ドイツの歴史

1世界@名無史さん2011/11/12(土) 23:11:40.380
ゲルマニア、フランク王国、東フランク王国、神聖ローマ帝国などについて語るスレです

403世界@名無史さん2017/09/10(日) 11:44:05.190
当時の北イタリアは、ランゴバルド族というゲルマン人の国

南ドイツとは、同じゲルマン仲間だ

404世界@名無史さん2017/10/31(火) 14:53:06.710
戦後の西ドイツ、国軍や各軍種のトップの呼称を総監(Generalinspekteur)に
したのは何でだろ?

405世界@名無史さん2017/11/16(木) 07:13:16.370
教科書から坂本龍馬が消えるって問題になってるけどカノッサの屈辱が消える方が問題ありだよな
中世の皇帝vs教皇の叙任権闘争をどうやって教えるんだよ
俺高校の時世界史の授業でこの話習って大学で西洋史専攻を決めたのに

406世界@名無史さん2017/12/31(日) 22:10:51.040
ザクセン=ワイマルとか、ザクセン=コーブルク=ゴータとか、ドイツの各領邦の
名前はややこしい。

みんな区別つく?

407世界@名無史さん2018/01/01(月) 00:15:37.250
スペイン・ブルボン家とフランス・ブルボン家とかの区別つくならそのうち区別できる

408世界@名無史さん2018/01/12(金) 14:51:16.750
「ドイツ人」という呼び名が初めて記録に登場するのは、10世紀の半ば頃、それを
用いたのはイタリア人である。
ところが、「ドイツ人」と呼ばれた人々の側では、互いにライバル関係にある下位の
四つの民族(フランク人、ザクセン人、アレマン〔シュヴァーベン〕人、バイエルン人)
のいずれかに帰属しているとの意識しか持っていなかった。
四民族が、相互の間を横断的に貫く仲間意識を強め、自らを指して「ドイツ人」という
総称を用い始めたのは、約半世紀後の1000年頃のことである。

409世界@名無史さん2018/01/13(土) 05:58:09.450
紀元前のゲルマニアから続く長いドイツの歴史において、現在はある意味最悪だろうな

領土が歴史上最小になってしまった
すべてアドロフ・ヒトラーのせい

410世界@名無史さん2018/01/29(月) 09:46:17.000
第二次世界大戦後のドイツって、ドイツマンセーから欧州マンセーに変わっただけじゃね?
本質的には何も変わってない希ガス

411世界@名無史さん2018/01/29(月) 10:44:59.700
【大イスラエル帝国】  阪神(46分)NY(46分)東日本(46分)チリ(46分)  【ユダヤ数秘術の46はテロ】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1517144167/l50

412世界@名無史さん2018/01/30(火) 07:33:38.600
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

JYCY7

413世界@名無史さん2018/03/10(土) 09:28:10.380
ホーエンツォレルン家は、11世紀にシュヴァーベンの伯爵として年代記に現れる。
15世紀にブランデンブルク辺境伯領を得て選帝侯となり、17世紀にはバルト海沿岸の
プロイセン公国を正式に統合した。

414世界@名無史さん2018/03/10(土) 09:35:50.200
>>413

もとは、ライン川流域の民族・アレマン人だったのに、東の辺境のプロイセン王になったのは歴史のドラマ

415世界@名無史さん2018/03/10(土) 13:25:32.490
>>408
その辺りでバイキングの侵攻はまだまだ盛んで、中世の混乱期が続いているように
見えるものの長い中世と部族の時代が終わって同じドイツ人としての意識が持てる位
ドイツ語圏の交流が活発化してきたとも言えそうですね
ドイツを見ていると中世社会から近代社会への移行期というのは非常に長い

416世界@名無史さん2018/03/10(土) 14:19:12.710
>>406
ドイツの人名や地名は欧米の中でも一番長いから嫌い ノイローゼになる
ザクセンは北ドイツ全体、日本で言えば坂東や陸奥のような広すぎてどこなんだよ!
という感じを受けるので姓や国に付けないで欲しいわ 普通にワイマールだけにしてくれた方が良いのに 
日本の場合は吉田氏と麻生氏、岸氏と安倍氏が結婚したらどっちかの姓が消えるし、
ドイツも絶対そうであって欲しい
コ―ブルグ家が廃絶になったゴータ家の領邦も受け継いだなら
姓はコ―ブルグだけにしてザクセンとコーダは付けないで ドイツはそれが嫌

417世界@名無史さん2018/03/10(土) 15:21:55.070
どうでもいいけど、「ザクセン」と聞くと、どうしても歯磨きを連想してしまう

「ザクトライオン」によって刷り込まれたイメージだ

418世界@名無史さん2018/03/10(土) 15:24:35.300
現在のザクセン州を思い浮かべると、中世のザクセンがまったく分からなくなる

419世界@名無史さん2018/03/10(土) 16:06:48.480
現在、世界を席巻している米英のアングロ・サクソン人の故郷の一つが、ここドイツのザクセンだからなぁ〜

420世界@名無史さん2018/03/10(土) 16:07:49.800
ちなみに、英国人は現在も親しみを込めて、ドイツのザクセン州をサクソニーと呼称している

421世界@名無史さん2018/03/11(日) 10:51:41.130
ドレスデンを火炎地獄にしてくれたイギリスに親しみを込めて呼ばれると
いくらドイツ人でも気色悪いだろう

422世界@名無史さん2018/03/11(日) 20:48:01.040
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

423世界@名無史さん2018/03/12(月) 22:33:35.220
ハプスブルク家といえば、多くの人がオーストリアそしてウィーンとの関係を
想起するだろう。しかし同家は、現在ドイツ、フランス、スイスの三国が国境を
接する、ライン上流域の出身である。
11世紀前半、彼らはチューリッヒ北西の丘陵地に支配の拠点となる堅牢な城郭を
築いたが、この城の名は「ハビヒツブルク」から「ハプスブルク」へと変遷し、
一族の名の由来となった。

424世界@名無史さん2018/03/12(月) 22:37:35.220
結局、みんなライン川なんだよな。

エジプトにとってのナイル川、中国にとっての長江と同じで、ヨーロッパにとってライン川は特別に重要。

「暗黒の中世」とされる時代、ドイツは後進国だったけど、ライン川の流域だけは別格だった。

425世界@名無史さん2018/03/13(火) 15:05:07.860
>>406
ザクセンは特殊なんだよ
日本でいうと東北地方全体がザクセンでワイマルとかコーブルク=ゴータというのは仙台藩や庄内藩みたいな感じ
何故こうなったのかといえばハインリヒ獅子公がやらかしたため、時の皇帝フリードリヒバロバロッサがザクセン公国を解体したのが原因
今のノルトラインウェスファリア、低地ザクセン州辺りからザクセン州の辺りまでがザクセン公国の版図でした
忘れてた。
ブランデンブルク辺境伯領も元はザクセン公国の一部でしたよ。

>>413
シュバーベンのツォレルン伯が起源でしたね
それがニュルンベルクの城伯に出世してブランデンブルク選帝侯へと

426世界@名無史さん2018/03/13(火) 16:04:49.730
>>425ですが訂正

ノルトラインウェストファリアはザクセン公領の版図ではありませんでしたね
フランク人の根拠地でした
ザクセン人はフリーゼン、チューリンゲンも侵略し版図を拡げていました
チューリンゲンはその後方伯領として自立
フリーゼンはニーダーランドの一部に
バルト海沿岸の諸都市リューベック、ハンブルク及びブレーメンは自由都市として自立

バイエルンのように旧い部族太公領が細分化せずにそのまま領邦化したのは稀な例

427世界@名無史さん2018/03/13(火) 17:48:37.260
バイエルン人は当初アギロフィンガーという豪族が部族内の各派を取りまとめて支配し、
その後8世紀の終わりごろにはカール大帝が統治したフランク王国の支配下に入り、
そのバイエルン公爵領となった。
962年にオットー大帝が即位し、後に神聖ローマ帝国が成立するとバイエルン公爵領も
その支配下に入る。
1002年にはバイエルン公爵のハインリヒ2世がドイツ国王に即位し、その後70年ほど
バイエルンはドイツ国王の活動の中心地となった。
1156年にオーストリアはバイエルンから独立し、バイエルン出身のバーベンベルク公爵の
治める公爵領となり、その後、1278年にハプスブルク家が領主となって以来発展し、
母体であるバイエルンをしのぐ大国になった。

428世界@名無史さん2018/03/13(火) 18:13:37.390
1180年まではハインリヒ獅子公がバイエルンとザクセンを支配していた。
ミュンヘン、リューベック、ブラウンシュヴァイクなどの都市を建設した同公は
バイエルンよりもザクセンの統治に熱心だったが、ミュンヘンでは、現在も産みの親
として尊敬されている。しかし彼は皇帝フリードリヒ1世バルバロッサの再三の命にも
関わらず、イタリア遠征を拒否し、また、他の諸侯との紛争も多かったので、
帝国会議でバイエルン公爵とザクセン公爵の地位を罷免され、亡命先で憤死してしまう。

そしてフリードリヒ1世がその忠臣であるヴィッテルスバッハ家のオットー1世を
バイエルン公爵に任命し、これ以後1918年まで同家の支配が綿々と続くことになった。

429世界@名無史さん2018/03/13(火) 19:11:38.500
>>428
それは、ドイツ史の大立者だな。

皇帝より、よほど偉業を残してるじゃないか。

430世界@名無史さん2018/03/13(火) 21:56:34.550
そのハインリヒ獅子公の次男オットー四世(皇帝)は無謀にもイングランドのジョン欠地王なんかと組んでフランス王フィリップ二世に対抗
1214年7月27日、ブーヴィーヌにてぼこぼこにやられ逃亡
配下のフランドル伯フェラン、ソールズベリー伯ウィリアム、ブローニュ伯ルノー、ホラント伯ウィレムの他、25人の貴族と139人の騎士が捕虜になった
ちなみにオットー四世の母親はケン・フォレットの小説「大聖堂」にも出てくるマチルダ(モード女帝)
従って、ジョン欠地王はオットーの叔父さん当たる訳ですね
これを契機にドイツとフランスの勢いが逆転します

431世界@名無史さん2018/03/14(水) 02:00:37.900
神聖ローマ皇帝が帝国の力を総動員できたらフランス(当時)に勝るよな
フランス王国はフィリップ2世の治世で大幅に王権の範囲広げた古くて新しい国家だし
神聖ローマとイングランドで挟めば普通勝ちだと思うよな

やっぱりフィリップ2世は有能で幸運だったなー

432世界@名無史さん2018/03/14(水) 09:28:16.850
ヴィッテルスバッハ家はもともとミュンヘン北北西40qほどのところにあるシャイアン
(Scheyern)伯爵の家柄で、1115年にこの近くに築いたヴィッテルスバッハ城の
名前をとりヴィッテルスバッハを名乗るドイツ屈指の名門貴族。

433世界@名無史さん2018/03/17(土) 02:23:11.480
ところで、現代でもドイツ人はフランスのことをフランク国って呼称しているよな
言語系統はラテン民族だけど、ローマ帝政末期にガリアを征服したゲルマン民族フランク人の印象が濃いんだな

434世界@名無史さん2018/03/17(土) 23:59:01.360
フランク族はゲルマンだけじゃないよ
他にローマ人やケルト人などもいた
今でいえば人種のるつぼといわれるアメリカ合衆国的な存在だったような気がする

435世界@名無史さん2018/03/18(日) 09:27:02.300
「ドイツ」という言葉の起源はカール大帝の時代まで遡る。
deutschの最古の語形diutiskが羊皮紙に初めて書き留められたのは、1000年頃の
ことであるが、それに対応するラテン語theodiscusは、200年以上も前の786年に
現れていた。
ただし、この形容詞は、ほとんどもっぱら「言語lingua」との組み合わせで使用され、
lingua theodiscaは、「フォルク(=民族/民衆)の言葉」という普通名詞を意味した。
しかも、それがさす言語は、フランク王国内のゲルマン語系の人々が話す俗語
(古高ドイツ語、古ザクセン語)に限定されてはいなかった。
他にも、王国外のゴート人、イングランドのアングロ=サクソン人、イタリアの
ランゴバルト人、そして北方のノルマン人(ヴァイキング)の言葉、すなわち
ゲルマン語系の諸民族全般が話すさまざまな俗語を指していたのである。

436世界@名無史さん2018/03/18(日) 11:53:33.940
アイススケートしたい

437世界@名無史さん2018/03/18(日) 12:16:30.270
>>433
フランス人は、ドイツのことを「アレマン国」と呼んでいる

千年たっても、ライン川流域にいたアレマン族の印象が強い

438世界@名無史さん2018/03/19(月) 12:30:09.590
アレマンってシュバーベンのことだよな
最近知った

439世界@名無史さん2018/03/23(金) 11:36:19.420
ライン流域は、ドイツの中でも西方、南方の文明の影響を強く受けてきた土地であった。
古くはローマ帝国時代、カエサルがまず先住民族を撃破して以来、この地域はローマ人の
ゲルマニア進出の基地となり、古代ローマ文明の洗礼を受けることになった。
中世においても、ケルンはカトリック文明の中心地の一つとして栄え続けた。
ナポレオン1世時代、ライン左岸は一時的にフランス領となり、このときから
フランス市民法の適用される土地となった。
この状態は、ラインラントがビスマルク帝国でプロイセンの一部となった後も、
世紀末まで続いている。
またこの地域は古くからドイツ有数のワインの産地でもあった。

440世界@名無史さん2018/05/04(金) 20:02:09.750
素朴な質問で申し訳ないがイギリスのアングロサクソン族とドイツのザクセン人って元は同じ仲間だったの?
今はそれぞれ英語とドイツ語で意思疏通は難しいと思うが、もし同じ仲間だったら当時は共通言語で意志疎通してたということなの?

441世界@名無史さん2018/05/05(土) 00:10:53.350
>>440
ザクセン人を英語にしたのがサクソン人で、同じ頃にブリテン島に侵入したアングル人、ジュート人、サクソン人が
長い歴史の中で溶け合ったのがアングロサクソン人。だから元々は言葉も通じた。しかしイングランドはその後
フランスのノルマンディー公に征服されたのでその影響で英語は大きく変化した。他にもいろいろあった末に今の英語になった。

442世界@名無史さん2018/05/05(土) 00:15:47.390
>>441
一つ抜けた。イングランドはアングル人の土地という意味。

443世界@名無史さん2018/05/16(水) 19:05:58.320
Sonderwegstheseについて議論しないか?

444世界@名無史さん2018/06/01(金) 23:42:49.600
ドイツ人ってアーリア人なのですか?

445世界@名無史さん2018/06/02(土) 01:47:08.800
アーリア人はいらんとかインドとか中東とかの民族なので違います。

446世界@名無史さん2018/06/02(土) 02:04:45.570
>>444
1980年代初頭、高校世界史で習ったときには、
欧州から北インド、シベリアまでにまたがる広大な地域にインド・アーリア(ヨーロッパ)語族というのが広がっている
その間にアルタイ・ウラル語族(トルコ系など)が割って入るように広がっている
そのため、ドイツ人、オランダ人、イギリス人、ノルウェー人などのゲルマン系
フランス人、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人、ルーマニア人などのラテン系
ロシア人、ウクライナ人、ポーランド人、チェコ人、ユーゴルラビア人(現在セルビア人、クロアチア人、スロベニア人)、ブルガリア人などのスラブ系
イラン人(ペルシャ人)、インド人、アフガニスタン人、パキスタン人、タジク人等
これらは全てインド・アーリア語族です
一方、ハンガリー人はマジャール人で古代にアジア東方から移住してきたアルタイ・ウラル語族の範疇
フィンランドのフィン人もウラル語族系

以上のように教わりました

そのため、ヒトラーやゲッペルスがアーリア人の純血を説いて、ユダヤ人を侮辱するのは理屈がとおりますが、
同じ文脈でロシア人やポーランド人を貶したのは、言語学的に矛盾しております

447世界@名無史さん2018/06/03(日) 22:47:13.600
ナチス時代の12年間は、輝かしいドイツ史の中での鳥の糞程度の例外に過ぎない、
とドイツの極右政党の党首が言明。
Far-Right German Leader Dismisses Nazi Era as “Speck of Bird Poop” in Country’s History・・・
https://slate.com/news-and-politics/2018/06/far-right-german-leader-dismisses-nazi-era-as-speck-of-bird-poop-in-countrys-history.html

第一次世界大戦は置いといて、30年戦争はもっと長かったし、被害は人口比でナチス時代を上回るでー。

448世界@名無史さん2018/06/04(月) 00:12:49.490
東フランク王国から続くドイツの長い歴史から見ると、
確かに30年戦争、ドイツ農民戦争の方が、戦乱の期間が長く、社会に与えた悪影響も深刻

つくづくドイツは哀れな国家だな〜
けして、常に侵略する側の悪で結束した集団ではない

449世界@名無史さん2018/06/04(月) 05:19:32.640
三十年戦争って、ずっと30年間戦争していたわけじゃないしな。
切れ目なく戦った第二次世界大戦には及ばない。

450世界@名無史さん2018/06/04(月) 18:44:51.120
期間の長さが違うものは比較の対象にならないよ。
二十世紀の三十年戦争は1914年から1945年までの時期だろうな。
そうみれば切れ目なく戦ったわけではない。

451世界@名無史さん2018/06/07(木) 23:07:11.250
・・・昨年の1月、ドレスデンでの集会でヘック(Bjorn Hocke)氏は、現代ドイツを方向付けて
いる戒律・・・第二次世界大戦とホロコーストに係る同国の有責性・・・に疑問を投げかけ、
ドイツ人達に、自分達が自身の歴史への見方を「180度」転換させるよう呼びかけた。
ベルリンのホロコースト記念碑(Holocaust memorial)に言及しつつ、ドイツ人達は、
「自分達の首都の中心に恥の記念碑を樹立する唯一の人々」だ、と述べた。

すると、最近のある水曜日の朝、ヘック氏は田舎にある彼の自宅で目が覚めると、彼の
寝室の窓の外にこのホロコースト記念碑が設けられているのに気付いた。24個の長方形の
コンクリートの厚板群が、彼の土地に隣接する土地に、縮尺されて作られていたのだ。・・・

<こういう事をやってのけた側も相当なものであり、>例えば、ヘック家を撮影したり、ヘック氏
の人種的純粋性を検証するためのDNAサンプルを得る目的でゴミを漁り採取したりしている。
(その結果、ヘック氏にはポーランド人とポルトガル人の血が混じっていることが分かった。)・・・
<これをやった政治活動を旨とする美術団体の>一人は、「そりゃ、不愉快だろう、がしかし、
ドイツの歴史は不愉快なのだ」、と言ってのけた。
https://www.nytimes.com/2017/12/25/world/europe/germany-bjorn-hocke-bornhagen.html


この嫌がらせ行為の緻密な計画性、陰湿性、徹底性は、政治的立場こそ表見的には
対蹠的ではあるものの、ナチを髣髴とさせます。やはりドイツ人は変わりようがないようで・・

452世界@名無史さん2018/06/09(土) 05:21:25.250
>>429
ホーエンシュタウフェン朝がイタリアまで含んだローマ王であることを重視していた家というのが大きいだけでもある
獅子公はイタリア政策というかローマとか言われましてもなタイプの諸侯の代表
ハイリンリヒ6世が早死にしなかったらローマ王とシチリア王を兼ねる世襲皇帝の元に全然違う国ができていたと思うわ

453世界@名無史さん2018/06/09(土) 22:45:01.600
オイローパはドイツのものだ
あぁ! 偉大なるドイツよ再び! グロース・ドイチェランドの旗の下、ドイツ系の人達よ、立ち上がれ!

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