クルト・ゲーデルはこの板で語ろうか
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不完全性定理は数学者だけのものではなく、物理学者、政治学者、小説家、そして哲学者にも語られている
数学の哲学とも言われる分野ではゲーデルの不完全性定理は外せないだろう
語ろう ラッセルのもまた否定関係の自己言及です
床屋は否定関係になり、一が多に成っている
多で一を規定し、多を自己言及で否定する
規定とは一の否定→規定の自己言及による多の否定→決定不能
もう少しかな >>202
ラッセルのはクレタ島のとは少し違う気がしますが。
うーん。 >>163
https://www.youtube.com/watch?v=72EI7IM14Wo
備忘録
同時性が気になって
これは天動説、地動説の関係かな
ある系内事実は他系内では異なるが、系内では互いに事実・・ >>204
科学が観測された自然である証拠ではないかと 数理論理学って独学である程度いける?
少なくとも不完全性定理の解説本を読んで理解できるレベルまで 論理学ではなくて数理論理学ならベン図のようなものを理解できれば独学でもいけるでしょうが、
一階述語論理あたりまでかなぁ、とも思います。
不完全性定理は、いいかげんな本も多いので要注意です。
ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫) は必ず入手しましょうね。 非古典的論理において、不完全性定理はどうなるか。
そもそもなにをもって「完全」とするのか。
非古典的な数学をゲーデルは考えたことがあるのか。
いい文献ないかなぁ。 >>208
高橋昌一郎さんは結構あやしいみたいですね 集合論すらかじった程度の知識しかない俺なのだが。
今ちょうど独学でゲーデルの不完全性定理に取り組んでるんだよ。
でも1人でやってるとついついサボってしまうね。
数学板はレベルが高過ぎて近寄れないし、というわけでここにきた。
皆の調子はどうよー。 レスがつくと嬉しい。
実は哲学板は初めての書き込みなんだよ。
「言葉」って哲学ではどう定義されているんだろうなぁという疑問があって、質問するのによさげなスレッドを探してたらこのスレッドが。
不完全性定理については電子書籍で色々と買ったよ。
今読んでるのは「コンピューターは数学者になれるのか」ってやつね。
まだ序盤だけど。 >>211
数学者のはある意味空中楼閣だと
レベルは高いが、基礎は怪しい気がする >>214
その基礎というのがどういったものかちょっと掴めないが。
言わんとしてることはなんとなくわかるかもしれない。 論理学は出口某が言うように小学校の国語でまず教えるべきだ
そうでないと後に神秘化しやすい
例えば出口は以下の教材を小学一年生に用意する
(もんだい)つぎの えは 「にくを くわえた 犬」の はなしを
えに したものです。はなしの じゅんばんに ならべて
「あ」「い」「う」「え」の きごうを あとの ( )に
かきましょう。
http://2.bp.blogspot.com/-Ejfb7oX6BWU/VHxR-aqxEsI/AAAAAAAAn1U/9SaTZJqnj4E/s1600/ronri3.jpg
出口汪(でぐち ひろし)「論理エンジン 一年生」(水王舎2007)より
こたえ( い→ え→ う→ あ)
不完全性定理は>>19で指摘されるように素数を使うから算数の素養は必要だがそれでも
>>84 の3つの作業の順番を守らないと意味がないから上の小学生用の問題と同じだ >>217 の正解は
う、あ、い、え
だと思う。
え、から、う、へ続くには戻らねばならないので、続かない。
すでに橋の中央から向かって左側へ進んでいるのだ。 >>216
情報処理を学んでいたけどずいぶんと昔の話だし当時は暗記で乗りきってしまったから現代の情報理論とかさっぱり。
そしてそもそも数学は苦手だったという。 >>220
それなら素養があるね
自分は法学部卒だけど、数学がサッパリ解らないので高校数学からやり直してる
遠回り過ぎるけど、楽しいからいいことにしてる >>220
>それなら素養があるね
少なくとも数式が飛び交うような数学は苦手なのは間違いないw
>自分は法学部卒だけど、数学がサッパリ解らないので高校数学からやり直してる
こちらは高校数学とかもう殆ど忘れてしまってる……。
>遠回り過ぎるけど、楽しいからいいことにしてる
基礎からしっかり固めていった方が最終的には目的地に早く辿り着けそうではある。 アンカをミスってしまった。
わかるだろうからわざわざ訂正はしないがいちおう。 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
対角線論法はカントールから
背理法は(人名をあげるとすれば最初の使用者とされる)ユークリッドからゲーデルは学んだ
つまり
ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理
といいことになる
この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている
数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
全体を見渡せないというものだ
ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
「その証明の傍を通りすがりに論じる」(>>181)というのは対角線論法に対する態度に対応する
再帰的でないという批判も素数部分ではなくやはり対角線論法の部分にかかってくる
個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。
ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている
http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』 不完全性定理によると
証明できない真理が有る
公理は証明できないのに真であるとみなすのだから、公理は不完全性定理で言う「証明できない真理」に当るよね? >>227
> 不完全性定理によると
> 証明できない真理が有る
より正確に言えば「公理からは証明も却下もできない命題が存在する」だ (注:「ある命題を公理から却下できる」とは「その命題の否定を公理から証明できる」ということ)
> 公理は証明できないのに真であるとみなすのだから、公理は不完全性定理で言う「証明できない真理」に当るよね?
個々の公理はその公理自身から証明できるので何の問題もなく、不完全性定理で存在が主張されている命題とは全く違う >個々の公理はその公理自身から証明できる
なんだそりゃ >>47
衝突しないけど……
弱者が権力者に対して、プロテスタンティズムの倫理観に反しず、公共の秩序を損なわない範囲で
認められてるのが言論の自由
なんでもかんでも好き勝手に言えるのが言論の自由だー
という昨今の一部の人等に対しては
近代西欧の自由主義者達は苦言を呈するだろう 自身で無矛盾であることは証明できないということは他との関係では無矛盾であることを証明できる可能性は否定していないということ。 そもそも誰かに他との関係で無矛盾の証明を求められているのか? wwwwwwwwwwwwwwwwwww
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手の行き届いた芝生 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>229
それは第1不完全性定理でしょ。
227の言おうとしたのは第2不完全性定理の方じゃないかな?「PM(Principia Mathematica )の公理系が無矛盾なら、その事実(を形式化した命題)はPMの公理系からは証明不能」とかいう奴。
つまり、無矛盾という仮定のもとでは「無矛盾」というのは内容的に真だけど、証明不能という。
ちゃんと勉強したことないので、間違ったらごめん。 対象は、規定を否定して無矛盾が証明される
規定自身は対象との関係で無矛盾が証明される
規定自身、対象自身で無矛盾であることは証明できない 結局、去年は不完全性定理を踏破できなかった。
敗因は趣味の独学だからである。
自分は夏休みが終わってから夏休みの宿題をやっていた人間であり。
そして今の自分は永遠の夏休みの中にいるようなものである、なぜならそこに叱ってくれる先生や泣き言を漏らしながら励まし合う仲間が現れることはないのだから。
ということで一年ぶりにここに戻ってきた。
皆、ゲーデルしようぜ! >>241
第二不完全性定理の言明
(ペアノ算術を展開できるような公理系は、もしも無矛盾であるならば、自分の無矛盾性を表現する文を証明できない)における
「公理系が無矛盾である」は「その公理系の公理」ではないです。
むしろ第二不完全性定理からの系として
・ペアノ算術を含む公理系に「その公理系は無矛盾である」ことを表現する文
(たとえば「論理式"0=1"は証明可能な文の集合に含まれない」という主張を論理式で書き表したもの)を
公理として付け加えると、そうしてできた新たな公理系は必ず矛盾した公理系になってしまう
ことが言えます >>245
> 第二不完全性定理の言明
> 「公理系が無矛盾である」は「その公理系の公理」ではないです。
ここは正しいが
> むしろ第二不完全性定理からの系として
>
> ・ペアノ算術を含む公理系に「その公理系は無矛盾である」ことを表現する文
> (たとえば「論理式"0=1"は証明可能な文の集合に含まれない」という主張を論理式で書き表したもの)を
> 公理として付け加えると、そうしてできた新たな公理系は必ず矛盾した公理系になってしまう
>
> ことが言えます
これは完全に間違い
「その公理系は無矛盾である」という公理を追加した公理系は、
もはや公理を追加しようとした「その公理系」とは異なる公理系であるので
その追加された新たな公理系は矛盾していない
例えば、ペアノの公理系(T0と呼ぼう)に「ペアノの公理系は無矛盾である」という公理を追加した結果として得られる公理系T1は無矛盾だ
事実、T0つまりペアノの公理系は無矛盾だとペアノの公理系よりも真に強い公理系を使えば証明できるからね
この正しい事実を公理としてT0に追加しても矛盾しようがない
但し、T1の無矛盾性はT1では証明できない
それがゲーデルの第二不完全定理の示すところだ
同様にT1に「公理系T1は無矛盾である」という公理を追加して得られる公理系T2も無矛盾だがT2の無矛盾性はT2自身では証明できない
このようにして任意のn>=0に対して順番に、公理系Tnに「Tnは無矛盾である」という公理を追加して得られる公理系Tn+1は無矛盾だが自分自身の無矛盾性は証明できない
この公理系拡大操作は幾らでも続けることができて確実により強くて無矛盾な公理系が得られる >>247
あーほんとだ
公理系Xに文「Xから0=1は証明されない」を公理として追加したら、それは別の公理系Yだ
Xが無矛盾ならXではその文を証明できないというのが第二不完全性定理
でも新たな公理系Yでその文を証明できるのは当たり前(しかもYは無矛盾)
第二不完全性定理からその無矛盾な公理系Yについて言えることは
Xからそのようにして作ったY(証明や反証が可能な論理式は増えてる)であっても
Y自身の無矛盾性(Yで証明可能な文の集合に文0=1が含まれない)はやっぱり証明できない、ということか
そして無矛盾な公理系同士の間で、「相手の無矛盾性を証明できるか否か」という関係を考察することができると・・・
なるほどー 不完全性定理の本当の意味は、ある言葉の集合で、できる論理文の真偽を決めようとすると、
更に必要な言葉を追加しなければならず、その言葉を追加すると、
更に真偽を決める必要のある論理文ができて、これが繰り返されて、切りが無くなり、
いつまで経っても真偽を決められない論理文が増え続ける、という事なのです。
だいたい自然言語を見れば解るのですが、言葉がどんどん増えて、
真偽の決められない文が、ますます増えている事が解かるわけです。
数学でも同様な事が起きるわけです。
それで人工的に、完全な範囲の言葉の集合と文の生成規則を決めて、
真偽が決まる範囲に限った、完全性定理の範囲の数学が考えられました。
一般に高階論理の範囲では、真偽が決まらない文が発生しますので、
一階論理に限った、論理積と論理和の論理木で表される、一階論理述語で実装された、
人工知能言語で、知識データーベースや、自動証明プログラムを実行する、
プロログというコンピューター言語が活躍しています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています