最後の夜

1世界@名無史さん2012/12/08(土) 13:21:37.400
最後の夜
地球 宇宙
全ての生命を破壊殺戮
何千何万何億年
宇宙の歴史一夜

数と命
全ての命を救う為に一つの命を殺す
全ての命を救う為に一つの種を殺す
全ての命を救う為に を殺す

98世界@名無史さん2016/03/13(日) 07:28:14.690

99世界@名無史さん2016/03/19(土) 10:49:16.730
Sir Walter Raleigh called her "a lady whom time had surprised"

100世界@名無史さん2016/03/20(日) 09:07:06.780
ハザール王国の謎
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/_floorA4F_ha.html

「ハザール王国」は7世紀にハザール人によって
カスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家です。
9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ない
ユダヤ人以外のユダヤ教国家となりました。

この謎に満ちた「ハザール王国」の実態を
探っていきたいと思います。

101世界@名無史さん2016/03/20(日) 09:35:28.140
地理学者アル・ヤクービー

Ahmad al-Ya'qubi,
https://en.wikipedia.org/wiki/Ya%27qubi

アラビア版「7つの海」
https://en.wikipedia.org/wiki/Seven_Seas

中世アラビア人は、彼らが帆船で航海した全ての海を7つに数え上げた。これが本来の「七つの海」であると言える。

ペルシャ湾(アラビア湾)
the Persian Gulf ? The Sea of Fars

アラビア海the Arabian Sea ? The Sea of Larwi (Zanj)
ベンガル湾the Bay of Bengal ? The Sea of Harkand
the Strait of Malacca ? The Sea of Kalah (Between Sumatra and Malaya)
the Singapore Strait ? The Sea of Salahit
the Gulf of Thailand ? The Sea of Kardanj
南シナ海the South China Sea ? The Sea of Sanji

102世界@名無史さん2016/03/20(日) 09:40:25.330
>>14

「あさが来た」も
もうおしまいです

103世界@名無史さん2016/03/20(日) 09:49:40.200
イブン・フルダーズベ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99

または イブン・フルダーズビフ(ペルシア語: ??? ???????? / Ibn Khurd?dhbih または Ibn Khurd?dhbeh、820年頃 - 912年)は、
アッバース朝で活躍したペルシャ系の地理学者・官僚。

アラビア語によるものとしては現存最古の地誌『諸道と諸国の書』[注釈 1]を著した[1]。
全名はアブル=カースィム・ウバイドゥッラーフ・イブン・フルダーズビフ(????????? ???????? ??? ??????? / Abu'l Q?sim ‘Ubaid'All?h Ibn Khurd?dbih)。


イブン・フルダーズベは、中国の東方にある「ワークワーク(al-W?qw?q)」という土地について、二度明確な形で言及している。
ワークワークは金を豊富に産出するといい、住民は犬をつなぐ鎖や猿の首輪を金で作っており、
また、チュニックを金糸を用いて織っているという。
ワークワークはすぐれた黒檀の産地であり、「黄金と黒檀はこの地から輸出される」と記している[4][5]。

104世界@名無史さん2016/03/20(日) 10:04:45.340
マスウーディー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC

アラブ人の歴史家、地理学者でアラブのヘロドトスとして知られている。
西暦896年バグダード生まれ、956年9月カイロにて死去。


『時代の諸情報( ????? ?????? Akhb?r al-Zam?n)』
百科全書的な世界史で、政治史だけではなく、人類の知識と行動の起源を記載している。

「黄金の牧場と宝石の鉱山 ???? ????? ?????? ??????? Mur?j al-Dhahab wa Ma??din al-Jaw?hir (The Meadows of Gold and the Mines of Gems)」
947年に完成させ(132章)、956年に修正(365章まで増補)しているこの著作は600ページ程度とのこと。

実際に各地に赴いて情報を収集した点が、同時代の歴史家と大きく異なる彼独自の特徴である。
915年頃から917年 イラン(ニーシャプール、イスタフルなど)、シンド、西デカン
917年 イラクに戻る。
919年頃 イエメン、オマーン(この時ペルシア湾のシーラーフ出身の商人アブー・ザイド・アル=シーラーフィーから中国の情報を得た)
920年頃 バスラに滞在し、Abu Khalifa al-Jumahiの元で学ぶ
921年 シリア、ビザンツとイスラームの境界付近で情報収集、イスラームに改宗したビザンツ官僚トリポリのレオと会う
926年 パレスチナ(エルサレム、ナザレ)にてユダヤ人のトーラー学者Abu Kathir Yahya ibn Zakariyaの元で過ごす
927年頃 パルミラ、ラッカ、ハッラーン
      (アブラハム誕生地で、マームーン治下の翻訳事業に携わったギリシア科学の翻訳者の供給地のひとつで、
      アレキサンドリアの医学者が、ウマイヤ朝のウマル2世によって移住させられた地といわれている)
930年代 カスピ海沿岸(コーカサス、ハザール、スラブ、ブルガールに関する情報収集)
その後、エジプトとシリアに居住

105世界@名無史さん2016/03/21(月) 17:24:20.710
田中航著「蒸気船」毎日新聞社刊 より引用
http://fnorio.com/0103heat_engine(steam_cycle)1/Steam_Ship1.html

1.蒸気機関(P101〜110)

(1)形式の発展
  1.ビーム・エンジン
  2.サイド・レバー・エンジン
  3.直動機関
  4.倒置堅型式蒸気機関
(2)多段膨張式往復動蒸気機関
(3)ボイラーの発達
  1.箱型ボイラー
  2.煙管式ボイラー
  3.水管式ボイラー
(4)復水器

2.船舶用蒸気タービン(P191〜199)
(1)タービンの開発
(2)タービニア号
(3)タービン船の時代
(4)減速装置
(5)組み合わせ蒸気機関(P212)

3.船舶用ディーゼル機関(P216〜225)
(1)ルドルフ・ディーゼル
(2)船舶用ディーゼル・エンジン
(3)煙突
(4)ディーゼル・エンジンの特徴

106世界@名無史さん2016/03/21(月) 17:25:10.670
ポイントはタービソが開発されてるところです
>>105

4.まとめ(P233〜238)
(1)主機関の変遷
(2)燃料の変遷

107世界@名無史さん2016/03/24(木) 00:30:11.710
帆船航海史大全集
http://hobbycom.jp/workshop/library?series=hansen_kokai

01.西洋の大航海時代〜インドを目指して
02.コロンブスの航海 その1〜黄金の国・ジパングを求めて
03.コロンブスの航海 その2 〜執念で探し続けたインドへの航路
04.帆走軍艦とガレオン船の誕生〜海上での覇権争いの時代へ
05.スペイン無敵艦隊の敗北〜イギリス海軍の興隆
06.偉大なるヴァーサ号の悲劇〜後世に影響を与えたスウェーデンの巨大帆船
07.17世紀の航海術の進歩〜新たな海図・四分儀・対数理論
08.17世紀の海戦〜巨大軍艦の登場と“世界の造船学校”オランダの勃興
09.新しいスタイルの軍艦の登場〜逆風でも前進するための新装備「ステイスル」
10.ネルソン提督のヴィクトリー号〜トラファルガーの海戦での激闘
11.フリゲート艦の登場と活躍〜アメリカ海軍・コンスティテューション号
12.帆船終末期の輝き〜高速帆船クリッパー船の登場と帆船時代の終幕

108世界@名無史さん2016/03/27(日) 17:26:15.750
スオウ 蘇枋・蘇芳 の雑種 ?
http://www.geocities.jp/kbg_tree/0_plants_name/suou/suou.htm

第3回『ブラジルとはなんぞや?2014。』《ブラジル発見》講座
http://blog.livedoor.jp/kacky0828/archives/5745476.html

109世界@名無史さん2016/04/03(日) 09:02:43.700
ウシュマル

ユカタン半島西よりに位置するウシュマル
750年ころから1100年ころに栄えた都市です。
建築家ライトが絶賛したプウク様式と言われる建築物が素晴らしい。

http://isekineko.jp/tyubei-uxmal.html

ケツァルコアトルは元々中央アメリカの神で、マヤにもたらされたのは10世紀ころと言われています。
マヤと中央高原の文化の融合としてはチチェン・イツァーが有名ですが、ウシュマルにも「ウシュマルの女王」像だけでなく様々な中央高原の影響が認められます。
そうなるとウシュマルの歴史が知りたいところですが、ウシュマルはマヤの遺跡でありながら、何故か文字がほとんど発見されていないため、その歴史には不明な点が多いのだそうです。

グアテマラのティカルやメキシコのパレンケに代表される古典期マヤが栄えたのは紀元250年から900年ころにかけてのことで、900年ころには多くのマヤ中部の都市が謎の終焉を迎えます。
しかし、ウシュマルは古典期マヤの都市が衰退し始めた750年ころから栄え始め、多くのマヤの都市が崩壊した900年ころから一気に人口が増えた、というちょっと変わった都市です。
このため、マヤ中部の人達がウシュマルに移って来たのではないかと考える説もあります。


また、この地の伝承では、元々雨神チャークを祀っていたこの都市に10世紀ころメキシコ高原出身のシウ家が入ってきて、
人々にケツァルコアトル(羽毛のある蛇)の信仰を強制するようになったとか・・・。

ウシュマルのシウ家、チチェン・イツァーのイツァー家、そしてマヤパンのココム家という3つの家を巡っては、
ウシュマルの王子に嫁ぐこととなったマヤパンの王女がチチェン・イツァーの王子と駆け落ちしたため、
マヤパンとウシュマルがチチェン・イツァーを倒したとの伝承もあるらしいのですが、時代が合わないこともあって真相は闇の中。

110世界@名無史さん2016/04/03(日) 09:44:49.730
サンゴ礁Q&A

宝石サンゴ
http://www.jcrs.jp/wp/?page_id=622#q5

111世界@名無史さん2016/04/06(水) 02:37:11.210
アリヤバータ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BF

アリヤバータ(??????, ?ryabha?a、476年 - 550年頃)は5世紀末に生まれたインドの数学者、天文学者である。
アリヤバータの研究は、ヴァラーハミヒラやバースカラ1世、ケーララ学派など後世の研究者たちに影響を与えた。


生涯

アリヤバータが活動したのは、バラモン教の王朝で北インドを統一し、西暦320年から550年頃まで栄えたグプタ朝においてである。
アリヤバータの数学、天文学の著書は11世紀のアラビアの歴史家アルベルニによって研究された。
アルベルニの研究によれば、同名の二人の数学者がおり、年長のアーリヤバタが天文学、
数学の優れた著作を残したとされるが、近年の研究では同一人物とする説もある。

現在のビハール州のパトナに近いクスマプラで、天文学書『アーリヤバティーヤ(英語版)』を著したとされる。
この3章には、カリ・ユガ暦の3600年に23歳でこれを書いたという記述がある。

112世界@名無史さん2016/05/08(日) 12:48:37.030
偉大なる天体の周期 (第3回)
上原 貞治
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt47/idaishuki3.htm

1.内惑星の会合周期
2.「8年」周期
3.金星太陽面経過の周期
4.マヤの「金星暦」
5.マヤの暦の周期と金星の会合周期
6.マヤの金星暦の超絶技巧

113世界@名無史さん2016/05/14(土) 09:27:40.470
レバチベドゥ遺跡とバドゥイ族ー西ジャワの石積基壇遺構ー
江上幹幸
社会文化研究 5(1) 1-32 2001年12月

古代における塔型建築物の伝播
?ボロブドゥールと奈良頭塔の関係について?
坂井 隆
http://ntur.lib.ntu.edu.tw/bitstream/246246/232602/1/08%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%B8.pdf
1 はじめに 2 頭塔と関連遺構のあり方 3 塔型建築物の伝播 4 ボロブドゥールの位置 5 インドネシアの石積基壇遺構 6 アジア東部の古代海上交流と仏教伝播 7 まとめ?交流の意味

A 頭塔の形態とレリーフ 頭塔は奈良市高畑町字頭塔
B 大野寺土塔 大野寺土塔は大阪府堺市土塔町
C 熊山石積遺構と円筒形陶器

5 インドネシアの石積基壇遺構
A 原初的様相

1) ピラミッド型?南スマトラの遺跡群
 ミンキッ(Mingkik)遺跡
 サルンティン・サクティ(Sarunting Sakti)

2) 斜面テラス型?グヌン・パダン遺跡 (Gunung Padang)
3) 統合型?レバッ・チベドゥ遺跡  レバッ(Lebak)地方のバドゥイ(Baduy)山中にあるレバッ・チベドゥ(Lebak Cibedug)遺跡

B ヒンドゥ・仏教伝来後の様相
インド文化の影響が明らかに認められる石積基壇遺構で、紀元後 4 世紀より確実に新しい要素があるものである。

1) プグン・ラハルジョ遺跡 (Pugung Raharjo)遺跡
2) ジャゴ寺院・スクッ寺院
 ジャゴ(Jago)寺院は、東部ジャワのマラン Malang 近郊にあり、シンゴサリ王朝のヴィシュヌワルダーナ(Wisnuwardhana)王(在位 1248?68 年)の仏教徒としての墓廟である。

C 石積基壇遺構としてのボロブドゥール

114世界@名無史さん2016/05/21(土) 15:45:41.570
伝記もあります

The Galileo Project > Chronology
http://galileo.rice.edu/chron/index.html

Galileo Timeline
European Timeline
The Gregorian Calendar

ガリレオ

115世界@名無史さん2016/06/04(土) 06:01:16.180
トンパ文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%91%E6%96%87%E5%AD%97

トンパ文字(トンパもじ、中国語:東巴文)またはトンバ文字とは、中国のチベット東部や雲南省北部に住む少数民族の一つナシ族に伝わる、象形文字の一種である。
ナシ語の表記に用い、異体字を除くと約1400の単字からなり、語彙は豊富である。現在、世界で唯一の「生きた象形文字」とされる。

116世界@名無史さん2016/06/20(月) 21:13:49.910
もうだめぽ

117世界@名無史さん2016/06/25(土) 11:53:12.080
中国・日本古代日食によるΔTの検証
(推古天皇36年の日蝕は皆既か?)
http://www.wagoyomi.info/suiko/suiko.html

2.ΔTの計算

 地球の自転は過去から較べると年々遅くなっていることが分かっている。
従って太陽、月、地球の力学関係だけで古代の日食の計算をしても現在と地球の自転速度が違うので実際に何処に日食の影が落ちたか分からない。
この力学関係だけで計算した結果と実際に日食の影が落ちた場所の差(時間の差)がΔTとなる。

Stephenson(1997)12)は過去の日食記録などを利用してΔTを計算している。
筆者の作成した日食シュミレーションソフトEmapwin23)もStephenson(1997)のTable 14.1のデータを使用している。
この検証で使用するΔTも同じである。

 例えば推古36年(AD628)の日食は現在と地球の自転速度が同じ(ΔT= 0 sec)とすると図1の様に朝鮮半島上に皆既日食帯が通るが、
Stephenson(1997)の値ΔT=4473 secで計算すると図2の様に日本を通り越して太平洋上に皆既日食帯が通ることになる。

118世界@名無史さん2016/06/30(木) 02:58:13.680
だめだなこりゃ

119世界@名無史さん2016/07/02(土) 22:19:16.650
サービト・イブン・クッラ

サービト・イブン・クッラ(Th?bit ibn Qurra、826年?901年2月18日)はアッバース朝時代のバグダードで活躍した天文学者、数学者。
サービトは、メソポタミア北部の町(現トルコ領)であるハッラーンに生まれた。
当時のハッラーンはギリシア系文化の中心地であり、サービトの一族は星辰崇拝者(偽サービア教徒)だった。成人後は両替商だった時期があったといわれる。

http://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%83%E3%83%A9

翻訳
サービトは数学、天文学、占星術、魔術、工学、医学、哲学に通じており、母語はシリア語であったがギリシア語にも堪能であった。
そのためバグダードで翻訳家として活動し、ギリシア科学の文献をアラビア語に翻訳した。
その中には、アポロニオスやアルキメデス、エウクレイデス、プトレマイオスの著書がある。
また、フナイン・イブン・イスハークによってアラビア語訳されたエウクレイデスの『原論』を改訂し、
やはりイスハークが翻訳したプトレマイオスの『シュンタクシス』を再書した。
翻訳家を養成する学校を創設し、優れた翻訳家を輩出した。

数学
数論の分野では、友愛数の組を求める数式の発見者とされる。
サービトは『友愛数の定義についての書』という著者の中で、公式を説明した。
代数問題を幾何的に解く価値に注目した最初期のアラビア数学者でもあり、
『代数問題についての正しい幾何学解』という著書で、エウクレイデスの定理を用いて方程式に幾何学上の証明を与えた。
また、当時はピタゴラスの定理が直角二等辺三角形にのみ適用されていたが、
それを全ての三角形に適用できるように図形を分割して一般化した。
この他に球面三角法、エウクレイデスの平行線公準の証明、アルキメデスの放物線の求積法などを研究した。

天文学
天文学では、歳差運動を分点の秤動で説明しようとする「トレピダチオ説」 (trepidation) がサービトに帰されると考えられている[2]
ほか、ニコラウス・コペルニクスによれば、恒星年を非常に精度よく求めたとされる。

120世界@名無史さん2016/08/03(水) 22:34:12.670
ダメぽ

121世界@名無史さん2016/08/03(水) 22:42:18.560
ふーむ

122世界@名無史さん2016/08/03(水) 22:45:07.510
どうすりか

123世界@名無史さん2016/08/06(土) 20:53:18.610
ガイ・フォークス・デーとハリー・ポッター
http://www.pottermania.jp/Books/GuyFawkesDay.htm

124世界@名無史さん2016/08/07(日) 21:54:18.130

125世界@名無史さん2016/08/09(火) 02:16:19.740
貿易用ドル銀貨
http://blog.livedoor.jp/kuro_kutushita/archives/65352700.html

hongkong_Bhongkong_Aイギリス貿易用ドル銀貨(Trade Dollar)とは、
1895年より香港やシンガポール(マレー半島)及び海外植民地などで流通用に製造された(対外貿易の決済用的な性格も備えた)銀貨である。
尚、1903年に各海外植民地ごとに専用の貨幣が製造されるようになると、他の植民地では流通されなくなるが、
以降は主に香港向けとして1935年まで製造が続けられた。(※但し、流通は1937年まで。)

「規格」
重量は420grains(約27.21g)、品位は銀90%:銅10%、直径は39.0mmである。
尚、重量が420grainsと、同時期に発行されていた日本(417grains≒27.02g)やメキシコ(417grains)、
アメリカ(412.5grains≒26.73g)の貿易用銀貨に比べて重くなっているが、
これは国際貿易において流通の優位性を狙った為と言われている。(※但し、後にいずれの国も420grainsに改鋳が行なわれている。)


hongkong_Dhongkong_C尚、
「香港ドル」自体は1863年に既に発行されており(当初は、1香港ドル=銀24.44g)、
銀貨と並行して紙幣(※政府紙幣ではなく民間銀行による。)も発行されていた。(※但し、銀貨の製造は1866年からである。)

しかしながら、当時の香港経済圏では外国貨幣の勢いが強く、製造から2年余りで市場から姿を消す事となってしまった。
また、この時不要になった貨幣製造機械はジャーディン・マセソン商会(ロスチャイルド系)を通じて日本政府に売却されている。
(※資料により、売却を仲介したのはグラバー商会(または、トーマス・グラバー)とするものもあるが、
グラバー商会はジャーディン・マセソン商会の日本代理店である。)

126世界@名無史さん2016/08/20(土) 22:59:19.080
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB

ベネ・イスラエル(Bene Israel)とは、
インド原住のユダヤ人を指す言葉である。
ヘブライ語では『イスラエルの子』を意味する。

最も有名なアジア系ユダヤ人は、
「ブナイ・イスラエル(B'nai Israel)」と呼ばれるボンベイのユダヤ人である。
この共同体は約1500年前のインドまで遡る。
その中心はボンベイ(ムンバイ)とコーチン(コチ)であった。

今日インドのユダヤ人は軍、政府、産業で重要な位置にあることが多い
(例:インド人民党の安全保障顧問と、ゴア州・パンジャブ州知事を務めたJ. F. R. ジェイコブ中将など)。

ブナイ・メナシェ

別のブナイ・メナシェは、ユダヤ遺産の古代インド人の集まりであるとされる。
大半はイスラエル(アリヤー)に移住し、再びユダヤ教に改宗するための試練にあった。
ブナイ・メナシェは自分たちが古代イスラエル人の子孫であると主張し、
古代イスラエルの12部族の一つ、メナシェ(メナセ、マナセ)族の名前に触れている。

127世界@名無史さん2016/11/10(木) 03:19:29.560
スタバのロゴは結構有名だったかな
アレなせいで変更になったんだっけか

実はスタバのあのロゴも!フリーメイソンと共通する古代文明シンボルの関係とは
http://world-fusigi.net/archives/8596344.html

アジアとあるのはインドネシアっぽいが
ジロフトとある気がしたのは蠍なんだろうか、、、

128世界@名無史さん2016/11/21(月) 21:14:50.460
1 名前:ぷらにゃん ★[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 02:44:36.21 ID:CAP_USER9
http://www.sankei.com/images/news/161014/wst1610140072-p2.jpg

昨年4月に兵庫県南あわじ市で見つかった紀元前3〜前2世紀(弥生時代前期末〜中期初頭)の松帆銅鐸7個のうち1個が、直線距離で
約200キロ離れた島根県雲南市の加茂岩倉遺跡で20年前に出土した銅鐸39個の中の1個と同じ鋳型で作られた「同笵(どうはん)銅鐸」
であることが14日、南あわじ市教委などへの取材で分かった。

関係者は「銅鐸の製作地や当時の流通ルートを知る手がかりの一つになる」とみている。

 同笵銅鐸と判明したのは、松帆銅鐸の3号銅鐸(高さ31・5センチ)と加茂岩倉遺跡の27号銅鐸(同31・4センチ)で、
3号銅鐸の胴体部分の左下に「王」、27号銅鐸には同じ部分に「土」という漢字に似た盛り上がった記号があった。
同じ鋳型で作られた際についたとみられ、鋳造時につく細かな傷の位置なども一致した。

加茂岩倉遺跡は、1カ所での銅鐸出土数が全国最多。大半が中型(高さ約45センチ)の内側に小型(同約30センチ)の銅鐸を収めた「入れ子」状態での埋納法だった。

松帆銅鐸も3組6個が入れ子状態で見つかった。今年2月には2号(高さ22・4センチ)と4号(同22・6センチ)が、江戸時代に淡路島で発見され、
南あわじ市の日光寺が所蔵している「中の御堂銅鐸」と同笵銅鐸であることが判明している。

難波洋三・奈良文化財研究所客員研究員は「当時から広い範囲で銅鐸が流通していたことが明らかになった。銅鐸の製作地を考える上でも重要だ」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/161014/wst1610140072-n1.html

129世界@名無史さん2016/11/21(月) 22:02:44.510
マヤ最古の天文表、見つかる

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 7 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120702
http://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v9/n7/%E3%83%9E%E3%83%A4%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%96%87%E8%A1%A8%E3%80%81%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%8B/36761

マヤ文明のシュルトゥン遺跡から、王や書記の絵とともに最古の天文表が描かれた壁画が見つかった。

壁に描かれた天文表は、ドレスデン・コデックス(ドレスデン絵文書ともいう)の表に似ている。
ドレスデン・コデックスは、西暦1300年頃から始まるマヤ文明の後古典期に作成された、天文学や予言、神事などが記された樹皮製の冊子である。
マヤ文明の古典期(西暦250〜900年)の天文情報を記したものは、現時点ではシュルトゥンのこの壁画しか発見されていない。



調和した数字

分析により、27行の数表は177日または178日間隔の日付を示していて、各行の上にはそれぞれ異なる月の神が描かれていることが明らかになった。
マヤ人は、177日と178日、すなわち6朔望月(1朔望月は月の満ち欠けの1周期)の月の動きを記録していたことが知られている。
この数表は、ドレスデン・コデックスの月食表に付随する掛け算表とよく似ており、5月10日の記者会見でStuartは、
「特定の日に、どの神が月の守護者になるかを計算するために使用されたのかもしれません」と述べている。

北側の壁の表には4つの数字が書かれていて、それぞれが決まった間隔の日付を表している。
その間隔は、短いものでも935年、長いものでは6703年あった。
研究チームによると、4つの数字は、いずれも52年周期のマヤ暦の倍数であり、
金星、月、火星、そしておそらく水星の周期に関連して繰り返し起こる出来事を表している可能性があるという。

130世界@名無史さん2017/01/07(土) 06:55:36.670
Bitcoinの採掘報酬が半分になった
2016年7月11日 by Fitz Tepper
http://jp.techcrunch.com/2016/07/11/20160709the-reward-for-mining-bitcoin-was-just-cut-in-half/



設立当初、報酬は採掘された1ブロック当たり50 bitcoinだった。そしてプログラムは、21万ブロック採掘される毎に報酬を半分にし、64回の半減期の後、ゼロになるように作られた。
この指数的半減は、最後の半減期が来るのは100年以上先だが、全bitcoinの75%が既に採掘され流通していることを意味している。
そして今日は、Bitcoinの歴史上2回目の半減期だ。最初の半減期(報酬が50から25 bitcoinsに切り下げられた)は2012年11月のことで、当時の価値は12ドルくらいだった。

131世界@名無史さん2017/02/11(土) 23:48:31.020
ナチスの不気味な背後関係
〜 「ナチ・コネクション」の実態 〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/_floorA6F_hc.html

132世界@名無史さん2017/02/25(土) 01:55:51.240
ゴールドの真相に迫る?6 ゴールドの歴史(2)?貨幣制度の普及による中世市場の拡大?
http://www.kanekashi.com/blog/2010/10/1406.html

133世界@名無史さん2017/02/25(土) 20:46:39.830
【考古学】17世紀の英ペスト大流行、DNA鑑定で初めて原因を特定 [無断転載禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1473670531/1

1 名前:もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止[sage] 投稿日:2016/09/12(月) 17:55:31.36 ID:CAP_USER
CNN.co.jp : 17世紀の英ペスト大流行、DNA鑑定で初めて原因を特定
http://www.cnn.co.jp/fringe/35088909.html
http://www.cnn.co.jp/storage/2016/09/12/def0b7220a47b2c81d598cbec7a5f344/plague-skeletons.jpg


(CNN) 1665年に英ロンドンで大流行して年間7万5000人超を死亡させたのは、
ペスト菌が引き起こす腺ペストだったことが、DNA鑑定を通じてこのほど初めて実証された。
ロンドン考古学博物館などの研究チームが発表した。

この年の大流行では当時のロンドンの人口のほぼ4分の1が死亡。
ピークだった9月には1週間だけで8000人が死亡した。
原因は腺ペストとする説が有力だったが、これまで確認はできていなかった。

しかしロンドン市内で地下鉄の延伸工事中に見つかった集団埋葬地を2015年に発掘調査したところ、
1665年の大流行で死亡したと思われる17世紀の遺骨42柱が見つかった。

134世界@名無史さん2017/02/25(土) 21:10:46.660
アマルフィ手漉き紙
Carta Amalfitana
http://www.capriblue.com/pagina_cbdb.php?211055122

 2世紀に中国で発明された製紙法が、いつどのようにヨーロッパへ導入されたかは定かではないが、
海洋共和国の内でも歴史の古いアマルフィが、東方貿易に伴いアラブ諸国から最初に持ち帰ったと考えられている。

 交易先の港々に商館を持ち、多くの取引があったアマルフィにとって、
それまでの堅く重かった羊皮紙に比べ、扱い易く軽い紙は魅力的であっただろう。
その技術をなんとか取り入れようとしたことは想像に難くない。

 13世紀にはムリーニ渓谷でアマルフィ独自の紙づくりが始まり、18世紀には11の製紙工場が稼働していた。
水車の動力で綿花などを打った細かな繊維を水に溶き、手作業で漉きとる方法で上質な紙が生産されていた。

135世界@名無史さん2017/02/28(火) 00:54:36.500
以下から抜粋

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
http://yamanatan.hatenablog.com/entry/2016/12/30/232628

アメリカの経済分析局がGDPを「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」と称したのも、あながち誇張とはいいきれないだろう。

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的に行われたのは、17世紀の戦争の時だった。
1665年、イギリスの学者で役人もあったウィリアム・ペティが、イングランド及びウェールズの収入、支出、土地、その他試算の推計を作成した。
戦争に必要な資源が足りているか、そして徴税で戦費をまかなえるかどうかを見積もるためだ。
・・・彼は、国全体の経済の記録に複式簿記を導入するという功績も残している。

同じく初期の経済統計に着手していたチャールズ・ダヴナントは、1695年に『戦費調達論』というタイトルで研究結果を発表した。
経済統計の目的をずばりと言い表したタイトルである。
英語の「statistics」という単語は「state」と語源を同じくし、もともとは国に関する数値、特に税金関係のデータを指す言葉だった。

・・・フランスが同様の情報を手に入れたのは1781年になってからである。
財務長官のジャック・ネッケルがフランスの経済力についてまとめた『王への報告書』によって、
フランスの王はようやく戦略的に重要な経済・財政データを手に入れることができ、新たな国債発行も可能になった
(それでも結局、1789年のフランス革命を避けることはできなかったが)。

136世界@名無史さん2017/03/04(土) 21:16:10.650
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9B%B8%E7%B4%80%E5%B9%B4

竹書紀年(ちくしょきねん)とは、中国の編年体の歴史書。
伝説時代から魏の襄王に至るまでを著述している。作者は不明。

この書物は漢代には既に散逸していたが、
西晋の279年に現在の河南省にあった魏の襄王の墓を盗掘した際に大量の文字を記した竹簡が出土し、
整理した中の一つがこの本である。竹に書かれていたことから『竹書紀年』の名がある。

『史記』などには登場しないエピソードも見えており、またこの書物を元に『史記』の年表における誤りの修正が為されている。

北宋代には再び散逸し、はるか後世の中華民国の時代になってから
唐の司馬貞の『史記索隠』から引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みが行われ、
大きな成果を上げ、現在でも続いている。

明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」・偽作のほうを「今本」と呼んでいる。

137世界@名無史さん2017/03/05(日) 20:14:01.900

138世界@名無史さん2017/03/15(水) 01:00:55.890
「現代の国際銀行家」は古代バビロンの神殿の高利貸・両替商に遡る
http://www.project-vega.org/2013/11/blog-post_722.html

 アッシリアが撤退しメソポタミア文明も終盤の新バビロニア時代に入ると、民間の銀行活動が盛んになってくる。
英国で発達した金融機関の起源ともいわれるのが、
バビロニアのユダヤ人のエジビ家(The Egibi family)や、ユダヤ系のムラッシュ家(The Murashu family)などの大地主である。
資金の貸付け、小切手、為替手形、さらには不動産ローンの買い取り、ベンチャー投資なども広く行われていた。
しかし預かった資金を貸し出しに回すということは行っていなかったようで、その為に彼らは銀行の起源としては扱われていない。
また奴隷自身がお金を借りて主人から自分自身を買い戻すローンもあった。

 ユダヤ人のエジビ家は5世代に渡り、ネブカドネザル2世の時代からアケメネス朝ペルシア王クセルクセスの支配まで続く。
エジビ家の第一世代は、ナブ・ゼラ・ウキンの息子のスラジャである。
彼らのほとんどの関心ごとは、バビロン周辺の農村地区での大麦などの商品の卸売業である。
スラジャは数人のパートナーと、利益と損益を共有して、長期的なベンチャービジネスに取り組んでいる。
そして資金と人脈も同時に構築している。後に彼の息子のナブ・アッヘ・イディンが、さらにそれを発展させていく。

139世界@名無史さん2017/03/15(水) 01:12:17.040
>>138

第一世代は、ナブ・ゼラ・ウキンの息子のスラジャ
第二世代のナブ・アッヘ・イディン
第三世代のイッチ・マルドゥク・バラツ
第四世代マルドゥク・ナシル・アプリ
第五世代その息子ニディンチ・ベル

 エジビ家の第二世代のナブ・アッヘ・イディンは文字の読み書きと法律を学び、裁判所の筆記の職を得ることになった。
王ネブカドネザルの晩年、ナブ・アッヘ・イディンは時々、王室の行政の中心地のオピスで時間を過ごした。

第4代王ネリグリッサルの死後、彼は次の王で新バビロニア最後の王でもあるナボニドスの下で、バビロンの王室裁判官として影響力のある立場につく。
ナブ・アッヘ・イディンの多くの仕事は、彼の長男か実力があり最も信頼できる奴隷へと引き継がれた。

紀元前542年、王ナボニドスの13年目の年、ナブ・アッヘ・イディンは亡くなった。
エジビ家の第三世代のイッチ・マルドゥク・バラツは、紀元前522年のカンビュセス2世の王位が失われる時までエジビ家の事務的なことを取り扱う。

 しかし紀元前522年にアケメネス朝ペルシア第3代の王ダレイオス1世が即位してまもなく、
イッチ・マルドゥク・バラツは彼の長男のマルドゥク・ナシル・アプリと共に突然亡くなる。彼の長男は結婚もし、父の仕事を引き継いでいた。
イッチ・マルドゥク・バラツの野望は、妻の父親イディン・マルドゥクによって達成される。妻の父親は商売上、近い関係にあった。
 マルドゥク・ナシル・アプリは14年間、家族の事業を受け持ったが、彼の2人の若い兄弟は分け前の受取を要求した。

 紀元前486年、ダレイオス1世の36年目の年、マルドゥク・ナシル・アプリの息子ニディンチ・ベルは父親の死後、仕事を引き継いだ。
アケメネス朝ペルシア王クセルクセス1世の初期の頃で政情が不安定な時である。
よってニディンチ・ベルは仕事に必要な証書であるタブレットを守るため移動させておいた。
それらを慎重に瓶(びん)に入れ、廃棄場に埋めたことによって、その記録が1000年以上保管され続けた。

140世界@名無史さん2017/04/05(水) 22:04:01.430
牛発射!−−投石機に関して−−
http://crazyhis.web.fc2.com/ahund/bun2.htm

弓形投石機
紀元前399年にシラクサで発明されたのが最初だが、最初は少々大きめの弓を台座に固定した程度だった。
最大射程は500メーターくらいだと考えられている。紀元前360年にウィンチが取り付けられて引っ張る力が増大した。
このクラスのものになってくると最大で162キロの石を飛ばすことができた。


捩り式投石機
 前353から341年頃にマケドニアの技術者が捩り式投石機を開発した。
アレクサンドロスの東征で活躍したのはこの時開発された投石機である。
アレクサンドロスの死後にローマやカルタゴなどに広くこのタイプの投石機が普及し、長い間、ヨーロッパの投石機の主力の地位を保つことになる。
 ローマでこの投石機は大きく変化する。まず、以前に比べて小型になった。
これは破壊力や射程よりも扱い易さと機動力を重視した結果だった。
ローマは投石機を攻城戦の道具としてだけでなく野戦時の支援兵器としても利用したのだ。
この手の投石機をバリスタとか、スコーピオンとか呼んでいる。


牽引式天秤型投石機
 この投石機は中国で発明され、7世紀頃にイスラーム世界を通してヨーロッパに伝えられた。
初期のタイプはだいたい1から59キロの石を85から133メートル飛ばすことができた。
構造が極めて単純で捩りタイプなどに比べて故障も少なく、速射生にも優れていた。
例えば、1147年にリスボンを攻撃したキリスト教徒軍は10時間の間に2台の投石機で五千発の石を発射している。
十五秒に一発のペースで十時間ぶっとうしで撃ち続けたのだ。十五秒に一発という速射性と、十時間使い続けても壊れない耐久力がウリなのだ。


カウンターウェイト式天秤型投石機
牽引式から発達したタイプがカウンターウェイト式の投石機である。
このタイプの投石機は12世紀中頃に地中海岸に現れ、そこからヨーロッパや北アフリカ、中東へと広がっていった。
 牽引式との大きな違いは人が引っ張る紐の代わりに紐が付いていた場所に重しが付いたところである。
平均的なもので、重しは4500キロから13600キロになり、45から90キロの石を300メートルくらい飛ばすことができた。

141世界@名無史さん2017/04/08(土) 23:36:12.640
 現代欧州の金融と通貨の起源(3)

デ・ローヴァー「為替手形発達史−14世紀から18世紀−」の目次
5.レイモンド・デ・ローヴァー「為替手形発達史―14世紀から18世紀―」(楊枝,嗣郎氏訳)の目次の紹介。

http://heartland.geocities.jp/zae06141/bill_of_exchange_origin3.html

序文 (フェルナン・ブローデル執筆)
 謝辞

第1章 14世紀の為替手形の起源
第2章 14、15世紀の為替手形と貨幣市場の発展
第3章 16世紀における貨幣市場の転換
第4章 手形裏書の生成
第5章 割引業務

142世界@名無史さん2017/05/03(水) 18:00:23.840
バルト〜エーゲ海への道
http://www002.upp.so-net.ne.jp/kolvinus/index.html

143世界@名無史さん2017/06/07(水) 01:59:38.950
 マッカ・ムカッラマ(メッカ州)(サウジアラビア王国西部地方)
その1 悠久な東西交易の中継港ジェッタ(1-4大航海時代とジェッダ)

5. 大航海時代に使われた帆船
http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/Jeddah-4-5.html

5.1 アラブ船(Arab Ship)
5.1.1 バッガラ(Baggalah)
5.1.2 ブーム(Boom)
5.1.3 サンブーク(Sambuk)
5.1.4 ザルク(Zaruk)
5.1.5 その他のアラブ船
5.2. ガレー船の系列
5.2.1 バイリーム ガレー船(bireme galley)
5.2.2 トライリーム(trireme galley)
5.2.3 フスタ船(fusta)
5.3 西洋式帆船
5.3.1 キャラック船(carrack)とナオ船(nao)
5.3.2 キャラベル船(carvel)
5.3.3 ガレオン船(galleon)
5.3.4 コルベット艦(corvette)
5.3.5 スクーナー(schooner)
5.3.6 ブリガンティン型帆船(brigantine)
5.3.7 スキフ(skiff)
5.3.8 バーク帆船(barque)

大航海時代に使われた帆船は姿が美しく、浪漫を感じさせられるが、その種類は多く、全てを網羅するのは難しい。
その上に呼称や定義も様々であるので、ここでは1970年にルイーズ E. スウィート(Louise E. Sweet)が編集した
「中東の人々と文化(People and Cultures of the Niddle East)」でのアラブ船の分類を参照しながら私なりに理解した範囲で
ガレー船および西洋式帆船についても分類して参考資料として掲載した。

144世界@名無史さん2017/06/25(日) 11:18:04.930
The "Tesla Collection"
is the most comprehensive compilation of newspaper and periodical material ever assembled by or about Nikola Tesla.

http://teslacollection.com/

145世界@名無史さん2017/08/21(月) 08:26:19.560
Paper(紙)とBook(本)の言葉ができるまで:古代フェニキアとギリシャがからむ英語の裏話2
http://jack8.at.webry.info/201311/article_1.html

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
Paper紙とbook本について、調べてみると、それぞれ単独で詳しく書いてあるものは多いのですが、
そのつながり、関連話を面白く書いてあるものは少なく、ちょっと余分目に書いてしましました。
もっともこのブログの特徴は、現在、そのような傾向にあるネット上の記事の隙間を埋めるものですので、
余分、余談もいいかなと思っています。これを見ている皆さん、紙(Paper)や本(Book)に親しんでいますか?

146世界@名無史さん2017/08/21(月) 08:52:37.320
インドの起源は古代ギリシャ文明
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/whis/1349157813/137

137 名前:パピルス[] 投稿日:2015/02/18(水) 21:51:12.20 0
パ・エン・ペアルルで「ファラオのもの」しかしこれは俗説

結局のとこ古代エジプトでは
メヒトmehyt→湿地に生える植物の総称
あるいは以下のようによばれたようだ
チュウフィイtjufy→特定の植物

147世界@名無史さん2018/01/30(火) 12:33:15.570
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

331W9

148世界@名無史さん2018/07/12(木) 13:03:36.900
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

4ZO

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