ドラマとしてのテラスハウス
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
台本はないよ、即興劇なんだから。
アレが本当の“演技”
洋さんは、日本を代表する俳優だったよ。 テラスハウス全話見て演技の質を考慮して
最も良い男優は、
○洋さん
○ギルティ侍
最も良い女優は、
○チャイじゃない方の地味なギター女
○夏美 テラスハウス全話見て演技の質を考慮して
最も良いシーンは、
洋さんとチャイじゃない方の地味なギター女 の、鎌倉(おそらく)デートの回
洋さんが女に本当のことを伝えるシーン、
たしかBGMはジャスティンティンバーレイクとJay-Zの曲 カメラが回っているから、即興劇。
登場人物は常にカメラを意識して演技している。
しかし、台本がないから、“リアル”な演技ができる。
登場人物は本当の感情が爆発しそうになると、「カメラがあるのに」と葛藤する。
それはどう表れるかというと、目で瞬間的に、カメラの位置を確認するのだ。
いままで、何度かそういうシーンがあった。
それでも、ダメな俳優はドッキリにあったタレントがカメラ位置を探すような視線を向けるのに対し、
上で挙げたような良い俳優は、困惑の表情でカメラを確認している。 グラドル筧、てっちゃん共に、当時、いわゆるテレビドラマにも平行して出演していた。
興味深いのは、テラスハウスでの素晴らしい演技がそれらで全く見えなかったこと。
(てっちゃんはテラハでも素晴らしいとは言えなかったが)
筧に関しては、ダイキとの絡みで、テラハ史に残る素晴らしい涙を流すシーンを
こなしていたにも関わらず、通常ドラマでは学芸会並であった。
その衝撃的な差こそ、「演技とは何か」の答えなのである。 知り合いがハワイ編に出た
ガチ台本があってビビった 台本はシチュエーションの台本であって、台詞の台本ではないよ。
台詞の台本であんな上手かったら、彼らが日本の映画・テレビを引っ張っていく俳優になっているはず。 テラハは、「困惑」の表現を多く見ることができる優秀な“ドラマ”であった。
僕は、役者の技量を見る時に、「困惑」を重視する。
困惑は、喜怒哀楽 で言えば、哀に属するし、哀が一番演技が難しく、その中でも困惑は特に難しい。
良い役者の良い演技を思い浮かべるときは、まず、困惑の表現が思い浮かぶ。 ドラマのようにもうかるお得情報
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
PP78T ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています