なんか原作の話をするだけで怒る人がいるようですが、このシーンは原作との比較でしか語れないんです。

原作でもドラマでも、すずはどのシーンでも一人だけ事情がわかっておらず、周りから教えられてやっと理解する、というキャラです。
このシーンはその最たるもので、水原が何をしに来たのか、わかってないのはすずだけです。周作はもちろん、原作ではおそらく北條家の他の大人もわかっている。
そして当のすずは、水原が身を求めてきて、初めて彼の目的を理解します。

はっきり言えば、周作はすずの意思も聞かず説明もせず、すずを水原に差し出したという、現代の価値観ではとんでもないシーンです。
しかし当時の価値観ではそれはむしろ「正しい」ことだった。原作でのテーマはそこです。しかしドラマはそこをほぼ完全に回避している。

今回のドラマは、これは周作の屈折と水原の甘えだけが原因で起こったことだと説明しています。だから水原が一生懸命謝るし、すずは「怒ってない」と言います。
しかし原作ではそれらの感情は主因ではありません。彼らは単に「正しい」ことをしただけです。そして すずも遅まきながらそれを理解している。だから原作ではすずだけが必死に謝るんです。
そして原作の水原はそのすずの「普通さ」を見て我に返り、自分がいかに異常な価値観で生きてきたかを思い起こします。ドラマではそのシーンは不要なので、ほぼカットされます。

ということで、原作とドラマは同じシーンでまったく違うものを描いています。そのどちらが良いというものではなく、視聴者が自分の好きな方を選べばいいでしょう。