持ってるアルバムの数
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♪ ____ マ=// \=マ
/ \ マ=// ,/=マ
/ \ /\ /><.>'=マ
/ (ー) (ー)\ /></ ラノベラーメン♪
| ⌒(__人__)⌒ |/></. ラノベラーメン♪
\ |r┬-| /><ミ)
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// ヽ っ></ 入_
/ / (((// ノ
ィ (o、/></゚、。/ヽ
j | \x/ \/ \
\\ ヽo) / \ ) そして3枚が残った
黄金の糞 (フライング・ウンチブリブリブリトー・ブラザーズ)
肛門 (ローリングソ・ストーンズのデビュー・シングル)
そして尿感が残った.. (ジェネシス) アルバムという呼び方は、シングル盤EPに対して複数の曲を収録したLPレコードを、
複数の写真を収めたアルバムに見立てたことから広まった呼称で、元々はクラシックなどの
長い曲を収める為に作られたLPレコードが主流だった時代には、まだ使われていなかった
って、本当なのだろうか?
であるならば、一般にベスト盤はアルバムにカウントしないという言い方はおかしく、むしろ
シングル盤を集めたものが本来アルバムと呼ばれるべきものということになる。
ザッパの公式ディスコグラフィーを眺めていたら、普通にベスト盤も含まれているもんね^^ たくさん持っているが、仕事がある日はゆっくり聴いていられない。 「In My Time of Dying」は、黒人霊歌の「Tone duh bell easy」がオリジナル。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンがカヴァーしたときは、"Jesus Make up My Dying Bed"というタイトルになった。
有名なのが1962年のボブ・ディランの「In My Time of Dyin'」(邦題:「死にかけて」)。
ディランはブラインド・ウィリー・ジョンソンのバージョンを下敷きにし、スライドギターを弾いている。
著作に関してはディランは「Traditional, arranged by Bob Dylan」としていた。
次に有名なカヴァーは1975年のレッド・ツェッペリン。
ここで著作が「Page, Plant, Jones & Bonham」となる。
だが、その前にもう一組いた。ショッキング・ブルーだ。
シングル「涙の願い / Oh Lord」のB面で「イン・マイ・タイム・オブ・ダイイング」を演奏している。
歌詞は同じだ。著作は「Robbie van Leeuwen」になっている。
ショッキング・ブルーのギタリスト兼ソングライターだ。
つまり、ジミー・ペイジの先輩だ。 ショッキング・ブルーの「In My Time of Dying」の邦題は「タイム・オブ・ダイイング」。
つまり「In My」は除外されている。
当時のレコード会社は、日本の青少年の英語力に懸念を抱いていたのか、
このようにタイトルの一部を省くのが常だった。
しかしビートルズの「Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey」は、
「エヴリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」のままだった。
この曲に関しては、「エブリボディーズゴットサムシングトゥハイドエクセプトミーアンドマイモンキー」と表記する者が、
極端に少ない。 一日一枚だけ聴くとすると、2,910日、つまり8年ちかくの日数を要するな。
一日二枚にすれば、4年間だから、まあノーマルな数字にはなるが、
日記帳の一日の頁に、二枚のアルバムに関する情報を整理しなければならなくなって、
それもまた面倒だな。 >>9
スモール・フェイセズの"HappyDaysToyTown"なら「ハッピーデイズトイタウン」という日本語表記でいいよね。
実際、日本盤LPは、そういう邦題になっていた。 >>10
これからも増えていくだろうし、困ったね。 ヘヴィメタルの人って、必ず長髪かつコスチュームが暑苦しいんだけど、
そうしなきゃならない決まりでもあるんですか? リバプール出身のビートルズは、"Can You See"の発音が「姦通しい」なのだが、
ニューキャッスル出身のアラン・ハルも「姦通しい」と発音する。 アラン・ハルは、天才だな。
恥ずかしながら、彼のことを知ったのは数年前だ。
リアルタイムでは、僕のアンテナにまったく引っかからなかった。
おそらく宣伝が下手くそだったんだな。
僕がアラン・ハルを知った経路は、かなり細い線だ。
イエスのアラン・ホワイトのソロ・アルバム「Ramshackled」で彼がかつて属していたグリフィンのメンバーを知る。
別経路になるがイアン・デューリーのバック・バンドのメンバーとグリフィンのメンバーとでスキップ・ビファティというバンドをやっていたことを知る。
YouTubeで偶然に聴いたスキップ・ビファティの音楽は面白かった。
スキップ・ビファティについて詳しく調べる。
そのオリジナル・メンバーにアラン・ハルがいた。
つまりリンディスファーンのことはまったく知らずに、アラン・ハルに辿りついた。 The Grass Roots
"今日を生きよう / Let's Live for Today"という曲は小学生の頃から好きだったなあ。
グラスルーツは覆面バンドだったのか……。
覆面レスラーは知っているが、覆面バンドというのもあったんだな。 最初の覆面バンドはベドウィンズで、ベドウィンズはグラスルーツ名義で2枚のシングルを発表後にダンヒル・レコードを去った。
次の覆面バンドはサーティーンス・フロアだが、このバンドが以後グラスルーツにグループ名を変えて活動していたと思えば理解しやすい。
この新生グラス・ルーツの最初のヒット曲が「今日を生きよう」。 「今日を生きよう」はグラス・ルーツのオリジナルではなく、
イタリアのローグスというグループのカヴァー。
オリジナルは、これ。
https://www.youtube.com/watch?v=LbJjKxoI3Bk >>17
P.F.スローン&スティーヴ・バリの覆面バンドというのは、4枚目のシングルまでの話。
その時代の覆面バンドがベドウィンズ。
5枚目のシングル「今日を生きよう」以降は、覆面バンドじゃないよ。
サーティーンス・フロアというバンドが、グラス・ルーツというバンド名をもらったというだけの話。