【コテ禁止】西部邁60
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西部さんは最後まで自己決定論者だった
知的存在としての人間が自己決定できる範囲を大きくしていくこと
これが、人類の文明が歩むべき方向性であることは間違いない
それは、この宇宙・世界に対してまったく勝ち目のない戦いではあるけれど
それでも人間はそちらに進んでいくしかない
撤退することは、動物に戻ることであり、それはたとえこの世界に適合性が高まるとしても
人間としての矜持がそれを許さない
ご冥福をお祈りします 思想関係で語るべき話題ってもうその辺しかないよ
あとは、誰が何をしゃべったとか、そんなのは哲学板でやる必要もないでしょ 安倍と戦って今のシュタイナースレがある
安倍と戦ってきたから今のシュタイナースレがある
今までもこれからも変わることはない
安倍を叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!叩くぞ叩くぞ!
ウィーアー人智学!
ウィーアーシュタイナー! グローバル化資本主義経済下のIT技術によって疎外された人々が
マルクス主義経済学を再評価すら可能性が大きい
「資本論」は21世紀に最もアクチアュルな古典になる 疎外される人が出ないようにするには非常にきめ細かい合理が
必要だからね
そのためにITが必要
一本の理論だけでは、疎外される人が出まくる IT?馬鹿か?人類には民族文化が残ってるんだよ。馬鹿マルクスなんて雑な人間管理だ。
まだ民族文化対立が残ってるし、今激しさが出てきている。
これは、近代ヒューマニズムの嘘がバレタてことだ。 まずはそれぞれの足下の合理に精密に寄り添ったシステムを
どの程度まで構築できるか
その模索だね
その上で、無理な部分は遺伝子技術の進歩を待つしかない ハンチントンに言われなくても、大衆は知っていたのだが
馬鹿な自称インテリは、グローバル化で民族問題が無くなる
て思っていた。これは馬鹿なマルクス信者も同じ。 たとえルーツや血統が違っても、同じ民族であるという
意識を共有できれば、それはもう同じ民族だと思っているんですが、みんなはどうよ? 「オズの魔法使い」読み終わったから色々調べていたら
作者のボームは神智学協会の会員だったんだね
検索すると出てくるのは神智学に対して陰謀論的に批判してるサイトばかりだけど
wikipediaにもbecame Theosophists, in 1897って書いてる
作品の内容的にも、非常に納得できる
機能不全に陥っていた思考と感情と意志を、ドロシー(自我あるいは霊我?)が調停しにいった
内界を象徴した物語だと思うけど
虚像を見せる手管のために力を持って、また同時に幽閉状態にされていたオズは何なのか、
という問題は興味深いと思う
オズはルシファーなのかもしれないし、あるいは世間ずれした、いんちきばかり覚えた「大人」なのかもしれないけど
ともかく、ドロシーはオズをも救済した。
エンデのいう「読む人を健康にする物語」のひとつだと思う。 ある漫画家の人が
古い「オズの魔法使い」の本を紹介していたのがきっかけで知ったんだけど(それで英語の勉強をかねて読んでみた)
何故よりによって「オズの魔法使い」だったのか。
情報を小出しにしてるけど、本当は神秘学に通じてる人だと思う
漫画の中にギャグとして出てきた本に「シュタイナー」って書いてあった時もあったし。
人智学徒・神秘学徒は、けっこう世の中に潜んでいるのかもしれないなぁ・・ 宮崎駿も隠れ人智学徒じゃないかって予感してたけど、
同じこと考えてる人がいた
http://www45.atwiki.jp/scarboroughfair/pages/8.html
また例によって批判的だけどw
神秘主義に批判的な人の直感はあなどれないな
俺も「もっとも滑稽なもの」と思っていたし、惹かれるからこそ反発するのかも 秘密知識の伝授を受けるには、それにふさわしい師を方々に探し求めなければならない、
と多くの人が信じている。
しかし大切なのは次の二点である。
第一に、真剣になって超感覚的認識を求める人なら、自分を高次の秘密へ導いてくれる導師を見出すまで、
どんな努力も、どんな障害もおそれてはいけないということ。
第二には、認識への正しい、まじめな努力が存在するときには、
どんな状況の下にあっても、伝授する側がその人を必ず見つけ出してくれるということである。
(「いかにして超感覚の認識を獲得するか」)
いや、そんな「師」になんて日常会わねーよ、そんな人どこにいるんだよw
って思ってたけど、
妙に作品や言葉が引っかかって、新しい知識への接続を促してくれる人は
たとえ知り合いじゃなくても「師」なのかも 宮崎駿はどうも好きになれない。人のことじゃなく作品のこと
だけど。作者の個がストーリーを超えて入ってくる。非常に居心地が悪い。 そういや鈴木大拙の妻は神智学者で
自宅で研究会やってた 合理の終端に行かない途中での霊感の類は
偶像崇拝で不要な苦しみの原因になるだけ >>933「読書人」だなんて業界紙か同人誌みたいもの知らんがな。要約コピーしてくれ このスレで西部読者の方々による知的な議論が繰り広げられているけど
俺の周囲じゃ家族や友人に西部さんの本を薦めても誰も手に取ろうとすらしない
これは絶望的な知的状況だと思うよ、まったく マルクス主義だって
親に説くやつはいないだろ
それと一緒
新幹線の中の読み物というジャンル >>963
読んだけど、すごく熱心に調べてるな
最後の結びは「黒魔術教団の広報兼プロバガンダ映画」という批判なんだけど
本当に批判したいのか疑問に思う
悪魔にとっては、存在すら感知されないことが重要で、
悪魔を描く芸術は、決して悪魔的でないどころか、実際には反悪魔的なので。
悪魔を描いたから黒魔術のプロパガンダだと結論づけるのは、
調査の熱心さから言って不可解なほど短絡的と感じる
実は告発するふりをしてるだけで本当は援護してたりして 本当に悪魔的な表現は
果てしない幻想の中に人間を閉じ込めようとしたり
強烈な感覚的な刺激によって酩酊状態にしようとしたりする。
その究極の形としては、虚栄心を人工的に刺激して人間をまさに家畜同様の存在にするソーシャルゲームのようなものだと思う
そこにあるのは、一切の真実のなさ、刺激のための刺激、皮相感といったもの。
本当の悪が悪のことを描くわけがない。 宮崎作品よりも、エンデの方が仕掛けが丸見えだと思ってたけどな。
悪魔的な表現というと、ハリポタが個人的に受け付けなかった。なんじゃあの学校。点数主義だし。 俺はマネーゲームよりソーシャルゲームの方が俗悪だと思うけどなぁ
マネーゲームのゲームマスターは人間じゃないけど
ソーシャルゲームのゲームマスターは人間なんだから
悪魔が作った構造を人間がコピーすることで一層醜悪になったと思う
悪魔が悪魔の役割を人間に担わせているとも言えると思う 人智学的にはゲームマスターはいないかもしれないけど。
具体的に二人の老人がいたとして
一方は、年金受給しながら、貯金を崩して暮らしている。
将来の不安は日毎に募る。
他方は、プライベートジェット機を乗り回し、リゾートホテルを飛び回る。
たまに相場に仕掛けたり、利子だけで悠々自適に暮らしていけるから、金銭不安等無い
はっきりいって前者はハメられた人生
後者はハメた人生。
質的に全くことなると思うけどね。
カルマも違うのではないのか。
だったらシュタイナーの理論でも一緒くたに出来ない。 合理の終端に届かないのに霊感に頼っても
それは無用な乱数を招くだけ
無用な苦しみを招くだけです 韓国人になりたい。一日中その事ばかり考えてるけどおかしい? 安倍さんの何が悪いのかわからんが、直感の飛ばしすぎは
不要な乱数を招いて苦をもたらすだけです
足下の合理から精密正確に論理を構築していくこと でっシュタイナー的には芸術の定義って
どういうことなの。芸術論ってあったっけ? 人智学を下敷きにした創作物も、作者個人が作りこみすぎたら
所詮作者のためのオナニーでしかないんじゃないか
シュタイナーは秘儀参入を視覚化して絵画で出してみませんかと言われて
それは個人個人が思い描いていくべきものだから絵画にはしないと断ったとかなんかで読んだ このスレは俺みたいな無学な庶民には難しすぎるんだよ
西部さんみたいに実生活に根付いた保守の議論をしてほしいよ 芸術を必要とする時代はもう終わったよ
文芸、美術、音楽
大ざっぱな啓蒙に意味があった時代に必要とされたもの
必要ないのに無理に存在・独自性を主張しようとすると、それは毒物になる >芸術を必要とする時代はもう終わったよ
・・・アホ!逆だ。残るのは芸術と自然科学。
芸術は民族文化も含まれる。
滅びるのはマルクス馬鹿とカルト馬鹿。 芸術は毒物に変化したでしょ、もう前世紀の半ばから
そういうこと ↑馬鹿。今のサブカルは古典芸術のパクリ。
つまり芸術的な物に大金が流れている。
需要大てこと。 娯楽である限りね
芸術になるに従ってそれは毒物になる まあ、芸術だけじゃなくて娯楽ですら徐々に存在意義が売れてきているが
それはエンタメ業界の劣化を見ればわかる
人が本当に充実するには、体や脳を自ら働かせないとダメ
見るだけという娯楽は徐々に存在意義を失うと思う ノーベル経済学賞に一番近かった男・青木昌彦が米国で取り組んだ安保闘争の「宿題」│佐野眞一寄稿
https://courrier.jp/news/archives/63176/
ノーベル経済学賞に最も近いといわれていた青木昌彦は、新左翼組織「共産主義者同盟」(ブント)の創始者の一人だった──。 トレインスポッティング2誰しも何かに依存する。
だけど依存において自分の個性を確立し他人と付き合うのは楽しいと思う。
そのなんらかの依存が無いと空っぽ。 現代においては依存がアイロニカルになる。
いわゆるアイロニカルな没入。でも何かしてみたいし個性を確立して他人と付き合いたい。 必然的に没入できる何者かが現代においてはほぼない。
差し当たり社会的欲望を満たしうるものに没入するのだが(欲望は他人の欲望である−ジラール)
そういう指摘も相当前のことだと思う。とはいえ没入の対象は待っていても中々来ない。 トレインスポッティング2は良い。
キャストコメンタリもいい。
ジョニー・リー・ミラーの前回のリメイクだと思うだろ?違うんだとか、ユアンの彼は人生を選ぶんだとか。
それにしてもアイロニカルだけど。 このスレッドは1000を超えました。
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