40〜50年代のRB
ジヤンプ・ブルースからドゥーワップまで ダウンホーム・ブルースからソウルの誕生まで ええぃこの際ゴスペルまで面倒みよう! もちろんド真ん中なファッツ・ドミノとかもね 1940年に二十歳、は今85歳って事になるか。 演る方だとチャールズ達(ブラウン&パーカー&ミンガス!!)なんか。 旧RBって70年代ブルース・ブームなんかをリアルタイムで経験してる人が その当時のノリ(既に40〜50年代はナツメロだったけど)で語る場合や、 その体験談を聞いてそれを共有してるひとが話す場合が多いんで、40〜50 年代RBヒットチャートを...(中略 逆に言えば、楽しみ所はまだまだテンコ盛りだってことなんだけど。 ビルボードは1942年の10月24日、その週の黒人向け音楽販売結果に関するチャートを発表する。 このチャートは”ハーレム・ヒット・パレード”と名付けられていたが、実際に、ニューヨーク のハーレムにあったショップやジュークボックスという限定的かつ少数のサンプルでの人気を もとにまとめられたものであった。 もちろんハーレムはその当時も国内のアフロアメリカンの憧れの地ではあったが、まとめられた チャートはハーレム界隈での人気度を反映したもので、ミシシッピやアラバマのような南部の 田舎の州に住む人達や、それらの州からシカゴやデトロイトまたはロサンジェルスなどに流入し てきていた黒人達の間での人気を反映したものでは無かった。 日本人全員がJ-POP(でいいのかもさえもオレはわからんが)のヒットチャートもの 聴いているわけでは無いように、アメリカの黒人もRBチャートものだけ聴いてた わけでは無いというのは至極当然なことなんだけど、時々忘れちゃうんだよね。 たとえば、1942年の年末はビングクロスビーのホワイトクリスマスが3週間トップ だったらしいし。もちろん、クラシック好きもいればジャズ好きの黒人もいただろうし。 ジャズは扱いが難しいよな、40年前後ってちょうど後にジャズの主流派を形成する 芸術指向派が出始めてきた頃だし。 >>42 今と違って、1942年のハーレムってまだ客は主に羽振りのいい白人じゃないの? 「ハーレム・ヒット・パレード」が黒人層の嗜好を反映しているだろうか? ハーレムのスラム化の程度、ベニーカーター、ジョンカービーなどを始めとする 北部上流黒人周辺のテイストなどを考えないとわからないね。 ビルボードの場合、レースレコード・チャートに名前を変えることから想像すると、 黒人マーケットに対してのR and/or Mを意識してた可能性はあるとは思うけど。 一般人から見れば、まだジャズチャートの方がわかりやすかったかもね。 記念すべきハーレム・ヒット・パレード第1回10月24日付第1位は アンディ・カーク楽団の"Take It And Git" 正直この時代の黒人音楽が一番おもしろい ということでage アンディ・カークってジョニー・オーティスのオジさんてな感じ。 "Take It And Git"にしてもベイシー達より一歩進んでというか時代に 反応してというかR&Bしてるよね。リッパ。 しっかりフロイド・スミスのエレクトリック・ギターもフィーチャーしてるし。 これもメアリーさんの差し金か? 勉強になるスレだなぁ。 すごく読んでて面白い! でも、俺はハードコアパンク好き。 たまたま暇つぶしにいろいろ見てたら巡りあえた。 こういう音楽のルーツの勉強になるのって大好き。 ・・・ということで、ハーレム・ヒット・パレード第2週目No.1はフレディ・ス ラックと彼のオーケストラの MR. FIVE BY FIVEで、早くも白人の登場となるんだよね。フレディはブギウギ・ ピアニスト上がりの バンド・リーダーで、テキサス生まれのこれも白人ティーンエイジ歌手、エラ・ メイ・モースをフィー チャーして、生まれたばかりのキャピトル・レコードに立て続けにヒット曲をプ レゼントし、キャピトル のレコード会社としての基礎固めに非常に貢献したこわけね。 ビッグ・バンドがティーンエイジ歌手を使うってのはそんなに珍しくはなかった ようだけど、エラ・メイは 知らないで聴いていると、ベテランのバンド専属歌手を聴いているよう。パ ワーは無いんだけど。 >パ ワーは無いんだけど。 ってのは、失言だった。取り消す。 トーチ・ソング、クルーナーの時代ってことで軽めに歌ってたのかもしれない。 なにしろテキサス生まれのテキサス育ちだから。歌はうまいしね。 ただ、残された録音をざっと聴くかぎりはパワフルに歌ったものは無いようだけど。 次のNo.1はまたもやキャピトル・レコードで、キャピトルの創設者の一人で有名な作詞家 ジョニー・マーサー作詞、ポール・ホワイトマン・オーケストラ演奏のTRAV'LIN' LIGHT。 歌ったのはLADY DAYとしかクレジットされてなかったビリー・ホリディで(聴けばすぐ彼女 だとわかるんだけど契約の関係?)、彼女の最初で最後のNo.1ヒットとなった。白人系の キレイな曲だけれどもビリー・ホリディ特徴ある声と歌い方でより魅力が増したよう。 11月第2週のNo.1は、後でややっこしいことになるとは誰もその時考えてはいなかっただろう、 ジャズ・ピアノの父、アール・ハインズと彼のオーケストラの"STORMY MONDAY BLUES" 後に初のアフロ・アメリカン系男性アイドルと言われたというバリトン・ボイスのビリー・ エクスタインが歌う、そして彼の初ヒットでもあるこの曲は歌手として彼の名前はクレジット されなかった。加えてその後のアメリカの著作権管理団体での登録のゴタゴタでこの曲は 違った意味で大有名になってしまった。 そのゴタゴタというのはドン・ロビーのデューク・レコードが、1960年代の初頭にボビー・ ブランドが歌って再ヒットさせたTボーン・ウオーカー1948年のヒット"CALL IT STORMY MONDAY BUT..."を、曲名STORMY MONDAY BLUES、エクスタイン作詞ハインズ作曲としてし まって、その後TボーンのSTORMY MONDAYをカバーしたヤシの多くも同じようにクレジット してしまった事から始まったようだ。その結果ロイヤルティ関係でかなりの混乱が生じた らしい。 さて1942年のラス前No.1ソング(実際にはラストの前にNo.1返り咲きソングが入 るが)は、ラッキー・ミリンダー"WHEN THE LIGHT GO ON AGAIN (ALL OVER THE WORLD)"だった。 "また世界中に明りが灯る時、そして若者達が家に戻ってくる時・・・"という 歌詞とノスタルジーたっぷりのメロディーとボーカル(歌はギタリストのTRAVOR BACON)は戦争悲恋映画にピッタリなような歌で、実際数年後に同名の映画が作 られたらしい。 この"正義は我にある"ことを余裕を持ってほのめかす戦意高揚ソングがヒット (ポップチャートでは最高2位)した国の相手国ではその頃・・・ Trevor Baconだった(^^;) 残念な事に1945年に交通事故死してしまったようだけど、Tボーンみたいに 歌とギターで活躍して欲しかった。 1980年代にR&Bを話題にするときは、 当たり前だけど50年代のR&Bを意味していた。 ところが、1990年代に入ると、 「それって今のR&B? それとも50年代のR&B?」 と、いちいち確認しなければならなくなった。 そして現在、すっかりR&Bというジャンルは復活して、 いま流行りの音楽を意味するようになった。 でも、それだけ定着した今なお、 「リズム&ブルースって何? R&Bなら知ってるけど…」 ってな若者がけっこういたりして、びっくりさせられることもあるんだよねw 50年代のR&Bのアルバムは、 「1曲の長さ2分30秒以内×12曲」が定番だったので、 60分テープの片面に、ほぼピッタリ収まった。 …てことを、いま突然思い出したよw 59と60の間に1年の月日が流れている事 そして59から63までの間に約2年かかっている事 に感動を覚えた R&B numbers are oldies but goodies. いろいろな音楽を聴いてきたけど、 20数年の時を経て、またDooWopに戻ってきたw やっぱり50年代のヴォーカルグループに勝るもの無し! 最近はホワイトドゥーワップもいい感じだねw spaniels,moonglows,辺りが一番deepかな。 でも、doowapも有象無象にいる。 黒白混合とか、kidsグループとかね。 you tubeで検索してると、つくづくそう思う。 DooWopのマニアって日本全国に何人いるんだろうな? 俺の見立てだと300人くらいと予想してるが… 後世に語るべき名曲が無数にあるのに、ただ埋もれて行くのが忍びない まあ、米国人に動画サイトで頑張ってもらうしかなうしか まぁ、俺らがR&B語るって時点であちらからしたら失笑もんだしな 2年ぶりぶりにカキコ DOOWOPのメジャーどころでは、End時代のFlamingosかなあ I know betterとか隠れた名曲多い あとCleftonesとか リードボーカルのメタリックボイスが好きだった マイナーではChartsのDeseries これもいい曲だったなあ しかし、30年前に3万円で買った原盤が、いまネットオークションで1万円ですら売れないという事実にショックを受けた LP1枚30万円くらいになっていれば、と期待していたのに… 90年以降の黒人音楽にR&Bというジャンルが復活したせいで、50年代のR&Bが検索しにくくて叶わんわ 音楽性は全く違うんだけどな 俺が1940年代や1950年代や1960年代のリズム&ブルースを好きになるきっかけになったのは、 洋楽モノマネ芸人のグッチ裕三(ビジーフォーのボーカル)だったな <裕三がきっかけで知ったリズム&ブルース> ザ・プラターズ ザ・ドリフターズ ザ・ライムライツ ジャッキー・ウィルソン フランキー・ライモン&ティーネイジャーズ キャブ・キャロウェイ レイ・チャールズ ジェームス・ブラウン ザ・テンプテーションズ ザ・スタイリスティックス アース・ウィンド&ファイアー read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる