【闇の魔術】呪術【に対する防衛術】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
呪術とその対策について考えましょう。
詭弁やソフィストについても歓迎です。 >>29
言葉も、絵も、記号も、脳内イメージも、
咒であることに変わりないと思うけど 具体化と抽象化の問題だ、抽象的なものを具体化しすぎる。
言葉も単語も意味も咒であるが、学術論文にすれば数学的証明ともなれば、
それは具現化し具体化率が高まれば嘘になる。
何も情報を与えない、そして掴み様がない、とらえどころがない
それに反するってことだ。
そこに存在しないものを存在させる嘘だ、観測した時点でそれは不明ではなくなる。
説明しすぎればそれは嘘になる。 魔の力とは理解できないからこそ魔として働く。
説明されたそれに魔はなくなり技術となる。
捉えることができないものを捉えないを否定せずに捉えることがその術であって、
捉えるその術ではないってことだ。
理解できないものを理解しては魔ではない。なんどいってもわからないなら去れ。
真空を指で掴んでみせよ、また空に輝く星を手で握って見せよ、そういうことだ。 >>33
混沌魔術って、伝統的な魔術のアンチテーゼとして生まれたんでしょ
図式として、君は混沌魔術、僕は伝統的な魔術ってことになって、
それって水と油なんじゃ 威力のあるそれと、無いそれは違う。
似非占い師は予測をし、新の占い師は予知をする、その違いだ。
予測に拘束力はなく、予知とは呪いであり結果に誘導される術だ。
日本でも神社などで儀式などいくらでもある、だが祈って何かなるかという問題だ。
呪いの術は魔術以外でもたとえば藁人形に釘を打つ、百度参りなど、具体的方法と伝承はあるが
それをすればどうにかなるわけじゃない。
趣味としてのそれは伝統的な表面で、そんなのはどこかの魔術本を買えばいいだけ。
どっかのオカルト解説本と共にどうぞ。
占いも技術として相手の情報を言い当てるそういう術なら実践の占い本などで解説がある。
それは予知(予言)してしまう呪術じゃない。 つまり趣味でやるなら 趣味とコレクションでも集めればいいだけだ。
本質とか真理というのは本来は掴めないもの、見えないものを指し、
そんなものが掴めて知識できるなら科学技術となんの違いもない。
魔のかけらもないようだ。 星空を掴むには、最も深い海の底で、くじらの唄を聴き、恋する貝の群れと話さなければならない 掴めないものを掴むには掴まなければいい、掴まずに掴む、簡単だよ
普通にスポーツの手法でそのぐらいの方法論はある。
掴めないものは つかめる存在に掴んでもらえばいい、
自分が中心で論理する方法をどんなに突き詰めても、自分が掴む思考から
抜け出せないってことだ。
不可能と定義した不可能は、不可能を定義した主体には不可能である、
それが変えられるなら、詭弁である。定義をしらぬ自己矛盾だ。
この矛盾を壊さずに不可能が成すのは「奇跡」という。
奇跡も人が成す所業である、だが目的意識をもつ人という主体が自分で成すわけじゃない。 >>39
一休さんのようにとんちをするのは、詭弁でしょ
真理に通ずるから魔法が使える
しかし、目的をもってしまうと、魔法は意味を失うというのは感覚としてわかる スポーツのひとつを教えよう、
ロッククライマーが壁を登るとき、何も掴めない、
掴もうとすれば全てが掴めない場所だ、クライマーは何を掴んだと思う?
掴まなかった、それは岩がクライマーを掴むことでクライマーが掴まれる技術が生まれた。
これを詭弁というなら(ry
自分が掴めないなら自分自身を岩に掴んでもらえばいい、簡単なことだよ。 武術でも相手の行動を、相手の意思を操作する術がある。
それは 自分を主体として行動するかぎり相手のそれを操るなど不可能である。
相手は相手の意思で動いているからだ。
博徒でも相手の思考を、相手の意思を操作する術がある。
そんな術を1つ1つ教えろとか贅沢だ。自分で考えろ。 >>41
クラックを使う技術か、
まあ、ロジックを展開するのは、ある種のゲームメイクだな
論理の範疇に相手を誘導する、ルールを決めて予測を成り立たせる
なるほど、これをドーマンと呼んでいるのか これは読まされているのか、
わからん、
大体、人を騙せるなら、自分も騙されると考えるのが妥当だ
「大体、人を騙せるなら、自分も騙されると考えるのが妥当だ」
という発言自体、相手に効果を持つから、
読み合いになること必至だよな >>43
単なる分類だ、普通にしられていることだが理解できる人が少ないだけ
論理は非論理と対をなす、論理だけしか見ないから非論理が起こす原理を
頭からレッテルをはりそれが成す力を信じたり認めることはない。
偶然の原理から必然を操る術があるが、偶然から必然など絶対におきないと確信
しているかぎりその術が世界には術としてしられているのすら知ることができない。
別にこのぐらい仲間うちではあたりまえの知識だ。
陰陽道でもwikiで五行思想で具体的に説明しているが、これの使い方を知る人がすくない
目に見える具体的なそれには意味がなく、目に見えない事、抽象的な働きこそ重要なのに、
具体性部分をみて意味不明だと結論づける。
だからこそこっちの世界は才能のある人にしか覗けない。たんなる捉え方の問題で
その才能持つ人など言葉がかみ合わないだけでその辺に沢山いる。 >>44
それは見える側の話だ、見えないものは騙す騙さないという問題じゃない。
見えない側は量子力学のように観測しなければ場所を特定できない
確率的な存在だ。
見えないものは見ない、見えないvs見えないの場合は、見えないものを
少しでも見たほうが負けになる。
読み合いではなく読んだほうが負けだ、読ませることで相手を読ませる行動で封じられる。
この原理に限定して対抗しうる原理は、完全なる混沌と完全なる無力と無意思だ、
無力ほど敵対するにはどうにもできない相性の悪い最悪の存在である。 >>45
抽象化は直観の心理機能に属してして、
具体化は感覚の心理機能に属している
直観型の人間ならわかる程度のことだから、
沢山いるだろうな >>46
先に言っとくと、僕は愚者だから
行動を予測するのは難しいよ まあねえ、ぶっちゃけ人は相手のことなんて考えてないから、そんな気にしなくてもいいと思うよ
というのも、呪術師相手の呪術の中で、
「騙せるなら、騙される」というのは一番効くしメンタルに堪えるから、そんなことはねえよっていうのがまあ善意というかなんというか それにこのまま呪術合戦になったら、
お互い疲弊するだけでメリットないじゃん 分類でいうドーマンという手法の呪術であれば、相手と自分という対立で二元論を展開するので
呪えばかならず、それは2つ穴、条件前提をひっくり返せば簡単に呪詛返しが可能になる。
シーマンの手法は、場や世界に呪いをかける、つまり対立しない。
なので呪詛返しは成立しない。
疲弊するのは相手と戦うからだ、戦うのは不毛であり、かってに滅んでもらうのがシーマンのやり方。
シーマンで使うのは五行思想で、これを呪いとして成立させるのは恐ろしく難しい。
基本として騙すというのはドーマンの方法であり、シーマンでは活かすを使う。
論理も合理も、情報量の多いところから少ないほうへ自然に流れる、世界の循環を操るといこと。
なぜなら、それのほうが簡単でやり易い、無駄がない、知っている、理解できる、力を使わない、
単純に結果に結ぶという自然法則の呪いであるからだ。 自然則を解明したい、それだけだったのに、
いつの間にか魔法に関心を持つようになったからな
理論と実践、理想と現実は対だからな 法と律、どちらもlawと訳される
法は罰の思考と関連し、律は罪の思考と関連する
法は能動的だが、律は受動的である
道理とは、罰と罪の間にあり、
論理とは、i罰とi罪の間にある 神奈川のDQNと半グレと天皇が禁忌Wordなのか!? 罰、i罪、罪、i罰からなる世界をlawと呼ぶ
罰はi罪に役割があり、罰はi罪を罪にする、
i罪は罪に役割があり、i罪は罪をi罰にする、
罪はi罰に役割があり、罪はi罰を罰にする、
i罪は罰に役割があり、i罪は罰をi罰にする
この向きが自然である、この向きにエネルギーが流れる
この向きの逆向きは、抑圧や逃避と呼ばれ、流れを押し戻すのにエネルギーを使っている 皇居前でメンチ切ってる
レゲエなカンジのジャンキーなのか 鯨が歌う、最も深い海の底に、
恋する小さな二枚貝たちがいて、
その中の一つの貝の貝殻の裏側は、
一生に一度、求愛するときにだけ、
雲一つない夜空の天上に散りばめられたすべての星々を、
そのまま映す鏡になる
星空を掴むには、その開かれた貝殻に、
あまねく夜空が閉ざされるのを待たねばならない 鯨が歌う、最も深い海の底に、
恋する小さな二枚貝の群れがあって、
その中の一つの貝の貝殻の裏側は、
一生に一度、求愛するときにだけ、
雲一つない夜空の天上に散りばめられたすべての星々を、
そのまま映す鏡になる
星空を掴むには、その開かれた貝殻に、
あまねく夜空が閉ざされるのを待たねばならない 魔法は、句点の位置も含めて、一言一句間違えられない 鯨が歌う、最も深い海の底に、
恋する小さな二枚貝の群れがあって、
その中の一つの貝の貝殻の裏側は、
一生に一度、求愛するときにだけ、
雲一つない夜空の、
天上に散りばめられたすべての星々を、
そのまま映す鏡になる
星空を掴むには、その開かれた貝殻に、
あまねく夜空が閉ざされるのを待たねばならない 時間と手間さえかえれば、貴方でも出版できる程度の本。 ロードエルメロイU世の事件簿00で、彼がの授業で言う
>私という本質は何も変わっていないが、映し出された影は、本質と照応していてもそれそのものではない
>影に干渉することによって本質そのものを書き換えることができる、まさに呪いの本質だ、
>魔術とは根源の影にすぎないこの世界を 変質させる技術ともいえるだろう 結局術は再現性、すなわち技術である。
魔術とか呪術いいながら、結局は科学技術だ。
それは科学技術にならないなら、創作物の類で登場する設定や幻想であって、
デタラメと何の違いもない 魔術とは、宣伝と、理解しやすさのある説明、
的確に見えてしまうような間違った名前での呼び方である。
仕掛けや手順を思考とする呪術を「闇の魔術」と呼び、関係性と繋がり状況を思考とする
呪術を「光の魔術」とよぶ。
光の魔術は関係性がないもの、理解しえないものにはまったく効果を与えない。 防御するには?
具体化しないことだよ、レッテルを貼らないこと、理解しないこと。
存在は認めなければ真実になりえない、神の存在は宗教をして神を真実と
理解した時点で存在できるわけで、無宗教が神を真実にすることはない。
自分との関係論であって客観論ではないからだ。
合理的に物事を単純に高速に対応するのは駆け引きでは重要だ、だが
それは正しい技術あってこそ、正しい知識あってこその話であり、日常が
歪み、論理も道理も通じない状況がきたとき、その能力は事実を歪めるだけで
決して答えは得られない。
世界が正しく機能していない状況で理解するべきは、合理化しないこと、
単純に判断しないこと、その状況から全力で抜け出すこと。
地雷だらけの道なのに地雷を踏まなければ何の問題もないよと急いで
走るのがもっとも正しい答えだとして地雷原を走る有能さ、防御に対する
攻撃性は正しいというなら、なぜにうまく行かないのかとストレスを溜めて
自滅するべきである。 罪と罰とlowで考えてるの面白い
鯨の詩は何となく五十嵐大介さんを連想しました 子に対する名付けも一種の呪術だよな。
姓名判断も徹底してやると見えて来るものがある。
http://www.enjoy.ne.jp/~akiten/seimei.htm 定点から打ち出された物体が物理の法則に従い、重力に引かれて
単調な放物線を描くとしても、高度・飛距離全てにおいてやつを圧倒する事が
理解出来る。
何が言いたいのだ。 君には理知、理性、論理などの魔術的な思考体系についても説明せねばなるまい。 ほぼ理想的と呼べる角度で射出し飛距離で抜かれたか
それともほぼ垂直な角度で射出し、そのまま第一宇宙速度を突破し
地球の重力を振り切り宇宙まで飛んでいったか この世の現象原理に逆らえる術などない、
あると思うのは中2病だからさ、
異世界にでも染まっていろ、でてくるな!
呪術の根底起源の学術論文は金枝篇を元に作られた研究しかない、
西洋魔術やらシャーマンやら呪術師というのはそこから発展してきた何かであって
それぞれを解説し説明するとか、宗教板やオカルト板で頼む、
オカルトを学問的にアプローチする手法すら知らない無知は、なにやっても無駄
そういうことを教えてくれる学校や教科書は存在しないからだ。
自称魔法学校とか形式だけ入学してくればいいさ、入金すれば卒業証書がもらえる。
陰陽道のそれは、道教、儒教、五行説、仙道、天文学など基礎知識もないのに
いろいろ言うのは単に漫画やアニメや映画の創作物に汚染された空想でしかない。
陰陽道に定番の技などなくスペル的な呪文すらない、言葉そのものが呪いだと
理解できないアホのたわごとよ。 オカルトは学ぶんではなく、予言し占うこと呪うことだ。
おまえらが見ているそれはオカルトではなく創作物やら郷土文化でしかない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています