え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2 [転載禁止]©2ch.net
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※前スレ
え?この時代からあるの?という技術・発明
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1420102261/
前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず ガム
古代ギリシア人がすでに愛好していたよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/マスティック・ガム
ちなみにこのガム、今も健康食品みたいな扱いで通販で入手できるよ 「新聞」とWikipediaで調べてみると、唐の時代からあったようだな。あれは今で言う官報に近いものだと思うが。
事件報道とかの記事が載った新聞って何処の国でいつ頃始まったんだろう。 いつも思うが連続性があるものとないものを分けて欲しい
唐のものは新聞類似のものの最初かもしれんが
後の新聞ではないだろう
酒場の掲示板とかが始祖だろうか オランダの世界遺産、シュレーダー邸(1911)
ttp://www.k3.dion.ne.jp/~honjo/LOVELOG_IMG/BCADDAB0C0DEB0934020(4).jpg
今ならあってもおかしくないが、日本でいう明治時代の建築とは思えない斬新さ。
>>4
定期的な刊行物としては、17世紀のドイツに始まるようですね。1650年、日刊紙創業。
現存する最古の瓦版は大坂夏の陣の結果を伝えたものですが、勿論定期刊行ではない。
それどころか、江戸も後期にならないと業者が組合に名を列ねていない。 >>5
バウハウス思い出したなんとなく
用の美ですか >>5
逆に言えば江戸後期には株仲間所属の出版業者が定期的に報道物を刊行していたということですかね? 古河の歴史博物館に行くと、蘭学の街らしくストリートオルガンが展示されている(学芸員に頼むと演奏もしてくれる)。
古河のものは大型だけれど、家庭用の小型オルガンもあったらしいね。家庭で合奏曲を聴けるというと、レコードの魁かな。 >>9
録音技術の無かった時代、家庭で音楽を楽しみたい人は(楽団抱えられるほどの富豪は別にして)自ら演奏した。
家庭用ストリートオルガン(変な言い方だけど)によって、自ら演奏すること無く家庭で音楽を観賞できるようになったのだから、レコードやCDはその延長線上だと思う。 15年位前白人の爺さんが酒に酔っ払いながら手回しオルガン回してたの思い出すな
隣に6歳くらいの幼女がないてて
ナンダこれアニメのひどい場面の再現か?とあたりを見回した記憶がある >>11
堺屋太一本によれば、最初の録音物の販売はビスマルクの演説
だったそうだからww
エジソンも自分の発明によって興行がここまで巨大産業に
なるとは思ってもみなかったのだろうなww >>8
定期的な収入は上がっていたのでしょうね。
史料を探しても出て来ないのですが。処分してしまったかな。
>>9
中国のオルガンは、フビライの中統年間(1260-1264)に、「回回国」から贈られた
「興隆笙」が最初だと言いますね。
本物の羽を用いた孔雀が飾られた、異国情緒のある品物であったという。
もっとも、マテオ・リッチ(1552-1610)は「中国には鍵盤楽器がない」と言ってお
り、自らもクラヴィコード(一説にチェンバロ)を献上していますが。
どちらも欧州では14世紀末にはあったので、どちらでもおかしくない。
日本にも、同時期に天正少年使節が両者を持ち帰っていますが、出発の前年である
天正9年(1581)に、安土のセミナリオを訪れた信長は、ハープシコードの演奏を
耳にしたということですから、鍵盤楽器の伝来はより古いのでしょう。
遠藤周作は信長の前で演奏した日向の領主の息子を伊東マンショとしていますが、
彼の親類のジェロニモだろうと思います。
ピアノは1823年にシーボルトが持ち込んで日本人に贈った物が現存最古。
しかし、最初の伝来はより古いかもしれません(発明は17世紀末)。
ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。 >>15
>ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。
あり得ますね。
ヨーロッパ情報の日本伝来は意外と速くて、頼山陽が「仏郎王詞」を詠んだのは1818年。ナポレオンは存命中に日本でも知られていた。 Wikipedia「サウロマタイ」より
サウロマタイの住居は荷車と一体であるので、古代のギリシア人は同じ習俗を持つアガテュルソイとともに彼等を
「ハマクシビオイ(車上暮らし族)」とも呼んだ。
俺も去年の今頃はやっていたよ車中泊の連チャンを・・・
全国の公園駐車場を渡り歩いたものさ・・・ どうやって脱出したのかをぜひ詳しく。
明日は我が身である。 >>18は、強いられたホームレス的生活として解釈してるようだけど
>>17 は、定期預金1000万ぐらいあって、田町の2LDKのマンションも
確保したうえで、趣味として全国放浪してたのかもよ 遊牧騎馬民族はテント暮らしが定番かと思いきや、
紀元前からキャンピングカーを持っていたとは
http://wildfiregames.com/forum/index.php?showtopic=18573&page=2
俺も定年になったら気ままに車で日本一周したいな。 今ググったら、馬車の鋼製バネ(サスペンション)の起源は欧州17世紀、と
あったけど、確かその前は、車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
当時の道路事情で、サスペンション無しの馬車に長時間乗るとか
拷問っぽい気がする 想像だけど 乗用馬車の車輪が大きいのは、車輪時代が撓んでサスペンションとして働くのかもね。
もちろん、車輪が大きいと悪路の走破性も良くなる。 >車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
>ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
それは初耳ですが、15世紀後半になるとハンガリーでコチ(地名だが、馬車名にもなった)
が生産され、西欧にはフランスのシャルル7世に送られて伝わっていますね。
運ぶ、導くことから、指導員(コーチ)の語源でもあるとか。
それでも、17世紀までは欧州で馬車はあまり使われていなかったはず。
アッティラの時代のフン族の婦女子もほとんど荷車の上で過ごすと書かれていましたが、
これは誇張があるでしょう。
しかし、それほど当時の西欧の人間には車上生活が珍しかったと見える。
我が国では、源頼光配下の三人(後に四天王と呼ばれる面子の内、源綱を除く三人)が、
賀茂の祭の行列を見物したいが馬を列ねて見るのは悪目立ちするし、徒歩では疲れるとい
う理由で牛車に乗ったところ、初体験で乗りなれていなかった上に牛が逸物だったのが悪
い方向に作用してしまい、車内で前後左右に揺られ、酔って烏帽子も落とし、死に掛かっ
たので徒歩で帰還したという話があります。
平季武いわく、「猛き武者でも、車に乗る戦いは不要。自分はあれ以来、車には近づいて
もいない。」と。
牛車に乗って移動していた女性たちは記録していませんが、あれも乗り方を教える人間が
いないのに乗ると、歩いた方がましな目に遭わされたということです。
源義仲も酷い目に遭わされたという逸話がある。 馬車の振動を防ぐために、椅子を本体に固定せず、
ブランコやハンモック方式で、上に立てた横棒から吊ってたのもあったらしい
シンプルかつ安価な良い解決方法だ・・
俺じゃ昔に生まれてても多分思いつかんわ バネよりもダンパーを工夫しないと、あっちこっちに揺れてかえってつらい。
ハンモック式だと、重りぶら下げて質量稼ぐくらいしかダンパーが思いつかないな。どうしてたんだろう。 >>25
私が以前読んだ本では、15世紀のハンガリーのコチはハンモック式でスプリング式が17世紀の
発明とあったのですが、今検索してみるとコチがスプリング式であると説明されていますね。
ブランコで思い出しましたが、「鞦韆」の名でこの「北方山戎之戯」が南北朝時代以降の中国
で行われ、平安時代には日本にも伝来していたことはあまり知られていませんね。
鎌倉時代以降は長く記録上に現れず、江戸時代になると房総半島や南九州に民俗として存在し
たことが知られるのは、周圏論的な形で古俗を伝えたものか。
江戸時代になると、和漢の書の研究が進んだためか、民俗にない土地でも知名度が上昇。
ぶらこ、ふらとど、ふらんど等と呼ばれた。
ふらんど(ブランコ)や 桜の花を もちながら 一茶
鞦韆院落夜沈沈(ブランコがぶらぶらとして夜は耽る) 蘇軾「春夜」
中国では鞦韆といえば春に(女子が乗って)するものであり、朝鮮や日本でも春のもの。
とりわけ火を焚かぬ寒食の頃、月下でゆれている姿が好まれたようです。 ttp://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/24387_15654.html
古代ギリシャでも行われたようです。
ギリシャから遊牧民経由で伝播したのか、元々遊牧民の祭りに使われたのかは分かりませんが。
ブランコをポルトガル語とする説は、ぶらここなどの語が江戸時代からあり、ブランコという
言葉より古い例ほどポルトガル語と似ていないので、否定的に見られています。
欧州の例も、17世紀から西欧で盛行したのはいいとして、古代ローマとどう繋がるのかがよく
分かりませんね。 >>24
馬の場合も
人間が家畜化以降に最も重視して選抜した特性は
乗り心地だったらしいww
たしか馬の歩き方が
上下の重心移動を避けるようにするんだったっけな >>31
ほんとだ、走り方って書いてあった
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2014020415510020.html
Swedish University of Agricultural SciencesのDr. Leif Anderssonによってリードされた研究チームは、
馬の歩行様式を規定しているDMRT3 の遺伝子の特異分布について調査を行った。
DMRT3は「gait keeper」として知られている馬の遺伝子となる。
その結果、DMRT3が人間が馬を利用するにあたって馬の移動がスムーズに滑らかに進むように中心的な役割を担ってきたことが判った。
レース用の馬から、レジャー用の乗馬用の馬まで、人間は馬がスムーズに走行することを最大の目標に置いてきたのである。
研究チームは世界中の馬、141種類の品種、4396頭を対象に調査をすることでこの「gait keeper」の遺伝的変異は、
東は日本から西はブリテン島まで世界中の馬が有していることを発見した。
「人間はこの遺伝的変異を世界中に広めていったのです。
なぜならば、この遺伝的変異を有する馬は、乗り心地が滑らかで、
ブリーダーからは「running walk(歩くように走る)」ことができると称されるに至ったからです」
「こうした滑らかな走りをすることができる馬は常に1本の脚を接地する走り方をすることができ、
このことにより乗り手には最小限の揺れしか与えることのないことを可能にしたのです」とDr. Anderssonはまとめている。 >>33
血豆状の静脈瘤を潰すだけの治療なら当時でもイケたんじゃない?
死ぬ程痛いだろうけど >>33-34
これ、痔瘻の切開じゃないかな。
私は痔瘻になったことは無いけれど、膿を出すと驚くほど苦痛が軽減するらしい。こんな手術でも効果はあったと思うよ。 >>33-35
痔の治療法として、熱した鉄を患部に当てる方法もあった。
ttp://hypescience.com/wp-content/uploads/2009/03/1-medieval.jpg
どうしてもやるなら、こっちがいいな。
>>33の絵では出血多量で死んだかもしれん。 >>32
その走り方で選択されたってのは今のアラブ種ってことなのかな?
馬の走り方は、ネイティブでは片側の前後脚を一緒に送るのに対し、
アラブ種は互い違いに送る。
アラブ種は高速で走るのには適しているけど、上下動が激しくて馬もしんどい。
一方たとえばモンゴル種はそんなに速くは走れないが上下動が少なく長時間乗るのに適してる。
モンゴル帝国がユーラシアを席巻できたのはこの馬の走り方があったからこそ。
という内容で40年ほど前だったかNHKの歴史番組でやってた。 んで今、流鏑馬は上下動の大きいサラブレッドでやるもんだから当たらない当たらないw
在来馬だったら走りの迫力は減少するけどもっと当たりやすくなるはず。 >>37
へー、なるほどぉ
そしたらサラブレッドの系統は完全に選択されちゃってますねww
より自然に近い走り方だったのかな、
背中に荷物載せることなんてありえないし ちなみに「名馬千里を走る」も
単純に計算すると
速く走る馬じゃなくて
長距離を移動できる馬のことになるらしいww 流鏑馬って当たらないのか
ニュースだと当たってる絵ばっかだからそういうもんだと思ってたわ テレビ番組で流鏑馬をやっていた女性がモンゴル版流鏑馬(名前失念)に挑戦してたが本番では一〜二回当たったかどうかだったな馬も小さいし弓も小さい、距離感覚も短ければ的はかなり低い位置にあるから大分勝手が違うようだった >流鏑馬って当たらないのか
5mしか離れていない的を外すとか神業だなw >>43
なら、君もその「神業」ができるよ
簡単そうに見えるけど、和弓って、けっこうむずかしいんだ
弓道未経験者なら、狙った方向に飛ばすことができるだけでも立派なもの 和弓でない弓でも、銃器でも揺れた・走らせた状態からだと5m先は至難の業では。 外国人が驚く和弓の特徴は弓が非常に大きいこと。
弓を使うとき問題になるのは左胸肉を削ること。
それを回避するために、モンゴルは弓を小さくして体から遠ざけ、
アーチェリーは矢の持ち方を反対側にして体から遠ざけ、
和弓は射ると同時に弓を半回転及びプロテクター使用。 日本の弓って馬で走りながら射るのには大きすぎるんじゃね
パルチアンショット的に後方に弓を引こうとすると馬の尻にひっかかるし >>50
お前が古い弓術知らんだけやろ
結構アクロバティックな射形あんだけど弓道に採用されんかったからな >>51
アクロバティックな事をせねば使えぬとは
おぬしガラパゴス化という言葉を存じ居るか >>52
そりゃ現代弓道からの視点で見ればアクロバティックなだけで
体の操作法としたら別に不自然なもんじゃないから
本当無知って怖いな いや言い訳じゃなくて事実だから
あとガラパゴス化云々て指摘も間違いだろ
目的に応じてそれぞれ適応してくからイングランドロングボウなんかも
下半身使った遠射モーションとかもあるし
てか弓を横に倒したりする古式の射法も知らんのに馬のケツに引っかかるとかアホな事言われてもなぁ >>55
和式弓術で弓を横に倒すのってあったっけ?
いやアニメ以外で。 外国の弓はどんなに大きくても真ん中を引いて射るけど、和弓は馬の首に引っ掛からないように、下側を持って引いて射るようになったと聞いたな。
馬の右側に射る技術もあって、弓手切りって呼んでたような。
うろ覚えですまない。 日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向があるような
草鞋とかさ。下駄とか思いつく前に普通の皮靴でも作れば一発で不便さ解消なんだがそういう発想の転換が何故かないんだな >>58
肉食が少ないので皮がそんなに手に入らない。
湿度が高いので蒸れる。
治水されていないと、川が氾濫し、川筋も変わり、湿地だらけで水浸し。
当然、橋も掛かって無いから、川を渡るには入るしかない。
草履が一番良いみたい。 >>56
鎌倉とかの古い弓術ならな
体ごと弓を横にしたりとかもあるし >日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向がある
似たようなことを、煙管に関して呼んだな・・ 煙草を吸う道具としては
キセルは優れているとはいいがたいのだが、むしろその不便のまま、
キセルでの吸い方が妙なスタイルと言うか美学になって、結局改善されなかった、と
内心は変えたいものを、美学であるとか胡麻化して、変える努力を怠る、という
傾向は日本文化でかなり見受けられる気がする
別の例を挙げれば、AVのモザイクとか。モザイクがエロ心の成長のために有用である、
みたいな議論が制作側からも出るのが不思議 中国とかと貿易もしてたんだから絶対普通の靴作って売ろうとした奴も大昔から何人もいたんだろうなぁ 高下駄だよタカゲタ、ゲタ
糞尿まみれの京の都を歩くには高下駄でなければ無理
これならウンチを踏み潰しても小便溜まりにはまっても被害を防げる
革靴であれば踏んづけたウンチの飛沫がくるぶしまで達してしまう
だが下駄も買えない庶民は裸足でウンチにまみれながら都を走り回っていた
これが日本の文明えんがちょ >>58
走ることを職業としていた「飛脚」は、紐で足の甲や足首をしっかり結べるタイプの草鞋(わらじ)
を履いていたようです。
「飛脚の草鞋」と「革底の革靴」とで、今の道路を走って比べてみても飛脚の草鞋に軍配が上がるでしょう。
それに加えて当時の道路事情を考えれば >>60さんの言うとおりです。
現代の布製でゴム底の運動靴ならば飛脚の草鞋に勝てますが、ゴム底の革靴だとどっちが勝つか?飛脚の草鞋が
勝ちそうな気もします。 >>61
弓を横に倒すという和式弓術のソースは?
いや脳内じゃなくて。 >>66
鎌倉から室町辺りの絵巻の戦争風景を調べるといい
結構弓を横にして撃ってるものがあり、当時の人には
弓は地面に垂直に構えるものと考えてないことがわかる >>62
餡子と胡粉が双璧だと思いますが、江戸時代以降の日本の工業技術の不合理さは錬金術に通じるものがあります。「祖先伝来の秘法」に拘泥し、イノベーションを受け付けない。
鍛冶や日本酒、油など、戦国期までの創意工夫と比較すると同じ国とは思えないほど。幕府の方針もあったのでしょうが、新規技術によるコストダウンの必要がないほど国内経済が安定していた証拠と見ることもできるでしょう。 >>68
んだから絵巻の資料色々見てきなよ
そういう撃ち方してるものがあるから
web上だとイメージ検索したけどあんまこれってのがなかったから提示できないわ >>70
「弓を横に倒す和式弓術」というおぼろげなイメージについて、
皆の前に出せるようなソースを見つけられなかったわけね。
ご苦労さん。 >>71
いや単に妥当な資料がオンライン上にないってだけなんで
結城合戦絵詞とか塀の上から腕だけ出して垂直?何それ?おいしいの?状態で射たりしてるんだがな 塀から腕だけ出してとか、弓の実物を見たことがない人間の発想じゃね。
伸ばした腕の力だけで弓を引くなんてムリだよ。 >>76
そりゃお前の発想が狭いだけだわ
別に弓で狙撃するわけでなく、それで射殺すわけでなく、最大射程でなく
ただ近くに適当に射掛けるだけならそんなに全力で引く必要はないよ 弓の特徴の一つに「自由に曲射ができること」があるはずだが、塀の上から射掛ける必然性がよくわからないな。 最近のアニメやドラマで見た、拳銃を横に構えて撃つ中二的なポーズに影響されて、
日本のサムライも昔から弓を横に構えて射かけていたんじゃという妄想が生まれたのですね・・・
わかります。 >>78
曲射出来る道具だからと言ったって常に出来るとは限らないんだがな アニメそのものの影響じゃね?
もののけ姫のアシタカが横構えで矢を放って敵兵の首をすっ飛ばしてたアレw
蝦夷だかアイヌの人ならそれでいいと思うよ。
しかし上下非対称な和弓であれと同じ構えをするとかなり間抜けだな。
まともに矢が飛びそうにないし、わざわざ非対称に弓を作った意味が無くなる。 遮蔽物の陰からの面制圧射撃って、それこそ曲射の出番じゃないか。 んで結局>>72は、結城合戦絵詞のいったいどこを見て弓を横にして射ていると主張したいわけ?
どの場面で誰が? >>84
壁から腕出して射てるところは今の弓道とは全然違うやり方しないと射れない
他の合戦絵巻は馬首より身を乗り出して射てるものがあるが
これをやろうとすると弓と体が横向きにならないと出来なかったりして
弓道とは全く違うやり方しないといけないんだわ 昔の絵巻物の表現技法では、縦向きと横向きの見分けがつかないんじゃないかな。 >>86
実際に棒状の物持ってその姿勢取ればいいさ 弓道のことなんて何も知らないけど
絵巻物から正確な仕草なり型なりを見て取ろうというのはちょっと無理がありそう 鵜呑みにはできないだろうな
ただよく出来た絵巻物なら弓に関する当時の「通念」を読み取ることができるかもしれない >>85
>壁から腕出して射てるところ
弓を横に倒して射ていると判断できる描写は見当たらないな。
念の為にここに絵を貼って端から何人目の人物って書いてみてよ。 弓を縦に構えれば左手いっぱいから右肩まで引けるが、横構えだと
左手の付け根までしか引けず、その威力は半分でしかありませんな。 >>91
勘違いしてるようだけど弓を横にするのと弓と体の位置関係が横になるのは別だぞ? 古墳時代の出土品に靴あったよなごてごてと飾りついてる奴、弥生時代だっけ? 自分が書いてあるようにようはい付きの靴は古墳時代だぜ 単純にもちにくいので横にもつことはあんまなかったでしょうね
とりあえず弓を横にする派はソースだしなさいな
絵は解説もないしソースになってない
ソースだせないなら妄言で確定 どうでもいいけど
長弓と短弓の関係は周圏分布っぽいな 以前もどっかで尋ねた気がするけど
なんで北条氏ってコンクリートで総構え作んなかったのかな?
コンクリって、石灰、砂利、水の混合でそ。秩父で材料幾らもあるし
ローマ人も使ってるので16世紀の日本で作れないはずない。
コンクリで5m壁の総構えとか作ったら、当時の攻城術だと為す術もないんでないか 金がかかる上に小田原城の総構え最北端の土壁は
5メートルなんて余裕であるぞ
実際20万の秀吉軍も抜けなかった 日本の城は近代兵器相手でもタフだよ
会津若松城は戊辰戦争でボロボロになっても
最期まで落ちなかった
熊本城も西南戦争で天守が事前に焼失したにもかかわらず
堀、土塁が健在で落ちなかったし 天主はたぶん戦争中に燃えると面倒だから
前もって防御側が燃やしたんだろう この時代からあるのという事でいえば、西日本各地にある古代山城(朝鮮式山城)。
城壁の延長が数キロメートル以上というのがざらにある。
ところによっては、戦国期の山城よりも立派な石垣があったりもする。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/2d/Oonojou.jpg 何で朝鮮式なんだろな
朝鮮なんて李氏朝鮮まで存在しないのに >>102
朝鮮半島に多かった築城形式が日本に輸入されたからだろ常考 >>103
じゃあ百済式とかだろ
何で朝鮮式なんだか
おかしいよ >>104
ああいう山の天辺を城壁で囲むのは、
元は唐の大軍相手に戦った高句麗の戦術だろ。
それが百済や新羅との抗争で朝鮮半島全体に広がり、
日本にも波及したという流れだ。 ハイキングのつもりで福岡の大野城に登ったことがあったが、
ああいう山城は登るだけで疲れる。
そのうえ戦なんかしたくないわ。 昔の人は一日中戦っててすげえわ
特に行軍のあとすぐの戦闘とかよくやる気出るわ 行ったらわkるけど水城とつながってるから意味がある城やで 行軍すぐあとの戦争は一般的ではないやん
行軍直後の戦争は名将なら奇襲&勝利フラグだが
一般的には敗戦フラグだよね
クラウディウス・ネロの話はどうも信用できん ナポレオン戦争では普通
アウステリッツのときなんか第三軍団は110kmを48時間行軍して
即戦闘突入して勝利 あえて名将を除外したのはそういうのを想定したからやで
第一あれが世界史的に一般的かね 110kmを48時間行軍って時速3km切ってるんですが
この行軍時間と距離だと20時間5.5km行軍+28時間の休息と睡眠、食事
くらいの配分になるだろうし、行軍即勝利ってのはちょっとおかしい話 装備背負って2日で100キロはご勘弁頂きたい。
1日50キロって、歩くだけならなんとかこなせる、って距離だぞ。 >>120
そりゃ現代人の貧弱な足ならな
あと最低限の装備は手に持つが輜重くらいあんだろ
ナポレオンは輸送重視してたんだし ナポレオン戦術イケイケ強行軍
リヴォリの戦いでヴィクトール旅団を強行軍で増援させ勝利
マレンゴの戦いでドゼー旅団を強行軍で増援させ勝利
ウルムの戦いでオーストリア軍がフランス軍のスピードが速すぎて
補足しきれずに包囲されてしまい、フランス軍勝利
イエナ・アウエルシュタットの戦いでは、プロイセン軍がやっぱり
フランス軍のスピードが速すぎて補足しきれずに背後に
回り込まれて、フランス軍勝利
「最良の兵隊とは闘う兵隊よりもむしろ歩く兵隊である。」
「戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる。」
byナポレオン言行録
そんなナポレオンも最期はワーテルローに強行軍で現われた
プロイセン軍の増援により敗れるのであった >>119
強行軍は寝ないよ。飯も歩きながら食う
当然、兵は3割から5割は脱落するが、兵力が戦場に
間に合わないよりは遙かにマシと考える
徹夜行軍は現代の軍隊でも普通に訓練する
自衛隊死の行軍事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>1957年(昭和32年)2月5日夜、広島県賀茂郡八本松町(現東広島市)陸上自衛隊原村演習場にて、
「行進競技会」と呼ばれる夜間行軍演習が開始された。その演習は、80Kmの道程を、
約10Kgの完全装備で行軍するという過酷なものであった。加えて、行軍時は強い雨が降っており、
その過酷さから落伍者が相次いだ。しかし、行軍は続行され、翌2月6日、第7連隊所属の
自衛官2人が過労で倒れ死亡した。
こういう訓練をしているから東北三陸沖地震のときも迅速に展開できた
あと運が悪いと会社の新人研修でやらされるからなw これからはそういうのはロボット二等兵にやらせてほしい >>125
うん、だからこれは全然強行軍ではないという話 >>126
三等兵と思われます。
農薬
桃山時代の日本でトリカブトなどの有毒植物の混合物が使用され、明末の『天工開物』にも砒素を利用したことが見えている。
江戸時代にはやはり有毒植物であるアセビを煎じ、水で薄めて撒くことも行われたが、これは汲み取り式の便所に撒くことでも
殺虫効果が重宝されていた。 >>128
そういえばズバリ「除虫菊」という花がありますね。
私は子供の頃「女中菊」だと思っていました。番町皿屋敷の話を知っていたからですかね。 汲み取り式でウジ虫を根絶すると溜められた糞便が軟化せず詰まりやすくなる >>126
今は現代なのにサラ・コナーさんがロボット犯罪について報道したらしいww 除虫菊って古くからあるイメージだったけど、日本に入ってきたのは
明治時代だったんだね ヨモギはかなり古くから防虫に使われてたんじゃないかな。
ちなみに見た目がかなり違うが、ヨモギもキク科の植物。 農薬の歴史については、農薬工業会のホームページが面白い。
http://www.jcpa.or.jp/labo/column/control/
ギリシア・ローマ時代から燻蒸法(今で言うバルサンみたいな?)を
使っていたとか、江戸時代の日本でウンカ対策に鯨油を使っていた
というのは知らなんだった。 >>134
これ、おもしろいですね
書いた人はもっといろいろと言いたそうなww 使い方は書いてないのか?
どこかで書いたが、一応書いておくと
クジラの脂を水面に広げてから稲を揺らして落とす
ウンカは水に落ちても死なないが
脂に落ちると死ぬ
であとは脂を水と一緒に排水する グスコーブドリの伝記では、石油を沼ばたけに撒いていたな 俺はこうした故事に学んで、台所で油虫を見たら洗剤(界面活性剤)か油をかけるな 虫の体は細かい毛が水を弾くので濡れない。だから雨も水に落ちるのも平気だ。
しかし、油や界面活性剤など表面張力の低い液体には濡れるので、窒息したり動きが取れなくなったりする。 >>133
俺の母親は毎年お灸用のヨモギ綿を作ってたよ。
秋になってヨモギが堅くなると刈り取って乾燥させ、
葉を揉んで綿だけを残し、お灸綿として一斗缶で保存。 >>139
台所のアブラムシは
テカテカじゃんぷ
って感じですかね? >>142
言うこと聞かないとお灸据えるよ!と脅された口ですかね いんや、爺さんと親父がおっそろしい肩凝り症だったためとか >>144
私の世代ですと、脅しではなく実行されましたが。 うわっ、山野先生だ! お目にかかるの15年ぶりくらいですね
お元気にしてらっしゃいますか? また蘊蓄うかがわせてくさい >>148-149
一般的には149さんの仰るとおり。
但しわざと傷口を化膿させる「打膿灸」という手法もあって、これは当然、火傷の跡が残る。
元々は廱や感染創傷を早急に排膿させる手法だったらしいが、今では頑固な凝りや深刻な体調不良を治療するのに使うとか。 >>147
流石に15年前だと2ちゃんねるに出て来る前になってしまいますが、まあぼちぼちと。
>>148
特に何かしてもらった記憶はありませんが、物心ついた頃には何もありませんでしたよ。
今なら児童虐待扱いでしょうね。 >>151
悪いことすればするほどお灸据えられて健康になりませんでしたか(笑)。
私は40歳ですが、子供時分に悪さをすると、明治生まれの祖父に頭の形が変わるほど殴られたものです。
私はつい最近大学院に行って、昭和最後や平成に生まれた諸君と机を並べましたが、この話をしても信じないか、よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
随分と私を可愛がってくれた祖父なのですが。 頭の形って所謂たんこぶってことかな?
なんかぞっとするはなしだぜ >>153
さすがに頭蓋骨が粉砕されるほど殴られた訳じゃ無いよな。 俺が思ったのは子供は頭蓋骨かきちんとかみ合ってないから
そういう意味で変わったのかなと 健康に、なったと思えばそうかもしれません。
>頭の形が変わるほど殴られた
(事実ではなく、普通にある言い回しだと思っていましたが、ひょっとして若い人には通じない?)
私はいよいよ口で言っても分からないという時には、親から「お前は牛や馬か」と言われました。
要するにぶたないと言われた通りに動かないのかという意味でしたが、牛馬が廃れた今ではもう通じないでしょう。
>よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
普通ですよねえ。
私の祖母の思い出は、家事を手伝っていたら「男の子のすることではない」と『怒られた』ことです。
祖父も父も、配膳どころか己の飯をよそう事にすらまるで関わらずに座っている男でしたが、今時の人は非難するでしょうね。
スレタイに沿って言うと、声だけで演じる、今でいう「声優」の芸でしょうか。
石田彰さんが女子高生も含めて演じた一人芝居を披露しておいででしたが、清末の江蘇省には、声による一人芝居の名人がいたそうです。
暗闇で観衆が耳を傾ける中、男一人で若い男、老人、人妻、商売女、田舎者、家畜の声まで真似てみせ、違和感がなかったという。 今の若い人は知らない人かもしれないけど、その昔赤塚不二夫という人が居て
天才バカボンというマンガがあった。当時はマンガは、紙に印刷してあって
今あるデジタルコミックのアナログ版で子供に人気があった
で、そこにバカボンのパパと言うキャラが居たわけだけど、その人の有名な台詞に
「たりらりらんのこにゃにゃちわ」というものがあった。こにゃにゃちわは不明だけど
たぶんこんにちわ、の口語だと思う
たりらりらん、の方は中世の神楽などに見える多分古くからの囃しのことば。
バカボンのパパにはハジメ(=初め)という一人息子が居る等、色々隠喩に溢れている 落語なんかも声が似ているかどうかは別として
特に違和感はないですね 有名どころでは三代目の金馬が声色のバラエティーに富んでて面白いね たりらりらんが囃しことばに由来するのは知らなかったわ >>153-155
ピンピンしてますよ。頭の形、結局変わらなかったみたいです(笑)
>>156
私も祖父には良い思い出しかありませんね。
叱り方こそ陸軍式の鉄拳制裁でしたが、叱られた理由も「弱い者(人間に限りません)を虐めた」「人の大切にしているものを故意に壊した」といった、誰が見ても妥当なものでした。
将棋を教えてくれたり、小さい頃は一緒にお昼寝してくれたり、とても優しい祖父だったと思っています。 >>159
そもそもバカボンからして「薄伽梵」という仏教用語由来 バスローブの歴史というのがよく分からないのですが、どなたかご存じないでしょうか。
大黒屋光太夫がロシアに行った際、現地ではサウナ風呂に入ってから直接寝巻きに着替えていた
ので寝巻きが濡れていたが、光太夫が浴衣を伝えたので皆真似をして広まったという。
ひょっとして、浴衣が(バスタオルも含めて)由来かなどと考えてしまうのですが。
ルイ14世(1715年没)は即位後2回しか入浴しなかったといい、西欧で王族が湯の風呂に浸かる
のが当たり前になったのが1740年代以降。光太夫の帰国が1792年。
余談ながら、それまでロシアには鬼灯はあっても口で鳴らす遊びがなかったのを、光太夫が伝
えたということです。 フェルメールの絵画などでヤポンロックの話が出てましたね 仰る通り、室内着としての着物(一時は外出着)はかなり知られていたようですね。
ただ、水滴と汗をぬぐう用途はなかったと思ったので。 ロシア男性の外套「シューバ」がキモノ系衣服に似ている(襟を斜めに交差)が、
これはたぶん和服とは関係なくて、テュルク系民族の男性の外套「チャパン」あたり
が中央アジアから北上したものなのかもしれません。(
アフガニスタンのカルザイ大統領がいつもはおっていたあの長袖のガウンね) 余談がおもしろい
光太夫が伝えた鬼灯を鳴らす遊び、本家の日本ではもはや忘れ去られてる
に近いですが、彼の国ロシアではいまだ健在、ってなこともあるんですかね >>173
仰るとおりだと思います。
>>174
どうなのでしょうね。
本国ではとっくに廃れたというものでは、中国では明代までだった蹴鞠が思い浮かびます。
食事制限の歴史
10世紀半ば(現存する記録は12世紀前半のもの)
藤原朝成(917〜974)、肥満過ぎたので医師から「冬は湯漬け、夏は水漬けを食べる」ように言われる。
しかし量が多過ぎた上に、鮎の鮨まで食べるものだから効果はなかった。
1224年
イタリアの医師が、患者に干し肉とパスタを食べることを禁じる。
なお、これが現存する最古の「パスタ」の記録だという。 世界初の4コマ漫画本は14世紀のハンガリーで著され
今はバチカンの図書館に秘蔵されているという
アンジュ―・ハンガリー伝説(Hungarian Anjou Legendary) >>168
ルイ14世の話ですが、本当でしょうかね。
クセジュ文庫の「ヴェルサイユの歴史」という本によると、ルイ15世の時代には湯と水の蛇口つきの浴槽が宮殿に設けられて、衛生的に「満足のいくものになった」という記載があります。
ではそれ以前はというと、そのルイ15世が先王を真似して遠くで沸かした湯を浴槽に張って入浴したら冷めていて風邪を引いた…と。
勿論、ルイ14世がたった2回入浴した際の真似だと言われればそれまでですが。 直線じゃ、いくらスピードが出てても面白くもなんともないんですが。 >>168
イギリスのバース市の古代ローマ浴場の遺跡から
「私のバスローブを盗んだ者に呪いを!」と書かれた
金属片が出土した
ソースは
2013年3月10日放送 THE世界遺産「バース市街」 ポンペイの壁みたいな落書きならまだしも、
金属片に刻み付けるとはw >>182
当時は紙がなかったから
今日の感覚だと、半永久的に残るよう金属片に刻み付けて
と考えるのかもしれないが
ひょっとしたら、あの時代だと紙がなかったし、金属類は高価なもので
すぐにリサイクルされただろうから、どうせ溶かしてリサイクルされるのだから
と考えていたのかもしれない。 >>182
壁の落書きと言えば、「ぁぁ、今日も俺はレンガ積みなんかしてるし…俺の人生こんなもんかよ」
って落書きがあって、技術ではないけど、え?この時代からあるの?と言うは感じはした >>185
文字を書けるインテリという今で言う大学院レベルの人材が
レンガ詰みっていう状況が興味ある >>186
ローマ時代は読み書きのハードル相当下がってるぞ
筆記能力があるということでインテリ扱いしていいのは精々楔形文字の時代かな
あれはピクトグラムと表音文字を組み合せたものなんで非常に難解 便所の壁の落書きってのも意外と乙なもんでな
考現学的に研究したらかなり面白いし
徹底的にやれば後世に残る業績になると思うよ ポンペイの落書きは大昔の気がしないから好きだな。
「○○と××ができててアッチッチ」
「**こないだの金返せ %%より告ぐ」
とかもう今と変わらん。 残念ながら男性では女性トイレに入るのは困難なとこが残念だな
社会学の博士号あたりもってれば管理者に断りいれて入れるかな? >>157
いまさらですがそこは
「豚じゃないんですね」
と突っ込むところですぞ >>156,>>157,>>192
いや、「頭の形が変わった」ってのはすげーでかいコブができたって意味じゃないか?
実際、自分もできたことあるし。でかすぎて死ぬかと思った。
その前に、昔の小学校では大根と同じぐらいの太さのムチで
教師が児童をバンバンぶってたって聞いたしその時にできるコブったらもう…
みたいな話は聞いてたので、自分にコブできた時もたぶん死なないと思えたわけだが >>193
大根と同じ太さのムチは
たぶん鈍器と呼ばれるものですww >>195
>>193を書いた者だが俺もあなたとまったく同じように思いましたよ
それで震え上がってたわけだけどw 技術・発明ではないならが、意外そうなもの。
歌川国長(1829年)没、世界の七不思議を描く。
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/000/684/98/N000/000/007/135563341658913111128_ukiyoe.jpg
ttps://www.shibunkaku.co.jp/artm/kako/nakau/kyojin.jpg おゝ、これは素晴らしい意外。
大河ドラマの「花神」で大村益次郎たちが積分記号を使って計算してたのと同じ種類の驚きです。 >>198
幕末の遣欧使節が「エヂプトピラミーデ」を見に行った話を読んだことがありますが、彼らは「何だこれは!」と仰天したのではなく「これがあのピラミーデか」と感慨に耽ったんでしょうね。
因みにその遣欧使節たち、どこのホテルでも小さな風呂しか無いのに不満タラタラで、カイロには銭湯があると聞いてワクワク。ハンマームにご満悦だったとか。 ピラミッド前の撮影中に動いて「影」としてしか映ってないやつがいたんだっけw >>203
昔から頭の良い人が居たんだね。
江戸のからくり人形みたいなものかな? アル=ジャザリーはプログラム可能なロボット楽団も作ったとか
http://www.wikiwand.com/ja/ジャザリー >>201
池田使節団の話?
なんていう本ですか? >>201
>カイロには銭湯があると聞いてワクワク。ハンマームにご満悦だったとか。
首まで浸かるという深い風呂でしたか。何で読んだのか忘れましたが。
確か、オランダで買えた醤油にも喜んでいましたね。
>>203
中国は言うまでもなく、インドでも『カター・サリット・サーガラ』などに自動人形が出て来るので、
概念自体は広くあったのでしょうね。
絵画について
セザンヌ(1839〜1906)「自然を円柱、球、円錐によって取扱い、そのすべてを遠近法の中に入れなさい。」
葛飾北斎(1760〜1849)「全てのものは定規とぶんまわし(コンパス)で描ける。」
そんな北斎の絵手本
ttp://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2015/10/AN01521376_001_l.jpg
こういう描画の手順があった、というのは意外かもしれないので。 中国でロボットといえば周の穆王に献上されたという話があるね(『列子』湯問篇)
偃師という技術者が作ったという歌って踊れるすぐれもの。今から3000年前の話だが。
http://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5Nzk1NjgyNA==&mid=205903575&idx=1&sn=b09ae11203c2deddd2f02849dd912518&3rd=MzA3MDU4NTYzMw==&scene=6#rd >>211
中の人など居ない…かなぁ?
踊りはまだしも歌うはハードル高そう。 時間密航者の臭いがするぞ
偃師というのはエンジニアを縮めた名前ではないか
我らタイムパトロールに対する挑戦か? 18世紀のインドにロケット砲部隊を作ってイギリス軍と戦った将軍が居た。
一説にネモ船長のモデルとも言われる、マイソール王国のティプー・スルタン。
そのロケット攻撃でフルボッコされるイギリス軍(1780年、第二次マイソール戦争)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mysorean_rockets#/media/File:Rocket_warfare.jpg 映画『リーグ・オブ・レジェンド』のインド風ノーチラス号が
大量にミサイルを発射するのは、その辺から来ているのかもね。 1783年 モンゴルフィエ兄弟、熱気球を飛ばす。同年、ジャック・シャルルとロベール兄弟がガス気球も飛ばす。
1787年 日本で『紅毛雑話』成立。ガス気球・熱気球の原理と挿絵が公開される。
1804年 レザノフ、長崎で熱気球を飛ばす。
1840年 中村主水、熱気球で香港へ向う。
事実の方が創作よりかなり早かった。
こう言ってはなんですが、梅毒並みに伝播が早いですね。 >>215
ティプー・スルタンって
白人が虎に食い殺される人形作って喜んでた王様だっけ ロケットといや、世界初の有人ロケット飛行はこの人でいいかな?
17世紀にオスマン帝国の空を飛んだロケットマン
ラガリ・ハサン・チェレビ
https://www.youtube.com/watch?v=AfsMFlpOlp4 >>218
喜ぶというか、それだけヨーロッパ人に対する恨みが深かったということでは。
しかしこのオートマトン、皮肉にもイギリスで人気を博したとか。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Tipu%27s_Tiger 中国の明代にもワン・フーなる男が、ロケットで空を飛ぼうとしたという話があったが、
(結果は飛行ではなく大爆発という話)こちらはトルコのロケット男とはちがって
同時代の記録が無い。どうやら後世のでっち上げらしい・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC 日本ではペットボトルロケットを担いで空を飛んだ芸人がいるのだが >>221
当時の科学技術で可能な限りのシミュレーションしてリスクを減らした上で実行したんでなければ、ワン・フーは元祖風船おじさんでしかないな。 江戸時代頃には
真空チューブの中を
列車が走っていたらしい、、、 ライト兄弟よりも前に、エンジン付き航空機で空を飛んだ女性がいた。
アイーダ・デ・アコスタ
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Aida-1903.jpg
彼女の両親は、そんなことをしでかす娘はお嫁に行けないだろうと焦った。 >>231
飛行機と航空機では意味範囲が違うのだよw あなたは40代ですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? 夢をかなえたい人、何かを作りたい人、アイデアを形にしたい人、起業したい人、
売れないアーティスト必見の「クラウドファンディング」
クラウドファンディング(英語:Crowdfunding)とは、不特定多数の人が
通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを
行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。
http://camp-fire.jp/
https://www.makuake.com/
http://shootingstar.jp/
https://wesym.com/ja/
https://readyfor.jp/ 史上初の空母を日本海軍が作ったって話も厳密には違うんだよな。
「航空機」には飛行船も入るわけだから。 てっきり英海軍空母フューリアスのことかと思ったら
そっちかい
ちなみに世界初の飛行船空母は米海軍の水上機母艦USS Wright (Az-1)で
から飛行船運用を始めたのは1920年でフューリアスや鳳翔といった
陸式航空機空母より遅いのであった
USS Wright
http://blog-imgs-72-origin.fc2.com/t/e/n/tensyofleet/20150111180911f47.jpg 設計当初からという但し書きは必ず付くから
ソースが出せないなら235は「ネトウヨの嘘を信じるな」という何時ものキチガイだろうな 映画マトリックスで一躍有名になった撮影技法バレットタイムは実は映画公開より20年前には存在していた 気球母艦も知らないとは、世界史板の住人もレベルが落ちたものよの。 ウィキペディアで見て驚いた。
ライト兄弟が飛行機を作るずっと前から、人間は空襲したり空襲されたりしてたんだなw キエフのオリガ(969没)は、夫を殺したドレヴリャーネ族の町に、敵に贈らせた鳩
と雀に硫黄をとりつけたものを放って焼き払ったといい、同時代の宋でも鳥を利用
した火計が考案されていましたが、現実には難しそうですね。 >鳥を利用した火計
時代を超えて存在した願望ではあったのでしょうね。
16世紀ドイツの兵法家フランツ・ヘルム(Franz Helm)で検索すると、
敵城を攻撃するロケット付きハトの図がヒットします。 鳩さんは現代でもミサイルの誘導装置代わりにしようというアイデアがあったな 鳩だけじゃなくてロケット付きの猫も描いてなかったっけ アメリカ軍も対日戦略爆撃用にコウモリ爆弾を検討して、
実験段階にまで進んでいたと言う。『トリビアの泉』では73へぇだった。 鶏を利用した核地雷
ゆるせる
ネコ様の尻尾に毒薬入りのビンを結わえて敵陣に放り込む
ゆるせん ヌコを盾にしたり、城塞に投げたりするのは頭おかしい エジプトじゃ猫がファラオになったこともあるくらいだし ましてや御猫様の皮を剥いで楽器にするなんて暴虐、考えられないよなあ 猫耳形兜かぶって猫にリードつけて散歩してる絵あるじゃん
あれって誰? 食肉目をネコ目と呼ぶようになってからネコ目イヌ科派との対立が決定的に・・・ 装甲艦
シラクサの僭主ヒエロン2世は、天才発明家アルキメデスをして
巨大戦艦「シラクシア(Syracusia)」を建造させその全面を金属張りとした。
時に紀元前240年。これをして世界初の装甲艦とする説がある。
王冠の金の純度を質問するだけで終わる男ではなかった。 >>258
イヌ科もなくなってネコ目オオカミ科イヌだぞ スズメ目カラス科とかスズキ目サバ科マグロ属とか、ほとんど嫌がらせだな 鳥の形をした兵器の続きだが、
古代中国、春秋時代の発明家である魯班(公輸盤)は、
3日間滞空できる、いまでいえばドローンのようなものを発明している。
雲梯など攻城兵器の発明で有名な人物であるから、この木製の鳥(木鳶)も
おそらくは戦争に使う事を考慮して製作したのであろう。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%B2%81%E7%8F%AD >>260 イヌ科は健在
イヌという種が学名ではオオカミの亜種に格下げってだけのこと
さすがに標準和名まで「カイオオカミ」に変更されたりはしない
ちなみに金魚は、学名では原種が金魚の変種扱いw
金魚のほうが先に学名がついて、原種となった種類のフナはそのあとで記載されたから
学名は基本早い者勝ち
イヌとオオカミの場合、どっちもリンネが1758年に記載したけど、どうもオオカミがタッチの差で早かったみたい
遺伝距離的に大差ないとわかった時点でオオカミの亜種扱い、これはまあ妥当 機雷
中国は明代から機雷(水底雷)を製造し実戦に使用していた。
朝鮮が秀吉に攻められた時、援軍として赴いた明軍が、
これを使って日本軍の大型戦艦を沈めたという記録が残っている。
http://www.timetw.com/42628.html これを使って日本軍の大型軍船を沈めたという記録が残っている。 >>270
どうやって運用したんだろ?
使いにくいと思うが 衝撃で転覆させられれば、船腹破らなくても目的は果たせる。 酸素発生器
イギリスで活躍したオランダ人発明家コルネリウス・ドレベル(1572-1633)は、
世界初の潜水艇を作った人物であるが、驚くべきことに彼の潜水艇には乗員の呼吸を
可能ならしめる酸素発生器が積み込まれていた。
酸素という元素が発見される約150年前のことである。 昔の人も生きが苦しくなるってのはわかってたしな。
酸素発生装置ってどんなだろう >>278>>279
ほほぅ、二酸化炭素吸収機能もあるのか
これは凄いな
テムズ川で親閲しただけかと思ってたら
実際に乗ってたのかww もしかするとジェームズ1世は
「人工的に発生させた空気を吸った最初の君主」
でもあるかもしれない。 1%あれば毒になる二酸化炭素を吸着しただけみたいだが 酸素発生装置ってそういうのがあったらなあ、みたいなものか。
飛行機以前に飛行装置を想像した人もいるし
アニメでもドラえもんとかいろいろ装置を想像してるし みたいな程度とか 発明家ドレベルの伝記動画
https://www.youtube.com/watch?v=HB-QuxYHvEM
この時代でサーモスタットの発明というのもすごい
英国王からヘッドハンティングされるだけのことはある ライト兄弟の飛行機が飛ぶよりも
ヘリコプターが浮上した方が先だったってマジで? 【金融緩和、はぁ?】 50年間の原発政策の失敗を土下座で謝れ自民党 【九条改正、はぁ?】
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信。これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある。書けばツイッターで速攻削除されている。
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
日本国民はどう対処すればいいのか。新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
ファッシズム政権の終わりは、いつでも残酷な結末しかない。安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
https://twitter.com/tokaia mada/status/605899171313246209
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
辺野古新基地建設反対ママの会に対して、機動隊員が「お前たちには汚い血が流れている」「だってお金欲しいもん〜」「俺の写真を待ち受けにしろ」などと暴言。(顔写真)
https://twitter.com/MothersNoWar/status/690357793702940672
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動(1種類の政治形態が世界中を支配する)をコントロールするのは、マイト レーヤの任務です。
史上初の世界演説は英国BBCが放送
https://www.youtube.com/watch?v=6cO vo6n7NOk
それは非常にまもなくです。マイト レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。14歳以上のすべての人々はマインドの中で、自国語で聞くでしょう。 確かに『抱朴子』にはヘリコプターの話が出てくるね。
この手の話では中国人に勝てんわ。 日本でも平賀源内がプロペラを発明してるし、
そんなものアイデアだけなら大昔からある
だがエンジンもモーターも無い時代にプロペラを発明したって何もできない >平賀源内
パチモン臭が染みついた人名を出さないでください。 >>287
核弾頭を作っていたのならまだ分かるけど、核ミサイルを作れるのか? アホに肩入れするつもりは毛頭ないのだが、一言マジレス。技術的には宇宙ロケットと弾道ミサイルは同じものなので、日本は独自に作る技術を持っている。
ハヤブサで実証した通り、再突入技術も持っている。 ハヤブサの回収の為の再突入と核弾頭の迎撃をかいくぐる再突入は別ものだけどな 核弾頭は「迎撃をかいくぐって再突入」なんかしないぞ?だいたい再突入体にはエンジンが付いてないから機動できない。 ヨコだが…
大気圏再突入に必要なのは角度
そして重要なのは理論ではなく実証
ついでに言っとくと(両方にレスをつけとくと)、東大の連中も宇宙ロケットと称されるものを造ってはいるが
アレで核弾頭搭載の弾道ミサイルは無理絶対
まぁH系列のロケットなら可能だけどね(組織改編で一緒になったが内部では色色あるからなぁ… 世界最古の児童文学書『パンチャタントラ』
書かれたのは2世紀から3世紀ごろのインド。
グリムやアンデルセンの童話に大きな影響を与えた。 インドのギリシャ人の王、メナンドロスと仏教僧ナーガセーナの問答を記した『ミリンダ王の問い』。
『那先比丘経』の名で漢訳されていますが、源信の『往生要集』にも引用されています。
ミリンダの名は弥蘭王となっている。
『源氏物語』にも影響したとする説が正しければ、紫式部もこのギリシャ人の名は知っていた筈。
少なくとも、彼女と同時代人の赤染衛門とされる『栄花物語』の作者は読んでいました。
足柄山の故事で知られる源義光も『往生要集』の愛読者であったという。
永観堂の名前の由来になった永観も引用しています。
京都の紅葉の名所を訪問してギリシャ・インドに思いを馳せるのもいいかもしれません。
引用された問答は、悪業があっても善行により地獄に堕ちないというもの。
念仏により悪業の人も往生しうるという論拠に引用されました。 アメリカが自国の科学技術を見せ付けて国威発揚に利用するF-22等のステルス航空機だが、
実はソ連の科学者ピョートル・ウフィムツェフ が1960年代に電波反射を解析する理論を発明して初めてステルス航空機の形状設計は可能になった。
もしソ連がピョートル・ウフィムツェフの論文を西側に公開しなければ、アメリカでのステルス航空機の開発は大きく遅れていただろうに。
英語だとPetr Ufimtsevな >>292
>エンジンもモーターも無い時代にプロペラを発明したって何もできない
タケコプターが出来るのでは? >>301
「必ず水に沈む石でも船に載せれば浮く」というのは実に巧みな比喩だと思うけど。
輪廻と無我の関係については、あれでよくメナンドロス王が納得したなと首を捻ってしまう。「無我の対象外である仏性というものがある」という解説で、初めて両者の関係に納得した自分としては。 王・警告・カー
を新・三大ミランダに認定したいと思います >>305
カメラもなかなかのもんだったんだけどねぇ 人工知能とのチェス対決は1700年代からやってた件
https://ja.wikipedia.org/wiki/トルコ人 (チェス) BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 孔明が嫁に選んだ黄月英は、ロボット犬を作り愛玩していたという。
1700年前の中国で、暇つぶしにAIBOを作るという驚異のテクノロジー。
夫の孔明がこれに倣って四足歩行の兵站ロボットを作ったことも有名あるね。 ライト兄弟が複葉機を初飛行させてから僅か7年後には
最初のジェット機が作られていたこと。
コアンダ=1910(Coandă-1910)
https://www.youtube.com/watch?v=MDaUbsWNXvI ウィキペディアによると、「圧縮機とタービンを備えたガスタービンの概念そのものは
1791年にイギリスのジョン・バーバー (John Barber) によってすでに提出されていた」
とあるね。 自動ドアや自動販売機の原型は2000年前からあるとは ドリルによる虫歯治療
パキスタンのメヘルガル遺跡(7500年から9000年前の新石器時代) 免震構造
アケメネス朝ペルシアの帝都パサルガダエ(世界遺産)にある
キュロス大王のものと伝えられる霊廟は、免震構造で建てられた
世界最古の建造物だそうな。今から2500年前か・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Base_isolation シリアのHassan al Rammah氏が発明したロケット推進の魚雷(1280年ごろ)
http://bbprivateer.ca/sites/default/files/images/al-rammah1.jpg
こいつが大量に実戦投入されてりゃ、大航海時代を征するのはイスラム艦隊だったにょ >>316
「大航海時代」はインドに行くための航路を探すことが目的だったんだから
イスラム勢が大航海時代やる必要は無いだろ 艦砲が発達する前に魚雷の応酬とはな。
イスラミックな水雷戦隊、見てみたいな。 インド洋に踏み込んだガマやアルメイダは生きて故郷に帰れまいて >>322
クロムメッキ剣の件は、始皇帝以前に遡る。
越王勾践剣でググってみて。 秦の時代には鉄剣があったが
兵馬俑に埋められているのは青銅剣で
もともと実用品ではない装飾
傷を付けるような使い方をしない 越からだったのか、知らなかった
でも秦統一王朝の滅亡でおそらく技術が継承されなかったんだろうな、惜しいことだ 中国の考古学者が、気の利いたイタズラを思いついた。
そして自腹を切ってそれを実行した。 石器時代の冷蔵庫。
木製の容器のバターを入れて泥炭に埋めていた。
ボグ・バターの発見で存在が推測。 1537年フランソワ1世のモンペリエの勅令で納本制度を実施 >>329
>古代エジプトのアレクサンドリア図書館は、アレキサンドリアを訪れた旅人が書物を持っていた場合、
>それを没収し写本を作成してから写本の方を旅人に返却していた。
とあるが、おいらの記憶では
港に入る船の積荷を検閲して全て没収という徹底ぶりだった気がする、、、 >>331
どう違うんですか?
>>300
イソップ物語は子供向けじゃないのかなぁ、、、 >>227
イザムバード・キングダム・ブルネル
テムズ川でシールド工法やったのもこの人だった気がする。
真空チューブ列車
イザムバードは、管を設置して管の中を外部の機関で排気して真空(低圧)とし、列車の後方からの空気で駆動するいわゆる真空チューブ列車に挑戦した。
1847年から試験を行い、1848年の2月から9月まで運行された。シール(気密)その他の問題や、通常の蒸気機関の3倍近い費用など、不成功とされている[1]。 >>332
イソップは大人向けの風刺小噺集だよ。今でも。 >>332
納本制度は対価を払いますよ。基本的には。 >>27>>28>>29
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200204/zhuan46.htm
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/00_koneta/11.html
春中心かと思ったがそうでもないっぽい
だけど別の春もあるらしいww
あと二番目のサイトにないぶんは2つ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA_(%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2)
アモリ系王朝を創始したヤフドゥン・リムの王女は嵐の神アダド(英語版)神の神官であり、王家の神として崇拝された。
また1930年代後半の発掘では椅子に座った頭部の欠落した女神像が出土しており、椅子の両側に穴があることからブランコに乗った豊穣の女神ニンフルサグではないかと考えられている。
インドや古代ギリシャや古代ローマなどに見られるブランコに女性が乗る豊穣儀礼との関係が指摘されている。
クレタのはかなりそれっぽい
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/AMI_-_Schaukel.jpg/450px-AMI_-_Schaukel.jpg
時代的にはマリのが最古っぽい >>334
たしかにイソップ童話ってあんまり言わないですもんね
しかし、自信満々です、、、
https://mamanoko.jp/articles/14922
アンデルセン童話、グリム童話、イソップ童話。3つの違いを知っていますか?
アンデルセン童話、グリム童話、イソップ童話。世界で最も有名な童話集をあげろと言われたら、まずこの3つを思い浮かべますよね。
でも、この物語は、どの童話だったか、ちゃんと理解していますか。
そして、これらの違いを子どもに聞かれたときに、スラスラと答えることができるでしょうか。 これは銅矛ではないか。ウガヤフキアエズ朝の遺物か… >>313
取り敢えず作るところまでは出来ても,実用化の域に達しないということは結構あるらしい。
郵便局に行くと切手の自動販売機があるが,実は同じものが明治時代に発明はされていた。
逓信省が大きな期待を持って買い取ってのだが,誤作動(1円入れたら100円切手が出てきた,のような)
を減らすことが出来ず,とうとう戦後まで実用化できなかった。
余談ながら,自動運転自動車が切手自動販売機の二の舞になるんじゃないかという私の予想は,単なる杞憂だろうか。 昭和の末頃、学友に切手の自販機ぐらい置いとけば夜中でも買えるのにと言ったら
何言ってんだ?こいつっていう顔された思い出
駅で、こっちでは自動改札機が何所にもないなと言ったら、そんなものは不可能だとも言われたな… >>337
アレクサンドロスが!?と思ったらdocomoCMでアレクサンドロスとかやってんのなあ 世界的に見て、最も長い歴史を持つ大学は南京大学だった >>344
歴史が長いわりにはトップクラスの大学にはなってないんだな
清華大学、北京大学、復旦大学あたりには勝てない >>341 一方自分の住んでる地域では、郵便局が移転前には建物前に切手の自動販売機を置いてたのに、移転してなくなった
まあ隣がファミマだからレジで24時間切手を売ってるけど >>341
俺が住んでた所じゃ昭和の末どころか万博の頃から(つまり47年前から)
私鉄各社が自動改札になってたけど
そんなものは不可能だと言ってた人は遠出しない人だったのかな 関西は早かったから当たり前だったけど
昭和の山手線は駅員に手渡し 天文現象の記録を元に編年する手法は
プトレマイオスさんが最初かと思っていたのだが
実は中華の方が早かった、、、 シャトルが1733年に開発されてた
むっちゃ速かったらしい、、、
「想像を絶する速さで、シャトルはすぐさま消える小さな雲のようにしか見えない。」
─── ジャン=マリー・ロラン (1785) >>217
ふーむ、仕事人の仕事って遅かったんですねぇ
『我が国最初の気球飛揚の地』
が消滅しててワラタww
http://hamadayori.com/hass-col/tech/kikyu.htm 関西は私鉄が先行していて大阪の環状線も中中導入しなかったしな
でもまぁ東京で自動改札が導入されたときのワイドショー番組は関西人からは失笑レベル
東京人も「こんな先進的なシステムは地方にはないだろう」とドヤ顔(当時こんな言葉はなかったが)
何か言い返したところで「大阪の人は東京への対抗心がすごいから」とヤレヤレ困ったもんだ、俺絡まれちまったぜと、
御約束の展開になるから何も言わなかったが >>353
大差が無いぞ、大阪土人
1966年阪急
1969年東京モノレール
1971年札幌市交通局(全駅) ぐぐってドヤ顔
コミュ症じゃないなら50歳以上のオヤジに聞いてみろよ
坊や
得意の検索能力で主な電鉄会社の導入日を検索してみてはどうだろうか 僅かな駅で試験的に導入されたのと
私鉄と地下鉄全駅が自動改札になったのを同列に語る人 大阪土人って何で対抗意識が高いだろ。チョン遺伝の影響? 事実関係を議論する訳じゃなくて、罵倒が目的だからなあ。
まともに相手にもしてもらえていないけど、むなしくならないのかね。
まあ、現実世界でうまく行っていないんだろうけどw 親に「昭和の改札口って、どうだったの」とすら聞けないのだから
便所の落書きで誰彼構わず罵倒するしか、毎日やることがないんだろうw 親に聞いたってその親が鉄オタか日常的に日本中各地を巡って廻る営業マンでもないかぎり
自分の住んでる地域のことしか知らんよ 昭和の東京や大阪に一度も出かけたことがなくて、
「関西の市電は改札口で人が応対しない」という職場や地域での噂も聞かない。
職場や地区・農協の団体旅行にも参加しない、コミュ症の親に育てられた引き籠りの子供が、
他人を罵倒することさえできれば十分で、事実は関係ないし過ちを絶対に認めないキチガイの妄想だけが正しいんだよね。
うん。君は常に正しいよ。君と違う事を言う他人は常に間違っている。それで君が満足するならそれでいいじゃん。 >>363
横から失礼。
「罵倒」ってどの部分を指してる? 罵倒云云は他人のレスに乗っかっただけだから
レスアンカー間違ってるよ
最初に言った奴に聞けよ 363は「罵倒」っていわれたからくやしくて口汚く罵ったわけ?
最初に言ったやつが悪い、俺は悪くない!っていうの?
お子ちゃまだなあw あぁ
360は366なわけね
相手に使った言葉を自分に向けられて悔しかったんだねw
誰かと会話するという習慣が全くないから、ネットでも他人と接するには「罵倒」しかできないと
なるほど >>360
横から失礼。
「罵倒」ってどの部分を指してる? >>367
???
360,366向けに罵倒してる人いる? 良心的日本人を除く全ての日本人=ネトウヨは、ウリを常に罵倒してるニダ。
という先入観じゃねぃ? >>333
真空チューブ列車はすごいね。英語版のWikipediaを見ると時速109kmとある。
1848年といえば日本はまだ江戸時代だよ。
遠山の金さんが二本の足で走って悪党をえいこら追っかけてる時代にだよ。 >>372
ちなみに日本最初の営業列車は
実は海上を走っていて
浮世絵にも描かれているらしいですww 玩具で思い出したが、世界最古のアダルトグッズが、
30000年前の旧石器時代の遺跡から出土しているらしい。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 最古のカレンダー
南アフリカにある7万5000年前のストーンサークル「アダムス・カレンダー」が
世界最古のカレンダーであるという説がある。
https://www.bibliotecapleyades.net/sumer_anunnaki/esp_sumer_annunaki35.htm
もっと手軽に個人が携帯できるサイズのカレンダーが出来たのはいつだろうか。
これも諸説あるが、やはりアフリカのコンゴで発見された「イシャンゴの骨」と
呼ばれる刻み目の付けられたヒヒの骨が、2万年前に作られたカレンダーでは
ないかという説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イシャンゴの骨 「ドレミのうた」は西暦600年ぐらいかあるらしい
グレゴリオ聖歌《Ut queant laxis(貴方の僕たちが)》
が元で楽譜ができるより前ということっぽい
歌詞はパウルス・ディアコヌス(助祭パウルス、720頃〜799) の作とあったので
曲が先とは考えられないから実際はその間ぐらいなんかな
Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve polluti
Labii reatum
Sancte Johannes
(78) ドレミの元
http://seiko-phil.org/2012/04/26/171524/
聖ヨハネ賛歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E8%B3%9B%E6%AD%8C メトロノームの発明も9世紀と意外に早い。
発明者のアッバース・イブン・フィルナスは
Wikipediaによると気象制御シミュレーションルームを
自作していたという天才だから、メトロノームのような
単純な機械を作るのはたやすいことだったろう。 >>380
ほっほう、そうすると
吊り下げ式振り子よりも先に時間を刻んでいた訳か、、、 歯ブラシの発明は1498年だと
中国は明の第10代皇帝である弘治帝が初めてブタ毛の歯ブラシをつかったのだと 歯ブラシが最初から豚毛ってのはびっくりダナW
最近見なくなったけどやっぱ硬くて適度にいいのか |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また毛の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
62JV3 ウラルトゥ王国のメヌア王といういうとあまり馴染みがない名前だが、
どうやら紀元前8世紀の段階で水道橋を建設していた。 俺が30pシリーズの戦艦を走らせて遊んだり、立小便していたり大型ごみを捨てたりしていた近所の池が起源不明の古代人の土木遺跡だった。
狭山池
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E6%B1%A0_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C) >>386
日本で水道橋が出来たのは、19世紀も半ばになってから・・・
世界史的な目で見れば、日本って途轍もない技術後進国だったんだね・・・・ そこまで大規模な工事しなくても水が確保できたから、必要なかったんだろうね
玉川上水や千川上水には、ごく小規模な水道橋や水路の立体交差はあったようだ 普通に逆サイフォンとかあるぜ
木工技術は見事なものだ 確か九州に江戸時代の導水橋があったはず
三連水車で水を送るしかけも九州だったか? >>390
そもそも
>>389は間違ってるぞ
江戸初期に東京の水道橋はできてるのに 見沼通船堀はかなりえっとする
河の交差とか普通にやってるぞ 金メッキの技術でそんなのあったっけとバグダッド電池のウィキ見たら
>(略)(実際その近辺からメッキされたとしか言いようがない装飾品が出土している)の道具とする説が提唱されたが、
電気を使わずとも水銀アマルガム法などでめっきを施す方法は古くから知られており、根拠としては薄い。
「実際その近辺からメッキされたとしか言いようがない」と言っといて
「水銀アマルガム法などでめっきを施す方法は古くから知られており、根拠としては薄い」てなんかちぐはぐというか >>391
排水系の技術は江戸前期以前でも、かなり発達しているんだよな。
その割に上水の巨大な設備は見当たらない。ちょっとした特殊地域かもしれない。 >>398
Wikipediaは文章の削除にはうるせーから、書き足すことで前文を無効にする方法で修正が行われることも多くて
支離滅裂な文章になることもままあるらしい >>399
日本は多雨で大都市でも十分に井戸で供給できたからでしょ
実際江戸でも初期は浄水の需要があったのはもっぱら埋立地とか下町の人が多い
まぁ人口が多くなってからはそうは行かなくなったみたいだが >>398
「電気でめっきする」
を「めっきする」という記載したという
単に省略しただけやんけ
水銀アマルガムは小学校の頃奈良の大仏で水銀が使われたという話がわかんなくて
親父に聞いてわかったな
水銀を蒸気にするってヤベーだろと思った記憶がある >水銀を蒸気にするってヤベーだろと思った記憶がある
実際やべー状態で、何人もが死んでる >>403
ATもツインカムマルチバルブもターボも4wdもインジェクションも、現在の車の技術はたいてい両大戦間に登場してる
いわんやリトラクタブルライトやパワーウインドウをや >>221
うわ懐かしい、小学生雑誌の付録で読んだ話がそれだ。その後その話は
まったく見聞しなかったので、自分の記憶違いかと思っていた。
ただその付録では勝手に「王さん」にされていた。 >>400
「以前は上記のような主張もあったが現在では根拠がないとされている」「しかし近年になってあらたな知見が〜」みたいな。 ヒッグス粒子の発見で、お蔵入りだった埃まみれのエーテル理論が
急に見直されたり。 エーテル(ether)はイーサーネット(ethernet)のなかで生きている 古い本だと「エーテルネット」と訳されてることもある >>410
メーテル、ちゃんと見えてる?
パイレーツネタとは懐かしいな。 2000年前に掘られた地下巨大空間「龍游石窟」。
http://tocana.jp/2017/07/post_13979_entry.html
何のためにこんな大工事をしたのかがミステリーだが
容積100万立方メートルって首都圏外郭放水路の調圧水槽よりデカイな。 大谷石の採掘場みたいだったけどw
まじで単なる採石場かもしれんぞ 約10,000年前。世界最古のものと思われる先史時代のクレヨンが発見される(イギリス) カラパイア
http://karapaia.com/archives/52255347.html 80年前の壁画に“スマホでメールチェックする”アメリカ先住民の姿が描かれていた!
ttp://tocana.jp/2017/08/post_14280_entry.html ゴムボール
紀元前1600年と測定されるゴムボールが
オルメカ文明のエル・マナティ(El Manatí)遺跡から見つかっている
サッカー強国への道は一日にしてならずぢゃ >>416
カード、ヘラなど見てればスマホてな。
薄めの宝石箱だかをノートPCとかな >>418
ボールを蹴って輪をくぐらすだかでなかったか。
競技場もあるとかやってた気が。
バレー説もあるのか 環をくぐらすのならバスケじゃね。
主人公がバスケを続けるためには、
出場する全試合で負け続けなければならないという不条理。 前にNHKの番組でロドプシンの起源が
水平伝播と言ってたけど
オプシンの起源は左右相称動物より前の刺胞動物に遡るらしい。
実はこれには更に起源があって
元になった蛇状タンパク質は菌類なども持っているとのこと。
もともと別の信号(フェロモン等)を検知する目的のセンサーだったらしい。
ちなみに最初の遺伝子重複は6億3000万年前には既に発生していて
6億年前ごろに左右相称動物に分離する前には、
もう一度の遺伝子重複が起きていて3種類のオプシンをゲット
刺胞動物(クラゲ)が持っているのは「ネマトステラ4」「クニドップス」
ふーむ、、、 >>423
○左右相称動物より前の刺胞動物tとの共通祖先に遡る
6.5000億年前 蛇状タンパク質からオプシンが発生
6.3000億年前 オプシンが重複
6.2000億年前 刺胞動物と分岐した後にもう一度遺伝子重複の発生
6.0000億年前 最も古い左右相称動物は3種類のオプシンを持つ
5.8000億年前 前項動物では、桿体オプシン(r-オプシン)が主たる光受容体となる
水平伝播は走光性の生物とか言ってたかなぁ、、、 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
0IS πの数値は歴史的におおきな変遷を経て
現在の3.14...の値に近づいたらしい
昔は今の20倍を超えていたそうな 古代エジプトではすでに、7/22という実用に十分な精度の近似値が得られてたわけだが? >>431
祖沖之さんのやつっすね
時代の先端をいく数値っすけど
しかし残念ながらそのころπははってんじょうだったので、、、
次のπの登場はウィリアム・オートレッドさんの中の人が
1652年に円周の直径に対する比を π/δ と呼んだのが始まりらしい
πが周で、δが直径ということらしいので
つまり、この時点でπは変数らしい、、、 なんか根本から勘違いしてないかい?
「π」をなんだと思ってる? sin,cos,arctanのべき級数展開
南インドでは1400年頃からあった 空気清浄機
パナソニックが家庭向電化製品として販売したのは1962年ですが、最初に出来たのは19世紀のイギリスで、日本でも明治時代には
存在した様です(正確な年次は不明)。
明治23年:電気扇風機 大正4年:電気アイロン 大正10年:電気炊飯器 昭和4年:電気こたつ 昭和5年:電気洗濯機・電気冷蔵庫
昭和6年:電気掃除機 昭和10年:エアコン
の国内生産開始。山本夏彦「TV以外は戦前から大体あった」もまんざら誇張ではない。 ギリシアの伝説的名医ヒポクラテスは、男性の薄毛予防法として
「去勢」が有効であると記した。
このことは2500年後、アメリカのデューク大学の研究で立証された。
http://1kumo.com/why_thinninghair/history.html >>436
男がハゲるからいっそ睾丸とってみてはどうか?てきな発想か… 古代ギリシャあたりで脳が思考をしている説?とかあったんだっけ。
しかしそれが証明?されたのは18世紀だかまあ最近とかだっけ。
地球が丸いってのも古代から言われてたが証明したのはマゼランとかいうしな 地球が丸いのを証明した、ってのは定義によるだろう。
紀元前2世紀のエラトステネスの時代にはサイズの推定しようかというところまでコンセプトは浸透してた訳だし、力ずくで一周したのは学問的な証明とは違うと思う。 >>440
地球を一周することで丸いと証明できることが判明したのって
ポアンカレ予想が解かれたつい10年程前だしな >>441
ドラクエ世界を何週もしてみましたが
地球は丸くなかった気がします
なにか回り方があるのだろうか、、、 ドラクエの世界は、北の果てが南の果てと、東の果てが西の果てとそれぞれ繋がっている。
世界の姿はドーナツ型のトーラスだと思われる。 >>439
戦争で頭を負傷して生き延びた人を観察して脳に精神が宿るという説が出てきたんだとか 江戸時代とか平安時代とか飛鳥時代から「頭がいい」って言ってたら知識のオーパーツかも >>439
おいらの知ってる範囲だとこの辺りっすけど
108機能はないっぽいっすねぇ
ガルの器官学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E7%9B%B8%E5%AD%A6
ガルの「器官学」によれば、
脳は「色、 音、言語、名誉、友情、芸術、哲学、盗み、殺人、謙虚、高慢、社交」などといった精神活動に対応した27 個の「器官」の集まりとされ、
各器官の働きの個人差が頭蓋の大きさや形状に現れるのだとされた。
これはもっとも初期の脳機能局在論であり、また近代骨相学のはじまりである。 もっと昔の古代エジプトでは脳みそは鼻水製造器と考えられミイラ製造時には捨てられていたとかだっけ。
魂大事に思う信仰なのに脳みそは捨てるんかいーみたいなのあったっけ 鼻水製造機って概念が謎
目・鼻・口が顔に集まってるから脳も重要な器官に違いない!と気づいてもおかしくない
実際教えられなかったらどう考えたんだろうなあ 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>439
「肝心」という言葉があります(「肝腎」は本来別の言葉)が、16世紀には李時珍の『本草綱目』で
脳が精神の宿る場所とされているものの、それまでは紀元前から心臓ないしは肝臓に精神が宿
るというのが中国の伝統的思想であったようですね。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>450 >>452
ちゃんと読んでもらえると思ってしつこくマルチ投稿してるのか? >>435
テレビはねえ ラジオはある 車はときどき走ってる ピアノはある バーはある
おまわり毎日フル稼働
中略
おらこんな帝都(むら)嫌だ〜×2 江戸に帰るだ〜 >>439
そういえば始めて公式にタイムトラベルしたのは
マゼラン艦隊の人達ですかね
ローマ時代にもけっこう怪しいとこありますけど >>456
タイムトラベル?日付変更線的な?
そういうのって実際やるまで考えもしなかったんだろうな。
西廻りで一周したらあれ?一日遅れてる!?て。
東廻りだと逆に一日進むのかな 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>458
都合のいいところだけをつまみ食いしてる文章ですねw 竪穴住居と高床式って別に進化の関係じゃないし
東南アジア内陸部なんて有史以来一貫して高床式だし、逆に台湾のヤミ族なんか今でも竪穴式だ >>457
西に進んだ宣教師と東に進んだ宣教師が出会ったところ
イベントの日付がズレちゃったらしいですねぇ
バベッジの弟子のエイダさんには
脳と計算機と進化論を混ぜ込んだ
自然哲学書を書く計画があったらしい、、、 >>458-460
中国には巨大な屋根無し竪穴式住居に住んでる人が今でもいますしね >>460
>台湾のヤミ族なんか今でも竪穴式だ
これ今のヤミ族の街やけどこの住居は竪穴式なん?
https://i.imgur.com/WKDs4oU.jpg 紀元前のエジプトではすでに電球が発明されていた
紀元前1世紀に建築されたハトホル神殿の壁画には白熱電球が描かれている
それは「デンデラの電球」の名前で親しまれている
しかしそれ以降のエジプト遺跡には電球は描かれなくなってしまった
なぜなら白熱電球からLED電球に進化したからだ >>442
どうやら回り方ではなく
回った後にルールがあるらしい
そしておいら気がついてしまいましたが
地球は丸くなかった、、、 手品って古代からあったのな
『後漢書』哀牢伝
永寧元年,撣國王雍由調復遣使者詣闕朝賀,獻樂及幻人,能變化吐火,自支解,易牛馬頭。又善跳丸,數乃至千。自言我海西人。海西即大秦也,撣國西南通大秦。
永寧元年(西暦120年)、撣(シャン?)国王の雍由調がまた使者を遣わして宮城に
参上して朝賀を行わせ、音楽及び幻人を献じた。
幻人は姿を変え、火を吐き、自ら支解(体をばらばらにする事)し、牛馬
の頭をすげ替える事ができた。また、跳丸(お手玉)に長じ、その数は千
にも上った。
幻人は自ら「私は海西の人である。」と言った。海西は即ち大秦(ローマ)の事で、
撣国の西南が大秦に通じている。 【ボギー、スカンク、サンタクロース】 あんな巨大なものが急に浮上してね、物凄いスピードで飛ぶんだ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1546914326/l50
精華大教授がコロラドの地下で見たものとは? >>475
博打のイカサマも昔からあったろうな
技術としては似ている >>349
この方は超天才ですね
新時代に活躍したところもおもしろいです。
この時代にできた枠組みが後世に残ってるところも
王莽さんとともに偉大さを感じさせます。
仕事の幅的にプトレマイオスさんを超えているかも。
劉キン (学者)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E3%82%AD%E3%83%B3_(%E5%AD%A6%E8%80%85)
暦法
劉?太初暦を補完して三統暦を作り、単に月日の配当してカレンダーを作るだけではなく、
太陽・月・惑星の運行まで計算する天体暦としての性格の強い中国暦の枠組みを作った。
また司馬遷の『史記』では共和元年(紀元前841年)以前の紀年は明らかにされていないが、
劉?は『三統暦』の超辰紀年法によって古典中の天象記事を頼りに年代推算し、紀年を行った。 >>482
楽律累黍説はこの人より前からあったらしい、、、
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10632003_po_ART0002607719.pdf?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10632003&contentNo=1&alternativeNo=&__lang=ja
いわゆる楽律累黍説は、古人が度量衡基準を制定するために発明した一種の学説である。
この学説の基礎は彼らの音律に対する認識に在る。
古人は音律が万事万物と関係あると認識していた。
正に司馬遷がく史記・律書〉で説いた:「王者が制度を作り規則を立てるにあたって、度量法則の一切は六律に基づく。
六律こそ万事の根本である」。
六律とは即ち音律を指す。中国古代伝統上用いたのは十二音律であり、この十二音律は又六律と六呂に分けられる。
単に六律と言うときは音律の代名詞となる。
司馬遷の説いた意味は次のとおり:帝王が各種規則制度を制定し、測量の標準を定めるのは、全て音律から来る、
音律が万事万物の根本である。このため、度量衡の基準は当然音律が基礎となる。
度量衡と音律が相関しているという思想は、早くも先秦時期に存在していたが、
それを理論的に組み立てたのは西漢末年の劉敵である。
劉散は王莽の命を受け多数の人間を組織して衡制度を考察し、
二年余を経て、度量衡標準器を製作し、同時に体系だった度量衡理論を総結した。
〈漢書・律暦志〉に劉散の理論が詳細に記載されている >>482
劉歆さんは中国でそれまで用いられていた円周率「3」を改良し、
「3.1547」という値を提示したことでも知られますね。 日本や支那にむかしから小数とか無理数なんてあったん? >>485
中国の場合は、十分の一、百分の一を表す単位があるので、
小数点なしで小数を表現できる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/分 (数) 同時代の日本はせいぜい竪穴式住居の中でどんぐりを数えるぐらいだったので小数という概念は無かった。 >>487 ち(千)は千の音読みと同じ語源で、古い時代の借用語なのかな
もも(百)は確実に大和言葉だけど
でもオーストロネシア祖語でも1000まではあったみたいだから、4けたまでの数は数える機会が初期農耕段階でもあったのかな
(一応1万以上も数えられなくはないけど、このシステムだと冗長にならず自然に言えるのが9000まで?) 「ち(千)」が漢語?起源なんて知らんかった…
訓読みで大和言葉だと思ってた オーストロネシア祖語に統一された数詞なんてない
台湾原住民語の数詞なんかバラバラだぞ
>>490
千(ち)は散(ち)るとか塵(ちり)の近縁語だろ
なんで漢語だとか借用語になんだよアホすぎ ノギスの発明が情報が錯綜していて
どうなってるんだろうと思っていたが
ここにわかり易く解説されていましたので
抜粋しておきます
精密測定器の歴史
ノギスの起こりと変遷
https://www.mitutoyo.co.jp/support/service/catalog/07_kogu/r364.pdf
1. ノギスとは1
2. キャリパとは2
3. ノギスの名称の起こり及びバ ーニヤ目盛4
4. 最も古い滑 り挟み尺 :ノギス8
5. 19世紀半ば までの鞘箱型滑り挟み尺9
6. 現存す る世界最古に当た るバーニヤ目盛付滑 り挟み尺の ノギス11
7. バーニヤ目盛をもつ滑 り挟み尺 であるノギス発祥の アメリカ説12
8. 欧米に おけ る1945年頃 (第二次世界大戦終了)までの ノギス13
8.1 バーニヤ目盛のない滑り挟み尺 :簡易 ノギス14
8.2 ダイヤゴナル目盛をもつ滑 り挟み尺 :ノギス18
8.3 バーニヤ目盛をもつ滑り挟み尺 :ノギス19 >>492
2つの単位系を同時に表示している場合
さらに歴史を遡る可能性が残ります
@A.D. 9 に王莽さんが玉尺とよばれる滑り挟み尺を作らせる
Aミスターノギスことペドロ・ヌネシュさん(1502年 - 1578年)の中の人が
1542年にはメモリを分割する精密測定法を発明
Bフ ランス人ピエール・バーニヤさん(1580〜1637)の中の人が
数学書「新4分円の構成、利用と特性」の中に、バーニヤ目盛を記した
この時点で尺と関係なし
C10進法の最古のノギスは法律を元に推定されたフランス品が現存
フランスの1837年7月4日の法律で、1840年以降にメートル以前の単位プース等は罰則付きにて使用を禁止していますから、
表面のミリメートル目盛に対して裏面に以前からのプース目盛をのせ、
メートル単位の大きさを容易に分かるようにしています。
従って、このノギスの製作は法律ができた1837〜1840年
Dアメリカ起源説
ブラウン・シャープ社の創立者で優れた機械師ブラウン(J. R. Brown)が、
1850年に物差の目盛作業用に自動式直線目盛機(補正装置付)を発明し、製作しました。
この目盛 機械を使 って、翌1851(嘉 永4)年に1/1000 in(0.025 mm)読みのノギス第1号を作成 >>25>>27
ローマ時代には懸架式が存在していたらしい
精神ダンパについては情報なしですね 精神ダンパ…
精神の世界で開催されるダンスパーティーか楽しそうだ 政治家に靴を投げる行為はイラクのブッシュ大統領が有名だが
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブッシュの靴
英語版ウィキペディアの「靴投げ事件一覧」によると、
抵抗の意思表示であるこの種の行為は359年のローマ帝国ですでに記録されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_shoe-throwing_incidents#359 >玉子投げ
そんな贅沢が出来るのは
日本なら1970年代以降 食べ物を粗末にするヤシは非国民です!
竹槍で刺し貫いて成敗すべきであります! ほんとそう、坊ちゃんはアナーキー青春小説としてもっと評価されていい >>483
これはかなり令和だったのではなかろうか?
ビューティフルハーモニーっていうよりは
オーダーな漢字がしますね オーダーと言うから誤解されるんで、オーダードと書けば秩序立ったという良い意味になる >>22>>25>>26>>27
>>494
懸架式は基本は台車に車体をぶら下げる方式で
イスのクッションはその内側で別の話かと思いますね
御者席とかですかね?
車軸は方向転換のために、
わりと早い段階で車体とは切り離されてます
>>22
ローマ以後の道路事情は酷くて
自爆イベントにはことかかないらしいww 「鉄橋の戦い(バトル・オブ・アイアンブリッジ)」
第二次世界大戦のドイツ西部戦線の話かと思いきや・・・
紀元637年、ビザンツ帝国と北上するイスラム勢力が戦い、
イスラム側が大勝してアンティオキアを陥落させた戦闘でした。
なんでその時代に鉄橋があるのかと思ったら、橋に鉄製の門が
付いていたということなのね。 ゴールデンゲートブリッジに金製の門ってあったのか? >>439-451
脳に魂・精神・心・思考等があるみたいな思想は、現代西洋医学の一分野、神経系を中心にしたものの見方にしか過ぎないよ。
例えば金玉を取っちゃうと思考振る舞いからも男らしさが無くなるんだから、金玉に男の精神が宿ってると考える方が理に合う。今なら内分泌系(ホルモン)で説明できるけど。 東アジアにおける黄道十二星座
密教とともに唐や平安時代の日本にも伝来しており、平安時代には獅子、蠍、羊といった日本
では馴染みの無い動物たちが、天秤や水瓶と共に密教の図像に描かれている。 たしか獅子、蠍、羊は少なくともバビロンまで
水瓶なんかはシュメールまでは遡れるんじゃなかったんでしたっけか
うろ覚えですみません 2100年前の墓から女性の遺骸と一緒にスマホそっくりの黒玉製の板が発見される(ロシア)
http://karapaia.com/archives/52282378.html
匈奴のレディはけっこうおしゃれなものを持っていたのね。 史上初の化学兵器使用(紀元前69年)
共和制ローマがアルメニア王国の首都を攻めた戦いで
防戦するアルメニア軍がローマ軍にナフサを浴びせたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ティグラノセルタの戦い
ギリシア火の原型だったりするのかな? 逆に「その時代までなかったの?」だと
「けん玉」が今の形になったのが1900年代に入ってから、というのも驚く。
(原型になったものは古くからあった) >>516
燃焼系は化学兵器に含めないんじゃね
火炎放射器は化学兵器禁止条約で規制されないだろ 「化学兵器」をウィキでみると
ペロポネソス戦争でスパルタ軍が使用した亜硫酸ガス
が史上初とあるがマジか。
だれか詳しい人おしえて。 トゥーキューディデースの『ペロポンネーソス戦史』に見える話ですね
ただ,町や砦に火を放つために着火剤として硫黄を燃やしたようで,
結果として亜硫酸ガスが出るわけですが,ガスを化学兵器として
ことさら意識していたかどうかは不明です >>520
出典サンクスです。
ポリス攻めの兵器としてポピュラーにならなかったところをみると
やはりたまたまだったのかも。 ガス目的じゃなくてもそれなりに有用そうなのにメジャーにならなかったのは
自分たちにも被害が出たからだろうか?
たまたま実験もしないで使ったのか、実験して効果確かめて使ったのかとか気になるね 生物兵器に関しては、腐乱死体を籠城中の城の中に
投込んだりしてるから、けぅこう古くからやってるのかも。 確かに〜
死体とか死んだ牛とか糞尿とかも広義ではそうか 大学に行く価値は全くないね
明治大学職員は被害者を脅迫して退学に追い込んだ人間のクズ >>516
しない。
「ギリシャ火」は6世紀頃、ビザンツ帝国でシリア人カリニコスの発明だったことが判明してる。
ただ、肝心のカリニコスが製法を書き記す前に火事を起こして処刑されてしまったので、現代に至るまで製法は謎のまま。
ちなみに、火炎放射器かナパーム弾の元祖らしい。 >>523
第一次神聖戦争で、せき止めた敵地の水源の川にヘレボルス(毒草。クリスマスローズもこの仲間)
の根を投げ込み、再度流し込むことで敵地住民を苦しめたという話がありますね。
紀元前6世紀初めのこと。
キエフのオリガが敵に贈らせた鳥に硫黄をとりつけて敵地を焼いたというのは、最古の空襲か? >>530
キンポウゲ科は毒草が多いですがそんな使い方があったとは・・・
川の水を飲んだら腹痛を起こすみたいな感じでしょうか・・・ >>532
事実、腹を下したそうです。
井戸に毒や糞を投げ込んだ話はよくありますが、川をせき止めてというのは珍しい。 >>529
帝国もその製法を門外不出にした、が抜けてる。 そういやトリカブトもキンポウゲ科だったな。
古くから毒矢に使われているがこれも化学兵器と言えなくもないな。 薬殺刑も古いねソクラテスの毒人参とか
苦痛のない薬殺刑は新しいのだろうけど >>536 どこかの言葉でトリカブトを指すヴィシュがいま世界を恐怖に陥れてるウィルスの語源というのを
どこかで見たような。たぶんガセだろうけど 毒のラテン語由来じゃないの
それがトリカブト由来な可能性はあるが これは中国のか?この時代のヨーロッパの豚は白いのも茶色いのも粗野でイノシシに近い人をたまに襲ったりするような動物だったかと
一方で中国では2000年近く前からこんなの
http://www.saiboku.co.jp/museum/college/buta/hinsyu/naikoucho.html
この貯金箱の豚は温厚で愚鈍そう よく肥えるからなら北の将軍はそういう信仰で代々肥えてるか。今のは肥え過ぎぽいが 貧しかった自体には金ぴかでふくよかな人が喜ばれてた時代があるんだよな
日本も福の神系はふくよかに描かれるし
そういうのを引きずってる国は肥えてる人が好まれるのだろうね >>543
怒ってる意味はわからんが
やべえ、造形かわいいな >>548 随所に見かける「マツコに似た仏像」というのもそういうことか
断食して死にかけた仏陀みたいな造形は日本の仏像じゃ受けないだろうな >>551
>断食して死にかけた仏陀みたいな造形は日本の仏像じゃ受けないだろうな
ありますよ。「出山釈迦」という名称の画題・像題です。
chinaalacarte.web.fc2.com/bukkyo-128-4.jpg
近畿地方だと地方の無名寺院にもあります。
画題としてはありふれたもので、ちょうど私も自室に幕末の出山釈迦図を掛けていたところでした。
仏像としてマイナーなのは、苦行を終えて山から出て来られたところであり、成道・初転法輪の前
であって、結跏趺坐された礼拝対象とはまた別であったからでしょう。
どちらかといえば、絵解きのような教育向けのお姿ですね。 兵士を意味するソルジャーが、「塩で給料をもらう人」が語源だと知った時の驚き
でもサラリーも塩が語源だから不思議ではないか 帝政ローマ期の戦車レースにチームがあり、市民がそれぞれ贔屓チームを持っていたということ
マンチェスターダービー、あるいは阪神と巨人みたいなのがすでにあったんだな 巨人大鵬卵焼きみたいなラテン語の成句も、探せばあるかもしれんね 東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の時代に都を揺るがせた「ニカの乱」も、
元は戦車チームサポーター同士の小競り合いが原因だった。 >>560
>>562
イスタンブールのガラタサライ対フェネルバフチェ、通称クタラララスー・デルビ(大陸間ダービー)は
欧州サッカー連盟加盟協会域最恐と目される過激さで有名
ボスポラス海峡西岸側のガラタサライは長友や稲本の所属経験でも知られるクラブだし、
ボスポラス海峡東岸側のフェネルバフチェはジーコが元監督だったクラブだな
海峡西岸側の有名クラブとしてはベシクタシュもある
香川の所属経験でも知られるクラブだな
ここ含めてイスタンブール三大クラブの直接対戦は極めて過激
ちなみに、2011年3月18日にガラタサライの本拠競技場でガラタサライ対フェネルバフチェの試合が開催されたが、
このとき記録された131.76デシベルが、群衆騒音の世界記録 >>1. へ ( 5年後の亀レスだが )
例えば「この大地は、丸い」・・・球形 (地球) は=2000年以上前の古代ギリシャ
の時代に、すでに言われていた。( ←アリストテレス )
↑
現代でいう「相対性理論」のよーなモノかな?
ところで。例えば、今現在でもある「気球」や「天燈(てんとう)」のような・・・・
フーセン?の下に火をつけて「空に、浮かぶ」なんて=すごく、カンタン!なことは
何千年も前の「古代」でも、すぐに可能だったハズだ。
つまり、べつに「ライト兄弟」を待たなくても=人類は「空を、飛べた」としても。
何の不思議も、無い。
( 例えば、関ケ原の合戦で・・・豊臣軍の「気球」が空から、茶臼山の徳川軍に火の
雨を降らせて。徳川軍は、大阪城に上空から「1000個の気球で、焼き討ちにし
た!」とかね。)
:なぜ、19世紀まで「人類は、空を飛べなかった」のだろう?
>>566
以前このスレに書き込んだことと被りますが。
>:なぜ、19世紀まで「人類は、空を飛べなかった」のだろう?
モンゴルフィエ兄弟が有人熱気球で飛んだのは1783年なので、18世紀ですね。
来日したレザノフが長崎で無人の熱気球を飛ばしたのは1804年。
しかし平賀源内(1780年没)が秋田で今でも行われる「上桧木内の紙風船上げ」を
伝えたというのが史実なら、もっと以前から原理自体は知られていました。
台湾には天燈があるので、オランダではなく中国からの知識かもしれません。
無人ですと落下して火事になる可能性がある上、見て面白いぐらいで用途が限られます。
通信にしても、凧で済む上にその方が安全でしょう(明るいのは取り柄)。
人間に使えるような強度の布と燃料が必要だったのではないでしょうか。 更に言えば、やはり時代が許したということだと思います。
モンゴルフィエ兄弟は、洗濯物が熱で舞い上がるのを見て思いついたと言います。
ジェームズ・ワットはヤカンの蓋が動くのを見て思いついたというのは、実は元々一世紀前
のウスター侯爵エドワード・サマセットの逸話であったということですが、思い付きを実験
と実用に繋げるというのが、当時の西欧で認められた現象であったのでしょう。
じゃあなんでそうなったのかと言えば、ここで言うのは簡単ではないと思います。
宗教上・身分上の制約の弛緩、特許制度による保護と産業の発展で発明がお金になること、
体系だった科学などがキーワードとして挙げられるでしょうが。 >( 例えば、関ケ原の合戦で・・・豊臣軍の「気球」が空から、茶臼山の徳川軍に火の
>雨を降らせて。徳川軍は、大阪城に上空から「1000個の気球で、焼き討ちにし
>た!」とかね。)
これも以前の書き込みと被りますが、鳥による焼き討ちは宋代には考案されており、
西洋でもキエフのオリガが行ったと言いますが、実用された話は聞きません。
気球もそうですが、自軍の側に文字通り飛び火する危険性が高過ぎるのだと思います。
近代の地上で運用された地雷犬でも四苦八苦していたのに、鳥や気球は更なりでしょう。 そういえば、ナスカ文明で熱気球が作られていたのではないか?
とか言う仮説を聞いた事が有りますね。 新の王莽が人を空へ飛ばさせたって伝記に書いてあった 中国の伝説によれば、”ワン・フー”と言う人が
火箭と凧をつけた椅子に座って空を飛んだ、とか言う話ですね。
伝説が正しいとすれば、世界で初めてロケットで空を飛んだ人、と言う事になります。
だから彼の名前のついたクレーターが、月にあるんですよね。 >>568
>宗教上・身分上の制約の弛緩
>体系だった科学
理論的・(実用)技術的に充分可能なことで、かつ、他者に危害を加える可能性が高い行為などではなかったとしても、
「過去に実現の事例が無い行為」は、その実践だけで「社会を不穏にする行為」として重罪扱いされることになったりしたんですよね、昔だと・・・
たとえば日本の江戸時代の事例では、備前岡山の表具師の幸吉(こうきち)さんが襖作りの技術の応用でハンググライダーを作って橋の上から滑空したことが罪に問われ、
所払いを食らって岡山から駿府へ移るはめになりました
このことから今も「鳥人幸吉(ちょうじんこうきち)」の異名で呼ばれる人ですね
そのうえ、駿府でもまたハンググライダーを作って実験したことから再び所払を食らって、
遠州の見付(現・磐田市)に移住することになり、その後の生涯はそこだったらしいです
やたらと量刑が厳しかった江戸時代の日本の社会事情からすると、二度とも所払いで済んだのはまだしも軽かったと見るべきなんでしょうかね
本人さんも、逮捕・実刑(場合によったら死罪?)覚悟のうえで実験したのかもしれませんけどね
今で言うなら・・・何だろう? 一部のフリークライマーが高層建築物に無断で上ったりする行為のような?
いや、当時の感覚だと、それよりもっと程度が激しい行為をしたと見られるようなことだったのかなあ >>333
アメリカで真空列車「ハイパーループ」が有人試験に成功したというニュースが最近あった。
速度は中央リニア新幹線も真っ青の時速1000km。エネルギー消費も少ないという。
https://www.cnn.co.jp/travel/35162209.html
さすがイギリス、鉄道の発祥地だけあって先見の明があったね。 残ってましたよ
>>373
【鉄道】日本初の鉄道、遺構「高輪築堤」出土 高輪ゲートウェイ駅近く「当時の土木技術の水準が分かる貴重な遺構だ」 [すらいむ★]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1606966864/ この破城槌って先端がなんか上下動する感じだな
鐘つきみたいに使うんじゃなくて
かかと落としみたいに先端の重さで
上から叩きつける使い方なのかもな エジプトでの遺跡発掘で世界最古のビール醸造所が発見される
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_33580/
一度に約2万2400リットルを製造していたというからもはやビール工場。
5000年も昔に。 便所 紀元前4000年
紀元前4000年以前は、野原のあちこちでやってた。
しかし、足で踏んじゃう場合があり、汚かった。
そこで、便所というものを発明したら、清潔になった。 世界最古のレストラン「シュティフツケラー・ザンクト・ペーター」
オーストリアのザルツブルグで西暦803年創業
https://ja.wikipedia.org/wiki/シュティフツケラー・ザンクト・ペーター セメントが人工的に作られたのが約9000年前、コンクリートが6000年以上前だそうだけど、
意外に古い
昔の人もセメントやコンクリートがもっと近代のものだと思っていたらしく、
19世紀の英国文献に「アジア某所の有名古代史跡にはセメントの部分があるから、
古代というのは嘘だろう」云々と書かれていた 1963年、アイバン・サザランドによりSketchpadという現代の概念においても完全に近いグラフィカルユーザインターフェースが発表された。
sketchpadはベクターベースブラウン管上にライトペンで直線と弧線を引き図形の描画、操作を行うという物で、
図形は幾何学的属性に応じた補正ができ、例えば歪な四角形の角度を直角に補正するなどができる。
図形は後からの操作で変形や拡大縮小、複製(instance化)が可能であり、現在のCADシステムの原点と言われる。
ちなみに、世界で初めて実用化されたGUIは同年1963年に完成したSAGEというアメリカ空軍の開発した防空管制システムとされる。 >>549
アルビノみたいにバラバラにしてみんなで分けてお守りの類いじゃないよな? >>583
>アジア某所の有名古代史跡
もしやモヘンジョ・ダロかハラッパー? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています