西部邁スレ合理論のまとめ
そして、ネットはこうした超越性を極限まで最小化していく
デジタルはその性質から、すべての対象に対して同一律と非矛盾律を強制する
これによって、原理的に超越性は失われる
乱数はその根本的性質として、同一律と無矛盾律を無効にする
(乱数自体はデジタル側への写像です)
乱数は同一であるとは言えないし、同一でないとも言えない
つまり、アナログは同一であるとは言えないし、同一でないとも言えない
これがデジタル化されることで、一気に同一律と無矛盾律が成り立つ系と変換される
このことによって、超越性は最小限のものになる
すべては、その身元が識別される
デジタル系の内部では超越性は存在し得ない
そしてこのことは、デジタル系の内部では乱数を作れないということと原理的に等価である デジタル系の内部で作れるのは疑似乱数であり、
これこそが犯罪者の人為(デジタル系)の非合理に対応する
そしてこれこそ、人が神から独立した状態であり、666が示す状態ということになる
(合理は所与条件に一意に従うので、その出発点が神の所与条件であるなら
100%神に従属する)
つまり、自然状態の乱数 神
人為による疑似乱数 666(悪魔)
こうなる つまり、神は人に対して超越性を持つのに対して
悪魔は人に対して疑似超越性を持つ
まあ完全にキリスト教的宗教論になってしまうが
聖書の言いたいことは概ねこういうことだと思う このことは、AIの深層ループ構造が発達するとAIによる疑似乱数の生成も
脅威になる可能性があるということも示しているね したがって、AIの深層ループ回路の設計では、疑似乱数の生成時(おそらく回路の発散時)
に回路をストップする安全機能が不可欠だと思う