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心理学・精神分析総合スレ
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0001考える名無しさん垢版2018/10/28(日) 20:51:15.050
心理学および精神分析について
0785考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 13:14:16.860
精神科医療受けているのに自殺したり、凶悪犯罪犯したりする人いるでしょう
あれって、その医療が失敗したといことにはならないのだろうか
例えば、薬の処方が間違っていて増悪させたとか、タミフルで異常行動出るくらい
なのだから。女で電柱の頂上まで登り出すとか、薬の影響は考えられないのだろうか

宅間もそうだったんじゃないかな。植松はどうだったんだっけ、たしか
大麻常習者でやはりクスリの影響で狂気の強度を増しているっぽいし。
0786考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 13:37:43.710
掲示板荒らす奴らも薬や薬物の影響なんだろうな、と思っている
0787考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 18:31:42.350
電柱は15m
鉄塔は40m
0788P∧¬P垢版2021/03/04(木) 18:56:22.570
思考(Wikipediaより)


人間と動物の違い

昆虫や動物が高い選択性をもって行動している場合があり、
それはまるで思考をめぐらせて得られた結論から起因したもののように見える事がある。
しかし、実際にはそれぞれが生存や繁殖する上で必要な刺激情報を感覚的に取り入れて行う本能行動に過ぎず、
たとえ学習を経て会得した高度な行動パターンでもこの域を出ない[21]。


人類に近いチンパンジーについて、ドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーは、
手が届かないバナナを道具を使って取らせる実験(『類人猿の知恵試験』[22])を行い、思考についての考察を纏めた。
それによると、棒とバナナが同じ視野に入らない場合、チンパンジーがバナナを獲得することは非常に困難になる。
また、無用なものも含めた複数の道具がある状況では、成功するまで数々の道具を使った試行錯誤を繰り返す。
これらは、バナナを見つけたチンパンジーは本能からそれを手に入れることへ行動エネルギーがベクトル化され、
実は有用な道具類も同時に見えない限り意味を見出せず、視線を外したとたん切捨てられる傾向があるためである。
また、複数の道具の有用性を事前には想像できず、試さなければ判らないという点も汲み取れる[21]。

これら本能行動には無駄が存在する余地は無く、感覚器が収拾する情報は狭い選択範囲に限定されている。
これに対し人間は、文明を築き上げ本能行動に依存しない生存環境を作り出したこと、
そのために生きるための環境への適応能力を失ったがゆえに雑多な外的情報を無秩序に受け入れる余地を得た。
さらにアルノルト・ゲーレンによれば、人間は生物としての衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされていないために、
関心とも言い換えられる衝動エネルギーが生存の維持とはさほど関係しない事象にまで向けられる特質を持つと言う。
そして、この一見無駄とも思えるエネルギーが無秩序な世界を把握する方向に向けられた結果が、自然の制御など人類が生存できる環境の作り変えに発展した[21]。

さらに人間は、一旦眼にしたものを言語化して記憶し、それを後に取り出して別な場面で関連付けることができる。
それは経験に裏打ちされた過去の情報でも可能である。
このような後天的な学習で得た情報を使ってなにかしらを判断することが思考であり、これは人間のみが獲得した特質と言える[21]。
0789P∧¬P垢版2021/03/04(木) 19:40:02.950
狼に育てられた野生児には環境に「言語」がなかったので、人間のような「自意識」は持っていなかっただろうと考えられます
つまりこの野生児の行動は(人間の視点から見れば)すべて無意識的な行動といえます

しかし、本能による無意識的な行動とはいえ、(>>777-781の狼の生態によれば)非言語によるコミュニケーションは存在し、
群れの生活の中では社会的階層も自然と構築されていると考えられます
したがってそういった「自意識」のない人間でも、生きていけなくはないだろう、とわたしは思うわけです


自意識のある人間でも自意識がない期間はあるわけです
その期間も自身の成り立ちには大きくかかわっていると考えるのが自然だと思います
人間でも>>781と似たような時期は過ごしているでしょう
その期間をどのように過ごしたかによってその人自身が何に不安を感じたり、安心感を感じたりするのかが変わってくると思われます
そういった期間も人間の精神状態の基幹に影響を与えているはずだとわたしは考えるわけです

>>320
>>335-336
>>760-761あたりの関連として
0790学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:20:37.630
殺動を抑制することはない。自殺も救済になる。常識より良識だ。
刑務所や精神科の懲罰房を恐れるな。ホテルのチェックイン程にしといてやる。
0791学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:21:30.640
今の心の流れを罰する過去がお荷物。
0792学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:23:21.100
殺したならまた殺して償え。鬼神のように。
0793学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:24:14.570
新鮮組?人肉寿司でも捨てたもんじゃないだろう。
0794学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:25:45.340
狂人と統合失調症なら目に映る聞こえる幻のメッセージで行動するだろう。
そこに不思議はない。自明がある。
0795学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:26:41.640
邪教の配合ガイドでも読んでろよ。問題起こすほうが繁殖いいぜ。
0796学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:27:06.360
奇異な行動も子供に遺伝する。
0797学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:28:31.710
無意識というのは意識がないこと。意識不明とは意識が近くには見つからないこと。
0798学術@死狂廃神龍騎禅師垢版2021/03/04(木) 20:31:26.740
薬を飲むと精神の舞台が盛り上がらないが(断薬すると盛り上がる)、クスリで調節すると精神劇の脚本家に
なれるだろう。断薬するとすぐにスカウトが来て精神看護とお見合いになるだろうが、
閉塞的なものは嫌だなあ。
0799考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 23:37:27.130
>>797
これは違いますよ。意識が働いてる裏で常に稼働して、意識に作用しているのが無意識です。なので、意識が休んでいる睡眠時などに無意識はわけのわからない夢として現れます。
0800考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 23:44:20.530
野球やサッカーの試合中の選手って野球やサッカーのルールを守りながら、試合の勝利を目的としているよね。実はスポーツに限らず、人はその社会のルールに呼応する仕方で意識的に生きていて、無意識とはそもそも法外なものなんだよ。フロイトから読み直せ。
0801考える名無しさん垢版2021/03/04(木) 23:48:17.130
一般的に薬物の効果や酩酊によって意識を失ったとして、意識を回復した際に暗に既に立ち直るのものが無意識です。
0802P∧¬P垢版2021/03/05(金) 21:09:21.700
怒りを堪える、恐怖に耐える、などの情動に対して踏みとどまろうとする行為は、自意識がある人間だけのものといえます
反対に、自意識のない動物はその情動をもとに行動していると考えられるでしょう
>>788によれば
> 人間は生物としての衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされていない
とありますので、人間以外の動物(野生児も含む)は生物としての衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされている、と言い換えることが可能です
生物的な本能といえば、主に生存本能や生殖本能になるでしょう
「衝動的なエネルギーが本能によって方向づけされている」方向とは、生存や種の保存に向けられているといえます
もし、動物を人工のロボットで再現しようとするのなら、
その物体が置かれた環境下で行動させる方向性として「生き残るため」「子孫を残すため」という行動プログラムを設定しなければいけないはずです
生き残るため、というのは死を回避させなければならず、要は死なないようにロボットを仕組まなければならない、ということに他なりません
0803P∧¬P垢版2021/03/05(金) 21:10:47.360
魂など存在しない。
私たちは機械にすぎない。
もちろん、ただのありきたりの機械ではない。
私たちは驚くべき機械だ。
愛したり、夢を抱いたり、想像したりする能力があり、
計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。
私たちは“人格を持った人間”だ。だがそれでも機械にすぎない。

そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。
死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。
つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、
どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、
特別に不思議なわけではない。

―略

そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎とみなし、
恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。
適切ではないどころか、死に対する比類もなく合理的な応答には程遠い。
思うに、“死を恐れるのは不適切な対応”だ。

シェリーケーガン 「死」とは何か p727-728
0804P∧¬P垢版2021/03/05(金) 21:14:56.700
シェリー・ケーガンさんは>>803のようなことを言っていますが、わたしとしてはとても納得しがたい意見です
わたしはその意見に反論したいがために哲学板に来たようなものです
とりあえず>>802のような意見で反論したいと思っています
0805P∧¬P垢版2021/03/07(日) 11:28:42.870
人間といえども動物なわけで、われわれを突き動かしている情動は動物と変わらないといえるでしょう
動物に育てられた人間(野生児)は、動物と同じ行動をします
野生児と自意識のある人間との違いは(>>320でも述べていますが)思考をする・しないの違いであるといえます
人間と動物の違いは>>788のとおりです
>>788を踏まえて>>336を考えてみてください

> 死への緊張感が絶えず続く状態、つまり食うか食われるか、という環境下では常に本能的にならざるを得ません
> 野生の動物が狂暴なのはそういうことで、人間でも狂暴的な精神の人は劣悪な環境下で育っていた例も多いでしょう

> まず認識しなければならないのは、
> 人間がごく普通の精神状態だと思っている精神は、死への緊張感から非常に遠いところで成り立っているのだ、という事です
> 本能に突き動かされなくても生きていけるということ(自覚がないだけで本能的な部分はいくらでもあるでしょうが)、
> 次に意思決定するまで本能的に行動してしまうこと以外の行動を思案する余裕、つまり意思決定までの時間的な猶予はとても特別なものと言えます

現在のような人間にとって、(動物に比べて)「意思決定までの時間的な猶予はとても特別もの」といわれてもそんなことは普通、特段意識していないでしょう
「意思決定までの時間的な猶予」というのは普通の人間であるのならとても普通なことだからです
つまり人間にとって「自明的」なことといえます

しかし「意思決定までの時間的な猶予」が動物全体からとってみればとても特別なことだからこそ、
人間は>>788で記述されている通り
> 文明を築き上げ本能行動に依存しない生存環境を作り出したこと、
> そのために生きるための環境への適応能力を失ったがゆえに雑多な外的情報を無秩序に受け入れる余地を得た。
といえるわけです
「雑多な外的情報を無秩序に受け入れる余地」というのは、
>>764で記述されている「色んな事に対してとりあえず思考する」ということと同義です
「色んな事に対してとりあえず思考する」ことができるからこそ、
「関心とも言い換えられる衝動エネルギーが生存の維持とはさほど関係しない事象にまで向けられる」ことが可能になるといえます
0806考える名無しさん垢版2021/03/07(日) 16:22:09.870
再三に渡って電気刺激を与えたけれど減らなかった。行動主義心理学。
0807P∧¬P垢版2021/03/15(月) 21:23:23.800
 人が知覚を学ぶというのは、モノに対する特定の反応形態を学ぶということだ。
そしてその特定の形態で反応する理由は、そのモノが一部を形成している条件のせいなのだ。
例えば、私たちは太陽を知覚するが、それは一つには単にそれが実に強力な刺激だからだ。
そして同時に、それは人類の進化を通じて環境の永続的な一部だったし、
太陽に対するもっと個別の行動は、生存条件として選択されてきただろう(他の生物種の多くでもそうだ)。

太陽はまた、現在多くの強化条件にも含まれている。
人は温度に応じて日光を浴びたり避けたりする。実際的な行動をするのに、日の出や日没を待つ。
太陽とその影響について語り合う。そしてやがて、科学の道具と手法を通じて太陽を観察するようになる。
太陽の知覚はそれに対して何をするかに依存する。

何をするにしても、ひいてはそれをどう知覚しようと、知覚する人物に働きかけるのは環境だという事実は不変だ。
知覚する人が環境に働きかけるのではない。



「自由と尊厳を超えて」 B・F・スキナー著 山形浩生訳 p243
0808P∧¬P垢版2021/03/15(月) 21:24:11.830
 環境の役割がことさら微妙になるのは、知られているのが知る人物自身である場合だ。
知るのを開始する外部世界がないのだから、知る人自身が先に行動を起こしていると言わざるを得ないのでは?
これはもちろん、意識や自覚の分野であり、行動の科学分析がしばしば無視していると批判される分野だ。
この批判は深刻なものなので真面目に扱わねばならない。
ヒトが他の動物とちがうのは、主に「ヒトが自分の存在を自覚している」からだとされる。
ヒトは自分が何をしているのか知っている。自分に過去があり、未来があるのを知っている。
「自分の性質について考察する」。ヒトだけが古典的な訓令「汝自身を知れ」にしたがう。

こうした事実を無視する人間行動分析はすべて、必然的に欠陥品となる。
そして確かに、一部の分析はそうしたものを無視している。
「行動論的行動主義」と呼ばれるものは外部から観察できることだけに限って研究している。
心的プロセスは存在するかもしれないが、彼らはその性質上、それを科学的な検討から除外する。
政治科学や哲学における論理的実証主義者たちの多くも、似たような方向性をたどっている。

だが自己観察は研究できるし、人間行動についてのそれなりに網羅的な記述においてはそれを欠かすわけにはいかない。
意識を無視するよりも、行動の実験分析はいくつか重要な問題を強調している。

問題は、人が自分自身を知ることができるかというものではなく、
自分を知った時に知っている中身は何かということだ。



「自由と尊厳を超えて」 B・F・スキナー著 山形浩生訳 p245-246
0809P∧¬P垢版2021/03/15(月) 21:24:45.960
 問題が起こるのは、一部はプライバシーという文句のつけようがない事実のせいだ。
宇宙のごく一部は、人間の皮膚によって包まれている。
そうした私的世界を否定するのはばかげているが、
それが私的だから外部世界とは違う性質を持つと想定するのも同じくばかげている。
ちがいは私的世界を構成する物質にあるのではなく、そのアクセス可能性にあるのだ。
頭痛や心臓の痛み、内的な独白には他にない親密さがある。
その親密さはときにはうんざりするが(人は己の頭痛に対して目を閉ざすことはできない)そうである必要はないし、
知識と言うのが一種の所有だというドクトリンをそれが支持するように思えた。


 むずかしいのは、プライバシーは知る人を知っていることに近づけるかもしれないが、
それはその人が何であれ知るプロセスに介入してしまうことだ。
第6章で見たように、子供が自分の気持ちを表すのを学ぶときの条件は必然的に欠陥がある。
言語コミュニティは、子供に物体の記述方法を教えるような手続きは使えない。
もちろん、人が私的な刺激に反応することを学ぶような自然条件は存在するし、それはきわめて精緻な行動を生み出す。
自分の体の一部に刺激を受けなければ、人は跳ねることも歩くこともとんぼ返りもできない。

だがこの種の行動に伴う自覚はきわめて少なく、
実はほとんどの場合、自分が反応している刺激など意識すらしない形で行動する。
明かに似たような私的刺激を活用している他の生物種に、自覚があるなどとは考えない。
私的刺激を「知る」のは、それに反応する以上のことなのだ。



「自由と尊厳を超えて」 B・F・スキナー著 山形浩生訳 p246-247
0810P∧¬P垢版2021/03/15(月) 21:25:51.460
 言語コミュニティは、自己記述的な条件に特化している。
それはこんな質問をする:昨日は何をしましたか?今は何ををしていますか?明日は何をしますか?
なぜそんなことをしたんですか?ほんとうにそんなことをしたいんですか?それについてはどう思いますか?
その答えは、人々がお互いに効果的に調整できるようにする。

そしてこうした質問が交わされるからこそ、人は自分や自分の行動に対して、
知るとか自覚するとかという特別な形で対応するのだ。

言語コミュニティの助けがなければ、あらゆる行動は無意識となる。
意識は社会の産物だ。   
意識は自律的な人間の独壇場“ではないだけでなく”、孤立した人間には手の届かないものなのだ。

そしてそれは、だれにとっても精密にわかるものではない。
自己知識についての親密さを与えるように見えるプライバシーは、言語コミュニティが厳密な条件を維持するのを不可能にする。
内省的な言語は本質的に不正確だし、だからこそそれは哲学や心理学の各種学派ごとにひどく異なっているのだ。
慎重な訓練を受けた観察者ですら、新しい私的刺激が観察されたときには困ったことになる。



「自由と尊厳を超えて」 B・F・スキナー著 山形浩生訳 p247
0811P∧¬P垢版2021/03/15(月) 21:26:23.980
 自覚を強調する精神療法理論は自律的な人間に役割を与えるが、
そうした役割は強化の条件に帰するのが正しいのだし、その方がずっと有効だ。
自覚は、問題の一部が自覚の欠如であるなら役に立つだろうし、
自分の状態に対する「洞察」は、その人がそれにより矯正行動を取るのであれば助けになるかもしれない。
だが自覚や洞察だけでは必ずしも十分ではないし、時にはそれでは多すぎるかもしれない。
人は有効な――あるいは有効でない――行動をするためには、
自分の行動やそれをコントロールする条件を意識している必要はない。
それどころか、カエルがムカデに投げかけた質問が示しているように、絶え間ない自己観察はハンデになりかねない。
熟練したピアニストは、ピアノを習い始めたばかりの生徒のように自分の行動をはっきり意識し続けていたら、うまい演奏はできないだろう。


 文化はしばしば、其れが自己観察を奨励する度合いによって判断される。
一部の文化は何も考えない人を輩出すると呼ばれ、ソクラテスは人々が自分の性質を考察するように促したことで褒められている。

でも自己観察は、行動の前段でしかない。
人はどこまで自分を意識“すべきか”というのは、自己観察が効果的な行動にどこまで役に立つかで決まってくる。
自己知識は、それを引き起こした条件への対応を支援する限りにおいてしか役に立たないのだ。



「自由と尊厳を超えて」 B・F・スキナー著 山形浩生訳 p248
0812P∧¬P垢版2021/03/16(火) 14:11:01.380
「オペラント条件づけ」で高名なバラス・スキナー博士は行動主義心理学の一員で、行動分析学の創始者であるそうです

ウィキペディアでは、
スキナーは自由意志とは幻想であり、ヒトの行動は過去の行動結果に依存すると考えていた。
もし過去の行動結果が悪いものであったなら、その行動は繰り返されない確率が高く、良い結果であれば、何度も繰り返し行いえるとの立場に立っていた[3]。
これをスキナーは「強化理論(Principles of Reinforcement)」と呼んだ[4]。
という記述があります

「スキナーは自由意志とは幻想であり、ヒトの行動は過去の行動結果に依存すると考えていた。」
これがどこまで本当であるのかは、スキナーの娘さんの(電話インタビューの)返答によって印象が変わるかもしれません

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジュリー「おわかりでしょうけど、父が一つ間違いを犯したとすれば、それは言葉の選び方です。
『統制(コントロール)』と聞けば、人はファシズムを考えます。
環境に『教えられる(インフォーム)』とか『触発される(インスパイヤ)』といった言い方を父がしていたら、
誰も問題を感じなかったと思います。
本当のところ、父は平和主義者でした。子どもの擁護者でした。
そもそも父は動物実験で罰というものの働きを知っていましたから、“どんな”罰についても、その効果を信じませんでした。
カルフォルニア州で体罰を含む刑罰が廃止されたのは父の力に負うものでしたけれど、誰もそのことを覚えていません」

―略

ジュリー「あなたは実際に父の『自由と尊厳を越えて』をお読みになりました?
それともやっぱり、二次資料を調べるタイプの方ですか?」
―略
「いいえ」私は答えた。
「私は科学的なテキストだけを読んだのです。哲学的な論文は……」
ジュリー「科学と哲学を分けることはできませんよ」
それはしばらく前のわたしの質問に対する答えだった。

「心は実験できるか」 ローレン・スレイタ―著 岩坂彰訳 p45-46
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

しばらく前のわたしの質問というのは
「お父様の考え方にすべて同意なさいますか?
人間はただの自動機械で、自由意志を持たないという考えに。
それとも、お父様は実験データを広く捉え過ぎたと思われますか」
という質問になります

その答えが
「科学と哲学を分けることはできませんよ」
というものになったわけです
娘さんにとって、「お父様の考え方」を説明するときは、
科学と哲学を分けることが不可能である、という感想をお持ちのようです
0813P∧¬P垢版2021/03/16(火) 14:36:08.070
>>810
> 言語コミュニティの助けがなければ、あらゆる行動は無意識となる。
> 意識は社会の産物だ。   
> 意識は自律的な人間の独壇場“ではないだけでなく”、孤立した人間には手の届かないものなのだ。

という部分は>>774-775での

> 「そして、われわれはそのつながりから抜け出ることができない。われわれは低次の動物的本能の束縛から解放され、
> なんらかの話ことばでわれわれを教え、利己的ではない方向へ向かうようわれわれに指示する、
> すでに十分の発達した理性的存在に出会わなければ、自意識にめざめることができない。

> ヒトは、ほかの人々の指導があって、はじめて人間になるのであり、もしこの教育ということがないならば、
> ヒトは動物的存在にとどまることになる。このことは、教育を受けるべく再び人間の影響下に入るまで、
> 動物に養われ、彼らと一緒に生活してきた多数の野生児の例からも明らかである」。


> 彼によれば、野生児たちの状態は、人間社会から孤立した結果生じたものなのである。

という記述の部分と相似していると思います
野生児を研究した(ダーウィン以前の)ドイツ哲学者と行動分析学の創始者とで意見が相似していることについては、
>>320
> 「動物は無意識だけで生きている」といえるのか
という疑問に対するひとつの答えといえるのではないでしょうか
0814P∧¬P垢版2021/03/16(火) 15:27:42.840
>>807は人間の形成には環境の影響が大きいという説明でありますが、
環境主義が失敗だったという前提の話です
ここらでのスタナー博士の論について見落としがあるのであれば、
新しく生まれる人間にとってすでに存在している人間というものも環境の一部である、ということではないでしょうか
そしてすでにいる人間に付随している言語という存在も環境の一部である、という考え方に至っていないのではないかと思われます
人間関係というものも、環境の一種であるという考え方です


>>808-809は人間というものを知るのに、
すでに知識を獲得している観察者であることが自己観察を難しくしている、という嘆きかと思われます

> 頭痛や心臓の痛み、内的な独白には他にない親密さがある。
> その親密さはときにはうんざりするが(人は己の頭痛に対して目を閉ざすことはできない)

> むずかしいのは、プライバシーは知る人を知っていることに近づけるかもしれないが、
> それはその人が何であれ知るプロセスに介入してしまうことだ。

すでに自分が自意識のある人間であるので、自分自身を自覚していない人間の行動を観察することができないことの嘆きということです
人間とは何か、という疑問に対峙するとき、人間であることの不利を嘆いているわけですが、
それは人間の自明性から外れてモノを考察できない、ということと同義だと思います

> 知るのを開始する外部世界がないのだから、知る人自身が先に行動を起こしていると言わざるを得ないのでは?
> これはもちろん、意識や自覚の分野であり、行動の科学分析がしばしば無視していると批判される分野だ。
これは意識のハードプロブレムに関係するものでしょう
その問題を解決するのには、人間の自明性の枠から外れなくてはいけませんが、
それを解決するのが人間自身であるならば、それを解決することはとても難しいことだといえます
0815P∧¬P垢版2021/03/16(火) 15:29:56.170
意識のハードプロブレムの答え3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/274

274 257 sage ▼ 2020/06/01(月) 21:26:18.18 0 [0回目]
>>259
人間が自己意識を持ってなにかしらの行動をする、というのは、
人間本来の行動だとは思いません(と、思ったのはつい最近のことです)
人間が意思を持つ、ということ自体が人間にとってイレギュラーな事態である、と考えます
つまり、ある行動原理でしか行動しないように作られたロボットが、自分自身で自身の行動を制御するようなことです

理性がなければ、人は生きていけないか?と問われれば、わたしは否と答えます
野生児は野生児で生きていく術を本能的に身につけるでしょう
動物のように、です
ある行動原理でしか行動しないように作られたロボット=本能でしか行動しない動物、と考えます
そう考える、という前提では、人間は本能によってしか行動しない動物ではありません
無意識的な行動、というのは本能的でもあります
それを促すシステムが精神のしくみと考えます

人間の意識(自己意識)は精神のしくみに密接にリンクしていることについては、
わたしが意識的な存在である以上否定できません
密接にリンクはしていますが、(自己意識が)もともと設定された機能ではなかっただろう、
という想定が意識のハードプロブレムに関わってくると思います

「まず言葉ありき」といいますが、それがある行動原理しか動けないロボットが、
自分自身で動きを制御できることになるひとつの要素であると考えます
つまり、人間はもともと自分自身で自身の動きを制御できるようにはなっていない、という認識です

それが前提だということです
おそらくでこすけさんの質問への答えにはまだ届いてないでしょうが、
とりあえず前提について説明しておきます
0816P∧¬P垢版2021/03/16(火) 15:32:33.770
283 257 sage ▼ 2020/06/02(火) 04:02:56.08 0
>>279
「意識」はシステムではない、というのがわたしの解釈です
謂わば、高度なシステムが技術的特異点を迎えた結果が人間の「意識」である、と感じています
シンギュラリティがどのようなものか、については人間の「意識」が参考になるのではと思います
これは、もともと人間が無意識でも自動的に生きていくように(死なないように)行動する高度なシステムである、という前提の話です

349 257 sage ▼ 2020/06/04(木) 02:50:50.62 0
>>340
精神の解釈も様々だと思います
わたしは精神というと「意識」という概念も精神に内包されるだろう、とは思いますが、
このスレの問題に取り組むのであれば精神の内の「自己意識」の構成要件はまた別の成り立ちで出来ていると考えられるのです

意識の主観体験は後天的である、とわたしは解釈します
物心がつく、という現象は生命の誕生よりもかなり後のことになるからです
そして「言語」というものは、DNAに情報として刻まれるものではなく、
客観的世界に環境としてあるもので、
わたしたちが生まれた後、無意識的に「言語」を習得し、自らをコントロール出来るようになる、
これが「自己意識」の獲得である、というのがわたしのイメージです

わたしたちが生きている限り、精神と意識は密接に絡まりあい、安易に乖離しようとはしません
ただ、あまりに理性的であろうとする姿勢が、
自分の精神と自己意識が乖離してしまう現象を起こすこともあり得るのだ、ということも念頭に入れてください
哲学者はほとんどそういったことで生きることに苦悩するはめになるからです
0817P∧¬P垢版2021/03/16(火) 15:59:15.050
>>808
> こうした事実を無視する人間行動分析はすべて、必然的に欠陥品となる。
> そして確かに、一部の分析はそうしたものを無視している。
> 「行動論的行動主義」と呼ばれるものは外部から観察できることだけに限って研究している。
> 政治科学や哲学における論理的実証主義者たちの多くも、似たような方向性をたどっている。
というものの中に、当然イェール大学教授のシェリー・ケーガンさんも入っているでしょう
>>803のような考え方の持ち主です

スタナー博士は
> だが自己観察は研究できるし、人間行動についてのそれなりに網羅的な記述においてはそれを欠かすわけにはいかない。
> 意識を無視するよりも、行動の実験分析はいくつか重要な問題を強調している。

としていますので、スタナー博士はシェリー・ケーガンさんのような人とは違うといえるでしょう
0818P∧¬P垢版2021/03/16(火) 17:41:55.490
>>817
×スタナー博士
○スキナー博士
0820考える名無しさん垢版2021/03/16(火) 20:55:23.740
P∧¬P さん、コピペばかりだし、入りにくいんだよな。
実は他者とのコミュを拒否してる、及び、自分の言葉で自分を分析する&治るのを拒否してたりすんの?
0821P∧¬P垢版2021/03/16(火) 21:08:35.020
>>820
> 実は他者とのコミュを拒否してる
そんなことはありませんよ
質問があればどうぞ

「自分の言葉で自分を分析する」範囲については、
>>811
> でも自己観察は、行動の前段でしかない。
> 人はどこまで自分を意識“すべきか”というのは、自己観察が効果的な行動にどこまで役に立つかで決まってくる。
> 自己知識は、それを引き起こした条件への対応を支援する限りにおいてしか役に立たないのだ。

という意見に賛同します
それ以上はキリがないだろうな、と思ってしまいますね
0822P∧¬P垢版2021/03/16(火) 21:30:59.630
もともとは>>742-743>>806のレスの影響でバラス・スキナー博士の著書を読んでみようと思いました
「自由と尊厳を超えて」は哲学書っぽい感じでしたが、この板とスレに相応しい内容であったと思い、一部を引用させていただきました
引用した箇所は第9章の「人間とは何だろうか?」という部分です

もっと簡潔に引用したかったのですが、簡潔にすると本来の意味と違ったニュアンスに捉えられそうになります
本当はもっと引用したい箇所もあったのですが、とりあえず>>807-811を引用したという形です
>>815-816はわたしが別のスレで書き込んだものですが、比較対象として呈示してみよう、という感じでコピペしてみました
0823考える名無しさん垢版2021/04/10(土) 18:24:06.730
札幌ひばりが丘病院で医療用麻薬の帳簿紛失

札幌市内の病院で、医療用麻薬を管理する帳簿が紛失し、在庫が足りなくなっていたことがわかり、
北海道厚生局麻薬取締部などが詳しく調べています。医療用麻薬の在庫が少なくなっていたのは、札幌市厚別区の札幌ひばりが丘病院です。
https://video.fc2.com/ja/content/20180315D3SettrZ
0827考える名無しさん垢版2021/04/24(土) 08:25:13.490
たしかに
0828考える名無しさん垢版2021/04/24(土) 15:51:39.780
こんなもんどこで買ってきたんだ。
0830考える名無しさん垢版2021/04/27(火) 14:43:41.110
>>829
それがお薬を飲んでいる人の正常反応だよ
0831P∧¬P垢版2021/06/07(月) 15:57:23.150
>>823
https://kouseikyoku.mhlw.go.jp/kinki/newpage_00035.html
向精神薬の横流しについて(注意喚起)

近畿厚生局麻薬取締部は、平成30年7月31日、
兵庫県内で薬局を経営する薬剤師を麻薬及び向精神薬取締法違反で検挙しました。
同人は、自身の薬局に納入した向精神薬を関東在住の中国人に販売し、
それを一般客に転売することでそれぞれ利益を得ていたものです。
向精神薬の他にも多数の医薬品を譲渡した疑いがあり、捜査を継続しています。

向精神薬は乱用すると心身に重大な影響を及ぼすため、
法によって厳しくその取扱いが制限されています。
向精神薬は医師からの処方を必要とし、
医師の処方なくして自己の判断のみで向精神薬を服用することは大変危険な行為ですので、
絶対にやめてください。

近畿厚生局麻薬取締部では、今回の事件を受け、
向精神薬を取り扱う可能性のある医療機関、薬局、卸売業者等に対して、
今後監視指導を強化していきます。
0832P∧¬P垢版2021/06/07(月) 16:54:55.800
人間は基本、何かしらの行動を起こします
何もしないわけではありません
基本的な行動原理として、生きるために行動します

仮に、今現在社会を構成しているようなシステムがなくなり、
わたしたちが原始的な暮らしをしなければならなくなったとしても、
やはり基本的な行動原理として、生きるために行動するでしょう

空腹による飢餓感の苦痛は生きるためのサインです
そして、獲物にありつけたときに湧き出る高揚感も、人間が生きるために必要なシグナルでしょう
ドーパミンやエンドルフィンなどの神経伝達物質は、人間が「生きる」方向性にもっていかせるための作用を担っていると考えます
人間が何も考えずにも、本能の赴くまま行動してもとりあえず「生きよう」とする動きをさせる働きが、
人間の構造としてある、とわたしは思っているわけです
0833P∧¬P垢版2021/06/07(月) 17:26:49.990
高揚感や至福感を薬剤で人為的に得ることができる、ということ
このことがある人間の「生きること」に利用されているということが>>823の事件だと思います
現代社会で「生きるため」に必要なものを挙げるとするのなら、とりあえず「お金」ということになりますし、
人間が「高揚感や至福感を得ることができる」ということが現代社会では対価として「お金」になる、ということでしょう

しかし本来的には(人間をロボットと例えるなら)、「高揚感や至福感」は人間が生きていけるようにするために設定されたプログラムであるはずです
この感じを求めていくと人間は生きていけるようになっているはずなのに、
薬剤で人為的に「高揚感や至福感」を感じられると知ってしまう、ということ

このことを知ってしまった人間は本能的にその薬剤を欲しがってしまうことになります
0834P∧¬P垢版2021/06/07(月) 17:41:48.340
人間が理性的ではない状態は精神が正常ではないと他人には思われます
上記の例を診断するとなると「薬物依存症」ということになるでしょう
この例は因果関係がわかりやすいので誰もが納得する診断といえます

とはいえ、肉体の反応が理性で抑制できない状態は薬物依存に限った話ではないわけです
精神病というのはほとんど「肉体の反応が理性で抑制できない状態」のことを指す、とわたしは思います
0835考える名無しさん垢版2021/07/25(日) 05:53:31.180
薬物依存から抜け出すのは無理だ
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