21世紀の新プラトン主義
プラトン主義という基本を見失った そこから、哲学の漂流が始まった プラトン本人がイデアの説明が出来ないまま失意のうちに死んでいったから のちのアカデメイアにはカルネアデスに代表されるような極端な懐疑主義者も出てきた やはり本人のせい 新プラトン主義(英: Neoplatonism)は、後3世紀に成立し、西洋古代哲学の掉尾を飾った潮流である。 始祖とされるプロティノス(3世紀)は、プラトンのイデア論を徹底させ、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉えた。 中世の人々は、新プラトン主義を見て「プラトン哲学とはこういうものだ」と思っていた ルネサンス時代のイタリア フィチーノやピコ・デッラ・ミランドラは、新プラトン主義を復活させた 「新プラトン主義」という名称かっこいい。 プラトン主義にオリエントの宗教思想を加えて、プロティノスが創始したのが新プラトン主義である フランス現代思想にちょろっと興味があっただけなのに、それらを理解するために 結局プラトンまで遡行して読むことになってしまった プラトンってやっぱりすごいんだね プラトンとニーチェが追いかけっこしている夢を見た それを見てプラトンはニーチェなんか追いかけなくてもいいのにと思った ニーチェの著書は道徳の系譜に至るまで学術書とは到底言えない 単なる妄想の羅列 一方プラトンは人に話してはならないとされていた“真実”を公表している だから後にアリストテレスがイデア論を火消しした プラトンはパイドロスで秘儀に参入してイデアを目の当たりにしたことを告白してる モグリの人はイデア論をフィクションだと思いがちだが、ところがどっこいだ エレウシスの秘儀ではキュケオーンと呼ばれる幻覚性の強い飲料が用いられ それで参入者の知覚の扉が開かれたと思われる >>15 × 幻覚性の強い飲料 ○ 幻覚性物質入りの飲料 上だと真実在であるイデアがまるで幻覚であるかのように聞こえてしまう かく言う私もかつてはニーチェ信者だったが 人生最大の神秘体験で善のイデアを直知して以来 プラトニストに転向したw >>17 > 人生最大の神秘体験で善のイデアを直知 なんだか、凄そうだな? 私は2001年2月末の人生最大の神秘体験で究極至高の真実在を直知した その当時私はニーチェの信奉者であり 「神などというものは人間が自分たちの都合で作り出した概念でありただの道具にすぎない 言ってみればハサミなどと等価のものであり、神(道具)に跪くなど滑稽なことだ」 などという風に考えていたにも関わらず、その存在(真実在)を自明のこととして『神』だと直知したのである あたかも忘れていたことを思い出したかのように 神は、宇宙を何個持ってきても及びもつかないほどにそれ以上大きなもののない大のイデアであり それ以上強いもののない強のイデアであり、それ以上善いもののない善のイデアであり そして何よりも“愛そのもの”の存在だった。神は途方もない愛で私を愛し尽くし、理解し尽くしていた もちろん神は私だけでなく万物をとてつもない言語を絶する愛で愛し尽くし、理解し尽くしているのである この体験は日常の現実感からは想像だにできないほどの『究極至高の現実感(リアリティ)』を伴うものであった つまり神秘体験で神(真実在)を直知している時の究極至高の現実感に比べたら 通常意識時のこの現実感など微塵に等しい >『ソフィスト』において、見知らぬエレア人が、 >イデアは生きているという考えは「イデアの友たち」のものだと言っている箇所である。 >プロティノスは、いつものように、プラトンがほのめかしていたものを、はっきりとした事実として語っている。 >イデアとは、疑いの余地もなく、生きているものである。 (ヒューストン・スミス著『忘れられた真理』 P95) >いったいわれわれは、ほんとうに動や静や魂や思慮が、 >全き意味での実在にそなわっていないというようなことを、そう簡単に信じてよいものだろうか−− >それが生きてもおらず、思慮をはたらかせることもなく、厳かな聖像さながらに、 >知性をもたずに不動のまま立っている、などということを?〔中略〕 >知性をもっていながら、生命はもっていないということを、われわれは主張できるだろうか。〔中略〕 >その両方ともが実在にそなわっている (岩波書店刊『プラトン全集 3 ソピステス ポリティコス(政治家)』 P103) このようにイデアとは生きているもの(神)であり、真の実在である この世界の現実度とイデアの現実度は同じではまったくない 私は自らの神秘体験によって想起説が正しいことを確信しているし この世界が仮象(フィクション)であることを暴露しているようなシンクロニシティも複数回経験している 例えばこんなシンクロニシティがあった 8月26日にネットで沼津市とフリーメイソンの関係についての都市伝説を知る 8月27日に録り溜めていた『まちカドまぞく』を一挙見した後 リアルタイムで放送中だったBS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』を横目で見つつ 『まちカドまぞく』の監督である桜井弘明さんのことをWikipediaで調べたら なんと“沼津市出身”だということが判ってびっくり その本当に直後に テレビの中で(つまり『ぶらぶら美術・博物館』の番組内で)山田五郎さんが「石工」と発言 言うまでもなく、メイソン(mason)という言葉の意味は「石工」であり 通説ではフリーメイソンの前身は石工組合である その後改めて2019年の8月27日に放送されていた『ぶらぶら美術・博物館』の #319「大人気!東京国立博物館「三国志」展 〜リアル三国志!魏蜀呉のお国柄と、曹操の墓から知る真実〜」 の回を確認したが、開始20分頃に山田五郎さんは間違いなく「石工」と二回発言してるし 画面右下には「石工の落書き!?」というテロップが大きく出てる 決して空耳ではない、割と露骨なシンクロニシティだ こんなレベルのシンクロニシティを他にも何回か経験してるから私にはこの世界がフィクションとしか思えない 善(神である善のイデア)こそが真の現実であり、悪は完全にフィクションであると私は確信している 善そのものに近づけば近づくほど現実度は高まる つまるところ悪のあるこの世界は仮象である >万物の基本単位は物質やエネルギーではなく、情報だという意見すらある。 >情報はビットとして表現され、宇宙はそのようなビットから作られているというのだ。 (別冊日経サイエンス『実在とは何か?』 P102) >プリンストン大学の物理学者でトホーフトの元学生だったフェアリンデは言う。 >「時空は0と1の集まりから生まれてくる」。 >物理学者は、2次元面上の情報がこの世界のすべての情報を担うというホログラフィック原理が >おおむね正しいと思っている。しかし、すべてが解決したわけではない。 >この世界の情報がどのようにコード化されているのか、自然界がどのように0と1のビットを処理しているのか、 >どのような処理の結果この世界が現れるのかといった問題は謎のままだ。 >宇宙はコンピューターのようなもので、その内部の情報が、 >私たちが物理的実体と考えているものを作り出しているのではないかと物理学者は考えている。 (同 P106) プラトンは『国家』で「エルの物語」を紹介していたように臨死体験を重視していた ならば21世紀のプラトン主義も現代の欧米の先進的な臨死体験研究の成果を参照して プラトンに新たな光を当てるべきではないだろうか >トンネルを抜けた先の世界は光に包まれている。〔中略〕 >この段階までくると、臨死体験者は自分がいるところが生前暮らしていた物質世界とはまったく異なる次元であることを認識している。 >その理由のひとつは、周囲の光景のすべてが、生前見慣れていた世界よりもずっとクリアで、色鮮やかでリアルであることだ。 >現実の世界よりずっと鮮やかな極彩色の世界で、言葉で何色とは言い表せない色彩もある。 >臨死体験者がよく使うたとえを引用すれば、高品位のテレビ画像と古いブラウン管のテレビ画像の違いで、 >死後の世界のリアルさに慣れると、現実の世界はかえって非現実的なものに見えてくる。 >このリアルな死後の世界こそが現実で、自分が生きていた世界は、自分が演じていたドラマのようなものにすぎなかったのだ、 >という新たな認識が臨死体験者に生まれる。 (エリコ・ロウ著『死んだ後には続きがあるのか 臨死体験と意識の科学の最前線』 P121,122) >臨死体験では、生前の体験だけではなく、自分に関わる未来の情景も映画のように見せられることがある。 (同上 P125) 臨死体験者はまず >視点が自分のからだの外にあることで、自分がからだから出て意識だけになって存在しつづけていることを認識する。 >死後の世界で意識を取り戻すと、すべてが変わり、別の次元にいる。 >たとえ現実の世界は見聞きできても、それはホログラフィーのようで、人や物に触れても、触感はない。〔中略〕 >SFが描く透明人間のようになっていて、人も物体も、壁も天井もホログラフィーのように実体がなく、すり抜けられるのだ。 (同上 P134,135) >意識だけになって病室の宙に漂い、自分を蘇生させようとしている医師や周囲の人たちの会話を聞いた記憶をもつ人は多い。〔中略〕 >生きている人が口には出さず自分の心の中で考えていたことが分かってしまうこともある。 >家族が自分のために心の中で祈ってくれていた言葉、 >自分の蘇生処置が行われている手術室にいた医師や看護師が心の中で考えていた雑念などを体外離脱中の意識でしっかり認識し、 >覚えていたという人もいる。そうした記憶が事実だったことは、心を読まれた当人が認めた例も数多く報告されている。 (同上 P138,139) 自分の人生は演じていたドラマのようだったという記述と、未来を見せられたという記述からは ただちにエルの物語の内容が想起される エルの物語では全ての生き物の生は予めシナリオが決められていて 死者はその諸々の生の中から任意に好みの生を選択して選んだ生を生きる 言うなれば転生してその生をシミュレーションする、あるいはドラマのように演じるとされている これは一見荒唐無稽な話のように聞こえるが 全ての生き物の生がシナリオ通りに展開でもしていなければ >>22 のようなシンクロニシティが複数回も起こるとは考えにくい 生が予めシナリオが決定しているシミュレーションのようなものだとすれば シミュレーションの意味合いが多少ずれているが 昨今流行りのシミュレーション仮説とも相性がいい またリベットやヘインズの自由意思に関わる実験結果を参照してみるのも興味深いかもしれない このような認識は我々の精神に思わぬ副産物をもたらし得る 私の名は悟明だが 悟明の人生というものがシナリオでありシミュレーションに過ぎないのなら、私は悟明ではない 執着が無くなる。これは良い傾向だと言える (この)人生を送っている者を自分だと思ってはならない >>24 > プラトンは『国家』で「エルの物語」を紹介していたように臨死体験を重視していた > ならば21世紀のプラトン主義も現代の欧米の先進的な臨死体験研究の成果を参照して > プラトンに新たな光を当てるべきではないだろうか そうだ 死後世界を否定するスタンスから入ると、プラトンが分からない 本音はともかく、少なくとも建前ではそれを認めるとこから始めるべきだ 早い話が、この世の物質世界は、あの世の精神世界の写し絵なんだよ 出口王仁三郎が、床の間の掛け軸を見て「掛け軸の富士山をこの世とすれば、あの世は本物の富士山に当たる」と言ったが、プラトンの世界観もひらたく言えばそんなもんだ 弟子のアリストテレスは現実主義者だから、そんな世界観を受け入れなかった 結局のところ、永遠不変の実体 不増不減 不生不滅 不垢不浄 そんな実体があるかないかにかかっている 言い出しっぺはパルメニデス、広めたのはプラトン パルメニデスと並ぶ二大巨頭のひとり、ヘラクレイトスは「万物は流転する」と唱えた 流転する万物の奥に、永遠不変の実体を見るのがパルメニデスだった だが、おそらく、ヘラクレイトスの真意も同じだっただろう わずかな断片しか残ってないだけで コピペ プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(ト・ヘン to hen)を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。 また、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。[エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。また高弟ポルフュリオスは『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』(『プロティノス伝』と称される)の中で、自らは一度体験したと書き残している。 「プラトン主義の創始者は誰か?」と聞かれたら、「プラトン」と答える では、「新プラトン主義の創始者は誰か?」と聞かれたら? 答えは「プロティノス」 イスラム世界は、プロティノスを通じてギリシャ哲学を受容した アラビア人たちが「プラトンの教え」と思っていたものは、じつはプロティノスの教えだった プラトンの考え方嫌いな人です プラトン主義やゾロアスター教は元となる発想がむっちゃ印欧語族的なのにこれが世界の普遍的真理ですみたいな顔してんのがムカつきます 印欧語族だけが人類ではありません 研究が進んでいる欧米の臨死体験者たちの体験談を総合すると あの世はこの世より現実度が数段上で 愛と善が支配している世界らしい それを踏まえて私は>>23 で 「善そのものに近づけば近づくほど現実度は高まる」と書いた そりゃ、この世は、反射した可視光が網膜を通って脳で映像変換されてる表象の世界だからな まさしく、影絵だ。立体映像だ もともと、ボンヤリした世界なんだよ もともとプラトン嫌いでなかったか、 自称哲学者の、難解で論理的に破綻している独りよがりなプラトン解説を読んで、プラトンにウンザリした香具師も少なくないだろ? 世の中にはプラトン解説に関する本は多数あるが、特定はしないが、コイツ何言いたいんだ?ていう支離滅裂な解説書もある こういうの害悪でしかないな プラトンは『真実在』を人工的に臨死体験や神秘体験を引き起こす秘儀に参入することで直知した 「死と再生の秘儀」という言葉が示しているようにプラトンの形而上学は人工臨死体験に依拠している >けれども《美》は、あのとき、それを見たわれわれの眼に燦然とかがやいていた。〔中略〕 >数ある秘儀のなかでも、たぐいなく祝福されたものと言うことが許される秘儀に、参与したときのことであった。〔中略〕 >美は、もろもろの真実在とともにかの世界にあるとき、燦然とかがやいていた (プラトン著 岩波文庫『パイドロス』 P68,69) 例えばゾロアスター教の秘儀の内容は次のようなものである >ゾロアスター教では生者が直接あの世を旅して、実際に天国や地獄を見聞し、 >それをこの世の人々に報告する方法を発明した。 >それはしかし、とても危険な方法で、下手をすると、そのまま死んでしまい、 >二度とこの世に戻って来られなくなる方法である。 >それは、ある種の薬物を使って仮死状態に入り、臨死体験を徐々に深めていくというやり方である。 >そして、一定の期間のあと、再び意識を取り戻させて、その間の報告を被験者にさせるわけだ。 (学研刊『東洋秘教書大全』 P370) 若き日に、プラトンも参入したエレウシスの秘儀を讃えるポエムまで残したヘーゲルはこのように言っている >プロクロスは,プロティノスより優れている (知泉書館刊『ヘーゲル「新プラトン主義哲学」註解』より 「新プラトン主義哲学」〔本文〕 P65) >プロクロスは,秘儀に属するいっさいを研究した。 >〔例えば,〕ヘルメス文書やオルペウスの詩である。 >プロクロスが行ったところでは,司祭たちよりももっとよく儀式を理解した。 >かれは,いっさいの宗教的場所を訪れて,エジプト式礼拝までも知っていた。(中略) >マリノスはこういっている。 >哲学者は,世界にゆきわたる普遍的な,秘儀を教える導師でなければならないと。 (同上 P63,64) ドイツ哲学の始祖とも言われている無学な場末の貧しい靴職人である神秘体験者ヤコブ・ベーメが ヘーゲルらに与えた影響は殊の外大きい >「ベーメこそドイツはじめての哲学者であり、その哲学内容は真にドイツ的である」。 >ヘーゲルの『哲学講義』のベーメの章をひらいてみると、 >「絶対精神」「否定にひそむ魔力」「矛盾の統一」「弁証法」など、 >ヘーゲルをヘーゲルたらしめている魅力あるテーマは、 >すでにベーメの問題だったことを知り、シェリングが、 >「人類の歴史における奇蹟の現象」とベーメを讃美したのも、ふしぎに思われない。 (南原実著『ヤコブ・ベーメ−開けゆく次元』 P20) 畢竟、正真正銘の哲学と臨死体験や神秘体験は切っても切り離せない read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる