世界史上の遊牧民たち

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1世界@名無史さん2010/12/31(金) 21:23:190
匈奴やスキタイから始まり、柔然、鮮卑、突厥、エフタル、フン、アヴァール、
ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール。
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。

852世界@名無史さん2015/08/25(火) 22:12:15.360
くまんでぃん?

853世界@名無史さん2015/11/20(金) 01:50:15.030
パンノニアに入り込んだアヴァールなどのように定住農耕生活に以降する遊牧民も居れば
モンゴルでずっと遊牧を好んだモンゴル人ような存在もいるし
いい土地見つけたって言って定住する連中とそうでない連中の差ってなんだろうな

854世界@名無史さん2016/01/04(月) 00:19:12.030
アヴァールはほんとに柔然の末裔なのか?

855世界@名無史さん2016/01/12(火) 17:36:02.690
清時代に満州の故地から、屯田兵として新疆ウィグル地区に送られた
満州人の間でだけ、満州語が依然話されている、という話が載っている。
http://www.nytimes.com/2016/01/12/world/asia/china-xinjiang-manchu-xibe-language.html

856世界@名無史さん2016/06/01(水) 22:21:52.790
人類史における紛争の大部分は、農民等定着的な人々と
遊牧民等非定着的な人々の間のものだった、という説があるんだね。
・・・The philosophical novelist and essayist Michel Tournier, who died in January,
believed that nearly all human conflicts could be traced to the tensions between rootless
and rooted peoples. He offers many examples in an essay called “Nomad and Sedentary”
in his book “The Mirror of Ideas”: the fratricide in Genesis involving the sedentary farmer
Cain’s murder of his nomadic brother Abel, a shepherd; the invention of barbed wire in
America in the 1800s, which marked the sedentarization of pioneers and bloodshed over
the rightful ownership of land; the conflicts between the nomadic Tuareg and the settled
Saharan peoples; and the Nazis’ demonization of the Jews, imagined as rootless and
thus unrighteous transients.・・・
http://www.nytimes.com/2016/05/30/opinion/clinging-to-our-roots.html

857世界@名無史さん2016/06/01(水) 23:40:16.410
>>853
良い土地見つけたかどうかの差じゃない?

858世界@名無史さん2016/06/04(土) 09:56:12.880
>>857
それならモンゴル人も定住農耕生活に移行するはずなんだわ

でも遊牧を好んで農耕民を支配して収穫物を搾取するだけで農耕生活しないんだよ

859世界@名無史さん2016/09/04(日) 23:10:50.350
日本にも騎馬民族征服王朝説なんてもんが過去にあったな

日本の異民族としては、アイヌが本州にもいてマタギの祖先説もあるし
狩猟技術に長け、人食いオオカミ退治の依頼など特別待遇だった
……
  本州アイヌと蝦夷錦にみる海峡往来
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1905.pdf

 > クマやオオカミ、特にオオカミは和人が獲るのは難しか. ったようです。
 > そこで、クマ退治、オオカミ退治をする. 時には、
 > アイヌの人たちを動員してクマ狩り、オオカミ. 狩りをしました。
……
  津軽アイヌの狩猟 江戸時代の藩日記から
http://www.frpac.or.jp/application/files/28seminar_yamagata.pdf

 > 江戸時代の津軽半島にはアイヌが住み、人喰い熊や人喰い狼が現れると
 > 津軽藩(弘前藩)の. 依頼を受けて駆除をしていました。
……
もちろんアイヌは狩猟採集民で遊牧民では無いが
蝦夷が騎馬戦闘に熟達していたのは、また影響を与えた民族が別にいたのか?

860世界@名無史さん2016/09/04(日) 23:13:41.090
アイヌは牧畜を全くやっていない件。

861世界@名無史さん2016/09/05(月) 02:03:04.480
オランダ領時代のケープ植民地において奥地を転々とした
トレックボーアは・・・・・・・違うよな。

862世界@名無史さん2016/09/05(月) 12:54:19.320
>>858
モンゴルなどの遊牧民は暑さに弱いってよく書かれてるけどそれは嘘だろ?
アラビア半島やマグレブのような暑い乾燥地帯にも遊牧民いるのに

863世界@名無史さん2016/09/17(土) 11:21:05.020
質問なんですけど遊牧民ってなんで馬を飼ってるんですか?
羊を飼うのは生活のために分かるのですが馬って戦争以外の何に使えるんでしょうか
犬がいなかったから羊の追い込みのために馬を使ってたのですか?

864世界@名無史さん2016/09/17(土) 22:20:18.680
馬を飼わない遊牧民は結構います。
歴史書に残っている民族でも多数いる。
牛に騎乗するなんてこともやっていた。

アジアで馬がメジャーになるのは匈奴あたり。

865世界@名無史さん2016/09/18(日) 03:17:57.150
アラブだと、ラクダもいる
移動、運搬、騎馬でなく騎ラクダで戦争

象も戦争に動員されるが象遊牧もいるのかな、えさ代が出ないからいないか

866世界@名無史さん2016/09/20(火) 21:40:30.270
>>862
リビアの故カダフィ大佐は遊牧民の出自に誇りを持ってた
テントで寝泊まりすることも多かったという

867世界@名無史さん2016/11/16(水) 05:42:43.350
>>776
中東やチベットみたいに、貿易文化があまり育たなかったのも不思議だよな。土地が広すぎたのもあるのかもしれんけど、部族間の繋がりや線引きが曖昧になってるし。だからこそロシア人と同化も早く進んだんだろうが。

868世界@名無史さん2016/11/16(水) 18:29:35.060
上の遊牧民という考え方は良くない
民族に優劣はない

869世界@名無史さん2016/11/18(金) 18:46:49.040
俺もなるわ遊牧民に

870世界@名無史さん2016/11/18(金) 22:05:05.730
ジンギスカン(1979) 歌詞付き
https://www.youtube.com/watch?v=ol50CA0WQEk

871世界@名無史さん2017/03/15(水) 19:15:49.520
>>868
民族に優劣はある

872世界@名無史さん2017/03/19(日) 09:28:26.200
>>862
いやモンゴル系は暑さに弱い

同じ遊牧民でも遊牧騎馬民とそうでない遊牧民はかなり生活形態も違うし
清朝ではモンゴル人が江南行くとすぐ暑さと気候で病気になることから
北京より南にモンゴル人が行く事は基本禁止だった

873世界@名無史さん2017/03/21(火) 13:53:28.390
>>862
ササン朝を滅ぼしたアラブ兵は騎兵率低かったろ?
遊牧民でも暑い地域は騎兵率が低い気がする

874世界@名無史さん2017/03/21(火) 13:56:55.760
人口密度が低くないと騎兵は維持できないよ

875世界@名無史さん2017/03/23(木) 04:15:55.950
トルコ人やブルガリア人にはアジア人特有の下戸の遺伝子を誰一人持たないらしいけど
アジアからやってきたんじゃなかったのか?
ハンガリーでさえ1%未満だけど遺伝子の保有者がいるというのに

876世界@名無史さん2017/03/23(木) 13:54:16.890
そりゃフン族の末裔だからな(つっこみどころ満載)

877世界@名無史さん2017/05/24(水) 11:44:42.150
>>875
アジアといっても場所が違うよ
下戸遺伝子は東アジア特有のものだからね

878世界@名無史さん2017/05/24(水) 13:40:58.170
大陸内部だと保存食でもある乳発酵食品を食べるから、アルコールに強くなる
発酵するとアルコールが出来る
海岸部は食べないから対応遺伝子を持たない、みたいなことなのでしょうか

しかしブルガリアは大陸内部から来たので違うか、カスピ海、黒海の魚を食べていた?

879世界@名無史さん2017/06/30(金) 21:49:50.350
世界の秘境で日本料理4★1 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://himawari.2ch.net/test/read.cgi/livetbs/1498822452/

880世界@名無史さん2017/07/02(日) 00:16:47.350
トルコ人はルム、ブルガールはスラブに飲まれちゃったからね
満州族にしてもそうだけど遊牧民牧畜狩猟民は圧倒的多数の農耕民を支配した場合はそれに飲まれる運命なのよ

881世界@名無史さん2017/07/02(日) 00:18:01.540
>>872
いやいや大理あたりまで南下して雲南王国造った連中がいただろ

882世界@名無史さん2017/07/02(日) 07:48:42.160
>>881
南詔や大理は、チベット系遊牧民政権だよ。
明清代の麗江土司木氏も、チベット系遊牧民だ。

曲陀関にはモンゴル語を使っていた土司もいたけど、
現在ではそこの住民は現地人と見分けがつかない。

883世界@名無史さん2017/07/15(土) 14:40:04.650
ブルガール人は当時のブルガリア人口の5%以下だったらしいね
だから現ブルガリア人の体質はブルガール人とのそれとは
だいぶかけ離れているとみてよいだろうね

884世界@名無史さん2017/08/20(日) 12:19:01.560
遊牧国家 ゆうぼくこっか  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。

・遊牧民の慣習である、領地領民の分割相続により、君主の弱体化や内乱を招く
・征服した各地の文化に染まり、モノを持たない遊牧民文化が薄れる
・たいてい「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 となって各国が叛乱する

各地の叛乱どころかクーデターも誘発する短命体制

885世界@名無史さん2017/08/21(月) 09:45:46.190
遊牧民の窓

886世界@名無史さん2017/08/26(土) 19:22:30.200
モンゴルの若い遊牧民で「乳製品離れ」が進む 写真家が紹介
http://news.livedoor.com/topics/detail/13510884/

887世界@名無史さん2017/08/27(日) 00:20:38.550
砂漠化して遊牧人口自体が増えてないからな。
緑化してもトゲトゲのあるマメ科が勝ち抜くから牧草増えないし。

888世界@名無史さん2018/01/30(火) 12:26:20.050
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

GGTWY

889世界@名無史さん2018/02/04(日) 19:04:46.960
中国はなぜ歴史上ながく遊牧を征伐し、征服させることができず、逆になぜしばしば少数に容易に征服されたのかは力が来的な答えがある

そもそも中国は歴史上大規模な北伐は行ってない。中国史における大規模北伐は過去2回であり
一度は南普(東普)の洛陽奪還北伐
そして二度目は明の北京奪還北伐である

そして中国はそれより遠く、満州、モンゴルへの北伐は歴史上も一度も行っていない。
始皇帝や武漢の北伐は北伐というほどの大事業ですらない

その答えは兵糧である。
中国が北伐を行うには消耗も想定して北伐軍5万、補充その他人足の10万が必要だ
そして期間は征伐に1年、制定と農地駐屯地確立に5-10年かかる

つまり動員数は10万でも必要な兵糧は軽く50万は必要で、首都などから1000km北進して北京に、北京から1000km北上するには、途中の中継地の整備と中継備蓄が必要だ
この開拓整備に100万の食料がいる

北伐は動員兵力で10万は必要で事業整備は100-200万の食料が必須だ。しかしその食料は金銭的な価値でいうと政府の在出を超過する。
よって大規模北伐はたかだか数百km前進した洛陽奪還(敵は自爆)
明の北京せんとの二回しかできなかった

そしてこれも誤解されがちだが、中国は実は華北、華中の大規模開拓を行ったのは歴史に新しい
歴史上は曹操の時代にやっと北京までのルートと中継農地を開拓して、明、清でやっと華北の領土化と開拓が行われた

よってそれ以前の歴史華中、華北は人口100-200万の辺境に過ぎなかった
このため北京で戦うには大兵糧が不可欠で、そこから満州までに数百万人分、そこからモンゴルまで数百万の食料が必要だったため
中国は歴史上積極的に満州ーモンゴルへの北伐をおこなえていない。実はその手段が確立されたのは
19-20世紀に鉄道がしこうされてからなのである

よって清の時代ですらモンゴル本国はてつかずで歴史上いかなる敵も征服できない聖域であり
このため中華系人も日本の満州開拓をするまで大規模な居住圏、生存圏を有さなかった
満州はそれこそ農家がはじまったのは満州国以後であり、よってモンゴルにおいては未だまともに農家すらされてないのである

890世界@名無史さん2018/02/04(日) 19:14:18.590
ここにモンゴル遊牧の無敵性がそんざいして、モンゴル社会は歴史上ロシア帝国、ソ連の侵略をうけるまえ、大規模襲撃を受けたことはなかった
よって無敵の聖域を1850年頃まで堅持したがため、日本のように外敵支配をうけにくいがため
中華社会で最強の外貴族的地位を維持し、しいていえば敵は同じ社会にいる遊牧民のみで内戦しかしてなかった

それこそモンゴル人は歴史上対ソ連ロシア帝国戦、ノモンハン事件の2つの体外戦争以外、本格的な国境戦を経験していないんである

故に強く横暴にして野蛮で中国を2000年侵略した

そして相対的に中国は10万の動員と数百万の兵糧でしか北伐できないなら
遊牧は少数で侵略し食料が不要であり、中国首都までたった数百が守る関所を5-10個とっぱする
2ヶ月の首都南進では中国は動員間に合わず、首都常備兵はたった1万しかいない
よって常に力学敵に少数制圧が容易だった

そしてかりに首都に常備兵3万をおけば反乱懸念を生む+独裁危惧がうまれる+地方反乱を平定できない
よって中国の首都警備はザルだった

中国は主要人口圏において、十分な守備隊を常備的に持たな

そして明、清において大規模な恒常的な守備隊、国軍を持ち始めたがため、明は独裁といわれ、軍事+万里事業出費は増大して、農業、食料事情はあっかして
飢饉が蔓延して最悪政権の烙印をもらう。これも中国ほごにすぎなかった

またそんななかコスト面で万里事業の採算性は消して悪くなかった。
万里事業と言っても漢王国の時代は常備的に数千から1万、とうで2万、明200年で10万規模の守備隊と建設力を動員した
しかし累計動員数は5000万規模、年次負担たった2万と兵糧5万以下で事業をやった
これが武力に訴えれば一度に2000万の食料を要求して、数百年に一度兵力動員して
それを2000年計食料数億人分を動員して中国を守れるためコスト合理性はなかった
よって万里事業はコスト合理的だった

891世界@名無史さん2018/02/04(日) 19:20:53.550
独裁政権といわれ、対日、対蒙外交で失敗した最悪みんせいけんであったものの
万里事業成功の偉業は大きい

そして万里成功で遊牧侵略を阻止したにもかかわらず、ザナドゥ征伐は不可能だったからモンゴルも大貴族的地位を認め
国軍主力を満州+モンゴル連合軍にしておいた
万里をつくってもやっとそのレベルで均衡をとるのが限界だった

中国において遊牧は2000年の外患でこれは近代文明による軍事侵攻手段
及びロシア中国包囲編の牽制力が確立されるまで、2000年恒久的な外患を解消できず、発展が阻害された

892世界@名無史さん2018/02/04(日) 19:35:51.100
支那(シナ)が差別語ならば、「中華」はどうなる? --- 宇山 卓栄

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180204-00010004-agora-int&p=2


中国が嫌がる理由とは

(以下略)

「民族」で読み解く世界史
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%80%8D
%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F
%B2-%E5%AE%87%E5%B1%B1-%E5%8D%93%E6%A0%84/dp/4534055587/ref=sr_1_1?
ie=UTF8&qid=1517740294&sr=8-1&keywords=%E8%AA%AD%E3%81%BF
%E8%A7%A3%E3%81%8F%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2

893世界@名無史さん2018/03/09(金) 20:35:02.360
>>889
漢民族には遊牧世界の制圧は無理ということかな

894世界@名無史さん2018/03/12(月) 00:40:49.710
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

895世界@名無史さん2018/03/13(火) 18:35:39.850
後漢末の曹操は匈奴の単于をひっ捕らえてギョウに抑留して
その遺民は匈奴中郎将を派遣して統率してたし
唐の李世民も突厥の可汗をひっ捕らえて長安に抑留してその故地には都護府を置いて
間接統治をしている
明も永楽手の治世に女真の地をすべて制圧した後、奴児汗都司を置いて直轄統治している

896世界@名無史さん2018/03/13(火) 18:44:56.320
ザナドゥは関先生率いる紅巾軍が陥落させて、元の玉璽を奪取しているし(これはその後、李成桂の手に渡った)
永楽帝は現在のウランバートルまで遠征してるけどね
霍去病に至っては匈奴の単于庭を焼き払い、バイカル湖まで追撃し
王を三人、将軍・相国・当戸・都尉ら八十三人を捕虜とするなど北征の中でこれが一番規模が大きい

897世界@名無史さん2018/03/14(水) 10:01:33.410
霍去病なんて若造に蹴散らされるなんて、この時代の匈奴は弱かったな
しかし、霍去病、病が去るなんて名前を持っていながら、若くして病死してしまった・・・

898世界@名無史さん2018/03/18(日) 08:14:47.690
呼延灼や尉遅恭は匈奴系なのか

899世界@名無史さん2018/03/18(日) 08:57:59.890
時代的には、沙陀かな。トルコ系言語だから現代のキルギスみたいな感じだろうな。

900世界@名無史さん2018/03/18(日) 09:04:31.880
尉遅恭だともう少し早い時代だから鮮卑だろうな。拓跋みたいにモンゴル系言語かもしれない。

901世界@名無史さん2018/04/18(水) 06:19:12.000
日本の教科書やwikiにキメク・ハン国の記述が全くないな
当時世界最大の領域だったらしいが
セルジュークやロシアのタタールの故国だったの?

https://en.wikipedia.org/wiki/Kimek_confederation

902世界@名無史さん2018/05/12(土) 21:37:58.950
5.12 四川大震災六回忌
   ∧∧  ∧∧
   (*゚ー゚) (´∀`)
   | つ(⌒⌒)と |
 〜(,_つ\/と_ ,,)〜

新着レスの表示
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
レスを投稿する