ロマノフ朝スレ
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アレクサンドル3世って凄いよね
この人が長生きしてれば革命は起きなかったんじゃないの
こういうバランスの取れた名君はいい
ユダヤ人からすれば最悪だったろうが >>2
長生きしてもいずれ限界にぶちあたったんじゃね? トルストイの「復活」はアレクサンドル3世時代のロシアが舞台になってるね。 WW1さえなければ
オスマンもロシア帝国もハプスブルクも大日本帝国も健在だったはず あ-35-9
平成21年度民主党第5区総支部(手塚仁雄議員)収支報告書(行番号1151、1204)
報告書73ページ目に、平成21年8月18日 「中山 諭」 250万円ってあるけど、誰だ?wwこいつはww
野田の側近の、手塚首相補佐官殿がお金もらってた中山諭って、
不動産販売会社 ダイナシティの当時社長で、覚せい剤取締法違反で
現行犯逮捕されてる奴だろ?w (共同通信) 2005 年- 6 月29 日
そういえば、レンホーちゃんも仲良しらしいじゃんw
それと、手塚っちがレンホーと中山さんと飲み会したって暴露ってるぞ?www
ヤクザとずっぶっずぶだなあwミンスはww イワン六世ってどんな育ち方をしたの。
カスパー・ハウザー(わからない人はwikipediaを参照)みたいだったのかな。 牢獄に幽閉されて隔離された人生を送っていたらしいが>イヴァン6世
エリザヴェータ、エカテリーナ2世嫌い。
アレクサンドル1世も余りにも偽善的。
ニコライ1世のほうがまだしも立派だと思う。 >>10
つまり有能で賢い皇帝が嫌いでアフォの皇帝が好きだとw 死刑廃止を謳ったり>エリザヴェータ
人道的なそぶりをしたりしながら>エカテリーナ2世、アレクサンドル1世
実際には農奴制を強化して表と裏が違いすぎる所。
アレクサンドル1世の屯田兵制度強制はひどい。
表も裏も一貫して帝政の強化を図ったニコライ1世のほうがずっと好感を持てる。
ニコライ1世は祖母のエカテリーナ2世の回顧録を読んで
「玉座の上の娼婦だ」と罵倒したらしい。 エリザヴェータ時代に拷問や死刑・体刑が廃止されたのは事実じゃなかった? 女帝の批判をして舌を切られてシベリア送りになった女官がいたと思う
>エリザヴェータ エリザヴェータは父親のピョートル大帝そっくりで気性の荒い破天荒な人物だったみたい
自分より美しい婦人にいきなり飛びかかって、装身具やら着物やらをむしり取った話とかw こんなに続けざまに女性君主が君臨した国・地域ってないんじゃ?
と言っても18世紀限定だが そもそもエカチェリーナ一世も二世も女帝になれたのが謎だよな
後者に至っては血統断絶させちゃってるし >>19
一世も血縁関係はないよ。
ところでパーヴェルって本当にピョートル三世の子なの? 限りなく怪しいけど、こればっかりは遺骨のDNA鑑定でもしないことには何とも。 メレシコフスキーの歴史小説『アレクサンドル1世』
誰か翻訳してほしいんだよなあ。
戯曲『パーヴェル1世』は面白かった。
皇帝の「国民が皇帝の為に血を流すのではなく
皇帝が国民の為に血を流すべきなのだ」って台詞には感嘆したよ。
但しパーヴェル帝の場合はそれが「諸外国君主との文字通りの決闘」
に飛躍してしまうんだが。 >>27
3行じゃ何が何だかわからんよ
もっと詳しく
ニコライ1世とかエカチェリーナ2世とかは知ってるのに、
ロマノフ朝の成立経緯についてはこのスレ、誰も知らないとか? エカチェリーナといえば二世だけど、一世も相当出鱈目な経歴だよな
リトアニアの農民の娘→酌婦→ピョートルの妾→皇后→ロシア皇帝 君主まで行くのは珍しいけど王妃までならそこまで珍しくもなかろう ミハイル・ロマノフ自身も本当にキエフ・ルーシの公の直系か? ツァーリは王の上位に位置し、王たちや公たちを纏めるいわゆる帝の意味だが
要するにロシア帝国は部族国家連合という意味なんだな
部族が消滅したためにツァーリの帝としての意味がわかりにくくなっていただけ ネットではミハイルがポーランドを撃退したかのような書き方をしている文書に出会うが、
本当にミハイルはモスクワの対ポーランド蜂起で指導者だったか?
ミハイルがツァーリに選ばれたのは大司教だった父親が蜂起の指導者だったのと、
本人は修道院にいたためにポーランド人と政治的関わりがなかったからでないのか?
変態や偏屈や呆けや怪力ばっかのイメージ
まあ共産指導者たちも似たようなもんな気がするが 直系じゃなくてミハイルの祖母がリューリク家の誰かの娘だっただけ リューリクの血筋ってやっぱり肝心なんだな
日本で言う天皇家のような ポーランドではカトリック過激派の国王が穏健派の議会(内閣)を無視してロシア政策で暴走した
モスクワではポーランドのスタニスワフ・ジュウキェフスキ総理・元帥がボヤーレたちと既に連邦制について
話をつけていて、せっかくあと一歩で仲良く超巨大国家連合が成立しそうだったのに
そのためロマノフ朝はポーランド国王に対抗する東方正教過激主義のなかから生まれた
ロシアとポーランドの対立はそれ以来、単なる政治的なものではなく、社会哲学そのものにかかわる
東方正教過激主義vsカトリック過激主義vsカトリック穏健主義
の3つどもえの戦いが600年続いている
モスクワ蜂起が1612年、来年2012年はこの600年目であり、
ロシアでは大統領選挙があるため、
ロシアではこの1612年の事件が民族過激派によって必ず利用されるであろう
ジュウキェフスキ構想(ポーランド議会構想)のポーランド・リトアニア・モスクワ連邦が成立していたら
その後の歴史はもちろん全く変わっていた この件で最も重要な歴史的資料であるジュウキェフスキ総理兼大元帥の回想録『モスクワ戦争の顛末について』が邦訳されていないのは、
日本における中欧・東欧史研究者たちの怠慢である!
600年目なんだよな
しかしプーチンは割と親ポーランド的な人物なんだが
むしろメドベージェフの方が強硬だ >>43
もしそれが成功していたら、かなり面白い世界になったのではないかな
カトリックにて、ビザンツとジンギスカンの後継者
スラヴの人は、ゲルマンと違って、メンデルやダーウィンまで持ち出してまでの
筋金入りの人種差別はしないから、わりと人種間、民族間、異なる宗教観での
緊張は低くなっていて、
西側からのナポレオンやヒトラーからの侵略を難なく撃退して
かと言って、その大帝国は侵略主義的でもなく
ポーランドよりも西側の地域でも西側資本主義や技術や思想哲学
が入ってきて、世界は穏やかに戦争と革命の20世紀も
かなりかわっていたのではないかな
>>34
王や公がいたら部族国家ならヨーロッパのどこでもそうだな >>47
ロシアの民族主義はそんな生易しいものじゃないからいずれその連邦も瓦解しただろう。
ただしその一方でポーランド分割(ポーランド・リトアニア共和国の滅亡)という事態も起きなかったかもしれない。
ポーランドの発展とプロイセンの発展はイデオロギー的な意味ではゼロサムゲームであるから、
「共和国」の存続はその発展と同義であるため、これはプロイセンの弱体化を意味する。
ポーランドはプロイセンを再び取り込んだだろう。
そもそもドイツ国家の礎となったプロイセン公アルブレヒトはポーランドの名君ジグムント2世のいとこだ。
これはほとんどの日本人が知らない衝撃の事実。
そしてこれも衝撃だろうが、ポーランド・リトアニア・プロイセン共和国が成立したら、
王はおそらくホーエンツォレルン家が就く。
ヤギェウォ家の本家の男系はジグムント2世で途絶える為。
しかし非常に重要なことにポーランド・リトアニア共和国は王権よりも議会が強い国家で、
事実上の内閣たる大法官(通常は王冠領大ヘトマンと兼職)の行政府が存在するという、
事実上の議院内閣制の立憲君主国。(ないし選挙王政時は事実上の大統領制の立憲主義国家)
ホーエンツォレルン家の王と、大法官が主催する王の諮問会(事実上の内閣)。
共和国はこの形になったであろう。 実現していれば第一次大戦も第二次大戦も起きなかっただろうな 質問です。ロマノフ朝時代のロシアってドイツにあこがれていたんですか?
サンクトペテルブルクみたいにドイツ風の名前の年を作って首都にしちゃうし >>52
ピョートル3世はプロイセンのフリードリヒ大王に憧れたようだ。
エカテリーナ2世はドイツ人だしね。 サンクトペテルブルクを作ったのはピョートル大帝だよ
西欧化の一環だと思う サンクトペテルブルクは後になまった発音で、ピョートル大帝の時代にはザンクトペテルスブルクと呼ばれていたんじゃ
ないの? 未だに遺骨の真贋が気になってるんだけど、
偽物だとしたら本物はどこにあるんだろ 陰謀論などの反ユダヤネタの大元は帝政ロシアの宣伝機関によるものが大半。 ニコライ1世の伝記を読みたいけど、日本語のはないね・・・。
『秘史デカブリストの乱−ニコライ1世の即位』という本はあって
結構面白かったけど。
ニコライ帝に仕えた貴族官僚が書いた本で
当然ながら反乱軍将校には辛辣。 エリザヴェータの死で終わらせて以後をホルシュタイン=ゴットルプ朝としたり、
エカテリーナ2世のクーデターで以後をアンハルト=ツェルプスト朝としたりせずに、
革命までの間をロマノフ朝として纏めるのはなして?ドイツ系の王朝ってゆーのを
ハッキリさすと都合悪いから? プーシキンが、
「さて諸君、ピョートル大帝は純粋なロシア人だが」と前置きして
ワインを何度も水で半分に割って
これが今の皇室の血だ、と揶揄したって話は聞いたな。 ロマノフ家がキンメリアやスキタイの時代から続いているという伝承があれば
エチオピアや日本の皇室をも上回る由緒ある家柄になるんだが・・・ 血筋の上ではたぶんエリザヴェータの死でロマノフ朝は断絶してるんだよね
エカテリーナ2世はドイツ人だし子供のパーヴェルは夫ピョートル三世の種じゃないw パーヴェル1世がピョートル3世の子供じゃないって言うのは、パーヴェル1世を嫌ったエカテリーナとその周辺が
言っていたことなので怪しいがな。 パーヴェル一世の遺体を発掘してDNA鑑定にかけたらええんや。 ロシア人自体、アント人というスラヴ語派の諸部族が北へ進出して、
現地のバルト語派やウラル語派の諸部族を吸収同化して成立した民族。
アント人はチェルニャコフ文化の担い手で、スラヴ語派、イラン語派(おそらくサルマタイ)、ゲルマン語派(おそらくゴート)の諸部族の混血。
中世初期のスラヴ語派は3つに分かれていた。
ヴェンド(西スラヴ)、スラヴ(=スクラヴェン、南スラヴ)、アント(東スラヴ)。
そのうちロシアやウクライナは当然、アントの系統。 >>63
某ミステリ小説で日本に逃げてきたアナスタシア皇女が
どこの馬の骨とも知れない日本人と結婚して子供を成したことを屈辱に思って一族皆殺しにしてたけど
出自がよく分からないのはロマノフ家も大概じゃねと思った アナスタシア皇女は家族と共に虐殺されていたのだと知った時は
心底あの嘘つきポーランド女を軽蔑したな。
精神病なら仕方ないだろうが、たぶん正気だっただろう。
手口が狡猾すぎ。
ロマノフ家の遺産目当てで
何十年間も死ぬまで大嘘つき続けた蔑むべき女。 だがアンダーソンがアナスタシアとは別人であるという決定的証拠はないんだろう?
小腸のDNA一件は肝心のその小腸に関して方法論的に胡散臭いことになっている
前提の段階で疑いを残す似非科学的手法を使うのはどうか 本物のアナスタシアの遺体が見つかったんじゃなかったのか。 アンダーソンはミスして爆弾を爆発させて同僚を爆死させた後に都合よく記憶喪失して悲劇の皇女アナスタシアを名乗った殺人者にして詐欺師です ロマノフ2世の4姉妹で末娘のアナスタシアが一番有名だけど
しゃくれていて、容姿は4人の中で残念な感じだね
3女のマリアは正統派美女、2女のタチアナは高貴な感じのクールビューティーって感じだけど 映画は見てないけどミュージカルのアンナカレーニナは見たよ
感動的だった 【双頭の鷲復活】ロシア 1世紀ぶりにロマノフ王朝記念碑復元【ロシア革命】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1383574544/
ロシア:クレムリン横、1世紀ぶりロマノフ王朝記念碑復元
毎日新聞 2013年11月04日 21時21分
【モスクワ田中洋之】帝政ロシアのロマノフ王朝成立から400年にちなみ、
モスクワ中心部のクレムリンに隣接する公園に1世紀前建立された王朝300周年の記念碑が復元され、4日に披露された。
碑は1914年の完成時に初代ミハイル・ロマノフから最後のニコライ2世まで歴代皇帝17人の名が刻まれていたが、
ロシア革命(1917年)直後にマルクス、エンゲルスら共産主義者19人の名前に変更された。
今回の修復で元の姿に戻り、頂上部には革命で撤去されたロマノフ王朝の紋章「双頭のワシ」も復活した。
4日はロシアの祝日「民族統一の日」にあたり、ロシア正教会指導者のキリル総主教が清めの儀式をして碑の復元を祝った。
http://mainichi.jp/select/news/20131105k0000m030060000c.html ロマノフ朝って、皇帝ごとに寵臣が入れ替わるイメージが強い。 絶対君主だからね
寵臣が有能なら良いけど無能なら国が傾く罠w 有能な皇帝は、特に能力重視で、下級貴族から有能なのを引っ張り上げる。
これにより寵臣となり、活躍するが、パトロンの皇帝が死ぬと、大貴族らに
よって失脚・流刑・左遷させられる。
西欧でも、あることにはあるが、ロシア史には特にこのような流れが多い気がする。 エカテリーナ二世の後も女子の皇位継承権が認められていたらどうなっていただろうか? どこかで、ロシア帝国は経済成長の波に乗っていて、革命で倒れさえしなければ
ボルシェビキのロシアなぞよりも偉大な国になれた、みたいなレスを見た記憶があるが
これって本当? これらの考察について具体的に書かれた本ってある?
そもそも西欧列強よりも近代化・工業化が遅れていたから
第一次世界大戦という国家総力戦を耐えられなかったのだし、
戦闘でもドイツにボコられたんだろ? それはロシアでも民主化要求が強かったから赤化せず民主化出来たら、
日本やその他の近代化後発国の成功例のように発展できたのではっていう願望でしょうね。
ロシア自体にドイツやフランスなど西欧への憧れが強くてアメリカからの投資もあったから、
西欧的な近代化へ進んだのは間違いないと思いますがそもそもアメリカと対立する理由もなくなるので全盛期のソ連と比較してどうかはなんとも。
ただ民主主義がちゃんと維持されるのであれば今のロシアよりは豊かな国になってたとは思いますが。
ただ民主化されたロシアとアメリカが友好的なのは日本にとってはあまり良いとは言えないですね。 ロシアが資本主義だったら冷戦がなかったぶん早く資本主義経済が破綻していただろうね
まあ遅かれ早かれ破綻するけど。 共産主義のせいで、たくさんの人間が死んだけど
共産主義というカウンターイデオロギーがあるおかげで
資本主義にもある種の自浄が進んだからね。富の再分配とか福祉とか。 >>88
まあ第一次世界大戦でドイツにボコボコにされたのは事実だが、
オーストリアはボコボコにできたんだからいいんじゃないの
相手がオーストリアとかイタリア程度なら圧倒していたよ
尚武勇猛なドイツが敵だったのが不運だったんだよ ブルシーロフ攻勢は第一次大戦の中でも最も偉大な戦果のひとつだしな
オーストリアを不具にしただけでなく、浸透戦術の発端になったという点で軍事史の上でも重要 戦争マシーンだからな、ドイツは。
キン肉マンのウォーズマンはソ連出身じゃなくドイツ出身にすべき。 プロイセン軍人の伝統が多少なりとも残っていた二次大戦のドイツは筋肉は少し残っていたが、
戦後はゲイの国だけどな、ドイツは。 ナチス時代の反動なのかな。
現代のドイツ(西独側)は、権威的で保守的で父権的なものへの拒絶反応が強い。 あれか、ナチ時代の禁煙運動の反動で
煙草バカバカ吸ってたりするの? >>97
そのようだな。「煙草の害を説く奴はナチ」みたいな感覚はあるらしい。
スモーカーの自分から見ても、明らかに不当な偏見だが。 初代のミハイル=ロマノフには、
リューリク朝との血縁関係はあるの?姻戚以外に。
女系でつながっているとか? ロマノフ家なんていっても、エカテリーナ大帝で完全にドイツ系に入れ替わってるよな。
旦那のピョートル3世自体、ドイツ人だし。 アレクサンドル3世とニコライ2世の父子は、個人的にはいい人だったようだ。
社会体制そのものが腐りきってたから、皇帝個人の資質じゃどうしようもなかったし、
政治思想の面では2人とも反動的で先見の明がなかったが。 ニコライさんは自国民・自国兵士に対してはかなりの暴君だよね
あと政治オンチ・外交オンチ。あれは崩壊して当然だと思う 第二次大戦のころにはドイツは筋肉というよりもだいぶ頭でっかちな印象。
肉弾を怖がって飛び道具や装甲に拘ってた感じ。
機関銃の掃射の中でも騎兵や歩兵が突撃していたプロイセン軍人とは
根性も度胸も大いに異なる。 ニコライはんは、日本に来る前は結構日本贔屓だったのに
津田られてから猿(マカーキ)嫌いになって日露戦争まで
おきちゃったそうな。 >>102
あれはアレクサンドラのせい
本人は優柔不断で優しい性格だったんだが
アレクサンドラが息子のアレクセイの将来を案じて
もっと専制君主としてふるまってくださいと強要していた 伊能忠敬の日本地図を見てロシアは日本に滅ぼされるかもって言った
皇帝はだれだったっけ? ニコライ皇帝、大津事件当時の日記では、あれだけのことを日本人にされたのに
日本人全般と犯人とを分けて考えようと努力している姿勢が如実に出てて
日本人としてありがたいし人間として尊敬すらできた。
でもその後が微妙なんだよな。
ウィッテは確かに皇帝が日本人を「猿」と呼んでいたと書いてるらしいし。
傷から来る慢性的な頭痛に悩んでいたらしいし
ずっとその度に事件のことを思い出してたんだろうな。
そうなると人間の感情は変化してしまう。 >>99
ミハイル・ロマノフ自身にはリューリクの血は流れてはいない
ロマノフ家からリューリク家に娘を嫁がせたことあったけど、
言うなれば源氏に対する北条氏みたいなもので、
北条時宗が頼朝外戚北条時政の子孫であっても頼朝の子孫じゃないのと同じ >>109
誰に公開する予定もなかったはずの本人の日記で
日本人に好意的なんだが>大津事件 ニコライ皇帝は日本で刺青彫ってもらってたよな
日記からは日本への侵略意図など微塵も感じられないが
そもそもロシアによる日本侵略なんて後付のプロパガンダなんだけど ロマノフ一家が殺害された後、一家の遺体処理を担当した兵士の中に
「皇后のアレを掴ませてもらった。これで俺はもう死んでも悔いはない」
とか意味深なことを語ってたやつがいたとか 初期のスターリンも日本贔屓だったから
ロシア人は腹黒いのか天然なのかよくわからん >>113
でも残ってる写真見ると
アナスタシアは4皇女の中では一番容姿が劣るよね
アレクセイもかなりの美少年なのに >>115
アナスタシアは十歳頃までの画像しか見た事なかったからむしろ一番可愛いじゃんと思って、
今改めてぐぐってwikipediaのページを見たら成長と共に微妙になってったんだな。 王家なんて国際結婚し過ぎでぶっちゃけお前ら何人なんだよってくらいわけわかんないことになってる感じが ニコライ2世の妹のオリガっていい人だったんだな
マリアやクセニアがアレクサンドラやアンナ・アンダーソンに冷たく接していたのに
オリガだけはこの2人に優しく接していたとか
平民と結婚しているし
ニコライ2世の弟のミハイル公も平民と何度か恋愛していて
この人も自由主義思想の持ち主だったのかな
ミハイル公はボリシェビキにつかまった時、
逃げるチャンスがいくらでもあったのに家族に危害が及ぶからって
あえて逃げない道を選択していたとか
彼と接見していた人物は自由を奪われていたのに、いつも笑顔だったと証言している ロシア帝国はいい国だったな。
日本人漂流者に対する扱いも人道的だったし。 ロシア革命が起こってなかったら一流国になってたろうな 第一次大戦後に数千人が餓死するような悲惨な状況になって、ロシア帝国の圧政打倒!って革命がおきたのに
その後のレーニンの戦時徴発によって、700万人が餓死したという・・・ 皇帝の子供達まで殺したボリシェビキはむごすぎるな
5番目でやっと男子が生まれたのに白血病
貴族社会を軽蔑して繋がりを絶ち、ロシア語覚えようとせず、離宮にこもって子供達を育て
ラスプーチンを信望してロシア帝国を滅茶苦茶にした
アレクサンドラはともかく アレクサンドラ皇后はアナスタシア皇女が生まれる前年まで
女子に帝位継承権が無いことを知らなかったらしい
どんだけ浮世離れしてるんだ パーヴェル一世によって女子の皇位継承が禁じられなければ
皇位継承は娘たちで安泰、何が何でも男子の世継ぎをと死に物狂いにならずに済んだのに 寧ろ長年曖昧だった帝位継承の規定をパーヴェル1世が厳格に定めたおかげで
連綿と続いた帝位を巡る陰惨な争いに終止符を打てたんだがな
パーヴェル1世の最大の功績と言っていい 女子の皇位継承を禁ずる合理的理由がない
ただ単に偉大すぎる母親が疎ましかっただけであろう 明治37年(1904年)、明石はジュネーヴにあったレーニン自宅で会談し、レーニンが率いる
社会主義運動に日本政府が資金援助することを申し出た。レーニンは、当初これは祖国を
裏切る行為であると言って拒否したが、明石は「タタール人の君がタタールを支配しているロ
シア人の大首長であるロマノフを倒すのに日本の力を借りたからといって何が裏切りなのだ
」といって説き伏せ、レーニンをロシアに送り込むことに成功した。その他にも内務大臣プレ
ーヴェの暗殺、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの叛乱等に関与した。これらの明石の
工作が、後のロシア革命の成功へと繋がっていく。後にレーニンは次のように語っている。
「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
>「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
>「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
>「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
>「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
>「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。
赤の親玉 ソ連の生みの親は日本政府wwwwwwwwwwwwwwwwwww 2月7日(土)に放送されたBSNHKのロマノフ朝のやつを見た人いる?
来週も放送されるようだけど。 >>136
2週ともみたよー
タミヨの自分語りといまどきロシア!みたいな企画がなければもっとよかったと思う
それにしてもアレクサンドラ目線で番組作ると、
どうしても皇太后マリーヤが悪者になってしまうんだよなー
かわいいうえに申し分のない良妻賢母で、家庭と宮廷をしっかり守っていたマリーヤが、
>>2が主張するようなアレクサンドル3世の高評価に大分貢献していると思うんだが ニコライ2世一家の惨殺の話をWikipediaで見るたびに『長い道』が頭を過るわ ところで。
パーヴェル1世はピョートル3世の実の息子なのかな。DNA調べれば一発でわかると思うんだけど。 江戸幕府みたいに余力のあるうちに次期政権に委譲すればロマノフ家の待遇もかなり違っていただろう。 2010年にペトロパブロフスク要塞の工事現場で見つかった4人の遺骨の
DNA鑑定結果は出たのか、ご存じありません?
革命時、ロマノフ家の大公が要塞付近で処刑されているので、その遺骨ではと言われていました。
明らかにブルジョア階級の所有物と思われる、大きな金の十字架のネックレスも一緒に見つかっています。
とても信心深い大公がいて、彼が身につけている十字架は彼の代名詞ともなっていて、
十字架をもてあそびながら喋るという昔読んだ本の一説を思い出し、その大公のものかと思いました。
「最後のロシア大公女」の著者、マーリヤ大公女の父、パーヴェル大公の遺体も引き取ることが
できなかったということなので、可能性大です。 しっかし維新後の徳川家と革命後のロマノフ家の処遇が違いすぎる。 OTMA4姉妹を主人公にした漫画、誰か書いてくれないかなぁー ロシア皇帝ニコライ2世の遺体を再発掘、子どもの身元照合で 2015.09.25 Fri posted at 10:36 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35070943.html
モスクワ(CNN) ロシア当局は25日までに、ロシア帝国最後の皇帝であるニコライ2世とアレクサンドラ皇后の
遺体を再発掘したと発表した。夫妻の子どものうち2人のものとみられる遺骨の破片の身元確認を行うため。
ロシア革命で皇帝の座を追われた翌年の1918年、ニコライ2世夫妻を含むロマノフ家の7人がエカテリンブルグで
殺害された。
ニコライ2世夫妻と3人の子どもの遺体は1991年に発見され、DNA検査で身元確認が行われた。そして殺害から
80年後の1998年7月17日、遺体はサンクトペテルブルグに再び埋葬された。
ロシア正教会は2000年、5人を聖人に列した。
だがアレクセイ皇太子(当時13歳)とマリア皇女(同19)の遺体の行方は分からないままだった。2007年になって、
2人のものである可能性のある骨の断片がウラル地方の別の埋葬地で発掘された。
ロシア当局によれば、専門家の研究や一家殺害に関する他の資料から、遺骨は2人のものとほぼ特定された。
だが今年7月、ロシア正教会の求めにより、さらなる調査が命じられたという。2人も聖人に認定される可能性が高い
とみられるが、遺骨が間違いなく本物であることを確認したいというのが教会関係者の意向だ。
当局は調査のため、エルサレムで埋葬されたの親族の組織サンプルや、ニコライ2世の祖父であるアレクサンドル
2世の血液サンプルも入手したという。
http://www.cnn.co.jp/storage/2015/09/25/dda40502e6418a26b06e2da4636fdea3/russian-royal-family-large.jpg
ニコライ2世一家。夫妻の子どもとみられる遺骨の身元照合が進められている スウェーデンで沈没したピョートル1世のヨット、ノルウェーで千年前の剣が見つかる 2015年10月22日 21:34
http://jp.sputniknews.com/science/20151022/1061477.html
スカンジナビアで相次いで考古学的発見があった。スウェーデンでダイバーらがピョートル1世の時代の
ヨットを発見し、ノルウェーで旅行者が千年以上前のバイキングの剣を発見した。
スウェーデン西部のヨーテボリ近海で1715年に沈没したヨット「トランスポート・ロイヤル」が発見された。
アイスランド企業「イクスプローラー・オーシャン・リサーチ」のアレクセイ・ミハイロフ社長によれば、
捜索班は発見に大喜びしたという。
ミハイロフ氏によれば、このヨットはピョートル1世がイングランド王ウィルヘルム3世から贈られたもの。
ピョートル1世もお気に入りだったヨットで、ロシア海軍のプロトタイプと呼ぶことも出来るものだ。
アルハンゲリスクからペテルブルグに向かう途中、時化にあい、沈没した。
一方、ノルウェー人ツーリストは、漁に出かけて剣を見つけて帰ってきた。これを見た考古学者らは、
保存状態は極めて良好で、磨いて新しい柄をつければ今でも使えるほどだ、との診断を下した。
ザ・ローカルが伝えた。
考古学者らによれば、剣は1200年前のもの。刃渡りは77cmで、相当に高価なものだという。
http://jp.sputniknews.com/images/53/32/533211.jpg >>112
アレクサンドラ皇后とその娘たちは強姦はされていないぞ
ニコライ一家の処刑は予定されていた者ではないから
処刑する前に強姦する時間的余裕はない
そのため処刑を執行した兵士に文句を言った連中もいた
だが死体を裸にして胸や局部を触ることは出来たと思う
処刑にかかわった兵士の一部はコルセットに縫い込んでいた宝石を略奪しているからな ロマーノフ家の今の当主は誰?
自称でも主張者でもOK 遺体運搬に参加した警護兵の1人は
皇后のアレをつかませてもらったとかなり喜んでいて、自慢してたらしいね
また、他の警護兵は娘たちの裸体は意外に大したものじゃなかったと話していた アレクサンドル3世遺体からDNAサンプル採取 2015年12月2日20時39分
http://www.christiantoday.co.jp/articles/17941/20151202/russia.htm
【CJC=東京】ロシア捜査委員会の代表者らが、ロマノフ朝の皇帝アレクサンドル3世の
遺骸と、息子ニコライ2世のものと推定される遺骸から、比較のため、それぞれDNA
サンプルを採取した。タス通信が報じた。
サンクトペテルブルクのペト・パブロフスク大聖堂にある墓所を、専門家らが掘り起こした。
皇帝一家殺害をめぐる刑事捜査の一環で、遺伝学的鑑定用のサンプルを採取するのが
目的。
ニコライ2世は十月革命直後の1918年、家族とともに銃殺された。その「遺骸」は2007年、
エカテリンブルク近郊の埋葬地で発見されたが、ロシア正教会はその信憑性に疑義を抱いて
いる。今年10月、キリル総主教は政府に対し、ニコライ2世とアレクサンドル3世の遺骸を
比較する遺伝学的調査を行うよう求めた。ロシア正教会の見解では、鑑定で肯定的な結果が
出れば、ニコライ2世とその家族の遺骸がまぎれもなく本人のものであることの、議論の余地
なき証明となるという。
http://www.christiantoday.co.jp/data/images/full/17462/image.jpg
帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世 >>150
3人くらいいる
みんな偽物ではなくれっきとした皇族の出自 ロシアは近代化に成功したのに
清やオスマンは失敗したのはなんでだろうな? >>154
全部失敗して革命で国が滅びただろなに言ってんだキチガイか
ロシア革命知らんの? この前、NHKがラスプーチンの新解釈みたいなのを放送してたな
ゲストが香山リカだったけどw >>156
その論理なら、日本も近代化に失敗して、GHQで改革された。 ロシアはかなり近代化に成功できたほうかな
日本海船の日本艦はほとんど外国製なのに
バルチック艦隊の船はほとんど自国製だし、
ピョートル大帝の頃から粘り強く学び続けたからねえ そらまあ、西欧諸国外では最も早く近代化に着手したからね
そのためにわざわざ古い都モスクワを捨てて西洋風の新しい都ペテルブルグに遷都までして ロシアはビザンツから受け継いだキリスト教と専制、
モンゴルから受け継いだ獰猛さと専制を残しつつ西欧化したが正しいな。
日本も文化は残しつつ、政治・社会の構造を一気に変革した。
清朝は政治体制そのままで、西欧の技術だけ導入しようとしたが、
日清戦争での敗北で限界が露呈した。
オスマン帝国は一部の皇帝や官僚には危機感があってやる気もあったが、
守旧派の抵抗が激しくて近代化が遅れた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています