西部邁スレ合理論のまとめ

1考える名無しさん2018/09/12(水) 15:41:03.570
時系列を追ってまとめてみようと思います

117考える名無しさん2018/12/02(日) 18:33:36.800
178 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 10:51:54.56 0
フェアという概念は超越性と密接に結びついてる。
超越性を持たないなら、フェアという概念は成り立たないのかもしれない。
いや、超越性を持たないならフェアという概念は結果の平等というヒューマニズムになる。
つまり、超越性がないならフェアという概念はヒューマニズムになる。
まあさんざん言われてる結論になってしまうけど。

179 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 11:01:58.48 0
つまり、ヒューマニズムでは人間が最も崇高な存在と最終的には考える。
人間は一人一人が神である。その神に対して、あの神よりこの神の方がえらいなどと言えるだろうか?
すべての神は平等にえらいのである。したがって、結果の平等が求められる。

それに対して、人間を超越する崇高なものを想定するのであれば、
その最も崇高なものを基準として、人間の価値の高低をフェアにつけることができる。
これが機会の平等ってことになると思う。

118考える名無しさん2018/12/02(日) 18:34:54.030
180 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 11:13:33.34 0
要するに、資本主義というものは、超越性がなければフェアには機能しない。
それを無理に不正に機能させるか、フェアにこだわるのであれば結果の平等という社会主義化するしかなくなる。
つまり、資本主義がフェアであるためには超越性が必要であり、
超越性がないのであればフェアであることを諦めるか、資本主義を諦めるかどちらかになる。
これが今の日本の現状そのものだと思う。

181 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 11:27:07.73 0
そう考えるなら、フェアな資本主義というものは、超越性を持たない
日本人にはまったく理解不能ということになる。超越性を持たない人にとっては
資本主義は常に不正であり、フェアであるのは社会主義であって、妥協の産物として
資本主義を選択しているということになる。

119考える名無しさん2018/12/02(日) 18:51:53.710
188 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 21:19:15.60 0
独立価値というより超越価値と言った方がいいかもね。
超越価値と従属価値の方がわかりやすい。

189 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 21:32:56.89 0
確か、内在的価値と独立価値が比類されてたように思うけど、
内在的価値と超越的価値って対義語に近いと思う。
従属価値と道具的価値はほぼイコールのように思うけど、
内在的価値と超越的価値が対義語であるなら、それぞれが対義語を構成する3つの言葉(内在的価値、超越的価値、道具的価値)
が存在することになるよ。これはどこか言葉の定義におかしなところがあることになる。
3つの言葉がそれぞれ対義語になるということはないはず。どこかで定義が重なってる。
となると、おそらく内在的価値と超越的価値に重なりがあるってことになる。この両者と道具的価値の区別は明らかだから。
それでも内在的価値と超越的価値は対比的であるように感じる。
この部分は思想的に重要な気がする。

191 :考える名無しさん:2013/04/29(月) 21:46:42.16 0
内在してるのに超越してるっていうのは、神学的に重要な概念なのでは?
この辺にわかる人がいそうだけど。 👀
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120考える名無しさん2018/12/02(日) 18:55:29.390
217 :考える名無しさん:2013/05/01(水) 07:44:14.49 0
内在的価値⇔道具的価値
これは哲学界で実際に使われてるからいいよね。
独立価値⇔従属価値
これも語義も意味も対義になってる。
超越的価値の対義語は、普通に考えるとどうも内在的価値になってしまう気が・・・。

視点によって、対義語にもなり、同義語にもなるのは
思想的に何かの意味があると思う。

219 :考える名無しさん:2013/05/01(水) 08:17:35.61 0
視点を変えたときに二つの言葉が同義にもなるし、対義にもなるというのは
あり得ることだよ。だから、その視点がどういうものであるかというのが
思想的意味ってことになると思う。

121考える名無しさん2018/12/02(日) 18:59:04.790
238 :考える名無しさん:2013/05/01(水) 11:31:41.77 0
京都大学の児玉聡氏のホームページにはこうあるよ。

あるものが内在的価値を持つとは、それ自体に価値があることである。
自体的価値などとも呼ばれる。 対義語は、道具的価値(手段的価値 instrumental value)で、
道具的価値を持つものは、 なにか別の目的を達成するための手段として価値があるということである。

たとえば、薬が価値があるのは、 「健康のために役立つ」からであり、
したがって薬の価値は道具的である。 それに対し、健康はそれ自体として
重宝される場合があり、 その意味では健康は内在的価値を持つ。

またたとえば、 カントやアクィナスは、 動物を虐待すべきではないと考えたが、
それは動物を虐待する人は、 人間に対しても冷酷になり、人間(や神)に
対する義務を果たすことが できなくなると考えたからであった。
この場合、 動物は手段として重要なのであり、それ自体として価値があるわけではない。
それゆえ、カントやアクィナスは動物に道具的価値を認めたが、 内在的価値は認めなかったことになる。

しかし、あるものが内在的価値を持つのか、道具的価値を持つのかは、
人によって異なる場合がある。 たとえば、「健康であることはお金をもうけるための
条件にすぎない」 と考える人にとっては、健康は道具的価値しかもたないといえる。
また、そういう人は、お金を道具的価値と考えているかもしれないし、
あるいはそれ自体で価値があると考えているかもしれない。
(守銭奴は、お金という本来は道具的価値しか持たないはずのものを、
内在的価値を持つものと考える例としてよく挙げられる)

また、知識や自由や平等、民主主義が内在的価値を持つのか、
あるいは道具的価値しか持たないのか、 というのはよく議論になるテーマの一つである。

http://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/intrinsic.html

122考える名無しさん2018/12/02(日) 19:02:17.390
264 :考える名無しさん:2013/05/02(木) 19:34:23.20 0
結局、知性を持った生物であると言うこと自体がこの宇宙の仕組みと
矛盾しているからこそ、超越性が必要になる。
人間ももともと宇宙の一部じゃないかと思うかもしれないが(これが汎神論だろう)
知性を持った人間は宇宙と矛盾する存在であって、宇宙の一部であって一部ではない。
仏教はこの本質に一番近づいていると思う。ただ、それに対して人間がどうすべきかとなるとキリスト教の方が
理解が深いのかもしれない。キリスト教の解答は、内在と超越であり、その意味するところは
人間への愛ということになるんだろう。矛盾した罪深い存在してはいけないものに対してすら愛が存在する。
これが仏教の空即是色に相当するんだと思う。そのことがあるからこそ人間はこの世界を信頼できる、
また信頼しなければならない。そういうことだと思う。

265 :考える名無しさん:2013/05/02(木) 20:42:15.64 0
内在しつつ超越するということは、要するに
色即是空、空即是色ってことでしょ。
内在が色、超越が空。

内在的価値と超越的価値は同じであり、それは色即是空・空即是色であり、
内在しつつ超越するということ。

そして色即是空を理解するために必要なのは論理であり、空即是色を理解するために必要なのは慈悲(愛)ってこと。

要するに、内在的価値を超越的価値として理解するのは論理であり、
超越的価値を内在的価値として理解するのは慈悲(愛)ってことです。

これが一連の議論の解答だと思う。

123考える名無しさん2018/12/02(日) 19:07:05.090
277 :考える名無しさん:2013/05/03(金) 06:51:48.96 0
キリスト教が一神教である理由がわかったよ。
超越的価値を内在的価値とみなすには、愛と信頼が必要なんだけど
それには愛と信頼を与える対象が必要なんだ。それがいろいろ存在してしまうと
愛と信頼は得られず、内在的価値を信頼しきれない。そういうことだと思う。
出口の部分だね。仏教が出口の部分が混乱しているのは、この愛と信頼を与え切れていないからだと思う。

124考える名無しさん2018/12/02(日) 19:09:23.280
284 :考える名無しさん:2013/05/03(金) 18:08:37.78 0
親鸞の悪人正機というのは、空即是色・慈悲に当たる部分だけど
あまりにも未熟すぎる。それでも、仏教ではこの結論に至るしかないのかもしれない。
まず、色即是空が自然の摂理とそのまま主張してしまうのはしょうがないのかもしれないが
空即是色が観音菩薩の慈悲としてしまうと、色即是空と空即是色の動因が分かれてしまう。
これでは、空即是色の慈悲が非常に厳しいものであるという部分にならない。
色即是空をもたらす存在が、空即是色の慈悲をもたらすことで、その空即是色の慈悲は非常に厳しいものになる。
それと同時に愛と信頼の有り難さが伝わることになる。

これがないから仏教ではすべての人が救われるという慈悲になってしまった。
この原因は色即是空の主体と空即是色の主体が分かれているために、空即是色の慈悲をもたらす主体が
無条件の慈悲を持つものと解釈するしかなくなってしまうことだと思う。

125考える名無しさん2018/12/02(日) 19:11:09.980
289 :考える名無しさん:2013/05/03(金) 20:55:28.54 0
元々、近代の秩序は西洋人が作り上げたわけだから
彼らの精神のあり方が近代を生きる上で一番適応してるんだと思うよ。
特に、表層のヒューマニズムと深層の信仰は、この今のある意味狂った世界を生きるのに
よく適合するように思う。
かといって、他の人々が世界をリードして文明を作っていたらこれほどよくできた文明には
絶対ならないだろうというのも確かではあるわけだけど。そういう意味でキリスト教は
欠点がないわけではないけど、特に世界の厳しさを知りながら世界を信頼するという
宗教にとって最も大事な役割を十分に果たしている唯一の宗教ではあると思う。

126考える名無しさん2018/12/02(日) 19:20:10.450
297 :考える名無しさん:2013/05/04(土) 09:08:24.91 0
内在的価値と超越的価値が仏教の色と空に対応するということで
すべての謎が解けてしまったね。

内在的価値なんてないんだと仏教はさんざん言うんだけど、
かといってニヒリズムを主張しているわけではない。空というのは超越的価値のことだ。
そして空を導き出す縁起論では道具的価値を併用して、内在的価値が存在しないことを証明している。

なぜ空が超越であるかというと、空とは縁起の無限連鎖であり、その無限連鎖こそが超越性そのものであるということ。
そして仏とは空と一体化した存在であり、それは要するに仏とは縁起の無限連鎖と一体化した超越的存在である。
いや、空が言いたいのは超越そのものであって(なぜ縁起の無限連鎖を考えるのかというと、それこそ超越性の根本だから。
縁起の無限連鎖は宇宙の摂理であり、それこそ超越性の本質だから)、その仏こそ尊いのだと言うことは
要するには尊いものは超越性の向こうにあるということだと思う。これはイデア論そのものということになる。

298 :考える名無しさん:2013/05/04(土) 09:33:17.44 0
なので、色即是空とは
内在的価値とは超越的価値であるという主張であって
空即是色とは
超越的価値とは内在的価値であるという主張ということになる。
超越的価値を内在的価値と見なすには、この世界に対する信頼が必要になる。
それこそが慈悲であり愛であり、また禅などの修行にもその要素があるのかもしれない。

127考える名無しさん2018/12/02(日) 19:23:55.800
301 :考える名無しさん:2013/05/04(土) 13:16:01.71 0
内在的価値がないというのはわかるんだが
超越的価値というのは何なんだろ?
超越とは神の意志であり、それは縁起の無限連鎖であるってことでしょ。
そこに価値がある。縁起の無限連鎖の末に獲得する価値。それが超越的価値であり、
それは神の意志による価値。こういうことかな。

303 :考える名無しさん:2013/05/04(土) 13:36:45.22 0
超越的価値とは、縁起の無限連鎖の末に獲得する価値だね。
仏教って縁を大事にする。袖すり合うも多生の縁などと言って、縁によって獲得する価値があると考えるのが
仏教の本質だと思う。そして、その縁は無限に続く。それは神の意志と言って良い。
そうであるならば、その縁によって獲得したものに価値がないわけがない。なぜならそれは神の意志だから。
これが超越的価値。

128考える名無しさん2018/12/02(日) 19:51:05.280
445 :考える名無しさん:2013/05/29(水) 07:30:41.99 0
結局は、利益の分配に争いは必要かどうかってことになるんだろうな。
利益を分配するために争いが必要だとすれば、それは昔なら戦闘、今なら市場競争で決着しないと
いけない。また、利益を分配するために争いが必要のない世の中もいずれ訪れるかもしれない。

市場によって善悪が決まるというのは、昔ならば戦闘によって善悪が決まっていたことが
今は市場によって決まっていると言うことなんだろうと思う。勝てば官軍という言葉があるように
今は売れれば正義ということなんだろうね。
でも、善悪の概念というものは、歴史的にはそういう戦闘の勝者が作ってきたわけで
戦闘の勝者が善悪を決めるにしても、市場の勝者が善悪を決めるにしても、それは
伝統的な方法から外れてるわけではないんだよ。

446 :考える名無しさん:2013/05/29(水) 07:54:30.20 0
そう考えると、国家社会主義の一番の問題点は、
外国との利益分配で、市場競争を使えないってことだと思う。
利益分配に必ず争いが必要なんだとすれば、そして市場競争が使えないとすれば
残る利益分配のための手段は戦闘だけということになってしまう。
これが国家社会主義に戦争が常につきまとう理由なんだと思う。

129考える名無しさん2018/12/02(日) 19:52:34.710
453 :考える名無しさん:2013/05/29(水) 18:55:25.83 0
国家も最初に武力で統一したものがその国家の善となるわけだけどね。
まず、人々の価値観でもルールでも統一しなければ、共同体は生まれない。
その力となったのが武力。統一するということは、押しつけるということだから、力がいるんだよ。
そして価値観やルールを同じくする人々が国家を構成するようになった。
今は、この価値観やルールの統一化を武力ではなく、市場で行ってるってことだよ。
価値観やルールの押しつけには力がいるけど、現代ではそのために武力を使うことはできない。
その代替となっているのが市場。
利益の分配も同じ事だとおもう。利益を分配するには、ある種の押しつけが伴う。誰にとっても満足できる
分配方法はないわけだから。その押しつける力となっているのが、昔であれば武力であり、今であれば市場
って事だと思う。

日本の武士道のように、こうした力と道徳というものは密接に結びついてる。
だから武というものは神聖なものと捉えられるんだよ。それは道徳を押しつける力であるから。
その部分が現代では市場に変わったわけで、保守派が不満に思う部分の本質はそこなんだと思う。
道徳の源泉が武から商に変わることで、道徳の中身は大きく変わるからね。
このことが、市場が善を決めてるという意味だと思うよ。

130考える名無しさん2018/12/02(日) 20:08:29.190
605 :考える名無しさん:2013/06/15(土) 14:01:32.81 0
現代の本当の対立軸というのは、どうもコスモポリタニズム(個人主義)とコミュニタリアニズム(集団主義)みたいだね。
サンデル以降、このことがアメリカなんかでも意識されだしてきたようだ。
この本当の対立軸をうまく管理できるようになれば、人類の社会学的な経験値はだいぶ上がると思う。
それは、実際の社会に目に見える恩恵があるほどの影響があると思う。

コスモポリタニズム(個人主義)   コミュニタリアニズム(集団主義)
資本主義・国際社会主義          封建主義・国家社会主義
自由主義                    統制主義

これが本当の対立軸。そしてこの対立軸は人間の本質を分ける最も重要なものだと思う。
もちろん、両極端を選択する必要はないけど、双方の特性、利点、欠点の理解が進むことで
この対立軸をよりうまく管理できるようになり、その結果として人類の多くの問題が解決されることになる
んじゃなかと思う。これは、実際にはアメリカでの社会科学の進歩を持つしかないところが残念ではあるけど。

606 :考える名無しさん:2013/06/15(土) 16:09:28.64 0
よく考えると、2つの世界大戦と冷戦はすべてこの軸で行われてる。

             自由主義            統制主義
第一次世界大戦   連合国       同盟国(ハプスブルク-オスマン)
第二次世界大戦 連合国             枢軸国(国家社会主義)
冷戦           西側諸国           東側諸国(国家社会主義)

まあ今さらこの軸に気づくのも遅すぎるのかもな。
社会科学は、良い人材を自然科学に取られすぎてるからかやっぱり未発展だと思う。

131考える名無しさん2018/12/02(日) 20:49:03.810
909 :考える名無しさん:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN 0
結局、問題になるのは超越に対する理性のあり方なんだと思う。
超越自体は、この宇宙の性質から必ず存在する。
その超越に対して、理性はいかにあるべきかというのが本当のテーマ。
それが哲学にとって最も重要な部分なんだよ。

だから、スコラ哲学の一見すると不毛な論理の積み重ねが
実は最も重要な作業であったということだと思う。
西洋人が他の人々よりも優位になったというのは、このスコラ派のおかげだと思う。
これによって、超越に対する理性のあり方というものをある程度定めることができた。
日本人には、この部分はほとんど手つかずで、それ故に日本の今のいろいろな問題が
生じてるとすら思う。

132考える名無しさん2018/12/02(日) 20:59:01.790
13 :考える名無しさん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN 0
市場は戦場だからね。
戦争というものは、革命よりもはるかに深く多くの伝統を喪失させる。
日本でも戦国時代で伝統が断絶したでしょ。
市場というのは、そういうバーチャルな戦場だよ。

本当の戦争の場合、被害があまりにも甚大になるので、たとえ数十年戦闘が続いても
その後長い間平和が続いたりする。それは、人々が戦争の悲惨さが骨身にしみてわかるから
争いを決して起こさないと決意するから。

ところがバーチャルな戦場である市場は甚大な被害が起きないので、常に戦闘状態であっても
誰も困らない。なので、薄い戦国時代が常に続いている状態になるんだよ。
戦国時代では、既成の秩序は失われ、新しい秩序が生まれる。
既成の伝統は失われ、新しい慣習が起こる。
それが、日々永遠に続くのが資本主義の市場だよ。常に下克上が起きる。
それは革命よりもはるかに強力なものだよ。
なので、本当に伝統を守ることが必要であるなら、資本主義は続けられないってことになるね。

133考える名無しさん2018/12/02(日) 21:02:36.290
62 :考える名無しさん:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN 0
>>60
日本人にとって超越それ自体はなじみ深いんだよ。
それは諦観みたいなものだからさ。
仏教と言ってることは同じだし。
ただ、超越を前にした理性の有り様がどうにもらない。
諦観を前にしても理性を働かせ続けるということができないから。
その辺が神を前にした理性のあり方を考えるというある意味とんでもな
学問を究めてきた西洋人は強いんだよ。

134考える名無しさん2018/12/02(日) 21:05:26.720
75 :考える名無しさん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
逆に今の方が厳しい部分もあるんだよ。
戦前は素性がボロでも厳しい教育と社会がそれを矯正してくれた。
ところが今はそのままが良い教育なので、素性がボロだとボロのまま。
そしてたぶん、ボロのままだと生きていけないよね。
今の方が素性重視主義なんだよ。そのままで良いっていうのは、そういうこと。
そして、そっちのほうが厳しい部分も多い。
精神的には昔の方が厳しいだろうけど実態としては今もかなり厳しい。

でも戦前のやり方にも欠点はある。素性がボロの人間を無理矢理矯正して社会に適合させても
結局はそれなりであって、本当に良い人間にはならない。だから、外面はまともでも、
中身が腐ったような人間が野放しになる。中身が腐ってれば外面も腐る今の方が
社会全体としてはありがたいかもしれない。素性主義は、外面だけじゃなくて中身までの潔白さを求めるから
逆に偽物は通用しないってことでもあるね。

戦前のような素性を軽視する社会では外面まともでも内面が腐った人間が野放しで、そういう人間が要職についたりすると
社会は大損害を被ってしまう。

135考える名無しさん2018/12/02(日) 22:11:06.040
54 :考える名無しさん:2013/10/11(金) 13:28:58.44 0
この世界に超越が存在するのは明らかだけど
それで諦めちゃだめなんだよ。
それで諦めれば、猿が天皇でも良いでしょになってしまう。

信仰とは、理性が導くんだよ。
超越を認識する目的は、理性を健全に働かせるためであるということを忘れてはならない。
超越とは何かを理性で最後まで追求したトマスアクイナスの姿勢こそ、
現代人が今見習うべきものだと思う。

136考える名無しさん2018/12/08(土) 09:16:04.370
58 :考える名無しさん:2013/10/12(土) 06:49:58.69 0
トマスアクイナス

全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、
哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、
神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。

人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。
しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、
理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられる
ことによって知性は成長し神を認識できるようになるが、
生きている間は恩寵の光のみ与えられるので、人には信仰・愛・希望の導きが必要になる。
人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られるのである。

137考える名無しさん2018/12/08(土) 09:17:00.230
59 :考える名無しさん:2013/10/12(土) 08:33:40.91 0
これはどういうことを意味してるかというと、
人間は死ぬことによって、宇宙と自身との矛盾が解消されるということだよ。
死ぬことによって、真に人間は宇宙と調和する。
理性は決して宇宙とは調和しない。それでも理性は、その活動を止めてはならない。
そういうこと。

138考える名無しさん2018/12/08(土) 09:18:27.540
61 :考える名無しさん:2013/10/12(土) 14:52:50.32 0
宇宙論的証明

全ての事物や出来事には、必ず原因があり結果がある。これは原因とか結果の概念は何かを考えれば、必然的に妥当な命題である。
ところで、宇宙には、運動している物体がある。物体が運動するには、何か原因がなければならない。原因となった出来事が存在して、
初めてこの宇宙での物体の運動という出来事は説明される。そこで、原因となった出来事を考えると、この出来事にもまた原因がなければならない。
こうして考えると、出来事の「原因」の序列は、より根本的な原因へと遡行して行くことになる。しかし、この過程は「無限」ではないはずである。
宇宙には「始まり」があったのであれば、原因が無限に遡行するというのはおかしい。それ故、一切の運動には、原初の根源原因があるはずであり、
出来事の因果は、この根源原因よりも先には遡らない。これこそ「神」であり、宇宙に運動があり、出来事があるということは、その根源原因である「神の存在」を自明的に証明している。

あるいは、神の世界創造を否定して、宇宙の時間は無限にあるなどという議論も可能かも知れない。原因は無限に遡行して、
根源の原因には辿り着かないという可能性である。しかし、我々の世界はそもそも「有限の世界」であり、宇宙が無限だというのなら、
そのような宇宙は、この世界に対し超越的であり、超自然である。もし無限の宇宙があるなら、それこそ神の存在の明証である。
このような論証を、「神の宇宙論的証明」と言う。

------------------------------------------------------
この後段のことを仏教は言ってるんだね

139考える名無しさん2018/12/08(土) 09:34:47.410
63 :考える名無しさん:2013/10/12(土) 15:26:09.22 0
>>59
>理性は決して宇宙とは調和しない。

これがキリスト教でいう原罪であり、仏教でいう一切皆苦だね

64 :考える名無しさん:2013/10/12(土) 15:32:27.47 0
理性は宇宙と調和できなかったがゆえに「イデア」という概念を発明したんだよ。

140考える名無しさん2018/12/08(土) 09:40:50.510
130 :考える名無しさん:2013/10/23(水) 23:31:57.54 0
いや、初めから諦念を持ってきちゃ駄目だよ。
まず理性で詰めて行って、それから諦念を持ってこないと。
最初から諦念では、差別、自棄、怠惰、依怙贔屓、無気力、依存心、
負け犬根性、主体性の無さ、という不道徳なもので社会が溢れかえってしまうよ。

131 :考える名無しさん:2013/10/24(木) 09:57:00.10 0
きれいなもの、正しいものを追い求めるほど、そこから落ちこぼれる
人たちが出るんだよな。それはものすごく残酷なことなんだよ。
でも、それから逃げれば世の中不道徳のたまり場になってしまう。
この世の中は基本的に残酷なんだよ。まず、それを覚悟しないといけない。
人はきれいなもの正しいものを見つめることで、正しくいきることができる。
でもそれは残酷なんだ。それは生まれ持った生来の何かによって誰かを切り捨てることになる。
生きると言うこと自体が残酷であるわけだから、これはどうしようもないことなんだろうけどね。

132 :考える名無しさん:2013/10/24(木) 11:51:50.88 0
ポストモダンはそういう近代主義的考えからの逃げだったんだけど、
結局社会に不道徳を蔓延させただけだった。
世の中を常によくしていこう、進歩させていこうという考えから逃げたときに
世の中は不道徳と退廃にまみれてしまう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)

141考える名無しさん2018/12/08(土) 09:41:31.960
137 :考える名無しさん:2013/10/24(木) 13:46:27.50 0
理性によって理想を追うこと自体が残酷ってことでしょ。
それが理性とこの世界の矛盾であり、キリスト教の言う原罪ってことだよ。
そこに許しと愛がいるっていうのがキリスト教で、それはおおむね正しいと思う。

142考える名無しさん2018/12/08(土) 09:44:23.350
173 :考える名無しさん:2013/10/27(日) 23:16:34.90 0
情報化が進んでみんな生き方を大きく間違うことが少なくなった。
だから後天的な要因で逆転することが難しくなったんだよな。
ギフトされた要因の優位性がそのまま逆転されることなく最後まで行ってしまう。
人々の行動が最適化されるほど、先天的な資質による要因が大きくなる。
後天的な努力で逆転できるのは、相手が大きなミスをした時だけ。
こういうことも残酷なことの一つだよ。

174 :考える名無しさん:2013/10/28(月) 03:01:21.75 0
きみ、それらの考察を保守思想と直裁に結び付けて書いてみないか?

175 :考える名無しさん:2013/10/28(月) 06:06:51.93 0
こういう風に言えるんじゃない?
人々の行動が理性的になるほど、人々の行動が最適化されるほど
人間の意思、人間の意向よりも神の意志、神の意向が大きくなる。
人々が理性的になるほど、神の影響力が強くなる。
これはどういうことなんだろうね? 👀
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143考える名無しさん2018/12/08(土) 09:45:40.460
176 :考える名無しさん:2013/10/28(月) 06:20:54.25 0
ポストモダンというのは、ヒューマニズムの最後の反撃だったのかもしれないな。
近代主義を否定し、人々を理性から遠ざければ、人々の行動の最適化が解消され
それによって逆説的に、神の意志よりも人々の意思の力の方が大きくなる。
ぶっちゃけ言ってしまえば、ぼんくらが増えれば、人の後天的な意思の力で逆転できる可能性が大きくなる。

でもその試みも(当然)失敗し、いよいよ人々の行動は理性によって最適化され、
人の意思よりも神の意志の影響がどんどん大きくなってる。

144考える名無しさん2018/12/08(土) 09:47:11.970
179 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 06:10:25.33 0
これさ、少なくとも超越性を神聖なものと見なさなければ
資本主義に耐えられないんじゃないの?
特に、今の日本はその部分にまさに突き当たってる感じがする。
超越性を神聖なものと見なさなければ、資本主義を公正なものと見なすことが出来ず、
公正さを希求するならば社会主義もしくは国家社会主義に行くしかなくなる。

180 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 06:15:00.47 0
天賦の才能に優れ、高い人格を持つ人を自分とは無関係な単なる幸運な人間と見なすのであれば、
そこにはもう嫉妬の感情しか生まれない。これに人間は耐えられない。
そして、足の引っ張り合いを始めてしまう。まさに今の日本でしょ。

天賦の才能に優れ、高い人格を持つ人を神から祝福された人と見なすことで初めて、その人の素直に成功を認める
ことができる。資本主義にはこれが不可欠だと思う。

145考える名無しさん2018/12/08(土) 09:48:44.030
181 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 12:55:51.07 0
>>180
どんな汚い手を使った成功者でも素直の祝福しろと?

182 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 13:44:45.02 0
汚い手というのは、人間がコントロールできるんだよ。
みんなが理性的になるほど、あるいはその行動が最適化されていくほど
「汚い手」は通用しなくなってくる。それは、人間の意思でコントロールできることが少なくなってくるってことでもある。

人々の行動が最適化されるほど、人間がコントロールできる「汚い手」で逆転できなくなってくるんだよ。
そして人間の意思でコントロール出来ることが少なくなるに伴って、神の意志がもたらす影響がどんどん大きくなる。
それは要するに、天賦の才能や運による偶然の影響が大きくなるってことだね。

183 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 13:49:35.78 0
天賦の才能で勝つことを「汚い手」とは言わない。
それに対して、人が自分なりの独自の手で勝つことを「汚い手」という。

これは要するに、神の意志に反する行動を「汚い」と言ってるんだよ。
勝つこと自体が「汚い」わけじゃない。神が与えてくれたもの以外に頼って勝つことを「汚い」といってるんだね。
これは考えてみたら、すごいことだよ。 👀
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146考える名無しさん2018/12/08(土) 09:50:20.660
184 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 14:05:28.66 0
>これは要するに、神の意志に反する行動を「汚い」と言ってるんだよ。

どこの誰が神の御意志を知り得ると言うのだろうか?

185 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 14:20:46.39 0
>>184
天賦の才能を、人間の悪知恵で打ち負かしたら、それが「汚い」ってことになるんだよ。
美人コンテストを整形で優勝するとかね。
天賦の才能のある新人を狡猾な小細工で潰すとか。

186 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 16:05:55.77 0
昔は、天賦の才能よりも運の要素の方が大きかった。
これも人間がコントロールできないものだね。
そして、世界が近代化され始めると、運の要素の影響力が少なくなってきた。

そこで人々は、人間がコントロールできる範囲が拡大することを期待した。
それは、確かにその通りになったが、今度は人々の行動の最適化が十分に進むと
天賦の才能という人間がコントロールできない要素の影響がまた大きくなってきた。
これが今までの流れだと思う。この流れに応じて、ヒューマニズムの影響が大きくなり、また小さくなってきた
んだと思う。 👀
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147考える名無しさん2018/12/08(土) 09:52:31.330
191 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 17:15:54.82 O
「天賦の才能」 なんて、運そのものだろうがw

192 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 17:20:36.62 0
>>191
まあ運ではあるけど、その他の運の要素は近代化で影響が小さくなったのに対して
天賦の才能の影響は近代化で極端に大きくなったんだよ。
近代化・資本主義における公正という概念が、天賦の才能をより尊重することだったから、当然ではあるんだけどね。

193 :考える名無しさん:2013/10/29(火) 17:23:54.53 0
天賦の才能を尊重することがなぜ公正なのかというのも、よく考えると不思議ではあるんだけどね。
でも、これはキリスト教徒だけじゃなくて、日本人にとっても心の奥底から納得できるから
何かより深い普遍的な根拠があるんだとは思う。
それは生物にとって本能に組み込まれた「常識」なのかもしれないね。 👀
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148考える名無しさん2018/12/08(土) 09:55:58.800
229 :考える名無しさん:2013/10/31(木) 19:58:46.49 0
人間にとって反合理って非常に危険なものなんだよ。
それは、下手に使うと人類社会に致命的な打撃を与えることすらある。

といっても、この世界の性質から、反合理から人間は逃げられない。
人間はどうしても反合理と付き合っていかないといけない。
そのつきあい方を厳重に管理しようというのが、宗教なのかもしれないね。
それぞれが好き勝手に反合理を乱用するようになると、文明社会が崩壊してしまう。
これがポストモダンの危険性なんだと思う。

230 :考える名無しさん:2013/10/31(木) 20:17:58.53 0
合理と反合理の均衡を伝統に取らせようというのかま保守
近代理性に取らせようというのが革新
保守、革新どちらにせよ、イデアという指針は必要だけどね

231 :考える名無しさん:2013/10/31(木) 20:50:17.49 0
均衡とかじゃないよ。
基本的に、合理が圧倒するんだよ。それが文明社会。
それでも、最後に不合理がどうしても残る。
その不合理を前にして、血のにじむ思いで諦念することになる。
それは簡単なことじゃないよ。
合理と不合理の均衡とかそんな軽いものじゃないんだよ。 👀
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149考える名無しさん2018/12/08(土) 09:59:01.470
232 :考える名無しさん:2013/10/31(木) 20:52:11.34 0
不合理が合理と均衡してもいいなら、
もう北斗の拳のような野蛮社会の到来だよ。
言葉の美しさだけを追うんじゃなくて、その内容もよく考えた方が良い。

233 :考える名無しさん:2013/10/31(木) 21:01:24.01 0
人間にとって避けられない最も重大な不合理は、死だよ。
死ほど不合理なものはない。人間の理性にとって、死を全く理解の範囲外にある。
そしてこれこそ、超越の本質だ。
人間にとって最も重大な不合理である死を宗教が扱うことになるのは、必然なんだと思う。

150考える名無しさん2018/12/08(土) 10:04:35.210
293 :考える名無しさん:2013/11/06(水) 07:53:17.56 0
美とは物理的な美だけじゃないんだよ。
武士道なんかも美のイデアを志向するものだしね。
美しさというものは、儚さ、そして死と隣り合わせと日本人は捉えてる。
それは、イデアの性質からして、正しいんだよ。

294 :考える名無しさん:2013/11/06(水) 07:57:08.14 0
そして、日本人は整形を嫌うでしょ。これも、外見的な美じゃなくて、
本質的な美、本当の美、つまり美のイデアを求めてるってことだと思う。
偽物では我慢できないんだよ。それは、神がもたらす美を求めてるってことでもある。
だから、儚さ、死と隣り合わせなんだ。桜が美しいのは、そこに儚さにあるから。永遠に桜の花が咲くのであれば
日本人はそこに関心を寄せない。なぜなら、それは作り物だから。美のイデアはこの世に存在しない。
それでもそれを求める以上、儚さと死がつきまとう。逆に、それがないものは偽物ということになる。

151考える名無しさん2018/12/08(土) 10:13:13.580
395 :考える名無しさん:2013/11/17(日) 08:29:43.32 0
現代の一番の問題は、ヒューマニズムの限界がいよいよ露呈し、
それに対抗するための最後のヒューマニズムの試みであったポストモダンも明確に失敗に終わったということ。
これが一番の問題点。
このために、人々はヒューマニズムの限界としての超越・信仰に向き合うしかなくなりつつある。
これをしなければ、イデアを正しく取り扱えず、一方で万能感にどっぷり浸る人間、他方で無力・無気力に沈む人間に分かれてしまう。

396 :考える名無しさん:2013/11/17(日) 10:02:51.67 0
世の中の最適化が進んで、合理を選択しても大きな差別化にならず
そのメリットが大きくなくなったときに、逆説的に合理に対する信頼が失われるんだよ。
ヒューマニズムとは、このいずれは解消される「歪み」に立脚していただけ。
合理を選択してもメリットが大きくなくなったときに、ポストモダンは合理の選択の価値を高めるために
多様化の名の下に非合理の再拡大を図ったけれど、それは犯罪的行為だよ。
良く言っても、悪あがきでしかない。

いずれこの「歪み」は解消される。
そうなったときに、人間は合理の追求の先にある超越性の壁に阻まれることになる。
これによって、楽天的なヒューマニズムは消え去り、神の采配の大きさに人間は再び気付くことになる。
これが本能的にわかっているから、真にヒューマニズムを信じている人は、合理の追求に恐怖を覚えるんだよ

152考える名無しさん2018/12/08(土) 10:16:41.800
397 :考える名無しさん:2013/11/17(日) 10:27:52.47 0
このために、合理を追求するヒューマニズム信奉者がいた場合
その人は解消すべき非合理が存在しないと困ることになる。
そうした非合理が存在しなくなったときに、神の采配が非合理に邪魔されることなく、
人々の生活を大きく左右することになる。それは、公正な社会ではあるけれど、ヒューマニズム信奉者にとっては
絶望の世界ということになるね。

398 :考える名無しさん:2013/11/17(日) 13:12:58.32 0
小学生のときは、良い走り方を覚えれば、他の子よりも速く走ることができるけれど
大人になるほど、走り方よりも先天的な運動能力の要因の方が大きくなる。
これは、それと似ている。みんなが不効率であるときは、効率的なやり方を覚えることで他に先んじることができる(これが自由)。
ところが、みんなが効率的になるほど、やり方を覚えるだけでは差がつかず、先天的な能力に左右されるようになる(これが不自由だね)。

みんなが非効率であればあるほど、自由は人が管理できる。
それに対して、みんなが効率的になるほど、自由を手にするのは神に選ばれた人だけになる。

153考える名無しさん2018/12/08(土) 10:18:57.870
400 :考える名無しさん:2013/11/17(日) 17:38:34.31 0
もしヒューマニズム信奉者の心の奥底の願望が、不合理の乱用による自由の獲得
にあったとしたら、それはとんでもなく卑怯な考えだと言わざるを得ない。

考えるに、不合理の乱用こそ、人間が自分の意思で物事を左右できる唯一の手段なんだと思う。
合理に従うのであれば、そこに人間の意思が介在する余地はない。不合理を乱用するからこそ、人間の意思が介在できる。
つまり、合理を追求することは、人間から自由を奪うことになるわけだよ。
このことを考えると、ものすごく大きな欺瞞が裏に隠れてる。

合理の追求が自我をなくすことになるのに対し、不合理の乱用が自我を肥大させる。
この当たり前のことが、大きな欺瞞の裏に隠されて、人間の自由というものが論じられていると思う。

154考える名無しさん2018/12/08(土) 10:23:34.770
409 :考える名無しさん:2013/11/18(月) 16:17:37.03 0
結局、中庸でいることが一番人間の選択肢を多く持てるってことだろ。
その、馬鹿な奴らがいた方が自分が楽だという動機が道義的にどうかという問題は残るけどねw
西部さんもそんな感じでしょ。自分のわがままが一番通りそうな道を本能的に嗅ぎつけてる。


411 :考える名無しさん:2013/11/18(月) 17:14:59.13 0
不合理に泣く人もある程度はいた方が良い。
天賦の才能を発揮できずに終わる人もある程度はいた方が良い。
才能があっても人為的な不合理のために貧困に終わる人がある程度はいた方が良い。

この理屈が果たして通るかな。中庸というきれいな言葉で通せるかな、この理屈が。

155考える名無しさん2018/12/08(土) 10:25:56.400
412 :考える名無しさん:2013/11/18(月) 18:07:04.96 0
人為的な不合理は許されないよ。それを許すと戦乱原始時代に逆戻り。
神から出た不合理だと人々が納得しなければ、その不合理を人々は許さない。
神がもたらした不合理についてのみ、人々は納得する。それ以外の人為的な不合理を人々は決して許さない。
こうして、人間は文明社会を築いてきたわけだから。
これを否定するのは、原始時代に逆戻りするポストモダンだよ。

156考える名無しさん2018/12/08(土) 10:27:49.590
431 :考える名無しさん:2013/11/24(日) 13:16:36.32 0
争いがない世界は美しいというイデアがある一方で
争いがあるからこそ自由が可能になるという現実がある。
富の分配、職業の選択、さらには配偶者の選択に至るまで、すべてのことに争いが付随して
その争いがあるからこそ、職業の選択の自由や、配偶者の選択の自由ですら保証される。
人間は矛盾した生き物なんだよ。

157学術2018/12/08(土) 10:36:35.290
生まれる前も生まれた後も少しでも良い存在になろうとあがきなさい。
天賦の才もも恥かきながらならつかみどれるかもしれない
或いは当たり前のことと努力して、天運を待つとか。
僕は酒のみだったから美については酒が大事だと思う。

合理というと、理性に合致したことだというが、理性の働きを自覚するのも
ダフって良くないと思うよ。不合理、不条理などは、人生が伸びるうえで重要な事柄だ。


神というとどんな姿をしているのを思い浮かべますか?神への階段が合ったって
いいと思う。可能性はゼロに等しいとしても。

158学術2018/12/08(土) 10:37:46.690
剣や銃を使う戦争は救済主が現れて仕事をしなければいけないという
同じ繰り返しに陥りやすいのでは?

159学術2018/12/08(土) 10:38:12.520
核戦争も爆弾テロもそういうところはあるでしょう。

160考える名無しさん2018/12/08(土) 10:38:33.360
487 :考える名無しさん:2013/11/29(金) 08:14:18.09 0
神というのは、キリスト教徒だけの問題じゃないんだよ。
この世界に生まれる人間はゼロからスタートするわけじゃなくて、その時点で何かを意味なく与えられてる。
そして死ぬときも、何かを意味なく残していく。その不合理を前にして理性が狂わずにいるためには
理性が信頼できる神聖な存在が必要なんだ。それがないなら、理性はこの世界の不合理に耐えられず
それを壊そうとし始めると思う。
だから、神は理性が信頼できるものでなければならない。信仰は理性が導かないといけない。
それは、プラトンが唱えたイデアとまさに重なるものだ。イデアも神も理性がその存在を見いだすものであり
またこの世界から超越している。キリスト教にプラトンの思想が混入するのは不可避だったと思う。

プラトンのイデアの超越に対して、アリストテレスは内在からのアプローチを取ったわけだけど、
キリスト教は、この超越からの視点と内在からの視点を統合させた。これこそ、
人類の最も偉大な哲学的業績だと思う。この内在と超越の矛盾こそ、人間が宇宙に対して抱えている矛盾そのものであり
それは仏教で言う色即是空、空即是色の矛盾に対応するものだ。

161考える名無しさん2018/12/08(土) 10:41:57.050
490 :考える名無しさん:2013/11/29(金) 11:19:56.62 0
色即是空、空即是色と内在的超越の関係については、
トマスアクィナスのいう宇宙論的証明のこの部分が手がかりになる。

>あるいは、神の世界創造を否定して、宇宙の時間は無限にあるなどという議論も可能かも知れない。原因は無限に遡行して、
>根源の原因には辿り着かないという可能性である。しかし、我々の世界はそもそも「有限の世界」であり、宇宙が無限だというのなら、
>そのような宇宙は、この世界に対し超越的であり、超自然である。もし無限の宇宙があるなら、それこそ神の存在の明証である。
>このような論証を、「神の宇宙論的証明」と言う。

この無限が空であって、それがこの世界に対して超越しているということだよ。
空というのは、縁起の無限連鎖の結果としての空であり、それはこの世界から超越している。
色はもちろん、内在に対応している。要するに、色即是空空即是色とは、内在的超越のことを意味している。

そして、この人間と宇宙との間にある矛盾は、絶対に解決できない。これは、仏教が既に証明している。
この矛盾を理性が納得するためには、超越した神聖な何かが必要になる。論理では解決できない矛盾であるが故に
超越が必要になるんだよ。
なので、カントであろうとウィトゲンシュタインであろうと、この矛盾を解決する試みはすべて無駄だよ。

162考える名無しさん2018/12/08(土) 10:51:38.450
614 :考える名無しさん:2013/12/13(金) 17:59:02.48 0
お見合い結婚とかそうだよな。
自由がないから、それで救われる人たちがいる。
自由を与えても、結局その自由はすべての人に与えられるわけじゃない。
お見合い結婚から恋愛結婚に変わって自由になっても、逆に相対的には不自由だった時代より酷くなってしまう。
自由というのは、一部の人にしか与えられない。そして、それによって割を食う人たちがいるんだよ。
それから、学校の班作りとかもそうかもしれない。先生が強制的に班を作らせれば誰も困らないけど
自由に班を作ってと言われたら、余ってしまう人が出てしまう。
自由というのは、怖いものでもあるんだよ。

163学術2018/12/08(土) 10:54:22.820
頭で考えたことが哲学ではなく、行動して体験して書き残すものに比重を置かなくてもよいはずだ。あくまでリアルに現実的に生きてみて、自分の桁通りに哲学を刻むといいと思うよ。宇宙に行ったことがなければね。

形而上学スレッドがいるな。神が平凡ではならない。姿、能力ともゲームのキャラや
ボスぐらいできていないといけない。

164学術2018/12/08(土) 10:55:25.950
自分の自由は他人の不自由。敢えて果敢に自分の不自由をとれ、エゴを捨て去ってな。

165考える名無しさん2018/12/08(土) 11:10:34.370
エゴを捨て去りたいなら
死ぬまで黙れ

166学術2018/12/08(土) 11:54:52.740
黙っているのも物騒でしょう?あなたは何かをかくすために黙っているのでは。
声にならない声があってはならないはずで。

167考える名無しさん2018/12/11(火) 10:15:09.260
独立価値と従属価値の概念で始まった議論は
ここで、キリスト教の内在的超越の概念で一つの結論を得ました
つまり、独立価値とは、内在的価値であり、また超越的価値です
そして、独立価値を超越的価値とみなすのは論理、
独立価値を内在的価値とみなすのは恩寵、愛ということになります

ただし、これは伝統的な解決手法であり、この後、
ITや遺伝子技術の進歩を勘案した議論へと進むことになります

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