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【北魏・北斉】北朝総合スレッド2【北周・隋】
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0002世界@名無史さん2010/09/10(金) 19:46:320

            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミΛ川Λ彡 <  索頭
  彡 ´∀`ミ   \_____
0003世界@名無史さん2010/09/10(金) 19:48:190

          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧_∧ < レビラト婚
  ( ´∀`)  \_____
0004世界@名無史さん2010/09/10(金) 19:58:120
    リ__リ
   o\_/o_
  `〈>´ `くノ
 ∩|iiノノ人))
 ((|トゝ゚ヮ゚ノl  < 蘭陵王
 `))/ \`リ|]つ
 ((/ //つ>
  \/とノノ
0005世界@名無史さん2010/09/10(金) 20:12:130
[FAQ]
Q.1
中国史において、北魏の後継国家である隋・唐は、本当は漢民族ではなくて
北魏と同様の鮮卑系王朝であるという話を聞いたのですが、それでは北魏と隋の
間に挟まる北斉や北周はどうなのでしょうか?
北周の宇文氏は鮮卑っぽい名前ですが、北斉の高氏は漢字一字姓からして
漢民族でしょうか?

A.1
鮮卑の流れを汲んでいますよ。
といってもね、鮮卑族を先祖に持つ人々も、大部分は既に漢民族化していた。
であるから、鮮卑系=非漢民族と杓子定規に当てはめようとする考え方はナンセンス。
0006世界@名無史さん2010/09/10(金) 20:13:260
Q.2.
北斉の高氏には鮮卑姓はあるのですか?
隋の楊氏には普六如氏、唐の李氏には大野氏という鮮卑姓があるようですが。

A.2.
北魏・東魏・西魏・・・・・・漢姓:元氏、鮮卑姓:拓跋氏
北斉・・・・・・漢姓:高氏、鮮卑姓:○○氏
北周・・・・・・漢姓:○氏、鮮卑姓:宇文氏
隋・・・・・・漢姓:楊氏、鮮卑姓:普六茹氏
唐・・・・・・漢姓:李氏、鮮卑姓:大野氏

北斉の鮮卑姓と北周の漢姓がわからん。
0007世界@名無史さん2010/09/11(土) 13:56:270
>>3
鮮卑でもレビラト婚をやっていなかった部族がある
0008世界@名無史さん2010/09/11(土) 16:56:48O
<〆`∀´>
0009世界@名無史さん2010/09/11(土) 17:01:430
鮮卑語を忘れて漢化したのはいつの時代?
隋のころ?
0011世界@名無史さん2010/09/11(土) 18:18:010
秦て元々東夷だったんだってね
0012世界@名無史さん2010/09/11(土) 18:57:250
いや西戎。
Wikiの西戎を見ると、チベットビルマ系の秦がチュルク系の犬戎を下して傘下に入れて強大化したという見方ができる。
秦=チュルク系,犬戎=チベットビルマ系と逆転させる見方もあるので、Wikiでは特定完了をしていない。

もとが山海経(西周期)の東夷だとしても、合体前の勢力が両方とも東夷だとはいえない。
秦の穆公のほうをチベットビルマ系の羌と固定すると、動きまわっているのは犬戎の側。
犬戎が山海経の時代にどこに居たか判明しているのだろうか?

この後の時代にあたる南朝(呉・東晋・宋・斉・梁・陳)の『職貢図』にも、旧秦の領域である
陝西省+河南省西部+山西省南部の「諸戎群狄」の地から、朝貢にやってきている様子が見れる。
まだ五胡十六国や南北朝の時代では、北朝ではなく南朝に対して朝貢している勢力があるからだ。

梁の『職貢図』に関しては、故宮博物殷(台北)と国立博物館(北京)に複製が展示してあり解読が進捗している。
この25ヶ国の中にはササン朝ペルシャのように場所が判明している有名なものもあるが、
旧秦領域の国もあるとのこと。突厥チュルク系であるといわれている。
0015世界@名無史さん2010/09/12(日) 17:56:170
遊牧民みたいな騎馬が主力だったのはいつまでだ?隋ぐらいまでか?
0017世界@名無史さん2010/09/12(日) 18:16:340
>>16

当時の中国語の発音にした上で
それが鮮卑語でどんな意味があるか、
ってことだからかなり難しい問題だな。

北斉も北周も結局漢化した鮮卑王朝なんだな。
しかも鮮卑姓に戻したり、北斉後主の宮廷では
鮮卑語が使われたり、どこまで漢化していたのかも怪しい。
0018世界@名無史さん2010/09/12(日) 18:36:210
腐敗堕落を極めた北斉後主と北周宣帝万歳。

こいつらの本紀を読んでいると余りの滅茶苦茶ぶりに
もう笑うしかなくなってくる。
0019世界@名無史さん2010/09/12(日) 18:40:450
煬帝の孫で、一人だけ乳児の時に突厥に逃れて
唐になって入朝した人がいたようだけど、その後どうなったんだろ。
0020世界@名無史さん2010/09/13(月) 01:22:16O
宮廷はともかく、地方に行けば鮮卑色強いのいくらでもいるだろうな。
0021世界@名無史さん2010/09/13(月) 04:09:220
>>15
北魏が柔然を攻めて壊滅させられた時ではないか
0022世界@名無史さん2010/09/13(月) 05:12:300
吐谷渾
0023世界@名無史さん2010/09/13(月) 05:23:300
武川鎮
0024世界@名無史さん2010/09/14(火) 00:15:180
楊堅は司馬炎とよく似ている。
帝位に着くのが簡単だったこと、息子たちがほとんどクズばかりで悲惨な最期を迎えたこと、
すぐに滅んでしまったこと、などなど。
まさに因果応報というやつか。
けれどもはるかに司馬炎よりは有能だった。
0025世界@名無史さん2010/09/14(火) 03:13:490
>>17
北斉・北周の皇族・勲貴の軍人層は辺境にいた人たちが中心だからねえ。
国体は両国とも孝文帝以降の中央集権・官僚制国家(つまり漢族型国家)志向だし、
北周が胡風に戻したといっても、遊牧して部族ごとの国家運営してるわけでもないので。
文化風習は混合が進んじゃってるから、それはもう後退しないわけで、
お上品な(漢族型儀礼至上的な)人たちにしてみれば、眉をひそめまくったのかもしれないけど。
概説書あたりで「漢化」って漠然とした解説してるのも変な誤解を招いてるんだろうな。
0026世界@名無史さん2010/09/18(土) 21:31:500
則天武后は美眉であったとされているが
ttp://cathay.ce.cn/person/200712/18/W020071218383545557711.jpg
当時の流行は太い眉だったようだ
0027世界@名無史さん2010/09/19(日) 12:41:510
ブルック・シールズという女優さんを思い出した。ハァ
0028世界@名無史さん2010/09/19(日) 21:44:540
後の唐でもそうだが、やたら女がでしゃばっているな
それと女の好みが違っているのか、
楊貴妃もグラマーだったそうじゃないか
今の中国でも楊貴妃役の女性はグラマーな人がやるのが相場になっているみたいだが、
何故か、山口百恵、楊貴妃の子孫伝説がもてはやされているww
0030世界@名無史さん2010/09/21(火) 09:06:400
もしサーバが元通りになったらこのスレどうする?
0031世界@名無史さん2010/09/21(火) 13:29:560
則天武后が評価されているのは
女だから好意的に、やさしく評価されているだけなんじゃないの
0032世界@名無史さん2010/09/21(火) 18:38:260
>>31
流石にないない。
「古典的に」なら女が権力握ったてだけで悪女審判が下る。
「現代的に」なら他に「女だから」再評価された人が見当たらん。
武后は科挙の完成に至るまでの先行功労者てのがあるし、
武断的だった唐を安定した方向にシフトした時期の元首ってのもある。
彼女の時代に登用されたような勢力が開元の治を支えたてのも。
宮中では権謀術数を駆使したし、個人的な不品行(後付けかもしらんが)もあるけど、
政治家としては特別に悪い部分も無いわけだ。
0033世界@名無史さん2010/09/21(火) 23:02:580
>>28
清朝ものは田中裕子が出演しているが
北朝や隋唐の有名女性は藤原紀香みたいな人が演じるといいと思う
0034世界@名無史さん2010/09/22(水) 16:01:350
フェミニストが喜びそうなドラマになるだけだ。
0035世界@名無史さん2010/09/22(水) 16:03:450
>>32
武后が男だったら、そういう好意的な
評価もしてもらなかったんじゃないかと思う。
0039世界@名無史さん2010/09/23(木) 10:51:060
柔然、北魏、宋(南朝)とシナが3分されてて、いい時代だ。
西に吐谷渾あり、東に高句麗と日本(倭)がいる。

この3分が安定できてたら面白かったのに。
0041世界@名無史さん2010/09/23(木) 11:45:330
南のオルドスのあたりは今でもモンゴル国じゃないわいな
0042世界@名無史さん2010/09/23(木) 12:05:520
いや、シナというのは言い過ぎたか、スマン。
東アジアといえば良いのか?
でも、アジアって言葉をあまり使いたくないんだよなぁ。
かといって、シナといっちゃうと、
モンゴルを否定することになっちゃうのか。
うーむ、どうすりゃいいんだ。
0043世界@名無史さん2010/09/23(木) 12:10:550
モンゴル、ブリヤート、カルムイク、オイラート
なんか土地に縛られずあちこちにいるし
南のほうもミャオ族があちこちにバラバラ住んでいて
アシアには領土という概念が全然馴染まないんだ
0044世界@名無史さん2010/09/24(金) 18:23:410
>>37
男だったらただの粛清、虐殺好きと
評価されて終わってたと思う。
0045世界@名無史さん2010/09/24(金) 18:26:070
女だったから、
現代の歴史家から
いい政策を見つけてもらって
評価してもらえたんだろう
0046世界@名無史さん2010/09/24(金) 20:31:580
則天皇后をわざわざ本紀に列した劉?らは現代の歴史家ではないわけだが。
旧唐書の
 然猶泛延?議,時禮正人,初雖牝?司晨,終能復子明辟,
 飛語辯元忠之罪,善言慰仁傑之心,尊時憲而抑幸臣,聽忠言而誅酷吏.
 有旨哉,有旨哉!
は簒奪という事実を非難した後で、
それでもなお、欠点と美点が両立したっつう内容ですわな。近代以前に書かれながら。
0047世界@名無史さん2010/09/25(土) 11:33:040
女だから同情するのはドラマをつくるやつらだろう。
0048世界@名無史さん2010/09/25(土) 11:34:290
そういえば、ソクテンを引き合いに出して

「女は男より優れているんだ」とかいっているフェミっぽいのがいたな
0049世界@名無史さん2010/09/26(日) 20:34:140
則天武后って自分が権力握りたかっただけで
別に「女性解放」めいたことなんて殆どやってないよな。

亡き母親のための服喪期間を父親のそれと同じにしたくらいか?
0050世界@名無史さん2010/09/27(月) 01:27:200
武則天は『古今内範』とか『列女伝』とか作らせてる。
残ってないから中身が分からないけど、たぶん現代視点から見たら相当反フェミだと思う。
0051世界@名無史さん2010/09/27(月) 16:11:330
田島のようなフェミニストってつまるところ
女がえらくて優秀だと思っていたい連中のことだろ。

『古今内範』とか『列女伝』

なんか喜びそうだ。フェミ
0052シナ@名無史さん2010/09/29(水) 13:41:070
11日前、霊能力者が集まって、●●●が●●ように超能力を用いる集まりがあった。
半年以内に事件が起こるかどうかで、超能力の効果を判定する予定だそうです。

同様なことを何度もやって、有効性を確かめる予定だと…

0053世界@名無史さん2010/09/30(木) 23:30:530
「古今内範」という字面からフェミニズムが想起されるくらい
漢字に慣れてないんだから無理すんなという
0054世界@名無史さん2010/10/01(金) 18:06:250
ぶっちゃけ則天武后が持ち上げられたのは
時期的に文化大革命にあたっていて
江青を「前例」を引いて持ち上げようとしたためでしょ。
0055世界@名無史さん2010/10/01(金) 18:18:390
そもそも1000年以上
「則天武后」と呼ばれていた人物を
「差別だ。武則天と呼べ」とかなんかおかしくない?
0056132010/10/01(金) 21:03:400
>>14は自分で直接古典を読んだことのない初心者。
0058世界@名無史さん2010/10/01(金) 21:54:440
>>57

なんで字が「黒獺」=「黒いカワウソ」なの?
カワウソって鮮卑族でめでたい動物だとかそういう意味でもあるんだろうか。
0059世界@名無史さん2010/10/01(金) 23:30:480
列女伝(烈女ではないw)って則天武后が作らせたの?漢代にすでに
なかったっけ。
0060世界@名無史さん2010/10/03(日) 00:24:100
>>55
いままでイデオロギーに糊塗されて見えなかった実態をわかりやすくしただけでしょ
おかしくもなんともない
0062世界@名無史さん2010/10/03(日) 00:59:410
>>59
劉向の『列女伝』とは別物だよ。
武后『列女伝』100巻は現存していない。
『新唐書』巻58芸文志2を見よ。
0063世界@名無史さん2010/10/03(日) 01:09:180
春秋左伝の孟姜女とかは民間伝承を集めたものだ
0065世界@名無史さん2010/10/16(土) 19:46:050
Wikipedia『李淵』
>実際は鮮卑系の出身で、本来の姓は大野氏であり、中原の支配権を正当化
>するために、自分は漢民族の先祖を持っていると主張した。

鮮卑、大野は賜姓でなく本姓...
確定事項のように書かれているが、
これっていつ確証が得られたんだ?
0066世界@名無史さん2010/10/17(日) 22:48:430
>>58
>なんで字が「黒獺」=「黒いカワウソ」なの?
「賀六渾」と同じで、鮮卑語に漢字当てはめただけでは?

>>65
>これっていつ確証が得られたんだ?
確証はないでしょ。
想像は想像であると見抜ける人でないと(Wikiを使うのは)難しい。
0067世界@名無史さん2010/10/17(日) 22:55:030
>>62そういえばそんなのを聞いたことがあるね。ところで則天武后は
世界最初のフェミニスト?
0068世界@名無史さん2010/10/17(日) 22:57:350
呂雉さんをお忘れですか?
0070世界@名無史さん2010/10/19(火) 23:33:490
>>65>>69
あと、Wikiの“唐”の項、
>鮮卑系の関隴集団(=武川鎮軍閥)に属する趙郡の李氏が、
>唐朝の出自であることを論証し、やはり定説となった。
趙郡李氏が鮮卑であると読み違えさせようと言う魂胆見え見えの
非常に欺瞞に満ちた文だ。
0071世界@名無史さん2010/10/20(水) 00:19:220
いやー北朝スレ的には鮮卑のほうがプラス価値です
0072世界@名無史さん2010/10/20(水) 00:25:290
Wikiの"Emperor Gaozu of Tang"って、"Xianbei"カテゴリになっているね
0073世界@名無史さん2010/10/20(水) 21:15:280
>>71
だから〜、本人が二流の漢族だってんのに「いやいや、あなた様は
陰山の貴種ですよ」ってヨイショする理由は何なのよ?
>>Wikiで情報操作してる香具師ら
0074世界@名無史さん2010/10/20(水) 22:58:480
>>73
ヨイショしてんじゃなくて、どっかで聞き知ったようなのが
知識自慢してるだけなんじゃねーの?
「お前ら知らないだろー。李氏って鮮卑なんだぜー」みたいな。
大野氏自体、唐李氏以外にも見られるものの、
北魏崩壊以後にぽろぽろ出てくるくらいだしなー。
0075世界@名無史さん2010/10/23(土) 01:42:060
皇帝自身が帰属民族論争でブチ切れってあたりが
民族論争好きな連中の心を最高に擽るのかもしれんのう
0076世界@名無史さん2010/10/23(土) 19:21:290
北魏は黄帝の末裔が胡人になった、それが魏の王室だと主張していた。
0077世界@名無史さん2010/10/30(土) 23:53:560
最近、心の底から大笑いしてますか?  縄文・弥生土器でした(爆






◆江南中国土器の様々な器形 (6000年前の河姆渡文化後期の江南土器)

鼎のオンパレード。鼎の初期器形の釜形鼎、日本には弥生末まで無い蓋に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=5
水差しのオンパレード。盉(カ)、簋(サン)、長頸壺、鳥型の三足土器の鬹(キ)。単耳、把手、圏足に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=4
日本には弥生末まで無い蓋、器座という器台。使用目的さえ分からない支架。甑の双耳に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=3
日本には無い器種、盂のオンパレード。日本には弥生末まで無い蓋。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=2







0078世界@名無史さん2010/10/31(日) 21:57:150
前秦の符堅が統一に成功していたら、
中国の中華思想はもう少しマシなものになっていたかなぁ
0079世界@名無史さん2010/10/31(日) 22:11:260
なんかなー 氐族は思想がユルユルだからダメだわ。
ぐにゃぐにゃのウナギみたいな民族が支配者になったら
変な神仙思想に凝りだして、タオイズムでグダグダになりそう。

もう土家族の服装みてればわかるわ。
全然緊張感がないというか、身体のラインがごまかせて楽よね。
頭が禿げてもターバン巻くから関係ないし。
ttp://www.hongxiao.com/dy/Article/UploadFiles/200509/20050914003520944.gif
0080世界@名無史さん2010/11/01(月) 00:47:350
北朝側から見ると、南朝の魔術師こと陳慶之の北伐ってどんな印象?
0081世界@名無史さん2010/11/01(月) 01:04:210
北魏としては、何とかして帰順させたいところだね。
劉裕は野心家だったので、後に東晋の恭帝に禅譲させることになり
これを帰順させてもどう扱っていいのかわからぬ。
0082世界@名無史さん2010/11/02(火) 12:08:390
田中芳樹がやたらとマンセーしていたのを覚えている>陳慶之

しかし、わずか七千の兵で数十万の北魏軍に勝ったて本当?
0083世界@名無史さん2010/11/02(火) 14:15:530
趙宋の岳飛に隠れて知名度が低かっただけであろう
0084世界@名無史さん2010/11/02(火) 14:27:170
陳慶之は無事任務を果たして帰還。その後天寿をまっとう
それに反して岳飛は殺されて悲劇の英雄扱い。
そこも大きいと思う。
0085世界@名無史さん2010/11/02(火) 14:31:310
陳慶之の最後の戦争は
洪水に呑まれて命からがらの帰還であった
0086世界@名無史さん2010/11/02(火) 14:53:430
陳慶之は史料が少なすぎて困る。
梁書を含めた南北朝の正史も邦訳が無いし
0087世界@名無史さん2010/11/02(火) 15:10:440
「梁書」は>>12の職貢図ような時代を扱っている。
北朝好きにとっても興味深い史料である。
唯識仏教が北朝に伝わる過程でも、梁の真諦の翻訳本が
介在しているため、非常に関心が高いはずである。
0088世界@名無史さん2010/11/02(火) 15:38:380
侯景の乱始末記が2011年前半期に講談社学術文庫から出る



と、信じている。
0089世界@名無史さん2010/11/02(火) 18:14:070
>>82
数十万の北魏軍というか北魏は事実上崩壊していて
実質的には爾朱栄軍閥が相手。数字には例のごとく絶対的な信用は置かない。
爾朱栄も北魏の旧領に支配権を確立していたわけではなどころか、
各地の政情は不安定で、関中では万俟醜奴や蕭宝寅が叛乱中。
葛栄は一応片付いてたくらいだっけか?
強大な拓跋帝国相手に大勝利したような論調を見るとどうかと思う。

一方、この頃の梁の武帝は北魏にちょっかい出しかけては手を引っ込める
というのを繰り返しており、派遣する軍事力も何を考えてかわからんような
小規模なのというのも多い。蕭綜を派遣したときのようなやる気は全然感じられず。
そんないい加減な状況下で勝ちまくった陳慶之は確かにもの凄い。

でも、最後は順当に総力で反撃してきた爾朱栄に叩き潰されであり、
そうなる前に元とお互い見限りあって脱出した陳慶之も命からがらにて。

というイメージ。
0090世界@名無史さん2010/11/02(火) 18:26:330
氐系・羌系のビーバー民族にダム決壊をやられて
長江水攻めにあい陳慶之は命からがら・・・とみると辻褄があったりして
0091びじゅある化2010/11/02(火) 22:14:150
       胡族をなめるなw
  ∧_∧              ∧_∧
 ( ´∀`) 都江堰       (´∀` ) 巫山溝
 (    )  開くぞ        (    ) 開けるぞ
  | | |              | | |
   (__)_)           (_(__)

      ∩  ∩_∩∩ウキ
       \(゜□ °)|  ウキー
        \h⌒\ \   ウキ
     ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
       ̄  ̄ ↑⌒ ̄⌒⌒
        陳慶之
0092世界@名無史さん2010/11/02(火) 22:31:410
陳慶之は北魏の六鎮の乱のどさくさに洛陽をかすめ取ったってとこだろ。
それでも大した将軍ではあるけどな。
0093世界@名無史さん2010/11/12(金) 20:51:040
陳慶之が生きていれば宇宙大将軍に勝てただろうか
0094世界@名無史さん2010/11/12(金) 23:10:130
仮に宇宙大将軍に勝ったとしても、
蕭衍が死んでしまえば南朝の定番イベント、粛正・内戦が始まるという。
0095世界@名無史さん2010/11/13(土) 00:26:400
ん?陳慶之は侯景と戦っているだろ。
536年。
このときは慶之が勝ってる。
0096世界@名無史さん2010/11/15(月) 21:18:160
北斉の皇帝はやばいやつ多いけど それ以上に北周の宣帝むごいなあともう少しで統一できたのに
0097世界@名無史さん2010/11/17(水) 14:40:140
我大魏之興,コ配二儀,與造化並立。夏、殷以前,功業尚矣,周、秦以來,赫赫堂堂,垂耀先代。
逮我烈祖,重之聖明,應運龍飛,廓清燕、趙。聖朝承王業之資,奮神武之略,遠定三秦,西及蔥嶺,東平遼碣,海隅服從,北暨鐘山,萬國納貢,威風所扇,想彼朝野,備聞威コ。
東夷速やかに我が聖朝に跪くがよい( ´∀`)
0098世界@名無史さん2010/11/17(水) 20:42:090
東夷は狂夷百済と密通しあわれ島夷に屈膝遜言、唯諂媚追従を事とするも一旦白江に尸を列ねれば終に我が天威に懾伏す
0099世界@名無史さん2010/11/17(水) 22:43:560
>>97>>98
索虜宜しく陰山の麓に踵を反し群羊を牧すべし。
華夏、いずくんぞ汝曹の穢臭に堪ふるを得んや。
0100世界@名無史さん2010/11/18(木) 00:52:570
   〜¶
   ∧⌒∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ノ ( ´∀`)< ・・・・・・
 §(|#◎#|)  \______
  //|||||||||)
  (__)_)
0102世界@名無史さん2010/11/20(土) 15:47:490
東夷既に歸化の念有れば、乃ち字を讀むにも島夷の俚聲を痛愧し、朝野こぞりて我が中國の雅音を用じて千載改易すること無し
0103世界@名無史さん2010/11/22(月) 01:57:590
島夷俛首して請朔し、東夷蹶角して受化す
0104世界@名無史さん2010/11/25(木) 15:31:190
先生!どんなに必死に装っても、自分が抹消したヤツらの文章をうまくマネできないので索頭知識人が総ブチ切れたそうです!

  ∧_∧              ∧_∧
 ( ´∀`) 古文運動!      (´∀` ) 八代の衰を
 (    )             (    )起す! 
  | | |              | | |
   (__)_)           (_(__)
0106世界@名無史さん2010/12/01(水) 15:18:240
南北朝時代って、南北2つの王朝が睨み合ってるイメージが有るけど、ヘタな乱世よりgdgdかも知れん。
北朝は東西に分裂するし、南朝は何度も反乱が起こるし(侯景の乱...etc)
0107世界@名無史さん2010/12/01(水) 15:33:450
まぁ、南北朝って五胡十六国の延長線上に有るからね。
五胡十六国だって、一度は前秦が華北を統一してるし(その後に分裂)、
南北朝も、北魏が華北を統一した後、東西に割れてるし。
だから、実際に五胡十六国とあんまり変わらない
0108世界@名無史さん2010/12/01(水) 23:37:230
大雑把に
北魏がまともに支配出来てたのは平城周辺・河北・黄河下流域と後漢代の司隷相当地域
南朝がまともに支配出来てたのは揚州北半分と長江・湘水中〜下流域
で、後は係争地化していったか現地社会を植民地的に支配するしか出来てないって感じだしね。
歴史地図の色分け見ると二大国だけで睨み合ってたように見えちゃうけど。
0109世界@名無史さん2010/12/02(木) 04:59:350
>>105
西魏のほうは軍隊の元になる鮮卑族も少なくて国力が一番劣るから、効率的な軍
事制度を追求して府兵制なんかで、結局他の2国より無駄のない国家体制作れた
からな。
梁は武帝の治世が長すぎて軍隊の統一感がなくなってたし、東魏は色んな勢力で
gdgdになったしな。経済力なら西魏を圧倒してたんだが。
0111世界@名無史さん2010/12/11(土) 23:34:580
北斉って初代からして狂人なのに
なんで簒奪なんて出来たんだろう。
実力ある人間が往々にして狂人なのは分かるけど。

東魏の孝静帝のほうがはるかにましな人間じゃないか。
0112世界@名無史さん2010/12/11(土) 23:41:550
魏書って北斉統治下に書かれた正史なのに
孝静帝の崩御については
「酖に遭ひて崩ず」=毒殺された
とはっきり記しているんだよな・・・。

なんでこんなこと書けたんだろ。
或いは「魏室復興など考えるなよ」
と恐怖感を与えるためにわざと書いたんだろうか?
0113世界@名無史さん2010/12/11(土) 23:48:320
隋書では恭帝の崩御について「崩」としか記していない。
まだ少年だったこと、禅譲後すぐだったことから
どう見ても殺害されたとしか思えないけどね。
0114世界@名無史さん2010/12/15(水) 00:36:510
楊貴妃はなぜ南寧からライチーを取り寄せたのでしょうか?
西安や成都のキウイフルーツのほうが美味だと思うのですが。
0116世界@名無史さん2010/12/15(水) 02:46:030
嶺南地方ではなく、涪陵郡=重慶市から運ばせたという異説もある。
0118世界@名無史さん2010/12/28(火) 09:50:490
鮮卑の漢化を考える上で、近現代における、カザフ人を思うと、考えさせられるところ大。
鮮卑、カザフ人、いずれも、アルタイ系の遊牧主体の生業集団。農耕生業集団が生んだ
文明都市に移住定住して、その文化、言語、制度を身につけ、都市文明的なものと
同化する志向と同時に自らのルーツに回帰する傾向も併せ持つところが、時代を超えて同じだよね。
完全にロシア語化したカザフでカザフ語普及を推進するナザルバエフなんて
北魏における孝文帝そのものだしね。
0119世界@名無史さん2011/02/02(水) 22:33:220
age
0120世界@名無史さん2011/03/09(水) 20:15:19.600
>>105
西魏の漢中・四川の征服をとりあげて、西魏の強大化を考察した論文があったはず
著者と題名は忘れた

>>118
なんで民族回帰主義が孝文帝?
0121世界@名無史さん2011/04/10(日) 13:08:25.350
あげ
0123世界@名無史さん2011/05/27(金) 21:45:29.710
帝国書院の詳説世界史Bには普通に隋唐は鮮卑系のタクバツ国家と書かれてるんだがw
シナ人は事実を突き付けられて発狂wwww
0125世界@名無史さん2011/05/27(金) 21:48:49.410
北部シナ人は、ペンネームで慕容とか大野って胡族の氏族名を使うものだから
あんまり動じないと思うよ。
0126世界@名無史さん2011/05/28(土) 00:55:58.530
http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f620.html
これを見ると
拓跋国家⇒
「北魏以来の北朝から、隋・唐にいたる一連の王朝のこと。支配層には拓跋氏出身者が多く、国家の仕組みにも共通点が多かったことからの呼称。」
となっているらしい。隋唐帝室の家系問題(いまいち出自がはっきりしない)から逃げをうてる定義ではあるか?
0128世界@名無史さん2011/05/28(土) 13:38:59.320
>>127は祖籍は、北魏の領域=5世紀河北省(邢国,趙国)だといっている。
陳寅恪に協力した政治家は、蒙古族かダウール族っぽい。
鮮卑であっても、時期的にはあっている。
0133世界@名無史さん2011/05/29(日) 01:10:03.820
趙郡李氏=姫姓華夏(古代漢族)でよろしいか?
まさか、趙郡李氏=姜姓胡族?
0134世界@名無史さん2011/05/29(日) 11:45:04.000
姫姓華夏だの姜姓胡族だの何言ってんのか分からないけど、
趙郡李氏ってのは趙の李牧を祖とする隴西李氏の別れ。
鮮卑族が地球上に出現する以前から続いている。
0135世界@名無史さん2011/05/29(日) 12:20:49.430
ほれ、百家姓李氏の部(隴西李氏)を提示しないと、全然わからんだろ

http://big5.huaxia.com/zt/zhwh/10-065/2169016.html
老子李耳、李廣、隴西李氏などが古くから出てくる李氏

0136世界@名無史さん2011/05/29(日) 16:39:59.540
家系偽装したやつらはみんな姫姓○氏になっているw
0137世界@名無史さん2011/07/07(木) 11:51:23.750
>>127-136の流れがわからん
0138世界@名無史さん2011/11/09(水) 22:02:20.520
要するに唐が鮮卑で無いと言いたい訳ね
0139世界@名無史さん2011/11/11(金) 04:29:58.92O
質問
隋唐は漢化したトルコ人がたてた王朝ってことでいいですか?
0140世界@名無史さん2011/11/11(金) 21:46:27.710
そもそも漢化した鮮卑なのか鮮卑や匈奴と縁の深い漢人なのかよくわからん
上に匈奴はテュルク系なのかモンゴル系(当時で言えば東胡系)なのかその他
なのかよくわからず、鮮卑はおそらくモンゴル系、五胡でその他は羯は匈奴系、
羌はチベット系、テイも多分チベット系

これではテュルク系(当時は丁零・高車・突厥・鉄勒とか)の可能性は相当低い
んじゃないかなあ?
0141世界@名無史さん2011/11/12(土) 00:42:00.380
>>139
慕容鮮卑は、大興安嶺の鮮卑山にいた。これが鮮卑のスタメン。
200年ぐらい後に興るのが、拓跋鮮卑。
おそらく中心部族はモンゴル系だが、大興安嶺という地点からすると
現在の住民は、ダフール族。
ダフール族は、古い契丹の単語が残った言語を使うので
モンゴル系といえども、契丹と関連が深いのかもしれぬ。
0142世界@名無史さん2011/11/12(土) 02:13:22.290
日本語で読める南北朝時代の皇帝列伝みたいなものはないですか?
読み物としてなかなかシュールで面白そうだ。
個人的には南朝宋の孝武帝・明帝兄弟、北魏文成帝、北斉の甥殺し3兄弟、
ともに14歳で子供を作った北斉後主と北周宣帝の甲乙つけ難い2馬鹿に興味がある。
0143世界@名無史さん2011/11/12(土) 13:14:02.710
>>142
あるといえばあるんだが、
歴史上の人物を馬鹿にしたいだけの人間に薦めるものはないかな

どうしようもない人物群であることは否定できないけど
こういう態度を隠さない人が少し増えているのが個人的に悲しい
0144世界@名無史さん2011/11/13(日) 22:55:58.910
別にいいんじゃないか?
実際嘲笑、侮蔑されて然るべき連中、
他人を平然と殺し虐げて快楽の限りを尽くした連中なんだし。
北斉後主だの北周宣帝だのは。
0145世界@名無史さん2011/12/11(日) 21:03:33.430
>>142
他はともかく14才で子供って当時でも悪いことなの?
0146世界@名無史さん2011/12/16(金) 04:16:44.010
孝文帝の漢化はなぜ言葉や服装を禁止するまでに徹底してたの?
0147世界@名無史さん2011/12/16(金) 20:11:35.550
前秦の氐、後秦の羌、乞伏・禿髪・宇文・募容・段など
いっぱい胡族のバリエーションがおったから、
とりあえず、みんなで洛陽の言葉と服装を真似て、意志疎通しましょうっていうこと。

対外的には、いつまでも胡族の格好していたら、
西晋を乗っ取ったみたいに思われるのも落ち着かないし。
0148世界@名無史さん2011/12/17(土) 03:17:50.120
つまり全て政治的な理由だったと?
0150世界@名無史さん2011/12/19(月) 05:42:21.510
      /    `゙>--;‐'''´     ゙ヽ          /ノノ/iリソ、:、/ノノ、))、゙:、゙:、ヾ、
      ,!     ,,-'-‐''‐;‐─--.....  ノ          /"彡ソノノノ゙):ノメ川ノ))(ヾ゙:、:、ミミ、
    .ノ    ,r'⌒ヽ、 ./      `゙゙`<⌒i       /ノノノ彡((' ゙ソ/ヾ;!ヾ((ヾ))ヾミミミヾ、 
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   ./   ./        |    /    /   i゙i .  r'彡三ミミ彡ソ_;;'';;;;;;;_、))゙ノ_;;;;;))》》ミ三ミソヾ
  (   i'      /⌒:、  /!   ./   ! |  (("《'r彡川リソ:;;=t_テz゙;i'.`i';zt.テ=、゙))ミヾ)ノ)):、
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.  |  `<´!     |ヽ、/'⌒`ノ_../   / i! .  ゞヾ((ミ彡|     ;;r'  :、:、    `iノノ))彡《
  |   .゙i      |、_/   r‐-ヽ /  /^iノ !    》》ミミ彡;;!.    /(,r、__.ノ、.)、   |((ミミミミ》
.  !   |.     |、゙i   i'::::::::::i!/,;-,‐'/⌒!彡.  《《ミ彡ミヽ_|   i′ _..__;.._  ゙i! . ,!)))彡ミ))
  |    :、     .| `!  |::::::::::i!" / /::::://     )))ノノ;;彡i.l. i! i!.ー=ニニニ=‐'ノ / ./|彡ミヾミ((
.  .!    .ヽ,-─-゙ー゙─,-゙、::::;;i!..._/_/::;;/'/、.   ((((ノミ彡| .゙:、  ゙  `''ー‐''´ ,;' / .!ミ彡ミ彡))、
.  |     i′     (   ̄´、 __) ̄    i ..   ))))彡ノ|  ゙:、        /  |ノノ彡ミ゙:彡))
. /      ヽ、     `ー、、_..__  ,ノ  /   (((((彡ミ!.   ゙ヽ、_    _/  ((゙)ノゞ彡((
. /       /`ー- ..__   ヽヽ-'/ ̄_,,;-''´     ))))ノ/|   ゙::::、  ̄ ̄     :|\ミ∬'ソノ、ゞ
/       /      `'''ー-、`ー'_ノ';"、\     _,;-"‐'´:、 i    ゙:::..   ..:::;'    ' ノ`''ー- 、
          漢族                           胡族
0151世界@名無史さん2011/12/19(月) 07:51:28.150
            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミΛ川Λ彡 <  索頭
  彡 ´∀`ミ   \_____
0152世界@名無史さん2011/12/20(火) 14:46:33.610
南北朝の時代よりも少し前のことなんだけど
前秦の符堅なんか、人類みな平等的な価値観をもっていたのだろう
かと思うと、異民族はみんなぶっ殺せ的なことをしたをした人もいたし
あのあたりの思想的背景というのがいまいち記録に残っていないのだよな
後の中華思想だと、人類皆平等的な価値観にしろ、ナチス的に異民族
ぶっ殺せ的な価値観にしろ残す価値がないと判断されたのかね
唐の太宗あたりが、そういった記録を消し去ったのかね
あの人、自分の先祖を検索されるのを嫌がったそうだから
0153世界@名無史さん2011/12/20(火) 19:51:13.450
0154世界@名無史さん2011/12/20(火) 19:52:37.790
孝文帝も、胡越みな兄弟のように親しむべし、って言ってるしね
この人は中国文化マニアでもあったんだろうけど
0156世界@名無史さん2012/01/01(日) 22:01:31.970
北魏の太武帝は南征した時に、宋軍を大破した後、何故長江を渡らずに
引き返したんだ?
0157世界@名無史さん2012/01/02(月) 12:57:27.980
>>156
病気でも流行ったのないの?
昔は北部の中国人は、南にわたるとすぐに病気になって
死んでいたから
それに北部の人と食べるものが違うから、
食べ物がないといって引き返したというのもある
0158世界@名無史さん2012/01/02(月) 23:00:45.500
>>156
そのまま長江を渡っていれば恐らく宋は滅んでいただろうね
0159世界@名無史さん2012/01/03(火) 02:39:48.660
留守の間の朝野で何か気になる事があったとか
太子晃が怪しい?
0160世界@名無史さん2012/01/03(火) 04:43:10.050
内部に沢山の爆弾抱えていて、外征で勝っても安心できなかったって所だろう。
洛陽遷都も半ば強引にやってますし。
0162世界@名無史さん2012/01/04(水) 01:29:54.560
符堅の時と違って、軍事的には完全に優勢だったから戦えば勝ってたとは
思うけどね。
0163世界@名無史さん2012/01/04(水) 14:12:21.580
太子が謀反を起こしたんで帰還した、って史料があるらしいね。
通鑑なんかでは否定されてるらしいけど。
0166世界@名無史さん2012/01/12(木) 09:30:19.980
北魏が北朝と認識されたのはいつ頃?
孝文帝あたり?
0167世界@名無史さん2012/01/13(金) 01:47:25.36i
太武帝末期
0168世界@名無史さん2012/01/13(金) 23:03:52.14O
北魏と奈良の平城京って関係あるの?
0169世界@名無史さん2012/01/14(土) 00:22:56.480
>>168
そうだな京の平安京での貴族文化と、平泉の地方豪族文化程度に関連はある。
鎌倉時代は地方に文化が流れ出した時代。随唐も再び中国産(かなり中近東風味だが)の文化を周辺に流し出した時代
銀が随唐へ戻り始めたと、京都の大学のエライおっさんが本で書いてた
0170世界@名無史さん2012/01/14(土) 09:25:10.48O
天平も北魏の元号でしょ。
0171世界@名無史さん2012/01/14(土) 17:05:50.410
江戸時代に「天保」の元号を使ったのが分からん。
中国史上最悪最低レベルの文宣帝の元号なのに
誰か指摘する公家はいなかったのか。

江戸時代は博識な学者や武士も多かったから
影で「なんて元号・・・」って呆れられていただろうな。
0172世界@名無史さん2012/01/14(土) 23:57:02.680
元号を決める際、他国の元号や歴史を考慮せにゃならんのかい?
0173世界@名無しさん2012/01/15(日) 00:58:34.120
いや、まあ、日本の元号は古典漢籍から取っているわけだが、
文宣帝が史上最悪最低とかいうほどの認識は無いし、
そもそも気にするにはマイナーすぎるしな。
天智天皇の諡号が紂王の天智玉から来てて天武天皇の嫌がらせ説もあるわけだが、
つまり紂王くらい悪名高くないと気にされないとでも思っておこう
01741732012/01/15(日) 04:35:56.850
ごめん、天武天皇の嫌がらせではなかった。訂正する
0176世界@名無史さん2012/01/17(火) 20:13:41.430
>>172
考慮するんだが。後醍醐天皇の「建武」は光武帝の元号だし
唐の太宗に倣った「貞観」とかも。

そういう「佳例」でない場合は出来るだけ重複しないようにするし。
0178世界@名無史さん2012/01/21(土) 12:02:05.550
>>176
>出来るだけ重複しないようにするし
中国国内だけで既にダブりまくってんだが。
日本だけが他所のことビクビク気にしてるってことかい?
0179世界@名無史さん2012/01/22(日) 19:09:32.260
>>178
現に気にしているんだから仕方ないだろ。
森鴎外も「大正」の元号について既に先例があると
「今の漢学者の無知」を嘆いているくらいだし。
0181世界@名無史さん2012/01/25(水) 11:00:57.970
北斉のキチガイっぷりが目に付くよな
殺された皇太子だってどうなってたかわからん
0182世界@名無史さん2012/01/25(水) 15:01:54.13O
北魏の簡閔帝はちょっと聡明っぽかったけど、あのレベルじゃ北魏を止められなかったんだろうね
0183世界@名無史さん2012/01/25(水) 18:01:23.730
>>182
あの時点で北魏というか拓跋氏の朝廷は実質的に消滅してるからなあ
0184世界@名無史さん2012/01/26(木) 02:28:26.110
>>182
「北魏の簡閔帝」って、節閔帝のことか?
爾朱世隆に擁立された実質の爾朱政権で、
高歓の信都起義以降は元朗との二帝並立。
韓陵で爾朱氏が敗れると爾朱氏と一緒に排除されちゃったからな。
皇帝個人の資質ではどうにもならんだろ。

>>183
魯郡王元肅が太師、沛郡王元欣が太傅・司州牧、趙郡王元ェが司空と、
ある意味では「拓跋氏の朝廷」だがなw。
0185世界@名無史さん2012/01/27(金) 21:05:07.870
>>179
>「大正」の元号について既に先例がある
さすが森林太郎、漢学者も裸足だな。
で、「大正」ってのは何王朝の誰の元号だい?
0186世界@名無史さん2012/01/27(金) 23:58:43.300
俺は179ではないが、ベトナム莫朝の太宗莫登エイの元号だろ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3_(%E8%8E%AB%E6%9C%9D)
0187世界@名無史さん2012/01/28(土) 11:51:50.360
>>186
tks
でも>>179は「漢学者の無知」を嘆いたって言ってるんだぜ。
だとすると、漢学者は越南始め地球上で使われたあらゆる元号を熟知して
勘申すべき、出来なければ無知ってことになるな。
0188世界@名無史さん2012/01/28(土) 19:03:18.74O
元号自体が中華の作成物だからあながち間違いでもない
0189世界@名無史さん2012/01/28(土) 22:07:48.180
>>187
>だとすると、漢学者は越南始め地球上で使われたあらゆる元号を熟知して
>勘申すべき、出来なければ無知ってことになるな。

そういうことです

森鴎外の賀古鶴所への手紙
「明治は支那の大理と云ふ国の年号にあり、尤これは一作明統とあるゆゑ
明治ではなかったかも知れず、大正は安南人の立てた越といふ国の年号にあり
(中略)不調べの至と存候」
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/inosenaoki02.pdf

一木喜徳郎宮内大臣が挙げた元号の条件
・元号は、本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾などの年号、
 その帝王、后妃、人臣の謚号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
・元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
・元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
・元号は、呼称上、音階調和を要すべきこと。
・元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
http://www.asahi-net.or.jp/~mi6m-frym/gengou/gengou_5.htm
0190世界@名無史さん2012/01/30(月) 21:28:04.350
【日朝】日本人妻などの帰国支援団体設立「一番悲惨な人たちは北朝鮮の残留邦人、数は分からない、すごい数です」[01/30]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1327922764/
0191世界@名無史さん2012/02/07(火) 09:07:29.250
>>181
蘭陵王も仮に即位してたら、ろくでもない暴君になってたんだろうな
0192世界@名無史さん2012/03/07(水) 00:20:31.450
亡弟は暴君だけど斛律光を初めとして名将は多い
0193世界@名無史さん2012/03/10(土) 21:49:33.090
ガイエの蘭陵王読んだ。期待してなかったけど面白かった。
0194世界@名無史さん2012/04/01(日) 17:00:21.520
北魏の最初の頃の皇帝は暗殺されたのが多かったな
0195世界@名無史さん2012/04/01(日) 19:58:45.290
>>194
最初の頃どころか末年に至るまで
0196世界@名無史さん2012/04/02(月) 07:26:27.81O
北魏から隋まで殺されずに生涯を全うできた皇帝ってあんまりいないな。
0197世界@名無史さん2012/04/02(月) 17:58:40.600
あれだな、数ある貴族の中で上手くやった一つの貴族が皇帝だから、
別段皇帝だからエライという感覚というか、そういう背景が無い。(皇帝は別格という考え方が浸透していない)
随唐の楊氏と李氏は、武川鎮内の家格の点から言えば、李氏が上で、楊氏はやや低い。
北周での李氏は八柱国の中の一家、揚氏は十二大将軍の中の一家で、その差はあまりにも大きい
随の崩壊が意外と早く脆かったのと煬帝が一番押さえるべき長安を捨て揚州に下るを得なかったのも
家格の低さと先代からの譜代の家臣の少なさがあると思う、わざわざ親衛隊を作ってその親衛隊から殺されて
その理由が親衛隊の家族が長安に居るから、気になる帰りたいじゃ、揚氏もその程度だったわけで。

似た例は、王を廃してただ皇帝のみという新しい位を作って収まった秦王政がいい例かな。
滅ぼされた遺民にとっても、一般の人にとっても「皇帝」って言われてもぴんとこなかったしな。
0198世界@名無史さん2012/04/02(月) 20:02:10.870
>>197
特に異を唱えるわけではないんだが、
隋唐期における柱国家や大将軍家の家格と
それとは別に実力や社交的な影響力ってどんなもんかな、という疑問を持ってる。
隋代に入るような頃には少なくとも元氏、宇文氏、趙氏に再起の目はないだろうし。
0199世界@名無史さん2012/04/02(月) 23:05:43.660
そうかもなあ。
しかしいずれにせよこの時代は面白い
0200世界@名無史さん2012/04/04(水) 10:40:57.26O
傍から見る分には面白いがその時代を生きた人々の大多数にとっては堪ったもんじゃなかったろうな。
0201世界@名無史さん2012/04/06(金) 00:49:08.560
北魏って世代交代の速さもすごい。
みんな12歳から14歳ぐらいで子供を作ってるじゃないか。
0202世界@名無史さん2012/04/10(火) 21:24:38.280
>>196
楊堅は北周の皇族は皆殺しにしたのに、陳の後主はなんで殺されずにすんだんだろうな。
後主の保身だとしたら実は切れ者だったんじゃないかと思う。
0203世界@名無史さん2012/04/10(火) 22:31:54.800
>>202
生かしておいても無害だったからでしょ。
三国の蜀の後主も同様。
0204世界@名無史さん2012/04/11(水) 09:18:56.150
同様に傀儡国家の西梁の蕭氏も殺されていないから
南朝の人間には総じて甘いな。
0205世界@名無史さん2012/04/11(水) 13:08:30.94O
甘い(笑)のは一握りの高級漢狗にだけだろう。つ江陵
0206世界@名無史さん2012/04/27(金) 17:57:29.840
>>201
その分やたら短命だな
0208世界@名無史さん2012/05/09(水) 06:46:46.570
だいたい12歳〜15歳ぐらいで子供を作り、20歳前には戦場で活躍、そうでないやつは殺される。
暗殺されない英主でも30過ぎで死ぬ。
漢文の熟語なら、典型的な“早発早廃”ってやつだ。

こんな感じなのに150年前後とはよく持った王朝ではないか。
0209世界@名無史さん2012/05/09(水) 15:17:47.990
>>208
鎌倉幕府と同じくらいだな。鎌倉幕府と同様に、将軍が痛くてもお飾りでも幼少でも、
執権がそれなりで、もたせたようなものだろうか。
0210世界@名無史さん2012/05/12(土) 00:02:53.440
こんだけ短命が続けば皇帝の実権もあんまりなかったろうな
0211世界@名無史さん2012/05/12(土) 19:57:09.820
中国歴史ドラマ『北魏フウ(変換できない)太后』を見ようと思ったんだけど
番組解説見たら人名が全部中国音の片仮名表記で訳わからん・・・。
宗愛と崔浩は分かったけど。

なんで大武帝の時に既に皇族たちが漢服を着ているだろう?
0212世界@名無史さん2012/05/12(土) 20:04:31.080
皇帝の実母を代々処刑するという恐るべき悪習はなんとかならんかったのかね。

『魏書』は拾い読みしたんだけど
どの史書にも言えるかもしれないが典籍からの引用過多で
おまけに四六駢儷体で素人には意味が取りづらい。
まだ『新五代史』のほうが読みやすい。

『魏書』を編纂した魏収は恐るべき涜職をして
史実改竄しまくりでこの書は「穢史」と言われているな。
0213世界@名無史さん2012/05/12(土) 20:05:44.760
孝明帝崩御の後に幼主が立てられた時の文。
「天下愕然」。これは強烈に印象に残った。
0214世界@名無史さん2012/05/12(土) 21:25:15.250
>>212
詔勅だのの引用文除いたら、駢儷体がそんなに多いとも思わないけど
0215世界@名無史さん2012/05/12(土) 21:40:31.900
>>213
命がけで産んだてめえのガキを殺した挙げ句にあの内容だと思うと胸が高鳴るよね
0216世界@名無史さん2012/05/12(土) 22:01:23.050
>>179>って>178の反論になってるの?
これだけだと、単にどうでも良いことに拘る小うるさいおっさんが一人いたってだけかもしれない。
逆に漢学者でも気にしてなかったって証明になってるような。
0218世界@名無史さん2012/05/14(月) 22:42:46.800
>>212
その悪習は前漢の武帝が幼い昭帝の生母を殺したって
前例を悪用したものだよな。
廃止した結果が胡太后の専横だと思うと複雑だが。
0219徳川 隆盛 竜王 Rock-Filarの子孫 繪會蘢 衛鴉隴 衛莉乃躓繪2012/05/15(火) 07:43:06.99O
『人肉カプセル』の製造、配付、混入犯
『妹喰』の先祖と意味(忌み)が判る。

フォーレ族の言葉で、震えや恐れを意味するクールーは、疾患名だけでなく、クールーを起こすと信じられている、ある種の邪術も意味する。
邪術を使ったものを見つけ出すために、予言の儀式が行われた。
近くの評判の悪い集落に住む嫉妬深い男が邪術師として疑われた。
女性が注意深く捨てたはずの古いスカート、髪の毛、食べ残し、糞便などを盗んだとして告発された・・・
犠牲者の親類の男性は、告発された邪術師を殺したが、皆がその罪を理解するように、死体に印をつけるのが習わしであった。
[マッケロイ&タウンゼント 1995: 49-50](魔法、魔術を邪術に言い換えた:奥野)
0220天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり) Freemasonrey2012/05/15(火) 07:54:31.70O

葛飾北斎とは 鎌倉 徳川の五男 平將鹿渡(應仁 詼薹)の次男…昆虫学者のファーブルの名が有名。

写楽とは…遠山錦詞廊鴇匡 藜王 偕蒂
浮世絵では別名もある。

鎌倉 徳川一族は 色々な分野で名前がある理由は 天皇…天の脳…霊能一族で 代々占星術や風水を編み出した一族だからである。

Noth-to-la-Da・Vinteはダ・ヴィンチの兄。
…ダ・ヴィンチは家康の祖父の推古天皇。
家康の父は織田信長(壽望・長茂)で母はリーバイスの創立者である。
私の手相は 家康と伊藤博文と同じ。
0222世界@名無史さん2012/05/19(土) 13:39:36.870
結局孝文帝の漢化政策は成功だったのか?
0223世界@名無史さん2012/05/19(土) 17:08:42.600
長い目で見れば成功してるが(西欧みたくならなかった)、
北魏一代に限ればえらいこっちゃになった。
0224世界@名無史さん2012/05/19(土) 18:31:53.520
孝明帝以後の北魏の大混乱はぶっちゃけ
「漢化した上流階級ども」に嫉妬した漢化の進まない下層階級の反乱?
0225世界@名無史さん2012/05/19(土) 22:38:11.240
軒並み平城がド田舎になって、武川鎮の荒くれ氏族が勃興
0226世界@名無史さん2012/05/20(日) 21:15:09.170
北斉の宮廷で鮮卑語を使える者が重用されて
鮮卑語を学ぶ官僚が大勢いたと言うけど
これはどう解釈すればいいんだろう。

婁太后は文宣帝の李皇后に向かって
「漢のおばさんの指図をわたしが受けねばならないのかい?」
と言っている。鮮卑族>漢族との感情に基づく漢化政策からの逆行かな。
0227世界@名無史さん2012/05/20(日) 21:25:01.460
北斉後主のように欲望のままに生きられたらどんなに気持ちいいだろうなあ。
後宮で美少女たちを抱きまくるだけじゃなくて
学者達に『御覧』なんか作らせたり、寺院に自分は汗一つ流さずに
民衆から搾り取った金で莫大な喜捨をして
「朕は学問にも理解があるぞ、信心深いぞ。なんと徳のあることか」って
自己陶酔に浸って。
0228世界@名無史さん2012/05/21(月) 12:02:53.210
>>224
漢文化に対する反感よりも武力持っている武川鎮をはじめとする六鎮貴族への露骨な
差別が原因。

>>227
猜疑心にさいなまされ続けるのはなかなかつらいと思うが
0229世界@名無史さん2012/05/30(水) 09:28:51.570
北周は鮮卑化政策で、多分辮髪にしていたんだと思うのですが北斉でも辮髪だったのですか。
0230世界@名無史さん2012/05/30(水) 09:54:29.420
            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミΛ川Λ彡 <  索頭
  彡 ´∀`ミ   \_____
0231世界@名無史さん2012/06/03(日) 05:06:09.39O
くっさいのに中州高門の格好して詩賦を吟じながら自己陶酔する索頭ww
0232世界@名無史さん2012/06/06(水) 23:05:17.520
>>227
北周宣帝みたいに皇后5人もいいな
0233世界@名無史さん2012/08/26(日) 04:35:46.470
漢・唐・宋・明・清の皇族はなんとか子孫が残っているね
秦・晋・隋・元の血統は断絶してしまったが
0234世界@名無史さん2012/08/26(日) 23:44:07.900
楊政道の血統とか無視ですか、そうですか。
司馬氏も傍流が残ってたはず。司馬休之とか司馬子如とかの系統。
0235世界@名無史さん2012/08/29(水) 17:10:44.300
当方wikiの知識しか無いんですけど、

>>婁太后は文宣帝の李皇后に向かって
>>「漢のおばさんの指図をわたしが受けねばならないのかい?」 と言っている。

こういう細かい記述が載っている本とかありますか?
0236世界@名無史さん2012/08/30(木) 00:29:52.210
>>227 >>232
やりたい放題の20年ちょっとの人生だが
北周宣帝と北斉後主比べると北周宣帝が勝ち組だろう。

宣帝は畳の上でくたばれたが(実際には畳はないが)
後主は敗戦→捕虜→死刑
0237世界@名無史さん2012/09/02(日) 11:31:12.680
>>235
北齊書および北史の神武明皇后婁氏傳、文宣皇后李氏傳にはそのような記述
は見当たらない。
李祖娥の立后は天保元年六月丁亥で、通鑑も見たが記載なし。
ちなみにwikiの「婁昭君」の記事は北齊書神武明皇后婁氏傳、「李祖娥」の
記事は北齊書文宣皇后李氏傳に依拠している。

なお、高隆之、高コ政が李氏立后に反対し「漢婦人不可爲天下母宜更擇美配」
と言ったことは北齊書、北史、通鑑全てに書かれている。

逆にwikiのどこにその婁太后の発言が書かれているか言ってもらえると、追っ
かけることが出来るかも。
0238世界@名無史さん2012/09/02(日) 13:42:30.270
>>237
『北斉書』楊愔伝だよ、たしか。
李皇后の子・少年皇帝殷がクーデターを起こされて
宮中で反逆者たちと対峙、あげく意気阻喪して
自分を支えてくれた忠臣たちを
「これ等の処分は叔父上に任せます」って言ってしまう場面。
0239世界@名無史さん2012/09/02(日) 20:06:21.970
>>238 tks
李氏立后の時の話かと思ったら、10年後皇太后になった時の話だったか。w
通鑑の乾明元年二月にもちゃんと載ってるね。

この場面で婁氏の口から唐突に「豈可使我母子受漢老嫗斟酌」の言葉が出た
のは、皇太后がある意味頂点(皇帝の上)で、太皇太后は只の名誉職ってこ
とでしょうかねぇ?
0240世界@名無史さん2013/04/01(月) 03:54:48.700
大野=オーノス
0241世界@名無史さん2013/04/08(月) 20:43:48.390
今の中国は大き過ぎて危険だから
中国(宋代くらいの領土)、ウイグル、チベット、満州くらいに分かれるのが
丁度いいと思う。
内蒙古はモンゴルに返還しよう。
0243世界@名無史さん2013/04/15(月) 21:49:48.65P
隋の皇帝・煬帝の本物の陵墓を発見か、わずか20平米あまりの小さな遺跡―中国
配信日時:2013年4月15日 21時40分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=71356
0244世界@名無史さん2013/04/16(火) 22:18:35.880
>>243
思わず「ほおーっ」とうなってしまったよ、このニュース。
一天万乗の君の末路もこんなものかねえ・・・。

そういう言い方すれば北朝の天子でまともに陵が残ってる
ましてや祭祀が続いているのなんてまずないんだろうけど。
0245世界@名無史さん2013/05/05(日) 12:46:30.310
鮮卑が何人かで揉めてるけど、遊牧民に人種とか関係あるん?

匈奴政治結社説もあるよ?
0246世界@名無史さん2013/05/05(日) 13:22:11.720
後、科学ニュース板で実感したけどこの時代をほとんどの連中が
知らない。おいらは少数派だということを実感した。
確かにこの時代はマイナーだけど…

後漢滅亡から隋唐時代までっておもしろいのに
0247世界@名無史さん2013/05/05(日) 16:11:59.430
>>246
おまい馬鹿とかあほ言い過ぎw
ヨーロッパの民族形成とかのニュースだろ
あの時代中国も民族の移動で洗われてるからね。
0248世界@名無史さん2013/05/10(金) 20:20:55.970
>>246
五胡十六国から隋唐までを研究してますって言ったら

第二次世界大戦を研究してるやつより少ないぞw
0249世界@名無史さん2013/05/10(金) 20:32:27.310
>>248
>第二次世界大戦を研究してるやつ

やめて!
そんなメジャーと比較されたら死んじゃう
0250世界@名無史さん2013/05/10(金) 20:54:17.400
>>249
日本で第二次世界大戦を研究してるやつもマイナーだと思うけどなw
五胡十六国とか南北朝は確かにマイナーだけど
皆、漢とか隋唐、だからな
0251世界@名無史さん2013/06/03(月) 01:56:12.450
そういう研究者数の偏りって何によって起きるの?
唐は日本上古中古に大きな影響を与えたからって理由?
0252世界@名無史さん2013/06/03(月) 16:04:24.130
>>248
関連書籍や論文数が世界で一番多い戦争ってWWUでしょ
研究者の母数が段違いだわ
0253世界@名無史さん2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN0
道武帝って、直系子孫以外の近親の影が薄いなあ。
0254世界@名無史さん2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN0
魏書、劉裕はなんで島夷なんだ?
馮跋が海夷ってのはなんとなく納得がいくけど、
夷は良いとして、南夷とか江夷ならわかるけど、なんで島?
0255世界@名無史さん2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN0
北魏の島夷って貴州省湖南省あたりのことだから
雲海に浮かぶ「島」のような高原に人が住んでいた?
いわゆる桃花源の郷土だし。

集中して住んでいるのを「島」ということがあるが、
当時の漢語ではそういう意味があったかどうか・・・
0256世界@名無史さん2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN0
桓玄(楚)・劉裕(宋)・蕭道成(斉)・蕭衍(梁)がみな「島夷」だから
首都の建康を「江中の島にすぎない」と蔑称したのかも
0257世界@名無史さん2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN0
大運河前の南北朝は淮水〜長江辺りが境
大運河後の五代十国や金西夏南宋の頃は黄河〜淮水辺りが境
0258世界@名無史さん2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN0
蔑称が実態よりも偏見を反映してることはよくあるわけで、
江南の湿地帯のクリーク地形が島に見えたんじゃない?
0259世界@名無史さん2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN0
あるいは長江の向こう側を海の向こう側に喩えて僻遠感を強調したとか。
0260世界@名無史さん2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN0
唐末宋初にらないと、灌漑水路が整備されてないよ。
0261世界@名無史さん2013/09/07(土) 19:39:54.040
秦漢>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>倭

隋唐>>>>>>>>日本

明清>>日本

日本>>>>>>>>民国

日本>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>共産中国


どうしてこうなった?古代あたりまでは中国の方が遥かに文明的だったのに…
明治維新と日清戦争で完全に逆転したな
0262世界@名無史さん2013/09/07(土) 21:34:48.050
>>260
煬帝から唐王朝にかけて整備された運河も最初は官用だったし……
下手すると補修整備予算が取れずに放置箇所があったりと……
0263世界@名無史さん2013/09/16(月) 09:26:02.780
いや明時代なら日本のが完全に上
宋でほぼ並びくらいでしょ
宋が遼だの金だのにボコボコにされてる間に
武家体制に移行にして国力蓄積してるし
0264世界@名無史さん2013/09/16(月) 09:51:25.400
>>263
明治時代になっても中国の国力の方が上ですよ
塩の輸出の件とか調べてみると面白い

日本人は戦争向き過ぎた(というか国民国家との親和性が高かった)
国力の足りない分は国民の勤労意欲でカバー
0265世界@名無史さん2013/09/16(月) 10:04:06.850
まぁどんな指標で国力測るかだけど
清の製塩産業は日本の塩田を上回ってたらしいね
でもそれ一点のみでの判断は難しい
そもそも識字率1%未満の社会と70%(女性含む)を比べるのは間違ってる
気がするんだよね
0266世界@名無史さん2013/09/16(月) 18:11:35.060
てかいまの中共下でも識字率は80%もないと思う
農村部とか微妙なところじゃないかな
0267世界@名無史さん2013/09/17(火) 05:07:01.740
教育制度が発達してるって事は庶民に余裕があるって事で
中間層に蓄積があるって意味なんだよね
教育がない地域では人口に比例した程度の1次産業しかないく
2次産業は制限されもちろん3次産業なんてありえない
内需の大きさってほぼ2〜3次産業の充実なんだし
これは輸出や輸入とはあんま関係無い
アメリカの貿易額を見れば判るけど内需の7%くらいしかない
巨大な内需こそ国力なんだけど
清に巨大な内需なんて無いでしょ?
識字率1%未満ってほぼ農民の世界だよ?
0268世界@名無史さん2013/09/18(水) 00:19:17.150
>教育がない地域では人口に比例した程度の1次産業しかないく2次産業は制限されもちろん3次産業なんてありえない
>内需の大きさってほぼ2〜3次産業の充実なんだし これは輸出や輸入とはあんま関係無い
>アメリカの貿易額を見れば判るけど内需の7%くらいしかない巨大な内需こそ国力

米は八十年代以降重厚長大産業が廃れ、已む無く三次産業に移行したんだけど?
そして経済危機を迎える度に高次産業に就業していたインテリが、三次産業の単純労働に就業している現実がある

米や、規模は劣るが日本は該当しない
多分中間購買層の拡幅を言いたかったんだろうが…
0269世界@名無史さん2013/09/20(金) 19:03:13.000
中国には日本の藩校や寺子屋みたいな教育機関はなかったの?
皇族や科挙受験生は家庭教師を雇っていたけど庶民は文盲だらけだし
0270世界@名無史さん2013/09/20(金) 19:25:39.290
>>263
明清の段階ではまだ日本の方が下だよ。
文禄慶長の役では戦国時代最強・最大の兵力を以てしても衰退期の明に勝てなかったし、
日清戦争は結果的に勝利したけど、日本軍の相手をしたのはあくまで李鴻章の私兵である淮軍。
清朝がガチでやる気になって潰しにかかっていたらかなり危なかった。
両者の完全に力関係が逆転するのは日清戦争後から義和団事件あたり。
その後は目も当てられないほど差が開いて現在に至る。
0271世界@名無史さん2013/09/20(金) 20:16:00.470
隋の煬帝と対等に渡り合った聖徳太子

最近の日本の首相たちに彼の爪の垢を煎じて飲ませたいもんだ
0272世界@名無史さん2013/09/20(金) 20:49:25.160
それはヨーロッパが自力でモンゴル撃退した!って類の話じゃん?
0273世界@名無史さん2013/09/20(金) 23:11:23.720
>>270 
明清の段階で日本がしただったのはそうかもしれないが 中国は伝統的に
まとまりが悪かったのも事実だ 日清戦争で勝てたのは必然と言えば必然
現代も思いのほか中国は弱いかもしれない 大軍をどこまで組織的に動か
せるか分からない
0274世界@名無史さん2013/09/20(金) 23:22:32.460
>>270
ん?
大明は萬暦帝の世だでまだ充分な国力あったがな。
むしろこの朝鮮出兵で国力を消耗してそれ以後下り坂になるのだ。
0275世界@名無史さん2013/09/20(金) 23:31:42.080
内戦で核兵器使う恐れがあるのは中国くらいだよw
0276世界@名無史さん2013/09/21(土) 07:03:57.690
自分の願望と可能性は分けた方が良いと思うの
0277世界@名無史さん2013/09/21(土) 11:16:10.580
>>271
その前の文帝時代の朝貢(当然推古ではなくタリシヒコ名義)をなかったことにする情けない連中の
爪の垢どころかDNAを持っているからこうなるのだよ。
0278世界@名無史さん2013/09/21(土) 11:17:18.060
>>273
そういう真珠湾直前のアメリカは民主主義の国だから戦争に弱いとか
いう類の希望的楽観測は結構です。
0279世界@名無史さん2013/09/21(土) 21:41:48.700
「天皇」の称号を使うようになってからは君主の格は中華皇帝と同等になった
0280世界@名無史さん2013/09/21(土) 21:50:05.620
満州族は迅速に漢化され従来の剽悍な気風は次第に失われていき、
他の王朝のごとく尚文軽武になり、アヘン戦争後は見るも無残な状態になってしまった。
一方、日本は戦国の世が終わっても尚武の気概を忘れず、
尊王攘夷を経て明治維新を達成し、アジアで唯一の列強・先進国になった。
0281世界@名無史さん2013/09/21(土) 21:55:21.090
孝文帝の漢化政策は長期的には必要だったが、ちょっと急過ぎたな
五胡や女真もそうだけど勇猛な異民族が中原に入って漢化されると大抵弱体化するよね
例外はモンゴルくらいか
0282世界@名無史さん2013/09/21(土) 22:27:07.200
ハルハ部は故地へ帰っただけだよ
0283世界@名無史さん2013/09/22(日) 00:12:22.710
北朝の皇帝って殺されたやつを別としても
なんで揃いも揃って短命なんだ?
0285世界@名無史さん2013/09/23(月) 10:51:53.760
生物としてやるべきことは済ましてるからじゃないの?
短命でも子孫はきっちり残ってた。
最後の方はともかくとして。
もしかして、成熟老化が常人よりかなり早い家系だったのかも?
0286世界@名無史さん2013/09/23(月) 18:36:56.900
>>283
後代の学者が、北朝の君主が早死になのは酒と女に接するのが早すぎるからかもって
書いてた。
0287世界@名無史さん2013/09/24(火) 13:41:56.520
ローマも混乱期はとにかく皇帝が次々に暗殺されて短命状態だったよね
身内に殺されたんだろうなぁ・・
0288世界@名無史さん2013/09/24(火) 22:05:05.460
拓跋氏も高氏も宇文氏も
帝位について以降(従って高歓や宇文泰は除く)は
当の皇帝に加えて身内もとにかく短命なのが多いんだよな。
短命でないって宇文護ぐらいしか思いつかない。
0290世界@名無史さん2013/09/28(土) 02:39:54.730
昔みたいに人生五十年くらいでちょうど良かったと思う

今は医療技術の発達で長生きし過ぎるようになったせいか様々な問題が出てきた
0291世界@名無史さん2013/09/28(土) 02:43:43.770
唐の皇帝で仙丹を食べ過ぎて命を落とした者が何人かいたな
0292世界@名無史さん2013/09/28(土) 10:05:34.93O
水銀化合物なんだから食べ過ぎなくても死ぬわ。
0293世界@名無史さん2013/11/14(木) 22:31:13.200
楊堅や李淵も鮮卑なの?
0295世界@名無史さん2013/11/15(金) 20:45:38.770
五胡十六国や北朝の胡族は相系だよ。有力な親のほうを継ぐ。
武則天のところで王朝の姓氏が変わってしまった。
0296世界@名無史さん2013/11/16(土) 03:03:27.400
>>293
そもそも漢民族という概念が誤りだからな
明確に何族とか言えんけど北方系遊牧民の流れを受け継いでいるのは確か
0297世界@名無史さん2013/11/16(土) 19:03:53.820
今の漢族は漢代の漢族、五胡、契丹、女真などの混血
0298世界@名無史さん2013/11/16(土) 19:11:13.210
後漢末の金旋なんて匈奴の休屠王の末裔だからな
0299世界@名無史さん2013/11/16(土) 21:47:30.580
以前発見された煬帝の「墓」。

やはり煬帝本人のものだったそうな。
唐王朝による墓誌があったらしいが、全文読んでみたい。
なんて書いてるんだろうな。
0301世界@名無史さん2013/11/17(日) 01:02:37.710
隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓と確認

中国考古学会は16日、江蘇省揚州市で会見し、同市でことし3月に見つかった2つの古い墓が
約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓であることが確認されたと発表した。
「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。

2つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。1つは長さ約25メートルで墓誌のほかに
玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。
墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。

別の墓は長さ約13メートルで、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、
煬帝の妃の墓と推定された。この墓でも、ほかではみられない精巧な工芸品などが見つかったという。

煬帝は、聖徳太子が送った「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」などとした国書が
無礼だとして激怒したと伝えられる。(共同)

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131116-OHT1T00157.htm
0302世界@名無史さん2013/11/17(日) 22:43:37.560
激怒ではなく、「書を致す」というのが外交上の表現としておかしいとあきれたともいわれてますね
0303世界@名無史さん2013/11/18(月) 02:24:23.020
魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一

なぜなのか?
0304世界@名無史さん2013/11/18(月) 02:43:35.420
魏→晋
北周→隋
遼→元
一番強いところを受け継げば勝つ
0305世界@名無史さん2013/11/18(月) 19:06:30.420
>>296
民族は血統と違って変えることができるんだよ
この板には血統主義者が大勢いてぜんぜん認めようとしないけどね
0307世界@名無史さん2013/11/18(月) 21:33:27.290
遼や西夏も皇帝を名乗ってるからね
皇帝が三人もいる時点で天下は統一されていない
0310世界@名無史さん2013/11/20(水) 21:08:02.950
>>295
>有力な親のほうを継ぐ。
では、何故家格の高い独孤氏にならずに楊氏や李氏のままなんだ?
0311世界@名無史さん2013/11/21(木) 15:40:47.360
>>295
言ってることがへんだぞ
武則天で王朝の姓が変わったのは双系だからじゃなくて父系にこだわったからじゃん
0312世界@名無史さん2013/11/22(金) 06:44:03.400
北周の武帝が長命ならそのまま陳を征服して中国統一してただろうが
隋や唐と違って鮮卑復古主義を掲げてたから面白い統一王朝ができただろうな
0313世界@名無史さん2013/11/25(月) 00:33:23.570
>>312
次がアレだから結局隋と同じく2代であぼんじゃろ
0314世界@名無史さん2013/11/29(金) 18:15:25.820
原前

飯井

加治

山永

大友
0315世界@名無史さん2014/01/05(日) 04:01:03.770
>>307
燕雲16州など一部欠けてるにせよ、従来の中国と呼ばれる領域は統一しただろが
帝位なんか実力があれば勝手に名乗れるし
0316世界@名無史さん2014/01/05(日) 12:01:34.690
新番組・中国時代劇『後宮の涙』
http://www.bsfuji.tv/top/pub/kokyunonamida.html

1月6日(月)スタート! 毎週月曜日〜金曜日 10:30〜11:30

南北朝時代の北斉(ほくせい)で時の皇帝・文宣帝(ぶんせんてい)が急逝。
後継者は亡き郁皇后(いくこうごう)の息子・高湛(こうたん)と思われていたが、婁皇后(ろうこうごう)は息子・高演(こうえん)を即位させようと密かに高湛の暗殺を謀る。
一方その頃、豪商・陸家(りくけ)では新しい皇帝に献上する磁器を作るが失敗、一家皆殺しの危機に直面していた。
だが、長女・陸貞(りくてい)の手柄で陸家は救われ…。

【番組概要】
放送開始するや否や、中国の主要放送局全32局で視聴率1位を獲得した、高視聴率ドラマ「後宮の涙」がBSフジに登場!!
 皇帝をめぐる妃たちの闘い、権力争いに巻き込まれる宮廷の人々、嫉妬心と復讐心…
様々な欲望が渦巻く後宮の世界で、多くの涙を流しながらも、苦難を乗り越え、懸命な努力と類まれな才能で宰相にまでのぼりつめていった善良で聡明な女官(陸貞)の物語。
ヒロインの陸貞とロマンスを繰り広げるのは、「恕の人―孔子伝―」チェン・シャオと中国版「テニスの王子様」キミー・チャオの美男子たち。
美しく端正な顔立ちの2人とのロマンスの行方からも目が離せない!
 そして、心を奪われるほどの美しく華やかな衣装たちにも注目!ヒロイン陸貞の衣装は30着以上の豪華な着物が用意され、本作の持つ美しい世界観をより一層華やかに彩っている。
(全45話・吹き替え)
0317世界@名無史さん2014/01/05(日) 12:02:50.030
中国時代劇『蘭陵王』
http://www.bsfuji.tv/top/pub/ranryouou.html

2月6日(木)スタート! 毎週月曜日〜金曜日 15:00〜16:00

魏晋南北朝末期・戦乱の中、深い霧の先にたたずむ桃源郷のような美しい白山(はくさん)村。
ここに住む巫女・林氏(りんし)は、天女の血を継ぐ孫の雪舞(せつぶ)と、斉(せい)の蘭隆王(らんりょうおう)との不吉な運命を予見してしまう。
10数年後、美しい娘に成長した雪舞は、祖母の言いつけを破って村から抜け出す。
そして湯気の立ちこめる美しい温泉で運命の男性・蘭隆王と巡り会い…。

【番組概要】
日本の雅楽でも知られる悲恋の物語「蘭陵王」をドラマ化!あまりの美貌のため、仮面をつけて戦ったなどの伝説があるほど美しすぎる悲劇の王・蘭陵王の切ない愛を描く。
そんな蘭陵王役を射止めたのは中国大陸No.1美男子の呼び声高いの「王の後宮」「美人心計」のウィリアム・フォン!悲恋のヒロインを演じるのは、
「イタズラなKiss〜惡作劇之吻〜」「イタズラな恋愛白書〜In Time With You〜」で日本でも人気の高いアリエル・リン。
そして、蘭陵王と対立する強情な周の王子を演じたのは、ウィリアム・フォンに負けない美貌を持ち、香港音楽界で20世紀末に超人気アイドルとして活躍したダニエル・チャン!
他にも、「ハヤテのごとく」のジョージ・フーなど、脇を固める俳優陣も見逃せない!
(全46話・吹き替え)
0318世界@名無史さん2014/01/05(日) 13:50:59.300
>>316
郁皇后って人なんかいたっけ。
悲劇の少年皇帝・高殷はどこにいるの?
そもそも女性で宰相になるって・・・。

なんかめちゃくちゃだよ。日本の信長、秀吉、家康を扱ったドラマでも
めちゃくちゃなのはいくらでもあるが、どこの国でも同じなんだな。

正史通りに描写するだけで一大悲劇になるのに。
0320世界@名無史さん2014/01/05(日) 14:50:26.180
>陸令萱

暗君中の暗君、後主が寵愛する連中にやりたい放題やらせる為に
任命した常軌を逸した「女侍中」じゃないか。
名前を見て思い出した。

『北斉書』ではぼろくそに書かれてる。
第一この女自身に「女性解放」なんて考えとか微塵もなかっただろうよ。
権力を異常な状態で手にして自分たちが欲望のまま生きるだけ。
事実後主の治世はそんな時代だった。
0321世界@名無史さん2014/01/05(日) 14:54:00.050
北斉は皇族たちが「親疎なく乱交」していた狂った王朝。
0322世界@名無史さん2014/01/05(日) 15:01:53.190
北斉はあれだけ軍事力が強かったのに全土統一にそれほど積極的でなかったのは何でだろ
北周は毎回侵攻しては撃退されてたけど突厥や陳と組んで統一に向けて色々仕掛けていたのに
0323世界@名無史さん2014/01/05(日) 15:04:27.760
蘭陵王 (テレビドラマ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29

『蘭陵王』(らんりょうおう、原題:兰陵王)は、2013年に制作された中国・台湾のテレビドラマ。
南北朝時代の北斉の英雄・高長恭(蘭陵王)を主人公とした時代劇・恋愛ドラマである。
中国本土にて2013年8月14日より、台湾では2013年8月23日より放送開始。全46話。

史実の蘭陵王は、573年に皇帝(後主高緯)から毒薬を賜り自殺しているが、このドラマでは蘭陵王は死なずに生存しているという設定である。
0324世界@名無史さん2014/01/05(日) 15:21:33.420
北斉王朝は、人間がどこまで堕落できるかの実験場とも言えるな。
男も女も欲望の限りを尽くした。

最後に幼子まで皇族がほぼ全員処刑されたのは確かに哀れだが
北斉の腐った統治で苦しんだ人間にとっては
「腐った血筋なんか断絶してしまえ」
って人も絶対いたと思う。
0325世界@名無史さん2014/01/05(日) 21:49:45.090
あれだけ悪逆非道を書き連ねられると
さすがに史家のネタ盛りじゃないかと疑わしくなるが
ありえなくもないかなあと思えてもしまう
0326世界@名無史さん2014/01/06(月) 05:21:42.040
逆に言うと、皮肉を裏に込めているんじゃないの<雌鳥が鳴くと国が傾く>制作陣の背景も
0327世界@名無史さん2014/01/20(月) 18:52:28.470
陳慶之はまず、迎撃に現れた北魏軍七万を一日で撃滅する。
次に二万の兵が籠城する城を、こちらも一日で陥落させる。
さらに十五万の北魏軍を二十日間の激闘の末に退ける。
ついでにノコノコと遅れて戦場に到着した敵の援軍二万四千を潰走させる。

陳慶之の総兵力は騎兵七千である。



リアル無双状態だなw中国史上最強クラスの名将じゃないか陳慶之は
0328世界@名無史さん2014/01/20(月) 19:41:46.610
最後ボロ負けしてますから

むしろ1千騎で中原の覇権国家後趙10万以上の軍を撃破した慕容恪の方が凄いな
慕容恪一代で遼東から山西、河北、河南、山東、安徽あたりまで領土広げているから
0329世界@名無史さん2014/01/27(月) 11:16:08.180
>>324
北周でもそうだが北魏末期以来の胡漢紛争が亡国まで引きずったからな。
文宣帝高洋の狂主ぶりがクローズアップされがちだが官僚間のヘイトこそが
元凶だからな。この王朝の直系でなく実力による兄弟相続が政権の不安定さを招き
火に油を注ぐ結果になった。
0330世界@名無史さん2014/01/27(月) 11:21:44.060
>>328
石虎の宇文部、段部攻撃に乗れたのが成功の因であり、
中国東北部に避難していた漢人を吸収したのが成長をもたらし、
冉魏という反動国家のおかげで後の前秦後秦のチベット系
と戦わなくてよかったからな。
0331世界@名無史さん2014/03/01(土) 21:06:14.350
倭が北朝ではなく南朝に朝貢したのはなぜ?
0332世界@名無史さん2014/03/01(土) 21:55:50.200
>>331
倭国の友好勢力である百済の手引きだろ。
梁の後景の乱時、廃墟になった健康に来た百済の使節が
号泣した記事がある。
0333世界@名無史さん2014/03/01(土) 22:08:10.360
しかし梁は脆すぎるな
たかが東魏の1人の武将にここまで壊滅に追い込まれるとは
結局この侯景の乱で最も利を得たのが西魏北周だな
四川獲得に後梁の傀儡化で遥かに劣っていた東魏北斉との勢力の差が解消された
0334世界@名無史さん2014/03/02(日) 01:07:13.400
鮮卑の埋葬品の服装とかが、日本の埴輪と似てる気がするんだよなぁ…
倭国と北朝とのやり取りの有無も気になる
0335世界@名無史さん2014/03/02(日) 11:24:25.920
>>333
建康がいきなり制圧されたのが痛かった。しかも方面軍を指揮する皇族が援護しないとか
結局西晋の八王の乱以来、皇族の方面軍支配は有害でしかないことを証明しただけだった。
0336世界@名無史さん2014/04/30(水) 22:51:47.750
中国の有名な暗君

幽王-西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。
結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。

劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。
日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、
彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。

恵帝-西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。
マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」
と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、
異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。

蕭宝巻-南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。
反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。
死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。

後主(高緯)-北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。
次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、
結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。

後主(陳叔宝)-南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。
亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。
あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。
0337世界@名無史さん2014/05/01(木) 15:01:02.550
>>331
南朝っていうか「魏→西晋→東晋→宋」って流れで宋までしか国交ない
宋を魏の正統な継承政権とみなしてたんだろ。
百済の手引きというなら百済は南北両方に朝貢してたから
倭が北朝と国交ないのは説明できない
0338後周宣帝2014/05/03(土) 01:25:38.190
>>336
後主(高緯)を上ゲて朕を上ゲんとはけしからん
0340世界@名無史さん2014/05/03(土) 07:07:35.270
>>339
渤海や高麗のスレもあって、それなりに研究していた人がレスしてたな。
0341世界@名無史さん2014/05/03(土) 08:10:26.980
>>337
結構儒教的大義名分論が当時の大和朝廷には浸透してたんだろうか?

雄略天皇の時代に「曲水の宴」を催したって記事が日本書紀にあるけど
そこまで中国文化が入ってたなら席上みんなで漢詩を読みあったりしてたかもしれない。
0342世界@名無史さん2014/05/04(日) 01:40:01.610
>>341
儒教は応神天皇の時に王仁が皇太子の家庭教師になったから
それなりに上流階級にはしられた可能性高い
しかし、仮に儒教的な大義名分論はまったく知られてなかったとしても、
「政権の継承」って概念はそんなに理解不能な難しい話じゃないだろう
あっちの外交官が前政権との関係を説明する際に
ちゃんと権利を引き継いでるようにあれこれ理屈いうだろうし
0343世界@名無史さん2014/05/05(月) 03:04:06.430
劉禅何気にすごくね?
平時ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だぞ
万暦帝などとは訳が違う

むしろ劉禅から百年経たないのちの時代の南北朝のヒャッハーな皇帝や
明中期にかけての皇帝に較べたら、劉禅はかなりマシな部類
ヒャッハーは暴君だから劉禅とはベクトル違うかもしれないが、明の暗君オンパレードの歴史を見れば
「もしかしたら劉禅よりダメだコイツ…何とかしなくちゃ」な気分になる事請け合い
0344世界@名無史さん2014/05/05(月) 15:18:26.830
そもそも五胡南北朝は暗君・暴君率がヤバい
開明君主の数が少なすぎて泣ける
その開明君主も寛容すぎて内乱誘発→自爆のコンボでヤバい
0345世界@名無史さん2014/05/06(火) 01:03:39.610
>>632
ぶっちゃけ、南北戦争の推移をみるに、CSAが存続しても普通に奴隷解放すると思うぞー
合衆国に対抗→重工業化が必須→労働力確保!という流れになるしかない
(奴隷では、工業化は限界ある)
0346世界@名無史さん2014/05/06(火) 19:47:39.700
北朝歴代で最も残忍な君主は誰?

具体的にどんなことをしたの?
0347文宣帝高洋2014/05/06(火) 22:27:15.980
>>346
呼んだ?
0348世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:13:46.870
寵愛していたはずの側室を惨殺し
五体をばらばらにして抱きかかえて
琵琶に見立てて高吟「佳人は得難し」って
朗々と歌い、満座の貴人は恐怖戦慄したそうな>文宣帝

この皇帝、悪逆の所業を列挙していけばきりないよな。
大量虐殺から個々人への嗜虐行為まで。
「親疎なく乱交せしむ」なんか人を殺してないだけまだましかもしれん。
でも、北斉の皇族はみな近親相姦の経験者ってことになるんだよな・・・・。
0349世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:28:25.280
文宣帝が狂気なら、後主は堕落の果て。

囚人を裸にしてさそりのうじゃうじゃいる桶に放り込んで
絶叫してのた打ち回るのを兄皇子と一緒に見物しておおはしゃぎ。

北周軍が大挙侵攻してきたときには
「14歳以上20歳未満」の婦女子に結婚を禁じて後宮にかき集めようとしていた。
親兄弟で少女を隠すものがいれば死刑と宣言して。
馬や鷹にまで王号を下賜して、「王」を名乗る者は千人以上だった。

この後主はそれなりに教養もあるし、幼少期は善良な子供だったというのが怖い。
0350世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:30:26.620
このさそり、後主本人が徹夜で宮中の庭でかき集めたものらしい。
どうやってさそりなんか採ったかは知らないけど。
0351世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:33:51.550
馬が交尾するのを見物するのも趣味だった>後主

自分が爛れた愛欲生活を送るだけじゃなく
セックス関連にはなんでも興味を示したようだ。
0352世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:39:56.370
北周の宣帝は臣下の妻に酒を強要して泥酔したところを強姦、
皇后にした。ちなみにこの暴君、5人も皇后が同時期にいた。
その一人は後の隋の文帝の娘。

その臣下はたまりかねておそらく死を覚悟で絶望的な反乱を起こして
殺されている。
0353世界@名無史さん2014/05/07(水) 22:43:20.490
北斉ではわりとまともだった孝昭帝も甥に反乱を起こした時には
重臣の一人の片目を抉り取った後に甥の前に進み出ている。

おびえきった甥の廃帝高殷は「これ等のものの処分は叔父に任せる」と
さっきまで命懸けで反乱軍に抵抗していた忠義の臣を見棄ててしまう。
0354世界@名無史さん2014/05/10(土) 08:37:49.440
北周の武帝は皇太子の宣帝の躾に杖で激しく殴打するなどの体罰しばしば朝議にあがるほど厳しいものだったらしいが
その時点で別の皇子を皇太子に変えることは考えなかったのかね
0355世界@名無史さん2014/05/14(水) 22:10:18.690
>>353
まともと言われているが、在位たった1年だったから、
まともでない事績が累積する前に氏んだだけな気がする。
その前任者もまた同じ。
0356世界@名無史さん2014/05/14(水) 23:26:01.530
北斉は高澄を高洋が、高洋を高演・高湛が、高演を高湛がひそかにぬっ殺したとしか思えない
0357世界@名無史さん2014/05/15(木) 22:15:07.840
北朝全体通して後漢に匹敵するぐらい
早死にした皇帝が多いよな。
40歳超えて生きたのって西魏の文帝ぐらい?
0358世界@名無史さん2014/05/15(木) 22:54:43.050
>>357
北朝は野蛮な鮮卑の影響で
内紛や暗殺が絶えないからな。

隋の文帝も嫁に頭が上がらないし。
0360世界@名無史さん2014/05/15(木) 23:41:21.060
早死にの原因に、不老不死の薬の常用ってのが多かったような
0361世界@名無史さん2014/05/16(金) 00:39:26.120
唐も道教の霊薬で結構死んだのよなあ
0363世界@名無史さん2014/05/16(金) 21:51:54.950
南北朝時代は戦乱時代というだけでなく
もう色々とめちゃくちゃな時代だった

西洋で言えばキリスト教徒が宣伝する
ローマの退廃と相似する
0364世界@名無史さん2014/05/17(土) 09:32:26.410
>>363
王羲之、顧ト之のような文化人を支えた時代だし、なにより仏教の隆盛による
社会の再編が進んだ時代だがな。
0365世界@名無史さん2014/05/17(土) 19:59:45.070
当時の仏教は、総合文化であり、城外に成立し始めた村(邨 そん)等に根を下ろしたとか言う話があったねえ
0366世界@名無史さん2014/05/17(土) 21:39:00.110
>>364
北から次々民族が南下がようやく終わりなのが南北朝だろ
仏教もあるだろうけど。

北方系等と漢族との混交が進みつつあったのがようやくこのころだな。
0367世界@名無史さん2014/05/18(日) 09:47:30.630
時代が下れば下るほど、北魏のように部族制を解体し、
自分たちの血統を地方名士層に組み込もうとしているなど
漢族社会に溶け込んでいっているけどね。
0368世界@名無史さん2014/05/18(日) 22:10:09.940
>>367
上からの支配のためにねw

今の中国人は同化したんだっていうけどねw
0369世界@名無史さん2014/05/19(月) 17:41:43.020
ものの見事に鮮卑意識がなくなってしまったからな
0370世界@名無史さん2014/05/19(月) 19:45:23.820
中華の文化力は凄いな
モンゴル以外ほぼ漢化されちゃってるし

ローマですらゲルマンを吸収しきれなかったのに
0371世界@名無史さん2014/05/19(月) 20:10:29.040
西洋の場合、ローマじゃなくてギリシャじゃね?
0372世界@名無史さん2014/05/20(火) 02:37:43.350
>>370
その中国文化とやらは時代によって変化してるんだが
その変化は異民族の文化の影響によって、な
…ということは、つまり…?
0373世界@名無史さん2014/05/20(火) 02:41:20.420
文化を取り込み、混血し、しかも漢人意識が変わらない
まあ日本も文化を取り込みつつ日本人意識が変わらんところはある
0374世界@名無史さん2014/05/20(火) 20:13:26.960
>>372
天皇が自分を朝鮮由来というようなもんだ。
中国文化とやらの実態も知らずに変化などというネトウヨの
知ったかぶりは見苦しい。
0375世界@名無史さん2014/05/20(火) 22:02:50.790
>>374
一貫して被支配民の漢民族ってことですな

隋唐以後も北方から異民族が来てるからな
0376世界@名無史さん2014/05/20(火) 22:51:48.980
北周では鮮卑化の動きがあったけど
鮮卑化の動きはいつ収束したんだ?
気がついたら隋唐で、漢化とも鮮卑化とも言われなくなってる
0377世界@名無史さん2014/05/20(火) 23:00:14.040
支配階級を完全に同化させる漢族はすごいとしか思えない。

はるか後世でも清の宣統帝は満洲語は「立て」「座れ」しか言えなかった。
0378世界@名無史さん2014/05/20(火) 23:05:57.450
>>376
実質的には、「唐化じゃん、唐民族じゃん」という指摘もある
「漢」という言葉で表現し続けるから、一見すると漢族・漢文化が延々と続いている、と思うけど

もし前漢あたりの知識人が、唐代にタイムスリップしたら、「こんなの漢じゃね!」と憤慨すると思うw
0379世界@名無史さん2014/05/21(水) 21:17:42.360
>>377
中国化するとへたれになって、さらに北から騎馬民族がw
0380世界@名無史さん2014/05/21(水) 21:25:53.500
>>378
前漢と同時代の日本人が
唐と同時代の奈良時代にタイムスリップしても
同じ日本だとは思えないだろう
0383世界@名無史さん2014/05/22(木) 20:34:39.520
平安時代の公家が江戸時代にタイムスリップしたら卒倒するだろうな
色んな意味で驚くと思う
0384世界@名無史さん2014/05/22(木) 20:45:35.390
石勒「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
0385世界@名無史さん2014/05/22(木) 21:05:23.210
>>384
>石勒
多少捜索も入っているだろうけど格好いい名文だよねえ
0387世界@名無史さん2014/05/23(金) 04:19:43.070
>>380
そもそも前漢の時代には日本なんて成立してなかったじゃん
弥生時代と奈良時代なんて民族的にも文化的にも漢と唐ぐらいの断絶があるんじゃね?
0388世界@名無史さん2014/05/23(金) 15:24:35.660
>>387
その頃とっくに日本はあったわい
日本の建国は西周時代に相当する
前漢時代なら日本では孝元天皇から垂仁天皇まで
0392世界@名無史さん2014/05/24(土) 07:52:06.810
北斉と北周の実質初代の高歓と宇文泰
前者が少し派手で後者が堅実な感じがしてタイプが違うが共に優秀でいいライバルだ
しかしどうして息子たちにこうも違いがでたのか
0393世界@名無史さん2014/05/24(土) 09:33:04.140
>>390
夏王朝が実存していると思っている中国共産党の方ですかw
0395世界@名無史さん2014/05/24(土) 15:36:54.760
夏殷周春秋戦国秦漢三国晋五胡十六国南北朝隋唐五代十国宋元明清民国中共
0396世界@名無史さん2014/05/24(土) 22:31:13.730
>>392
どの息子もろくな死に方をしていない点は共通している
0397世界@名無史さん2014/05/25(日) 00:49:25.240
夏王朝は発掘からかなり有力視されてる
少なくともトンデモ扱いできるようなものじゃない。
もっともこんな当然のことを言うと、俺は工作員か何かに認定されるんだろうw
0398世界@名無史さん2014/05/25(日) 01:10:21.460
中国の学会は実在寄り、日本の学会はやや静観だからね
仕方ないね
0399世界@名無史さん2014/05/25(日) 01:19:50.950
自分で墓穴掘るなよw
日本が静観ならトンデモとしてるお前はなんなのw
電波君になるんだけどw
0402世界@名無史さん2014/05/25(日) 12:47:04.240
>>397
宮殿施設が見つかったから王権の存在はほぼ確実だが
甲骨のような文献が見つからないと難しいだろうな。長江流域や
四川の中国の歴史どころか神話からも比定できない都市国家
との整合性を考えると文献抜きで夏王朝への比定は苦しいだろうな。
0403世界@名無史さん2014/05/26(月) 11:37:38.700
司馬遷がもうちょっと頑張ってくれればな。
史記とか「まるで見てきたような」「その場にいなけりゃ分からない」事まで書いているから。
「虞や虞や汝を如何にせん、項王涙数行下る、皆涙悌し仰ぎ見る者なし」
0405世界@名無史さん2014/06/02(月) 02:06:07.130
>>404
宮崎市定の説か
場所によっては口語みたいな表現が使われてるからなあ
でも後の時代の正史にみたいに詔勅と上奏の寄せ集めも読んでて味気ないからなあ
史料として使うのだったらこちらのほうがいいけど
0406世界@名無史さん2014/06/23(月) 07:29:30.110
買ったままほっといた塚本史「煬帝」を読み始めた。
ttp://www.nikkeibook.com/book_detail/28009/
ttp://www.nikkeibook.com/book_detail/28010/

書評を探ると糞味噌だったので気が乗らなかったのだが、読み始めてみたら、なるほどw
まだ読み終わってないけど俺が気になったこと

 登場人物の発言、同時代人が「北斉」「北周」などと言うものかよ!
 誤字や日本語特有の当て字の多いことw
04074062014/06/25(水) 08:02:51.340
読み終えた。
数十作も書いてる人とは思えない文章の下手さに辟易した。
0408世界@名無史さん2014/06/26(木) 14:54:17.940
>詔勅と上奏の寄せ集めも読んでて味気ない
「宋史」のことかw
0409世界@名無史さん2014/06/28(土) 01:03:40.090
長安に都を置いた唐朝皇帝はもはや遊牧生活を送ることはなかったが、
都から外出することが多く、関中での食糧不足のさいには百官を引き連れて糧食の得やすい東都の洛陽まで行幸することも頻繁にあった。
皇帝が食糧を求めて移動するという発想は中国王朝の伝統にはなく、機動性に富む遊牧民の風習に由来する可能性が高い。
ここに北魏から唐にいたる「拓跋国家」の連続性を垣間みることができよう。
0412世界@名無史さん2014/08/08(金) 10:44:39.820
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0413世界@名無史さん2014/08/21(木) 20:10:51.740
三国志に当てはめると

北周→魏
北斉→蜀
陳→呉
隋→西晋

って感じか
0414世界@名無史さん2014/08/28(木) 20:31:57.990
中国皇帝の暗君連中で打順組んだ

1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝
0415世界@名無史さん2014/10/28(火) 08:01:32.150
北朝だけで組めそうだが
0417東晋安帝2015/02/01(日) 00:08:51.340
>>414
掛け値なしで白痴の朕を外すとは何事かッ
0419世界@名無史さん2015/02/01(日) 23:32:03.260
>>409
西魏二十四軍、六柱国大将軍って、匈奴の二十四長の丸写しだと思う
北ケツ型の都城も、何事も中軍右翼左翼という配置方法をとる、遊牧民のやり方そのものだしさ
やっぱ一連の拓跋国家は遊牧民の面影が色濃いなと
0420世界@名無史さん2015/02/11(水) 18:47:48.680
>>409>>419
後漢時代には行政の主要機関となった尚書も、
魏晋南北朝時代に六部二十四曹に専門分化するが、
これも六柱国大将軍、二十四軍と対応するものなのかな?
0422世界@名無史さん2015/02/14(土) 16:18:28.000
次から次へと新部族が出てくるんだよねえ<漠北
鮮卑族が中原に移動した空白地に残った部族か、はたまた移動してきた部族か……
0423世界@名無史さん2015/03/31(火) 21:57:15.510
>>12
犬戎や厳(ケモノ編)允、葷粥は匈奴の前身だろう
もっとさかのぼれば鬼方、淳維なども
0424世界@名無史さん2015/06/07(日) 23:02:20.250
李世民も出自が鮮卑族の大野氏だからこそ、天可汗として遊牧民に推戴されたのだよ
これがただの漢族ではそうはいくまい
租庸調という人頭税システムなんかも、人や家畜などの動産の把握を重視する遊牧民の価値観の名残りといったところか
0425世界@名無史さん2015/06/08(月) 00:05:34.680
ただ単に一番強かったからでは?
別に人種は関係無いのではないかな。
正直李世民が本当に遊牧民かも怪しいし。
0426世界@名無史さん2015/06/08(月) 00:45:00.000
 六四天安門 二十六回忌
   ∧∧  ∧∧
   (*゚ー゚) (´∀`)
   | つ(⌒⌒)と |
 〜(,_つ\/と_ ,,)〜
0427世界@名無史さん2015/08/18(火) 20:16:40.330
名君四天王 光武帝、李世民、趙匡胤、康熙帝
暗君四天王 西晋の恵帝、高緯、陳叔宝、万暦帝
暴君四天王 始皇帝、煬帝、朱元璋、毛沢東
0428世界@名無史さん2015/08/28(金) 16:11:36.750
さきほどうやっていたNHK・Eテレ高校講座・世界史「唐帝国と東アジア」で、
大運河の地図は明らかに明代に掘られたルートだった。
うそ教えちゃいかんよ。
隋唐時代は開封で積み替えるルートでんがな。
0429世界@名無史さん2015/09/08(火) 00:47:03.000
>>427
暗君に徽宗が入っていない。やりなおし。
0430世界@名無史さん2015/09/11(金) 17:59:34.030
南朝スレは無いの?
0431世界@名無史さん2016/02/28(日) 17:12:22.190
このスレで南朝もOK
0432世界@名無史さん2016/02/28(日) 18:12:46.570
◆在日中国人


在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。

独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。

2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
0433世界@名無史さん2016/02/28(日) 18:13:31.910
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。

なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
0434世界@名無史さん2016/04/29(金) 17:58:26.030
>>419
匈奴有力部族出身の独孤氏が、拓跋国家群の門閥となり歴代皇帝の外戚になってるからね
そういう可能性も十分考えられると思う
0435世界@名無史さん2016/05/13(金) 09:11:47.010
独孤氏は北周、隋、唐と三朝に跨って外戚だもんな
0437世界@名無史さん2016/07/01(金) 10:14:42.000
 
 
      膨張する集団がコントロールされる。
0438世界@名無史さん2016/07/04(月) 23:05:28.940
>>419
>北ケツ型の都城も、何事も中軍右翼左翼という配置方法をとる、遊牧民のやり方そのものだしさ

北闕型の都城って後漢の鄴が最初だろ
遊牧民云々はこじつけだろ
0439世界@名無史さん2016/07/05(火) 02:26:45.180
>>438
鄴は、北ケツというより「南北二分」じゃね?
都市の真ん中に、東西方向に基準街路をぶちぬいて、
南側を商業地区、北側を政治地区とする。王宮は当然北側に置かれる。
世界史的に一番よく似ているのは、島義勇による札幌の初期設計(もちろん直接の関係はないw)

これ、秦の咸陽がモデルという説があるよね。
0441世界@名無史さん2017/01/15(日) 13:22:39.060
俺の名前は字からすると特に諱にありそうな名前なのに日本、中国・台湾、朝鮮を問わず
非常に少ないのは漢化した鮮卑が樹立したとされている北斉のしかも完全な異民族末裔の
軍人にいた名前だからかもしれない

歴史など知らなかった俺の二親は適当に名づけたのだろう
0442世界@名無史さん2017/01/15(日) 14:07:04.780
補足

字って字(あざな)の意味じゃなくて普通に漢字の意味
0443世界@名無史さん2017/05/01(月) 23:01:23.730
凌煙閣二十四功臣の尉遅敬徳って鮮卑系だそうだが、ホータン王族の尉遅姓とはまったく無関係?
西魏とかにもいたよな尉遅
0444世界@名無史さん2017/05/02(火) 22:18:01.600
『魏書』太祖紀の天興六年に「朔方尉遲部」つってたり、
『魏書』官氏志が「西方尉遲氏」つってたり、
よくわからん。
姚薇元『北朝胡姓考』は、代郡尉遅氏(朔方尉遅氏)はホータンの尉遅氏(Vijaya)とは別物だって言ってる。
ホータンの尉遅氏は吐谷渾に所属した部落のひとつなんだと。
0445世界@名無史さん2017/05/03(水) 02:10:33.270
>>444
なるほど、ありがとう
音写がたまたまカブっただけでも当然納得できるんだが、微妙に繋がりそうでもありモヤモヤする
とくに鮮卑慕容部から出てる吐谷渾の名前が出てくると気になるね、血縁ないにしても同じ鮮卑語では?って感じで・・・

ホータン王名を調べてみたら1世紀の兪林から始まり2世紀の安国で一旦不詳になってしまった後(ここまで「尉遅」名なし)、
ようやく魏書・西域伝にて和平二年(461年)に尉遅秋仁が出てくる模様
これは太武帝に追われた吐谷渾の慕利延が、逃走先のホータンで王と数万人を殺して占拠した444年の十数年後のこと
8世紀のチベット仏教書では2世紀のホータン王をも「Vijaya」で記しているってことだが、再検討の余地は残ってないかなあ
0446世界@名無史さん2017/05/05(金) 16:39:18.850
隋書に卑示閉練というホータン王が出てくるのを知った、卑示は尉遅の表記違い
これだと「Vijaya」にだいぶ近いから、やはり尉遅の件はたまたま音写がカブっただけのようだ
ウヰッチという名の元鮮卑の簒奪王族が、後にカローシュティー調の現地名に変じたというのでもなければね
0447世界@名無史さん2017/05/13(土) 11:59:16.270
部分訳だけど隋書の日本語訳出版されたで
ttp://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_40&products_id=100736
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