現実的反出生主義・不幸削減主義part1
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現実的反出生主義・不幸削減主義(既存の術語ではなく新語である)について議論をするスレッドです
※本スレは「反出生主義に理解を示すが空想的で十分だとは考えない人々」に適する
※他者の人格を否定する煽りは基本的に禁止する。反論の態度も節度が求められる。同意しなくとも他者の意見を尊重すること
※理論的・行動的・政策的な考察も歓迎する
※消極的な優生、即ち「不利な性質を多く持つよりは少ないほうが良い」という観点にも興味を持つ人を歓迎する
※ID・ワッチョイ導入がなされない場合、コテハンは歓迎されます
「不幸削減主義」とは当スレにおける新語で、「何等かの人生における不幸全般を定義し、文字通り削減すること」
好ましいと考える思想とする 書き忘れましたが、必ずしも現実的反出生主義=不幸削減主義ではありません
前者は間違った方向に進むとテロリズムに結びつきかねませんが、あくまでも平和的な
苦痛の削減をこのスレでは模索することとします
メンヘルサロン・哲学板の反出生主義とは明確に主旨を異にするため立てました。基本的に過疎でしょうが気長に
やっていきたいと思います メンヘルサロンではミソジニー云々性別議論云々のテンプレがあるが、個人的には
こうした差別語自体が問題だと思っている
性別に関する煽りや差別は不要だが、世界の現実・事実に基づく考察は歓迎されるべきだろう 分流する時点でもう色々だめでは
というか基本的に不幸を削減するのが社会の目的だから何々主義とかいらんのだけど 差別はあってもいいが差別語はいらんと
いきなり不幸削減が聞いて呆れるやん… 本当にスレが立ったか、とりあえず>>1乙です
妥協案での優生主義→人類穏やかに滅亡を望む(隕石墜落のケースを除く)の俺はこのスレ対象ですかね? >>4
それは全く同意できない。そういう強い理念やコンセンサスは現実の社会には存在しない
医療や政治その他の不幸を減らすための試みは確かに存在するが、全く精緻ではなく偏っている
例えば犯罪者の境遇やプロセスなどにも注目したりしていない
>>5
「差別はあってもいい」とはどういう文脈で言っているのだろうか?差別があってもいいのではなく、
差別を減じることも一つの目的なのだが >>6
勿論です。それが最適解なのかどうかは留保するべきかもしれないが、思うことはご自由にレスして下さい
「分流である」というが、空想的な反出生主義はあまりに不十分というのがこのスレの主旨だと思ってる
今日じゃないかもしれないけど、「現実的反出生主義」という観念の奇妙さについては後に言いたいことがあるので
また
あと、勿論全レスは保証しませんw ただ、反論があればします。テンプレ通り、一応他人の意見は尊重して下さい
その上で反論するのは問題ありません 一気にレスしまくりで恐縮だが、要点として「不幸の検知は決して簡単ではない」というのは非常に重要な
哲学的問題だと思っている
社会システムでは不幸の削減は当然の目標である――という反論は理解できるが、その際の「不幸」というのは
決して哲学的に自明なものではない
必ず既成の社会システムのレベルではこぼれる「苦しみ」があると思われる
不幸な状態の理解や、それを削減する最適化の広がりの可能性は十分に哲学的な議論に足るものだと思っている 全レスは不要かと思います
しかし、ここのスレタイのように思ってる反出生スレ住人も一定数居ると俺は思います
「優れている方が劣っているよりマシ」は生まれてしまった以上大きな意味を持つと思う
産まれない無敵には到底かなわないが、生まれてしまった我々は上記のステータスにより大きく苦痛度の可変を強いられる
反出生の本家はいっている事は全部正論だと思うが、なんというか「私怨」だけという印象です
具体的にこうすれば穏やかに滅びることができるという案がなく、恨みつらみがメインというかね
で、妥協案を出せば「テメエみたいな優生は出ていけ」と噛みつかれる
向こうのスレも書き込みは止めないが、適宜こちらのスレも利用しようと思います メンヘルサロンの「子作りは大罪」ってのは、一つの感情表現としては良いと思うんだよね
でも、本題であるはずの「出生は不幸を生み出してしまう」という問題からはずれてしまう
そして実際には子作りが無くなることもありえない。じゃあ「現実と反出生主義の落としどころは何処に
あるんだ?」という事になってくる
それについては後々触れるとして今は簡単に言っちゃうと、現実的反出生主義とか不幸削減主義の本質は
科学と文学の両方の領域に関わると言って良い
科学というのはシステマチックに不幸を捉え、解消する事に利用される必要がある。文学というのは、特異な
実存的苦しみを如何に表現するかが問題になってくる
例えばドストエフスキーとか芥川龍之介はそういう方向性だよね
科学的な意味合いで言えば、SFとまでいかなくとも未来的な技術を志向しなければ本当の意味での
不幸の削減は実現できない。反出生主義の本来の主題だったはずの苦痛の減少や無化も同様
そういった中で、ある意味では人類が消滅して苦しみが無くなるという状態が実現するのでない限り、
これは普遍的な問題なんだよ。あえて他スレの反出生主義とか医療や政治と区別する意義は間違いなく
ある。ちょっとだけ力入れすぎちゃったけど、疲れるから当面はもっと適当にやってこうと思う コテハン化は一旦やめようかな
あえて言えば、「子作りが大罪」というのでは十分ではないだろうね
「原罪」というのは不幸を生み出し見過ごしてしまう現実の人類の在り方にあると言えるだろう
そして自己責任論は社会には必要だが、倫理的には真理ではない。好きで不幸になる人間など存在しないからね メンサロのマシという概念を頑なに理解出来ずに噛みついてくるのはサッパリ理解出来ないな
でもそういう人は少数?少数だと祈ろう
日によっては大体皆「マシな方が良いわな」に同意してた時もあった気がするし
せっかく話しが広がって面白くなってるのに、本質スルーの原理主義で話を単純化させられるのはつまらないな 隙間に追加しとくと、既成の世間の反出生主義はそもそも「具体的な苦しみ」に無関心という問題がある
無関心すぎる。反出生なる空想的な大義にしか眼中にない
勿論既成の社会システムも、多くの細かな苦しみをキャッチアップしきれない
哲学としては、「苦痛や不幸を如何にして網羅分析できるのか」が問題になる
言うまでもなく高が5chでそういう事を本格的に展開する事はできないが、
ここではあくまでも本質のごく一部を掬い取るだけで十分だ 自分の半身が勝ち目なくなるならおろすほうがいいよ。未だ序盤。半分取り去ることが出来ればなあ。血統学にあるかもしれない。 他人の命が途絶するといってもそういう葛藤は相手を選べよ。自分も大事だ。
その場合においては反出生も隠れるだろう。 過疎だ!
働かないおじさん 集まれ
働かないおじさん 集まれ
働かないおじさん 集まれ
急募! 個人的なしあわせを見せつけるハッピーハラスメント、その撲殺運動を開始すべし。 原罪っていうとちょっとカルトの響きになってきちゃうんだけど、現実的反出生主義と不幸削減主義の
必然的関係を理解するには必要になってくる
本来は「出生が生み出す不幸」が問題なわけで、主題は必ずしも出生そのものだけじゃない
通常の反出生主義っていうのは「出生が生み出す不幸」ではなくて「不幸を生み出す出生」に
焦点が当たってるので、前者を細かく扱うことができない
ところが、ここで言う「原罪」は聖書で言われる原罪とは必ずしも全く同じものではない
理由は原罪からの救済が何に関わるのかに依る >>19
だけど、隠せばいいのかって話にもなりませんか
例えば「クリスマス中止運動」っていうネタはまさにそういう類いのものですね
しかし人生格差を隠せばいいのか、一度認識されてしまった格差の記憶をどうするのかという問題が残る 本家スレでは反発されるだろうが、親の免許制も不幸削減主義の一つの考え方だと思っている
マジで自己決定権の人権とやらを廃止して、基準内で産めるか産めないかやらんと不幸な命が一向に減らんよ
俺は犬や猫は進んで去勢して不幸な命は減らしましょうは通って人間にはそれはタブーだっていうのが
出生主義者の最も鼻につく傲慢だと思っているよ
底辺の自己決定権が新たに生まれる被害者よりそんなに大事かよって
親になる人間なんてのは本来司法試験通るレベルの教養や人格が必要だと俺は思うがね
それくらい「人」が新たな命を生み出すってのは重い事 >>21
世界に格差が生まれた瞬間に立ち戻るしかない。
まあ、どれは無理だろうから、根本的解決としては、人類が一度滅亡するしかない。
まあ極端な話をしても現実的ではないが。 >>22
「生まれる子供の人生をバーチャルに想像するべし」って、まさにメンサロでも重視されていることだけど
22のような話をすると「はあ優生かよ?」ってなる
ちょっと頭固すぎるよねw
気持ちというか理屈はわかるよ。そういう事したら、既に不利な性質を持ってる人が気まずくなるわけね
後は優生主義の促進を恐れてる
でも、これは複雑だからこそ留保すべき問題だと思う。嫌儲のひとしは遺伝子と環境を最後まで恨んでたよな
これについては俺は理論を持ってる。鍵になるのは、原罪意識を共有するってことだ >>24
ベネターの穏やかな終焉ってのは結局消極的優生を行使しなきゃ実現不可能だからな
いつまでたっても格差で不幸が減らない世の中は虐げられる人が餌食になるってことを
伝統的に何世代も繰り返す
連中はそのことに頭が回らず、表面上の「優生」を言葉尻にとらえてヒステリックに反応しているようにしか見えんのよ
このスレの趣旨からすれば逆に「底辺の命は犬猫以下」って理屈も成り立っちゃうんだよな
だって「不幸な命」を強いられることから守られてないんだからさ >>25
何であんなに格差に関係する不幸を「見ようとしない」のかが不思議でならないが、現に議論できないからな
ここのムーブメントは段階的に拡張していきたい。それらは直接連動させるかわからないけど、戦略的には次のような事を
考えている
・ある意味で世の中は腐りきっているが、その中心は格差の実質的な是認とその開き直りにある
・従って、出生が不幸を生産し、なおかつ現実の社会システムでは多くの不幸が見殺しにされている
という「原罪」を比較的指摘しやすい
・現実的反出生主義・不幸削減主義(RAN-UHR)では、「原罪」からの救済は神によってはなされない
それは聖書の宗教とは全く異なる。原罪からの救済は「科学技術と政治」によってしかなされない
この思想はまだまだ明示化されるべき理論があるけど、段々書いていく
重要なのは「原罪と解決」をわかりやすく提示する事だと思う。勿論呑気な出生主義者達がそれを
簡単に理解したり受け入れるとは思わないが、
前進する方法は色々考えられる 過疎だ!
働かないおじさん 集まれ
働かないおじさん 集まれ
働かないおじさん 集まれ
急募! 問題は言語化されなければ認識されないし、解かれない
理論的に鍵になるのは、「自由意志」が無力かどうかを論証する事だろう
「自由意志が無力である」事を実証できれば、そこから何が必要な処置なのかについて
色々と論じやすくなる
「望んで不幸になる人間などいない」のは明白なのだが、「不幸は努力不足に過ぎない」という迷信が
あまりに根強過ぎる
基本的に「自由意志」は「遺伝子+脳+文化」の組によって構成されている。これが人生に関するコントローラビリティと
どういう関係にあるのかが問題になる
証明問題――「人間は自由意志に関わらず強制的・不本意に不幸になりうる」 >>26
君ら気付いてるのか知らんが、段々共産主義に近付いて行ってるなこの思想
それも革命派タイプの
まあ俺はそれは正しい認識と見るがね
身近な同族の不幸、そしてその根本の格差を見ようとしないことはシンプルな傲慢だ
問題はこの傲慢さこそが社会を回しているということだな
この傲慢さをひっくり返すには「自分だけでも生きていたい」という人の本能をひっくり返せるくらい強固なシステムが必要だ
そんなもの作れるか知らんがな
いや、作れないと言いたくないだけで恐らく不可能だろうとは気付いているがね >>22
犬猫を去勢するのは別に不幸を減らすためじゃない、単にそうした方が管理する人間が楽だからだ
そしてそれを選ぶ自分逹は悪ではないと納得するために、不幸な命がどうこうという理屈が乗っかってるだけさ
だって、本来の理屈で言えば飼われないような犬猫だろうと生まれてくる命は祝福されるべきなんだから
そして、こういう二重思考がある辺り、現代人にとっても命は祝福されるべきという思考は別に絶対ではないのかもしれんな >>30
そういう利己的な判断があるのも事実だと思うよ
増えすぎてしまった猫や犬はフンをまき散らして衛生害獣になったり
野良犬になって人間に噛みつき狂犬病移したりするからね
しかしそんな理由が含まれていても命のコントロールで不幸な犬猫が生まれないこともまた事実
それに動物愛護団体や本当に犬猫が好きな人間は利己的ではなく本気で不幸な命を抑制しようと考えている人も多いはず
人間だってかつて中国がやった一人っ子政策で命をコントロールした時代があったわけだ
免許制によってコントロールするのが無理だとは言うまいね
現状それを許されない不幸な命を強いられる人間はそういう意味で俺は「犬猫」以下だと思うわ 加藤でも宅間でも米国バージニア?の銃乱射事件でもそうなんだけど、格差の問題ってのは
至るところで示唆されていて、そして犯罪だけが注目され本質は無視される
「煽り」も格差の示唆をする。格差があるから煽りが起こるから
だが、マウントの手段としての優生論になると嫌だから、関連する議論すらしたくないと目を逸らす
結果的に「「自分は底辺じゃないけど」生まれてきたくなかった」なんていう奇妙な予防線を張った
アピールすらしなきゃならなくなる反出生論者がいる。失笑もんだよ
こういう連中は「消極的優生」の概念が理解できていないのだろう
「不幸予防的消極的優生論」とより正確に言っても理解できないだろう
一つ指摘したいのは、これがあくまでも観念的な話だと理解できない馬鹿が多すぎるってこと
議論装置としてこういう概念を検討しているのに、すぐさま差別を強化するとか親が優秀でも子供が優秀とは
限らないとか見当違いの批判をする
「自分が劣等者側に入れられるのが怖い」からって不幸予防の話ができなくなる
論点は誰かを劣等して攻撃することではなく、実も蓋もない競争社会を認めて予防を考えることなのに、
自分の醜悪さを消極的優生論に投影して非難する。困ったもんだが、こうして整理することはできる ↑身も蓋もない、誤字
共産主義との関係については、本格的にではないが夜軽く触れたいと思う >>13
その「マシ」で生まれさせられる方の事は関係ないの?
それなら出生主義と同じだよ >>34
13ではないけど、マシだからって当人は生まれて幸せなのかって話?ちょっと短すぎてわかりにくい
単純に「マシなほうが統計的な幸福率・幸福度は高いだろう」という妥当な仮説を立てられるよね
おまけに、一気に出生自体が消滅することは考えにくいのだから優生的選択を考えるのはおかしな話じゃない
大体、思考実験として
「あなたは不細工で貧乏で病気があり発達障害があるのと、明るく容姿端麗で裕福で健康に生まれるの
どちらが良いですか?」と質問すれば答えは自明でしょう
それが「結局出生主義じゃないのか?」というのは全くの間違いじゃないが、「どちらが不幸な人生の予防に
繋がるか」という時、選択できるならマシなほうを選ぶに決まってるし、それは反出生主義の文脈に適合する
AかBか、じゃないんだよ。消極的優生は出生主義的な側面もあるが、反出生主義の近似にもなっている
「少なくとも、それがない今の世界よりは反出生主義の考える不幸の予防に近付きうる」わけだ
これについて論理的な反論を自分は見たことがないよ ついでに「自由意志≒遺伝子+神経系+文化的プール」について捕捉しておく
自由意志≒意識的願望+物理的現実→人生の出力
これに対して
「人生をコントロールするに十分ではない物理的現実が強制され妨害することがありうる。
それには個人差がある(人生制御個人差仮説=不自由仮説)」
を重視していきたい。今のところ「人生は全て苦である」という仏教的視点にはあまり触れてないのは
認めるが、この視点はあまり一般に現実的な感覚ではないことを指摘しておきたい
つまり、「多くの人間はそこまでペシミストではない」 >>32
なんだ結局底辺のコンプがあるから突っかかるんだな
自分のような人間が劣っていて淘汰されてしまうからって一点で
消極優生が癪に障るのなら反出生っていうかそいつの自尊心の問題だな(笑)
そいつは多分全人類の不幸も穏やかな滅亡も本当はどうでもいいんだろうな
よくいる反出生を意味もよくわからんまま盾にして自分の人生を嘆いている悲観論者にすぎないね 後、子は優秀とは限らないってのは遺伝学でみてもズレまくってんけどな
東大出身の人の親は大抵東大で、弁護士の親は大抵弁護士
行動遺伝学でググればわかるけどそいつの人生の8割以上環境と遺伝子で決まっちまうのさ
100パーではないにしろ殆どそれに近い割合で優劣はハナから決まっている
そういう意味でいっても消極優生は不幸削減の余地として有力になってくるがね
消極優生の否定者は大島美幸から桐谷美玲が生まれるかもしれないと本気で思っている阿呆なのだろう(笑) スレ主っぽい書き込みも含まれてるように見えるが(違ったらスマソ)
馬鹿が多いだの阿呆なのだろうだのってのは他者の人格を否定する煽りには
含まれんのかね
反出生を考えない者は尊厳を軽視してると言う決めつけもそうだが
そんな攻撃的態度だと反論も含め様々な考察を呼び込むことなどできない
スレッドの趣旨に反するのでは? 親が優秀なのに子供が無能だった、って、そのまんま私のケースだわw
ホントに、なんで人生こうなった、って感じ…。
これからどんどん社会の省人化が進んでいきそうだね。
今現在「優秀」とされる人の人生さえ、将来どうなるか分からない。 .>>39
それは仰る通りではあるんだが、住み分けしているわけだし、更に言えば
むしろ優生だのガイジだの元気に非難できる彼らはあんまり弱くないだろw
だから多少は悪く言ってもいいかなとは思うよ、別に本気で憎んでいるわけでもないしね
あと個人的に思うのは、まず反出生主義に理解を示すか、全面的に帰依するかはまた違うわけで
はっきりいって「全く理解を示さない人」はどうしても呑気だな、鈍いなってなるよ
尊厳を軽視云々はよくわからないけどね。ある意味で素朴で単純すぎるから生命を無条件に肯定
してしまう人もいるにはいると思う 共産主義との関係について軽く触れたいんですが、その前に現実的反出生主義が本当に元々の
反出生主義と深く関係あるのかについてごく短く整理します
・既に言及された「原罪」の認識を重視するという意味で、「反出生主義」における出生全般への批判的な
観点を伴っている
・反出生主義の核心は明らかに「不幸の予防」である。従って近似的な実践を含め不幸の予防全般を検討
する現実的反出生主義(RAN)は反出生主義の正統な関連理論と言える
特にスレ主は長文ばかりで申し訳ないのだが、この二点を以て強い関連性は確認できると思います
余談ですが、「知恵の実=善悪の認識」は価値の起源と見なせる
生命は快楽と共に苦痛という対語を伴うものである。こうした快不快・善悪のスペクトラムに巻き込まれる
状態はまさに原罪に関わると解釈できる
誤解のないように言うが、別に聖書のカルト的な解釈を推奨するわけではない。興味深い解釈ができる
というだけの話 >>39
口が悪いと思ったなら申し訳ない
しかし俺らも元スレで散々優生だの何様なんだよだのレイシストだの言われてたからね
売り言葉に買い言葉はいかんと思うので気を付けますわ
あと反出生を考えない人間は「子供」の人権蹂躙行為なのは変わらんよ
元々分家されたスレだけど行きつく先は本家スレと同じ「反出生主義」なのを忘れちゃいかんと思うわ
そこに至るプロセスで本家と分家では相違やいざこざがあったってだけの話でな 共産主義との関連性だが、この問題は一日で片づけるべきものではないし、何度か言及する必要があるだろう。軽く触れておきたい
ひとまず「外堀を埋める」という言葉がある。これは重要な視点だ。つまり、「共産主義的な側面」は実は至る所にある
典型的なのはGAFAだ。既にこうしたサービスの規模はよく言われるように、単なる法人のレベルを超えている。あたかも世界政府のサービスだ
もう一つ典型的なのは「科学的知識」だ。科学的知識は人類の社会システムの根幹を成すものだが、一応は共有財になっている
明示的に共産主義を標榜しそれによって政治に革命を起こす――というのは今日では非常に難しいと思われる
しかし、上述の通り既に共産主義的な側面を持つ現象が浸透している
また、近年内閣府がAIやロボットを援用した個人の活動レベルの強化を2050年までに実現するとしている
こうした方向性は、ITを中心にしたインフラが結局のところ共産主義的な共有・社会システムを実現してしまう事を示唆する
恐らく一般に、科学技術の自由度が高まれば高まるほどこういう傾向は強まるのだろう。つまり、科学技術が進歩すると段々とインフラが凝縮されてしまい、
GAFAのような集中化・肥大化が起こる。結果的に外堀が埋まる――意識的な共産主義運動など行わなくともそういう方向に向かってしまう 後半。勿論細かい問題は無数にある。資本主義の枠組みである以上、一見して共産主義的なインフラが発達していく
としても、それが本当の意味で共有されるのか、
適切にサービスや富の形で分配されるのかという問題が特に大きい
そういった細かな予想される問題についてはここでは論じないが、>>29の言うような、「一般的に納得の行く再分配
の論理の浸透」は、恐らく全くの不可能ではない
先述の通り、そもそも科学技術が発達してしまえば一定のQOLの再分配の保証や資本主義の凝縮が進展する可能性が
生じる。それだけで既に平等化への圧力が強まると期待できる
(しかし言うまでもなく、そのような期待はあくまでも懐疑的に捉えられるべきものではある)
平等化の理念の浸透の問題は、精神的なレベルで見ればそれとは一旦は区別されうる。ここではごく簡単に
可能性を記しておきたい
・満腹中枢とアリストテレス倫理学。つまり、人間の幸福や快楽、満足感には「節度」が想定されうる。関連として
マズローの階層的欲求が参照されうる
・純粋に科学―哲学―宗教的な「教義」。つまり、「不幸削減主義」や何らかの政治哲学的平等化を
正当化し、しかも納得性のある強い理論が存在するという仮説
これは個人的には思い当たるところがある。今は書かない。ただ重要なのは、これは「満腹中枢との類推」に関する
上の命題と連動するであろうという事
つまり、無際限の欲望に溺れずに必然的に自由意志によって「RAN-UHR」にコミットしてしまうような「魔法の教義」
が上の命題に連動する。これは言うまでもなく認知神経科学的な性質についての
仮説なので、あくまでも暫定的な期待に過ぎない ※もう少し続く 続き
しかし他方で、これらの指針は科学技術との強い連動が想定されているため、それが低レベルである限りは強い
動機付けを行う事は恐らく難しいという難点がある(勿論2020年の科学技術は低レベル)
従って「科学的理論(特に数理・情報科学)」は関連系として非常に重要という事になる
とはいえ、マウスですらそうであるように一定以上の理性を持つ人間は「苦痛や報酬を想定しそのシステムにコミット
して適応する」側面を持つ
この「究極版」を構成する事が古典的な共産主義を科学―哲学―宗教的に超える方法であると思われる
一見「誇大妄想的」な書き方であることは認めますが、こうした壮大な問題設定は科学技術と哲学のポテンシャルに
反しないものであると個人的には確信しています
また、資本主義や民主主義を内部から否定する必要は全くありません。古臭い言い方ですが、ある意味で
平和的な脱構築が可能だと考えている。但しそれなりの長いスパンではあるだろうが…
ともかく、原始時代からすれば随分人類は進歩しています。あまり未来の社会システムを簡単に見限るべきではない 長文が嫌いな人はスルーして下さいね
もう少し長文は減らすつもりですw オナニー文章に感じるお ・ω・
優生遺伝を取り入れた結婚の免許制度を政治家に打診したいお ・ω・ >>35
いや自分の為に他人の命を利用するってスタイルは一緒だから「まあおまえはブサイクでもないしバカでもない可能性が高いからええやろ」っておかしいだろって まだ前スレ埋めてないな
ゴミ!
隔離板でも
ちゃんとしろ! >>36
家が燃えるのはだいたい他人
子供が轢き殺されるのはだいたい他人
親が刺殺されるのはだいたい他人
難病に罹るのはだいたい他人
だから気にしないって事?
素敵だなあ >>38
8割ならいいって言うならその2割に賭ける凡人責められるの? >>53
すまん、意味が分からない
行動遺伝学で言えば1〜2割しか希望がないのに賭ける行為は鬼畜度が高いと思うんだが
「奇跡」で逃げて運試しで子作りして劣悪になる可能性が高い人生は「不幸削減主義」から反する
良いか悪いかってのも不幸削減の余地としての考えだからそういう白黒判断もズレていると思う
俺は根本思想は反出生だから全部「悪い」としか言いようがない
極めて消極的な妥協案としてなら「アリ」ってだけで「良い」とは全く思わんがね 少数の人間がクズ、馬鹿なせいでできてないことって結構ある
本当は中国のように人間に点数付けて、遺伝や環境との関係について大規模解析できると良い
ただし中国みたいにあからさまな差別をしないで暗号化して分析するという条件付きでね
でも絶対悪用する馬鹿がいるからできないよね
テンバイヤーなんかもその典型だよね。必ず少数か一部のクズ、馬鹿がいるから
思いきった合理化が難しくなる。まあだからって全てを諦めるべきではないが いまから世界の人口を60億人減らしても200年前の水準になるだけ
200年前といったらショーペンハウアーがいた時代
人間の不幸の割合はおそらく変わらない 現状できる事はかなり限られているのは事実だろうね
強いQOL再分配を実現するための基本的な障壁は二つある。それは科学技術と人類の精神性だ
しかし、何らかの技術的な既成事実ができてしまい一定の倫理観を踏まえた実現が示唆されれば
二つ目の障壁はクリアされる可能性が高いと思っている >>55
人間の大半はクズだよ
まともな人間が世界を仕切らないと何も変わらない https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1589299108/l50
次世代の哲学を育むスレ
共産主義は妄想的であるという見解を上の哲学スレで拝見したのだが、この批判が不幸削減主義には
全く無意味である事を一応確認したいと思う
共産主義は自由を奪うとか、そもそも過去の実験で失敗するといった批判は典型的なものだし、それゆえ
現実の政治で共産主義という理念を標榜すると上手くいかない
というのは確かに事実
しかし、「不幸を削減・予防する」「平等化をより巧妙に促進する」という問題はこれとは関係がないという
事を忘れてはならない
ある意味で、共産主義を頭ごなしに非難する人は結果的にこの問題すら放棄するかどうかについてちゃんと
触れていないのね。多分自己責任主義者も多いんだとは思う
勿論、共産主義体制を非難する事と、こうした不幸や格差の問題に取り組む事を非難することは絶対に混同
してはならない。混同して後者をも否定する人がいるんだったら「論外」だ
とはいえ、殆どの人間は、RAN-UHRの倫理的理念を容易に理解することすらできない可能性がある、という事は
想定しておいた方が良い。それでも戦略を立てねばならない ↑文章訂正
そもそも過去の実験で失敗する→過去の実験で失敗した
あと勢いで書いて書きこんじゃう事もあるので改行・句読点がちょっと不満ですが悪しからず >>58
だけど、逆に清々しいとも言えるんだよ。腐ってるからこそお前らクズだよね、だから自分たちは
こう考えますって事が論理的に言いやすくなる。議論においてね
共産主義っていうものと不幸削減主義の論理的な区別をした上で関係性を論じていくっていう事が
既成の政治哲学ではできていなかったわけだけど、これは既存の哲学の低レベルさを示してるよ
倫理的にも知的にもね
更に言えば、まともなカリスマやリーダー、賛同者・官僚が出てくるのは勿論好ましい事だけど、
重要なのはあくまでもシステムそのものだよ。論理・技術に基づく設計書・デザインね
それがしっかりしていれば遂行者は誰がなってもそれなりには成り立つ事になる。料理も同じだよね >>61
それらがトップにいない事にはまともなシステムが構築される事はないんですよね 幸福の科学と関係をもって幸福になったやつはいるの? おじさん、おばさんは宗教に走ったり左翼活動始めたりする
コイツらにも可愛い幼少期があったんだよ
時の流れは残酷だね 年取ると周りが死んで自身も社会に必要とされなくなっていくから精神も不安定になる >>66
戻る必要はない
ムヒカ元大統領みたいな人間が地球を統治出来れば人々は幸せになれるよ
それがどんな結果になろうともね >>54
新たに説明する事もないけど
勝つ可能性が8割だからサイコロ振ってもしょうがないと勝手に思ってる人がおまえは可能性が2割だから振るななんて言えるのかな?ってだけの話 中国の貧しい農村は毛沢東時代の方が良かったって言う人も少なくない
「あの頃はみんな貧しかったから」って
許せないのは貧乏でなくて不公平感なんだよな
我慢出来ないのは苦痛でなく意味の無さってのと似てる 東京マラソンに参加するアマチュアとか、金になるどころか、
自分で働いて手にした金をつぎ込んでまで、肉体的な苦痛をもたらす
だけの、走りたくもないのに他人に強制されたとしたら
拷問でしかないような長距離を走ろうとするだろう。 人は何かが自分でできることを喜びと感じるようにできている。 >>68
54じゃないが言いたいことはわかった。残りの2割は可変性の話ね?努力を含めた
そういうやり方で尚も出生を肯定したがるバッターがいたらどうするか?それはそれで説得力のある議論は
あるよ。今日後で簡単に書く
我々の方針はサイコパスからの学習なんだよ
サイコパスの目的達成主義と同じように徹底的に不幸削減をクレイジーに実現する
別に消極的優生が通用しないなら論理的な武器を変えればいいだけだ メモ
ある世界から別の世界への関連付けを大まかに圏論の関手と言うのだが
科学的可能性の圏→現実世界の圏
に問題解決のセットがある、という見方をRAN-UHR(Unhappiness Reductionism)では重視します
無駄に数学ぶりたいわけではなく、議論をわかりやすくするためにたまに数学や論理学的な
概念や図式を使います。ではまた夜 人間生きるなら苦痛は避けられないし許容範囲なら我慢できるが
なにが問題って選択肢の自由を認めず、強いられた人生を
自殺したくなければ自然に死ぬまで生きなければならず
生きない選択肢かないことが耐え難い苦痛を招く
この根源的な諸悪の根源が問題なのは確か >>68
実際にソースがあることを思い込みで決めつけるはないだろう
1〜2割の「奇跡」に逃げる連中は「悪い」としか思わんね
連中だけが実害を被るならそれでも非難されるべきじゃないが、最も不利益をこうむるのは第三者である子供なんだから
不幸削減余地を考えるなら遺伝の話は切っても切り離せない関係にあると思うんだが 少ない可能性に賭けるだの不利な状況程楽しめる等、第三者の子どもにバトル漫画脳を適用させるのは狂っていると思わんかね?
そんなもので逆転の奇跡が起きるのは漫画アニメの世界だけで十分なんだよ
子供をおもちゃにしてはいけないし、消極的に産むなら安パイを選ぶことがせめてもの償いだろ
不幸削減主義はそうあるべきだと思っている この思想を本格的な哲学理論として確固たるものにするためには、どうしても抽象的な命題をいくつも
立てて数学に近い論証をしなきゃならないと今は感じてる。勿論厳密な数学的証明とは違う
例えば「人類の倫理的無能力仮説」という仮説が有用になるだろう
これは、文字通りほとんどの人間には倫理的な認識能力や意志がなく、不幸削減主義が要求する問題解決能力や
意志に見合わないというものだ
問題解決や改善の所在は抽象的=言語的に表現される必要がある。しかし、現実社会や人類には
不幸削減主義の倫理的レベルは当面共有されない。その代わり、現実がどの程度残酷でどれだけ人類が
それを見殺しにしているかはある程度明示化することができる
この文脈では、不幸削減主義はある意味で非人間的で非社会的ーー「反」とは全く意味が異なるーーですら
あるという事になる。自分が最終的にはアカデミックなレベルで記述しなければならない、と言っていた
一因はそれだ。表面的なコミュニケーションではこうした難問を表現しきれない
だから表面的なコミュニケーションに特化した反出生コミュニティはほとんど出生主義者に対する愚痴が
中心的になってしまう。現実的な改善に必要なのは明確な批判と対処だ
もう一つ議論を抽象化せざるを得ない理由があるが、それは単純に科学技術とフラットに融合するためだ >>74
安楽死については確かに重要な問題だね
スレ主は、最終的に全て一気に議論を核心に持っていくためには、徹底的に科学的ないしは
抽象的な記述を経由して、ひとまず既成の人間の社会システムが何故残酷で腐っているのかを
示す必要があると思っている。そうする理由は勿論全てがクリアになるからだけど、どの程度様々な問題が
解決に程遠いのかを測る事が必要になるから。結果的に何故安楽死や消極的優生も含めた様々な可能な
提案が必要なのか、或いはどうすれば実現できるのかを理解できるようになる
これまで環境問題や貧困問題、法務、一部の疾病だけに特化してしかこうした事柄は扱えなかった
あらゆる不幸やその解決経路を可視化・計算する仕組みが全く存在しなかった
これは人類の体たらくだよ スマホでさっさと打ったんでちょっと文章おかしいですが悪しからず 「人間色んなヤツがいて面白い
イイヤツ、悪いヤツ、ブサイクな奴、綺麗な奴、バカなやつ、面白いやつ、頭のいいヤツ
全員が全員同じような顔や性格や知能になったらつまんねーよな」
↑は支配層の傲慢だよな
こういうことを軽々しく言える人間は安全圏からしかモノをいわない
決して自分から「バカな奴や不細工な奴」にはなりたがらないから不思議なもんだよ(笑)
スマップの世界に一つだけの花って曲あるだろ?
あれは支配層の中でオンリーワンを決めるってだけの話で底辺や中間層はアウトオブ眼中の話なんだわ
何故かって言えば花屋に並んでいる時点で個性はあってもどれも厳しい選別を生き残った少数のエリートなんだから 不幸削減主義の「モチベーション」自体は通常の単純な反出生主義と同じようにかなり論理的に強いと感じるよ
不幸削減主義という表現が自明だという批判はありえるし既にあって、軽く反論したけど
「実際には少しも自明じゃない」のね。普通の人間がイメージする以上に複雑で難解な議論が可能だよ
もちろん話を無駄に複雑で難解にするべきではないけど、そもそも政治哲学って本来は抽象的で難解だからね
ここではダブルスタンダード、両刀が好ましい。あまり難解な長文だらけでは良くないし >>77
あくまでも倫理的であろうとする姿勢が、あなたを不幸にしている部分もあると思います
人間は自分の為にしか生きられない、とある時を境に思いました
生きている人間にとって、それはすべての人に当てはまります
自分の為に生きる、これが利己的過ぎると思うのならそれは誤解です
自分は自分の為に生きているのだ、という主張は、人間の共生の範囲内では許されるはずだからです
もちろん、自分の為に生きているのだと開き直っている輩のせいで、
自分は不幸に甘んじているのだ、と思う側の主張がこのスレの本旨なのでしょう
しかし、一度やってみて欲しいのです
本当の意味で自分の為に生きてみるということを
誰かを傷つけることもあるかもしれませんが、意外に思うことも多々あると思います
こういった意見は無責任かもしれませんが、いちおう述べておきます
問題は死に方です
わたしはある時を境にこう思ったのです
人間は誰かの為にしか死ねないのではないか、ということを
はっきり言って人間は死ぬ間際まで死にたくないと思うはずです
ですが、わたしはもし自分が死に赴くときは、誰かの為に死ぬべきだと思います
人間は誰かの為にしか死ねない、これは仮説です
仮説ですが、もし、それが正解で、将来の人間社会のシステムに必要なことだとしたら、
わたしは反出生主義には反対です
あなたが人類の幸福を願って死ぬとき、見ず知らずの人のために死ねますか?
わたしにはまだ子供はいませんから、いざというときはそう死ぬしかないとは思っていますが、
人は自分がその人のために死んでやってもいいと思える人のために死ぬべきだと思います
人間、それができる相手というのは限られるでしょう
そう考えるとわたしはこのスレの主張には反対するしかありません >>82
77さんじゃないけど、自分のために生きるのが利己的に当たるかの尺度は
共生の範囲内かどうかというより、他人を犠牲にしない限りのほうが適正でしょうね。
仮に自分がやりたくないと思っていることでも、それを選択しなければならないと判断
して行った行為が、たとえ他人の為であったとしても、そう判断するのは自分の都合
であり、ひいては自己満足だと考える人もこのスレにはいます。少なくとも一人は。
誰かのために死ぬべきだというあなたの死に方への価値観も、結局のところ誰かのために
死ぬことで満足するわけだから、自己満足だし利己的でないわけではありません。
よくよく考えてみてください、考えを改めれば、このスレの主張に反対する必要は
べつにないことに気づくのではないでしょうか。 >>82
非常に面白い視点だと思います。しかし重要なのは、「科学的可能性の圏=範疇」は何等かの意味で「現実世界の圏=範疇」を大幅に変え得るという
観点です。従ってそもそも倫理的なシステムの実現が比較的客観的な、つまり個々人の特殊な文脈に依存しないレベルで実現する余地は普通にあるわけです
という事は、人間の本性とか傾向があなたの言う通りだろうがそうでなかろうがこの思想を放棄する理由は特にありません。同時にあなたの態度も別に
我々の思想で否定されるわけではない。
補足として別に重要なのは、そもそも人類が倫理的に無能力な傾向にあるからといってそれを糾弾する事が主題ではないんですよ
猫はイルカのようには泳げないですし、猿は鳥のようには空を飛ぶことができません。人類にもできることとできないことがあります
非常に強い不幸削減を重視する我々の観点から見れば人類の多数は恐らく無能ですが、だからといって上述のように科学的な実現可能性が否定されるわけではないし、
あくまでも粛々と理念を実現する仕組みを探り、解明し、促進する事に取り組めば良いわけです
通常の個人の負担を超えそうな倫理的要請に対して身構えるあなたの態度は理解できます。しかし繰り返しますが、それでも不幸削減主義は可能な理念なのです 改行のバランスを間違えてすいませんw
>>72についても書いていなかったので書いておきます
2割の可能性に賭けてもいいのではないか――確かにそういう願望を持って小作りする事をそうそう
政治的権力で縛れるとは思えない
しかし、どのみちその場合には子供の努力を要求することになる。勉強かもしれないしスポーツかもしれ
ないが、遺伝子や環境が
大したことなさそうであっても子供は何とかしてくれるだろうと淡い期待をしてしまう連中をどうするのか
結論から言えば、「その2割」に賭けて失敗した場合の救済にせよ、或いは成功するための経路にせよ、
どうやって保証するんでしょうか、より保証できるような
サービスが必要なんじゃないですか、という言い方はできる
つまり、消極的優生主義に従う気が無い連中でも、子供の成功のもし多少なりとも願うならば「文化的・
政治哲学的な
何らかの補強の必要性」を認めざるを得ないわけだ
こうした時にはRAN-UHRの思想の目的意識と合意することになる。「不幸を削減するために必要なシス
テムを如何に徹底して
強化・実現するか」という問題意識に同意せざるを得ない。それはそれでいいんじゃないかと思う また改行バランス間違えたなw 今度こそ学習したわ
スマホや浪人で書いてたんだけど、普通のフォーマット使ったら勝手が違うのでわからなくなっちゃった
んだよな >>83
死に対して宗教的立場になければ、あの世になにも持っていけません
死ぬことで自己満足することなどありえないのです
人間の死に自己満足や利己的な部分があると思うのなら、それは誤解です
自分の自尊心のために死んだ人(自殺とかで)もいたでしょうが、
人のために死んだのでなければ、やはり後悔したであろうと思います
どんなに現実がつらく、理不尽でも人間が生きている限り、生きているべきだ、とわたしは思います
もちろん無責任な答えだと承知しています
>>84
> 通常の個人の負担を超えそうな倫理的要請に対して身構えるあなたの態度は理解できます。
そのとおりです
社会のシステムを構築するにあたって、通常の個人の負担を超える要請をするべきではないと思っています
人間が生きていくにあたって共産主義は不自由すぎて、自由主義は自由すぎる、それは個人的にも思っていました
長い歴史を経て、近代の社会システムは人間の精神に忠実になるように作られてきた、と思っています
それでもまだ不十分だと思いますが、反出生主義に関しては疑問です
5人も6人も作るのはどうかと思いますが、子供は希望だと思います
どのように生きるかはもうかなりの議論を尽くしているかと思いますが、
どのように死ぬべきかはまだ議論の余地があると思っています
未来科学に対して非常に楽観的であるように見受けられますが、どうでしょうか
例えば、科学が人間の未来を予測できるようになるとして、それが人間の幸福には繋がらないだろうな、と漠然と思ってしまいます
科学の結果が本当にその通りだとしても、むしろ人間はそれに必死に抵抗していくだろうとさえ思います
これは一つの例です
わたしの誤解かもしれませんが、いちおうこういった考えであることを述べておきます >>75
おまえの言ってる事は分かるけどそれは完全に優生学的だろ
もしある程度の子供を絶対産み出さなければならないなら乱数的な決め方をするべきだと思うわ >>87
死を経験することはできないよ、死んだことに気づける人間はいないわけで
死ぬことで自己満足するんじゃなくて、誰かのために死ぬことに自己満足するわけよ、生きている間にね。
ひとそれぞれなので、人のために死ねれば満足とか、自分の自尊心のため?に死ねば満足だとか
結局は生きている間の判断としての自己満足でしょう。
死んだら後悔するための脳機能はもうなくなりますからね。
無責任な答えだとは思いませんよ、どんな価値観も結局はその人にとっての価値でしかないので
その言葉に責任を押し付けるようなことはありません。 >>89
消極優生は妥協案として仕方ないと思っているんでな
植松のような過激派になってはいけないし現に存在する人を傷つけてはいけないが
これから生まれる子供の不幸や苦痛を防止することはできる
去勢は俺も反対だから親の免許制が一番合理的かつ大衆の理解も得やすいだろう
(もちろん人権団体から一定の反発はあるだろうけど)
毎日のように虐待や虐待殺人が起きるが、その親を見ればどんな連中か大体パターンが一緒
実害を被る子が減る、不幸が削減されるなら主義の一環として成立すると思っている
他人の受け売りになるけどベネターだって一気に皆死ねは無理だと言っている
隕石でも落ちない限り徐々に穏やかに滅ぶには劣悪な遺伝子の救済からが先なんだよ
不細工で貧乏で発達障害の遺伝子は俺の主観では劣悪で不幸だと思うがね
これを「そんなものをあなたの主観で幸不幸は本人次第」は正論だけど
現実に起きた事件や不幸を鑑みれば「綺麗ごと」にしか聞こえない
宅間守は証言台でも「クソ迷惑で死にたかった」を連呼していたしな >>92
何となくだけど、言葉選びにあなたの主観が強いから優生だと言われやすいのでは
言ってるニュアンスは分かるよ
でも社会や価値観が流動的な中で「不細工、貧乏、発達障害」と指名するのもパン生地を定規で測るような違和感を感じるからここじゃないかな
例えばハゲやデブは日本だと忌避されるが文化によって気にしなかったり歓迎される
発達障害のギフテッドなんて賭けに値しない奇跡とあなたは言うけれど、コロナで社会が急変すれば仕事上の苦痛が死を下回った人も一定数いるのでは
サイコパスは成功者と犯罪者紙一重だけどどうするの?
などなど
そういうわけで「統計的に不幸になりやすい遺伝子」に言い換えるだけで脱線しにくくなりそう >>92
優劣で人間の出生を語ったらそれは優生学だよ
それは「この中で必ず誰か殺されなければならないならあのホームレスにしてくれ」と同じだもの
オレは幸不幸は本人次第とは思わないよ
みんな不幸なんだから誰かに選択的に負わせるのは気に入らないと言ってるんだよ
それならアットランダムの方がまだマシだと思ってるだけ そもそも、消極的優生と安楽死くらいしか手持ちの自明なカードがないのは既成の反出生の大きな弱点ですよ
それについてはまた触れます
実践的にはまず、原罪概念を周知させる必要がある。世界的にね。これは余裕でしょw
で、>>92を自分は擁護したいのね。というのは現実社会って残酷だから。しかも厄介なことには
漫画やRPGみたいな巨悪ってのがないんだよ。>>92は、優生が現にこの世界では機能しちゃってて、
その中で不幸を削減するにはそれを逆手に取ることで目には目にをの相殺をするべきだと多分感じてるのね
つまり優生主義的な残酷さに立ち向かう必要を主張してるんだけど、現実世界では優生的な差別は空気のように
浸透しちゃってるから、>>92がむしろ声高に優生主義にコミットしてるような印象を皆さんに与えがちなわけ
それは間違いだと言いたいですね ここで一つ非常に重要な事実を付記したいんだが、優生主義的な残酷さが機能してしまっている
というのは、必ずしも社会認識的なレベルだけではなくて、物理世界そのものも含めてってことなんだよ
これが最大のポイントなんだよね。だから被害妄想云々の批判は一切成り立たないんですよ AIシンギュラリティさえ達成されれば新たな犠牲者は要らないんじゃないか? >>97
何でも解決するかどうかはわからないが、結局シンギュラリティ的な議論と連動させる必要があるのは確か
だが元々シンギュラリティって人間の計算能力をAIが超えるって話なので、狭い意味でのシンギュラリティ論に
寄せると関連議論が無内容になっちゃう
だから「十分なAI(SAI)」と呼ぶほうがしっくりくる
当面の指針としては、元々の反出生主義や政治理論、AI理論、数理科学などとフラットなレベルに
これを引き上げて、仮想的な問題解決システムを明示することだろうな
何にせよできること、やるべきことは元々の反出生主義(OAN)とは違い山ほどあるよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています