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現象学辺りを用いて様々なことを考えてみよう
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0001考える名無しさん垢版2018/06/19(火) 05:50:32.140
主要な方法としては現象学を採用するが、色々組み合わせても良い。例えば、ハイデガーの解釈学的現象学は、ハイデガー以外でも使える道具なのか?
0152107垢版2019/08/09(金) 22:12:36.020
>>151
だから、そういう考え方がゴミなんだよ
個々の知覚や体験はどうでもいい
太陽が太陽として認識されるのは経験に逆らってでしかない
事実からは理論は出てこない
だって太陽が東から昇ったからって翌日東から上がるなどとはとても言えない

ある時間の視覚に映る光の球は一時間後の視覚に映る角度の変わった光の球とは関係ないから
少なくとも自然や物の側には

唯物論や自然主義、唯名論は論理的に破綻している
現代哲学のそういう負の遺産や主観主義や相対主義は全面的に破棄しないと始まらない

こんなのはわかりきったことで、太陽が上るということも自然主義や物理主義や相対主義では説明できない

死ねば?
0154107垢版2019/08/09(金) 22:17:40.660
唯名論なんか純粋な論理的誤謬なんだから
そんなものに基づいて批判している奴は死ねばいい

まあ、死ねばいい馬鹿しか哲学史にはいないから、こんな馬鹿みたいな批判しか出てこないんだが
0155考える名無しさん垢版2019/08/09(金) 22:17:42.240
個々の知覚や体験からしか始まらないのだよ
いきなり三人称に飛躍できるわけないだろ

個々の知覚や体験が、それが知覚や体験である限りにおいて
普遍な形式がある、って話であってな
0156107垢版2019/08/09(金) 22:26:22.800
フッサールの著作を馬鹿な唯名論や自然主義から解き放って読めばここに書いている読み方しかできないんだけどね
めくらしかいないから

論理学研究をイデーンをヨーロッパ諸学の危機を読んだことがあるならこういう読み方しかできないことはわかるはずなんだが

志向性を
本質直観を
超越論的現象学を
お前らどう解釈しているんだ?
裸の物なんかなくて常に既に本質としてアプリオリに把握するのが志向性であり本質直観であら超越論的なんだけどな

超経験=超越論的
志向性や本質が裸の物だと思ってなんかいないよな
0157107垢版2019/08/09(金) 22:28:07.070
>>155
個々の経験では何も始まらないから全ては普遍や本質から始まるというのが哲学の本質だアホウ
0158107垢版2019/08/09(金) 22:34:49.660
個々の知覚や経験では何も言えない
すべては、全体の中でつねに既に方向づけられ関係付けられてはじめて意味を持つ
個物は意味はない

こんな初歩の基本のおさらいもわからずに哲学を語るなよ

死ね
阿呆
0159考える名無しさん垢版2019/08/09(金) 22:42:14.900
全然違う
よく聞けよ

知覚や体験が個々のものであったとしても
それが知覚や体験である限り、どうしても普遍とならざるを得ない形式がある
それを見極めましょう、というのが現象学だよ

だいたいお前は念仏唱えてるだけであっては
0161考える名無しさん垢版2019/08/09(金) 23:53:29.850
何らの素養も無しに論理学研究なんか読んだって無駄なんだよ、無駄無駄
音楽を聞いたことも無い奴が楽典を読むぐらいに無駄
読んでもいいけど、それで分かった気になってんじゃねーよ

フッサールの頭の中は、その背景に数学があるけど、おまえらには無いだろ?
数学は個々の主観によって捉えらているのに、それが超普遍的な内容を持ち得るのは
そもそもどういう事態なのか、というのがそもそものフッサールの出発点

そして数学を深く捉えているが故に、ガリレオの「数学化された自然」を批判することもできるわけだ

おまえらにできるのは、言葉のぼんやりした雰囲気から思いつく連想に次ぐ連想、それだけだ
0162146垢版2019/08/10(土) 05:37:06.280
>だから逆だって

また「逆」ですか?
この場合の「逆」は、「カレー」だろうが「ドロドロした液体」だろうが問題ではなく、「認識者」がそれらの構成主体(アルケー) であると言う意味での「逆」なのでしょうか?

もしかして、わざと理解されないように語ってます?
一般的に、現象学とは、事物が認識主体とは無関係に客観的に存在していると言う「自然主義的世界観」を否定し、認識者が世界を構成していると言うと「逆向き」の形式を取ると考えられていますね。
107さんは、そう言う考え方が間違っていると言うのか、その考え方に戻りなさいと言っているのか、そのどちらでもないのか?

1 我々が素朴に体験する「太陽」は自然科学的な神話など様々な概念が張り付いて構成されているフィクションである。
2これらを「エポケー」すると、「太陽と呼ばれている『光の玉』」が現れる。
3「太陽」にせよ「光の玉」にせよ、それらの現象を構成しているのは「意識」である。

とこれで、こうやって議論なり対話している最中にも「馬鹿」だの「死ね」だのと言う言葉が飛び交っているのですが、
現象学的に言うとそれらは客観的に実在するのでしょうか?
現象学的対話の中では「馬鹿」はエポケーされませんか?
それとも、現象学を議論している時は現象学からは逸脱して、普通の意識で討論しているのでしょうか?
あるいは「現象学的に還元しようが馬鹿は馬鹿」と達観して、あえて馬鹿にしているのでしょうか
0163考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 05:48:23.080
フッサールの高弟だったハイデガーやアーレント、なども特に数学者じゃないしね。
現象学を意味もなく秘教的な学問にするのはやめてほしいな。
「現象学を理解できる自分は選ばれた人間」と言った誤ったエリート意識が現象学を分かりにくい学問に仕立て上げている可能性も疑わなくてはならない。こんな構図があれば、原理的に他人に現象学を理解させることは不可能。
0164考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 06:10:17.530
現象学は秘教でもなんでもない
「なんでも現象学」とすることが可能だから

ハイデガーもメルロ・ポンティも、その「現象学」の大家
しかしフッサールを捉え残った
そもそもフッサールを理解するとか、土台無理だろ
3行読むだけで疲れる
疲れるだけなら良いけど、結局はよくわからない
0165考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 06:13:02.750
西洋社会と無関係に育ったアマゾンの奥地の原住民は何かの拍子で「ナポレオンと呼ばれる人物」に出会っても、その馬に乗った小男を「いわゆるナポレオンとして」扱うことが出来ないと思うんですよね。
つまり「ナポレオン神話」を共有していないと、ナポレオンは存在しない訳ですよ
或いは「ナポレオンを崇拝する強力な軍隊や人民」などの提灯持ちとワンセットじゃないと「皇帝ナポレオン」は存在しない。
要するに神話や舞台装置がナポレオンを「ナポレオン」たらしめていると思うんですよね
この神話を伴った意識を「志向性」と呼ぶならそうなんでしょう。
数学が成立するのも1+1=2と言う「神話」(ルール・公理)を伴った意識が数字と言われるインクの染みを見たときに現れる現象なんじゃないですか?
現象学ってそれ以上の事を何か言ってるんですかね?
0166考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 06:29:03.370
フッサールはハイデガーに「君と僕だけが現象学だ」と話すなど特別な期待を持っていたそうだから、「ハイデガーが現象学をさっぱりわかっていない馬鹿」と言うには無理があると思うんだよね。
日本人特有の劣等感意識がフッサールを理解出来る自分はハイデガーやメルロポンティより上みたいな疑似ヒエラルキーを作っちゃうんじゃないですかね
0167考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 07:19:57.790
現象学をやっていても気がつくと「単なる2ちゃんねらー意識」になってしまうと言う「問題」もあると思うんだよね。
あえて、意識して「2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)を演じている」と言う側面もあるだろうし、
現象学を実践している人も「人間世界」や「企業社会」「2ちゃんねる」に存在している限りは、
その場の社会的ルールに従うべきと言うことはあるかもしれないが、その場合にも「あえてルールに従っている」と言うことを意識に上らせなくてはならない。
しかし、ともすると「ルールに従っている」と言うよりは「その場の雰囲気に無自覚に流されている」と言うケースが、かなり知的な人間であっても多いように思う。
0168考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 07:27:26.690
>要するに神話や舞台装置がナポレオンを「ナポレオン」たらしめていると思うんですよね

ハイデガーが「存在」と言っているのも、そんなことだと思うんだよ。
ナポレオンが個人として客観的に実在すると言うのも、観察者(主観)がナポレオンを生み出していると言うのも、共に「存在忘却」で、実際は、ナポレオンはナポレオン以外の要因でナポレオンたりえる(金剛経)と言う仏教の空(縁起)みたいなお話ではないだろうか?とふと思った。
0169考える名無しさん垢版2019/08/10(土) 07:54:09.140
志向性って、もっと簡単に言うと、同じ部屋に居ても、「出世しよう」と思う(志向する)人間には「政治的現実」が見えるので「上座、下座」が存在するが、そんな意識が全く無い新入社員の天然くんには「上座、下座」は見えない。
芸術的志向性を持つと「ただの便器」が「芸術」に見えるが、志向性を外すと「便器」
用具的志向性を持てば、「道路脇の繁み」が「トイレ」に見えたりとか、そう言う事でしょう。
0170107垢版2019/09/16(月) 09:45:29.620
唯名論経験論の誤り
郵便ポストが赤だと知る、すると
薔薇の花、
物や経験に先だって、規約の説明取得に先だって、薔薇もまた、共通な性質を有するとわかる
郵便ポストや薔薇の花は赤であって別な色ではないという、普遍了解がないと見たことのない物がそれでも赤とわかる、経験に規約に先立つ拘束性が説明できない
経験に逆らってそれらの了解はある

唯物論の誤り
ある唯物論的解釈で、ある法則を説明したとして、無限な別な解釈、法則、説明がありうる
正しさは唯物論とは関係ない

自然主義や物理主義、三人称客観から個物から説明する方法論は唯名論のジレンマと同じ困難は避けられない
赤が何故、別な物でも赤か、物理主義や経験論、唯名論では説明できない
クワインはじめ哲学の主流派は全てゴミ
単純な間違い
自然からは自然への解釈は出て来ない
別な解釈でない必然性はそこにはない
三人称客観からは答えは出ない

一方、カント以来の相関主義も馬鹿
主観や相対的解釈と言っても物からの物に触発されての説明は同じだ
馬鹿じゃねーの、死ね
私が客観に的中する根拠なんかないから
一人称の視点、本当の自分とかないから
繰り返す、主流派も反主流派も馬鹿じゃねーの
0171考える名無しさん垢版2019/09/16(月) 13:30:42.190
〉繰り返す、主流派も反主流派も馬鹿じゃねーの

あなたはどの立場から言ってるの?
0172学術垢版2019/09/16(月) 13:42:26.800
現象学って閃光放つ飛び道具とちゃうん。
0173107垢版2019/09/16(月) 14:22:25.910
現象学を経験論的にしか解釈しない奴とかカント、相関主義的にしか解釈できない奴は死ねば良い
経験からは経験と経験がどういう関係にあるか、その認識は絶対に出て来ない
0175107垢版2019/09/16(月) 14:30:03.710
aという経験とbという経験からはab間の関係は出て来ない、出しても他でない、そうでなければならない理由はない
論理的に経験論や唯名論や唯物論はおかしい
誤謬でしかない
三人称客観からは、事実からは、事実を越えた認識は発生しない、その認識が他でない根拠がないから
それをひっくり返した一人称も単なる裏返しでしかなく、その一人称の配置が他でなくそれが正しい理由がない
自然主義も相関主義も論理的に破綻している
0176107垢版2019/09/16(月) 16:14:55.460
三人称客観の自然主義に基づく哲学の主流派も、野党第一党の主観主義の相対主義もゴミだから
全てが掃除されないと
0177考える名無しさん垢版2019/09/17(火) 18:38:24.250
君は誰かがそう言ったから信じているだけですよ
竹田とか読んでも無駄
0178107垢版2019/09/17(火) 19:46:30.320
郵便ポストを認識して赤だと把握する
薔薇の花を認識してこれも赤だと把握する
しかし、郵便ポストと薔薇の花で共通な物など導ける物など無数にある
その中から赤だと選び出すことは物や経験からは出て来ない
無数に別な関係を選べるから
経験に逆らって選び出すから郵便ポストも薔薇の花も赤だと把握できる
三人称客観無差別の自然主義からは物単体は認識できても物と物との関係を選択できない
無数の無差別な関係からよりわけられないから
0180考える名無しさん垢版2019/09/17(火) 22:15:07.340
a 1という経験、a 2という経験からA という法則を導き出したとして、 BたとかCだとか無数の別な法則でないのかという無限後退は避けられない
事実に合致するのが良いと言い出しても、人によって経験から導き出すものはそこから導き出す利益は違う、無限に違い食い違う、時に譲れない
万人にとって利益になるもの、利益を導くものが一致するならともかく、全くそんなことはないからこまっている
三人称客観から何かを導き出せるとは嘘であり、絵に描いた餅だ
三人称客観から導き出した何かに従っているとして、それに従っている理由は別の所にあり三人称客観自体にはない
出鱈目だ

かといって主観が法則を作り出す現実に適用させるとか言い出しても、そのどれが正しいかわからないから答えにならない
さっきと同じで A と言ったら無数の別な答えに対するこれを採用する根拠がない

いずれも間違いだし、何の価値もない
実在から答えを導けるという物理主義や自然主義もカント以来の実在を括弧に入れる観念論や相対主義も論理的間違い
0182考える名無しさん垢版2019/09/19(木) 22:39:36.690
経験したa1とa2、その間の関係は無数に導ける、経験論や唯物論、唯名論はその中から答えを出せない
無数の答えを同じ権利で出せるから
それを乗り越えようとする一人称の観念論や、相対主義や相関主義
これを採用しても全く事態は変わらない
一人称同士で何故それが正しいか何故採用しなければならないか
全く答えになっていないから

現象学はそういう物を排除して成立する
0184考える名無しさん垢版2019/09/21(土) 16:32:43.990
a1、a2、a3、…an
b1、b2、b3、…bn
c1、c2、c3、…cn

m1…mn


事物の三人称の系列があって、自然主義、唯名論はaやbやcや以下mまでの事実から次はa1からa2…anが導かれる事実を越えた法則性ルール当為が導かれると言うが
事物、自然、経験それ自体からは、そんな物は導かれるわけがない
a1、a2の後はb3だったりc7だったりa1に戻ったりa2でいつまでも足踏みしていても何も問題はない
a1a2の後はa3と同じくらいの権利を有する

当たり前だが事実と「関係なく」事実に逆らって法則やねばならないは創造される
自然主義や唯名論、唯物論は論理的にはじめから破綻している

一方、カント以来のコペルニクス転回や相対主義、実在論否定の相関主義は同じことの繰り返しにすぎない
a1a2a3…an
が先行すると言ってもじゃ何故、それに従うのか、他者の提示する別な系列、理論に優越する根拠なぞ何もない妄想に過ぎない

三人称自然主義や一人称相対主義を克服したところにしか哲学は成立しない
主流派も反主流派最大派閥も哲学的に抹殺した所に初めてまともな哲学は成立する

これは当たり前の前提条件だ
0185考える名無しさん垢版2019/09/21(土) 17:16:40.950
それは克服するための前提条件じゃなく破綻するための前提条件を
並べ立てたところでまともな哲学とやらは成立し得ない
0186考える名無しさん垢版2019/09/22(日) 15:58:12.260
経験論、唯名論的、フッサール読解ほど、現象学を侮辱したものはない
0187考える名無しさん垢版2019/09/22(日) 17:48:58.480
哲学の言語によって数学を説明することは可能か

かつてフッサールが諸学問の基礎付けとしての現象学を打ち出しましたが
それが成功したかどうかはさておき、先人の業績を踏まえつつ、数学、法学、経済学、家政、町内会、etsを哲学の言語によって説明することは可能でしょうか?
0188考える名無しさん垢版2019/09/22(日) 18:12:06.020
数学etsが哲学の産物だから理性と知性によって学習することができるだけですよ。
0191考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 10:38:29.380
経験論や唯名論、唯物論、自然主義は論理的に間違っている
そんな物を正しいと思う奴は哲学を語る資格はない

a1という事実、a2という事実
経験から語るにせよ、その間の共通な事実や関係について語るならa1という体験、a2という体験とは別な原理がいる
経験からは出てこない経験からはみ出した原理が
それを認めて語るなら経験とは別な原理を前提にしているわけで既に経験論でも唯名論でも何でもない

まあ、哲学者の半分はそういう馬鹿だから自然主義が主流派なんだが
0192考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 10:45:44.480
一方、生得論や先験論で原理を仮定する立場も、論理的におかしい
そういう不変的な普遍的な構造があるなら人間の認識は同一であるはずだが、全くそうはなっていない

経験論も先験論もa1やa2の体験から導かれる原理はAてめBでもCでもいいはずなのに、何故Aなのかの説明が原理的にできないから

論理的に間違っている
0193考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 11:13:36.100
三人称が基本の分析哲学の中でクオリア論争とかは三人称に対する一人称の復権なんだろうが以上のようにどちらも間違っている
現象学に意味があるとしたら以上の二つの思想を完全に根絶した中でしかあり得ない
0195考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 14:50:52.230
唯物論や唯名論では、帰納を説明できない
これは初歩的な哲学の常識であって

例えば郵便ポストがある色の性質持っている
薔薇の花がある色の性質を持っていると帰納し抽出し、それに赤という普遍名をつけるにしても、
経験に先立って赤という物の区別がついていなければできるわけはない

赤がわかっていなければ赤い物だとよりわけることも共通な物だと区別することもできるわけがない

物や経験に先立って、それらとは関係なしに認識が既にあるから赤とか共通だとか判断できる

自然主義、唯名論、唯物論、経験主義は哲学的には吟味に耐えない、成立しない妄想のたぐい

それはとっくに気付かれている単なる事実
0196考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 18:04:31.950
うむ、説明するまでもないことに文句をつけてもしかたあるまい
0197考える名無しさん垢版2019/09/23(月) 18:43:14.080
郵便ポストが人によって全然違う色のように見えていたとしても
「郵便ポストは赤い」と普遍的に不都合なく記述される事実に対して
何も矛盾しないのだよ

おまえらは本当に無能だわ
0201考える名無しさん垢版2019/09/24(火) 23:02:21.680
「Aである」と「Aではないように見える」が矛盾しないのは当たり前。
矛盾したらそれは「見える」の意味ではない。
0202考える名無しさん垢版2019/09/25(水) 05:50:21.210
「赤く見える」こと以外に「赤である」ことの意味などない
赤ではないように見えるなら、赤ではない

ばーか
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