ラカン
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
.__________
|| // // |
|| / ̄ ̄ ̄ ̄\ . | / ̄ ̄ ̄ ̄\
|| ( 人____) | ( ) ┌───────
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | < どう見てもセミネールだよなぁ・・・
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) | └───────
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||========[]===|)
|_|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(_)\|三三三三三|
(:::::::::::::::::::::y:::::::::ノ)\
|:::::::::::::::::::::|:::::::::| | >>3
なんか海外のイラストレーターの似顔絵って感じで普通だなw
てっきり唇紫色でジョジョ立ちしてるラカンかと思った ラカンのスレあったのか
予想した通りめっちゃ過疎ってるがw ジャック・ラカン伝を読んでいるところだが、身が入らん。 語りたいけど案の定過疎ってた
ファルスのシニフィアンS1(父の名)から他者S2へのヴェクトルの欲動は生の欲望っていうけど、シニフィアンの連鎖って死の欲動からくるものなんじゃないの?
だとしたらS1からS2への連鎖も死の欲動ってことになりそうなもんだけど、なんでだろ? ラカンの入門書や解説書で分かりやすいのって結局無いね
斉藤環のやつも分かりやすいようで実際はあんまりよく分からないし あれこれ読んで、少しずつ輪郭掴んでいくしかないね。 創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
創価,死ね
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
ソウカ4ネ
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf >>21
名無しさんの言う通りや
名無しさんも早う島本町から逃げ出す方がええで
島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや 斎藤環がいつのまにか筑波大学の教授になってて驚いた。
ラカンって、人文系の学者に相当な人気があるよね。 ラカンってけっこう有名なの?
大学の授業ではじめて知ったけども 無意識と象徴界がタッグを組むという発想において、フロイト的。 フロイトは無意識っていうまったく新しい領域を見出して、ラカンはそれを構造化したんだと思ってるけど。 鏡像段階は別に鏡でなくても、他人であればええってどっかで読んだ気がする。 現実界ってのが良くわからん
未解決の〇〇失踪事件
象徴界・・・〇〇は天狗の国に連れて行かれた(幻想)
現実界・・・レイプされて海に沈められた(現実に起こったこと)
これで合ってる?
現実界は物自体に似てるらしいがこれだと物自体と似てないんだよなあ 現実界・・測定できない世界、欲動。想像界・・現実界と象徴界の間、自我。
象徴界・・言語によって構成されている世界、他者。 昔ツイッター界隈で晒された朧月夜が忘れられん
まだツイッターやってるかな 現実とは日常の用語としては、空想や夢想と違う、客観的な、その人の社会的現実とか、立場とかそういうものを指す言葉なんだよね。
で、象徴とは現実離れしたものと捉えられてる。
で、ラカンにおいては正反対に近く、現実はおぞましく、そんな生易しく捉えられないものであって、
日常における人間関係を可能にするものとかが大文字の他者とか象徴秩序であり、日常関係とかを可能にするのが、象徴界なんだよ。
但し人間は本能の壊れた狂った生き物であり、おぞましくも望ましい、現実を離れて象徴界に屈伏した日常だけでは欲望を満たせないから、
想像界が二つを繋いで狂った人間の欲望に折り合いをつけてる。
で最終的には欲望を決して諦めるな。象徴界に屈伏せずに、各自それぞれの病としての欲望と現実界から逃れずに欲望を充足せよ。
おぞましくも美しい現実界の中で自分の真実をつかめ。
それがラカンにおける倫理であって、社会で流通したり、交換、分配されるもの、秩序の外にしか本当の真実も欲望もなく、
日常の折り合いなんかくそくらえというのがラカン。
別に単純に反体制とか反社会的なことやればいいってことではなく、そういうのだって吐き気がするほど社会的で秩序の中だから。
但し、直観的にはわかるでしょ。ラカンの言いたいことは。自分の中の黒い欲望は。
日常の生産や秩序や折り合いでは収まらないものは。
その人にとっての真の欲望は社会や秩序を可能にする、丸め込まれたものの外にある。
その人にとっての真実はそこにしかない。
イメージとしては国法を破って真実の法の為に死んだアンチゴネー。
ラカンを理解する上で日常の用語と意味が逆と言うのは押さえないと、ラカンはわからない。 普通は社会的行動したり、秩序守れるようになり、
生産や社会的貢献の中に組み込まれるのが現実的なんだが、
ラカンはそういう行動も所詮は本能の壊れた狂った動物の誤魔化しで、
そういう他者を内面化した象徴秩序に収まらない真の欲望は手放さずに、
その人にとっての真実に向き合えというのがラカンの倫理。
精神分析の実践。
人間は全て病気で根本的に解消されることはないんだから、
病気から治ったとかいうのが一番悪質な病。
ラカンが患者を社会的に成熟させて適応すればことたれりとした、
多くの精神分析諸派を罵倒し戦ったのはそういうわけ。
それだって本能の壊れた人間の誤魔化しのバリエーションだが、
まだ嘘は少なく逃げるところはないから。 >>44
亀レスだがまだやってるよ
自分は頭良いと思い込んでる典型的な馬鹿だな 「恋のピンチヒッター」
きみは俺たちがけっこうイケてるカップルだと思ってるだろ
きみはオレの靴が本物の皮製だと思ってるだろ
でも、オレはしょせん他の誰かの代わりだろ
オレは背が高いように見えるけど、本当はシークレットブーツだし
単純そうに見えることでも、本当は複雑なのさ
オレはけっこう若く見えるけど、本当はオッサンだし
代わりなのさ 真実を隠すきみのウソ
透明ビニールのカッパみたいに見え見えだ
オレ、肌は白いけど、親父は黒人だし
このスーツだって、本当はズタ袋で作ったんだ
オレはプラスチックのスプーンをくわえて生まれてきた(銀のスプーン=裕福)
オレの町の北側は東に向いていて、東側は南向きだ
オレの目をじっとみてごらん
きみの目からこぼれているのはクロコダイルの涙だ(偽りの涙)
きみは問題を解決しようともしないで
見てみないふりして通り過ぎるだけだ
代用品さ オレはあの男の
代用品さ コーラはジンの
代用品さ きみはオレのお袋の
とにかく洗濯終わらせなきゃ ↑この歌詞はラカン的だと思わないかい?
本物を諦めて偽物で満足することを去勢と呼び、言葉は存在の代理物である。
そのように言葉を介して現実と直に触れ合わない世界を、象徴界と呼び、倫理や欲望の源泉だと考えた。
語り合う関係の中にだけ他者は存在する。
進歩を選べば満足を取り逃がし、満足を選べば進歩は停滞する。
欲望は他者の欲求である。 「人間の欲望は他者の欲望である」ってミラーニューロンと関係ある? >>57
ここでいう他者=A=シニフィアンだからね。
無意識の他者の語らい、無意識の独自の論理の領域なのであまり関係ないかも。
むしろ、その名のとおり、鏡像段階を経て形成される自我と、小文字の他者a
との関係(想像的な軸)に関係あると思うよ。 小笠原晋也、といっても一般の方には馴染みのない名前だと思うのだけど、精神分析界では超有名人、ラカン派の
精神分析医として著書・訳書も多く、日本ではきわめて数少ない、本格的な精神分析を行う精神分析医のひとりです。
小笠原医師は病棟のないクリニックを開業しているので、ときどき私の勤めている病院にも患者さんの入院依頼を
してきていたのだけれど、これがなんともたいへんな患者さんばかりで閉口した覚えがあります。しかも、どうみても
境界型人格障害なのに紹介状をみると精神分裂病という診断がついていたり。どうも、小笠原医師には「人格障害な
ど存在しない」という確固たる信念があったようです。ラカン派ってのはそういう立場なのかな? ラカンなどわからん
こっちから見ると明らかに人格障害なんですが。
http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0212a.html そろそろ私たちは、ラカンの思想について述べる際に「無意識は言語のように構造化されている」という
言葉をスローガンのように使うことをやめるべきなのかもしれない。それは、他ならぬラカン自身が、言語・
シニフィアンといった形式化されうる構造だけを重視していたのではないからである。むしろ、構造とは異
質な「力」が構造のなかに不可避に入り込む契機を、とりわけ精神病において見出したところにラカンの
思想の核がある。
http://psychanalyse.hatenablog.com/entry/2012/05/31/183214 生の欲動 Eros は、融合と統一の状態への回帰を目指す。エロスは、分離した要素を結びつけることに
よって、これをする。それは、緊張(不安)の増加をもたらす。逆に、タナトスは、分離の状態への回帰を
目指す。死の欲動は、結びついた要素のあいだのすべての結合を破壊することによって、これをする。
それは、すべての緊張の低減をもたらす。もし、必要なら、ゼロ度まで。その意味は、事実上、死である。
ラカン理論は、この「生と死の問い」の言い直しを可能にさせてくれる。生の欲動は、「他の享楽l'autre jo
uissance」を目指す。結果として、大他者のなかに主体は消滅する。したがって、分離した存在としての
主体の死をもたらす。死の欲動は「ファルス享楽la jouissance phallique」を目指す。それを通して、主体
は大他者から己を分離する。したがって、この大他者から独立して、孤立した存在としての歩みを進める。
このラカンの読解においては、生と死の概念は、ひどく相関的である。すなわち、フロイトの生の欲動は、
主体の死、主体の消滅を意味する。フロイトの死の欲動は、主体の生の継続を意味する。(ポール・バー
ハウ2001、PAUL VERHAEGHE、Obsessional Neurosis. The Quest for Isolation).
http://kaie14.blogspot.jp/2017/02/blog-post_36.html 分裂的なヒップホップ ブレイクビート の退屈の無さ。
エロス 死。リリムスト。 ラカンより サイード ジジュク。クリステバ クワイン クライン
アーレント
。 …時がたつにつれて、ぼくはファルスの突然の怒りがよくわかるようにな
った…彼の真っ赤になった、失語症の爆発が……時には全員を外に追
い出す彼のやり方……自分の患者をひっぱたき…小円卓に足げりを加
えて、昔からいる家政婦を震え上がらせるやり方…あるいは反対に、打
ちのめされ、呆然とした彼の沈黙が…彼は極から極へと揺れ動いていた
…大枚をはたいたのに、自分がそこで身動きできず、死霊の儀式のため
にそこに閉じ込められたと感じたり、彼のひじ掛け椅子に座って、人間の
廃棄というずる賢い重圧すべてをかけられて、そこで一杯食わされたと感
じる者に激怒して…彼は講義によってなんとか切り抜けていた…自分のミ
サによって、抑圧された宗教的なものすべてが、そこに生じたのだ…「ファ
ルスが? ご冗談を、偉大な合理主義者だよ」、彼の側近の弟子たちはそ
う言っていた、彼らにとって父とは、大して学識のあるものではない。「高位
の秘儀伝授者、《シャーマン》さ」、他の連中はそう囁いていた、ピタゴラス
学派のようにわけ知り顔で…だが、結局のところ、何なのか? ひとりの哀
れな男だ。夢遊病的反復に打ちひしがれ、いつも同じ要求、動揺、愚劣さ、
横滑り、偽りの啓示、解釈、思い違いをむりやり聞かされる、どこにでもい
るような男だ…そう、いったい彼らは何を退屈したりできるだろう、みんな、
ヴェルトもルツも、意見を変えないでいるために、いったい彼らはどんな振
りができるだろう、認めることだ! 認めるって、何を? まさに彼らが辿り
着いていたところ、他の連中があれほど欲しがった場所には、何もなかっ
たのだということを…見るべきものなど何もない、理解すべきものなど何も
ないのだ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳) ジュパンチッチはヒステリーの言説の四つの基本的動因として凡そこうまとめている
(”WhenSurplus Enjoyment Meets Surplus Value"(Alenka Zupancic)。
@〈私〉は不正を蒙っている。
A主人は無能である。
Bシニフィアンは常に真理の説明に失敗する。
C満足は常に偽の満足である。
http://kaie14.blogspot.jp/2015/10/blog-post_9.html 小笠原晋也は、自分の文章の目的は「境界例」などないということを証明することだ、と宣言していましたね。
それはいかにもラカン派的な発想であり、非常に原理主義的、教条主義的です。彼が単に、理論において
そうだっただけでなく、実際の診療においてもそうであった、例えば境界例というような診断を絶対認めず、統
合失調症(精神分裂病)と診断したりしていた、という話は以前にも紹介しましたね。
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120216#1329358358
前も書きましたが、ラカンから『エクリ』を贈呈されたハイデガーは、こんなものは所詮狭いパリの知的遊戯、流
行現象に過ぎない、という意味のことを言いました(『ツァリコーン・ゼミナール』木村敏訳、みすず書房)。
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120227#1330270514 誰でもできる在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
Y6R4D ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています