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安楽死は認めるべき?
0001考える名無しさん2022/06/11(土) 10:02:52.570
安死術またはオイタナジーEuthanasie(ドイツ語)ともいう。この語源はギリシア語のエウタナーシャeuthanasia(「良き死」または「楽な死」の意)にある

アンケート
https://imgur.com/KFResEY.png
0002考える名無しさん2022/06/11(土) 10:05:58.090
まーたフリーメイソンスレか
死にたいなら勝手に死にゃあいいだろ
0006考える名無しさん2022/06/11(土) 12:38:51.940
神はすべての人間に自殺を禁じたもうたが、フリーメイソンには禁じたまわなかった
0007考える名無しさん2022/06/12(日) 19:12:42.480
誰が産めと頼んだのか、育てろと頼んだのかという問題は依然として無くならないだろう
それらが一方的な押し付けである以上、子どもの権利としての安楽死は一考の余地がある
0009考える名無しさん2022/06/16(木) 22:19:30.390
一切の法的、社会的義務をキャンセル出来る機会を大人になる前段階の通過儀礼として与えるべきではないか

                               
0010考える名無しさん2022/06/18(土) 17:57:20.470
社会の中において一度自己同一性が確立されれば私は私が何者であるかについて責任を負う必要性に迫られる事になる
しかし自己の実現可能性とは私にとって私が何者であるかという事に他ならず、それは決して親や社会に決められる性質のものではない
0011考える名無しさん2022/06/19(日) 14:28:45.820
大人になるというのは、社会を再生産する単位として帰属するという事を意味する
子どもには、社会がどのように成り立ち自分が何故社会に対して義務を負わなければならないという事を教育し指導しなければならない
0012考える名無しさん2022/10/15(土) 13:51:44.690
安楽死は福祉として成立して欲しいね、無条件に死にたい人が死にたい時に、心地よく手軽に安心して終わる死に方として、自分が死にたい時に死ぬことは、人の当たり前の生き方になって欲しいね
0014考える名無しさん2023/05/24(水) 20:26:03.070
自己の生について一切の責任を負った時に一切の自由を得るのだと仮定すれば、我々は生み出された時点において既に自由ではないのだから一切の責任を負う事は不可能になる
つまり、自己の存在が全き自由の中に定立された場合にのみ初めて自己は同時に無限の責任を引受ける事が可能になる
0015考える名無しさん2023/05/24(水) 23:19:22.280
>>14
自由と責任が不可分のものという思い込みが幻想なのでは?
0016考える名無しさん2023/05/28(日) 21:55:03.810
功利主義は倫理を語る事に失敗したと考えている
何故ならロールズの正義論は現実における非対称性を考慮していないからだ
自由と責任は倫理ではなく道徳に基づいているというのが私の見解である
0019考える名無しさん2023/05/31(水) 13:46:06.840
産む自由あるなら
死ぬ自由があってもいい
0020考える名無しさん2023/05/31(水) 13:59:17.550
チャットGPT
安楽死に関する倫理的な立場は、人々の間で様々な意見が存在します。一部の人々は、終末期の苦しみや病気に苦しむ人々に対して、尊厳死の選択肢を提供することが重要だと考えています。彼らは、個人の自己決定権や苦しみの軽減を尊重するべきだと主張します。

一方で、他の人々は、安楽死が生命の尊厳や倫理的価値に反すると考えています。彼らは、人間の生命を尊重し、その価値を最大限に引き出すことが重要だと主張します。

この問題は、文化、宗教、倫理観などの個人の信念や価値観にも関連しています。安楽死についての議論は、多くの社会で行われており、法律や規制の制定にも関与しています。

最終的な判断は、社会全体が参加し、関係者や専門家の意見を総合的に考慮する必要があります。それによって、人々の自己決定権、倫理的価値、苦しみの軽減などの重要な要素がバランスよく考慮されることが求められます。
0021考える名無しさん2023/06/02(金) 22:12:04.220
出生行為が一般的には中動態として扱われている為に子どもが中動態的存在として見做されてしまうという事がある
社会的には自殺したい場合は迷惑にならない仕方で勝手にすれば良いという仕方で暗に受容されているが、これは尊厳を伴わない"現象としての死"でありその時点において当事者の人権は既に剥奪されているであろう
結局死は避けられぬ必定であって、誤解を恐れずに言えば人間は生きるために生きるのではなく死ぬ為に生きるのであるから、チューブによる延命措置で惰性的に生命活動を継続するのではなく死に方を自ら主体的に選択すべきではないだろうか
出生行為によって主体性の回復が企図される場合も有るが、それはかえって主体性の欠如を反復する事にしかならない
0023考える名無しさん2023/06/02(金) 22:23:29.010
安楽死は拡大解釈されぎみで、少子高齢化社会が経済問題や制度の持続可能性問題になっているという社会的ニーズに引っ張られているんじゃないかなあ。
当事者の声もそこに引っ張られていないかが気になる。
0024考える名無しさん2023/06/11(日) 20:23:59.900
死にそうな時に人は生きたいと言うが、これは飽くまで死にたくないのであって生きたい訳ではない、詰まる所単なる逃避に過ぎない
そもそも死に向かって生きる事以外は生と呼べる代物ではないのである
0025考える名無しさん2023/08/09(水) 01:30:38.730
自由にすべき
0026考える名無しさん2023/08/09(水) 20:16:11.130
世界家族統一連合の支持するように
日本の人口を5000万人くらいにしたいなら
自殺に等しい安楽死を合法化したら
すぐに達成できるんじゃないだろうか。
0027考える名無しさん2023/10/02(月) 10:59:31.620
逆に言うならもし権力者による人口削減計画なんてものがあるなら
安楽死がもっと積極的に認められてもよさそうなもんなんだよな
でも実際は生きているだけで社会に脅威をもたらすような凶悪犯でさえ
死刑にしない方向に動いている

どんな凶悪な奴にも「生きる権利」を与えるなら
「死ぬ権利」だって与えられてもいい
税金使って安楽死とまでは言わないが誰にも迷惑をかけずに死ねる場や
救命措置、蘇生を拒否する権利だって必要
0028考える名無しさん2023/10/11(水) 10:52:08.380
今まで一切誰とも関わりを持たずに、若しくは徹底的に嫌われながら生きてきたならともかく
身の周りの誰かに死なれたら普通は悲しいもの
そういう意味で自殺や安楽死は周囲に迷惑がかかる

一方、宗教も信者に対して戒律や価値観へのデリケートな配慮が必要で
そういう意味で宗教も周囲に迷惑がかかる

宗教を信じるも死を望むも同じ人生観の問題なのに
一方は認められ、一方は口に出すのもタブー
なぜか
0030考える名無しさん2024/01/31(水) 22:54:30.120
>>25
何故コイツは哲学板に来て態々このスレを覗き書き込んだのか
誰か真相究明求ム。
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