時が訪れる。訪れた時を振り返って見ると、そこに出発してからの時間がある。

816自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 16:55:28.880
>>812

この辺は説明が難しいなあ
物理状態は恒常として在るのですが、それはであって、ではない、ということが、です。

対象は、で在って、ではないという決定不能です

817考える名無しさん2018/01/21(日) 17:00:28.120
>>812
保存則の内だよ

818考える名無しさん2018/01/21(日) 17:02:07.770
存在者の現れというのは、回顧的(retrospective)な反復の写し(double)である
と言うことができるのかもしれません。

819自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 17:06:24.460
物理存在としては何もなくならない、生まれない

物理存在の運動変化による状態は、であって、ではないということ
このことは無くならない
○○であって、○○ではないというのは不同一を同一として捉えるからです
運動変化の過程で差異としての物理状態に生成されていく
物理としては何も無くならない、生まれない

やはり理解の在り方が生死という認識になるわけですが
なんか手懸りが掴めそうなんですが
やはり同一という理解の在り方の問題だとは思います

挟雑物が何か、ということが判れば

820自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 17:13:33.830
意識自体は自己言及可能な物理状態だからなあ

821考える名無しさん2018/01/21(日) 19:45:53.490
>>811
この表現は、よく耳にすることのあるフーリエ変換と呼ばれるものと
関係しているようですね。私には、数学的な説明はさっぱり分らない
けれど、存在者として認識されたものの時間的変化を現存在との
かかわりで考えて言語化するためのヒントになりそうだと感じられる。
数学を専門とする人にそんなことについて尋ねても、無関係だと思うと
即答されるだけだとは思うけどね。

822美魔女2018/01/21(日) 19:59:44.960
>>806

存在無き存在論。🍣

823自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 20:11:07.860
運動変化している自然を静止で理解する
この今に於いて、であって、ではないという物理状態
今は運動であり、幅が無い
幅が無いとは静止で理解された運動
であって、ではないという物理状態が恒常
である、という静止で理解した対象は運動変化している
わたしという静止で理解した対象

言葉は静止であり、理解に付き纏う
運動を静止で理解する

静止で理解された対象は運動変化して差異としての物理状態と成る
しかし物理状態としてのであって、ではない、ということ自体は失われない

どこで差異として質の違う物理状態と成るのかは、始点が無い以上認識できない

この今に於ける差異としての物理状態というのは無くならない

824自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 20:11:59.680
平易に説明することの困難さを感じる

825自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 2018/01/21(日) 20:46:06.920
もう少しかんたんに説明できそうなんだが、うーん

826考える名無しさん2018/01/21(日) 21:16:27.380
因果的閉包性 - 心の哲学まとめWiki - アットウィキ
https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/50.html

アルキメデス「私に地球外の1点をお与え下されば、地球を動かして見せましょう」

827考える名無しさん2018/01/21(日) 23:12:21.700
「理解」とはなにか。
「わたし」である人間は想定しない。
人間を想定しない場合の「理解」とはなにか。最低限必要なものはなにか。
「理解」するということを「理解」できなければならないだろう。
それが「理解」できねば「理解」ではない。
しかし、人間を想定したとしてもそれは理想にすぎないのかもしれない。

828考える名無しさん2018/01/21(日) 23:14:34.640
>>823

なんだそれ?

ゼノンのパラドックスってやつ?

829考える名無しさん2018/01/21(日) 23:52:51.910
>>823
その理屈は通ると思う
そしてその理解は科学的になんの役に立つ前提なのか

新着レスの表示
レスを投稿する